ニワトリはハダシだ!  ベルリン国際映画祭紀行

対談者................ 森崎東 
出典................ 森崎東 公式サイト
................ 
発行................ ウェブ
発行年................ 2004年4月-6月
URL................ http://hadasi.jp/berlin/index.html

第1話
 
 ベルリン出発直前になって、一つの不安がよぎる。
 どうせ『ニワトリはハダシだ』ってどういう意味か? と訊かれるだろう。答え方はいろいろあるが、励ましだと答えればいい。しかし《ニワトリはハダシ》という歌詞の出てくる『おこさ節』はドイツ人にもわかるように説明したい。それには歌って見せるに限る。もちろん歌うのは一向に構わない。むしろ歌いたい。だが、あの歌はむずかしい…非常にむずかしい。
 民謡といえばシナリオライターの中島信昭氏だと即座に電話し、受話器の向こうで歌っていただく。
 ♪それもまったくだな 鶏裸足ヨー (アラ コラサノサ) 鶏裸足でも コーラヤ コラ 嬶もてる オコサデ オコサデ 本当だね
 …やはりむずかしい。どうしても秋田『おこさ節』が山形『花笠音頭』になってしまう。
 不安を拭い切れぬまま、成田を発った。

 

2月6日
日本時間12時25分発《NH209・D》便。
うんざりするほどシベリヤ上空を飛んだ末に、現地時間で同日の16時35分、フランクフルト着。17時25分発《LH190・C》便に乗り換え更に飛ぶ事1時間、テーゲル空港に降り立つ。
上着を着れば汗ばむほどの暖かさ。
倍賞美津子さん、マネージャーの小野女史、志摩プロデューサー、ザナドゥの沼田氏、清水女史、久保女史、そして森崎夫妻。
 一行は一路、エクセルシオールホテルへ。


 喜劇映画を撮り続け、まさか海外の映画祭に招かれる日が来ようとは、夢にも思わなかった。
 だからといって『ニワトリはハダシだ』が現地で評価されているわけではない。聞くところによると、外国の映画祭では10分観てつまらなければ、観客がゾロゾロ退場するらしい。そんな憂き目に合うことはできればごめんこうむりたい。
 記憶に残る《映画のベルリン》といえば、ロシア映画だが『ベルリン陥落』って映画があった。赤旗の翻る累々たる廃墟のベルリンの映像が圧倒的だった。大群衆の前に立つスターリンがまさに蝋人形のようで異様に印象が残った。
 また、1台のジープに乗り合わせた連合国・米、英、仏、露の兵士たちの友情を描いた『ジープの四人』という映画もあった。コチラも同様にプロパガンダの匂いが胡散臭く「この連中が仲良くいくわけがないだろう」という思いで筋は憶えていない。

 俗称《チャーリー》といわれるUSアーミー・チェックポイントを通りかかったときのこと。あの映画に出てきた《チャーリー》がその姿のまま残っていたのだ。何十年という時のフィルターがいくえにも覆い輪郭もはっきりしなかった記憶が、実物を目の当たりにしてあざやかに蘇った瞬間、私は思わず車道を横切った。その刹那、疾走する車が背中を擦るかのように私のすぐ後ろを掠めていった。その衝撃に、体が震えた。
 走馬灯すら浮かばぬほどの一瞬の出来事だったが、はるばるベルリンまで来て命拾いしたこと、この衝撃をたぶん死ぬまで忘れないだろう。

 

 
2月7日
 11時、上映やQ&Aについて、現地のスタッフとの打ち合わせ。 下見を兼ねてメイン会場などを廻る。
その後、昼食。
 

 
 印象としてドイツの料理はすべてがいかにもドイツ式で画一的というか、同じ味に感じる。どこに行って何を食べても《一定》な味という気がする。
 宿泊したエクセルシオールホテルの中には、ここかしこに小ぶりで真っ赤なリンゴがおいてある。飾りでもあるだろうが、ご自由にお召し上がりくださいということらしい。リンゴは食わなかったが、チーズはうまかった。おかげで調子に乗ってガンガン食った。
 その夜、一行は、若杉社長(プロデューサー)と合流して豪華ディナーへと繰り出していった。残念ながら私は例によって早寝、みんなはさぞかし愉しきベルリンの夜を堪能したに違いない。

 ベルリンの黄金期は1920年代といわれる。ドイツ帝国崩壊からナチス台頭まで。社会が揺れ動き不安定な時期だからこそ、夜の街に救いを求めたのかもしれない。退廃的で耽美的なベルリンの面影はもはや見当たらないようだが、残り香くらいは漂っているのかもしれない。壁の崩壊後、東ベルリンに西や海外からの資本が押し寄せ、廃れたはずのヴァリエテやカバレット、キャバレーなど夜の姿が復活した。

 寝床でさまざまな記憶が去来する。
 戦時中、日本のラジオにベルリンとローマからの放送が毎晩のように流れた。
「日本ノ皆様、コチラハ、ベルリンデアリマス…」

 ベネチアでもカンヌでもなくここはあの放送の発信地ベルリンなのだ。
 明日は上映初日。頭を整理しておかねばと逸る気持ちもあるが、頭の中にはラジオから流れる
 ♪ドイッチュランドイッチュラン・ユーバー・アレッス・イン・デアヴェルト
 の歌と
 ♪ジョヴィネッツア・ジョヴィネッツア
 が延々と聞こえて止まない。どうやらチャーリーで車に轢かれかかった瞬間から、俺の脳味噌の中の海馬の機能は5、60年逆回りしたらしい。

(つづく)

 
第2話 思いすごし

2月8日 (前編)
 朝食後、監督夫妻は連れ立って、ホテル周辺のツォー広場、最後のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が中世の教会を模して建てた「カイザー・ウィルヘルム記念教会」を見物し、その足である映画館に向かった。第2次大戦による廃墟のまま保存された教会は戦中派の監督には少なからぬ感銘を与えたと見え、後で聞くところによると、その日の『ニワトリはハダシだ』の上映についてはほとんど 念頭になかったという。

 
「…えっ」
 志摩プロデューサーは耳を疑った。教会見学に出た監督は早めの昼食後、折から映画祭特別招待作品として上映中の清水宏作品『歌女おぼえ書』を観に行ってしまったというのである。
「ほんまかよ」
「こっちの上映中には戻って来られる約束ですから…」
「まぁ、上映後のQ&Aには間に合うからええか…しかし、自分の映画公開初日に他人様の映画を観に行くなんて、凡人には考えられへんで」
 志摩プロデューサーもザナドゥの沼田氏も、客の入りが気になった。はたして本当に来るだろうか。ベルリンの人々は最後まで観てくれるだろうか…。監督が到着した時、ガラガラだったらまずいよな。もちろん口には出せない不安である。
 そうして、上映時間になると――何と! 客席は満席だった。
 上映が始まる。5分経った。その時、客の1人が立ち上がった。
「うぁ…」
 2人目、3人目と、次々席を立ち始めた…。
「来た! これか…」
 しかし、5、6人目が立ち去ると、そこで退場する客足はピタリと止まった。残りの客はスクリーンに釘付けになっていた。
 ドッと笑いが起こり始める。スクリーンのギャグに観客が無防備になり始めた。
 安堵する2人。
 あとは流れに任せればいい。
 すっかり客が楽しんでいる頃、監督が到着した。

