日曜日にはTVを消せ 目録


  佐々木昭一郎 小論    

      織田晃之祐   NHK効果部
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「日本大学芸術学部・佐々木作品上映会」パンフレットより
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(『日曜日にはTVを消せ』第10号(1977年5月発行)に再録

ホームページ作成者・池田博明


          佐々木昭一郎 小論 

            織田晃之祐

 例えば,ここに,ゲイリー・バートン・クインテットのレコードが,まわる。時間と共に,音が聞える。音と共に時間が流れる。

 バートンのヴィブラホンの響きは,すばらしい。スティックを,おろすだけで,音を発するヴァイブが,何故,バートン特有の音色をもつのか,不思議なことだ。約40分の時に流れて,6曲の演奏が終る。

 確実に時が過ぎてゆく。

 そして我々の生命も,確実な時に流れて有限の河を下る。 

 サイクルの差異を,あえて忘れるとして,この演奏の成立と我々の生き方とは,同じ時の費やし方をしているのではあるまいか。確実に時が過ぎてゆく。 

 飛躍しよう。

 佐々木は,何を演奏してきたのか。

 その確実な時に流れて,ラジオとテレビジョンを通して,佐々木は,何をやってきたのか。

 ラジオ「都会の二つの顔」「コメット・イケヤ」「おはようインディア」,テレビジョン「マザー」「さすらい」「夢の島少女」「紅い花」。

 他の佐々木作品の記憶は,私には無い。<このうちのニ作品に,私は,スタッフとして加わった> だから以上の7作品が佐々木の放送局勤めの,17,18年間での,曲数ということになる。18を7で割るとしえ,約2.5年で,たった一曲ということになる。驚くなかれ,毎日湯水の如くに流れる放送の,その制作者たる佐々木が,これでは,まるで黒澤明ではないか。

 佐々木の作品が少ないことの理由は,色々あるだろう。しかし少ないということが,必ずしも,マイナスの要因としての,ある種の制限が与えられていたと考えるのは妥当ではない。むしろ結果的には,黒澤と比較される光栄を浴し,その少なさが特有の,音色色を,形づくる,時の凝縮を可能にし,佐々木作品を,評価あるものにしたと私は考える。

 作品の数の少なさは,外圧としての制限と考えるよりも,むしろ佐々木の誠実なインナートリップと呼ぶべき事の,発酵が時を必要としたのである。

 佐々木の7作品は,生きる佐々木の,生きる過程の,それぞれの位置をもって,その時点の「意識の定着」を試みてきた。

 佐々木は,幼児期からの記憶の総体として,常に今を,その時点を,考えている男であるように思える。その記憶の編集<寺山修司の持論でもあるが>こそが,自らのドラマ作法となるべきことだと考えているようであり,その点では私小説にも似た,私の世界の展開を,律儀にも,ラジオ,テレビジョンに持ち込んだ,他に余り例のない独自な作品を作り上げてきたといえる。

 佐々木の作品の特色の一つに事前の固定したシナリオを持たないということがある。このことは,従来のシナリオによって作られる一般のドラマが,その活字によるルールに,ともすれば,がんじがらめの束縛をきたし,人間と,その生活再現のふさわしい方法ではなくなると考えるからであり,そうなればあとに残される方法は,佐々木を中心としたスタッフの意識,その個性が,代るべきルールを生まねばならなくなってくる。

 佐々木は「マザー」制作後,次のように書いている。

 「これは,一人の少年を通して人間が,生きる上での他者との関係を追及する台本のないドラマである。今日の状況は,単なる一次元的な因果律ではとらえられない。<既成ドラマ台本の拒否>カメラの既成台本への従属接の拒否。<カメラの自立とマイクの自立>自由な表現。映像と音の新しい関係。ニ週間のスタッフディスカッション。ニ週間の撮影。少年ケンを囲む神戸の人々は,総て出演者となり,スタッフと共に,アドリブで台本を綴っていく。台本のないドラマは,全員の創造力で肉付けされていく。私は,それをメモし,結果的に台本としてまとめたにすぎない」

