新森崎組がみなぎる若さで明すオトッツァンの仕事と生活

対談者................ 下村優  浜田 毅  太田聖規
元波昭平   河原さぶ
出典................ にっぽんの喜劇えいが 森崎東篇
編者................ 野原藍
発行................ 映画書房
発行年................ 1984年10月9日
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イラスト................ 森崎東


座談会 出席者

下村優 1948年東京向島生まれ。お茶ノ水美術学院卒業。70年〜71年近代映画協会、72年〜80年東京映画、コマプロ、向井プロ、三船プロで助監督として数多くの作品につく。
84年、映画『黄色い鼠』で監督デビューの予定。森崎作品の助監督歴 『江戸の鷹・御用部屋犯科帳/黒い沼の悪を斬る』『同/お鷹組誕生』、『俺が愛した謎の女』『蒼き狼』『天使が消えていく』 (以上テレビ作品)、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(監督補)
浜田毅 1951年北海道岩見沢生まれ。明治大学中退後・l97I年大蔵映画にキャメラ助手として入社。後フリーとなり、テレビキャメラ助手として三船プロなどで仕事。82年森崎テレビ作品『妻の失ったもの』でキャメラマンデビユー。84年『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』で映画キャメラマンとしてデピユー。その他のキャメラ担当森崎作品は『妻は何をしたか』『妻は何を感じたか』『赤い妄執』 (いずれもテレビ)
河原さぶ(旧河原裕昌) 1946 年広島県江円島市生まれ。1968 年東映演技研究所卒業。後、劇団雲、円企画を経て現在第二円企画に所属。その間、脇役俳優として森崎映画の約半数に、テレビ作品にはそのほとんどに出演している。森崎映画出演作品『高校さすらい派』『女生きてます・盛り場渡り鳥』『野良犬』『黒木大郎の愛と冒険』『時代屋の女房』『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』『ロケーション』
太田聖規 1955年東京湯島生まれ。77午横浜映画放送専門学院卒業。同年森崎監督の r黒木太郎の愛と冒険』に俳優及び助監督として参加、以後81午までフリーの助監督、後・フリーのアシスタント・プロデューサーとして現在に至る。森崎作品参加歴 『黒木太郎の愛と冒険』(出演と助監督)、『俺が愛した謎の女』『蒼き狼』『妻の失ったもの』(以上三作品テレビ助監督)、『天使が消えていく』(アシスタント・プロデューサー)
元波昭平 1954年東京深川生まれ。77午横浜放送映画専門学院卒業。同年森崎監督の『黒木大郎の愛と冒険』に助監督として参加。以後映画及びテレビのフリーの助監督として現在に至る。森崎作品助監督歴 『黒木大郎の愛と冒険』、『青春の甘き香り』(テレビ)、『帝銀時件』(テレビ)、『時代屋の女房』『赤い妄執』(テレビ)、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』『ロケーション』

   コンテが全部変わつた

■森崎さんとの出会いからお聞きしたいのですが、いちばんお付き合いが古いのは河原さんですね。
■河原 『高校さすらい派』のオーディションだったんですよ。東映をクビになってフラフラしてたころなんです。あるプロダクションに預かりでいたんですが、どういう風にしてぼくの写真が森崎さんの手に入ったのか、呼び出しがありましてね、神楽坂あたりの旅館で面接したのが最初です。二十三か四のころだから、元高校生ですよね。準主役の募集で、それには落ちたんですが、捨てがたいってんで、バイクに乗れるっていったら、暴走族の役で出演することになりまして。
■下村 そのころの森崎東ってのは、どんな風だった?
■河原 こわい人だったですよ。全然しゃべらないでね、一日中「お早うございます」と「お疲れさま」と、いや「お早うございます」もいわなかったかなぁ。
■下村 俺なんか、付き合いだしたの遅かったからよくわかんないけど、太田とかショーヘーなんかと付き合いだしてからとっつぁん(森崎東の愛称)変わってきたみたいね。
■太田 そうらしいね。『だんとつタモリ』(日本放送のラジオ番組『だんとつタモリ!おもしろ大放送』)が大好きなんだもの。
■元波 きっかけの一つとして、松竹をクビになったってことがあったみたいだけど。
■下村 お前らが、とっつぁんと付き合いだしたってのはどの辺からなの。
■太田 ぼくとかショーへーは、横浜放送映画専門学院の第一期生なんだけど、一年の実習のとき、とっつぁんいきなり教室に入ってきてさ、ちょうど禁煙し始めたときだったらしいんだけど、たばこの箱とか、見るのいやだって、チョークの箱まで隠すのね、へんなおっさんだなぁって思ったの覚えてるね。
■元波 だいたいぼくなんか、森崎東なんて知らなかった。あの学校行くまで、今村昌平だって知らなかったんだから。
■下村 何を知って行ったんだよ。
■元波 なにしろ、全然映画青年じゃなかったでしょ。学校紹介のオリエンテーションで初めて『豚と軍艦』見て、面白いなぁって思ってね。それまでは洋画しかそれも『007』シリーズとか、車とか音楽映画しか見てなかったんですよ。
■太田 実習ってのは、生徒が書いたシナリオが三本選ぼれて,一つの作品を五つの班に分かれてやるわけ。ぼくの班は森崎さんが指導監督だったんだけど、同じ作品やってるのに他の今村昌平さんの組とか、井上蛮さんの組とかはみんなすごいのね。三日もかけて衣装合わせやってるとか、やれ、脱ぐとか脱がないとか、しっちゃかめっちゃかやってるのにぼくなんかの班は何もやらないわけ。初日の現場で、いきなりショーへーとぼくに、「お前ら、助監督やれ」って。
■元波 ハリウッドで使ってるようなでかいカチンコ持たされて。
■河原 学校を卒業してからも、森埼さんについてきたってのは、どうしてですか。
■太田 いや、ぼくなんかだまされたんだよ、はっきりっいいって。最近まで、全部だまされたよ。
■浜田 そんなセーキに、俺たちが最後だまされた?(笑)
■太田 ぼくたちが、二年の卒業制作に入るころに、『黒木太郎の愛と冒険』の話があって……。
■元波 もともとは、野呂重雄の『天国遊び』を、森崎さんが企画として持ってたわけ。ぼくら森崎組のゼミで、四班ぐらいに分かれてやってたとき、その『天国遊び』の取材をしてくれないかっていわれて。少女売春と非行少年の話で、どこか一班でいいからってことだったけど、誰も手をあげなかったのね。アイウエオ順で班をつくってたからぼくはケツの方の班で、とくに何かやろうなんて思っていなかったし、監督を誰も手伝おうとしないのみてかわいそうだなって思ったの。
■河原 哀れみの出会いですか。
■元波 一年のときから面白いとっつぁんだなって思ってたし、それで、やりますって鶴見あたりの不良どもを探して調べてたら、同じ学院の伊藤裕一(『黒木太郎の愛と冒険』に主演)が、その不良たちとコンタクトがあって、あいつ自身の話もいろいろあってそれを監督に話したら面白いってんで、伊藤に会わせた。伊藤から話を聞くうちに、森崎さんだんだんそっちに傾倒しちゃって、結局『天国遊び』の原作の部分ってのは、緑魔子さんが犯されておかしくなって、猫狂いになっちゃうあのシークェンスだけ。『黒木太郎の愛と冒険』て原作はべつにあるけど、これとも全然違って、伊藤の話と、森崎さんのお兄さんの話ってのをナイマゼにしてできた。だから脚本作りのときから、伊藤とか、ぼくとかがやってた。ぼくは、なんとなく一番かんでいて、その話に出てくる伊藤の仲間は出られないってんで、セーキと荒木というキャスティング、実は、ぼくが考えたんだ、電車を待ちながらね。
■太田 辻堂駅で決められてんだものなぁ。
■元波 新人から探すの大変だし、どうせなら学院から選びたいと、だからって演劇科の奴らってのはいやらしいのばっかりだし。 「あのー、監督、荒木と太田っての覚えてるでしょ」「おー、覚えてる覚えてる、ほう荒木、郷ひろみのイメージねえ」それで、ヒョイッと会わせて決めちゃった。
■太田 手伝ってくれっていうから、スタッフだと思って行ったら台本見せられて、これだよって。ぼくはそのとき浦岡敬一さんの編集ゼミにいたんだけど、あそこは厳しくてアルバイトしちゃいけないわけ。「かんべんして下さい」っていったんだけど「何いってんですか、やるんですよ」っていきなり、ギャラ五万で。
■河原 あ、ギャラ出たの、俺、ノーギャヤラだったよ。
■浜田 そのとき監督は、もう松竹やめてたの?
■元波 学校にきた時点からやめてたけど正式にクビ斬られたのは、ぼくたちの実習を教えにきてるときですね。
■太田 あの映画、一番最初に城戸さん(当時の松竹会長、城戸四郎)に見せるって、いってたのね。
■元波 それでぼくが運転手で、監督を隣に乗せていろんなとこにロケハンしたんだけど、ちっとも決まらなくて、結局オープンセットを松竹に組んだ。本当は松竹に持ち込みたか
ったのね。監督が、「ザマーミロ、城戸四郎の野郎、コンチクショウ!」っていいって、入ってったの覚えてる。完成したときは、もう城戸さん、亡くなってたんだけど。
■下村 あの映画の試写会の挨拶でも城戸さんに一番見せたかったっていってた。
■太田 下村さんは『江戸の鷹』が出会いなんでしょ。
■下村 俺は三船プロにいて、森崎さんのことは当然知ってたし、映画も何本か見てた。テレビってのは時間に追われて、タッタ、タッタ撮るだけじゃない、たまにはちゃんと撮る人とやりたいな、森崎さんならちゃんと撮るんじゃないかなと思って。
『江戸の鷹』の一本目は松尾昭典さんが演出で、松尾さんでいろいろ決まったわけ。シリーズものだから衣装デザインだとか、ここでこういうセリフをいうとか。二本目がとっつぁんてことになって、電話した。とっつぁんは、前にどこかでテレビやってて、助監督にあーしろ、こーしろって、いろいろ決められたんだって。ムカッときたけど反面、ああ楽でいいなぁと。それで「松尾さんが一本撮ってるんだったら、全部一本目に習って作ります」っていったの。そのとき俺は「べつに、まだちゃんとできてるわけじゃありませんし、そんなこと気にすることないでしょ」っていった記憶あるのよ。そしたら、つい最近近になって聞いたんだけど、おとっつぁんは、それがすごいショックだったんだって。俺におどかされたって…:。
最初の仕事の出会いいってのがロケハンだったのね、千葉の印旛沼に。それで監督とはロケハンしながら打ち合わせすることにして、車に乗って監督の方見たらすぐ寝ちゃうの。打ち合わせできないなあって思いながら走りつづけて、現場に着く前に昼飯になって、ドライブインみたいのに入ったんだけど、すぐトイレに行っちゃった。俺たちは大きなテーブルに席とって、とっつぁんの座る場所にお茶を置いて待った。トイレから出てきたんで、ようし、打ち合わせやろうって思ったら、すーっとそばにある小さな座敷に上がって、ゴロンと寝ちゃった。 (笑)現場に着いて、ロケハン始めたら何かいうかなと思っててたら、何もいわないでただ黙ぁっているだけなんだよ。しょうがないから「ちょっとここじゃできませんね、時代劇だから……」っていったら、「うん」っていっただけで、何もいわないんだよ。
■河原 それは、車の中からほんとに寝てたのかねえ。
■太田 あの人はだいたい寝てるんじゃないかな、最初に会つてからまともに口きくようになるのは、何日もしてからじゃないかと思うけど。でも、それでよく場所決まったね。
■下村 とにかく、何聞いても「うーん」ていうだけなんだよ。「いいですね」「うーん」「だめですね」「うーん」(笑)
それで撮影が始まってからだけどラストで立ち回りがあって、前の日に現場へ行ってコンテ割りたいっていうんだよ。ああ、やっぱり他の人とは違うなぁって思って、現場が三船プロのそばだったからメイン・スタッフ全部連れて行ったたわけよ。三十カットぐらいあったかなぁ、それでコンテ割ったわけ。そのとき、とっつぁんがいうには、「明日はシモちゃんに任せますからいいように撮って下さい。カットいくつって説明してくれればそのように撮ります」。俺まじめに勉強してさ、翌朝七時半か八時にハイエースに乗って走り始めたら、「シモちゃん、昨日のコンテは全部変えます」(笑) 「ああっ」って一瞬あせつたけど、あせりは外へ出すまいと思って、「はい、どうぞ」っていいって、車の中でカット割り。
現場に着いて始めようと思ったらとっつぁん、今度はクソしたいいって(大笑)俺は半分冗談半分本気で、「このへんでいいんじゃないですか、オーイ、誰かスコップ持ってきて」なんていいって、スコップ渡して現場に行ってみんなに説明して戻ってきたら、まだスコップ持って立ってるんだよ。 (笑) 「やっぱりダメだ。どこか借りてくれ」って。
『江戸の鷹』ってのは、三船敏郎が走るシーンがあって、とっつぁん三船さんには直接いわないから俺が行って、「三船さん、そこからキャメラに向かって走って下さい」「おお」「では、テスト、ヨーイ、ハイッ」そうすると、とっつぁん「走ってないなぁ」「そうですね」それでまた三船さんとこ行って「三船さん、ですから、そこからキャメラに向かって走って下さい」「おお、わかってる、走ってる」っていうんです。「じゃ、もう一回テスト、ヨーイ、ハイッ」とっつぁん、また、「走ってないなぁ」また三船さんとこ行って「走って下さい」「走ってる走ってる」本人は走ってるつもりなんだけど、走ってるように見えないんですね。
もうひとつ思い出すのは、津久井湖に行ったときだと思うんだけど、俺、その朝二日酔いで車の中で寝てたのね、それでふっと眼が覚めたら、ちょうど山道の下りにかかっていて、フワーツと気持悪くなって、ドア開けてさ、ブワーッて吐いたの。そしたら隣にいたとつつぁんが、ちょうど朝飯の弁当が出てたんだけど、俺の吐いたのをジロッと見てからめしを食い始めた。(笑)それからしばらくたってから、吐いたの見てめしを食う監督も珍しいっていったら、「このまま食べないと俺も吐いちゃうんじゃないかと。吐いちゃいけないと思って食った」って。
■太田 じゃ、第一印象はあんまり良くなかったんじゃない。
■下村 そうでもなかったねえ。面白かったよ。