 客がヤケに笑っているので、
「これは失笑を買っているのではないか」
という疑惑がとっさに浮かび上がって来た。腹の中ではいささか憤りすら感じ始めている。
「このシーンはゲラゲラ笑う場じゃねぇだろ…」
 ところが上映が終わると、場内から万雷の拍手が沸きあがるのだった。明かりのついた客席には、満面の笑顔と、涙目になっている笑顔までが温かい眼差しでこちらを見ている。そんな拍手に包まれると、さすがに昂ぶりが込み上げてきて、初めてドイツに来て良かったと実感した。やはり自分の映画が受け入れられるのは素直に嬉しい。今すぐにでもお礼が言いたい。急に何だが、モゾモゾと逃げ出したいような気になってきた。
 こんなに喜んでくれているのに、この後のQ&Aで下手なことを言うわけにもいかない。幻滅させることになる。ならばいっそ、歌でも歌うか。いや、あの歌はまだウロ憶えだ。
「…まずいなぁ」
 他人様の映画なんて観てる場合ではなかったとひとり後悔していると、壇上に上がれと促され、追われるように登壇してしまうのだった。

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第1回上映後Q&A

 ○独語字幕版・満席 

(司会) ウルリッヒ・グレゴール【フォーラム部門・ディレクター】
(通訳) 梶村 昌世
(出演) 森崎  東【監督】
     倍賞美津子【女優】
     志摩 敏樹【プロデューサー】

 まるで石切り場からごっそり切り取ったような、重量感ある真四角な建物。
 ホールは真紅のビロードに包まれたような壁に黄色い照明が灯る内装。まさにヨーロッパ的な劇場である。
司会のグレゴール氏に招かれ、森崎監督、倍賞さん、志摩プロデューサーが舞台に立つ。客席からの喝采に応えて監督、黒いキャップをとって深く頭を下げる。倍賞さんは両の掌を、肩の辺りで明滅させるように結んで開いて。いつ見ても可愛らしい挨拶である。森崎組番頭のように慎ましく続く志摩プロデューサー。
 上映直後の客席からの熱気が、舞台上を包み込む。

Part1

●グレゴール「まず一言。今回ここで森崎監督の作品を紹介できることをわれわれは大変うれしく思っています。なぜかというと、われわれはこの映画を《東京のフィルメックス映画祭》で発見したのですが、日本で聞くと監督の作品は日本では非常によく知られているそうですが、にもかかわらず海外ではいまだ森崎東の名前はあまり知られていません。もしかすると今回、このベルリン映画祭での上映をきっかけに、森崎東の名前が世界に飛び出すのではないかと、われわれは期待に胸を膨らませているからです」

     ◆同調する観客の拍手。

●森  崎「まずお礼を一言申し上げます。私は監督になりまして40年ほどになります。この長い間にこれだけたくさんの海外の方が私のフィルムを見てくださるというのは、まったく初めてのことでありまして、まるで夢を見ているような気持ちです。ありがとうございます」
     ◆拍手。

●グレゴール「それではまず私から質問ですが、主人公の男の子(勇=サム)は、知的障害という設定になっていますが、知的障害者を物語の主人公にするのはとて も珍しい事だと思います。どういう期待や気持ちを込めて主人公を描いたのですか」
●森  崎「長年にわたり映画に携わり、且つ日本人として生きてきましたが、私はあまり人の言うことを信じられないような気になってます。特に政治家の言うことなどはまったく信じられないという気持ちがありまして。ただ、1つだけ信じられる気がしたのは、知的障害者の親御さんたち、特にお母さんたちがよくおっしゃる言葉です。『私はこの子のために生きている気がします。この子は私の生甲斐です』と、はっきり仰る親御さんが多いんです。私は最初、その言葉さえも信じられなかったんですけども、ある日、信じられるようになり、映画にしようと思いました。『私はこの子を隠そうとは思わない。他人の眼(まなこ)から、絶対に隠そうとは思わない。むしろその逆で、この子の面白さをいろんな人に知ってもらいたい。皆さんにお見せして歩きたいくらいです』そうおっしゃったお母さんがいて、私は思いました。お母さんがお見せになって歩かなくても、私が息子さんを映画にして皆さんにお見せしたい。そう思ったわけです。ある意味大変重い気持ちでもありましたが、その言葉を聞いて頑張って撮ろうという気になりました。
 …いささか喉がカラカラになっておりまして、お聞き苦しいかと思いますがお許し下さい。皆さんを前にお話しするうち、緊張してきました」


●グレゴール「(笑)では、倍賞さんに質問します。森崎監督とは今までにどれくらいの作品をご一緒されているのですか」

●倍賞「6、7本でしょうか…とにかく私の中では一番多くご一緒した監督です。監督が第1作目に撮られた作品が、私の主演第1作目の作品でした」

●グレゴール「今回の作品は、本来は重いテーマで、いろいろな面で、役もとても難しかったと思います。演じられていかがでしたか」

●倍賞「どんな映画でも撮っている時は、いろんな面で大変なことがあるんですけど、この映画を撮ってる時は、スタッフとのコミュニケーションも良かったし、本当に毎日が楽しかったですね」

●グレゴール「観客の皆さんもいろいろお聞きしたいでしょうが、もう少し待ってください。あと1つ2つ質問したいのでその間、質問を考えるのに使ってください。
 ロケーションについてお聞きします。今回、舞鶴という街は非常に珍しい風景を持った場所ですが、どういう理由で舞鶴を選んだのですか。監督と舞鶴に何か深い関係でもあったのでしょうか」

●森崎「そのいっさいのお答えを、プロデューサーの志摩さんから代弁してもらいます」

●志摩「私は、映画監督・森崎東の大ファンでありまして、実は日本でも有名な監督なんですが、今までお撮りになっている本数が非常に少ないんですね。先ほどおっしゃられたようにキャリアは40年になるわけですが、監督作品は今回で24作目、しかもこの作品を撮ったのは五年ぶりなんです。私は、森崎東の新作が観れないことに、日本で憤りを感じておりまして、監督のご自宅へ参りまして、《内容については一切制限致しません。今やりたいテーマでお好きに映画を撮ってください》と、お願いしました。すると、じゃぁ、志摩の故郷で撮ろうということになりました。舞鶴というのは、私の故郷なんです」

●グレゴール「志摩さんは映画を観て、ご自分の故郷にご満足ですか」

●志摩「お願いして本物の警察で撮影させてもらったわけですが、ご覧のとおり警察に対する皮肉が色濃い作品になっています。今後舞鶴で生活するにあたって、警察からマークされているのではないかと非常に不安になって、困っております」

     ◆場内、笑い声と拍手に包まれる。

●グレゴール「お待たせしました。観客のみなさん。どうぞ」

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 Part2

●中年男性客「監督は先ほど政治家はまったく信じられないとおっしゃられてましたが、だからこそ知的障害者のお母さんの言葉が信じられたと思うのですが、以前には政治家の言葉が信じられた経験がありましたか。もし、あれば何故信じることが出来たのかお答え下さい」

●森崎「全然信じたことはありません。その不信の念がだんだん絶望的に増大するという感じになっております」

     ◆賛同の拍手に沸く。

●若い女性客「2つの質問をさせてください。1つは、主役を演じている男の子は実際の知的障害者なのか、健常者なのか。もう1つは、日本で公開されていれば、どのような反応だっだのか教えてください。こういう物語で知的障害の子供が主人公という映画は非常に珍しいと思うのですが、私の印象としては、まったく他文化の日本という国でも、私たちの国でも、世界的に通じるものがあるんだなと思い感動しました。すてきな映画をありがとうございます」

●森崎「(勇役につきましては)非常にたくさんの候補者に会いまして、1人に決めなければならないので辛い思いをしましたけれども、たまたまオーディシヨン会場に遊びに来ている少年がおりまして、何だか少し胸が温かいような、頭も温かいような感じで、ボーっとした顔で笑うのが目に止まりました。それで彼に決めました。彼の名誉のために一応申しますが、決してIQが低いわけではありません。ただ一つ言えるのは、私自身がどこか知的障害的な気質を持っているような気がしており、彼の笑顔もまた同類ではないかと思い、その笑顔を、彼に決める一つのよりどころにしました。
(日本での反響について)この間私は、自宅で風呂に入ろうと裸になっておりましたら、フラウ(=妻)が、崔洋一監督が今ラジオであなたのことを喋ってるわよと言うわけです。急いでラジオのもとまで行ってみますと、『私がこの映画を推すのはルール違反ではありますが、この映画は喜劇として、ベスト・ワンである』というようなことを言ってくれたのです。私は嬉しくて裸のまま呆然としておりましたが、家には娘もおりますので急いで風呂場に戻りました。その時の入浴は、非常に気持ちのいいものでした」