 確実な時の流れ。
 その時点の定着ということについて,佐々木は次のようにもいう。

 「一回性でしか,とらえられない出会いの一瞬のキラメキ。そこでかわされる,さり気ない言葉,人が確実に生きているという息づかい。それらをすくい上げることが,我々スタッフの最大の目的だ」

 ドラマ作りの実際に於いて。
 例えばラジオ「都会の二つの顔」の宮本信子<CMでもおなじみの伊丹十三氏夫人>や,あの時の魚河岸の青年は,ドラマ製作の,あの時点をスタッフ共々生きたのだ。みせかけの生活再現ドラマではなくして,その時間の記録を目指す在り方が,佐々木の方法でもある。故に,時,時点,時代,への固執は,佐々木の生きる時の過程,一回性なる時への謙虚さとなってあらわれる。
 「おはようインディア」「マザー」「夢の島少女」に出演した少年ケンは,それらの作品により,大人への軌跡を見事なまでに,とらえられている。結果的には,個々のドラマを成立させる一ファクターということだろうが,しかしそこには,出演者以前の少年の成長が,彼自身のアルバムの如くに定着されているのである。
 一回性なる時の,確実なる流れの中で,佐々木は,ホットな友情のやさしさを通して,ケン少年を起用していったのである。
 佐々木が,自分自身の少年の日々を想い起こしつつ,ダブルイメージに於いて,ケン少年に託した,記憶再現の数々は,スタッフの一員たる私自身の少年時代の記憶をも包み込む表現の確かさをもっていた。
 
 このような例は,映画のフランソワ・トリュフォと,彼が,常に出演させてきたピエール少年との関係に同じものをみるのは,私だけではないと思う。
 トリュフォといえば,「大人は判ってくれない」「突然炎の如く」「華氏451」「アメリカの夜」等々の大作家だが,私にとっては,色々な意味での類似を佐々木に感ずる。つげ義春の原作を用いた「紅い花」に至っては,「華氏451」の本を焼くシーンが,そのまま使われたのではないかとさえ思わせる共通のイメージだった。
 「テレビは一つの窓である」と佐々木は云う。そして窓から見えるものは,単なる風景ではなく,一つの世界であるべきだと,彼は考える。眼に見えるもの,耳に聴こえるもの,日常何気なく時と共に流れ行くものを借りて,一つの世界を創り上げる。それは,一般的な,ラジオ・テレビジョン番組が,その絵と音をもって,なかば物質的に,法則的に製作する仕方とは,かなり差異があると思われる。
 佐々木作品の本質的な,なり立ちは,見る側の,視聴者の,一人一人が,その個人の感性をもって参加することで成立する。
 故に,一般的にいう処のドラマチックな要素,手に汗する大活劇,新派大悲劇,ハリウッド製大スペクタクル,等とは無縁なものなのだ。
 奇想天外なストーリー主義のものとはかなり違う。
 誰もが面白いと両手を揚げて喜ぶものでもない。
 だから,俗にいうコマーシャルベースには,のりにくい面もあるには違いない。
 しかし,見る側個人の感性が,佐々木の作品の波長と一旦合い始めるとかなり始末の悪いことになってくる。
 自己の意識,記憶の領域に容赦なく侵入してくる強固な関係が,成立し始めるからなのだ。
 人は,佐々木のドラマを通して,人生の追体験を余儀なくされる訳なのだ。

 佐々木のドラマは,必ずしも多弁ではないし,総ての現象を教育番組のように,あらゆる角度から,みせると云うものではない。むしろ,その逆であろう。そのことは,ラジオの演出を手掛けた男の,不自由なメディア音の世界の表現の基本を,忘れずにテレビジョンに移し代えるしたたかさというべきことの一つの証しでもある。

