四季/ユートピアノ 打ち合わせ稿及び第1稿 NHK放送台本
放送 昭和55年(1980年)1月12日(土)20:00〜21:30 90分版
NHK総合テレビ
昭和年度芸術祭参加・テレビ部門
テレビドラマの部
*************************
本ページ作成者は池田博明。
この台本は2010年7月11日、初めて公開されるものです。
(佐々木昭一郎氏より藤田真男氏に贈られたものです)
『日曜日にはTVを消せ』ウェッブページ版特別・資料 『日曜日にはTVを消せ』プログラム へ戻る
**********************
スタッフ 佐々木昭一郎 |
ユートピアノ ≪打ち合わせ稿≫ ガリ版刷り
グリニッチ時計が、確実に時を刻む中で、人間は 日々、ごくさ細な事柄の羅列の中に、さまざまな思いを託し、汗し 生きる---。 ピアノの調律師A子が、ピアノを介在に、人々に出会い、世界に目醒めてゆく青春の一季節に即して、「人間の生きる喜び」をうたいあげたい。 ※一つのポエジードラマ |
A子・・・・ピアノ調律士(18〜20才) なぜか、風を想い、火におびえ、兄を想い人を想い、故里の風景を想う。しかし、A子の日常性は職業柄、人にはさわやかに明るく接しなければならず、またその明るさが自然に身についているようだ。そういう明るさの日常性をにじみ出させるエネルギーとは一体、何なのか。か細い腕と職業の手にたくして、ピアノの強じんな弦を調律して歩くエネルギーはどこから来るのか。それは遠い日の兄との時間であり、そこには、音が介在する日々がこめられているようだ。音にかかわる情熱というのは例えば父が死亡した場合でも、音が介在することで、ひとまずなごむような人間の特性があるようだ。そこには、音によって人間が生きて来た共通の「記憶の総体」がヴィジュアルに流れているように思われます。 A子は風のいたずらか、故意か偶然か、いづれにせよ、自分が居た時間、教室の中で見てしまったピアノが消滅してしまった記憶を持ち、それは自分の手でなんとかして復活させたいというさ細な願いを持って生きる。そういうさ細な望みの中で、A子はたえず一見、暗い日々を思いおこす日常にありながら、にこやかに人には接し、調律という音が介在する中で、人々のさ細なエピソードを垣間見て、生きてゆく。このさ細な願いが、A子の明るさをにじみ出させ、生きる情熱となっているようだ。 P・・・・・ピアノ職人。日々、マニュアルなピアノが求められる一方、量産に追われる循環がピアノ製造工程の中にもあるようです。Pはその中でも数少ない若手のピアノ職人。七音をピアノの基準と思い、自分の思いを託してピアノを作る。その思い、がピアノに託され、手に入れる人の思いが刻まれることをさ細な念願として生きる若者。整音(調律以前の工程にある)技術を持つ。Pは、有名人によって自分が作った新品ピアノが不協音に変質されるのを目のあたりに見る。枯れはその不協音が再びA子によって復元されるのを見、彼らもまた一つの情熱に生きたことを認める一方、特権的な人々のものになってしまう音に対して一つの唄を唄う。 風と共に消滅したA子の兄とピアノ、という役柄を受持つ。 少年・・・・・とっくりセーターを着てA子とピアノにまつわりつく少年は、また遠い日々の兄のかつての分身のようだ。今日は一丁目の角まで、今日はその百米先のタバコヤまで、今日はその千米先の川渕まで、今日はずっと先のサーカスの音きこえる海岸まで、といった少年の日を人間が持つように、この少年はまた我々の少年時代の日々をも包む性質を持つ。人間は、そうした日々に見てしまったものと、今との往還の中に生きる。突然、走り去るこの少年は直線に生きてゆくだろう。 O・・・・・・ピアノ運搬を職業とする。ちょうどハックルベリフィンのジムのような性質を持ち、人にも、職業にも誠実すぎるほど尽す。