     ちゃんと聞く耳

■元波 演出の仕方とか、他の監督と違ってるなって思うことありましたか。
■下村 その年の暮、忘年会やったのよ。プロデューサーの小糸さんとか鍋島さんとか五、六人で。調子良く盛り上がってきて、俺は「別に監督森崎東に魅力を感じてるわけじゃないんだ」って、そこまでいったら小糸さんが、こいつ酔っ払って監督にからむつもりじゃないかって、止めに入ったんだけど、俺のセリフはまだ続いていて「人間森崎東に魅力を
感じてるんだ」っていったら、なんと、とっつあん本人が一番喜んでくれた。ウワーッてまた一段と盛り上がって。そういう感じでしたよね。やっぱり、どうしようもなく自分が出ちゃうし、どうしようもなく出たところで、演出とかすべきものなんだって、そのとき感じたね。テレビって、映画と違って技術でしょ。だからほとんビのテレビ監督は技術で
監督するわけでさ、そういうのばっかり見てきたから、そういった意味で、ちょっとオーバーにいえは人生観とかいったものがいや応なく出ちゃうところまで追いつめて演出してるんだってのを、最初に感じたのは森崎さんだったですからね。
■河原 浜ちゃんを森崎さんに引き合わせたのは、シモちゃんじゃないですか。
■浜田 『蒼き狼』を撮るときに、キャメラマンが助手として俺を連れてった。
■下村 いや、そうでもないんだよ。『蒼き狼』の前に、俺はほんのちょこっと、浜やんと一緒にやってたんだよね。浜やんは忘れてるかもしれないけど、最初に監督に会わせたのは俺なんだ、三船プロの前で。そのときにはもう、浜やんに『蒼き狼』やろうって話してたんだけど。
■浜田 森崎さんが、国際放映制作の『蒼き狼』の演出に決まって、村野キャメラマンが助手に俺を連れていくことになったことにシモちゃんがどういう動きをしてくれたか、とかいうことは全然知らないんだけど、あの時俺は、三船プロから国際放映に移ってたんだよ。
■太田 『蒼き狼』のいきさつはともかくとして、なぜ浜やんが現在の森崎組の人間になったかっていえば、『蒼き狼』の中国篇のときは、馬の走りとかは、B班の大竹さんてキャメラマンが撮ったんだけど、国内篇の大島ロケで、時間がなくなって急きょ浜やん、下村さん、ぼくの三人がB班担当になって馬の走りばっかり撮ったんだよ、それをおとっつぁんがラッシュで見て感動しちゃって。
■下村 B班の方がいいいって話もあった。 (笑)
■太田 それがきっかけで、その後近代映協の『妻は何を失ったか』で、浜やんは華々しくデビューすることになるわけなんだけど。あのときは、近代映協の方から、キャメラマンは誰がいいですか、監督がオーケーだったら誰でもいいいっていうわけ、それで浜やんがいいかなあって。
■下村 いろんな人に聞いてたみたいね。俺も聞かれたけど。
■河原 浜ちゃん、一番最初に監督に会ったのは、新宿の<SHOT>って飲み屋じゃなかったですか。
■浜田 あっ、そうだ。会ってるんだ。
■河原 あのときぼくも同席してて、浜ちゃんを初めて知ったんだけど。
■浜田 キャメラマンの坪井さんに監督を紹介されたんだよなぁ。あのときは、何年後かにこの監督の映画を一本回すなんて考えてないよね。
『蒼き狼』に撮影助手で参加したときだってもちろん考えてもみなかった。今みたいな状況の中で、助手から一人前のキャメラマンになるなんて相当大変なことですからね。でも、『蒼き狼』のときは、それまでのレギュラーものに比べると数段緊張感があったね。勉強にもなったし面白かった。芝居をつけるにしても、監督が粘ればみんな粘るわけでしょ。全体の中で芝居を作ろうという雰囲気がすごくあって、珍しかったね、ああいう現場は……。俺は撮影助手だから、助監督のシモちゃんたちとは、ちよっと違う所にいたけれど、それなりに、レギュラーものではできなかった好きなことをやろうとは思ってたんだ。思ったことは言おうみたいな……。
■太田 いわせてもらえる雰囲気があったですからね。
■浜田 こっちが一言いいっても無下にされない。それがたとえ撮影助手の意見であっても。
■元波 誰がいいっても、ちゃんと聞く耳を持つっていうか。
■浜田 最近になってちょっと思ったけど、聞き過ぎかなって。 (笑)
今まずは、撮影助手ってのは一歩退いてるじゃない・ですか。実際には退いてるわけじゃないんですけど。映画を作るとき、いっしよに加わりたいって気がすごくあっても、俺ってもともと一言多いんだけど、その 一言がいつも聞いてもらえず、冗談になってた。その一言を、聞いてくれる雰囲気があった。そうすると、よけいにいうのね、一言が二言にな
りって感じで。とにかく『妻は何を失ったか』でデビューしたときは、ロケハンしたり、脚本の打ち合わせしたりしてやっていくのが嬉しくてしょうがなかった。こうやってかかわっていけば面白いなぁって思ったね。助手のときはただメーター持っていけば俺の世界だったけど。
■太田 「内容まで勉強しろ」「考えなさいよ!」だものね。とっつぁんが夢の中に出てきたんでしょ、デビュー作のときは。ぼくもよく「俺の夢まだ見ないか、だいたい組めば、監督の夢って見るもんだ」っていわれた。毎日とっつぁんと同じ部屋に寝てたからね。
■浜田 俺の家にもずーっと泊ってた。
■太田 浜やんとこか、ロケセットか、ぼくの家かだったよね。
■浜田 悪夢だったですね、やっぱり。それまでは、こういう絵作りしようなんてこと考える習慣はなかったわけだから、どう撮ろうかと思ってて。へんなテレビのくせっていうか、日本のキャメラマンの悪いくせっていうか、四畳半じゃうまく撮れるけど砂漠じゃ撮れないみたいなね、広い空間にポンと人物置くと、すごくルーズなような気がしてさ、いっぺん警察のセットの中て、黒板かなんかをねナメたんだ。そのカットのときは何もいわれなかったんだけど、しばらく後で、 「浜やん、嘘は撮っちゃだめだよ」って。あの日だったかな、夢見たのは。
■太田 毎晩、翌日のコンテの勉強会なわけ、ぼくと浜やんと必ず一言、二言いわれてたね。自分で思ったとこより一歩退いて現場を見ろとか、それで次の日実行するわけよ。助監督のぼくはそうか、一歩退くのかって思って見てると、浜やんは十歩ぐらい退く、全然ポジションが決まんない。スタッフみんな、その間待ってるわけ。
■浜田 あれはこわいね。キャメラが決まんないと誰も動けないってのがあるでしょ。でも、ああ、俺が決めないと誰も動けないんだっていう快感もあったけどね。(笑) やっぱりああいうのって、綿密に計算して出るってもんでもないしね、俺の性格からいってもさ。
■太田 でも、デビュー作としてはすばらしかったですね。評判よかったものね。
■河原 華々しく出たって気、しましたよ。
■太田 あれが評判よかったからシリーズ化されたっていうか、新藤(兼人)さんとのコンビみたいのができて……。四、五本やってますねえ。近代映協は気をよくしちゃった。すっかり森崎組のキャメラマンになって。今回本篇撮って、もうたまんない、十六ミリなんかもう回せないでしょう。(笑)どうでした、『生きてる党宣言』(『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』の略称)撮って。
■浜田 いやあ、面白かったですねえ、現揚はしんどかったけど。映画ってのはいいな、ビスタビジョンってのは、すてきなサイズだと思ったね。