 普通,一般的なテレビジョン番組が,「百聞は一見に如かず」との格言に終始し,そしてその事が,いかに意図的なディスコミュニケーションのメリットを増長させていることか,これすなわち放送の本質などといえば,それまでなのだが,その壁を佐々木が知らぬ訳ではない。
 状況がその様であればあるほど,彼は,あらゆる限定が,そのまま逆に真の意味を伝え得る創造力の問題に,継がることを想起するに違いない。
 想像力の向こうにこそ,その人間にとっての真実があると,彼はいうだろう。故に,その想像力を喚起させることが,ドラマの使命ということになる。
 私は,70歳の佐々木ファンを知っている。彼にいわせると,「佐々木ドラマの世界が,どうしても自分の過去の生活の一部の様に思われて仕方がない。自己の記憶を呼び覚まし追体験するようなこんな感じ方は,いままで一度もなかった。自己のアルバムを見るが如くに,また新しい過去が一つ増えたような気さえしてくる」と語っている。

 ゲイリー・バートンの時が流れる。原稿を書き乍ら,何度もレコードの針を,のせかえる。確実に時は流れて,我々もまたその時の河を下る。その河の流れを往きつ戻りて,さあ!佐々木は,何を唄うのか,次に,何を制作するのか。

 バートンのレコードの曲名には,サイレントスプリング,カラーズ・オブ・クレーなどの字が読める。音に託した,人の想像力と等しく,ラジオ・テレビジョンを通した想像の喚起を,創造の喚起を,佐々木に望みたい。
 バートンが,春や,画家クレーに託すが如くに。
 
 表現の問題には,困難がつきものの世の中だ。何気なく眼にみえるものの向こうに,真の何があるのか。今後の佐々木に期待するのは,そんな不確かな現象の膜を通して,真の実在とは何かを,テレビジョンの独特の作法を通じて明らかにして貰いたいものだと云う願望を含めての期待なのだ。
 【補注】藤田真男

 この原稿は,もとは,佐々木作品を見るために集まった,岡本博門下の日大芸術学部の学生たちのための解説パンフレットとして書かれたものだそうですが,織田さんの承諾を得て本誌(「日曜日にはTVを消せ」No.10)にのせることにしました。
 東京へ来て以来,佐々木さんとは何度か会う機会があったけれど,織田さんとは一度会ったきりです。が,TVを通して彼の音の世界に接することはできました。一度は,たしか今年(1977年)のはじめ放送された,NHK特集「昭和の誕生」。二度目は,1977年4月21日に放送された,NHK特集「オーロラ」。
 前者は最近発見された天皇即位大典の記録映画と,50年たった現在とを巧みにオーバーラップさせたドキュメンタリー。当時ダンスホールのバンドマンであった老人が,今は観光地のホテルで演奏している。浴衣の酔客たちがだらしなく踊り騒ぐ姿。大典のバカバカしいほどの盛大さ。参列した貴族たちの末裔は,今は皇居できものの着付けを教えていたりするコッケイさ。ラストは原爆のキノコ雲。
 後者は,1年半の準備の末,超高感度カメラがアラスカでとらえたオーロラの神秘的な美。スタッフが,それほどまでにオーロラに執心することには,意味も目的も何もないらしく,ただオーロラへのあこがれのようなものがあるのみ。その姿勢に好感がもてた。オーロラの美しさ不気味さは,実際に自分の目でみなければわからないとのことで,とうてい言葉では表せないのだという。カメラでも言葉でも表せないものを織田さんの素晴らしい口笛の音が補って余りあった。ほんとにこれほどハードボイルドでやさしさに充ちた口笛を吹く人を,ぼくは他に知らない。山下毅雄の口笛もかなり好きだけど,織田さんの方がはるかにすばらしい。織田さんは,織田さん特有の音色をもった口笛によって,ジャズを唄っているのだと思う。 (1977年4月26日)
 藤田真男インタビュー 織田晃之祐【pdf】  1980年


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