佐々木昭一郎 アーカイブ

四季/ユートピアノ 国際版   放送台本 

1980年 第32回イタリア放送協会(RAI)賞受賞作品
国際エミー賞 優秀作品賞受賞作品
*************************

本ページ作成者は池田博明。

この台本は『ドラマ』(映人社)
1980年12月号に掲載されたものを元に
しています。

『日曜日にはTVを消せ』ウェッブページ版特別・資料 
『日曜日にはTVを消せ』プログラム へ戻る
**********************


      受賞のあとで    佐々木昭一郎   『ドラマ』(映人社) 1980年12月号より

 私は9月19日(金)夜ヨーロッパから帰って来ました。次回作の“世界の川は音楽”という柱の第一作「ドナウ川はヴァイオリンの音」(80分フィルム)のシナハン・ロケハン、人物さがしが目的の17日間の旅でした。川と人間と音楽(楽器)、この三つの普遍的主題を根幹とする企画は私の十年ごしの夢でした。ある日、突然とでも云ってよい企画採択が決っての旅でした。正直云って、今、時差ぼけで疲れています。帰りに今年度のイタリア賞の審査会場リヴァ・デル・ガルダ市にまわって、自作の「四季・ユートピアノ」(英題名 A PIANO IN A DIFFRENT KEY)のプレヴューの日に顔を出してくれとの上からの意向でしたけれども、正直云って、受賞を期待していませんでしたので、疲労もあって、まわらずまっすぐ帰って来ました。というのも、昨年ラジオドラマ部門の審査員で審査に参加した時に、選考のディスカッションが余りにも質的に高度なので、受賞というのは至難の業だという実感を持っていましたので、空港から家に着いた時、ドアの向うで電話が鳴っていました。あわててカギを開けて閉め切った部屋にとび込み受話器を取ると、今度の“川”のチーフ・プロデューサーである勅使河原氏からのデンワでした。「おめでとう。受賞だよ、よかった」
 イタリア賞のドラマ部門には二つの大賞があって、今回の参加は約30ケ国の選抜された代表作がその賞を目指して競ったわけです。その一つのRAI賞に決定し、今、記者会見の席上で発表されたという知らせでした。まずうれしかったのは、これで苦労をかけたスタッフと出演者に報いてやれることができたという事でした。というのも、完成時期がずれたために、今年の一月に放送という中途半端な季節に放送されてしまって、ギャラクシー賞を受賞したものの、各局の秀作が目白押しの秋のシーズンに再映の予定がまったくたっていなくて、この賞を獲らないとそのまま二度と陽の目を見ぬ怖れが多分にあったからです。安心しました。
 折り返し、イタリーに居るラジオドキュメンタリーの審査員であるNHKの中チーフプロデューサーにデンワを入れたところ、「テレビドラマ部門のプレヴューはですね、9月9日から16日までだったんですけど、佐々木さんの作品はですね、12日のトップにプレヴューされたんです。色がきれいでしたよ。心配した色が。それと音もよくひびいていました。僕はオブザーヴァールームで多勢の他の部門の審査員や各国のオブザーヴァーたちと見たんですけどね、『四季』のときは、100分間みんな動かなかったですよ。満員でした。100分が終ったらまず、拍手がわきましたよ。口々に云っていましたよ、“ヒロインがすばらしい”“映像が斬新だ”“音の使い方がうまい”、みんなから握手を求められました。佐々木さんのが終ったら、みんなどっかへ行っちゃいましてね、あとは空なんです。クレモナから車で五時間ですからね、“川”の取材をあと三日のばして来て欲しかったですね。授賞式は21日だから、あと三日、のばせなかったんですか・・・・・」。私は受話器を置いてその夜以来5日たったがいまだに虚脱状態がつづいている。今日はハリをうってもらいに医者のところに行って来て、この原稿を書いているところです。
 「四季・ユートピアノ」の受賞の理由は、三つ挙げられていたようです。
 一、音と映像のすばらしさ。
 ニ、女主人公(中尾幸世)が極めて印象的なこと。
 三、ドラマの展開における意外性と緻密さ。新しいドラマツルギーの確立。
 また、二つの大賞は厳密に区分けされていて、PRIX・ITARIAは、民衆の感覚に平衡していること。PRIX・RAIは革新的作品であること。
 明日からは、次回作「ドナウ川はヴァイオリンの音」の準備に忙殺される毎日が待っている。
 10月8日からは、イタリアのクレモナ・ポー川。オーストリー・ハンガリー・ドナウ川流域のロケーションに出発。「四季」の延長戦でつめてみようと思っている。時間のないのに困っている。帰国は10月末。ハードスケジュール。年内は放送に向けて編集とダビングに追われる。2月には、モンテカルロ国際テレビ祭のフィクション部門の審査員でまた海外に行くことになっている。どんな作品に出会えるか楽しみだが、審査員は去年のイタリア賞の体験から云って、つらい仕事だ。モンテカルロは9年前に自作の「マザー」がゴールデンニンフ賞を受賞したことがあり、人たちに会うのも楽しみだ。
 「四季」は私を離れてアメリカに渡り、ニューヨークフィルム・フェスティヴァルに招待されて出ることになっている。イタリア賞の発表の翌日に招待の電報が届いた。スクリーニンングに出席できるかどうかはおぼつかない。今、何よりもうれしいのは、海外版と同じ10分長い100分で「四季」の再映が決ったことだ。うれしい。疲れも忘れられる。(1980年9月24日記)