     こだわって、こだわって

■太田 本篇撮るに際して、監督からは何か一言あったんですか。
■浜田 入る前に「俺もこれからは、ワンカツトごと、キャメラをのぞいて、ちゃんとやろうと思う」っていいって、三回ぐらいかなぁ、のぞいたのは。(笑)
■下村 ほとんどのぞいてないですよ。ロケのときは、とっつぁんと同室が多かったでしょ、いいってましたよ、「今回のぞくって浜やんにいったけど、のぞかないとラッシュが楽しみ
でいいなぁ」って。(笑)
■太田 わざと楽しんでる風があるね。『蒼き狼』の中国篇で、下村さんとカメラの村野さんと、監督と、三軒茶屋の旅館で、中国分だけは要するにどうなるかわかんないってんで、一週間近くかかって、コンテを全部割ったそのときにね、 「こういうのがあれば、おい、いいなぁ」って。全部割ったら、機械に入れるとそのとおり絵が出てくる。
■下村 絵を見て「この人物、もうちょっとこっち行った方がいいなぁ」っていうと、直る、そういう機械が欲しいいって。(笑)
■太田 現場行ったらね、チーフ助監督とキャメラマンが「すみません、監督来るの遅いから撮っときました」そのとき、「ヤッタァ!」って思った夢を見たってていうんだから。
■元波 ぼくにもしきりにいってたね。アメリカに、ビデオに連動させてその揚で見れるモニターがあるでしょ。その話を飲んでる席でしたら、なんとかそれ使えないかつていうわけ。何がいいかつていえば、現揚で周囲の人間ていうか、すべてが気になってしようがないんだって。小道具が走りまわってる姿とか、助監督が、ドじゃってるのとか。
■浜田 ショーへーが、サボって寝てるところとか。
■元波 照明部の動きとか、すべてが気になって、演出してても役者だけに眼がいかない。そのモニターがあればね、キャメラは向こう向いてても、自分はモニター見て、そこだけ
注視できればそんな最高なことないって。
■下村 現場でよく下向いてるよね。いつかいいってたけビ、こうやって下向いてると声が聞こえるんだって、「なんとかかんとか」って。それで「どーぞ」つていわれて、はっと顔をあげるとできてるの、あれいいなぁって。
■太田 元来は怠け者なんだねえ。
■下村 タ方になると走り出す。
■元波 デビュー作一『喜劇・女は度胸』の夕景のラスト・カッドを撮るとき、急にクソしたくなっちゃったんだって(笑)
■河原 クソに縁があるなぁ。
■元波 それで、陽が落ちるギリギリを狙って、浜辺を走っていいって、野グソたれてたんだって。そうしたら「かんとくーつ、陽が落ちるー、ヤバいッ」って、助監督が「ヨーイ、ハィ」をかけて、撮っちゃったんだって。だからデビュー作のラスト・カットを自分で回してないという
■太田 でも、さぶちゃんが松竹でやってたころは、まだ厳しい監督だったんでしょ。
■河原 厳しかったですよ。冗談のジョの字も出ないですよ。
■太田 どうだったの雰囲気は? 近寄り難かった?
■河原 『高校さすらい派』のときで覚えてるのは、午前中テスト、テスト、ずーっとテストやってワン・カットも回さないで昼になっちゃって、それから一時間たち、二時間たち、さっきのところもう一度テスト。ワン・カット撮れたのは二時ごろだったかな。そのころは、ぼくなんか全然話せなかったですよ。ムスーッとして、こわい監督だなぁーって思ってて。それが役者が下手だとやってみせるんだけど、実にうまいんだよ、女の人の役なんて、もうバツグンにうまかったね。動くと面白い人だなぁつて思ったね。
■下村 貞永方久さんがいってたよ、「森崎は、芝居つけさせたら日本一」だって。
■浜田 『蒼き狼』の子供のシーンで、延々と長いテストがあったでしょ。ふつうテストで目に見えて良くなるなんて、わかんないんだよね。それが、最後俺たちが見てほんと良くなったって印象があってね、あぁ、うまいなぁって思った。テストやるたびにうまくなってるんだよね。
■下村 よく映画のウソでさ、もういいやって、とりあえず段取りでごまかしたりするじゃない、そのごまかしははやらずになんとかしようって考えていくからね。ああいうとこはいいよね。本人はメンドうクサがってんだろうけど、始めるとちゃんとやるね。
考えてみれば、監督なんて、どうやったっていいんだから、たとえばある物があって、どっちが前とか後とか、定まった向き方がないものを撮る揚合でも、どう撮ってもいいですとは、決していわないね、ちょっととした凹みがあったとすれば、その凹んでる側から撮って下さい、とかっていうんだよね。こだわるんだよ。やっぱりそうやってこだわっていかないと、どうでもよくなっていくわけでしょ。そこらへんからこだわっていかないと,何もこだわるものなくなっちゃうからね、あと「ヨーイ、ハイ」っていってるだけになちゃうから。それじゃやっぱり、こういう仕事してる意味なくなっちゃうからね。
■元波 あの人、そういうつまんないようなことだけど、小さいことにこだわることで、とっかかりをつくっていくんだね。
こだわりの話で思い出すのは、助監督の佐藤雅道さんがどうして監督を気に入っちゃつたかっていうと、九州ロケに行つたとき、監督が自分の出身地だから、助監督たちを連れて、皿うどん食べに街を歩いてたんだって。ところが、何軒も何軒も、店の中をのぞいてみるんだけど、入らないで通り過ぎちゃう、昼飯時間はだんだんなくなっていく、ウインドウ見ちゃ「違うなぁ、違うなぁ」って次の店探す。だんだんみんなあせり始めて「何が違うんですか」って聞いたら「俺が子供のころ、お袋に連れてってもらったおいしい皿うどんは、楕円形の皿にのってた、今までの店はみんな丸い皿だった」って、そしたらみんな真剣になって楕円の皿を探し始めたんだって。それ以来、この監督はおかしなことにこだわる、面白いってことになった。
そういう演出法ってのは、河原さん、松竹時代と最近と、何か変わってきてる部分はありますか。
■河原 『高校さすらい派』のときと最近の演出法と、一向に変わらないですね、あのねちっこさは。この間倍賞美津子さんもいいってましたけど、蛭みたいに吸いついたら離れないと。それは、松竹のころは時間の制約ってなかったし、森崎東は、飛ぶ鳥を落とすような勢いだったってこともありますけど、今でも限られた時間の中で、あのねちっこさってのは変わらないですね。ただ、今回の『生きてる党宣言』に関して、ロケーションでは、森崎さん年老いたなってのはありましたけど、セットに入って、森崎東のねちっこさがよみがえったときは、ぼくは嬉しかったですね。
■下村 『時代屋の女房』のときは、久し振りに会ったスタッフの人たちに、粘りがなくなったっていわれたって、本人がいってたけど。
■河原 ぼくも久し振りに松竹に行ったら昔の人たちがいて、「相変わらず河原さん出てるんだねえ」っていわれて、「もう、おとっつぁん元気がなくてさぁ」「頼むよ、ちょっと元気つけてやってくれよ」とかみんなにいわれた。でも、ぼくの場面になったら、ねちっこかった。(笑)たかだか魚屋で、「いらつしゃい」っていうだけなのにね、なぁ、ショーへー?
■元波 ねちっこかったね。
■河原 何度も、何度も……。
■元波 監督、あのとき生き生きしてた「さぶちゃん、そうじゃないでしょう」とかって。 でも、ひとつには、全部初めての役者だったでしょう。あの人ほら、すごい人見知りっていうか、いえないから、うっぷんがあったみたい。もう、渡瀬(恒彦)さんにいっても、ガチガチに考えてくる人でしょう。だから、ねちっこかったのは平田満さんのときだけだったね、終わったあといってたもの、「俺のいう通りやったのは満さんだけだったな」それでやっぱり満さんとこが、いちばん生き生きしてたし。
■太田 あのシークエンスだけは、今までの持ち味っぽさがあるものね。
■元波 それともう一つね、ちょうどあのとき、奥さんが入院したりで、それの疲れもあったみたい。 「もう家は、今や荒廃しきってるぜ」って、よく聞かされた。娘三人がね、お母さんがいないと、けんかばっかりするようになっちゃったんだって。三人でローテーション組んで、めしとか掃除とか、表を作ってやったんだけど、小言いう人がいないから、結局けんかになっちゃって、家に帰るたびにけんかを見てるのが辛かったって。やっぱり奥さんがしめててあそこの家は成り立ってるから、家の中もしっちゃかめっちゃかで。ぼくもたまに監督の酒のサカナ作りに行ったりしたけビ、冷蔵庫の中なんかクチヤクチヤでさあ。
あの人ほんとはいわないけど、細かいことすごく気になるでしょ。そういうの見てるのいやだったのね。たまにあーしろ、こーしろいうんだけど、娘はもう、親父を甘く見ちゃってる。だから『時代屋の女房』のときは、身が入ってなかった…。午前中に三カットも回っちゃうんだから。小道具の磯崎さんなんか『帝銀事件』のときは、すごくエネルギッシュで、時間は長かったし、スタッフは苦方したけど面白かったってわけ。それまでは森椅さんみたいな汚いのやる監督は嫌いだって言ってたんだけど、キャメラの小杉さんだって、ションベン、クソの類の森崎さんて大嫌いだった。でも終わったら、みんなもうなついちゃって、もう一回監督とやりたいってね。だから『時代屋の女房』は、全然やった気がしないいって。みんなそれなりの苦労を、今回もやらされると思ってたのに、楽に終わっちゃったんで、フヌケのような感じで。 松竹のスタツフの人たちも口では悪口いいってても楽しいみたいね、苦労させられるのが。やっぱり、これだけやらされてクソッと思っても、絵になってみると、結局いいわけでしょ。
■下村 たとえば一つのあり方として、監督が頂点にいて、みんな監督のいう通りに動いていくピラミツドみたいな形は、とりあえずなしだから。やっぱり、どうしようかなあってところから、まずキャメラマンとか、助監督とかが、わーっと巻き込まれる。そうすると監督の映画だけど、自分たちのこの映画に対する思い込みみたいなものを育てていくというか、その映画に対するイメージみたいなものを、自分で培っていかなければならない。そういうところで監督と話ができて、しかもいいところはすくいあげてくれる。結局、苦労したって、自分がほんとにかかわりあえた作品として残るわけだから。
■浜田 うん、そうだね。
■下村 それはやっぱりいいですよ。
■元波 ああ、俺のあの部分が報われて、こう、できてるんだっていう、参加の仕方が、他の作品に参加したときと、全然違うね。
■河原 そうやね。