自らのトラックを磨き、ピカピカにして大切にしている。 力持ちだが、暴力はふるわない。しかし、「火事場で、人間はピアノを持ち上げるほどの力を発揮する」のたとえ通り、ラストシーン近くでピアノを持ち上げる。 唯一の弱点は風におびえること。かつて風の日に、トラックごとピアノを失った記憶を持つ。その記憶はA子のそれにつながり、人間共通の記憶にさりげなくつらなるものである。 ピアノ運送という特殊な職業を生きるのは何故か?と自問しても自分では分からずにいる。彼は「ピアノと人間」というふうに一つの生きもの、として考えているようだ。だから、ピアノがたとえ表現のためとはいえ、傷められたり、焼かれたり、人間と切り離されることを気にし、風のせいにして、劇中劇のピアノを仲に運ぼうとしない。 ことに、三月、四月という季節は、入学祝いか、花のなせる業か、人がピアノを贈るケースが多い。運搬人は「送り状」に従ってある時は北へ南へとトラックを走らせる。が、彼は「送り状」のないピアノは受け取る側が大変迷惑する、必ずピアノのフタの中へ入れるよう・・・・」 店長に抗議する。伝票一枚で配達可能なのだが、そこには人間がない、とでも云うのだろう。 老人・・・・・高価な古ピアノは死んだ妻のもの。死を予知し、そのピアノをA子に託す。深く刻まれた顔のシワの年輪は、新しく生きる人間への円線を描いている。卵子焼き焼く手つきが妻に似ているというきっかけだけで、古ピアノをA子に託すユーモアの持ち主だが、顔が似ているとか、声が似ているとかいう発想より、ずっと哲学的やさしさを持つ老人。 ゲ・・・・・・芸術家の頭文字とGとを合わせたアダ名の主。若者はまたアダ名の命名者。彼はPによって命名される。芸術家特有の観念だけに走り勝ちな発想を持ち、その少ない著書はPによってひとまず焼かれるが、それは「焚書」といった性質のものでなく、Pのひとまず「青春」の一時期への「卒業」をイミする。Pによってまた、ゲも新しい道を暗示される。三月四月五月という季節はとくに書物が「卒業」を与えられる時期である。しかしこれは一年を通じての出来ごとでもあろうと思われる。燃やされる書物によって彼もまたけわしい今后の道を歩く運命をつきつけられる。A子がすでに幼くして見てしまったもの、をゲはそのめぐまれた才の開花季の遅咲きの季節に於て初めて体験し、芸術のその伝達することの何たるかを知るのであろう。頭でっかちの論理では何も生めないことを知る。 兄・・・・・・・校庭とリンゴ園をかけぬけ風と共に去った兄。昨日のようにアクチュアルな記憶としてとらえられる。兄という肉親的血縁的イメージではなく、「ピアノと兄」としてとらえられるA子の中に生きている。全体テーマの低音部として「音を介在として見つめ合う」。イメージの総体を成し、ひろがる。 ++++++++++++ ピアノ1・・・・・Pによって作られ、楽器販売店から、ゲらに手渡され、その后、行方知れずの旅に出る。一つのピアノが人々の思いを刻み生きる旅人となって、いづこへともなく手渡されてゆくのだろう。 ピアノ2・・・・・ラストで、Pによって再び作られ、楽器店へ運ばれて来る。このピアノにも又、新しい思いが刻まれてゆくのだろう。 ピアノ3・・・・・老人の家の古ピアノ。今はメーカーもなくなってしまっている高価なピアノ。偶然か、必然か、A子に渡され、A子が望む細なユメ・・・・消滅してしまった北国の教室へとはこばれる。 木箱・・・・・・「灰は地図の海へ」という老人の遺言通り、名も知らぬ海岸で、A子によってフタを開けられる。そこは老人の記憶にあったかつての夢の海岸であり、A子の見た海であった。 地図・・・・・・・R老人によってA子に示された地図。その地図は多分に意地の悪い性質を持ち、A子の夏休みをフル回転させる。宝島の×印に似た案内に従って、A子はピアノを贈られたお礼と、木箱の老人の灰を×印の海へ投げるために旅立つ。 