2009年3月31日発行   『アリーナ』(風媒社) 第6号 pp.171-182


森崎東論   池田博明



   《現代》の挽歌 
     森崎東の脚本『日本ゲリラ時代』   池田博明 (森崎東研究家)

 片岡義男の名著『ぼくはプレスリーが大好き』(一九七一)に美しい言葉がある。

 "単純であることと複雑であることの差をはっきりと認識しなければならない。単純であることは、すでに一種の犯罪なのだ。複雑であることも犯罪になりうるのだが、はらんでいる可能性は、単純さよりも複雑さのほうがはるかに多いし、まさっている。"

 私にとって映画を見ることは、複雑な世界像を認識する方法に他ならない。映画館の暗闇のなかで生命力にあふれた映画との対話は刺激的で創造的な体験である。
 本稿では、森崎東が脚本または監督した映画を「森崎映画」と呼ぶことにする。

    忘れられた森崎映画

 森崎映画は、《多義的で》《複雑な》映画である。過剰なメッセージが物語の構造に含まれ、セリフに表現され、物や人となって場面に映し込まれて主張する。その過剰さが突出して、教条的あるいは図式的となり、暴力的となって観るものをたじろがせる。《意味》が多すぎて、作品は崩壊しかけて失敗作となり、上映の機会を喪失する。
 こんな事態は、まるで森崎映画の傑作『ロケーション』(一九八四)で撮影されていた、呪われたピンク映画のようである。笑子(美保純。シーツをはぐとともに彼女が眠る裸体で登場する場面は映画史上屈指の美しい瞬間である)主演のピンク映画を撮影するはずだったのに、映画には笑子にまつわる過去の犯罪と母親テル子(大楠道代)との間の確執が描かれ、真実を明らかにする過程で、笑子は《失っていた言葉》を母親への《罵詈雑言》のかたちで取り戻す。表現力を獲得した笑子は真相を理解し、母親と和解して《親殺しの罪》を止揚する。しかも、笑子の母親はカメラマン兼演出家べーやん(西田敏行)の妻で女優の奈津子(大楠道代の一人二役)とうり二つ、実生活では別人の二人が虚構の世界で同一人物を演じてしまった作品が完成する。
 神話的構造を持つこの完成作品は、社内試写で監督(加藤武)には「傑作」と評価されるものの、配給会社の社員(矢崎滋)には「こんな滅茶苦茶なワケのわからんのが傑作?」と評価されて受け取りを拒否されてしまう。フィルムの入った缶を抱えたべーやんと一緒に、飲んで酔った助監督ダボ(竹中直人)は「いのちがけで撮ったんだ。上映してくれよ!」と叫ぶ。六十年代、七十年代のピンク映画がしばしば神話的構造を取ることは、若松孝二や大和屋竺作品の例であきらかであった。[註1
 森崎映画にもそんな過激な傑作があり、それらは上映の機会を失い、ビデオ化(あるいはDVD化)されていないか、いちどビデオ化されても既に廃盤となっており、おクラ入りしているのだ。私が言っているのは『ロケーション』のほか、『高校さすらい派』(一九七〇)、『生まれかわった為五郎』(一九七二)、『女生きてます・盛り場渡り鳥』(一九七二)、『街の灯』(一九七四)、『喜劇・特出しヒモ天国』(一九七五)のことである。これらの作品はおおむね評論家の評価も低く、興行成績も悪かった[註2]。普通にいえば失敗作である。アートシアター・ギルド(ATG)配給作品だった『黒木太郎の愛と冒険』(一九七七)は、評論家の評価は高かったが、興業的には惨敗してビデオ化されていない。森崎東の実兄・森崎湊の割腹自殺を作品の中心に据えており、これも意欲が過剰な失敗作である。しかし、上映館で見損なった映画をテレビドラマと同列に家庭で視聴可能な現代に、成功だの失敗だのと作品を決め付ける意味はもはや無いだろう。映画を見るという行為は、現代では非日常的な経験ではなくなったのである。
 森崎映画に限らず、《多義的な》失敗作ほど、実は傑作である例がある。チャールズ・ロートン監督の『狩人の夜』(一九五五)のように、カルト映画とは公開当時に酷評された傑作である。リドリー・スコット監督の『ブレードランナー』(一九八二)も公開当時はさんざんな評価だった[註3]。私見では、森崎映画の多くがカルト化する可能性があり、勝新太郎の監督・主演のワンマン映画『顔役』(一九七〇)も、そのような過激なカルト映画である。
  一方、一九六九年に『喜劇・女は度胸』で監督をする以前に松竹脚本部に所属していた森崎東には、『なつかしい風来坊』(一九六六)を皮切りに『男はつらいよ』(一九六九)までの四年間に十九本の脚本がある[註4]。
 これらの森崎映画のうち、山田洋次監督に協力した六作品は山田洋次の評価が高まるにつれ、DVD化されてシネマスコープサイズで見られるようになった。『なつかしい風来坊』や『吹けば飛ぶよな男だが』『男はつらいよ』は公開当時の評価も高かった。特に『吹けば飛ぶよな男だが』(一九六八)は森崎脚本をほとんど直すことなく、山田洋次が演出した傑作である[註5]。『男はつらいよ』もシナリオ誌に出した脚本では脚本者名が「森崎東・山田洋次」の順番となっていたし、公開当時のポスターの脚本名も森崎が筆頭者であった。このシナリオは、完成作品とはやや異なっている[註6]。そして、『喜劇・一発大必勝』(一九六九)も森崎脚本中心の傑作である。『愛の讃歌』(一九六七)では、森崎色はおそらく伴淳三郎演ずる父親役に現れている。
 山田洋次監督作品ばかりではない。渡邉祐介監督作品にも重要な森崎映画がある。『喜劇・深夜族』(一九六九)の脚本は宮川一郎・森崎東の順であり、森崎らしさはサチ子(緑魔子)と父親(伴淳三郎)がお互いに隠している仕事がコールガールとポン引きであるという設定にしか感じられ無い程度である。脚本者名が森崎東・渡邉祐介の順の作品には、ドリフターズ主演の『やればやれるぜ全員集合』(一九六八)・『いい湯だな全員集合』(一九六九)がある[註7]。なかでも、『いい湯だな全員集合』は『瞼の母』のパロディを含み、善意の人間が登場しない、小心と悪意の全面展開の物語で、森崎流全開の傑作である。ちなみに、高沢瑛一が"内ゲバの抗争"と捉えたドリフターズ映画の正しい評価は今後の課題と思われる[註8]。また、当時、森崎一人で書いたオリジナル脚本『日本ゲリラ時代』(一九六八)は、森崎自身の表現によれば「非常に悪評が高かった」そうである[註9]。出来上がった映画は一九六八年八月三日に公開された。当時の製作ペースから推測すると撮影が開始されたのは、早くてもニケ月くらい前で、たぶん六月頃からだろう[註10]。
  私は渡邉祐介監督の『日本ゲリラ時代』を見ていないが、幸いにも脚本が残っている[註11]。本稿では、森崎が「新宿で若者に見てもらいたい」と思って書いた[註12]という、この観念的・図式的な作品を脚本中心に論じて、森崎映画の特色に迫ってみたい。高沢映一は『日本映画作品全集』(キネマ旬報一九七三年)で、『日本ゲリラ時代』を「森崎・渡辺コンビのふてぶてしい傑作喜劇」と評価しているが見る機会は無いし、四方田犬彦の「映画史的に山田洋次より重要なのは、森崎東の方である」という評価[註13]が、確立しているとは思えないほど、現在、森崎映画を見ることは難しいからである。
 なお、一九七五年に松竹を解雇されて以降の森崎映画はテレビドラマが多くなった。森崎映画のよき理解者であった白井佳夫が"森崎東の81/2"と評価する一九七七年の『黒木太郎の愛と冒険』を中心に、それ以前の森崎映画とそれ以降の森崎映画は分けて論じた方がよいだろう。本稿では主に前期の森崎映画にふれていく。