      仕事も宴会もいっしょ

■元波 ぼくなんて、松竹時代を全然知らないわけなんだけど……。河原さん、さっき、演出法は全く変わってないいっていいってましたけど、人間的にはどうですか。
■河原 だいぶ変わってきてますよ。基本的には変わってないんだろうけど。昔から、ああいう面白い脚本を書いてきてるわけだけど、脚本に書いてあるようなことを自分でもするようになったっていいますか、(笑)だから、はっきりいえば、ぼくは酒を飲んだときの森崎東ってのは、大嫌いなんだよね。
■太田 ああ、そう、今も?
■河原 今も。ぼくはねえ、要するに出会いからのあれでね、師匠ってのがあるんですよ。師匠がまさか、こういう醜態見せるとはって、いやになるわけだよ。
■下村 そうオ、たとえば?
■河原 だけど、師匠も人間であるという風に考えれば、醜態みせても当当然なわけであって。だから逆に、ぼくも何やってもかまわないってことなんだろうけど。今までは構えてた部分とかあるからさ。監督と会うってときはズ斎戒沐浴ってわけじゃないけど風呂に入ってぎれいにして、茅ケ崎におもむいてって(しきりにテレながら)、「先生、まいりました」みたいな意識がぼくの中にあったからね。
■太田 監督にも、そういうバカていねいなとこあるよね。たとえばぼくが『黒木太郎の愛と冒険』やってから久し振りに会ったとかするじゃない、そうすると「お久し振りです、お母さんはお元気ですか」
■元波 改まるんだよね。この間も照明技師の長田さんね、スタッフルームに監督から電話が入って、最初ぼくが話してて、長やんにちょっと代わってくれっていうんで代わったら長田さんが「いいえっいえいえ、いいえっ」ってものすごく恐縮してる風なんだよ。監督が急に改まって、「今回はいろいろお世話になりました」っていったんだって。 「おい、ショーへー 困ったもんだよ、ものすごくバカていねいに挨拶されちゃったんだよ」って。でも、あの人すごいそういうとこあるね。
■浜田 あれはやっぱり、性格と、育ちじゃないかなあ。
■太田 育ちだね。
■浜田 九州ロケのとき、監督の実家に行ったでしょ、そしたらお父さんに「お久しゅうございます」って。
■元波 ほんとに厳格に育ったんだろうね。
■浜田 俺なんかいうことばがなくなっちゃってさぁ、小さい声で「おじゃましまーす」俺は敷居の外で、監督は敷居の中で。俺たちお客さんが困っちゃうよね、そこつだから。
■太田 ぼくとかショーへーとかが、チャラチャラし始めてから不良っぽくなったんじゃないかしらね。近代映協の作品やり始めたころかなあ。「だんとつタモリ」聞きたいから、ぼくなんかが準備してる間ラジオがある車の方に行っちゃうんだから。「だんとつ、タッモッリー」って歌いながら(笑)
■元波 『青春の甘き香り』やってたときは、もう松竹辞めてたけど、あのころが松竹時代と今との、ちょうど分岐点だったのかな。
■太田 トッピンばっかりやってたんじゃない?
■河原 そう、トッピンよくやってたね。
■太田 嬉しそうにいうんだよ「俺が負けてやると、スタッフのやつが喜ぶからさぁ」って。
■下村 俺なんか、本数はそんなにやってないんだよ。『江戸の鷹』『俺の愛した謎の女』『蒼き狼』『天使が消えていく』と、『生きてる党宣言』、つまりテレビ四本と映画一本だけなんだけど、現場で付き合うのより宴会やる回数の方がどっちかっていうと多い。だけど仕事と宴会とって、分けて考えられないのね、いっしょだから。宴会も、いいってみれば本音でやってるからね。だから本数少なくても、随分やってるような気がするのね。
■元波 ぼくも『黒木太郎の愛と冒険』からずっとなくって『帝銀事件』その後『時代屋の女房』『赤い妄執』それと今度だもの。珍しく三本続いたけど。
■下村 だから映画やってなくても、宴会ずーっとやってれば同じなんだよ。
■元波 影響力が、他のどの監督より大きいってのは、さっきの下村さんの話じゃないけど、森崎東の作品ってのは、ぼくがこれからやりたいものと全然違うのね。あの人、あんまりきれいな絵撮らないし、それにぼくと絶対違うってのは、セリフが多いでしょ。しゃべりすぎだと思うわけ、ぼくは、しゃべらなくて人数が少なくて、スっとするようなのが好きなんだけど。でも、あの人の人間的な教えはものすごく受けてるし、監督以前の問題で今まで付き合ってこれた、しがみついてきたって感じがある。他のどの監督とも、私生活から何からドップリってのは、ちょっと考えられない、まあ、家が近いってせいもあるけど。
■太田 お前、めし食わしてもらってんだから。
■元波 あの人もべつに映画監督として、助監督はこうあれとかって何だかんだいうわけじゃない。子供を育てるみたいな感じでもっと全体に、人生をひっくるめてぼくにサジェッションするみたいな。
■下村 飲んでたってさぁ、べつに監督と助監督で飲んでるって意識にはならないでしょ。
■浜田 ならないねえ。
■元波 それが、すてきなことだと思うね。
■下村 現場でもそうだよね。片っぽうは監督で、片っぽうは助監督って役割は、しなければならないけど、本質的には、考え方をきちっと聞いてくれるわけだしね。
■元波 どのパートに関しても、そういう気の使い方、接し方をするし。
■下村 それは、べつにわざとやってるんじゃない、気を使ってやってるわけじゃない。
■元波 そうだね。
■太田 自然とだものね。
■下村 そういう風に人間と付き合うっていうか。
■河原 ぼくなんかの場合、ずーっと前はやっぱり師匠ってのがあったからね、ビうしたって。
■下村 そういう付き合い方は悪いのよ。
■河原 そうなのよ。どっかで、こうやっちゃまずいって部分が、めし食っててもあったしね、それがセーキとかショーへーとかと付き合い始めてから、徐々に変わってきたんだろうね。
■元波 ぼくらはそういう意識ないからね。
■太田 軽く「先生どうすんの」だもの。そういう感じで入ってるから、構えること全然なかったし、あの人もそういうの嫌いじゃないから。
だけど一度、『蒼き狼』で中国へ行ったとき、一喝されたことがあったね。「観光に来てんじゃないんだっ」つて、ものすごかった。あんなにどなってるの初めて見たね。まぁ、ゴビ砂漠の末端なんてめったに行ける所じゃないでしょう、スタッフも役者もカメラ持って歩き回ったりして、何となく気分が浮いてる雰囲気だったんだね。そこへきて、役者とチーフ助監督とのちよっとした事件があって、ずーっとがまんしてたのが爆発したんだろうね。夜になって、「みんな歌え、歌ってないじゃないか!」って始まった。
■下村 歌ったんだよ、みんな、しばらくは。役者全部に歌わせたんだから。「お前ら、ちゃんと歌え」「歌ってます」「歌ってない、お前らちゃんとやってない」って。
■太田 すごかった、なんか俳優座軍団と森崎東との対決みたいな。田中邦衛なんかも、額ピクピクさせて、一時はどうなるかと思った。
■浜田 邦さん(田中邦衛)が『生きてる党宣言』の照明の長田にいったらしいよ。長田が、 「疲れました」っていつたら、「森崎東の作品やったら、あとはどんな監督にもつけるよ」って。(笑)
■元波 でも、年々怒る回数が減ってるみたいね、それは年のせいなのか、怒るのをぐーつと、こらえているのか。前はビンボウユスリをしょちゅうしてたけど。椅子に座って、みんながテストやるの見ながら、こうゆすってたもんね、いつも横で見てたけど。
■太田 お前、横で見てないで、やってなきゃいけないんだよ。
■元波 監督、なにイライラしてんのかなぁって。
■下村 お前がやらないからイライラしてたんだよ(笑)
■太田 それと、やっぱり任せられるスタッフが育ってきたから。だって去年なんか、九州て平気で倒れちゃうんだもの。下村さんといっしょに。すぐ甘ったれるんだものね。下村さんはほんとに倒れたんだけど。冷房熱射病で。それを見て監督が倒れたんだけどさぁ。 (笑)それで朝出かけるとき、宿の人に下村さんにはみんなと同じ食事を運んで下さいいって頼んで、二人残してロケに行って、夜中に帰ってきたらすごいの残骸がいっぱいあって、ビールびんは並んでるわ、レストランからまたべつなのを頼んでるわでよく聞いたら、下村さんは全然食べてないんだって。下村さん用の定食を食って、なおかつ「シモちゃん、何か食わないと元気出ないぞ」って、テメーは「俺はテキがあればい」っていいって、モ
リモリ食ってたんだもの、(笑) あんなのないよ。
■下村 ほめられちゃったよ。監督が倒れたいとき倒れる助監督はいいいって。(笑)


