第13回「矢口渡へ自転車こいで」(1996.10.1)



 東京と神奈川を隔てる多摩川の土手にはサイクリングロードがあって、川沿いの道を自転車でかっ飛ばすのはなかなか気分がいい。自転車に跨がって突っ走っているとやたらに遠くまで来てしまって帰り道はヘトヘト、なんてのは素人サイクリストの僕にはよくある話である。
 先日、僕はちょっとした用事で目蒲線の矢口渡駅の辺りに出掛けることになった。ちょうどかかりきりだった長編の書き下ろしを終えたばかりだったし、空は見事に晴れわたっている。こりゃサイクングだなって思った僕は、世田谷の自宅から10キロちょっとの旅に出た。
 天気のいい日に川沿いの道を走っていると、やけにのんびりした気分になる。川原では、どこかの幼稚園の子供達がお弁当を持ってピクニックに来てたり、アベックが昼寝してたり老夫婦がお散歩してたりする。そんな平和な世界の中でなら、25才の僕はのんきに小説書いて自転車乗ってりゃいいんじゃないかなーなんて思えてくるのだ。
 で、矢口渡で用事を済ませた僕はふと見かけた区立図書館に立ち寄った。そこで本でも読みつつ休憩していこうと思ったのである。自転車で見知らぬ町に来た時は、図書館に寄っていろんな本を眺めながら体を休ませ、それから帰路につくというのがいつものパターンなのだ。
 だけどその日は、館内を歩いていたら見知った名前が目に飛び込んできて驚かされてしまった。竹内真−−僕の名前である。僕の著書は今のところ少年小説ばかりで、だいたい児童書やヤングアダルトのコーナーに置いてあるのだが、何故かその図書館ではほぼ全巻が一般書の書架に並べられていたのである。
 落ちついた色合いの本が並ぶ中に、赤や黄色や水色の背表紙の僕の本が並んでいる。そうやって妙に異彩を放っている上、表紙をめくったところには僕の下手なサインまでしてあった。
 僕は書架の前で呆然と佇んだ。−−僕の著書があるのは分かる。だけど何故、この図書館に僕のサイン本があるんだ?
  後から分かったのだが、どうもその近所に住んでいる大学時代の恩師が、僕の本をわざわざ図書館に寄贈して下さっていたらしい。本当にありがたいことだなあと思いつつ、そういうのに偶然出くわすってのは、何だか妙に気恥ずかしいものなのであった。−−早く達筆なサインが似合う作家になって、文芸書のコーナーにでーんと居座るような本を出していきたいもんである。

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    竹内真 Mail: HI3M-TKUC@asahi-net.or.jp