     脚本『日本ゲリラ時代』解題

 舞台は一九六八年当時の《現代の》新宿である。ひとりの女優・紅魔子(緑魔子)が街頭インタビューを行っている。新宿東口には一九六七年からフーテンと呼ばれる多くの若者が集まっていた。魔子は徴兵令状が来たらどうしますかと若者に聞いている。ベトナム戦争が深刻になり、日米安全保障条約の継続年、一九七〇年が近づくにつれ、戦争へのコミットメントは当時の若者にとって最大の問題のひとつであった。

 ひとりの若者、金太(なべおさみ)は徴兵令状を持っていると言うが、それは清国の徴兵令状である。地回りのやくざ・忠太郎(犬塚弘)が忠君愛国を唱えるのに対し、フーテンの青年・ハゲバラ(草野大悟。役名はチェ・ゲバラのもじり)は令状を奪い取って燃やしてしまう。その対立がきっかけで大乱闘になり、警察も出動して、タイトル「日本ゲリラ時代」が出る。

 タイトル前に主要な登場人物が勢ぞろいした。これ以降、彼らの祖先も同じ俳優が演じることになる。昭和十九年に徴兵され、脱走兵だったが南方で戦死したという忠吉と金作は、忠太郎と金太の父親だ。明治三八年、日露戦争に従軍した忠市と金蔵は二人の祖父に当たるが、人民新聞の記者・禿徳秋水(幸徳秋水のもじり。ハゲバラの祖父)に戦線離脱・敵前逃亡を唆され、現地の中国娘・魔花(緑魔子が演ずる)に手助けしてもらうものの、銃殺刑となる。明治六年、徴兵令発布の年、忠助と金二郎と禿造は各人の曽祖父に当たり、徴兵を拒否して裏山に立てこもる。もと庄屋で戸長、つまり村の徴兵の責任者の娘・吹雪は魔子そっくりである。吹雪がとっさに夫だと偽証した禿造以外の二人は田原坂で戦死したという。ほぼ三十余年ごとに、四世代にわたって、因果の糸に操られ、同じ役者が別の人物を演ずる。まるで『藪原検校』等で見られる井上ひさしの初期の芝居のようである。

 忠太郎の先祖も金太の先祖も徴兵拒否・戦線離脱・敵前逃亡の臆病もの、母親おたけ(高橋とよ)の言葉を借りれば、「国賊の血筋だった」のであり、ハゲバラの祖先はアジテーターの血統だったのである。

  『日本ゲリラ時代』の他の重要な登場人物はフーテンたちである。目前の問題はこうである。金太は、育ての親の爺さんと清国に渡って清国の国籍を取得したものの、幼馴染の雪子に会いたい一心で清国の徴兵を逃れて日本に密入国した。その彼が雪子(正司花江)に忘れられ祖国日本に絶望したところで、官憲により拉致され清国に強制送還されようとしているのだ。

 ベ平連がベトナム戦争から離脱する米軍の脱走兵を援助したように、主人公は金太を官憲の手から奪還しようというのだが、ゲリラ戦を主張するハゲバラの呼びかけには、フーテンたちはまったく耳を貸そうとしない。けれども、にわかフーテンとなった魔子の提案、汽車を止めるために線路上に寝て愛し合おうという行動計画には賛同する。ただし、実行直前になると、近所の薬店でのドラッグ(ハイミナール)の購入に走ってしまう。

 フーテンたちは、ゴーゴーを踊り、無責任で、フリーセックスに明け暮れる無為徒食の群衆である。フーテン娘のひとり、ジュリー(真理アンヌ)は脚本に"淫蕩な白豚"といった感じと表現され、魔子にフーテンは理解できないわよ、「フリーセックスできる? 誰とでも寝ることよ。自由を求める人間なら誰でもできるはずだ」と、挑戦的な言葉を投げつけ、忠太郎を誘惑する女性である。さらに、フーテン共和国に闖入した忠太郎の兄貴分の黒木(南道郎)を誘惑し、ハゲバラが性的不能者であることを告げ口する、この映画ではジュリーはヒール(悪女役)である。もっとも、《所有》を拒否する彼女の価値観はフーテン本来のものであって、それを悪徳に感じてしまうのは、私たちの価値観が、いわば健全な良識にとらわれているからである。彼女の突出した性道徳についていけないのだ。そして、ついていけないのは主人公、金太も忠太郎も魔子もハゲバラも同じであった。