     ◆やけに受けている観客たち。

●森崎「日本では未だ公開してませんので、一般の評価は全く聞いておりません」

●若い男性客「日本の警察が実際暴力的なのかどうか分かりませんが、直子先生のような女性までがひどい扱われ方をしたり、直子先生も飛び蹴りしたり、いろいろな話が重なり合って、そういう暴力が生じてくるのだと思いますが、複雑なストーリーの中で時折、何故この人がこんな扱われ方をしなければならないのか解らなくなることがありました。
 特に警察の描写に暴力的なシーンが多いと感じましたが、これは日本の現実なのでしょうか。それとも映画の中で敢えてオーバーに描いているのでしょうか」

●森崎「完成したこの作品を頭から最後まで通して観るのは3、4回目ですが、暴力描写が激しいかなとも思います。少し撮り直したい気持ちまで湧きました。しかしある意味で、暴力が多いというのは事実です。新聞紙上によると、警察官同士で、実弾をこめた拳銃を寝ている部下の頭に押し付けるという苛めが起きています。このような苛めや暴力が警察の中にさえもあるという現状です。
《警察とやくざが結託して、知的障害の子を有罪にしようと言うのは酷いではないか》と直子が叫ぶシーンがありますが、あのシーンは実際の警察で撮影しました。本物の警官が撮影に立ち会ってますから、撮っていてとても気にはなったのですが、そういう事実がある以上、あえて訂正する必要はないと思い、そのまま撮影しました(笑)。
 日本中で、かなり程度が低く、性質の悪い苛めや暴力が頻発していることも日本の現実の一面です」

●グレゴール「この映画のひとつの要素として、宗教的なものが採り入れられています。とりわけ後半に出てくる《お盆》というもの。この火祭りのような儀式が何故採り入れられているのか、また、どういうお祭りなのでしょうか」

●志摩「日本では8月の半ばに《お盆》という風習があります。亡くなった人たちが年に一度、家族に会いにこの世に戻って来るんです。その霊を迎え、また送るというものです。全国的な風習ですが、映画に出てくる火祭りのようなものは、舞台となった吉原という町独自の《祀り事》なんです。送り火で先祖を送る日に、豊漁祈願として松明を魚の形に組んで火を焚き、漁師たちが川の中で回します。吉原は漁師町ですから男たちの儀式です」

●森崎「そのお盆の儀式を何故撮ったかですが、この映画のロケハンで、ある島の付近に行った時に、何故か厳粛な気持ちになりました。後で聞きましたらそこは蛇島という島で、終戦直後、浮島丸という日本海軍の船が機雷に触れて爆発し、500人からの韓国・朝鮮の人が亡くなったという場所だったんです。映画の中でも、倍賞さんが台詞で語るあの島です。私の中で、訳も知らず、厳粛な気持ちになったことへの問いが生まれました。そしてもう一つ。この世に一定の割合で知的障害を持つ人が生まれることへの問いです。この問いには、現代の科学や医学や哲学などどの見地からも人間は答えることが出来ません。私は無神論者で、宗教にはまったく関係のない男ですけども、それらの問いに、現場となった土地の宗教的な要素を絡ませたくなったのです。
 ちなみに、この映画の最初のタイトルは『ニワトリはハダシだ』ではなく、仏教のお釈迦様にちなんで『56億7000万年の遅刻』というものでした」

●グレゴール「最後に志摩さんに聞きたいのですが、このような映画は日本では、どれくらいの観客が入るものなのでしょうか。」

●志摩「この映画は、ご覧のとおりいくつもの要素がたくさん詰め込まれています。これは森崎監督のすべての作品に共通する世界であり、類を見ない面白さなのですが、日本の観客は複雑だと捉えてしまう傾向があります。しかし今日観て下さった皆さんのように単純に観てもらえれば、楽しんでもらえるはずだという自負があります。
 日本でどれくらいの観客が入るかという質問ですが、映画は、いつの時代も世界共通で《開けてみないと判らない》わけですが、正直この映画は類い稀な作品だからこそ勝因があると思っています」

●グレゴール「今日はとても楽しい質疑応答になりました…」

     ◆観客から更に質問の声が上がるが

●グレゴール「次の上映時間もありますので…」

●倍賞「ごめんなさい、ひとつだけ言わせてください」

●グレゴール「どうぞ」

●倍賞「今日皆さんの反響を見て、逆輸入って手もあるかもなんて思いました(笑)実は過去の森崎監督の作品で原発がテーマのものがあって、日本で2年間オクラになったことがあるんです。この作品は汚職なんかのテーマがありますが、そんなことに負けず、キチンと公開されると思います。ベルリン映画祭がこんなに評価してくれたことですし」

     ◆場内からの惜しみない拍手に包まれる。

●倍賞「ベルリン発で、皆さんから日本の公開の時のために、エールとエネルギーを送ってください」

     更なる拍手、そして歓声に包まれ、退場する3人。


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Part3

 会場から出てきた監督を、すかさず観客たちが囲んで捕獲…さすがゲルマン民族。 急遽、質疑応答。雪の降る屋外で捕らえられた監督に、質問の嵐。 観客たちの吐く息がとても白く、印象的だった。

●若い青年客A「社会的な問題を多く採り上げている中で、在日朝鮮人問題を訊きたいのですが、舞鶴には、在日のコミュニティのようなものはあるのですか」

●森崎「在日の方は非常に多く、映画でも語っていますが、舞鶴が好きになってそのまま居ついた方も沢山いるようです」

●若い青年客A「日常で、在日の人と日本人とどのような関係になっていますか」

●森崎「細かいことはあるかもしれませんが、舞鶴では非常に仲がいいです。日常ではあまり壁のような意識はないようですね。飲み屋をやっている在日の女性に、日本人にもたくさんファンがいたりして、楽しくやってます」

●若い青年客B「汚職や知的障害などの問題が扱われていますけど、日本では映画がこれらの難しい問題を扱うのは、理解されてきているのですか、それともタブー視されたままですか」

●森崎「汚職は全くタブーのままです。とりわけ政界の汚職は報道すらろくにされません。この映画のモデルになった汚職事件は、今裁判中ですが、マスコミもほとんど取り上げてないです。知的障害に関しては、汚職問題に比べれば、相当にタブーとする壁を取り払おうとする動きがあります。ドイツや他の国ほどではないと思いますが」
若い青年客B「この映画が、日本でどう取り上げられて、どのような影響を与えられるか興味深いですね。本当に美しい映画でした」

●若い青年客B「(スタッフのまわすカメラを指し)今のをこっちに向かって言って下さい」

●囲む観客たち「(ウケている)」


●初老夫婦・夫「私もひとこと言いたいです。すばらしい作品ですごく感謝したい気持ちで した。ワンダフル、ワンダフル、ワンダフル・フィルム! ベルリンで、 あなたの作品がもっともっと観られることを願うばかりです」

●初老夫婦・妻「こんなに愛を込めて人々を描いたものはないんじゃないかと思うくらいでした。本当に素晴らしかったです」

●森  崎「質問していいですか。《ニワトリはハダシだ》という言葉を聞いてどう感 じますか」

●初老夫婦・夫「非常にユーモラスですね。ぱっと浮かびませんが、この言葉に込められた意味に非常に興味が湧きます」

●初老夫婦・妻「ドイツに似た諺があります。私は、ニワトリに知り合いがいまして、彼は向上心があって、とても自分勝手だったんです。その知り合いのニワトリは、実は孔雀に恋していたんですね。ニワトリというと彼を思い出してしまうんです」

