2000年までに発表したコラム・エッセイ


「『全身落語家読本』書評」(「週刊ポスト」2000年10月13日号所収)

 「週刊ポスト」の、「POST BOOK WONDER LAND」というコーナーに書いた書評。電話で依頼をいただいてOKしたところ、立川志らく師匠の『全身落語家読本』が郵送されてきてびっくりした。いろいろお世話になってる立川流だけに滅多なことは書けないなと襟を正し、立川キウイさんにご助言いただきながら書いたものである。
 量は900字って依頼だったのだが、週刊誌の段組みを知らずに20字×45行で書いてしまったために掲載時に改行ペースが変わっていた。──僕の文章は段落変えの1字空けが多いので、こういう依頼ん時はちゃんと掲載時のレイアウトを確認して書くべきだったかも。

「やさしくとけあう二重奏」(「本の話」2000年9月号所収)

 文芸春秋のPR雑誌に書いた書評。芦原すなお著・安井寿磨子画『オカメインコに雨坊主』について書いた読書エッセイみたいな感じの文章である。
 僕は昔から芦原さんのファンだったし、『オカメインコに雨坊主』は、短編連作みたいな感じで「オール読物」誌上に掲載されていた頃から楽しみに読んでいた。だからこの仕事の依頼がきた時は妙に嬉しくて、自分の小説をほったらかして意気込んだものである。
 しかし、だいたいどんなことを書くかは決めたものの、文章の着地点はなかなか見つからなかった。アイデアが浮かんだのは、安井寿磨子さんの原画展でほのぼのと気持ちいい絵を鑑賞し、その後の飲み会にもお邪魔させてもらった夜のことである。──芦原さんや安井さんと飲みつつ、「すなおさんとすまこさんですますなコンビですね」なんてなことを言ってるうちに方向が見つかったのだ。

「おでんカレーはいかが?」(「博多独楽」2000年7月号所収)

 博多のタウン誌のリレーエッセイで、立川志加吾(現・雷門獅篭)先生から回ってきたお仕事。──お仕事といっても原稿料がもらえるわけじゃなかったのだが、ギャラ代わりに明太子がもらえると聞いて引き受けた。ノーギャラ仕事は基本的に受けないことにしてるのだが(嫌な思いをすることが多い、という村上朝日堂の教えは正しいのだ)、他ならぬ志加吾先生からの紹介だったし、博多のタウン誌で明太子をくれるってのがいいなーと思ったのだ。
 食い物をもらえるんだったら話題も料理にことにしとこうと思い、さらさらっと書いて送信。お気軽にやったのだが、掲載誌の表紙に僕の名前がのってて驚いた。──中身の方では、何故か僕の肩書きが「落語家/漫画家」ってなっていたけれど。

「二足のメディア」(「小説すばる」2000年6月号所収)

 小説すばる誌上にはテーマコラム(毎回ちがう作家が決まったテーマで書く)が数本載ってるんだけど、その中の「コミックすばる」に書いた文章。漫画に関して何か書くコーナーなので、立川志加吾著『風とマンダラ』についてあれこれ書いた。
 『粗忽拳銃』でもそうだけど、僕は活字メディアと落語メディアを見比べていろいろ考えてたりする。で、落語と漫画の二足のワラジを履いてる志加吾について考察してみたわけである。

「泥酔ボーイの朝」(「小説すばる」2000年4月号所収)

 小説すばる誌上のテーマコラム「酒とバラの日々」というコーナーに書いた文章。酒にちなんだ話ってことで、酒癖の悪い予備校仲間のことをネタにした。
 まだ10代の頃の話だし、酒の話題に使ったりしちゃあいかんのかもしれんけど、まあ時効だろうってことで実名入りで書いちゃいましたとさ。

「家賃滞納花見麻雀」(「オール読物」2000年4月号所収)

 オール読物のテーマコラム「貧乏自慢」で何か書いてくれとの依頼で書いた文章。立川志加吾さん達と花見マージャンをした時の話で、身辺雑記に書いたことを抽出した感じ。
 それにしても、「ちょっといい話」「父への手紙」「母への手紙」といろいろあるテーマの中で、きっぱりと「貧乏自慢」が選ばれたってのはちと複雑だよな。

「講演と言われても……」(「週刊小説」2000年2-25号所収)

 「すぽっとらいと」というエッセイコーナーに、自由テーマで何か書いてくれとのことだったんで講演会の講師をつとめた時のことを書いてみた。──基本的に喋ること自体は好きなんだけど、やはり初めてってことでうまくいかなかったので、その失敗談である。
 実は講演に望む段階から、この経験は何かのネタとして使えるだろうし、うまくいかなかったらいかなかったで面白いかなって意識は持っていた。実際その通りになったわけで、まあ計算通りというか何というか……