 兵士を骨抜きにすることで清国の軍艦を乗っ取り、南の無人島へ設立したフーテン共和国で、魔子はバージンを保ち、フリーセックスを実践していなかった。黒木に強姦されそうになり、忠太郎に救出されて、魔子は自分が真に解放されていないと考え、思い切ってハゲバラに向かい、フリーセックスを宣言する。居合わせた金太が魔子に求愛すると、魔子は金太をも受け入れる準備ができたと言う。けれども、金太は突然外へ飛び出し、魔子がフリーになるのはイヤだと叫んで、海へ突き進んでいく。

 東京へ戻ってやくざの抗争に参加するつもりで星を見ていた忠太郎はあわてて金太を止める。金太から魔子がフリー宣言をしたと聞いた忠太郎は、魔子が本当は自分を愛していたと錯覚する。忠太郎の解釈では、喧嘩に行く自分に未練を残させてはいけないと、金太を最初の男に選んだというのだ。鈴木清順監督『東京流れ者』(一九六六)の不死鳥の哲の名言「流れ者に女はいらねぇんだ。女と一緒じゃ歩けないんだ」という、忠太郎はやくざ映画のステレオタイプな男女観から逃れることはできないのだった。ちなみに渡哲也主演の『東京流れ者』や舛田利雄監督『紅の流れ星』(一九六七)は、やくざ映画の傑作パロディである。

 その頃、魔子に求愛されたハゲバラも困惑していた。女に愛されていると錯覚する二人の男と、真に愛される一人の男という関係は、明治六年時の忠助・金二郎・禿造・吹雪と同じ構図である。結果的に徴兵を逃れた禿造が罪の意識から「男として役立たずになった」ように、ハゲバラは性的不能者だったからである。ハゲバラは目を閉じて、なぜか魔子の首を絞めて殺してしまう。そして、夜の間に入江から、魔子の死体を筏に乗せ、花で飾って沖へ押し出す。

 翌日になると、島に巡査(西村晃)がやって来る。ハゲバラが自首するかのように出した手に、巡査は名前を確認した後、自衛隊に入隊して一ケ年の特別訓練を受けよという徴兵令状を渡す。緊急に特別法が制定されたのだ。巡査はフーテンの青年たちにも徴兵令状を配るが、誰も関心を示さない。一方、清国に帰国して徴兵に応じてベトナムに行ったら本当のゲリラになると言う金太と、やくざに戻る忠太郎はそれぞれ別の舟に乗り、島を去っていく。海のまんなかで浮かぶ筏が揺れて、魔子の姿が美しい。


      『日本ゲリラ時代』のキイワード

 脚本だけで映画を論じることには限界がある。森崎映画の活気は特別だからなおさらである。
 たとえば、『黒木太郎の愛と冒険』(一九七七)のオープニング。横浜映画専門学院の若者三人が自己紹介した後で、主人公である黒木太郎(田中邦衛)の仕事、つまりスタント・マンの仕事が紹介される。急旋回する自動車、ハンドルをきるスタントマン、車が板製の坂を駆け上って転覆する。スローモーションでひっくり返り底を見せる車。そこにタイトルが切れ切れに挿入される。「黒木」「太郎の」「愛と」「冒険」。転覆した車の中から田中邦衛がはい出してくる。佐藤勝の軽快な音楽が始まって、タイトルバックに首都高速を爆走するジープが遠景で把えられる。素晴らしいアクション感覚であり、ダイナミックな編集であるが、これを脚本で表すことは出来ない。[註14]
 あるいは、『喜劇・女売り出します』(一九七二)の息をのむ名場面。浮子(うわこ;夏純子)の父親、前科十七犯のスリの親方・銀作(西村晃)が新宿芸能社を訪ねてくる。親方の一挙手一投足、煙管の灰を落す仕草さえ決まっている。一語一語に前科者の迫力がある。そこへ火事場から脱出し背中の焦げた上着を着たままの浮子がやって来る。浮子は勢いで戸に肩をぶつけるが構わない。浮子は父親に、「ここは父さんと母さんの家です」、どうか帰って下さいと訴え、自分が貯めた貯金通帳を渡す。父親はその通帳を懐におさめると、「(やくざは)裏から帰りやす」と礼をした後、坐ったまま体を回して後ろを向く。ギクっとして少し体を引く小料理屋の村江(久里千春)と踊り子たち(瞳麗子、中川加奈、秋本ルミ)。親方はひとこと、「おねえさんたちもよろしく」と言う。その後に縁側から外に出た親方が浮子に言う訣別の言葉と、浮子と新家族の再会のクライマックス。このあたりのリズムと演技のつけ方の見事さ。文字で表現できるものではない。
 『女売り出します』の効果音も見事である(調音・小尾幸魚、音楽・山本直純)。武(米倉斉加年)がやくざたちに押さえつけられ、落とし前として指をツメられる場面、そのとき背景では激しいロック音楽が鳴っている。やくざが捨てゼリフを吐いて去ると、武の血だらけの指が画面中央にせり上がってくると急に背景の音楽が変わる。ランララの前奏が陽気な「浅草の唄」である。転換の妙と驚くべき異化効果である。[註15

 しかし、『日本ゲリラ時代』は上映されない映画である。製作当時の時代のキイワードを中心にふり返ってみよう。
  『日本ゲリラ時代』には、積極的に一九六七年から六八年当時の新しい風俗が取り込まれていた。

 《フーテン族》 フーテン族は一九六七年の夏から新宿駅中心にたむろし始めた。その格好は、長髪、ジーパン、ゴム草履姿などだった。フーテン族の原形は、アメリカの対抗文化のにない手、ヒッピーである。例えば一九六七年の十月二一日、ベトナム戦争終結動員委員会が呼びかけたワシントンの反戦集会には十万人以上の学生や市民が参加したが、デモ隊には「フラワー・チルドレン」と名乗るヒッピーの一団が加わっていた。ヌードになった娘が完全武装した兵士に近寄って「軍服を脱ぎ捨てて帰宅しよう」と呼びかけたり、着剣したライフルの銃口に花をさしながら、「愛」を語りかけたりするという破天荒な行為に出て、話題になった。[註16
 一九六八年の夏、風俗化したフーテンは新宿で三百人にも及んだ。淀橋警察署は家族と完全に縁を切っている「本格派フーテン」と、会社や学校の帰りになんとなく新宿に寄り気がすむと家に帰る「通勤フーテン」、マスコミ情報で憧れて地方出身者が観光に来た「観光フーテン」を区別していた。一九六八年六月ニ九日には新宿花園神社でフーテン大集会が開かれ、ニ、三十人が集まったが、何事も起らず、「平凡パンチ」で、ブームも退潮の兆しと報じられた[註17]。『日本ゲリラ時代』は、これらフーテンたちが日本社会にくさびを打ち込む幻像を描いた。森崎は『男はつらいよ・フーテンの寅』(一九七〇)を監督するが、車寅次郎のフーテンはテキヤ稼業の無宿者のことで、ヒッピーのフーテンとはまったく異なる。

