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ダンプ渡り鳥

製作=東映(東京撮影所) 
1981.04.29 
125分 カラー ビスタサイズ
企画天尾完次 瀬戸恒雄 ダンプ渡り鳥  
監督関本郁夫
助監督梶間俊一 深町秀煕
脚本掛札昌裕 森崎東
高田純 関本郁夫
原作豊島大輔
撮影中島芳男 出先哲也
音楽山本直純
美術今保太郎
照明川崎保之丞
編集西東清明
 
配役 
菊地隆介 黒沢年男
風見健太郎 大西撤
ウエスタン ジョー山中
尾崎頼子 原田美枝子
西野原雪子 宮下順子
鉄砲玉 なべおさみ
阿久津為雄 名和宏
亀井源造由利徹
西川染太郎 鳳啓助
西川さわ 京唄子
警官A ビートたけし
警官B ビートきよし
警官C 名古屋冗
町田政男 梅宮辰夫

(他のキャスト)
土佐一太 =鬼瓦、沢田浩二 =ロック、奈辺悟=原付、須賀良=白タク、清水照夫 =ロープ、
高月忠 =バズーカ、佐川二郎=カメ、城春樹=クナシリ、野口寛=シレトコ、幸英二 =21号線、
亀山達也=クナシリ、小山昌幸=五所河原、宮崎靖男 =オホーツク、岡部正純=石狩、
仲村知也=荒熊、東龍明=西川染一郎、山口恵子=西川珠代、舟倉たまき=西川染子、
清水昭博 = 西川吉五郎、石井茂樹=西川染二郎、磯崎洋介=西川豆太郎、山田光一=公民館の事務員、
相馬剛三=徳肋、畑中葉子=光、野川愛=ウエイトレスA、石川洋子=ウエイトレスB、木村修=アナウンサー、
藤方佐和子=コスモの女、十日市秀悦=青年


     ダンプ渡り鳥   略筋と感想    池田博明

 「トラック野郎」の後を受けて製作されたものの、興行的にふるわず、次回作も途絶えて、ビデオも出ていない作品。もう見られないものとあきらめていたら、2008年12月にCS東映チャンネルで3回放映されることが分かった。早速CSの契約をして見ることができた。脚本は『喜劇・女売り出します』の掛札昌裕と森崎東に、高田純と監督の関本郁夫が加わる。感無量! いったい森崎さんは脚本に、どんな貢献をしたのだろうか。