 別稿では「A DREAM IN A DIFFERENT KEY」である(池田註)

スタッフ
 制作
   小林  猛
   佐藤  幹夫
 演出
   佐々木昭一郎
 撮影
   吉田  秀夫
 録音
   長谷川 忠昭
 音響l効果
   織田 晃之祐
 美術
   稲葉  寿一
 演出助手
   池野  東一
キャスト
 榮子  中尾 幸世
 祖父  古沢 貞夫
 祖母  古沢 ミヨ
 宮さん 宇都宮信一
 愛子  堀口 礼世
 川さん 大川 義行
 ケン  横倉 健児
 祐二  横倉 祐二
 恵子  小林 千秋
 ピアノ店主 宇都宮誠一
 酒場の男 鳥居 武夫
 象使い   宮崎 正利
 プリマドンナ 水野 としえ
 
 兄       佐々木弘幸
 榮子の母   中尾 幸世
 四歳の榮子  工藤 斗久
 榮子の父   工藤 金一
 インドの夫人 チャタルジー
 第九を唄う人々 日比谷高校音楽部
 キグレサーカスの人々
 津軽の人々
 霧多布の人々
 千葉の人々
 東京の人々
 
 テーマ音楽(記憶の音節)
   マーラー交響曲第四番
 ピアノ演奏  中尾幸世

   作者の言葉   佐々木昭一郎

 音の記憶を確かめながら生きている少女の物語を映像化しようかな、などと考えていた。そんなある日、「夢の島少女」で主演した中尾幸世さんとたまたま再会した。よもやま話をしていると中尾さんが「音楽を聴くと、画像が浮かぶのです」と言った。中尾さんが多摩美術大学に入学した年だった。私は彼女の発想が、以前から私の理ヅメで考えていることと一致するので、驚いてしまった。「今、何しているの?」と聞いたら、「ピアノ調律を習っています」という答えが返ってきた。私は、これだ!と思った。一瞬のうちに、私の頭の中で次にとりかかるドラマの骨格で出来上がっていた。それから私は、ペンをとって、音を想定しながら、湧き上がるイメージを原稿用紙に定着させていった。約一年、かかった。
       日本放送作家組合『テレビドラマ代表作選集 1981年度版』(日本放送作家組合)より

   四季・ユートピアノ  シナリオ

              茶色文字はシナリオに無いが作品に現れているもの。
 

   SE ピアノの音一つ、低く。Aの音
         ○
 そして、タイトル
 「四季・ユートピアノ」
 SE タイトルの背後から、風の音。
    はじめに遠く、急激に近づく。
    記憶を呼びおこす風の音。
    風の音は、急激に遠のいてゆく。

    ピアノのAの音。
    主人公の声。
    主人公榮子の澄んだ声が、遠くから近づく。
    榮子は、記憶の音節をうたっている。
    四歳の記憶の音節。
 榮子の歌う声「夢は 風の中にきこえる あの音。
   虹色の七つの音よ。
   雪の日に 消えた あの音。
   風よ うたえよ A(アー)の音から
   ララララ (リフレインされる)」