その海岸はかつてA子が幼い日々に父の漁船を見た地点であり、R老人の少年時代の日々が刻まれた家はくちて一輪の野の花が風に吹かれているだけであった。 A子は沖の漁船に向って・・・・歩きだし、その船から灰をまく。そこには妙に水と調和した人間と、思いを断ち切り、また思いを刻む人間の生命空間が、ピアノ線の如くに、張りつめているようだ。 送り状・・・・・・北国の小学校に送られたピアノの中に在る。風と共に空に飛ぶ。A子の思いも知らずに運ばれたピアノは、狭い人情空間こえて、鳴るのであろう。 +++++++++ エピローグとプロローグ 一つの連鎖の中に語られる人間の姿と声。それはこのドラマに参加したスタッフと人々のドキュメンタリーの意味をこえて、再び一人の人間と一つの音とのかかわりと、こだわりとなって普遍的還元される。本で云えば、表紙以前のファンダメント。 ++++++++++ 舞う風。 大気空間に浮ぶ地球。この科学の中を吹く風の中に、人間はさまざまな非科学の記憶を刻む。 昨日、花粉を運んだ風は、今オクシデンを目につきさす風に変わり、人間はまさしく風を気にし、生きる。一つの季節風に限定されない風のイメージが人間の生命空間としてさり気なく、ユーモラスにドラマの中を吹く。 夏は夏の風が、汗はこび、オクシデントはこび、海の青、冬は冬の風が吹雪をはこび、人々の吐く息の白を、はこぶ・・・・このドラマの「風」の総体は四季にこだわらず、我々が生きる風の中で確認される。 |
C 画面 | 音声 | |
オープン(海岸、又は広場でサツエイされる) ○ノルマル テレビ ブラック -音一つ鳴る ライト(光)イン ピアノを弾く プロローガ-------- | ピアノの曲 カメラ、望遠からプロローガーを 確認し、ピアノのまわりを一回転する ↓ CLOCKWISE 一回転すると白鍵、人差指、ドを鳴らす --単音、鳴る 風の音 ○Cup 少年 地面に耳をつける。 ○タイトルうかび WIPE OUT → IN スーパー |
ピアノが鳴り、 武満徹氏、又は林光氏がピアノの前で 「ピアノ」にまつわる思い出を語る(一分位アコレコ処理) ※(アドリブで)一台のピアノには いろいろな人間の“思い”が刻まれている。 グリニッチの古い時計が時を刻み 人間が生きているように。 ※自分の個人体験をひろげて普遍化し、語るプロローガー ※これから、「人間とピアノを出会わせて、あるおとぎ話を」お送りしましょう。 ピアノ一つ鳴る □ <道路> 道路に耳をつける少年(音を聴く・・・・) □ <タイトル> ユートピアーノ 〜ドキュメタリィによる現代のお伽話〜 U T O P I A N O ド レ ミ ファソ ラ シ ド この七つの音 この七つの文字 この七つの色 |
○白からフェイドイン 街を往く5.9ミリレンズ 移動。風が舞い紙が舞う。 路地のカーブから、カメラは地面に耳を くっつけてて川の音を聞く少年に目を 止める、A子のモノローグ(編集台)に 入る。-ドキュメンタリー方式)更に移動。 -風に乗ってきこえているピアノ ○声遠く 「風だ、春一番だ」 校庭をゆくカメラ ○子供たち ○校内へ入るカメラ 手すりをナメて立ち止まり A子のモノローグ ○A子、本を閉じる。 ピアノの上に花束一つ。 |
東京都内、或る路地を曲がり、 或る小学校の校庭。春一番、風が 舞い上がり、子供たちが遊ぶ。 風に乗って、ピアノの音が聴こえてくる。 風が介在して、あるなつかしさをかきたてる J・バッハの単純なメロディー-「主よ人の 望みの喜びよ」の一節- ピアノの調律士 兼楽器販売店員でもあるA子の調律音だ。 その調律音に接近してゆくカメラ。校庭を 縫い、階段の手すりを伝い、教室の入り口 に接近する。A子の声が聞こえる。 A子(調律音やみ) 声「答は風の中に。ザ・アンサー、 ウィル・ビー・イン・ザ・ウィンド」と独り言を吐くと、 一人の少年の声がかぶる。 少年(オフ)「風?」 A子「え?」とわれにかえる。 カメラは教室の入り口に到着し、中を見る。 ピアノ調律士A子がピアノの裏扉を開けて 調律している。すぐそばに、残され坊主・・・ |
