第14回「日吉の丘とまむし谷」(1996.11.1)

東横線の日吉駅の改札を出てひょいと右を向くと、ゆるやかな坂と銀杏並木が目に入る。この道、一応慶応大学の日吉校舎の敷地内のなんだけど、関係者じゃなさそうな人もよく見かける。近所の人や幼稚園児の団体さんが散歩コースにしているようで、秋には銀杏拾いをしている人もいたりする。
この坂の突き当たりに見えるでっかい建物は日吉記念館とかいう講堂で、いろんな式典やスポーツの試合、体育の授業なんかが行われる。この春に行われた卒業式には僕も出席したのだが、この時になかなかおもしろいシーンがあった。
式の途中、卒業生達が学校に寄贈する卒業記念品の目録が読み上げられたのだが、それが「まむし谷案内板」なんて名前だったのだ。その間抜けでのどかな響きが妙におかしくて、厳粛な式の雰囲気が一気に和んだもんである。
まむし谷とは講堂の裏に広がっている谷のことで、緑が深くて野趣豊かな場所である。その光景は駅前とはまるで違っていて、本当にまむしでも出てきそうな感がある。−−日吉に通っていた頃、僕は講堂の裏でこの谷を眺めつつ授業をさぼったりしたものだ。
丘を吹く風か木々の葉を揺らし、心地いい風を運んでくる。木立からは鳥達の声が響き、遠くの空では羽田から飛び上がった飛行機が旋回しながら上昇していく。−−そんな世界の中で、僕はお気に入りの小説を読みつつのんびりと時を過ごしていた。時間だけは無限に持っていたし、天気のいい日に教室の中にいるなんて何だか理不尽なことに思えたのだ。
そんなわけで大抵の科目はよくさぼったのだが、一つだけかなり真面目に出席した授業があった。様々な文学作品についてのディスカッションの授業で、週一冊のペースで同じ本を読んできた学生達が毎回ああでもないこうでもないと気楽な感じで話し合うというものだ。
いろんな作品と触れ合うのも楽しかったし、それに対していろんな人の意見が聞けるのも面白かった。話している内に作品とは全然関係ない話題になってるのはいつものことで、その授業だけは毎回楽しみにしていたもんである。
で、月日は流れて僕は卒業したわけだが、今度恩師の厚意でその授業に僕の作品を使っていただくことになった。僕自身も参加させてもらえることになり、このコラムが活字になる頃に母校を訪れる予定なのだが、どんな意見が聞けるか今から楽しみである。
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竹内真
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