     プロローグ

   <榮 子>
 主人公、栄子の目。
 榮子は、遠くを見ている。榮子、二十ニ歳。榮子の大きな黒い瞳。
 長い髪が風にゆれている。吹く風は、無化粧の榮子の頬をリンゴ色に染めている。
 榮子は、雪の中に立つ。北の風が榮子の額をうつ。榮子はまばたきをする。
 榮子は、遠くを見つづける。 〔榮子の唄に重なる〕


     
<リンゴ園>  〔榮子の唄に重なる〕
 四歳の榮子が、七歳の兄と並んで、リンゴ園を歩いてくる。雪のリンゴ園。
 兄は黒い小学生服、黒い小学生帽。榮子は赤い着物。
 二人はゴム長靴をはいている。榮子は兄に手をとられている
 榮子の声「一歳、母のミシンの音を聞いた。
 ニ歳、父の靴音を聞いた。
 三歳、古いレコードを聞いた。
 四歳、兄とピアノを見た。大きなピアノだった。
 触ると、ダイヤのような音が おなかの中に ひびいた」


     
<記憶の窓ガラス>
 榮子、二十二歳。冬。
 榮子は、窓ガラスに近づく。ガラスは割れている。
 ガラスの切先に触れる榮子の指。
 榮子は、遠くを見ている。


  
   <記憶の木造校舎>
 吹雪。校庭を吹く強い風、地雪が舞いあがる。
 木造の小学校が、雪の中に見える。
 無数の窓ガラスに、吹雪があたっている。
 榮子の記憶の校舎。四歳の冬。
 SE 校舎を巻き込む強い風の音が、窓ガラスをうつ。
 風は急に、息(や)む。榮子の記憶の風の音。 


    T
   音の日記・榮子の四季   



  <冬の音>
 SE ピアノ調律音が、広い講堂の中にひびいている。Aの基準音がくり返し鳴らされる。ピアノ線が引かれる音。間断なく鳴る調律音。
 Xマスツリーの玉電球が点滅する。
 榮子は、ピアノを調律している。
 異国人の学校の広い講堂の中。
 ピアノの上にはローソクが灯されている。光の中でピアノを調律する榮子。
 榮子は、音に全神経を集中している。
 じっと見ている子供たち。
 “音の日記”
 榮子「音を出すと、子供たちが集まってくる。ピアノは不思議な箱なのかな。
 兄と聴いたチクオンキを思い出す。
 冬の音は遠くまでゆく」


   <異国の少年>
 SE 榮子のピアノ調律音。時を刻むように鳴る。
 まろやかな音。調律は終りに近づいて来る。
 榮子は音に集中している。榮子は右手でチューニングハンマー(調律棒)を動かしている。
 SE ピアノ線が引っ張られる。微調整。榮子は左手の中指と薬指で、キーをたたく。
 榮子は中指に大きな指輪をしている。歌い鳥(ソングバード)の指輪。
 異国人の小さな少年が、ピアノの脇に立っている。
 少年は榮子の動きを見ている。
 講堂の中に、他の子供たちはいない。
 ブルーの目、少年の頬は紅潮している。
 少年は榮子を見上げて話しかける。榮子はふりかえる。にっこり笑う榮子。
 少年「榮子さんっていうんでしょう?」
 榮子「そうです。榮子だけど、なんで知ってるの?」
 少年「あの、カバンに書いてあったんです」
 榮子は調律の手を休めずに少年と話す。
 榮子「今の時間、授業中じゃないの?」
 少年「ちがう。12時10分過ぎにいつも終るんです」
 榮子「じゃあ、授業を抜け出して来たんじゃないんだ」
 少年はうなづく。
 突然、異国語で話しかける。
 少年「(去年は白い帽子をかぶっていたでしょう)」
 少年の言葉は榮子に通じない。
 榮子は、少年の異国語を小声でつぶやく。

  <12月の音>
 ME 異国人の子供たちが唄うXマスキャロル。
 舞台の上。子供たちが合唱している。榮子が調律したピアノ。
 学校の外。
 榮子は鳥打帽子をかぶる。
 ME 遠くにXマスキャロル。榮子は、にっこりと微笑する。