(以下、場面の略記)
|
「いい音! 会心の出来だ」 |
A子「リンゴ、ください」 |
ピアノ運び出す |
調律するA子、電話でしか姿を現さない依頼主、男、少年 |
|
A子、歩く |
|
A子「ウェザー・レポートないですか?」 |
←【6】 |
A子、男、少年 |
←【13】 |
←【14】 |
←【15】」 |
|
A子調律、ひくバッハ、少年 |
←【12】ピアノ着く |
|
|
|
|
|
ピアノと兄と妹(A子) |
倒れる←風 |
煙 |
|
|
|
校庭で卒業式、風が舞う |
|
生木に女を彫る男 |
|
A子「お父さん!」 |
|
|
|
←【38】 |
←【20】 |
|
|
|
|
|
|
ゲとPのいさかい、男の手の盗み |
|
退社時間 |
PとA |
|
絵の審査 |
|
|
|
ゲのイベントの相談 |
|
アメリカ人夫婦、調律するA |
|
|
|
|
|
ゲたちの論議 |
|
←【65】 |
←【66】 |
|
|
|
調律するA、男(映画プロデューサー?) |
|
女からの電話 「X子さんを殺したのはあなたでしょう!」→男、帰って来る |
|
Aと少年 |
少年 |
|
|
A、卵わる |
|
PとO |
|
|
|
|
|
|
|
|
A子 |
少年 |
PとO |
|
|
|
日比谷、感性テスト |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ゲ |
←ゲとP |
P |
|
|
】ピアノの上にローソク |
A子 |
棺と花 (←【106】) |
|
|
|
七色ヘルメット |
ゲ←七色ヘルメット、乱闘、“儀式”である |
|
|
ゲがAにたのみ |
|
|
|
PとO |
|
|
|
隣りビルから出火 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
U老人からA子へのピアノ |
|||
|
A退社 |
|
下北を旅するA、疲れる、古い地図 |
|
|
木箱、風にとぶ |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
A・・・・A子。調律師兼販売店員 (19才〜21才位) U・・・・結(ユー)という老人 T・・・・締氏、Tシャツを着ている (中年) O・・・・大男の気はやさしくて力持ち (中年) P・・・・ピアノ工員。若者(20〜25,6才) I・・・・・ A・・・・・リンゴホッペのチビ N・・・・・とっくりセーターの少年(7〜10才位) O・・・・・PとOが運ぶピアノの番号 G・・・・・劇中劇の「芸術家」たち C・・・・・新入社員(A子たちの分身) D・・・・・A子たちの仲間(餓死する) E・・・・・Eオーボエ吹く管楽器係の若者 F・・・・・Fギターの弦楽器売場の若者 そのほか・・・・楽器店の人々 少年たち・・・・北国の人々 |
この構成台本は机上で書かれたが、次の人々に取材した。 武満徹さん、ピアノ調律師、伊藤克彦さん。日暮里ピアノセンター(大小、中古のピアノを売る店)。ヤマハ・青山ピアノ。佐藤清さん(ピアノ、オルゴール収集家)、鈴木タカシさん(画家)、その他、企画者がこれ迄、体験した取材で、出会った風景、人間、物の「記憶」から書かれた机上空想にしかすぎない。再び、風景と人間に還して体現される予感の台本。 ○「・・・・・金網の垣根の向うから、世にも稀な音がきこえて来た。その音は、風にのって、天からきこえてくる星座の音、だと思った。