JOIN No.39
2000年10.11.12月号

巻頭インタビュー
食をなおざりにすれば教育の元が失われます
岸 朝子

特集「博覧会論」
万国博覧会に未来はあるか
加藤秀俊

万国博覧会 その歴史と意義
白幡洋三郎

なぜ私は都市博を中止したか
青島幸男

報告・ハノーバー博
寺澤義親

BIEの精神
ビセンテ・G・ロスセルタレス

愛知万博・未来への展望
黒田 眞

いよいよ市民の登場です
環境博の実現に向かって

森山昭雄

検証・愛知万博
中西晴史

エッセイ
E時代来るかな?
藤岡和賀夫

ベトナム最新事情
石橋寛人

カレント21
野球100年
浜田昭八

時流観測塔
金融庁
栗林 訓

JOIN講座
夏の夜のNHKアーカイブス
佐々木昭一郎

スクールデイズ
巨大画は、個と全体の心地よいハーモニーです
野口 基

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佐々木昭一郎
情報学部教授

 さる8月26日(日)の深夜「NHKアーカイブス」で素晴らしいドキュメンタリーを2本見た。小尾圭之介「ふたりのひとり」、工藤敏樹「私とホー・ティ・キュー」。小尾と工藤といえば、60年代から80年代後半にかけ多くの名作を放ったドキュメンタリストで、テレビ界ではいまだに語り継がれる名匠である。

 小尾は、このほか「白鷺と子供たち」でプラハ国際テレビ祭・金賞を受賞している。日本のドキュメンタリー作品としては初のグランプリ受賞であった。

 工藤敏樹は、「廃船」「富ヶ谷国民学校」などで忘れられない映像を残し、若くして世を去った。「廃船」は死の灰を浴びた第5福流丸のこと。船員たちのその後と朽ちて行く船を交錯させた傑作だ。

子供へのまなざし

 小尾の「ふたりのひとり」は、双生児の成長記録だ。2人の少年の生活を丹念にフィルムカメラでとらえ、5年間取材し続けた力強い作品で、年ごとの記録が毎年オン・エアーされ話題となった。主人公のふたりは、山間の村で暮らす元気な普通の子供である。社会的に弱い立場にあるハンディーを背負った人間を追いかけ回し、ことさら傷つけるようなキワモノは創るまいとするスタッフの一貫性が画像から伝わってくる。だから、普遍的かつ永遠の作品となったのだ。 

 「ふたりのひとり」で名場面がいくつかある。夕暮れの焚き火。ふたりは火を消しにかかる。帰りたい。腹ペコだ。焦る。踏んづける。たたく。消えない。そして小便をする。この間、カメラは二人を凝視し続ける。我慢の撮影、愛の撮影だ。もう1つの例。川に1本の丸太の橋がかかっている。踏み外したら死ぬ。よちよち歩きが丸太に乗った。この時カメラマンは(多分絶対)綱渡りの下から檄を飛ばすサーカスの男になったに違いない。丸太から落ちず無事、橋を渡り切り、涼しい顔の少年。この場面は「偶然を取り込んで構成してしまう」ドキュメンタリーの真骨頂なのだ。

 この作品の、もう1つの特徴は、2人の成長記録でありながら、小尾圭之介のディレクターとしての成熟の記録であり、葛城哲郎という天才カメラマンの抜きん出て見事な成長記録でもある点だ。「ふたりのひとり」の成長記録につれ新人カメラマン葛城の腕前が目に見えて上がる。それが画像で分かる。葛城は後に、カメラマンとしては初の「芸術選奨文部大臣賞」を受賞することになる。

 工藤の「私とホー・ティ・キュー」は、1968年9月ベトナム戦争の戦火を避けて、里子として日本にやってきた12歳の少女の物語である。

 引き取ったのは、福島県原町の住職・石川さん夫婦。カメラは、4カ月間にわたり、石川夫妻とホー・ティ・キューの交流を追う。最初に覚えた言葉は、オトウサン、オカアサン、オベントウ。そして4カ月で20センチ背がのびた。

 忘れられないシーンがある。住職婦人の次のような言葉である。

 「キューが来るまで誰もベトナムを知りませんでした。キューが来て、みんながベトナムを考えるようになりました。キューは私たちに“考え方”を持ってきてくれたのです」。この言葉の中には、孤児を引き取った家庭にありがちな、保護者意識なぞは全くない。なんとやさしく、あたたかい言葉なのだろう。

1+1=1

 「ふたりのひとり」と「私とホー・ティ・キュー」を多くの人に見せたい。特に若い人と子供に見せたい。理屈ぬきに、人間かくありたい、とする考え方を知覚するに違いないのだ。数字や分析によって人の心は絶対割れない。数値で少年の問題など永久に解決出来ない。それは、心の底を打つ作品と芸術が救う。左右2つの目で見た像は、脳内では2つではなく1つの像として記録される。これをメタフィジカルに捕らえると、こうなる。1+1=1。つまりイメージを重ね合わせるということ。人と対立しつつコミュニケーションする代わりに、その人、例えばAさんの脳とBさんの脳が重なることで、新しい考え方や、ものごとの解決法が誕生する……。

深夜の高視聴率

 「ふたりのひとり」と「私のホー・ティ・キュー」の場面の一瞬が記憶に再創造され、その感動が続く翌日の夕刻、NHKから電話が入った。私の処女作「マザー」、第二作「さすらい」や「アンダルシア」等をNHKアーカイブスで放送したい、とのことだった。反射的に、カメラマン葛城哲郎のことを思った。そして、小尾圭之介と亡き工藤敏樹を思った。それから遠藤利男を思った。「マザー」のプロデューサーだ。

……と今、またNHKマルチメディア局から電話が入った。小尾圭之介「ふたりのひとり」と工藤敏樹「私のホー・ティ・キュー」はレイティング(視聴率5分単位)が良く4.5%だという。夜の深い時間帯に4.5は驚異的とのこと。450万人がチャンネルを変えずに集中して見たのだ!恐らく人気タレントが所属するプロダクション制作の番組に飽き、新鮮なものを渇望する人が大勢いたのだろう。「しかしマザーは無理ですよ、叙情的にみえても内面が入り組む作品ですから」と私は釘をさした。

 実際、私にレイティングを期待するプロデューサーは1人もいない。

文教大学学園広報室
koho@hatanodai.bunkyo.ac.jp