 《ゴーゴー喫茶》 フーテンが踊る舞台となるゴーゴー喫茶は、一九六七年十一月に新宿に二軒が開店した。警視庁の分類ではキャバレーとされるため、当初は少年キャバレーと呼ばれたが、あっという間に流行が広がっていった。警視庁はこの年にシンナー遊びの取り締まり強化を始めた。翌六八年の五月にはゴーゴー喫茶で知り合った少年少女の連続窃盗グループが補導され、ゴーゴー喫茶は非行の巣として問題化した。[註18]『野良猫ロック』など日活ニューアクションの舞台としても描かれていく。

 《ゲリラ》 既成の軍隊に対し、予想外の戦術や奇襲攻撃をゲリラ戦と呼び、一九六七年に戦死したゲバラには『ゲリラ戦争』の著作があった。ベトナム戦争時のベトコンの闘争もゲリラ戦として、ゲバラに高く評価された。転じて既成の文化や正統に対抗する異端派がゲリラと呼ばれた。演劇では肉体の復権を表現するアングラ演劇が起り、寺山修司の天井桟敷の結成が一九六七年一月、唐十郎の状況劇場の紅テントが新宿花園劇場に『腰巻お仙』で進出したのが一九六七年八月だった。『日本ゲリラ時代』でハゲバラを演じている草野大悟も当時ニ七歳、一九六七年六月に六月劇場(文学座附属演劇研究所の第一期生で、岸田森や悠木千帆と一緒に結成した劇団)で、長田弘作・津野海太郎演出の『魂へキックオフ』を旗揚げ公演していた。津野海太郎は、ブレヒトの『夜うつ太鼓』を公演する際に、主役が「戦争と暴動で荒廃した街をさまよう極度に繊細な神経をもった無頼の復員兵士」となれば、草野大悟しかいないと思ったと書いている[註19]。この印象はハゲバラ役にも当てはまる。
  さらに、野坂昭如が小説『ゲリラの群れ』を週刊誌「平凡パンチ」に連載したのが一九六七年七月十日号より一九六八年三月四日号までだった。釜ケ崎の詐欺師たちが寺を乗っ取り、新興宗教をでっち上げ、兵庫県独立運動を展開する。森崎はこの野坂の小説も読んでいたのではないだろうか。千野皓司脚本・監督『極道ペテン師』(一九六九)として、フランキー堺主演で日活で映画化されているが、原作の猥雑さのない凡庸な仕上がりになっていた。野坂昭如原作の映画化としては大映作品、勝新太郎主演・三隅研次監督『とむらい師たち』(一九六八)の方が野坂の精神を生かしてずっと破天荒である[註20]。
 森崎の『高校さすらい派』(一九七〇)では、廃船に立てこもった勉(森田健作)が、ガリ版で「ゲリラ新聞」を印刷し、勇介(山本紀彦)と和子(武原英子)とともにゲリラ隊を宣言する。[註21

 《学生叛乱》 昭和ニニ年生まれの長田研一は一九六七年の五月、北海道大学から東京工業大学に転じた政治学者・永井陽之助教授が慶応大学に講師として初講義に来た日を回想する。講義ノート無しに黒板に書かれた難解な政治学用語と英語の機構図に学生たちは酔った。それから一年にわたる講義は全学学生大会の予行演習さながらであったという。「明治維新は君たちの手でやらなければならないのであります」と静かなアジテーション。大教室は地鳴りのようなどよめきに包まれた。しかし、「私たちは、翌年、日大、東大そして母校の慶大など全国の学園で、空前の規模の大学闘争がまきおころうなど、想像だにしていなかった。・・・前夜の風景は、得体の知れぬざわめきをはらみながらも、その表面は原宿族や新宿フーテン族といった真新しい風俗の包み紙で被われていた」。[註22
 『日本ゲリラ時代』には直接、学生の叛乱の姿は取り込まれてはいない。しかし、明治六年の場面では、徴兵検査に反発して一揆に立ち上がる金二郎や禿造たちが巡羅(警官)を六尺棒(いわゆるゲバ棒と同じである)で、打ちすえて裏山に立てこもる学生叛乱のアナロジー場面がある。この後の作品では、森崎監督作品には学生叛乱のニュース映像はときどき登場し、それらは共感をもって描かれている。高校叛乱を描いた『高校さすらい派』は言うまでも無いが、『喜劇・女売り出します』や『ロケーション』にも見られる。例えば『喜劇・女売り出します』では、新宿芸能社のおかみ・竜子(市原悦子)は、スリに間違われて怒り、世話になっている警察の徳田刑事(花沢徳衛)に警察は金持ちの味方ばかりすると学生が騒ぐのも無理ないよと皮肉を言う。そのときテレビでは音で機動隊と学生が衝突したニュースをやっていることが分かる。また、『ロケーション』のベーやんと紺野は、一九六八年十月二一日、新宿騒乱事件で投石し、機動隊に頭を割られ、二人をかばった奈津子とともに逮捕された仲間であることが、回想で示されている。[註23
 森崎自身には学生運動を「楽しいものだから始めたりして、卒業のときにちょうど六全協」、フルシチョフがスターリンは極悪人だったと言って価値が大転換した経験がある。『高校さすらい派』を「とても俺は現実の高校生を描くことはできない。現実の高校生ははるかに進んでいるはずであって、問題も進化している」と思いながら、わだかまって作った映画であると言い、「学園紛争というのは、自分が映画を作る以上に大問題」だと断言していた。[註24

