最後の粘り(西京戦)

  投稿者:修濠  投稿日:2015年 6月27日(土)19時48分32秒
  七回終わって0対6の完全な負けゲームでした。
攻撃は5分、守備は20分(与死四球は12個)の展開。

どう見ても無理だろうと思っていたが 八回3点 九回3点の
驚異的な粘りを見せて土壇場で追いついた。

試合は負けたが、絶対諦めない修猷魂を見せてもらった。

「何だかいけそうな気がするーーー。あると思います。」
 

負けられない夏

  投稿者:謝道  投稿日:2015年 6月26日(金)11時18分18秒
  97回選手権大会福岡県予選の抽選会も終わりいよいよ夏が来た。選手諸君も戦う相手が定まりその攻略に向けて着々と準備を進めている事でしょう。そんな選手たちに伝えたい事が有る。

よく「スポーツにはエラーは付き物」と耳にした事が有るだろう。確かに「スポーツ」ならエラーは「付き物」である。これまでも練習試合で高校野球とは思えない程目を覆いたくなるエラー、笑いを誘うユーモア満載のエラーなど数々のエラーを見せて頂いた。練習試合でエラーしても悔やむ事は無いと私は思う。それは来たるべき日の為に神様がくれたプレゼント。「練習しなっさい。努力が足りないぞ」とのメッセージだと思う。

しかし、人生の岐路を懸けた「勝負」にはエラーは「付き物」では済まされない。いや命とりである。それはちょっと考えれば直ぐ解る。戦国の侍が「我こそはー・・・。いざ、勝負!」の時エラーは「付き物」などと考えていただろうか。歴史を動かした偉人達が運命を懸けたその時に「付き物」と考えただろうか。エラーを恐れ緊張の極限で震えながら戦っていたのではないだろうか?その震える緊張・恐怖と真っ向から戦う「勝負」をしていたのではと私は思う。

確かに野球は「スポーツ」(語源:SPORT:遊び)負けても命を落とす事は無い。楽しいくプレー出来れば良い。でも勝って勝利を楽しむ方が良いに決まっている。「甲子園」のステージに辿り着くには楽しくプレーなんてありえないと思う。君たちが目指す「制覇」はそんな甘っちょろい場所ではない事も解っている。

私は人生に一度くらい男なら自ら命懸けで勝負する時があっても良いと思う。それは君たちがこれから歩く人生の中で必ずや役に立つ時が来ると信じている。

プレーする選手の君たちが「スポーツ」として臨むのか「勝負」として臨むのかは君たち次第である。ただ、私たち応援団は「負けられない夏」いや正確に言うと「勝ち続けて欲しい夏」である。私たちは「命懸けで応援」する。

追伸
おまじないを一つ。もしエラーしたら「よし次はしっかり」とか「次は大事に」とか考える必要はない。「いとも通りやれば出来る」「次のチャンスが来るまでのスパイス」と思えばよい。仲間がエラーしたら指さして笑ってやれ。なんなら冗談の一つ位かけてやれば良い。末次団長の「練習通り!練習通り!」の言葉のように「普段通り」やれば出来る。
 

夏の大会

  投稿者:管理人  投稿日:2015年 6月23日(火)22時22分34秒
  先日は、激励会を開いて頂き、ありがとうございました。