  <秋の音>
 犬のいる家。榮子は、鉄の門の扉をしめて外に出る。
  SE けたたましく吼える犬の声。
  大きな犬が家の奥から出て来る。中年の夫人ふが出て来る。
  犬は、榮子に吼えている。榮子は手に丸いものを持っている。
  榮子「今日は、三軒まわった。
      調律士のテキ、犬」
  夫人は榮子に、おじぎをする。
  夫人「きょうは、あちがとうございました」
  榮子「いいえ、どういたしまして、また来年来ます」
  夫人「そうですか、よろしくおねがいします」
  SE 犬、吠えやめない。
  榮子「犬と仲良くする方法。丸いものを持っていること」
  榮子は丸いものを犬に放り投げる。犬がくわえとめる。丸い赤いゴムマリ。
  榮子「ストライク!」
  榮子は、犬に手をふる。
  榮子「バイバイ」
  驚いている夫人。
  SE 静かになっている。
  “音の日記”
  榮子「今日は三軒まわった
  調律士のテキ、犬
  犬と仲良くする方法。丸いものを持っていること

  <風の音>
 細い道。
 榮子は黒い学生服を着た二人の中学生と話をしながら歩いている。榮子はにこにこしながら歩く。
 中学生二人は交互に榮子と話をする。
 榮子「学校にピアノある?」
 中学生「ありますよ」
 榮子「何階の部屋?」
 中学生「三階の部屋」
 榮子「三階? ふつうどこの学校にも、二階の北側にあるのよ。なぜだかなんでだか知ってる?」
 二人の中学生は首をかしげる。
 榮子「風のせいなんだって」
 中学生「風?なんでだろう?」
 榮子「わかんないけど、でも 風のせいじゃない」
 三人が歩く道路の脇に、木がゆれている。
  SE 風のざわめき。風のざわめきは、風に反応して話す榮子の声を埋めてしまうような音量できこえている。
 榮子は「音」に反応している。榮子は突然、中学生に注文する。
 榮子「ねえ、ドーって長く云ってみて?」
 中学生「ドー  ミー」
 榮子「ソー」
  SE 風に反応している三人の声。
 榮子「なかなか音感がいいですのう」
 三人は曲がり角にさしかかる。榮子は道をきく。
 榮子「こんど、どっちかな?」
 中学生「そこを曲がったところです」
 榮子「右? 左?」
 中学生「右です」
 榮子「右、サンキュー」
 榮子はポケットかた小粒のリンゴを一つ取り出す。中学生に放る。中学生の一人が受け取る。
 中学生「ありがとう。さよなら
 榮子「バイバイ」
 中学生は一つのリンゴを半分に割ろうとしている。
  ME ピアノの音、くっきりと鳴る。
  榮子の弾くピアノソナタ、ゆっくりと、はずむように鳴る。
   (ベートーベンのソナタ、OP.49、No.1第二楽章の音節)

  <春の音>
 ME ピアノの音節がつづく。
 榮子は白いシャツを着て、はずんで歩いている。
 榮子は、道ばたの白い花に手をふれて、また歩き出す。
 “音の日記”
 榮子「春
   音を見つけた」
  ME ピアノの音節が静かにつづく。

  <夏の音>
 人影まばらな地下鉄の駅。
 蛍光灯の光のスジがホームを照らしている。
 闇の中からあらわれる地下鉄。正面のライト。
  SE 地下鉄の轟音。暑さを拡大するかのようにひびく。
  ジュラルミンの車体が停車する。
  “音の日記”
 榮子「夏
   流れ星を見た。細長い光が尾を引いた。
   音さの形に似ていた。
     願をかけた。
     音がつかめますように。
    辺りを見渡すと、誰もいない。
    ヴァイオリンケースの中から日記帳がなくなっていた。
    16年間つけていた日記帳がない」
 榮子は地下鉄の駅の上るエスカレーターを走る。
 外へ出る。道を歩く。アパートに走りこむ。階段をかけ上がる。タタミの部屋。
 榮子は机の引出しを開ける。引出しを引っ張り出す。
 逆さにする。部屋を見渡す。日記帳は無い。榮子はため息をつく。
 榮子「ああ、日記帳が無い」

  <電話ボックス>
 町。
 榮子は、二つ並んだガラス張りの電話ボックスを見つける。
 黄色い電話機に向っている榮子。榮子は耳をふさぐ。
  SE トランペットの音。音は隣りの電話ボックスからけたたましく聞えている。リパブリック讃歌が、つっかえ、つっかえ、吹かれる・
 榮子「もしもし、栄子です。ピアノ調律士の栄子です、いま、笛の音が、・・・・トランペットなんですけど・・・・・ピアノの上に、日記帳を忘れていなかったでしょうか。ピアノの絵が描いている古い日記帳やつなんですけれども・・・・・。ピアノの上に、置いたと思うんですけれども。ありかしたか・・・・・」
 榮子は耳をおさえて、電話ボックスにしゃがみ込む。
  SE トランペットのリパブリック讃歌。
   隣りのボックス。
   高校生が、トラbペットを上に向けたり下に向けたりしながら、音を出している。
  SE その音。町の騒音。スピーカーの音、東京の音。