 《徴兵拒否・非国民》 『大事件だよ全員集合!』(一九七三。脚本は渡邉祐介・田坂啓・森崎東)では加藤茶が自衛隊からの脱走者で部隊長・玉川良一から追われるという基本設定が見られる。また、徴兵制度に対する批判は『藍より青く』(一九七三)の中心主題である[註25]。
 森崎が主脚本の山田洋次監督『喜劇・一発大必勝』では長屋の兵隊帰りの連中が、いまだに隊長だの兵曹長だのと階級名で呼び合っているが、暴力的な御大(ハナ肇)にじゅうぶんな抵抗もできない相手を口々に罵るところがある。「塹壕ン中でビクビク震えちょった卑怯もん」とか、「海軍は始めから戦争する気なんか無かった。腰ぬけども!」などと言いたい放題である。
  『黒木太郎の愛と冒険』の銃一(伊藤祐一)の父親で軍服姿の豊太郎(三國連太郎)は、ガダルカナル戦での生き残りで、部下を玉砕させた自責の念からアル中になっている。ある日、部下の墓前で腹に刀を突き立てて自殺する。豊太郎は一冊の本『遺書』を遺していた。『遺書』は森崎東の実兄・森崎湊の書いた日記をまとめたもので、敗戦の翌日に割腹した青年・湊の戦争への思いがつまっている。青年を自刃に駆り立てたのは、戦死した者の犠牲の上に私利をむさぼっている世間に対する憤りだった。『黒木太郎の愛と冒険』は、森崎湊が呪詛の言葉を投げつけた世間がいまだに続いているという認識を語る作品だったのだ。

 《性的疎外》 本来のフーテンの必ずしも精神的な交流の無いフリーセックスには、『日本ゲリラ時代』の主人公たちがついていけなかったように、森崎自身も距離を置いているようである。
 性に関する認識は森崎の監督第一作『喜劇・女は度胸』に展開されている。女工・愛子(倍賞美津子)は、恋人をコールガールと疑っている工員・学(河原崎健三)に聞かれて、「婚前性交をどう思うかってこと? そんなことにこだわるのはおかしいわ。大事なのは体の純潔よりも心の純潔だもんね」と答えているし、愛子の友達で副業のコールガールに励む笑子(沖山秀子)は「コールガールだってれっきとした人間だよ」と主張し、子持ちの自分と結婚してくれるという勉吉(渥美清)に惚れ直す。つまり、セックスは人間関係を築くうえで不可欠であり、絆の基本であると考えるのだ。
 したがって、性的疎外は解消されるべきである。たとえば、『喜劇・女は度胸』のつね(清川虹子)は亭主・泰三(花沢徳衛)が出征中に忠三郎との間に設けた子供・勉吉を三十年間、黙って育ててきた。亭主は飲む・打つ・買うの毎日で女房に苦労をかけてきたが、ここ十年間は女房を抱いてもいない。家族全員をまきこんでの大騒動の後、つねは亭主に叛旗を翻し、疎外された状況から脱出する。息子たちが家を出て旅立ち始めたのに呼応して、自分も隷属的な人間関係を清算する決意を固める。つまり、精神的に彼女も「家を出る」のである。画面には描かれないが多分、この夜、泰三は十年ぶりにツネを抱いたはずである。映画の最後は、つねが洗濯した男たちのパンツ三枚が干されて旗のように翻る壮快な場面である。

 《聖三角形》 魔子とハゲバラ、忠太郎、金太、ひとりの女を三人の男が愛する。最後に女の死と別れが来る。ロベール・アンリコ監督の『冒険者たち』(日本公開は一九六七)では、ひとりの女をふたりの友人が愛し、女の死が男の友情をきわ立たせる。このような映画を映画ファンは《聖三角形》の映画と呼んで愛した[註26]。ジョージ・ロイ・ヒル監督『明日に向って撃て!』(日本公開は一九七〇)も代表的な《聖三角形》の映画である。アメリカン・ニューシネマには主人公が挫折して、死んでしまう作品が多かった。弱弱しいけれども、夢を見つづけるヒーローと、そんな男を癒してくれる心やさしい女。[註27
 森崎映画には、『高校さすらい派』の和子・勇介・勉や、『ロケーション』の奈津子・ベーやん・紺野など、聖三角形の映画がある。男がひとり多いけれども、『日本ゲリラ時代』も、聖三角形の映画の記憶に連なる作品である。


     一九六八年の挽歌

 未見の『日本ゲリラ時代』を検討して来た結果、この映画はタイトルから想像されるような景気のいい作品ではなく、私には期せずして一九六八年という時代の挽歌になってしまったのではないかという思いがしてきた。

 藤田真男は七〇年代のアメリカン・ニュー・シネマをふり返り、「ニュー・シネマに対する毀誉褒貶は実に盛大かつ雑多なものであり、これほど映画について誰もが大マジメになりムキになり真剣になって語った時代もあまりない」、『ラスト・ショー』(一九七一)の安っぽいシニシズム、「このあたりからニュー・シネマは大人になった。それもつまらない大人に。或いは逆に、多くのアメリカ映画はニュー・シネマ以上に稚拙な子供になった。"船がひっくり返る話"や"ビルが燃える話"のどこに一体、アメリカ映画の偉大な特質がみとめられるだろうか」と総括していた[註28]。

  アメリカン・ニュー・シネマの『モンテ・ウォルシュ』(一九七〇)が西部に対する挽歌であり、ヒロインのジャンヌ・モローがいわば映画の神に捧げられた生贄だったように、『日本ゲリラ時代』は新宿騒乱の時代一九六八年に対する挽歌であり、ヒロインの魔子はその生贄という印象である。

  『日本ゲリラ時代』を先行とする、劣等人間たちの連帯を描くことを標榜した大マジメな森崎映画の時代錯誤を、私たちは見直す時期なのかもしれない。

 だとすると、『日本ゲリラ時代』にふさわしい主題歌は、『モンテ・ウォルシュ』でママ・キャスが子守唄のように歌っていた「きっと良い時代が来る The Good Times Are Commin' 」だろう。

