第45回「1992年のボンジャック」(1999.7.1)



 学生時代、僕は目蒲線の奥沢駅の近くでアルバイトをしていた。仕事はおもちゃのアイデアデザインだったのだが、宴会や遊びの行事が好きな職場で、近所に買い出しに行くことも多かった。駅前商店街もよく利用したので、今でもその辺りを歩くと懐かしい気分になってくる。
 すっかり顔なじみの八百屋さんもあったし、手作りの豆腐屋さんもあった。すごく良心的な歯医者さんとか猫が店先で昼寝してる本屋さんとか──やけに心和む店が多いように思うのは、ちょっとした郷愁みたいなもんかもしれない。
 そんな中でもよく利用したのが、駅から少し東に歩いたところにあるゲームセンターである。ここは二十円とか三十円でゲームができちゃうお店で、バイトの昼休みなんかに時間を潰すにはもってこいだったのだ。
 店内には新しいゲームの他に八十年代の懐かしいゲームも並んでて、その中の一つがボンジャックだった。中学生の頃に遊んでたゲームなのだが、大学生になって再会できたわけである。単純だけど実に奥深いアクションゲームで、懐かしさに駆られてプレイした僕はだんだんと本気でのめり込んでいった。
 一人でゲームに燃えるというのも暗いなあと思いつつ、心のどこかで村上春樹の「1973年のピンボール」を意識してもいた。ピンボールに様々な思いを託す主人公と自分を重ね合わせてゲーム機に向かっていたのだ。──当時の僕は二十一歳で、まあそれなりにいろんな問題を抱えて生きていたのである。
 小説にならって自分なりのハイスコア記録にもチャレンジしてみた。五十三万四千七十点というのが僕のベストスコアで、百万点目指してそのゲームセンターに通いつめたものである。
 しかし、やがてそんな日々にも終わりがきた。ある日突然、そのゲーム機が姿を消してしまったのだ。以来どこを探しても見つからず、僕のボンジャック熱は冷えきることのないまま頭の片隅でくすぶることになってしまったのだった。
 そして最近、ひょんなことからこの思い出のゲームと再び巡り会えた。昔のゲームをコレクションしているという漫画家さんと知り合い、彼の部屋で遊ばせてもらえることになったのである。
 こんなとこまで村上春樹風だなあと思いつつ、二十七歳になった僕はたっぷりとボンジャックを堪能した。──ハイスコアは破れなかったけど、それはそれでいいような気もしたりしてね。

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    竹内真 Mail: HI3M-TKUC@asahi-net.or.jp