●森崎「実は日本にも《ニワトリはハダシだ》という歌詞が繰り返し出てくる民謡がありまして、大意としては自分たちを励まして気力を奮い起こす歌ですが、ニワトリはハダシだけども立派なフラウ(=妻)がいるじゃないかといったものなんです」

●初老夫婦共に「なるほど(笑)」

●初老夫婦・妻「私は絵描きで、知的障害の子供たちに絵を教えていますが、この映画の知的障害の少年を撮るまなざしに感動しました。基本的に人間皆が人間であることの喜びを、非常に陽気に語ってくれた作品だと思います。観ていて、すごく嬉しくなりました」

●森崎「是非、カメラにも言って下さい」

●倍賞「よーい、スタートってかけた方がいいんじゃないの?」

●初老夫婦・妻「(異常にウケて、大笑いする)今の時代、人間はハートを込めて生きなけ ればいけないと思います。この映画は生きる勇気を教えてくれました。 より多くの人が観て、多くの心に届くように祈ってます」


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2月8日 (後)
 ホテルに戻り、皆と夕食をとる。取敢えず、無事に上映初日を終えた簡単な打ち上げ。
 私ばかりでなく、皆の緊張も一気に解けた。ただ、倍賞さんだけはあまり緊張してなかったかもしれない。脱帽。
 まぁ、緊張と言ったって、ナチス時代のドイツ映画監督たちやスターリン時代のソ連映画監督たちに比べれば生温い。害あり、必要なしと判断されれば即座に粛清されたのだ、彼らは自らの作品の試写室で、後ろの検閲席に座ったスターリンに全神経を集中させていたに違いない。スターリンの咳払い一つで失禁し嘔吐した。その緊張感たるやちょっと想像し難い。私には今日の緊張感で、もう精一杯だ。

 フリッツ・ラングはナチスから呼び出しを受けてプロパガンダよろしくと言われて笑顔で握手を交わし、帰り道のその足で亡命した。ナチに傾倒していた天才脚本家である妻のテア・フォン・ハルボーは、離婚後に入党した。
 『嘆きの天使』の撮影後、ハリウッドに渡った女優・マレーネ・ディートリッヒは、ベルリンのヴァリエテの踊り子だった。ベルリン市民は彼女の渡米を裏切りと受けとめ、許すことはなかったという。彼女は晩年を、パリで過ごした。1992年、死去。彼女の亡骸は、ベルリンの墓地に埋葬された。生前、彼女はどんな想いで壁の崩壊を見たであろうか。墓碑には、《我が人生の日々が刻まれし此処に、私は立つ》と刻まれているそうだ。
 レニ・リーフェンシュタールは、ナチスからの要請で36年のベルリン・オリンピックの記録映画『民族の祭典』『美の祭典』を撮影する。彼女のように、亡命できなかった人々は党に帰依してでも撮りたい映画を撮るしかなかっただろう。皆が皆、果たして撮りたい映画が撮れたかどうかは甚だ疑問だが、『民族の祭典』はプロパガンダの下に作られた映画ではあるが、大記録映画だったことも間違いない。

 余談ではあるが、ベルリンの映画博物館に行ってみると、『民族の祭典』のトップシーンを撮影するリーフェンシュタールのスチールが展示してあった。男が円盤投げする姿を、移動撮影している時のものだ。移動車を押す彼女のお尻がやけに大きい気がした。思い出すのは子供の頃、学校の講堂で始めて『民族の祭典』を観た時の記憶。あの雄雄しい全裸の男の、背後から正面へ移動する画面に吸い寄せられ、女の子たちのおかっぱ頭が一斉にギリシャ彫刻さながらの裸像の前が見える角度へ傾いた。それは正に壮観だった。凪いだ草原に、気まぐれな風が通り過ぎたような…いや、そんな爽やかなものではない。熱を伴った女の子たちの吐息を感じて幼いなりにも、明らかに引力とは異なる磁力が、地球には存在するのだと自覚させられた。
 どうやらその自覚が、わが映像体験の原点らしい。

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独語字幕版・満席 
(通訳)梶村 昌世
(出演)森崎  東【監督】
    倍賞美津子【女優】
    志摩  敏樹【プロデューサー】

 前日とはうって変わってガラス張りの現代的な劇場建築。ベルリンは過去と未来が融合する街のようだ。
 ロビーは淡いグレーを基調に、モスグリーンのソファ。周りに青いパネルや黄色い壁。中間色と原色が嫌味なく配色されている。ホール内は、黒のような濃いグレー。赤い座席とカーテンが浮き立つ。シックでモダンな内装。
 ちなみにこの劇場、フォーラム部門のディレクター、グレゴール氏の持ち小屋。劇場名【Arsenal】は、《兵器庫、工廠》の意。ソビエト(現・ロシア)映画の『武器庫』(アレクサンドル・ドブジェンコ監督/1929年)のタイトルからとった名だという。鉄のカーテンの頃、東西映画祭一挙上映を実現しようと運動したグレゴール氏にとって、映画は世界へ向ける或る種の武器だった。海外で未だ知られていない森崎作品はいわば、秘密兵器といったところか。
 グレゴール氏に代わり別の男性司会者に招かれ、壇上に上がる3人。倍賞さんの登場に、とりわけ大きな歓声が上がる。
※(以前に触れた同じ内容の質問、回答は出来る限り割愛)

●森埼「まず先に質問をさせてください。土曜日だというのに、映画を観るために朝8時や9時から並んで、しかもこれだけの劇場が満席になるというのは、ベルリンではよくあることなのでしょうか。ちなみに、日本では奇跡です」
     ◆場内大爆笑と拍手。
●司 会 者「(笑)普段は私たちもこんなことはありません。でも映画祭期間中では、当たり前ですね」
●森埼「当たり前ですか…。了解しました」
●司 会 者「監督とプロデューサーの志摩さんには面白い出会いがあるそうですが」
●森崎「志摩さんが昔、私の映画を観に来てくださって、私はその舞台挨拶の時にスピーチは苦手なので歌を歌いました。変な監督だなと思ったようですが、それ以来、20年の時を経て、この作品で再び出会ったわけです」
●志摩「私は当時学生で、ファンとして監督のお話を聞きに行ったのですが、突然歌いだされたのでびっくりしました。監督の映画では、デビュー作からすべて、登場人物が歌を歌います。まさに監督ご自身が、その登場人物の1人であるような気がしました。その時の映画は『ニュークリア・ジプシー』というタイトルで(『生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよ党宣言』の英題)、倍賞さんと原田芳雄さんが主役だったのです。20年後にやっと監督のもとを訪ね、倍賞さん、原田さん主演で『ニュークリア・ジプシー』のような作品を撮ってくださいとお願いして、今ここに、こうしているわけです」
●森崎「(倍賞さんに)あなたあの映画に出てたんだから、何か言って下さい」
●倍賞「(笑)はいはい。その時の映画は、原発を扱った作品でした。今回も汚職やいろんな日本の社会問題が満載なので素直に受け入れられるかなぁなんて心配しましたけど、皆さんにも喜んでもらえたし大丈夫みたいですね。安心しました。だいたい監督の映画は、社会問題満載の作品が多いんですよ(笑)。」
●森崎「よけいなことまで言わなくていいです(笑)」
●青年・男性客「この映画のようにリアルな社会問題を含めてヤクザやマフィアを描くことは、映画監督やプロデューサーや役者であっても危険だと思うのですが、日本ではこういう描写によって暴力や脅しを受けるようなことはないのですか」
●森崎「『山谷(やま) やられたらやりかえせ』という映画を製作中に、佐藤満夫という監督が殺されました。彼の意を継ぎ山岡強一という助監督がその作品を完成させましたが、やはり殺されてしまいました」
      ◆シニカルなジョークと捉えられ、場内に笑いが起こる。
●森崎「笑いごとではありません」