  【註と参考文献】
 [註1]藤田真男「爆発せよ映画監督大和屋竺」(キネマ旬報一九七一年七月上旬号)より、
 "『処女ゲバゲバ』はフレイザーの民族誌『金枝篇』にヒントを得ている。
  「暴力装置にからめとられた底辺が権力の頂点に行きあうと、恐怖が起る。タブーにまつわる神話のたぐい、例えば撲殺される神には、権力の構造の幻想性に関する面白い叡智がある。我々はこれを映画的に受けつぐ。いま、神は全能を誇示しようとして、敢えて撲殺の道具、金枝・バットに、横腹をこすりつけていると思われる。」
 右の文は『処女ゲバゲバ』の製作意図であるが、これは大和屋竺のライト・モチーフといえるかもしれないと思い、長く引用した。しかし、これが世間からはピンク映画と呼ばれ、大和屋がヤクザ映画だと言う作品の正体かと思うと、何とも痛快な気分である。『犯す』は、大和屋も高く評価している沢田幸弘の『反逆のメロディー』を、鈴木清順が撮ったといえるような傑作で、『処女ゲバゲバ』の原型とも言うべき作品である。"

 [註2] 『生まれかわった為五郎』は、野村芳太郎監督・萩本欽一主演の『初笑いびっくり武士道』と同時上映、『女生きてます・盛り場渡り鳥』は、瀬川昌治監督・フランキー堺主演『喜劇・快感旅行』と同時上映された。
  『街の灯』を札幌松竹館で封切り初日の午後の回に見に行った私は唖然とした。客が四人しかいないのだ。大都市・札幌で、初日である。普通は結構客がいるはずなのだ。テレビで見られる堺正章をわざわざ映画館まで見に来る人はいないのだ。それにしても少ない。少なすぎた。見ているうちにアベックは帰ってしまい、結局、大学生の私と背広を着た会社員だけになってしまった。そして、一週間後、上映は打ち切られてしまったのだ。あまりの不入りに、映画館も業を煮やしたのだろう。同時上映は広瀬襄監督、井上順・松坂慶子主演の『ムツゴロウの結婚記』。
  『喜劇・特出しヒモ天国』の同時上映は、山下耕作監督の『日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』だった。
 公開当時のそれぞれの作品評価を見よう。
  『高校さすらい派』を高く評価した白井佳夫は、"まさにヴィヴィッドに、若々しく、生きている日本映画であった"(キネマ旬報一九七一年一月上旬五三九号)。
 『生まれかわった為五郎』に関して、白井佳夫は、"作品全体から、宙に浮いた「インテリさんの抽象性や、観念性にのっとった説明口調や、解説的なポーズを追放すること」である。"(キネマ旬報一九七二年二月下旬五七二号)。寺脇研は、"作品世界が、監督自身のものとして完全に出来上がってしまっている"(キネマ旬報三月下旬五七四号)。
  『女生きてます・盛り場渡り鳥』に関して、白井佳夫は、"庶民像が教条的に観念化されて出てきてしまって、何だかソビエト映画でも見てるような気がしてきましたよ。・・・スターリン時代の教条主義的民衆映画ってやつですよ。わざとブオトコとシコメを出して。これこそ庶民だ、みたいなね"(『監督の椅子』話の特集。一九八一年)。
  『街の灯』に関して、進藤七生は、"森崎東の作風は私の愛着おく能わざるところだが、今回ばかりは往生した。・・・作品のねらいが定まっていない"(キネマ旬報一九七四年六月下旬六三四号)、池田博明は、"軽さを増し平明な語り口にのせた珍道中に、これまでの森崎映画のイメージがだぶってくる"(同号)。
  『喜劇・特出しヒモ天国』に関して、浅野潜は、"森崎東の、いわゆる"喜劇"の魅力は、力投派の投手を見ているのとどこか似ている。悲愴なまでのスタミナの費消から、にじみ出てくる不思議な吸引力だった。・・(中略)・・だが、そうした良い意味での気負いが姿を隠してしまっている"(キネマ旬報一九七五年七月上旬六六一号)。
 森崎映画(監督、または主脚本)のキネマ旬報ベストテンでの評価は、『なつかしい風来坊』(十三位)、『愛の讃歌』(二三位)、『吹けば飛ぶよな男だが』(十位)、『日本ゲリラ時代』(0点)、『いい湯だな全員集合』(0点)、『男はつらいよ』(六位)、『喜劇・女は度胸』(十五位)、『喜劇・一発大必勝』(三八位)、『高校さすらい派』(二八位)、『喜劇・男は愛嬌』(三二位)、『喜劇・女生きてます』(十五位)、『喜劇・女は男のふるさとヨ』(二三位)、『喜劇・女売り出します』(十五位)、『生まれかわった為五郎』(0点)、『女生きてます・盛り場渡り鳥』(二五位)、『藍より青く』(二七位)、『野良犬』(四一位)、『街の灯』(三八位)、『メス』(0点)、『喜劇・特出しヒモ天国』(四二位)、『黒木太郎の愛と冒険』(十一位)、『ダンプ渡り鳥』(0点)、『時代屋の女房』(二二位)、『ロケーション』(十九位)、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(七位)、『塀の中の懲りない面々』(十八位)、『女咲かせます』(二四位)、『夢見通りの人々』(三十位)、『釣りバカ日誌スペシャル』(十六位)、『美味しんぼ』(五八位)、『ソクラテス(極道ソクラテス)』(0点)、『ラブ・レター』(二三位)、『白い犬とワルツを』(八一位)、『ニワトリはハダシだ』(八位)。この他にも脚本に協力した作品があるが、それらには1点も入っていない。
 単なる目安であるが、選好委員全体の五パーセント以上の得点を獲得しないと二十位以内には入らない。

 [註3] カール・フレンチ&フィリップ・フレンチ『カルト映画』(ビルボード・ブックス、一九九九年、洋書)。

 [註4] 山田洋次監督六本、渡邉祐介監督四本、土井通芳監督三本、市村泰一監督二本、水川淳三監督二本、野村芳太郎監督一本、松野宏軌監督一本。山田洋次監督作、渡邉祐介監督作については本稿で触れている。
 その他に森崎が脚本の筆頭者になっている作品は、土居『そっくり大逆転』(一九六六年。脚本は森崎と、後にミステリー作家となった小林久三)、水川『惚れた強み』(一九六八年。脚本は森崎と『喜劇・男は愛嬌』等森崎作品の共同脚本が多い助監督の梶浦政男)、市村『猛烈社員・すりゴマ忍法』(一九六九年。脚本は森崎と、森崎監督より一年前に『昭和元禄ハレンチ節』で監督になった長谷部利朗)。