 今日も今日とて、砂利や砂を積んだ荷から水が垂れていると警官の取り締まりで違反を指摘されている鉄砲玉(なべおさみ)、点数の残りが無いと見逃してくれと頼むが警官たち(ビートたけし・きよし、名古屋冗)の追及は収まらない。そこへリュウ(黒沢年男)も来て、鉄砲玉の弁護をするものの、かえって警官に積載オーバーの疑いをかけられ、調べられそうになる。その隙に鉄砲玉は自分のトラックで逃走、あわててパトカーで追う警官。砕石場におびき寄せて、他の運転手とともにパトカーごと砂利を降ろしてで埋めてしまった。驀進する14トン・トレ−ラーやダンプの列にタイトル(ただし、スタッフやキャストは出ない)。
 早朝、リュウは歩道橋の上から一万円札をまいている女に出会う。赤いコートの女子大生の尾崎頼子(原田美枝子)、妻子ある男カメラマンに捨てられた手切れ金だと言う。汚れた金を使ってしまうという頼子の依頼で競輪に賭けると大穴を当ててしまい、100万円が480万円になる。隆と頼子はフーケンこと健(新人・大西徹哉)のダンプと衝突、彼の商売道具の鯨の代金として400万円を支払った。そこで金を使えて喜んだ頼子は立ち去った。数日後、健は死んだ鯨を処分して、隆の相棒を志願して来る。
 一方、ダンプ仲間のウェスタン(ジョー山中)を、16トン・トレーラーを操る政(梅宮辰夫)が追っていた。政はライフルでウェスタンを脅してまでも女房のもとに連れ返させようとしていた。仲間を守ろうと、政とスコップでの決闘までした隆は理由を聞く。ウェスタンは、二年前に事故で少年をひき殺し、罪の意識と賠償金に苦しみ、北海道・積丹にいる女房の雪子を残して蒸発していたのだと言う。
 暫くして、ウェスタンのダンプが運転を誤り、崖下へ転落、後を走っていた隆に「雪子を頼む」と遺言して死んでしまった。賠償金のたしにとウェスタンが雪子に残した380万円の預金と日記があった。ウェスタンがギターを弾きながら歌っている歌は、ジョー山中作詞・作曲の「TO BE OR NOT TO BE」。
 頼子のアパートを隆と健が訪ねてみると、絶食して倒れていた。飢え死にで自殺を試みたのだと言う。あきれかえった二人とその夜はスキヤキ・パーティ。もりもり食べた頼子は二人の間に寝た。寝言で隆に告白する頼子、しかし夜が明けると彼女は「アリガトウ、サヨウナラ」のメモを残して、姿を消していた。隆と健はウエスタンの遺骨を抱いて北海道の雪子のもとに向った。青森から出るフェリーで二人は旅回りの一座に出会う。
 雪子は積丹町で小料理屋「しゃこたん」を切りもりしながら細々と暮していた。遺骨を渡された雪子はその骨を浜から海へ流した。ウェスタンは沖縄の嘉手納生まれで雪が嫌いだったという。海へ流せば潮に乗って沖縄へ帰るというのだ。店に戻るとウェスタンがひいた少年の父親・阿久津(名和宏)が待っていた。雪子を口説いているのだ。賠償金も大変だ、帳消しにしてやると言う。雪子は断るが、阿久津と男たちはしつこい。隆は彼らと争って追い出す。
 隆は自分のトレーラーを健に任せ、北海道に残ると言う。ウェスタンに雪子のことを頼まれているのだ。飲み屋で政を見かけた。除雪仲間になった源造(由利徹)はラッコの政は大酒飲みで暴れん坊、近づかないほうがいいと助言する。
 健は旅一座のトレーラーの運転で町へ戻ってきた。頼子も同乗させていた。たまたま函館で芝居を見物し、一座の看板・染子(舟倉たまき)が臨月なので役者として一座に加わってもらったのだと言う。隆は雪子を積丹町の公民館での芝居に連れ出す。舞台は裏方の健が効果音楽のレコードをかけ間違えて混乱。怒った隆が助け舟に入るが、調子に乗って健をどついたら、プレーヤーを壊してしまい、回転速度が調整できなくなってしまう。殺陣が音楽に合わせて早くなったり遅くなったり、お客さんはかえって大喜び。久し振りに笑った雪子が店へ戻るとまた阿久津一派が来ていた。今度は政も銃で加勢に入って、阿久津たちを追い出したものの、雪子は激しく政を拒否するのだった。酒を勧めて話を聞くと、政は雪子の夫だったが、赤子を連れていながら呑み屋で酔いつぶれ、赤子を凍死させてしまったのだと言う。