●司 会 者「舞台となった舞鶴は、日本の歴史上においてどのような街なのでしょうか」
●志摩「舞鶴は、約100年ほど前に、鎮守府と称して日本海軍が置かれた街です。それは地形的に、軍港としてふさわしかったからです。以降戦争と密接に近代化が進められました。軍中心の近代化は舞鶴に、歪みのようなものを生じさせまして、その歪みは今でも残っています。監督はそんなところに関心を持たれたわけです。監督がこれまで描いてきた日本の中心的な人々ではない、《周辺に生きる人々》というテーマと重なったのではないかと思います。それに同調してなのか、こういったテーマの映画ではありますが、市民も警察も海上自衛隊も、舞鶴では協力的に映画に参加してくれました」
●中年・男性客「役者なのか判らないくらい、兄妹たちが非常に魅力的なのですが、お兄ちゃん役の子は、知的障害のある子供ですか。そうでないなら知的障害のある子のキャスティングは考えましたか」
●森崎「とても悩みました。知的障害の方にあの役を演じてもらいたいのはやまやまでしたが、撮影には台詞のこと、演じてもらうこと以外にも難しいことがありますから。だから、演技というより、知的障害の方の持つ純粋さや大らかさが自然と自ずから出てくる子を探すことにしました。非常に大勢の子たちと会い、たまたま浜上くんという少年に出会いました。彼がボーっとした顔で私を見て笑いかけたのを見て、この子ならいけるかなと思ったわけです。倍賞さんに、母親を演じて、彼の印象はどうだったのか語って貰います(と、いきなりマイクを渡す)」
●倍   賞「えっ(と、受け取り)…サム役の浜上くんは、笑顔が素直できれいだと思いました」
●中年・女性客「少年の妹がとてもおかしくてかわいいのですが、あの女の子が持っていた人形は宗教的なものですか」
●森崎「創作したものです」
●青年・男性客「火を扱った祭りのようなものに宗教的なものを感じますが、あの事件自体に宗教的な意味があるのでしょうか、それとも監督の記憶やあの土地自体の歴史に宗教的な意味があるのでしょうか」
●森崎「特に宗教が強い意味を持っているわけではありません。私の記憶にも映画自体にも、舞台になった土地にも・・・。
 映画の中でも語っていますが、あの土地で海軍の船の爆発で亡くなった500人もの朝鮮の人々に対してのお弔いをしたいという、そんな映画にしたいという想いがどうしてもあります。実は私も海軍の飛行兵に志願したことがあり、また僕の兄は日本が戦争に負けたとき、ハラキリで自決しました。そういう戦争への記憶が私の中で色濃くありまして、この作品に娯楽的なものだけでなく、宗教的なものを感じられたとすれば、そういう記憶や想いに私が引寄せられているという力学的な理由じゃないかと思います。人の形をした紙縒りには、過去への想い、そしてその反面というかその過去があるからこそ過去に囚われすぎずに未来に向かって頑張っていこうという想いを込めました。タイトルの《ニワトリはハダシだ》という言葉は、そういう意味の言葉で…」
●通訳の梶村女史「あ、あの、すいません。ここまで一度訳していいでしょうか」
●森崎「あ…どうぞ、お願いします」
      ◆場内に笑い   
●森崎「(通訳後、梶村女史に)どうもごめんなさい。で、《ニワトリはハダシだ》というタイトルの由来は日本の民謡の歌詞でして、さぁ春だ!みんな元気出して畑を耕して行こう、という歌です。今日は皆さんにスピーチの代わりに歌おうかとも思いましたが、時間が許しませんので。以上です」
      ◆是非にという声と拍手が起きるが…
●森崎「…(勘弁して下さいと、慌てて手を振る)」
●司 会 者「では最後に。倍賞さんは、先ほど監督の作品は社会性の強いものが多いとおっしゃいましたが、だからこそ惹かれる何かがあるのだと思います。倍賞さんにとって、それは何だとお考えですか」
●倍賞「そうですね…監督の中にある《怒り》のようなものが好きですね。常に何かに対して怒っている。違うものに対してかも知れませんが、私の中にもある《怒り》のようなものが、共感しているのかもしれません。それと同時に、監督の映画の中ではすべての人に愛がある。気障に聞こえるかもしれませんけど、人間を愛しているというか、愛情にあふれていると思うんです。特に、社会の底辺を必死になって生きているような人たちが好きなんだと感じます。また、その底辺に生きている人たちのエネルギーは権力をも打ち砕くのだという、そんな描き方に惹かれますね」
      ◆会場喝采

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Part2

 例のごとく観客に捕まる監督。本日は屋外ではなく、会場ロビーにて。
●中年・女性客「私は写真や絵を描くようなアーティストとして生きています。アーティストですから社会的に周辺を生きていますので、描かれている人々に共感しました。私の人生は、細い針金のように脆くとても辛い状況で、女の子の持っていた人形が車に轢かれそうになった場面に、自分を重ねてしまうくらいです。実際にそういう経験があり、トラウマのように残っていて消えないのですが、この映画のハッピーエンドに救われる想いでした。それと、身の周りに知的障害の友人がたくさんいますので、彼らの想いを重ねて観てしまい、思わず涙が出ました。 (高揚して、思わず泣き出してしまう)
 世界中で、同じように生きている人がいる、同時に同じような人生が進行しているのだと感じました。あなたの想いは伝わりました」


●森崎「ありがとうございます」
●初老の男性客「知的障害というテーマは、監督の中でどのように発想されたのですか」
●森崎「発想の元になったのは、この世に一定の割合で知的障害を持った人が生まれてくるのですが、それについて医学も哲学も宗教も誰1人きちんと答えた者はいないということです。答えを出すことがテーマではありませんが、そんなことをきっかけに知的障害の子供の映画を撮ろうと思いました。逆に質問したいのですが。ラストはオプティミズムが過ぎたかもしれないと思っているのですが、どのように受け止められましたか」
●初老の男性客「もちろん、現実の世界は厳しく、酷い人も悪い人もいて、悲しい出来事がたくさんあります。そういった意味でこの映画は現実とは違う、オプティミスティックなものだと言えるかもしれません。でも、この映画は希望を託して人々を描いているので、私はそこを評価しています」
●森崎「いやぁ、どうもありがとうございます(と、硬い握手を交わす)希望を持っていきましょう…取り敢えずトイレ行ってきます」

 先ほどロビーで話した中年女性が再び現われ、トイレから戻った監督と小川紳介監督を山形の村に訪ねた共通話題について思い出話を語り合う。「いやぁ、ベルリンに来て小川監督の名前が聞けるとは思わなかったな」と感慨にふける。

<<< 第4話へ<<<
2月9日

 昨日より確かな手応えを感じたQ&Aだったが、さすがにこれ以上難しい質問を受けてもいささか対応に困る。何か良い手はないかと思いをめぐらせた。

 いちいち比較するのも憚れるが、これまで日本で体験したQ&Aとはやはり感触が異なる。質問が純粋に質問であり、聞く側と答える側との【対話】になり得た気がした。
 日本では、質問ではなく意見を聞かされ、それにどう思うかと問われることがよくある。しっかり自己主張されてどう思うかなんて聞かれても、何を言えばいいのか戸惑う。かといって、まるっきり考えや意見もないまま質問されるのも困る。時には質問の意図まで考えて、その場のやり取りをまとめなければならないことすらある。「私は何を聞きたいんでしょうか」と聞かれても、「さぁ、何でしょうか…」と、私も悩んでしまう。最近では観客とのQ&Aに限らず、マスコミのインタビューにおいても同じようなことを感じることがある。「何をかいわんや」だったりして、ちゃんと質問に応えられたかどうか。しかし、そんなやりとりが、果たして【対話】になりえていたのだろうか、今更ながら、全く不安である。禅問答では、問いかける弟子に答えを出さない。門前払いしようと閉め出し、戸で脚を挟んででも答えず、相手に考えさせるという。まぁ脚なんて挟まなくてもいいし、第一そんな痛い思いをしてまでして聞きたい質問もないだろうが、ふと渥美清氏のアドリブ台詞を思い出す。
「自分の頭で考えな。お前ら、頭一つずつ配給されてんだろ」
 今考えると目から鱗が落ちるような台詞だ。あの人は、全くもって凄かった…。