・・・・・その音は、やがて、垣根の向うに、窓ガラスの向うにきこえはじめて、私ははじめて、ピアノというものを見た。その感動は、言葉や文字では伝えがたいほどである・・・・」山田耕作。 ○・・・・武満徹さんの話をしよう・・・・彼は、音楽の専門家になる前、頭の中で音符をたどり、指で音を数え、自分なりの音楽をうたっていた。私は後に彼にピアノを送ったが、ピアノというものは、専門家だけのものではない。かといって、誰のものでもない。みんなのものというものでもない・・・・ 音楽する人の心に在るものだ。・・・・ちょうど宗教が、人間の心にあるように、一つの団体のものでも、何でもない、有形にして無形の特定権威のものではない・・・・黛敏郎。 <クサビ> この台本は、不確かな机上プランによって書かれた初稿。多分にドキュメンタリィな工程を「予測」し<方法即内容(ドラマ・ドキュメント)>を生んでゆく構成台本。現代、最も待たれている一つの「予感」の性質を付加。イメエジの<根元>を包む。 セリフは、語る人間によって還元され、アクションとつらなる。故に「編集」作業は予測され、その「クサビ」を打つショットは、一つに、A子の「モノログ」と、P、O、などのそれ、編集と同時に収ロクを予測する。ショットとしては、木造校舎。校舎のポール。ピアノ、海の水平線。等、ごくありふれた人間の内部、外分にある型を借りる。 その追体験的ショットのループ或いはリフレインが見る側の内的外的イメージと、できるだけ合致するのを、予測ら列したい。「記憶」にある、ありふれた型(ショットと日々耳にする音)が、見る側のそれ=記憶の細胞と見合う普遍性と多数性を期待して。 <テーマ構成の要素> 人間が連環して生きる喜びを、調律士のA子と、出会う人間たちに託してのテーマとした。 そこには、「音」が介在し、リフレインされ、円環を描いて進行、追体験の再構成を「予感}する。 その「予感」は、スタッフと人物と現場によって確認され、再び編集室で組み立てられる作業につらなる円環となって、ドキュメンタルな即興を包み、ドラマへと収斂される。方法的にも内容的にも、ドキュメンタリイとドラマを区分けすることなく創る「相対に於て一つ」であると考える。 ピアノ調律 一台のピアノ基準を成す七音階を、手直しする行為。 ピアノ調律士は、決して自らがピアノを演奏することはない。自らの思いを「人間とピアノ」に託し、人間はまたピアノに思いを託すのである。 ことに、女性の調律士が、自らの細腕に力いっぱいの思いを託す行為は、どこからくるのか・・・・たぶん、その人にきいてみても分からない。また、その人が語ったとしても、恐らく、分からない。言葉にしてしまったら、分からないものの魅力が失せて、「何だ、ただのガンバリズムか、精神主義か」ということになり、説法ドラマの域を一歩も出られないのだ。 そこに、我々スタッフのドキュメンタルな方法が、自づと言葉にしない心の扉を開かせるカギとなり、それはそのままモザイク風なドラマにつらなる。人間の人生が明確な予定の中にも、施設の中にも、その通りに進行しえないのと同じように、作る側もまた、不確実な、時間と工程を生きます。正直なところ、この台本は、机上のみの空想によって、企画者の頭の中から書かれたもので、いわば、記号のような域を出ない、その不確実なインナートリップの、時の発酵は生きる現場の空気と生きる人間に託されて、はじめて形を成してゆくものと考えるのです。なまいきを許されれば、人物や風景が活き活きと動き出すための、初稿です。 |
ユートピアノ ≪構成台本・第一稿≫ ガリ版刷り
