第38回「松陰神社とおでん種」(1998.11.1)



 世の中には作家を先生と呼ぶ風習があって、僕のようなぺーぺーでも時折そんな風に呼ばれることがある。威厳のかけらもない本人を知ってる人はそうでもないけど、仕事などで初めて話す人などははかなり丁寧に呼んでくれるのだ。
 先日かかってきた電話でも、いきなり「竹内真先生でいらっしゃいますか?」と尋ねられて緊張してしまった。相手はテレビ番組の制作会社の方で、世田谷線の特集を組むための取材で電話をくれたんだとか。「誠に勝手なお願いなんですが、沿線新聞のコラムを拝見させていただいておりまして、先生でしたら何かいい情報をご存じかと思いまして……」なんて丁重に切り出されると、こりゃあし っかりお答えせねばと思ってしまう。
 それでまあ、知ってる範囲のことをいろいろ喋ったのだけれど、最近その番組が放映となった。ニュース番組の一コーナーで、世田谷線沿線のお惣菜屋さんを探そうという企画である。僕が喋った情報はあまりお役にたてなかったようだったが、なかなか面白そうなのでビデオに録画してじっくり見てしまった。
 中でも美味しそうだったのが、おでん種の店で売っているというかきあげ。野¥菜をたっぷり練り込んで一口サイズに揚げてあるのだ。食欲を刺激された僕は、早速そのお店に行ってみることにした。
 世田谷線の松陰神社前で下り、松陰神社通りを南に向かって歩いていくとそのお店が見えてきた。お昼前のせいか、目当てのかきあげもちょうど揚げたてである。五個入り百九十円を購入、僕はぶらぶらと散歩しながらそれを口に運んだ。 期待通りの美味である。湯気がたつくらいにほくほくで、野菜のシャキシャキした歯ごたえが心地いい。口の中には魚の練り物独特のやわらかな味わいが広が って、日本人に生まれて良かったなあと思える瞬間であった。
 五個入りで結構ボリュームもあるかき揚げを食べながら、僕は駅の北側の松陰神社へ歩いていった。幕末の思想家吉田松陰を祀った神社で、世田谷のこの地に彼を埋葬したのは高杉晋作をはじめとする彼の門下生達。明治維新の担い手の多くが松陰の弟子だったことを思うと、何だか感慨深いものがある。──何しろ、松下村塾を開いた頃の松陰は今の僕とさしてかわらない年齢だったのだ。
 取材のためにかかってきた電話から逆にネタをいただいてる場合じゃないかなあと思いつつ、僕は松陰先生の墓前で手を合わせた。

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    竹内真 Mail: HI3M-TKUC@asahi-net.or.jp