 19時半より、国立オペラ座にて、『 La Boheme 』を鑑賞。
 ベルリンの街には雪が降り、美しい絵画のような情景。
 表に出ると、底冷えする寒さに震え上り、雪景色もクソもなく真っ直ぐホテルに戻る。近藤さんはかなりのオペラ好きである。一方私は、まぁこんなもんかと思うくらいで、特に感慨深いものは感じられなかった。私だって鑑賞後の道すがら「さすがは本場だ」とくらい言ってみたいが、なかなかそうはいかない。幕間に林檎酒なんか飲んでる人々を見ると、まぁ歌舞伎みたいなもんか、なんて言葉がつい口に出てしまう。歌舞伎の飲み食いはこんな上品なもんじゃないが…。オペラのような舞台表現を観ていると、【映画】って表現は生まれるべくして生まれたのだとつくづく感じ入る。いずれにせよ見る目がなきゃ、あんな歌っちゃてる姿に感情移入出来るもんじゃない。相米監督なら、あのオペラを堪能し、どんなことを言うのだろう。

 歌で思い出して、志摩プロデューサーの部屋に全員集合と号令をかける。いやいや、ベルリン市民に圧されてつい忘れていたが、明日舞台で『おこさ節』を歌わなくちゃいけないので、みんなで練習しましょうと。

志摩「監督歌えるんですか」
森崎「いや、未だ未完成です」
近藤「口移しだと難しいですよ」
森崎「ええ。ですからテープを持参いたしました」
一同「おおぉー」

 盛り上がった一同だったが、『おこさ節』を聴いてみて、節回しのあまりの難しさに言葉を失う。

倍賞「…むずかしいな、私、合の手練習しまーす」
森崎「練習って、合いの手は簡単なんだよ。ムズカシイのは頭の節回し」

 かなり必死に歌いこみ、そのうちお酒も入ったりして、ベルリンの一 夜、いささかヤケクソじみた『おこさ節』が響くのだった。

<<< その5に続く<<<
えいクソテレビ

2月10日 

 夜の上映までの時間、タクシーでアウトバーンを走りポツダムへ向かう。2台に分乗したのだが、われわれの乗った方の運転手は「乗れ乗れ」とヤケに慌しい。そのわりに、いざ現地に着いてみると、「俺はほかで呼ばれているから、お連れさんなんて待ってられないんだ」と本当にわれわれを置いて行ってしまった。ちょっと待ってくれ、こちらには通訳も乗っていない。だいたい入り口がどこかも判らない有様だ。寒いは、腹は減ってくるは、とにかく何か食えるところへ入ろうと、あっちこっち探して歩く始末だった。

 ベルリンと言えばポツダムである。ウンター・デン・リンデンだろうがブランデンブルク門だろうが、そんなものは見たくもない。とにかくポツダム、サン・スーシー宮殿に行きたい。トルーマン、チャーチル、スターリンそして蒋介石が一堂に会したポツダムである。引き伸ばされた時間で2つの原爆が落とされた、憎しみに満ちたこの土地を踏んでおきたいという強い願望からである。それについては先日、映画監督の榎戸耕史氏との対談で散々話したので、『映画芸術』(407号)を読んでいただくとして、尽きぬ想いのまま、ついでにツェツィーリンホフ宮殿も廻ってしまった。
 疾走する車の窓から見ていると、アウトバーンは圧倒的だった。見事なものである。景観は特に変わり映えしないものの、前方後方に延々と続くその道は、明らかにヒットラーが作ったものだと判る。と、偉そうに云って「なぜ判るのか」と訊かれてもまったく説明できないから非常にマズいのだが、理由などはなく実感するのだ。その実感に良いも悪いもない。ただ圧倒されるのだ。
 時に圧倒されることは、とても危険である。子供の頃、大牟田に来たヒットラー・ユーゲントに私は圧倒された。旗を振りながらその悠然とした姿、美しさに魅了された。美というものが軍隊にとって、切っても切れない関係にある理由はそこにある。必然なのだ。子供たちは、その美に圧倒されるのだ。

 今にして思えばベルリン滞在中、まったくテレビを見なかった。向こうのテレビ番組はどんなモンかと気になっても良さそうなものだが、見る気がしなかった。だいたい何を言ってるのか理解できないだろうし、ホテルのテレビだからチャンネルを変えるうち、いつ何時いかがわしいビデオが流れるか判らない。とても危険なのである。

 ところで、なぜ日本中の町から、映画館がなくなってしまったのだろうか。日本人は、本当に映画を観たくないのだろうか。
 論争になると私は直ぐ負けてしまうから、あんまり大きい声では言えないのだけれど、単純に、日本人が映画を観なくなったのは貧乏人根性じゃなかろうかと、密かに思っている。

 60年安保の頃、私の故郷・大牟田は小さな炭鉱の労働者まですべて巻き込んだ三井三池の大争議、大ストライキだった。その時、よく言われたのは《えいクソテレビ》という

言葉である。勝利の見えない闘争が約1年間続き、どんどん闘争心が涸れていく中で、全炭労者が《えい、クソ!》と、テレビに走った。みんな金がないから唯一の娯楽のテレビにでも噛りつくしかなかったのだ。家という家の屋根にアンテナが立ち並び、人々は映画ではなくテレビに走った。やがて町の劇場も姿を消してしまった。日本中でテレビの普及が伸びたのもその頃だろう。炭鉱だから、ストライキだからというのではなく、日本国中《えいクソテレビ》だったんじゃないかと思う。
 家電メーカーの大きな支援による、64年の東京オリンピックは日本国民を見事にテレビ社会へと誘った。テレビはごろんと横になってその映像にただ圧倒されていれば良いのだから実に安楽的だ。日本では安楽的なことに敢えて異議を唱える者は、もはや誰もない。「安楽全体主義」、民衆ファシズムである。テレビというより、いうなればテレビを用いた圧倒的な資本主義の常識の押し売り、1億総平均化。見るほうは見る方で、商業主義への過剰な信仰、均質的なものへの安心。どうも日本人は昔から、右向け向けと言われることが嬉しいようなきらいがあるようだ。それらの「安楽全体主義」の実証現象として、映画館は消えるのだ。

   近藤夫妻も合流した『ニワトリはハダシだ』一行は、今宵の上映後Q&Aに向けて、 更なる賑やかさをおびることになる。



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独語字幕版・満席 

(通訳) 梶村 昌世
(出演) 森崎   東【監督】
     倍賞美津子【女優】
     近藤 昭二【脚本家】
     志摩 敏樹【プロデューサー】




 雪の降りしきる夜。まさにヨーロッパの街並みに街灯の明かりが滲む。
 本日の会場は、赤茶色のチョコレートケーキのような外観。子供部屋のような黄色い壁に赤褐色の扉。ホール内は暖色の落ち着いた内装。庶民的というか家庭的な温かさをもった劇場である。
 今回のQ&Aから、脚本の近藤昭二氏も参加。3回目にして、これまでで最高の盛り上がりの場内。観客は熱狂的な歓声で、壇上に上がる4人を迎えた。まさに熱狂的に!