     U
   音の日記の一冊目   



  <風>
 ピアノの前。
 榮子は、赤い表紙の日記帳を、ピアノの上のふたの中に入れる。
 出す。譜面台に広げる。
 榮子の描いたピアノの紙。
 “音の日記”
 榮子「音の日記。
 今日の風速7メートル。風の音から人の姿が浮ぶ。
 16年前が、昨日のように浮かぶ。
 母のミシンの音。
 父の靴音。
 布団をかぶった兄の声。
 リンゴほっぺ。
 四歳の自分。
 七歳の兄」

  <冬>
  榮子は、机に坐って、頬杖をついている。
 目は遠くを見ている。
  SE 兄の声が聞えて来る。七歳の兄の声。兄はうたをうたっている。
 ぬれた布団のうた。村を歩く風習。
 兄の声「一郎の、寝小便たれ、いまとおる。
 まさか、おれではあるめえな。
 一郎の、寝小便たれ、いまとおる。
 まさか、おれではあるめえな」
 声は風の音をつきぬけて、昨日の音のように榮子の耳にとどいてくる。
 雪を踏む兄の足音、四歳の榮子の足音近づく。
  <兄の布団>
  雪の道。北国の村。
 白い布団を頭からかぶった兄が、四歳の榮子と並んで歩く。
 兄の声が、布団の中から、雪の村にひびく。
 兄の声「一郎の、寝小便たれ、いまとおる。
 まさか、おれではあるめえな。
 布団と並んで歩く赤い着物の榮子。
  SE 兄の声の中から、ミシンの音。母の音。
  <母のミシン>
  SE ミシンの音、急に近づく。
 母は、手ぬぐいをかぶり、ミシンを踏んでいる。ミシンを踏む母の足。
  ME ミシンの音の中から、音楽がわきあがる。
  「榮子の記憶の音節」。兄と聴いた納屋の古いSP盤の音が、全ての音をかき消して、くっきりと近づく。(マーラー、シンフォニィ第四番、第一楽章の音節)
  <眠る兄妹>
  ME 「榮子の記憶の音節」つづいている。
 四歳の榮子は、七歳の兄と並んで、布団の中に入っている。
 二人とも、まっ赤なリンゴほっぺ。

  <家族>
  北国の榮子の家族。居間。四歳の榮子は、榮子の母を見る。
 母が、兄に黒い小学生帽をかぬせる。
 兄は帽子に手をやる。母にほほえむ。
 四歳の榮子は、兄を見ている。
 榮子「四人家族。
 母。自分の鏡。
 父は、音におびえていた」

  <納屋のレコード>
  納屋の中。
 古いSP盤が廻る。
 榮子は、兄と並んでムシロの上に坐っている。
 二人の間には、アサガオ型の大きなラッパのチクオンキがある。
 榮子と兄は、音を聴いている。
  ME 記憶の音節が、納屋のSP盤から、真新しくひびいている。
   窓の外。
   榮子の母の手は、リンゴをカゴに入れる。
   カゴを背負う。
   リンゴを売りに行く母。

  <チクオンキの音>
  七歳の兄が、あさがお型のラッパのついたチイクオンキを抱いて、雪の山道を歩いている。
 海。
 灰色の空。ナマリ色の冬の海。灰色の砂浜。
 チクオンキが置かれている。
 雪の斜面に立つ兄。
 兄は、音節に合わせて、手をふっている。
  ME 記憶の音節がつづいている。
   他の音は、きこえていない。音節はつづく。
 眠る二人の兄妹。布団の中。二人とも、ねむりながら、ほほえんでいる。
 裸電球の下。兄と母。
 白い手ぬぐいをかぶった母が、兄に勉強を教えている。
 母は、兄のうしろに座り、兄の方から手をのばし、兄のノートに文字を書いている。
  ME 記憶の音節が、急にワルツの音節に変わる。
   (ヨハン・シュトラウス「美しく青きドナウ」の音節)