     芝居を変えるテクニック

■昔は、お酒飲むと、けんかして暴力ふるうようなことがよくあったそうですが、そういう場に居合わせたことって、ありますか。
■下村 まのあたりにしたことはないですけど、やったらしいですね。『生きてる党宣言』の最初の制作者だった市川さんとやったって、聞きましたけど。
■元波 現場ではないでしょう。
■下村 脚本屋とやったり。
■浜田 酒飲んでが、多いみたいですね。決して、癖のいいタイプじゃないからね、飲むと。
■元波 だから、ちょっと火がつくとものすごい、学生時代にゼミで、殴り合いになったことがあった。あれはまだ、松竹の余波があったんだよね。
■下村 お前とやったの。
■元波 いや、ぼくじゃなくて、中田って『オキナワの少年』の脚本書いた人なんだけど。みんなで『青春の殺人者』と『地の子守歌』を見に行って、帰りに鶴見あたりの<養老の滝>かなんかで飲んでた。宴会場で、二十人ぐらいいたかな。ゼミ長と中田が、なんかいい合って中田が手を出して殴っちやった。監督はトイレに行ってて、戻ってきたら殴り合いになってる「どうしたんだ、お前ら」そのときは、みんなもうベロベロになってたわけ。 「これこれ、こういうわけで」 「でも殴ることはないだろう、中田っ」そうしたら中田が、「監督、ぼくを殴って下さい」「ようしっ」とかって、バーンバン、すごかった、みんなが唖然とするぐらい。アコーデイオンカーテンが隣にあって、そこに血がブワーッて飛んでね、握り拳でガンガン。そのうち店の人が出てきて「いい年して何ですっ」(大笑) みんな学生で、大人はとっつぁん一人じゃない、「あんたが、普通ならけんか止めなきゃいけないのに」っていうわけ。そうしたら、「いい年して何だとは何だっ」って、(大笑)こんどはその店の人に向かいそうになって。そこでもうみんな、ぼくも止めたわけなんだけど、すごかったよ。
その帰りに、さっき河原さんが醜態いやだっていったけど、ぼくもあのとき恥ずかしかった。川崎から国電に乗ったんだけど、通勤客でいっぱいで、みんなでドアのところにたむろしてたら、いきなり監督が、「歌おう」つていい出してね。みんな酔っ払ってるから、ウワーッて歌ったわけ、ぼくはドアを背にして、みんなは監督を半円形に囲んで。そしたら、他の客がだんだんよけていく。
■下村 お前は酔ってなかったの?
■元波 酔ってたけど、急にさめちゃった。ぼくは、なんか知らないけど、そういう態勢になっちゃって、みんなが見えちゃったわけ。みんなは窓外とぼくしか見えない。ぼくは車内の人がみんな見えるわけ。こいつら何だ? っていう、いかがわしそうな眼をしてるのが。 「恥ずかしいから止めて下さい」って、監督にいったけど「何いってるんだ、歌え!」何回も何回もいってるうちに「やっぱりこういうことはまずいか」「まずいな」「まずいな」っていいながら歌ってる。とぼけた人だなぁって、そのとき思ったね。
■太田 どこのスナックでも、どういう状況でもやっちゃうからね。
■元波 そのあと、ぼくと監督は茅ケ崎だから、みんなと横浜で別れて、監督と肩組んで歩いてったら、前を外人が歩いてた。そうしたらいきなり「ヤンキー、ゴー・ホーム」とかいい出して、(笑) 「鬼畜米英なんとかかんとか」って、いうわけよ。そのうち向こうが、パツと振り向いた、あ、ヤバいなって「監督、よして下さい。今はもう、時代が違うんですから、それじゃナショナリストじゃないですか」「俺はナショナリスト、けっこうじゃないかお前は違うのか」「ぼくはコスモポリタンです」「コスモポリタンか、よしよし」なんて、なんとかおさまったけど。あのころは元気だったね。今は酔うとすぐ、ゴロッとなっちゃうでしょ。あのころは学生より馬力あったですよ。
■河原 やっぽり、松竹やめたってことでうっせきしてたんだろうねぇ。
■元波 その馬力たるや、ぼくなんか負けてたね。浦山桐郎さんにしてもそうだけど、飲んだ席では、若いぼくたちが圧倒されるぐらい。
■浜田 なんでみんな、監督の酔ったの見てるかっていえばね、結局、監督より先にそれほど酔えない、(笑)要するに勝手に先に酔つちゃえばいいわけで。
■元波 いやぁ、前はタフだった。『時代屋の女房』のときは、一番元気なかったけど、『赤い妄執』のときは、まあまあだったかな。『生きてる党宣言』でも飲んで、歌ったりはしてるけど、あの人の得意なのがいろいろ出なかったでしょ。お説教じゃないんだけどこうあるべきだみたいな、あの人のポリシーみたいのが、グワーッとね、飲んだはしばしから、あーじゃない、こーじゃないってのが、みんなの話聞いてチャチャ入れるぐらいで、主張が少なくなってきたね。
■太田 いう対象になる人が、あんまりいなくなったってこともあるね。
■下村 どうなのかなあ、俺なんか昔は知らないけど、お説教がましくいう人じゃないと思うけど。
■元波 お説教がましいいっていうんじゃなくて、要するに自分のいいたいことをいってた。
■太田 シナリオライターなんかにはよくいってたね。傍で聞いていても、たまんないようないい方でね。
■元波 プライベートな対象の人じゃなくて、スタッフについた人にね。
■下村 そういう意味じゃ『蒼き狼』でライターの大野靖子さんとやったの見たな。あのときも、まぁまぁって入って止めたんだけど。
■浜田 今回は、怒る相手がショーへーしかいなかったからね。ショーへーを怒ろうと思うと、もう寝てるしさ。(笑)
■河原 今回は、みんながみんな、疲れたってのあるからね。誰も怒っちゃいかんみたいな状況があったじゃない。ただ、さっき浜ちゃんが、監督が人の意見を聞き過ぎるみたいなこといってたけど、ぼくもそういうことを感じつつあるんですよ。監督のタイプとして、役者に四の五のいわせないで、とにかくそこから四歩歩けとかっていう監督と、森崎さんみたいに、いろんな意見を聞いてそれをテストでやってみるというのとあるけど、そういうのはどうなんですかねえ。
■下村 それは本人の納得の仕方じゃないかしら。どっちがいいいってことじゃないですよね。
■太田 ただ、森崎さんて、自分である程度、こうだと思っていることってあるじゃない? 役者は役者で考えてきてる、それをアタマからそうじゃないっていわないで、うまい具合に自分のペースに持っていくのね。
■下村 そうそう、それで思い出すのは、『江戸の鷹』で坂上二郎さんが、「あーっ」って追っかけて出てくるそれだけのカットがあったんだけど俺に、二郎さんが出てきたら、つまずいて転ぶようにいってくれっていうの。「つまずいたって、べつに面白くもないやね」って、二郎さんもいうし、俺もつまんないギャグだなって思ったわけ。本番やったら、やっぱり二郎さんは、転んだふりで転ぶから、どうってことなくて、まあ結局オーケーになっちゃったんだけど。 『生きてる党宣言』の造船所のロケのとき、片石(隆広)がいろいろやるけどだめで、最終的におねえちゃん(倍賞美津子)にバーンと叩かれて転ばすことにした、もうあいつがウロウロしてるのいやだから。二回転ぶでしょ。そのとき二郎さんのこと思い出した。二郎さんが、ほら、面白いでしょって、かっこうで出てくるわけ、で、転べって。転んでもだめだったけど、俺、たぶんそれだと思ったな。そういうとこあるね、あの人。
■元波 役者が悦にいいってやってる芝居を崩すの、すごくうまい。
■太田 役者が気付かないうちにね。
■下村 悦にいられちゃ困るんだよ。
■元波 『青春の甘き香り』のときも村野武範がさ、なんか、かっこいいセリフ吐いてやるのが気にくわないんだね。村野武範って、オデコにホクロがあるんだけど、何回もやって
るうちに、監督が、「そのイボも気にくわない」っていったわけ。いわれた方は、「この監督、いやなこといいやがるなぁ、そこまでナンクセつけるのか」って思うじゃない。だけど、いい方は別に相手の気を害するほどじゃなく、ボソッボソッて感じで。つまんないことだけど、チクチク、チクチクいいって、芝居を変えていくのね。
基本的に役者、嫌いだ嫌いだっていって。ひところ新年会に田中邦衛だの、泉谷しげるだのがきてた時期があったでしょ、あれはいやだって。やっぽり、飲んでる席じゃ役者の悪口いいたいから、役者を呼ぶなって盛んにいってたね。そんな中で河原さんだけだよ。役者として認められてないんじゃない。 (笑)
■太田 監督の女優サイボーグ説って知ってる? 「半分人間で半分機械の、あれ何ていったっけ」って、聞くから「サイボーグですか」「そう、女優なんてそれですよ」って、女優はなんか違うってのね。まだ男優だったらね、いっしょにめし食ってもいいけど、女優はよくわかんないって。同じ監督でも、役者好きと、スタッフ好きなのとタイプが分かれるみたいだけどね。
■元波 役者と結婚する監督の気持がわからないって。大胆だったり、気が小さくなったり。
■太田 でも、『蒼き狼』のころは、倍賞さんとか大楠道代さんとか、向こうは森崎さんのこと好きでしょ。帽子とかジャンバーとかプレゼントされると喜んでたけどね。癖ついちゃつてさ、借賞さんが帽子被ってきたら、「それちょうだい」なんていったりしてたけど。
■河原 人の着ているものとかを実に細かくよく見てるね。たとえば、あいつは袖をちょっと折って着てるとか、タバコの吸い方にしてもジロジロ見るんじゃなくて、飲んでる席なんかでさりげなく見てるんだね。しゃべり方とか、とにかく細かく細かく。それが演出上にも反映してくるんだよねぇ。思わぬことをやれっていうのはさぁ。
■元波 衣装合わせなんかでも、なかなか決まらないし、はつきりこうだっていわないのは、あそこで見たああいう風みたいな、いろいろ見てきた中で気になってるイメージがいっぱいあるからなんだね。想像力も、ものすごく遥しいし。
箱根に天山露天風呂ってのがあるんだけど、船橋ヘルスセンターみたいになってて、そこに行ったときも、ねそべって何か見てるなあって思ったら、その間中、頭の中でいろいろ
イメージしてたらしいのね。 「俺は日本のゴッドファーザーだ」なんてボソッといい始めてさ、家族連れがたくさんきてて、ガキがドタバタ走りまわってたり、いろんなクソ風体の連中もいるし、「助監督のころは、ああいう風にエキストラに動きをつけるって想像もしなかったなぁ」っていいながらね、全部の人について勝手に自分で話を作っちゃっていうのね。「見ろ、あの子供の動き」とか「あれがドンで、ほら、あれが何番目の女で」とかって。
■浜田 あの人、記憶力もいいしね。
■太田 だって脚本一冊、あれだけ暗記する人って珍しいと思わない?
■下村 この間、片石にもいってたね。「俺だって、ダテに脚本書いてるわけじゃないんだ、ちやんといってみて書いてるんだから。脚本に書いてある通りいえっ」
■太田 それから不思議なのは、前のシーンの力ットが全部頭に入ってるじゃない、あれだけ見事に入ってる人ってなかなかいないんじゃない?
■浜田 監督も覚えてないだろうと思って間違えたこというとさ、「そうじゃないだろ浜ちやん」「えーと、あっ、すみません。アップだ」
■太田 「そうだろう浜ちゃん、俺いったんだから」って、全部覚えてる。
■元波 ラツシュも見てないうちからね。