「少年の日の明烏」(「青春と読書」2000年1月号所収)

 小説すばる新人賞受賞記念エッセイってことで、テーマは自由で依頼されたエッセイ。そんじゃあ受賞作の『粗忽拳銃』に絡めて書きましょうかということで、前々からエッセイのネタにしようと思ってたことを書いた。
 子供の頃、初めて触れた生の落語で立川談志師匠の「明烏」を聞いたってな話で、今思うとかなり贅沢な原体験だよなーと思う。

「夢のイントロ」(「TVBros.」1998年19号所収)

 「TVBros.」の「倉本美津留とかるら」というコーナーに寄せたイラスト&エッセイ。「倉本美津留とかるら」ってのは、放送作家&ミュージシャン&「松ごっつ」の師匠の声の倉本美津留さんを囲んで歌やトークを聴き、それを複数のライターが記事にするってな企画である。98年の8月8日、姉の結婚式を翌日にひかえた僕は、高崎に帰省するついでに代々木公園に立ち寄って「かるら」の集まりに参加したのだ。
 参加者それぞれがいろんな形で文章や写真を寄せる企画なので、僕の視点と僕の文体で書こうとしたのを覚えてる。あんまりうまくないイラストを添えたのも、まあ自分を出すためだわな。
 その文章と絵を編集部に送った後、そのことはすっかり忘れてたのだが、知らんうちに掲載されていた。後日なにげなく開いた「TVBros.」に自分の絵を発見した時は、何だか妙な気分がしたもんである。

「三月ビールと四月バカ」(「小説現代」1998年5月号所収)

 小説現代のシリーズ企画「酒中日記」のために書いた日記エッセイ。毎回、いろんな文学賞の受賞者の方が受賞当時の日記などを寄せているコーナーで、タイトルは受賞の祝い酒の中の日々ってな意味合いなんだろーか。
 僕も小説現代新人賞をもらって書かせてもらったのだけど、内容的にホームページ日記と重複してる部分も多い。選考会周辺はなんだかいろんなことがあったので、それをダイジェスト的にぶちこんじゃったのだ。
 普通は「某月某日」という日付で書いていくパターンのようなのだが、僕はエイプリールフール絡みのネタがあったので実際の日付でやってみた。──まあ、だからといって大した違いはないんだけども。

「スペースシップの原点を訪ねて」(「ゆきのまち通信」39号所収)

 ゆきのまち幻想文学賞をもらった『スペースシップ』という小説のモデルになった店(見たことも行ったこともないのにモデルにした)を訪ねたルポ・エッセイ。
 ゆきのまち幻想文学賞の受賞式は青森で行われた。雪深い山の中のホテルで行われたのだが、僕が経験した受賞パーティーの中で一番雰囲気の良い素敵なパーティーであった。食って飲んで高名なのに気さくな審査員の先生方と歓談して怪談して、温泉入って一泊して……そして翌日、僕は北海道に旅だった。
 受賞の記念に、作品のモデルになったお店に行ってみようと思ったのである。受賞に浮かれた勢いで、賞を主催している「ゆきのまち通信」という雑誌の雪国探訪というコーナーにそのルポを書かせていただく約束をとりつけた僕は、店の名前も連絡先も知らないまま札幌に向かったのだ。
 小樽の本屋で旅行ガイドを調べてその店の名前(「N43」というのだ)をわりだし、泊まった小樽のホテルから電話でアポイントを取った。取材は二日後に決まり、次の日は札幌を観光して知人宅に宿泊。取材用のカメラもそこの家で借りるといういきあたりばったりさであった。
 ちなみにこの原稿を載せたのは、いつもなら雪国のいろんな町のイベントや人々について書かれている温かな感じのコーナーだったのだが、僕が書いた回だけ小説と酒と食い物の話題にほぼ終始している。……悪いことしたかなあ。

「投稿少年」(角川ミニ文庫)

 いろんな小説賞についての情報本。僕は29分の1の著者で、「月刊カドカワ」の依頼で書いたエッセイが収録されている。
 何かの賞についての話って精神論になりやすいんだけど、少しでも実践的で投稿する人の参考になるように書いてみた。ついでに賞への苦言も書いておいたが、優しい編集者さんの要望で書き直した。やっぱりそうだよね。紹介コーナーで悪口言っちゃいけない。悪口言うなら自分のHPに限る。

タイトルなし(『公募ガイド』1995年7月号所収)

 シリーズ「賞と顔」のために書いた文章。
 賞を取った自慢話の多いシリーズなので、わざとはずしてアホな会話文にした。一部からは「おもろい」との、また一部からは「わけわからん」とのご意見をいただいた。
 公募ガイドでは、デビュー前後にエッセイ書いたり選考委員のアルバイトしたりインタビューに答えたり、何かとお世話になった。


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