A子(栄子)が、巣立った。 旅に出た。 真寒の朝、真白い息を吐いて、街に向って・・・・・・。 ・・・・・・その息づかい、を引っぱっているものは何か、どこからにじみ出てくるエネルギーか。 その吐く息は、また、我々人間が、日々、汗をし、生きる息と同質のものではあるまいか・・・・・。 A子は、このドラマの主人公である。 A、というイニシアルは格別な意味があるわけではなく、栄子、という名の頭文字なのだが、どこの街にも、村にも、学校にも職場にも見かけられるごくありふれた名前である。多分、両親か、身のまわりの誰かが、のびやかに成長しますようにと、或はわずかばかりの思いを託して、栄えますようにと名付けたところの一般的な名前のようである。 その一般的な親しさが、風ぼうにも、にじみ出ているのか、A子は、どこにでも見かけられる服装が身に付き、一般的すぎて時には人に好感を与えないこともあるジーンズや油っ気のない長髪がその名前に溶け込んで親しんでいるようである。 A子は鏡の国のアリスや家なき子のような一種独特の風ぼうを持っているが、これも、特定の人物のかげりとかいうのではなく、むしろ、オリヴァーツイストやハックルベリフィンたちが持ち合わせている、あの親しさとでもいったものが混合され、A子をより親しみのある人物に仕立てているようだ。 栄子のAはト音記号や、サインポストのような一般的な“記号”のようなものである。 A子は、オリヴァーや、ピーターパンやハックフィンやアリスたちより、少し年をとっている。大体、二十才前後であるが、年とった分だけ、とくに大人びているというわけではなく、少年っぽく見える。むづかしく云えば、A子は女の子なのだが、少年性が同在しているだけ、年よりも下に見える。 A子は、丈夫そうな、すり切れた布製のヴィオラケースをかかえているが、これが、A子の所有するほとんどすべてである。 すり切れた布製のおんぼろいヴィオラケースには一体、何が入っているのかというと、およそ、一キロほどの鉄の道具が入っている。 ----ハンマー。ペンチ。ハサミ。ノコビキ おんぼろケースの中に入っている道具から判断すると、オヤ、女ドロボーかと、驚天させられる。が、さらに、道具を一つ一つ点検してゆくと、いつの間にか心がなごむ思いを味わうことになる。 ----A(ラ)の文字がある。ちょうど、ファイターたちが作るVサインにそっくりの鉄の棒が目に付く。 そのV字型の鉄の棒を、ヒザ小僧でたたき、更に、机の上でも、本の上でも置いてみると、これが何と、ピアノの音を発する。音叉という名の、鉄の棒だ。その音叉から発せられるA(ラ)の音は、15秒も尾を引き、聞く者はしばし目を見張り、耳を傾け、あのビクターの犬の如くに、なごむような思いを持つ特有の音色に包まれる。調律用の重要な工具だ。 A子は、ピアノ調律士を志す人間である。名前と鉄の棒が、まるで語呂合わせの偶然の一致を見る如くに、A子のオンボロケースにはマジックでAという記号が記されている。 この世の、一体誰が決めたのか、神が決めたのか、いや、これも一般的な人間たちが決めたのだとしか云いようのないものなのだが、イニシャルのAと更に語呂が合ってしまう鉄の棒。その、鉄の棒から発せられるラ(A)の音は、ちょうどグリニッチ天文台の万国共通の基準時があるように、世界共通の基準音である。 整然としたクラシカル音楽も、一見混然ときこえるところのロックやジャズなども、このA(ラ)という鉄の棒が発する基準音に従って発せられるラ(A)から生れる。 誰が決めたのか、多分、太古からの人間たちの親しさが生み出したものなのだろう-----。 さて、そのオンボロヴィオラケースには、音叉の他、ネジまわしやクギなども入っているのだが、しめて、一キロ以上の重量のようだ。 A(栄)子は、右手にそのオンボロケースを持ち、早朝の人気のない、道路をひた走る。 時に、腕立て伏せをしたりする。 時に、スポンジボールで握力をくり返す。 人気のない道路なのだが、新聞少年は、オヤ、プロレス志願の女の子か、と首をかしげたりする。A子は、身体をきたえているのである。 調律士になるためには、殊に、右腕の力を貯えなければならない。