■浜田 でも、なんていうかな、いち日時間おくとコンテがコロッと変わるってのあるでしょ。現場でやりながら、それを撮りそこねたりすると、「一つ抜けてないかな」なんていうわけだよね。
■太田 ひどいときは、キャメラマン割ってくれ、とかいうこともあったけど。
■浜田 『生きてる党宣言』のクランク・インの初日にもあったよね。前の日に段取りをいって、二十カットぐらいあって細かくてすごかった。それが翌朝行ったら、全部ワン・カットでいきたいってんだ。 (笑)逆にこっちが困っちゃった。結局二カットになったんだけど。そりやあ、次の日考えてきた方が、ずっと良かったのよ。だから前の段取りが、全く当てにならない監督だね。
■元波 みんな、あの人のこと、全然コンテ考えてこないっていうけど違うのね、ものすごくいろんなことを考え過ぎちゃって収拾がつかないのね、とにかく溢れ出る人だから。
三船プロへいっしょに電車で通ってたとき、線引きはしないけど「これ、お前だったらどうする?」って聞くわけ、しようがないから、とりあえず出まかせいうと「そうか、俺もそういう風に考えてたけビ、お前も考えることなら止めよう」とか、ものすごくいろんなことを考えてんだね。
■浜田 寝不足のときでも、通勤時間を与えると考えてるみたいだね。
■下村 考えてんですよ。ちゃんと。
■浜田 コンテが、バシッと決まってるときと、悩んでるときとでは、現場に入ってくる足取りが全然違う。決まるともう元気よく、「浜やん浜やん、こういく」って。
■太田 時々、ムチャクチャなことスッということあるんだよ。『俺が愛した謎の女』のタクシーの場面で、乗り込みで、こうつけといて、くっとまわれって、助手さんとキャメラマンとの受け渡しなんだよね。大胆なことなのに、軽くいうんだよね。『蒼き狼』のときも、原田隆司さん(後篇の監督)が撮ったセットの部分で、ちっちゃいクレーンみたいの使ったでしょ。それ見て、 「えっ、これ使ったの、俺も」って。そのうちそれじゃ足りなくなって、でっかいの引きずり出したんだよ。そのときの体調によって、大胆になったり、気が小さくなったりするんだよね。
■元波 『喜劇・女生きてます』のときも、橋本功が刑務所から出てきて、大楠道代と手をつないでインター歌いながら歩くところを、どうしてもワン・カツトでいきたいって。刑務所の門までは移動でいって、そのあと、ちょっと曲がってっていう風にどうしても撮りたいっていうんだけど、シャンピ移動がない。「シャンピじゃなきゃだめですよ」って、キャメラマンはじめ全員が、そんな撮り方できないっていったら、「じゃ、俺がやって見せる」っていいって、移動車を二台使ってやったんだって。そしたら結局ね、ちょこっと画面がゆれただけで、スムーズにワン・カットでできた。
「キャメラマンってのは、いろんなやり方に挑戦すべきだ、それは無理ですってのは良くない」って。だから、監督の作品でデビューするキャメラマンって、ずい分多い。『裸の街』で林さんがそうだし、『黒木太郎の愛と冒険』のときもそうだったし(村上雅彦)、キャメラマンとして、これしかないっていうのは嫌いなんだね。だから、まだ染まってない新人を使いたくなるんだね。
■太田 キャメラに限らず、全部そうだもの。とりあえずやりなさいだから。
■河原 役者の演技もね。
■浜田 「やってみなさいよ」って怒るもんね。
■下村 伊佐山ひろ子のテストのとき、仁義切るとこだったんだけど、なんかセリフもよく覚えてないでいつものヘラヘラした調子でやってたの、おとっつぁん、それが初対面だったんだけど、いきなり「学芸会じゃないんだっ」て、伊佐山ひろ子、ぶっとんじゃった。
■元波 そういう話は、火野正平からも聞いた。京都で時代劇やってたとき、シリーズものだから、テストっていってもいつもの芝居だしって、チャランポランに冗談いいながらって感じでやったらしいの。そしたら「おい、いつまでもそんな芝居やってたら本番まわせねえぞっ」て。火野正平、 「えっ、こんなこわい監督なのか」って、真面目に芝居始めたって。「テストこそ、役者は監督にいちばん見せるときなのに、それをいい加減にやるやつは気にくわん」って、ものすごかったらしいね。
■下村 いってたよ。一回目は役者のテスト、二回目は監督のテスト、あと、まだまだ続くんだけど。
■元波 いろんなのを見せてみろって。その中から、いいのを選ぶ。
■下村 この間、片石もいわれてたね、「俺のやった通りにやるな」って。(笑) 片石ができないと監督がやって見せるんだから。困るよな、片石も。(笑) あとで、「いじめ過ぎたかなぁ」っていってたけど。「あいつ、俺の顔、ちらっちらっと見ていじめられたいような顔するからいじめちゃうんだ」って。
夕景のシーンで、片石をのせた車が、バーッと曲がっていくところを撮ったんだけど、よその車にぶつか
りそうになったんだよね。後の座席にいた浜やんが見てて、ほんとにダメかと思うくらい危険だった。で、そのあともうワン・カツト撮らなきゃならないわけ。日は暮れそうになるし、あせってね。
■浜田 あのときも、コンテ変わったんじゃない? 車が交又点で右へ行こうか、左へ行こうか迷つてから、中川橋の方へ曲がるんだけど、俺はその車の後の座席から撮ってて、オーケーがあって帰ってきたらだめだっていうんだよ。「左に一回、こういけばいいんですね」「いや、左に行くようなあれで、こう見せる」って。俺はキャメラのぞいているから、どういう風に運転してるかわかんないんだよ。とにかく風景にパンした。そしたら、「お前が振ったんだろ」「ええ、ちょっと横になって」「それじゃダメだ」キャメラは動かさないで、車に芝居させろってわけ。あの日もずっと、ムスッーとしてた。
■太田 そういうことがあると、あとで飲んでるときいうんだ。 「みんながおかしいっていうから、俺、意地になってやった」なんて、本音吐く。
■浜田 夕景のシーンになると慌てるんだけど、牛前中はめいっぱい粘って撮るんだから。車ぶつけそうになった日、 「俺は反省したよ」つていうから……。
■下村 すぐ反省するんだよ。(笑)
■浜田 「監督,ほんとに反省したんですね」つていってたら、次の日また、日が暮れそうになった。今度は船だよ。そしたら慌ててね、あのときたまたまトランスシーバーの電池がきれて聞こえなくなっちゃったものだから、「ウワーツ」て、どなるんだよ。船だからどなったって聞こえないし、撮れないものは撮れないんだけど。泉谷しげると上原由恵が撃たれる場面で、梅宮辰夫が銃を構えて乗ってる船がまっすぐ来て、キーッと曲がるんだけど、車のときとおんなじことなんだよ。その船がもう少しで岩にぶつかりそうになって、あのときも危なかったね。
■元波 あの人のコンテで一番決まるのは、駅の別れね。『黒木太郎の愛と冒険』のときも、横須賀で前日リハーサルやったたけど、きっちり、ものすごく細かく撮った。『時代屋の女房』でも、大井町であったでしょ、もう細かいロングで、望遠でバーッと橋を追っかけるところとか、上から電車が見えるカットとか、いろんなアングルかけてものすごい。「駅の別れっていうと、なんてコンテがびしっときまるんですか」って聞いたら、子供のころかな、おばさんとの別れってのがあって、頭の中に別れのイメージができてるんだって。『生きてる党宣言』でも、カット数少ないけど、やっぱり駅の別れがある。必ず、感心するぐらい、いいコンテなのね。
■太田 やってる方は、大騒ぎだけどね。
■元波 早朝だよね、横須賀も大井町も。とにかくカット数がものすごく多いんだ。
■太田 横須賀駅の駅員さんがとても親切で、始発を遅らせてくれた。
■元波 制作の馬道昭三さんが、 「もうこれ以上止められませーん」ってどなってたけど。
■太田 次の電車が入ってくるのが見えるんだ。大胆なんだよ。
■元波 こんなになんで必要なのかって思うぐらいカット数が多いんだけど、いいんだよなぁ。
■太田 『天使が消えていく』のとき、記録の天野春代さんがいいってたけどその細かさは感じられないって。
■下村 やっぱりうまいよ。とっつぁん本人は下手だっていってるけど。あの人は、たとえばワン・カットでワーッと回すと、へんな雰囲気が出てくるじゃない? 役者は間違えないようにとかいろいろね、いってみれば偶然性なんだけど、そういうのいやなんだよね。こうしたいと思ったら、どんな手を使ってもそうしろって。描きたいことがセリフでできなかったら、ナレーション入れたってスーパー入れたっていい、とにかくこういう風にしたいんだってことを、ちゃんと出せって。偶然にそう見えちゃったとか、即興みたいなのは絶対いやがる。
■太田 やっぽり、脚本書いてきたってのがあるんじゃない?
■元波 脚本書き終わった時点で、もう終わった気になるって。だから頭の中じゃいろんな絵ができてる。
■河原 『生きてる党宣言』を書いてるときの話ってのを、近藤昭二さんに聞いたけどすごいらしいね。監督が全部の役を芝居するんだって。たとえばタケ子の役をやってみせて、それに答える島袋っていって、またその役を芝居しまくるんだって。近藤さんが見てて、ウワーツ面白いな、実に面白いってシークエンス、シークエンス笑っちゃう。それて最初慣れないころ、監督が翌日きて、昨日のとこ見せてくれっていったんだけど、あんまり面白くって全然書いてなかったんだって。ものすごく怒られたらしいよ。それからは面白くても、いわれた言葉をバーッと書くんだって。
■太田 ふだん話をするときでも、絶対フリが入るものね。
■元波 芝居するの好きみたいよ。『黒木大郎の愛と冒険』の仕上けのときの話なんだけど、大船撮影所でダビングやてて、ぼくはあの映画で使った犬と、ダビングステージの前て遊んでたのね。そしたら野村芳太郎さんがちょうど『八つ墓村』の撮影やってるときで、向こうから歩いてきた。森崎さん、それをパッと見て、見ぬふりしてるわけ。野村さんは森崎さんがいるなって気がついてすーっと近づいてくる。そしたら森崎さん、急に犬に話しかけて一所懸命犬をあやしちゃって芝居始めたわけ。野村さんがすぐうしろにきて「森崎君!」 いわれてハッとしたようにうしろ向いて、「あっ、これはどうも」 ぼくは吹き出しそうになっちゃってさ、あとで「監督、くさい芝居でしたね」っていったら、「そうか、お前わかったか」 みえみえの芝居なんだもの。
 『帝銀時件』では、新藤兼人さんのシナリオの書き直しを監督の家でぼくが口述筆記させられたんだけど、やっぱり自分でしやべりながら動くんだよね。それでしゃべってること全部書けって。自分の頭の中には絵が浮かんでて、絵のように動いてるんだろうけど。 「お前はキャメラの眼になって、ト書き入りで書け」っていうんですよね。
■下村 書くの早いしねぇ。
■元波 『時代屋の女房』の脚本は、セカンド助監督の長尾啓司さんが、荒井晴彦と共同で書いたんだけど、現場で長尾さんにいろいろいうわけ。「どういうつもりでこの脚本書いたんだ」って始まった。「俺は監督としては二流だけど、ライターとしては一流なんだ」「お前、ちょっとやってみろ」ってやらせて、「違う」って引っ込んじゃう。セットの中でロングから見てるんだもの。それで長尾さんが芝居から何から全部つけて、「監督、こんなもんでいいでしょうか」ってみせると、全部くつがえされる。ライテイングから何からやり直しよ。そんなことが何度かあった。