※(以前に触れた同じ内容の質問、回答は出来る限り割愛)
●女性司会者「これは、あらゆる要素が盛り込まれた映画ですね。ユーモアあるコメディタッチな面もあり、シリアスな社会派な面もあり、暴力的な面や詩的面、非常にテンションの高い映画だと思います。いったいどのようなことからこのように複雑な物語を作られるのですか」
●森崎「私の作品に対する批評で、一番多いのがその点です。詰め込みすぎであると。1升瓶の中に2升入れると表現されたことがあります。なぜそうなるかと言いますと、私は作品が少ないからです。たまにしか作れないので、その中に少しでも入れたいと一生懸命なんですね。


◆ウケる観客。1升瓶のタトエを聞いた女性司会者のコメントに、更なる笑い。《いやにウケてるな》といった表情の監督。

●女性司会者「批判ではなく、展開のよさや色んな要素が詰まった濃い内容が好きだったと言いたかったのです。愛しくて素敵な映画だと思います。確かに、ある意味複雑で解ってない部分があったかもしれませんが、汚職の問題だとか、社会の猥雑な部分、人間の生きる力などはよく解りました。ですから、決して批判ではありません」
●森崎「…怪しいな」
     ◆ドッと笑いに包まれる客席、拍手まで沸き起こる。




●女性司会者「この映画の発想についてですが、監督の中で最初にあったのは知的障害の少年の運命ですか、盗まれたベンツのことですか」
●森崎「非常に難しいですね…脚本家がお答えします(と、いきなり近藤さんにマイクをふる)」
●近藤「(慌てて拒否して)質問がよく解らなかったから」
●森崎「ベンツか子供か、どっちが主なのか(と、更にマイクを押し付ける)」
●近藤「(受け取らず)いやいや、監督が答えてください(と、居直る)」
●倍賞「(間に挟まれて頭を抱える)」
    ◆その押し問答に会場も沸く。
●森崎「じゃぁついでですから答える前に、余計な事を言わせて頂きます。ベルリンに来て3つくらい、衝撃的な体験をしました。ひとつは、日本映画を観るために、映画館にこれだけ沢山の人が来ているということ。子供の頃は日本でもこんな状況でしたが今や伝説と化していますので、私たちには奇跡に近い光景であります。2つ目は上映後の拍手です。私も子供の頃は手を叩いたものですが、この温かさが衝撃的でさえありました。3つ目は…衝撃的過ぎて忘れました(と、マイクを志摩さんに)」
    ◆更なる笑いと拍手に沸く場内。
●志摩「(マイクを渡され)…私が3つ目を継ぐのは僭越ではありますが。私が驚きましたのは、監督が表現されているユーモア、親子の愛情、社会に対する怒り、こういったものに対してとてもストレートに受け入れ、反応してくださっていると思いました。日本では監督の表現を常に難しく考える傾向があります。ベルリンの皆さんの実にストレートな観方に驚き、嬉しくなりました」



●女性司会者「先程の私の質問にも、お答え頂けますでしょうか…」
●森崎「答えます! 非常に鋭いご質問です。当然子供が先であります。知的障害の子供のテーマが、私には非常に大きいモチーフでした。きっかけは知的障害をもった人が一定の割合で生まれてくることに、この時代にしていまだ答えを持たないということ。そして、もうひとつは、ある知的障害を持ったお子さんを持つ母親が、『私はこの子を人の目に触れる事を避けようとは思いません。隠したいと思わない。むしろこの子の面白さを知ってもらいたい。見せて歩きたいぐらいだ』と、そう言ったんですね。私は非常に意外に思いましたが、とても感動しました。その感動が、最終的にこの映画を撮ろうと決意した理由であります」
     ◆拍手に沸く場内。
●中年の女性客「この映画は、純粋さというものがとても印象的に感じられたのですが、純粋さというものは、映画の表現では、知的障害の子供たちや自然の中にしか作れないものなのでしょうか。また、題名の意味を教えてください」
●森崎「日本を出る前、ベルリンの観客は非常に鋭い質問をするので気をつけろと忠告されてきました(と、マイクを近藤さんにふる)」
     ◆ドッと笑う観客。

つづく<<<


2月11日(前)
 しかし、昨晩の質疑応答は異常な盛り上がりだった。仮にお付き合いで拍手してくれたにしてもあの熱気、眼差しは感動的ですらあり、あの拍手は本気の、心からの拍手だと思いたい。そう思いながらも、《ヤケにウケてるが本当は楽しみたいがために雰囲気で笑ってるんじゃないだろうな》などと懐疑的にもなった。というのも上映中も、ウケ方がすごく、あれほどの盛り上がりは日本では経験がないためである。それに文化の違いなのか、勢いあまってなのか、何もそこまでウケなくともと、こちらが不安になるほどだ。実際、こちらの意図とは反するところで、笑いが起きたりする場面もあった。 「ちょっと待て、ドイツ人はそこで笑うか…そこで笑われちゃぁなァ」なんて思ったりする。 「この笑いは、まさか失笑ではあるまいな。それだけは耐えられない」…とまぁ、疑心暗鬼になっていろいろ思い巡らせたが、観客にとっては作り手がどう思っていようと関係ないのだ。こちらも喜劇を作っているわけだから笑いならいいか、と開き直ってしまった。問題はなかろう。
 あれほど好意的に観てくれた人々に、懐疑心を抱くなどというのも全く失礼な話だ。すぐ疑ってかかる悪い癖である。改めてゴメンちゃいと謝りたい。

 しかし心残りは、『おこさ節』である。いくら観客の前で歌ったといっても、Q&A終了後の劇場前ではちょっと悔しい。しかもサビだけである。やはり壇上で、全観客の前で歌って聴かせるべきである。
 今日こそは、歌おう。

   昼食会に出席。志摩プロデューサーと共に、グレゴール氏と対談。
 グレゴール氏は監督の作品の素晴らしさは《スイッチ》だと語った。(この時の模様は、別枠で発表予定)
 その後、17時の上映までの時間はホテルに戻って休む。


 グレゴール氏は、この映画の良さは《スイッチ》なのだと語ってくれた。それはテレビのように、戦争のニュースもお笑いも歌番組もスイッチひとつで寝転んだまま好きに見られるお手軽さのことではない。あらゆる事柄を詰め込もうとも、きちんとスイッチする語り口への評価なのだという。
「見るものをお手軽に変えること」と「語り口の軽やかさ」には、ある種の類似を感じる。この類似はとても危なっかしいものだと思う。
 常に如何なる状況においても私はスイッチしたいと思うことがある。好きに生きてみたいし、映画だって好きに撮りたい。観客だって好きに映画を観たいであろう。かと言って、観る側の「お手軽さ」に沿うように、作り手がスイッチしてしまうことは非常に危険である。ひとたび画面や言葉に置き換えられると、その差異に意識すらおよび難くなる。だが、本来、切り替えというものは、何かを採って、何かを捨てるわけだから、現実世界ではとても重く、痛みを伴うはずだ。ものを表現する上でその重みや痛みを軽やかに切り替えてみせるのは確かに難しいのだ。紙一重のようにも感じてしまう《スイッチ》という言葉の重みは、改めて認識すべきかもしれない。



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(2・11 17:00〜) 
英語字幕版・8割の入り 
(通訳) 梶村 昌世
(出演) 森崎  東【監督】
     倍賞美津子【女優】
     近藤 昭二【脚本家】
     志摩 敏樹【プロデューサー】

   近未来空間のような巨大なドームに覆われ、いくつもの建物がぐるりと並ぶ。その中のひとつにCineSter 8のネオンサイン。まさにシネマ・コンプレックスの劇場である。シネコンはどこの国でも同じような内装である。
 前日の熱狂ぶりはすさまじかったが、少しテンションが高すぎたかもしれない。本日は落ち着いた大人の雰囲気である。英語字幕版の上映だったためか、客席は8割の入り具合…8割の入りでもかなりな観客数だから、やはりベルリン恐るべしである。
 昨日とは別の女性が司会進行。順次招かれる監督、倍賞さん、近藤さん、志摩さん。
※(以前に触れた同じ内容の質問、回答は出来る限り割愛)