また、全身をきたえなければ、同僚の男の子たちには追いついてはゆけない。日本全国で300万台あるピアノの“医者”になるための修業は、男の子顔負けのランニングからはじまる、と栄子は信じている。 道路は、浜松市のはづれ、天竜川に沿っている。川に沿って上流から運ばれてくる“積板”と呼ばれる木材が、河口のあちこちに積まれて見えている。 二年間も積みっ放しにされた積板もある。天竜川の源流から下って来た木材だ。その木材が、河に侵され、陽に照らされ、風雨に打たれ、やがて美事な音色を放つピアノ、ギター、などに変わる。楽器も、人間と等しく、川の水と共に生きる。 “ピアノの墓場”と称されるガラクタ置場が見える。元はピアノ工場の廃品置場だったのが、今では不良品や、たまに不要となった品を置き去りにしてゆく者もいるらしく、今では、積板の風景の中で、特異に見えている。 早朝の、この風景の中を、プロレス志願者よろしくひた走る栄子の吐く息は・・・・・白く・・・・・ 昇りかけ太陽は・・・・明るく・・・・・・ 河は・・・・・やさしく光り・・・・・・・ 栄子の目は・・・・・・・青空と同じく、澄んでいる。 栄子は、一人である。 |
ある日 あるとき ある北国の町で 一台のピアノが消えた ある日 あるとき ひとりの女の子が 旅へ出た。 --------。 |
ユートピアノ |
女の子が一人、真冬の道を 走ってくる。 朝まだき。 川に沿って、ピアノ用の積板並ぶ路地を曲がり、白い息を吐き走る。 栄子(20才前) 小柄、ザンバラ髪。 右手にオンボロ布製ヴィオラケースを持ち、スポーツシューズ。 ケースの中には、何が入っているのかというと、ハンマー、ペンチ、ドライバーなどのピアノ調律用の工具。 余り重たいために、しばしひっくりかえりそうになる。そのたびにバランスをとりもどし、白い息を吐く。 天竜川の水面が輝き、息ははずむ。----浜松市郊外の、天竜川注ぐデルタ近く。川の源流はピアノ木材の産地----。 吐く息の、音 スポーツシューズの音 ピアノの音楽が、走る栄子を伴走している。 |
ピアノを叩きこわす父 |
兄と妹 |
父。ストーブ、ひっくり返る。 海。風、ゴウゴウ。 |
|||
煙。ピアノをかつごうとする兄 |
|
兄の送別 |
|
母、二人の係官 |
|
|
|||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
すごい食欲の美千子 |
|
|
A子は調律士となる |
|||
おじいさんは死ぬ |
|
|
|
|
|
|
|
|
「このピアノを知りませんか、ご一報下さい.A子」 |
|
|
シンガーピアニストの男、いびる。抱きすくめる。リンゴをぶつける。 |
|||
|
「餓死」 |
|
|
ピアノを探そう |
|
|
少年 |
|||
死んだ妻のピアノですよ |
|
バッハ |
|
|
|
栄子が描いた想像画そっくりの小型ピアノ。これを燃やすイベントを計画していると男が言う。 |
「ピアノゆづります。老人」 |
|
栄子から美千代へ |
|
皿洗い |
|||
地図 |
コミューン |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ピアノ調律士志願の栄子(20才)は、16年前、4才の時、突然の炎の中に、ピアノが失われた記憶を持つ。 火炎放射部隊の尖兵だった父は、ある日、突然、荒れ狂い、学校のストーブをひっくり返した。何が父をそうさせたのか、原因はだれにも分からない。祖父が、村で初めてのピアノをかついで学校に持って来たほどだったから、父も同じようなピアノを息子たちに与えていた。 ある人は、父が火炎放射部隊にいたからだと云い、またある人は、人間、老いると何をするか分からない、と云い、その原因は全く分からなかった。 分からないのは、残された者たちであった。