       むっつりスケベ

■森崎映画といえば、ほとんどが女性をメインにしたドラマなんですが、当の森崎さん本人の女性観はどうなんでしょうね。
■浜田 あの人、淫乱じゃないけど、やっぱりスケべなんですね。
■元波 いつか酔っ払ったとき、ペロッといってたけど、「沖山秀子に迫られて、やろうとしたら、あいつがメンスで、でかい尻が眼の前にあって」って。ああ、監督にも、そういう艶っぽい話があったのかなあって、びっくりしたけど。
■河原 俺はやったって、聞いたけど。
■太田 浅草で、女呼べ、女呼べってうるさかったもんね。結局、誰もこなかったけど。
■下村 そりゃ、みんなと同じスケベよ。なんか身内の人が亡くなったときに、電車に乗つたら混んでて、自分は座ったんだけど、女の人の足の間に自分の膝が入ったんで、こうやって、だんだんつま先立つて,上の方に……でも、ほら、届かないんだよ。
■河原 短い足だから。
■元波 自分の結婚式の日、京都でちょうど撮影があって、終わってから駆けつけるその途中、舞妓さんが、昼間だからながーい髪をおろしたまま掃除かなんかしてたのかな。その後姿みてね、あの長い髪の毛を手綱にして後からやったらいいだろうなって考えながら走ったってのね。俺は不純だったって。
■太田 『黒木太郎の愛の冒険』やってるときだったけど、田中邦衛が、「お前、聞いたかよ」って話してくれたんだけど、やっぱり電車の中で、あんまり混んでないのに、女の人の太股のところに、ペタッと当たってたんだって。で、ぼんとは品川で降りなきゃいけないんだけど、気持いいから東京駅まで乗っちゃったんだって。 (笑)
■元波 そういう意味じゃ。いたずらっぽいんでしょ。女注に対しても。
■太田 酔ってくると、だいたい本性出るけどね。だから「だんとつタモリ」なんだよ。出産したら何針縫うとかいう奥さんたちの話を喜んで聞いてて、次の日いうんだもの。 「聞いたかお前、あの放送すごいんだよ」。
■下村 奥さんが電話かけてきて、告白とかする番組だろ。
■浜田 むっつりスケベのタイプだね。
■太田 そうだね。
■河原 そうだねえ。
■下村 でも、トルコとかは行ったことないでしょ。
■河原 それで、よく、トルコ描くねぇ。
■浜田 いや、ああいうとこの女の人って好きなんじゃないですか。自分で行って女買うとかはできないんでしょうけどねえ。
■元波 テレやだしね。テレやだから、むっつりスケベなんじゃないかな。自分から手をくださないけど、なんか楽しむみたいな。
■下村 あんまり、あの人がやってる図って、想像できないもんね。 (笑)
■河原 正月、箱根に行った帰り、あれもおかしかったなぁ。あの酔っ払った姿は。
■元波 小田原の鉄板焼の店で、クラブかなんかやってるっていう母と娘がきてて。
■河原 ぼくに、呼べ呼べっていうんだよ。混んでて相席になる、「お前らもっとこっち寄って席開けろ」って。入ってくるいい女見ると「来ないかな」。結局その二人といっしょになって。そしたら干し柿かなんか持ってきててね。
■河原 ハッハツハッハ(思い出して)「ぼくなんか、これですよ」
■元波 「あなたのアレはこうですか」なんて、干し柿をグチグチ汁をブチュッと出してみたり、それで「卑猥だなぁ、卑猥だなぁ」って喜んでるんだよね。
■太田 たぶん松竹時代って、そういうこともいわなかったんじゃない?今、いっぺんに出てきちやったんじゃないの。
■下村 お前とかショーへーと、つき合ってりゃな。
■浜田 でも、そういう意味のスケベじゃないと撮れないよね。枯れた人が、ストリッパーの話とか、トルコ嬢の話とか撮っても、面白くもなんともないよな。
■太田 渡辺裕介さんが、徹夜明けで大船のホテルに戻ってきたら、久里干春と、もう一人「女シリーズ」にいっしょに出てた女優が二人で朝から飲んでるんだってさ。「どうしたんだ」って聞いたら、これから、どっちが森崎東を口説くか相談してるんだって。
■河原 女優にはもてるよ。
■太田 丘みつ子なんか『妻は何を失ったか』やってから、他のに出ると、「違うわねえ」って、マネージャーにいうんだって。もう一回森崎さんとやりたいって。
■元波 室岡さん(助監督)がいってたね。キャスティングするんで、いろんな人に電話したけど、男優には人気ないねえって。女優は、やらせて下さい、やらせて下さいって、すごいんだって。結局、スケジュールが合わなくてだめなんだけど。男はみんな二の足踏むって。
■河原 『生きてる党宣言』の脚本にしたって、女の役はすごく描いてるものね。
■浜田 男は添えものみたいね。そういう中ではやつぱり、平田満さんがやった役なんかはいいみたいだけど。
■元波 男は狂言まわしになって、女はドーンと。
■下村 だいたいそうだよな。
■浜田 男撮りたくないんじゃないかな。
■河原 撮りたくないんだろうね。
■浜田 いや、撮りたくないっていうより男撮ると、なんか違うんだろうな。喜劇っていうか、ああいう体質が、逆に出てこないんだろうな。
■太田 テレるんじゃない? 男だと。自分も男だから。それを女に振り替えて本音いわせるみたいな。
■元波 もしかしたら、清川虹子とかあのへんがさ、ずーっと黙ってて、ドンと。
■太田 「そこにお座りなさい!」か。
■元波 あのセリフとか、要するにゴッドマザーみたいな、ああいうの、ほんとは求めてんのかもしれないね。
■浜田 あの人、快感を求めてんじゃない? 「おだまんなさい!」っていわれたいという。(笑)
■下村 基本的には、やっぱり女に求めてんだと、思うなぁ。
■元波 裏を返すと、男にドンと「お前らジタバタするな」とかいわせてもなんかピンとこないんだなぁ、あの人って。
■浜田 『生きてる党宣言』の中で原田芳雄さんが、「ダメな男」っていわれるじゃない? あれだって、自分でいわれたいんじゃない?
■下村 いや、ああいうのはさ、やっぱりいうのは男じゃなくて女だと思ってるんじゃない?
■浜田 自分もだらしないから。しょせん男はだらしないと思ってるからいわれたいんだよね、なんかこう、強い女の人に。
■元波 いわれてないと、男の本領が発揮できないっていうか。だから、森崎さんは黒沢明の映画、ものすごく好きだけど、パターンがあるでしょ。必ず説教たれる師弟関係の、上がいて下がいてっていう。ああいう関係が、やっぱり自分の中にあるんじゃない? 自分の家にお父さんの胸像を置いてるぐらいだから、それをくつがえしたいみたいのあるんじゃないかな。

