第4回「ボロ市のおもちゃ売り」(1995.12.1)



 世田谷線の上町駅から世田谷駅の辺りには、通称ボロ市通りなる道路がある。普段歩くぶんには別に何てことのない普通の道なのだが、毎年十二月と一月、この道の姿は一変する。
 道を埋め尽くす人波はのべ二十五万人にも達し、七百軒以上の露店には年末年始の日用品から食料品、骨董品から古着までもが並んでいる。この世田谷ボロ市、戦国時代から四百年もの歴史があるんだそうで、言わばフリーマッケットの元祖みたいなもんである。
 僕は以前、このボロ市でアルバイトをしたことがある。おもちゃの会社が新製品のキャンペーンをやることになり、その宣伝要員に刈りだされたのだ。酒屋さんの店頭、甘酒の屋台の隣が仕事場だった。
 仕事の内容はテーブルゲームの説明と販売。家族連れや子供を集めてルールを説明し、一緒にゲームをするという役回りである。ゲームは面白いし喋るのは得意だから、僕としてはごく気軽にこの仕事を引き受けた。ボロ市見物もかねて楽しく働こうと思っていたのだ。
 ところがどっこい、世の中そんなに甘くなかった。世田谷の上空にオホーツクの方から寒気団がやってきたとかで、仕事の初日から猛烈に冷え込んだのである。
 こっちも厚着をしたり使い捨てカイロを用意したりして備えたが、どうも効果が薄い。何しろ立ってるだけで寒いのだ。北風は吹くし陽は当たらないし、かと言って持ち場を離れるわけにもいかない。僕らは他の露店で布地を買い込み、膝掛けにしたり身にまとったりスキー帽をかぶったりして寒さをしのいだ。--何と言うか、まさにボロ市である。
 お客さんにしてみたら、さぞかし異様な光景だったろう。雪だるまみたいに厚着をした奴らが屋台に並び、体を震わせ、鼻水をすすりながら大声でゲームルールをがなっているのだ。−−まあ、ある種の宣伝効果はあったのかもしれない。わざわざ人波をかき分けて見に来る人もいたのだから。
 寒さに耐えきれなくなると、背後の酒屋さんに飛び込んでワンカップを買い求めた。お燗された日本酒が体を内側から温めてくれるのだ。酔いは回らず、温もりだけが体じゅうにしみ込むように広がっていく。シベリアでウォッカを飲む人の気持ちがしみじみと分かっちゃうようで、何ともいいもんだったなあ。
 ちなみにこの時売っていたのは「ALL BALLCALL」というゲームで、名付け親はこの僕である。面白いのでぜひ遊んでみて下さい。

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    竹内真 Mail: HI3M-TKUC@asahi-net.or.jp