 [註5] 森崎東「山田洋次というおのこ」『世界の映画作家14』(キネマ旬報社、一九七二年)より、
 森崎"洋ちゃんの作品で何となく僕自身のものが入っていると思われるものは、『吹けば飛ぶよな男だが』。これは最終的には、僕がほとんど書いて、ほとんど直しが入っていないという形。ですから、厳密にいえば、これ一本じゃないかと思うんですよ。あとの共作は、やっぱり彼の世界であって、僕はアシストしたという感じですね。(註;この後、『吹けば』に関する具体的な証言がある)"。 山田洋次「森崎東君のこと」『アートシアター』(一九七七年一ニ七号)より、"私の『吹けば飛ぶよな男だが』は、きわめて彼の匂いの強い脚本であったが、彼の力がなければ、あの作品はできなかったと、今でも思っている。それから、二人で『男はつらいよ』をやるようになったのだが、"寅さん"という人間を作りあげることでも、とても彼の力を借り、第四作あたりまで、ずっと二人で脚本を書いた。 もっとも、『男はつらいよ』は、初めテレビでやる時から彼と一緒にやって来ていたので、二人で作って来た作品と、いうふうに思っている。"

 [註6] 森崎東・山田洋次『男はつらいよ』シナリオ(シナリオ一九六九年十ニ月号)は完成作品とはやや異なったシナリオ。
 完成作品から収録し直したシナリオは、例えば『男はつらいよ1』(一九七三年、立風書房)。 山田宏一「森崎喜劇党宣言」『にっぽんの喜劇えいが・森崎東篇』(野原藍編、映画書房、一九八四年)より、 "寅さん"の第一作(一九六九)はもちろん山田洋次監督作品だが、冒頭、セピアの画面に桜が散っていて、そこに「桜が散っております」という寅さん=渥美清のナレーションが聞えてきたとたんに、私はまさかこれが、シリーズになるとはゆめにも思わず、ああ、寅さんは、この桜の花に埋もれて死ぬにちがいないと感じた。(そして、そのまま原稿に書いてしまったのだ)そのことを、プロデューサーの高島幸夫氏がこんなふうに解説してくれたのである。 「あれはね、森崎東(とう)の感覚だよ。森崎東そのものだよ。
 森崎東「山田洋次というおのこ」『世界の映画作家』より森崎の証言、 "テレビも、僕二本でしたか、『男はつらいよ』を書きましたからね。だから、映画の中で洋ちゃんが作ったものに、何かを付加しているとすれば、前田吟のやった役ですね。あの親子。テレビには出て来ない。"
 森崎東「映画はもうほとんど世界である」(野原編『森崎東篇』)より、 森崎"『男はつらいよ』のときに、「早い話が、俺がイモ食や、お前のケツから屁が出るかい」って言わせたんですよね。"
 森崎は何かで、「結構毛だらけ、猫灰だらけ」の後に続く「お尻のまわりは糞だらけ」は自分が付け加えたものと話していた。 見合いの席で、寅次郎が櫻という漢字を「二カイの女がキにかかる」と解くセリフがあるが、これが受けた寅はさらに「戸に水と書いて尿、つまり小便だ。しかばねに米と書いてフン、つまりこれは糞ですよね、あっしが変だなと思うのはね、戸にヒを二つ書いてこれがなんと屁なんだ。どうしてヘがヒか。つまり、おならはピーって洒落かと思って」とまくし立てる。これも森崎さん発案のセリフだろうか。
 シナリオ誌の脚本にはこの汚いセリフは無いのである。

 [註7]渡邉祐介監督の松竹の『全員集合!』シリーズは一九六八年の『なにはなくとも全員集合!』から一九七四年の『超能力だよ全員集合!』まで十三作がある。
 渡邉監督のドリフターズ最終作品は『ザ・ドリフターズ極楽はどこだ!』(一九七四)。
 『大事件だよ全員集合!』(一九七三)には森崎は渡邉祐介・田坂啓に次ぐ三番目の共同脚本者。
 第十作『正義だ!味方だ!全員集合!』(一九七五)は瀬川昌治監督。

 [註8] 高沢瑛一「ドリフターズと組織の論理」(映画芸術一九七〇年十一月号)は当時の最新第五作『ズンドコズンドコ全員集合!』(脚本は田坂啓と渡邉祐介)を特に傑作と評価し、シリーズは"喜劇としての本質をつき、より政治的である。・・(中略)・・共同の敵と対峙しつつも、ドリフの面々は内ゲバの抗争を深めていく。そして、集合=解散のくり返しが行われていくわけだ。"。高沢はシリーズ中、『やればやれるぜ』『ミヨちゃんのためなら』『ズンドコズンドコ』を傑作と評価する(『日本映画作品全集』キネマ旬報一九七三年六一九号)が、私見では『いい湯だな』と『ズンドコズンドコ』が優れている。

 [註9] 森崎東「山田洋次というおのこ」『世界の映画作家』より、
 森崎"今でもいわれますよ。あの映画にはまいったと。二度と、ああいうのを作ったら僕はポシャるのではないですかね。何でもいいから封切りに間に合わせてくれという事態が起きるんです。いいから書けと。こっちはどうせ監督の責任になりますからどうでもいいんだとワッと書いちゃったわけです。とにかく撮らざるを得ない。今は管理が厳しくなってますからあんな事態は起きっこないと思いますが、非常に悪評が高かった。(笑)"
 キネマ旬報編集部"異常に好きという人もいますよ。(笑)"
 森崎 "明らかに、僕は学生の観客を意識して書いたんです。ですから、全然洋ちゃんとの作品の観客イメージみたいなものと、全く違えて書いたんです。だから、洋ちゃんもびっくりしてましたが。山田作品の中で、僕自身が出ないというんですか、何といっても、洋ちゃんの世界ですから。そういうのが、ワッと出たのかもしれませんね。"
 『日本ゲリラ時代』の同時上映は市村泰一・長谷部利朗監督のお笑い芸人総出演の『昭和元禄ハレンチ節』だった。この当時の松竹直営館は、二本立て二週間変わりだったが、次の番組は少し早く八月十四日から佐藤肇監督の異色SF『吸血鬼ゴケミドロ』と深作欣二監督・丸山明宏主演の『黒蜥蜴』が上映された。
 なお、松竹大船では二月十四日に市村泰一監督『温泉ゲリラ・大笑撃』を公開しており、ゲリラという言葉に対して会社側の特別な抵抗は無かったと思われる。