母も栄子も、なぜ自分たちが残されなければならないのか分からなかった。 とにかく父は、自分の生命をも火の中に断った。そして、ものを生み出す<ピアノ>ものを奪われこわされた幼い兄は、火の中をわけもなく走り、世を去った。 人は父を、放火魔だと云い、断定していた。これも分からなかった。 明確なことは、火炎部隊という、むごい集団に引ったてられた父が自らのピアノを弾く時間を失い、ある日、爆発したとしか云いようがなかった。 4才のさだかでない記憶の栄子に、この風景はついてはなれない。 栄子はこの記憶ゆえに、ねじ曲がってゆきがちな自己を“調律”する事で、他者をも包むやさしさを強じんに持ち、ピアノ調律士を志した。 世に出て、この16年の空白を埋めるには、一つしか方法はなかった。自らの手で失われたピアノを、かつての少年の日に返すことであった。16年の才月、かつて貴重品だったピアノは、今では有難いものではなくなっていた。しかし、少年たちは、そのピアノをかつぎ、音を発した。栄子にとって、その時、16才の才月は充電され、栄子の青春の日々は、次なる栄子自身に向う。 失われたものは何か、 得たものは、何か----。 ピアノ調律士栄子が、ピアノを通して人間に出会い、人生を知り世界に目覚めてゆくプロセスを抒情的な自己形式のドキュメントとして描く。その背景に、ひそむ、無残な時代、戦争の傷が、名も無い個人に世代をこえて引づられている影をも描く。 日々、何気ない一瞬々々に消え去ってゆくモノ、音、の持つ姿と型を借りて、現実的な映像と音による一つのテレビポエジーを生み出したい。 <佐々木記> |
放送台本について 池田博明 『打ち合わせ稿』では主要な登場人物の名前がUTOPIAに当ててあった(Iの人はまだ無かったが)。完成作品にあった「鳥は3倍のスピードで生きている」という印象的な言葉は、既に『打ち合わせ稿』にあった。バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」を使う案もあった。『構成台本第一稿』では、ストーリーが整っていた。栄子の父母のこと、その過去が詳しく描かれていた。プロレス志願の美千代が登場し、逃げ出した象も出てくる。『打ち合わせ稿』でのゲ、Gらのイベントが、『構成台本第一稿』では「男」に集約されていた。 |
『四季・ユートピアノ』を見て 池田博明 放送初日の感想 主人公の榮子はピアノ調律士。彼女は音を探して歩く。彼女が探す音は生命の息すかいでもある。雪の降る音、汽車の音、マキを割る音、言葉、ハンマーの音、そういった生き生きした音を見い出す精神の躍動。見終えたら妻が泣いていた。「よかったね」と言う。「どうよかったの」と聞くと、「あんな風に楽しく生きれたらよいね。私たちの娘もあんな風になれるかな」と答える。この作品には榮子の生きる意志といったものがある。そして、彼女が住む世界は、音のユートピア。音のユートピアを一歩一歩、榮子は築いているのだと思う。兄の死、母の死、父の死、別れ、友人の死。多くの別離がある。しかし、それ以上に音を見つける喜びがある。 読売新聞「放送塔」への投稿文(1980年1月21日掲載):( )はカットされ、〔 〕は付加された部分。 十二日放送の『四季・ユートピアノ』は、情感あふれる素晴らしいドラマでした。主人公の栄子が、ひとつひとつ音を見つけてゆく、ひとつひとつ音を調律してゆく時に感じる喜びが、次第次第に、私たちの〔心の中にも同時に〕(心にも)わきあがってくるような、〔感動を味わいました〕(そんなドラマでした。ドラマは、ブラウン管の表面に表われたのではなく、見ている私たちの心の中で行われたのだと思います。)音を見つけながら生きる喜び、〔そんな喜びを持つ主人公の姿に〕私たちも音を探したくなるような〔気持ちになりました〕(「希望」を感じました)。 |