       キャラコのパンツ

■森崎映画っていうと、いわゆる映像美というのは考えられないし、逆に汚すのが好きって感じがするんですが、監督自身のし好というか、現実生活はどうなんでしょうね。ほんとうはおしゃれな人じゃないかって気がするんですが……。
■太田 ぼくが出会ったころは、いつもグレーのズボンに長靴ってかっこうだったけど、だんだん変わってきてますね。ニ、三年前の誕生日に、みんなでブルーの力ーディガンとピンクのポロシャツをあげたんですよ、そしたらカーディガンは、「こういうの欲しかった」っていってすごく喜んだけど、ピンクの方は家で練習してからとかいいって、ニケ月ぐらいしてから着てきたけどね。あのへんからフアッションの革命が始まったみたいね、割とナウッチくなつた。
■下村 変わってねえよ、どこがナウッチいのよ。
■太田 このごろはどっかのメーカーのジーンズとか、絵を描いて、おくさんに買いに行かせるっていってたよ。
■下村 ああ、最近着てるコート、あれはなかなかかっこいいね。
■元波 あれ、たたむとバッグになるんだよ。
■太田 そういうの絶対大好きだよ。
■元波 でもメンドウクサいから、ほら、自分でたためないから。
■河原 この間、「冬になるとこのズボンしかない」っての。「コールテンっていいね、すりむけてもはけるから」って。ほら誕生日が近いから。
■太田 それ欲しいんだよ。
■河原 ひざのあたり、さすってましたよ。
■元波 浜やんの結婚式に着てたコールテンのスーツは、『時代屋の女房』の舞台あいさつに作ったんだよね。俺にどんなのがいいかって聞くわけ、昔作ったのは腹が出て、もう入んないんだって。「浦山桐郎さんのコールテンの茶のスーツはよかったですよ。ふつうの背広だと他のとき着れないけど、コールテンなら、くだけた場所にも行けるし」っていったら、「じゃ、コールテンにしよう、お前、どこか行って、みてこい」って。横浜に、淀川良治さんが作っているいいテーラーがあるって話したら、そこ行くかなあつてブツブツいってたんだけど、結局、赤坂のね。
■浜田 新藤兼人さんがいつも作る洋服屋で。
■下村 赤坂は高いんだよ。シモちゃんもいっしょに作ろうっていわれたけど、そんな高いの作れないよねえ。
■太田 あの人さあ、なんか、もの作るとき大騒ぎになるのね。中国に行くときも、靴一足買うのに大変だったもの。
■下村 だけど、あの人が着ると、そう高くみえない。
■浜田 見かけは汚いけど(笑)ほんとは…:。
■元波 きれい好きなんだよね。映画ではなんでも汚したがって、汚なくしろ、汚なくしろっていうけど、ものすごく潔ぺき症だし、ものすごくきれい好きだし、白が好きなんだものね。
■太田 キャラコのパンツの人だから。中国ロケのとき、クリーニンクに出した森崎東ってネーム入りのパンツが間違って大楠道代の部屋に行っちやってね。 (笑)
■浜田 パンツ、毎日替えてますよ。
■元波 風呂も好きだし。
■浜田 風呂好きだけど、洗わないね。
■太田 だけど、回数は多いんじゃない? 散歩行ったからとか、なんとかかんとか、一日中風呂に入つてる。
■下村 風呂に入るともぐっちゃうんだもの。もぐって髪をばさばさってゆすって、洗うのメンドウクサイんだろうね。
■浜田 俺も何回かいっしょに温泉行ったけど、石けんつけて洗ってんの見たことない。必ず、入るとまず窓を開けるじゃない? (笑)
■元波 どこ行っても開ける。
■浜田 裸で立って、窓を開けて、表をみて、それから湯船につかって、それだけ。
■太田 洗わないね。
■浜田 頭だって、何もつけないで、じゃボじゃボって、でも頭、必ず洗うんだよ。家にいるときもそうなのかなぁ。
■下村 あの家の台所には洗剤はなくって、みがき粉しか置いてないし、奥さんがいろいろ考えてやってる家だけど。
■浜田 食事は、自然食だしね。基本的には、監督も自分なりに自然食はいいと思ってるんだけど、俺の家に泊まってたときは「インスタントラーメン、うまいねぇ」って。
■元波 家じゃ食わせてもらえないからね。
■浜田 だから、かくれインスタントラーメン党。 (笑)森崎家じゃ、季節の野菜しか食わないけど、でも、あの人は季節のものじゃなくても、おいしいってものは何でも食う。うまい、うまいって。それほど厳密な人じゃないね。うちにくるたんび、インスタントラーメン食ったものね。
■下村 他に食うものなかったんだろ。
■浜田 それはそうなんだけど、でも、おいしい、おいしいって。
■太田 あの人、わりと何でもおいしいって食べるね。
■下村 あれじゃなきゃいやだって、あんまりいわない。
■河原 出されたものは何でも食べますよ。
■浜田 まんじゅうも食うし、ケーキだって、食いものに関しちゃ、いじきたないね。
■下村 「止めてくれ」って俺にいうんだもの。 (笑)知らないよ、そんなこと、人に頼るなって。


     触発してよ! 森崎さん

■最後に、皆さんそれぞれの立場から、森崎さんの今後についてお聞かせいただきたいのですが…。
■太田 ぼくたちは、これから大変だと思いまずが、監督には、いろんなのやらせたいですね。本質は変わらないんだろうけど、サスペンスなんてやってほしい。
■下村 急にプロデューサーみたいなことをいうなよ。
■元波 でも、サスペンス下手だよ。
■太田 下手って、見たの?
■元波 『赤い妄執』なんて、それ風じゃない?
■太田 でも、『野良犬』のアクションなんて、よくできてると思うよ、興奮しちゃう。
■下村 個人的なことをいわせてもらえば俺も、いつまでも森崎組の助監督やってるわけにいかないし、機会があれば監督やりたいけど、俺、とっても怠け者でしょ。森崎さんも怠け者だけど、すごく刺激されるとこあるのね。『生きてる党宣言』やって、俺もこれで監督になれるなって気がしたんだけど、もし自分でやるときは、何らかの形で、とっつあんに触発されたいって気がある。触発されるってのは、ものへのこだわり方ね。何にこだわるかって、それはびっくりしますよ、なるほどって思う。ところがうっかりすると、俺なんかコロッと忘れちゃうものね。そういうとき思い出させて欲しいっていうか、ほんとにこだわるから。そのこだわりを勉強したいですね。
■浜田 ぼくなんか、現場ってのは割り切って撮らなきゃならないし、白か黒か、こういくのかああいくのかっていうのは、はっきりしないと撮れないわけなんだけれど、森崎さんがはっきりしないってのは、こだわりつづけてるっていうのかな、まず、現場は明快じゃないですね。でも、あの人がちょっと待って、ちょっと待って、こうやってああやってっていろいろやっていくうちに、一本道が開けるみたいな。俺たち、その前の段階でこういこうか、こういきましょうっていきたがる。あの人は、こだわって、こだわって一本みつける。前の日に打ち合わせした段取りが、次の日全部変わるってのは、やってもやってもこだわるからで、これがワーッと一回で決まっちゃうと、もうそういうものだと思っちゃうけど。
■下村 そこで、「ようし、決まったぁ」なんて、安心しちゃう。それが助監督で「ようし決まった」つて安心してる分にはいいけど、自分が監督で「ようし決まった」って安心しちゃったら、困っちゃうものね。そこのところのこだわり方を、触発して欲しいですね。
■浜田 今、映画を撮れる人ってのはそんなにいないから、映画を撮り続けていける人だと思うね。ああいうこだわり方を持っている限り、映画を撮っていってもらいたいね。
■太田 生活もあるけど、テレビはまぁ、脚本だけにするとかさ。
■浜田 いや、テレビも撮ってもらわないといかんけど。
■元波 セリフの少ない作品をやったら、あの人どうするかなぁ。
■下村 セりクの少ない脚本だったら、あの人セリフ増やすよ。 (笑)
■太田 今,漠然とですけビ、下村さんが井上ひさしの『黄色い鼠』をやろうか、なんていってるわけですけど、森崎さんに下村監督の下の助監督になってもらうってことになってますから。
■元波 あの作品、本人ものってるよ。シモちゃんがやらなければ、俺がやるって。
■下村 良い助監督として育って欲しい、か…。(笑)
■元波 助監督としてはだめだよオ。
■浜田 ショーへーだって、だめなんだからね。
■下村 ショーへーといい勝負だ。
■太田 聞くところによると、ほんとひどい助監督だったみたいね、車止めに行ったきり帰ってこないんだって。
■浜田 ショーへーといっしょだよ。でも、こういう映画状況のなかで『時代屋の女房』が撮れて、曲がりなりにだけど続けて『生きてる党宣言』が撮れて、それでまた松竹から話があるし……。
■下村 やっぱりいないよ。ほんとにいないって。
■太田 A・P(アシスタント・プロデューサー)って立場から見てるけど、最近のテレビの現場で芝居つくってるの見たことないものね。だから現場行っても面白くないのね。
■下村 スタッフや役者の方が、役割考えてますよ。ひどいもんですよ。基本的にテレビなんてのは、企画が通るのは役者しだいみたいなとこ、あるでしょ、そうすると、その役者が気嫌よく出てればすんじゃうという、だからテストばかりやつて時間がかかるのは困るってことになる。
■太田 それはだめな監督、ってことになっちゃうのね。森崎さんは、上がりがいいからまぁいいけど、要するにああいうタイプはだめな監督、パッと一週間で撮り終わる方が良い監督だと。
■下村 段取り悪いしさぁ、「うん」なんていいって、そのたび「あー」なんて考えるわけだから。
■太田 照明とか録音の助手さんたち末端スタッフの人たちなんか、速い監督だから良い監督って思ってるところがあるんですよ。「今度の監督どういう監督? 速いの、遅いの?」って。こういう状況だと、良いスタッフが育っていかないと毘うんだけど。
■下村 それはあるよね。
■元波 でも、『生きてる党宣言』で救われたのは、午前中ワン・カットも回んないってことがあっても「それ、ふつうだよ」つていえるスタッフだったから良かったと思いますよ、ほんとに。
■下村 よかったね。
■太田 今は、まぁかろうじてそういう人たちが残ってるからいいけど。
■元波 本篇志向で、食えなくてもなるべく本篇やっていこうっていう、照明なり録音なりが少しはいるからね。
■下村 だけどやっぱり俺たちも、もう先輩になってきたからさ、そういう風に考える方法もあるんだってことを、伝えていかなきゃいけないってことはあるね。どうしてもいい加減に流されやすいからね。とくに助監督なんてパートは、段取りよくいけばいいわけで、それで会社はほめてくれるんだから。
■浜田 そうそう、そうそう。
■下村 ところがやっぱり、そういう風にこだわりを持ちながらやっていかなきゃ、助監督が監督になったとき、どうしようもなくなっちゃうからね。こだわり方事態を、今の監督が教えてくれなくなったらやっぽりねぇ。それでもわからないやつはしょうがないけど、わかるやつには教えていかなきゃいけない。そういうある種、先輩としての使命感ってのあるよね。
■太田 森崎東だって、まだまだそういう使命が残ってるしね。
■浜田 今年、何歳になったんだっけ。
■太田 五十六だよ。まだまだですよ。ビリー・ワイルダーなんて、五十六で「アパートの鍵貸します」を撮ってる。
■浜田 黒沢明は七十ですよ。
■下村 五十六で『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』
■太田 あと二十年はやってもらわないとね。
■元波 ぼくのプロデューサーやって欲しいんだけど。
■浜田 あの人、プロデューサーはできないよ。
■元波 ぼくにはやるっていってるんだよ。
■下村 いってるだけだよ。
■浜田 それは監督の錯覚だよ。
■元波 十六ミリを、百万でやってやるって。
■下村 森崎東をプロデューサーにするなよ。
■太田 結局、ぼくのところに電話がかかってくるんだから、お前、百万でやってやれって。
■元波 お願いしますよ。
■太田 冗談じゃないよ。