 [註10] 渡辺祐介監督の「ドリフターズと私の場合」(映画芸術一九七一年ニ月号)によれば、一九七〇年十ニ月三十日に公開された『誰かさんと誰かさんが全員集合!』が、その一ヶ月前の十一月ニ五日(三島由紀夫割腹事件の日)に水戸ロケ四日目、公開二週間前の十ニ月十ニ日にいよいよ追い込みに入ると記録されている。

 [註11] 森崎東『日本ゲリラ時代』シナリオ(映画芸術一九六八年十月号)

 [註12]森崎東「山田洋次というおのこ」『世界の映画作家』より、
 森崎"観客のイメージというやつが、多分、僕と山田洋次とは非常に近いのじゃないかと思いますね。だから、誰に見せるのかみたいな、理論的に考えるわけじゃないけど、例えばあいつなんかに見せて、批評を聞きたいなと思うのは、僕の知っている中では小学校しか出ていなくて、いま経営者になっていて、一家言を持っているような人がいますね。そういう人たちの批評を聞きたいみたいな。そこいら似通っている部分で。だけど、そういう人たちにはわからなくてもいいんだと。新宿で、若者に見てもらいたいというふうに考える場合と、それは作る側の中でも分裂しちゃうんですね。だから、『日本ゲリラ時代』の場合は、あきらかにそういうふうに考えて、他の一連の作品というのは、やっぱり、したたかな庶民の中で映画なんていうのは、うそよ、といっている人間に、いやいや、映画というのもうそばかりとはいえんぞ、というふうに作りたいと。彼らの心情に密着しながら作っていきたいということが洋ちゃんと非常に重なり合っている部分で、そこのところを離れてはいけないのじゃないかという気が、僕の心の中にある。"

 [註13] 四方田犬彦『日本映画史100年』(集英社新書、二〇〇〇年)より、"山田が庶民をユートピア的に讃美するのと対照的に、森崎は彼らが日常生活を通して隠蔽している怒りに焦点を当てた。彼は『喜劇・女は度胸』(一九六九)以来、ときにブラックユーモアとも思える喜劇を発表した。
 森崎にあって山田に欠落しているのは、家族や民族といった観念が歴史的に形成されたものにすぎないという危機意識である。森崎はやがて松竹を追放され、のちに『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(一九八五)で、急速に多民族化してゆくスラム街を舞台に、アナーキズム感覚の溢れる喜劇を実現させた。"
 もっとも、私見では、山田洋次が「庶民をユートピア的に讃美する」ように見えるのはフェイク=みせかけであり、
 山田洋次の視点は庶民ユートピアを信じるほど素朴ではない。山田洋次脚本・監督作品『ハナ肇の馬鹿が戦車でやってくる』(一九六四)という傑作には、一日じゅう茶をすすりながら噂話に明け暮れ、自分たちも貧乏人でありながら、村一番貧乏な"汚れの一家"を差別し、お互いに責任を押し付け合っている「どんだくれ(怠けもの)」の村民たちが描かれている。田舎の風景はのどかで美しいユートピア的なものだが、そこに暮らす村民たちときたら、強者におもねり弱者を軽蔑する、因習にとらわれた手前勝手な人間たちである。
 山田洋次はマドンナ役(岩下志麻)以外の誰にも決してカメラを近づけずに、客観的な視点で喜劇を目撃して見せる。その距離のとり方は見事であり、結果として作品は寓話的な性格を帯びる。安部公房や大江健三郎が面白がったという評価(DVD収録の特典『自作を語る』より山田の証言)がよく分かる。

 [註14] 森崎東『黒木太郎の愛と冒険』オリジナル・シナリオ(アートシアター一ニ七号、一九七七年)、

  [註15] 掛札昌裕・森崎東『喜劇・女売り出します』シナリオ(シナリオ一九七二年三月号)。私は『喜劇・女売り出します』を札幌駅地下の一本立ての名画座で一日五回上映したときに十回以上見た。間然するところのない森崎映画のベスト・ワンだと思っている。

 [註16] 高橋徹編「未完の革命」『アメリカの革命』(平凡社、一九七四年)

 [註17] 下川耿史編『性風俗史年表』(河出書房新社、ニ〇〇七年)

 [註18] 桜井哲夫『ことばを失った若者たち』(講談社現代新書、一九八五年)

 [註19] 津野海太郎『おかしな時代』(本の雑誌社、ニ〇〇八年)

 [註20] 野坂昭如『ゲリラの群れ』(一九六八年、光文社)、村木良雄・千野皓司『ゲリラの群れ』シナリオ(シナリオ一九六九年九月号)、『極道ペテン師』レンタル用ビデオ
 [註21] 森崎東・熊谷勲『高校さすらい派』シナリオ(映画芸術一九七一年ニ月号)
 [註22] 長田研一「たたかいの日々」『昭和ニ十ニ年生まれ』(河出書房新社、一九七八年)
   [註23] 近藤昭二・森崎東『ロケーション』シナリオ(シナリオ一九八四年十一月号)
 [註24] 森崎東・白井佳夫対談「劣等人間たちの連帯を描くことがおれのテーマだ!」(キネマ旬報一九七一年六月上旬号五五ニ号)
 [註25] 森崎東・熊谷勲『藍より青く』シナリオ(シナリオ一九七三年三月号)
 [註26] 川本三郎「聖三角形の夢」『冒険者たち』LDの映画評より、
 "一人の女性を中心にして二人の男がいる。当時、私たちはこれを"聖三角形"と呼んでいた。そこには、大人の関係でありがちな生臭い嫉妬や心のもつれが入り込む余地がない。(中略)『冒険者たち』の三人の関係は、現実の愛を越えた夢のようなものだった。三人はときには恋人同士に見えたり、原っぱで遊んでいる仲の良い子どもたちに見えたり・・・観ていて羨ましくなるような彼らだけの世界を作り上げていた。"

 [註27] 藤田真男「ニュー・シネマの悪童たちが好きだ」『ニューミュージックマガジン年鑑78』(一九七八年四月増刊号)より、"何といっても、ニューシネマのいいところは、およそ建設的ではなかったことだ。といっても、破壊的でもなかった。そんな力もなかった。そのくせ、夢見る心は人一倍強かった"。

 [註28]註27と同じ文献。