 雪子に聞かれて隆も身も上話をする。瀬戸内海の小島出身で、姉と二人で苦労して育ち、故郷を出てダンプの運転手になり、十一年ぶりに故郷へ戻ると姉は死んでいた、と。酔った雪子は話の途中で眠ってしまっていた。
 次第に親密になっていく隆と雪子。馬ソリで除雪仕事中の隆に弁当を届ける雪子。そこへダンプで通りかかった健は助手席に頼子を乗せていた。札幌の雪祭りを見に行くのだという。雪祭りで楽しむ二人だったが、祭りが終った会場で頼子は健に問うのだった。「雪子さんと私とどっちがいい女か?」と。「決まってるじゃないか」と健。
 兎を撃った政が店に獲物を持ってくる。隆「どのツラ下げてここへ来れるんだ」、政「テメェは雪子のなにさまだ」、隆「俺は亭主のつもりだ。誰かさんみたいに酔っ払って子供を死なすような真似はしねェ」、その言葉に激しく怒る政だったが急に去ってしまう。いつのまにか雪子がきた。「隆さんのような人ともっと早く出会えなかったのか」と雪子、店で二人が抱き合おうとすると、頼子に目撃される。健が頼子がいなくなったと探している。二人は、芝居の「抱寝の長脇差」だろうか、“この世には苦しいこと、つらいことがたくさんあろぁな、だが、忘れるこった”を演じながら雪の枝に感情をぶつけている頼子の姿を見る。倒れかかった頼子を支えた健は頼子の頬に一筋の涙が流れるのを見た、頼子はつぶやいた「隆さん・・・バカ」と。頼子は隆に惚れているのだ。頼子を抱きかかえる隆の姿にシットする健だった。
 翌日、両天秤をかけていると誤解した政と隆の間に、凄まじい殴り合いがはじまる。両者ゆずらず、二人の男の間に友情が生まれた。「お前になら、雪子をやるよ……」と呟く政。政は子供が死んだ事件の真相を話す。生まれた子供が嬉しくて仲間に見せていた、小さな町・泊(とまり)で突然子供が苦しみ出す。小樽までダンプを走らせて3時間、やっと医者に見せたが手遅れで子供は死んでしまった、腸重責だったという。泣いて大酒を飲んでいたところを仲間に発見されたのだという。遠くで話を聞いていた雪子は愕然とする。
 西川染太郎一座が岩内町で公演をするという。そのトレーラーに雪子が便乗していた。泊の墓参りをしたいという。途中のロクシナイ峠は雪が深い。
 その日は大雪になり、除雪隊も作業を中止するほどだった。トレーラーは峠近くの雪道でスリップし、断崖すれすれに引っ掛かり、絶体絶命となった。報せを聞いた隆は視界ゼロの猛吹雪の中を除雪車で飛び出した。政もトラクターで追う。トレーラーの中では染子の陣痛が始まった。雪子と頼子は二人でお産を助ける。他の者はトレーラーを引き上げる。政と隆の乗ったトラクターが到着、運転する隆とトレーラーの下に枕木を差し込む政。二人の必死の救助作業で一座のトレーラーは救出されるのだった。枕木が折れて崖を転落する政。雪に埋もれた政を隆が掘り出す。政の耳に赤子の声が聞えてきた。生まれたのだ。頼子が言う、「女ってスゴイんだなァ、男のコトなんてちっちゃい、ちっちゃい」と。岩内の病院で目を覚ました政の隣に雪子がいた。雪子は政に「あんた」と声をかけ、許しを乞う。
 一方、頼子は隆とフーケンのダンプで岩内駅に送ってもらっていた。二人に「ご両人、お世話になりました・御免なすって」と仁義を切る頼子。隆は腑抜けのようになっているフーケンを「惚れているんなら自分で言ってこい」と励ます。「だって頼ちゃんは兄貴に惚れて・・・」「若いもんは若いもん同士」。頼子は「オレと結婚してくれ」というフーケンに「生きる自信がついたらケンちゃんとこ、行くわ」と答える。汽車は出て行くのだった。頼子の赤いコートはホームの雪だるまに着せられて残されていた。
 雪道を爆走するダンプの列にエンド・タイトル(スタッフとキャストが初めて出る)。