  <母のワルツ>
  小学校の教室。
 ストーヴが燃えている。
 男の教師とワルツを踊る母。
 おぼつかない足どりでワルツを踊る母。
 教室の中央には、納屋のチクオンキが置かれてある。
 兄は教室の戸の外から、中をのぞいている。
 兄にほほえみかえす母。
 四歳の榮子が、廊下に立つ。榮子は兄を見る。
 上気する母の顔、兄を見ながらワルツの音でまわる。
   ME 母のワルツが、急に断ち切られる。
   SE 急にきこえてくる飛行機の爆音、
   納屋の古いSP盤。すり切れた音のミゾからきこえる爆音。

10
  <父の音>
  SE 納屋の爆音レコードの音。
  「敵機爆撃機、機種識別レコード」
  ○レコードにかぶる古い声。「ロッキードハドソン、高度三千メートル」
  “音の日記”
 榮子「物置の古いレコード。
     爆音識別レコード」
 納屋の中。夜。
 四歳の榮子が兄と並んで、レコードをきいている。
 父の部屋。父は、うなされている。
 兄妹はチクオンキをまわす。
 鏡の前の母。髪にクシを入れながら、父をふりかえる。
 父はねがえりをうつ。
  SE 爆音の音が、朝空に爆撃機襲来のごとくひびく。
   銃声一発。父の叫び声。
 窓の外。雪の地面。
 兵隊帽に軍服に身をかためた父が、空を見ている。
 父はチクオンキのラッパをにぎりしめている。
 音におびえる父。
 父におびえる兄と妹。納屋の中で、身を寄せあう。

11
  <兄妹>
  北国の榮子の家族。居間。四歳の榮子は、榮子の母を見る。
 母が、兄に黒い小学生帽をかぬせる。
 兄は帽子に手をやる。母にほほえむ。
 四歳の榮子は、兄を見ている。
 榮子「四人家族。
 母。自分の鏡。
 父は、音におびえていた」

  <家族>
  北国の榮子の家族。居間。四歳の榮子は、榮子の母を見る。
 母が、兄に黒い小学生帽をかぬせる。
 兄は帽子に手をやる。母にほほえむ。
 四歳の榮子は、兄を見ている。
 榮子「四人家族。
 母。自分の鏡。
 父は、音におびえていた」

  <家族>
  北国の榮子の家族。居間。四歳の榮子は、榮子の母を見る。
 母が、兄に黒い小学生帽をかぬせる。
 兄は帽子に手をやる。母にほほえむ。
 四歳の榮子は、兄を見ている。
 榮子「四人家族。
 母。自分の鏡。
 父は、音におびえていた」


〔まだ作成途中  未完成〕


     『四季・ユートピアノ』を見て    池田博明  放送初日の感想

 主人公の榮子はピアノ調律士。彼女は音を探して歩く。彼女が探す音は生命の息づかいでもある。雪の降る音、汽車の音、マキを割る音、言葉、ハンマーの音、そういった生き生きした音を見い出す精神の躍動。見終えたら妻が泣いていた。「よかったね」と言う。「どうよかったの」と聞くと、「あんな風に楽しく生きれたらよいね。私たちの娘もあんな風になれるかな」と答える。この作品には榮子の生きる意志といったものがある。そして、彼女が住む世界は、音のユートピア。
 音のユートピアを一歩一歩、榮子は築いているのだと思う。兄の死、母の死、父の死、別れ、友人の死。多くの別離がある。しかし、それ以上に音を見つける喜びがある。

   読売新聞「放送塔」への投稿文(1980年1月21日掲載):
  (  )は掲載時にカットされた部分、〔  〕は記者により付加された部分。

 十二日放送の『四季・ユートピアノ』は、情感あふれる素晴らしいドラマでした。主人公の栄子が、ひとつひとつ音を見つけてゆく、ひとつひとつ音を調律してゆく時に感じる喜びが、次第次第に、私たちの〔心の中にも同時に〕(心にも)わきあがってくるような、〔感動を味わいました〕(そんなドラマでした。ドラマは、ブラウン管の表面に表われたのではなく、見ている私たちの心の中で行われたのだと思います。)音を見つけながら生きる喜び、〔そんな喜びを持つ主人公の姿に〕私たちも音を探したくなるような〔気持ちになりました〕(「希望」を感じました)。 

   『日曜日にはTVを消せ』プログラム へ