●女性司会者「この映画で語られる汚職のテーマは、実際の事件に基づいて作られているのだと聞きました。この汚職のテーマを、知的障害の男の子がみつめるように物語は展開しているのですが、このような着想は脚本の近藤さんと監督の間で、どのように作り上げられたのでしょうか」
●森  崎「最初から絡めていこうと考えていたわけではありません。ずっと以前から考えていた男の子の話がまずありまして、あとから汚職の話を盛り込んで言ったのです」
●中年・男性客「直子の母親が愛しているのに夫と別れたのは、夫のためなのだという台詞がありますが、何故別れなければならないのか理解できませんでした。何故彼女は夫の仕事のために別れなければならなかったのでしょうか。また、彼女の病気は何だったのでしょうか」
●森  崎「(頭を掻きながら)私が観客なら同じ質問をしたと思います」
     ◆場内に笑い。
●森  崎「私の中でもここが解り難いのは、今回のシナリオのウイーク・ポイントだなぁという意識がない訳ではありませんから。あの母親は自分が妻である限り、夫は自分の信じていた警察官としての
仕事に打ち込む事が出来ないと考えたんです。1つは、病気の自分を抱えていかねばならないこと。も1つは、汚職をしている検察官が、彼女の実の兄である以上、夫はその姻戚関係で汚職を隠す側に回ってしまう。夫は、自分と、警察官として本来の職務を全うすべきだと考える自分に板挟みになるだろうと考えたのです。悩みを振り捨てて仕事に邁進して欲しいと妻は思うのです。そんな本来の夫の姿に惚れているのだと。だから彼女は自分から別れるしかないと考えたんです。
 あと、彼女の病気ですが、鋭いご指摘のとおり、映画の中では説明しておりません(笑)。説明はしませんでしたが、台本上のこちらの思いとしては、膠原病という設定でした」

 以降、《タイトルについて》《知的障害について》《汚職について》と以前と同様の質疑応答が続いたため、割愛。

●女性司会者「ところで、倍賞さんに質問です。20年前に『生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよ党宣言』という映画で、監督の作品に主演されていますが、今回再び監督の作品に主演された経緯をお聞かせ下さい」
●倍  賞「そもそも私が女優として、松竹という日本の映画会社に入った時、監督もその松竹にいらっしゃったんです。私の主演デビューと森崎監督の監督デビューは同じ作品で、それ以来ですから34年ものお付き合いなんです。その34年という年月の中で、私個人も結婚したり子供を生んだり離婚をしたり、さまざまな人生の節目を通ってきましたが、その節目節目の時期に、何故か監督とお仕事をご一緒しています。そういうめぐり合わせなのかもしれません (笑)」
●女性司会者「この映画の母親というのは、私たちのステレオタイプなイメージの日本の女性と違って、家族の上下関係をもひっくり返してしまう強い女性、自立した女性だと感じました。それは、この母親が朝鮮の血をひいているから、もしくは浮島丸の生存者としての海から生まれたというイメージがあるからなのでしょうか」
●倍  賞「うーん、そういうこともあるかもしれませんが、この作品に限らずどの作品でも、監督が描かれる女性はいつも強いんです。…でも、監督の映画だからとかじゃなく、世界各国女性は強いんじゃないでしょか(笑)」
     ◆場内から拍手。
●女性司会者「(笑)私もそう思います」
●倍  賞「よかったぁ。日本でも女性は強いんですよ。昔も今も」



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(2・11 17:00〜) 
英語字幕版・8割の入り 
(通訳) 梶村 昌世
(出演) 森崎  東【監督】
     倍賞美津子【女優】
     近藤 昭二【脚本家】
     志摩 敏樹【プロデューサー】

   近未来空間のような巨大なドームに覆われ、いくつもの建物がぐるりと並ぶ。その中のひとつにCineSter 8のネオンサイン。まさにシネマ・コンプレックスの劇場である。シネコンはどこの国でも同じような内装である。
 前日の熱狂ぶりはすさまじかったが、少しテンションが高すぎたかもしれない。本日は落ち着いた大人の雰囲気である。英語字幕版の上映だったためか、客席は8割の入り具合…8割の入りでもかなりな観客数だから、やはりベルリン恐るべしである。
 昨日とは別の女性が司会進行。順次招かれる監督、倍賞さん、近藤さん、志摩さん。
※(以前に触れた同じ内容の質問、回答は出来る限り割愛)

●女性司会者「この映画で語られる汚職のテーマは、実際の事件に基づいて作られているのだと聞きました。この汚職のテーマを、知的障害の男の子がみつめるように物語は展開しているのですが、このような着想は脚本の近藤さんと監督の間で、どのように作り上げられたのでしょうか」
●森崎「最初から絡めていこうと考えていたわけではありません。ずっと以前から考えていた男の子の話がまずありまして、あとから汚職の話を盛り込んで言ったのです」
●中年・男性客「直子の母親が愛しているのに夫と別れたのは、夫のためなのだという台詞がありますが、何故別れなければならないのか理解できませんでした。何故彼女は夫の仕事のために別れなければならなかったのでしょうか。また、彼女の病気は何だったのでしょうか」
●森崎「(頭を掻きながら)私が観客なら同じ質問をしたと思います」
     ◆場内に笑い。
●森崎「私の中でもここが解り難いのは、今回のシナリオのウイーク・ポイントだなぁという意識がない訳ではありませんから。あの母親は自分が妻である限り、夫は自分の信じていた警察官としての
仕事に打ち込む事が出来ないと考えたんです。1つは、病気の自分を抱えていかねばならないこと。も1つは、汚職をしている検察官が、彼女の実の兄である以上、夫はその姻戚関係で汚職を隠す側に回ってしまう。夫は、自分と、警察官として本来の職務を全うすべきだと考える自分に板挟みになるだろうと考えたのです。悩みを振り捨てて仕事に邁進して欲しいと妻は思うのです。そんな本来の夫の姿に惚れているのだと。だから彼女は自分から別れるしかないと考えたんです。
 あと、彼女の病気ですが、鋭いご指摘のとおり、映画の中では説明しておりません(笑)。説明はしませんでしたが、台本上のこちらの思いとしては、膠原病という設定でした」

 以降、《タイトルについて》《知的障害について》《汚職について》と以前と同様の質疑応答が続いたため、割愛。

●女性司会者「ところで、倍賞さんに質問です。20年前に『生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよ党宣言』という映画で、監督の作品に主演されていますが、今回再び監督の作品に主演された経緯をお聞かせ下さい」
●倍賞「そもそも私が女優として、松竹という日本の映画会社に入った時、監督もその松竹にいらっしゃったんです。私の主演デビューと森崎監督の監督デビューは同じ作品で、それ以来ですから34年ものお付き合いなんです。その34年という年月の中で、私個人も結婚したり子供を生んだり離婚をしたり、さまざまな人生の節目を通ってきましたが、その節目節目の時期に、何故か監督とお仕事をご一緒しています。そういうめぐり合わせなのかもしれません (笑)」
●女性司会者「この映画の母親というのは、私たちのステレオタイプなイメージの日本の女性と違って、家族の上下関係をもひっくり返してしまう強い女性、自立した女性だと感じました。それは、この母親が朝鮮の血をひいているから、もしくは浮島丸の生存者としての海から生まれたというイメージがあるからなのでしょうか」
●倍賞「うーん、そういうこともあるかもしれませんが、この作品に限らずどの作品でも、監督が描かれる女性はいつも強いんです。…でも、監督の映画だからとかじゃなく、世界各国女性は強いんじゃないでしょか(笑)」
     ◆場内から拍手。
●女性司会者「(笑)私もそう思います」
●倍賞「よかったぁ。日本でも女性は強いんですよ。昔も今も」

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