【感想】スタッフが「いい女」、原田美枝子と宮下順子にメロメロになっているのがよく分かる作品です。映画『抱寝の長脇差』は長谷川伸の原作で、山中貞雄の映画デビュー作でもある。主人公の名前は磯の源太。『ダンプ渡り鳥』の舞台で股旅ものの名前は佐渡の新太郎、思い人の名前はおすみ、その夫は左八と呼ばれている。森崎さんの脚本の貢献としては、旅芝居の一座の演目が股旅もので京唄子が佐渡の新太郎の役を演じていたり、原田美枝子が仁義を切ったりするあたりでしょうか。腸重責で死ぬ政の子供の事件も過去の事件がトラウマとして尾を引く設定が多い森崎流かもしれません。

    牡丹亭と”俺” 備忘録   某脚本家のブログより

    (池田註 このブログの脚本家は高田純さんですね)

2005年7月29日 (金)   東映的ということ
 “東映的”とは何かを、突き詰めて一言で表せば、『叩きつけるようにメインタイトル』というト書きに行き着く時代があった。
 さまざまなジャンルの作品を撮るようになった今は、さすがにそれほどでもないが、時代劇から任侠映画、そして実録映画へと変遷してきた歴史の中で、あのザブンと砕け散る大波にかぶる三角マークは、何よりも荒々しい社風を表していた。
 「見せ場はどこや」 この会社で仕事をすると、しばしばプロデューサーからそんな質問が出た。 「こことココと此処です」「たった三つか。まあええ、そこを中心に考えていこか」
 全部が全部とは言わないまでも、私自身複数のプロデューサーにそんな脅し文句(笑)をかまされた経験がある。何を誰にどう見せるのか。なみいる映画会社の中でも、その一点を追及する姿勢においては、東映という会社が最も突出していた。
 ある時、こんなことがあった。 名物『トラック野郎シリーズ』が打ち切られてしばらく後、不入りに悩む全国の館主会から、もう一度あんな映画を作ってほしいという要望が寄せられた。
 かといって、まったく同じものを踏襲するのも芸がない。そこで今度は、“ダンプの運転手”が主人公だというわけで、またもや私が呼び出された。(そのどこに芸があるのだと聞かれれば、企画を立てたのはオレじゃないと……。(笑))
 第一回目の打合せの席で、主人公の人物設定について私は次のように提案した。
 主人公は32万トンタンカーに乗船して、世界を股にかけていた元一等航海士。お定まりの船長とのトラブルで、海に嫌気が差して陸へ上がった男である。そして今は、11トンダンプのドライバーとして、風に吹かれるまま飄々と街道を流している。
 「お前はバカか」。いきなりヘッドプロデューサーの罵声が飛んできて驚いた。 「この映画は誰が観るんや」「それはまあ……ダンプの運転手とその家族、トラック野郎のファンだったお客さん、それから一般の観客だと思いますけど……」 「そのお客が、そんな設定の主人公に思い入れすると思うんか」「はあ……」 「ええか、ダンプの運ちゃんたちが思い入れする主人公いうのはな……」。
 胸を張ったヘッドは、それから滔々と次のような人物設定を述べ立てた。
 主人公は、少年時代を瀬戸内海の小島で過ごした男。幼いころに事故で両親を亡くし、姉と二人で苦労しながら歯を食いしばって生きてきた過去を持つ。
 その少年にとってのあこがれは、対岸の岩国の街に輝く夜景の美しさだった。いつかあの光り輝く街へ渡って成功してやる。そして姉を本土に呼び寄せるのだ。
 中学を卒業した日、少年はその計画を一人で実行する。だが、徒手空拳で本土へ渡った少年に、世間の風は冷たい。十年あまりの年月、さんざん辛酸をなめた末に、主人公はようやく一人前のダンプの運転手として独立し、故郷へ錦を飾る。 しかし、そこにはあれほど苦労をかけた姉の姿はない。少年が島を飛び出して間もなく、愛する姉は病に倒れてこの世を去っていたのだ。たくましい青年に成長した男は、薄幸だった姉の哀れと己の身勝手さを思い、墓の前でさめざめと涙に暮れる……。
 私の案とヘッドの案、どちらが正しいのかは今もって分からない。しかし、少なくともその時の私には、「いくら何でも、その浪花節は古い」という感想しかなかった。
 同時に、主人公に共感しているようでいながら、そういう設定こそじつは逆差別ではないかという思いも湧いた。だが、ヘッドは若造の意見に耳を貸そうとはしなかった。
  「ここはパターンでええんや。パターンは優れとるから、パターンとして残ってきたんやないか。新しいやの古いやの、軽々しく口にするんは十年早い」
 要するに、お前じゃなきゃということではないんだ。若くて早くて安いホン屋なら、誰でも良かったということなんだ……。その内心の屈折は、怖くて口には出せない(笑)。いいから言う通りに書けという命令に、憮然として従うしかない──。
 現役の東映のプロデューサー、例えばKさんなどが聞いたら、「ボクらはそんなこと言いませんよ」と、(ムッとしながら)笑い飛ばす話かもしれない。 だが、つい一昔前まであの三角マークの会社には、そんなアクの強い個性派が何人もいて、さんざん若手を締め上げながら、良き反面教師ぶりを発揮していたのだと、ある種の懐かしさを込めて言っておきたいのである。。。(^^)

  2005年7月29日 (金) この記事のトラックバック
 コメント 『ダンプ渡り鳥』、映画自体はおそらく見ていないのに、タイトルだけはずっと記憶に刷り込まれてきました。 20年以上前、当時ネタが好きだったビートたけし氏の自伝的エッセイで、警官役で映画初出演となった『ダンプ渡り鳥』について、「漫才師がドラマや映画に出るとたいていこんなつまらない役」「使うほうのイメージが貧困」などとグチっておりまして、その後その反動からか自分が主演・監督の作品を作り続けているのかと、今読み返してみるとなかなか面白いです。