喜劇 一発大必勝

製作=松竹(大船撮影所) 
1969.03.15 
7巻 2,511m カラー ワイド
製作島津清 上村力 一発大必勝 
監督山田洋次
脚本森崎東 山田洋次
撮影高羽哲夫
音楽佐藤勝
美術梅田千代夫
録音小尾幸魚
調音松本隆司
照明戸井田康国
編集石井巌
出演ハナ肇, 倍賞千恵子
谷啓, 犬塚弘, 志摩ゆき
武智豊子


      非商業主義的な怪作『一発大必勝』   池田博明

 1969年の松竹作品。脚本が森崎東と山田洋次。監督は山田洋次。
 藤原審爾の『三文大将』が原作とか。山田洋次作品というよりも、森崎さんの特徴が出た、アクのある怪作でした。よくこんな映画が作れたなあと感心してしまうほど作家性の強い映画で、喜劇と銘打っていますが、話は途方もない展開をします。ハナ肇をブルート、倍賞千恵子をオリーブ、谷啓をポパイに見立てて展開する人情喜劇というのが宣材の惹句ですが、とてもそんな風には見られませんでした。
 冒頭から森崎さんらしさの連続です。お婆さん(武智豊子)がバスに乗ろうとして、よろよろ駆けて来ます。バスガイド指導員のツル代(倍賞千恵子)が「墓場ゆきですよ!」と案内する。お婆さん相手に「墓場」「墓場」という言葉がなんの遠慮もなく、ぶつけられる。
 貧乏長屋のおじさんたち四人(田武謙三、桑山正一、佐山俊二、佐藤蛾次郎)が、カラーテレビの入った(という)ダンボール箱を持って乗り込んでくる。ガイドはツル代(倍賞)だが、新米ガイドの教育係なのでこのバスには二人のガイドがいる。焼き場で降りようとして、男たちは箱を落としてしまう。中から死体の足が飛び出してしまい、ギョっとする一同。
 貧乏長屋の男たちは仲間の暴れん坊のウマ(いかりや長介、写真だけの出演)がフグの毒にあたって死んだので、無縁仏として火葬したのだが、役場の保健局の左門(谷啓)が都合した棺桶代を酒代にして宴会!貧乏人の宴会というバーレスクな展開はまさに森崎流です。
 ところが、そこへぬっと現れたヒゲづらの男(ハナ肇)。これがウマの友だちで、ボルネオ帰りの暴れん坊。事情を知ったヒゲ男は、お前たちがウマを見殺しにしたと怒る。ただただあわてふためく、共同体のなかの、弱くて無責任な男たちと、酔って理不尽に暴れる外来者=エイリアン。
 ヒゲづら男は、ウマのお骨をすり鉢で粉にして水と醤油を加え、男たちに無理やり飲ましてしまう(これはまるっきり、森崎さんの世界!)。逃げまどう男たち。暴れるハナは長屋を壊すので、大パニック。谷啓扮する心臓が悪いという左門はおろおろするばかり。喜劇というよりも怪奇劇ですね、これは。森崎さん脚本・監督の怪作『生まれかわった為五郎』でも、ハナ肇=為五郎が小便を飲むシーンがありましたが、それに匹敵するアクの強さです。
 ハナ肇は結局、最後まで名前が紹介されず、みんなには「御大(おんたい)」と呼ばれています。この迷惑者を追い出そうとする住人たちの計画はことごとく失敗して、混乱はエスカレートしていきます。
 気の強いつる代も長屋の住人だが、夫は刑務所入りらしく赤ん坊を抱えて、後家状態。気の弱い左門に頼っているが、まだ夫の籍に入っているので、左門と結婚はできない。
 暴れ者の御大は誰からも同情されることなく、最後まで迷惑者で終始します。
 つる代に惚れた御大が傷害保険目当てに工事現場から飛び降りると、その意図を察した左門はとめようとして、御大の下敷きとなり、死んでしまう。通夜の席上、御大は死人を棺桶から引きずり出し、一緒に踊ると、死人は息を吹き返す。しかし、御大はこれに気づかず、長屋を出てしまう。このあたりの奇怪な死人との踊りやドタバタの描写も森崎さんらしいアクの強さです。
 つる代にプロポーズした左門は、つる代に「籍がまだ・・・」と言われて出奔して、乞食同然の生活となる。
 最後は廃バスで寝ていた左門と、そのバスをトレーラーでつぶした御大が再会し、再会を祝して白い砂をかけあったりして喧嘩をするロング・ショット。
 いやはや、とんでもない作品でした。(2001年9月)

       解題     池田博明

 山田洋次全映画のDVDの『自作を語る』は、鈴木敏夫もと助監督の遠慮深い聞き手が災いして、ほとんどたいした情報の得られない、当り障りのない代物だが、この物語には下敷きがあるそうだ。木下順ニの『おんにょろ盛衰記』だと言う。おんにょろは暴れん坊で、村人が虎狼に困っているというとその虎狼を退治し、うわばみに困っているというとうわばみを退治する。さらに村人達の困りごとを聞くと、おんにょろ様自身だと言うので、最後は自分自身を退治しよとする話である。
 山田洋次は昔から自作をよく語っており、それらをふまえてもっと創作の秘密に迫る質問をすればいいのに、鈴木氏は巨匠・山田監督に伺いますと言う、おずおずとした姿勢なのだ。山田洋次は率直なひとなので、もっと聞けば答えてくれるはずなのに、聞き手として人を得なかったのは残念である。他の作品も同様である。
 例えばこの作品で村人たちは軍隊時代の階級名で呼び合っているが、それはなぜですかとか、左門のヘルメットには「日永建設」と書いてあり、『馬鹿が戦車でやってくる』の舞台、日永村の名前を取っているのは、『馬鹿が戦車で・・・』へのオマージュですかとか。

[参考書]
 木下順ニ『夕鶴・おんにょろ盛衰記ほか七篇』(講談社文庫、1972年)

 ところで木下順二の『おんにょろ盛衰記』にもさらに原作があるのであった。
 京劇の『除三害』である。『戦後日本文学史・年表』(講談社,1978年)の磯田光一の記述。

 ・・・ところで海外におもむいた木下順二は新中国で京劇『除三害』をみた。二つの害を除くために活躍する主人公が、じつは自分自身も第三の害であったという寓意は、大衆との関係における自己批判の問題に結びついていたと思われる。『おんにょろ盛衰記』は『除三害』を換骨奪胎して日本の民俗のうちに蘇生させたドラマであった。おんにょろというヒーローが「のて山の虎狼」と「淵の大うわばみ」を退治するが、じつはこのおんにょろのヒロイズムこそ村人にとっては災厄でもあったのである。

    老人 (夢中で)三の難儀のおんにょろだあ。
    おんにょろ  やい、このもうろく。そらあぜんてえ、何のこった。
    老人  や、やい熊太郎、こ、こうなったもんなら、もういうだぞ。
         む、村じゅう総体大困りの大難儀たァ、おめえのこったわ。
         やいおめえ、三の難儀の大難儀も退治できねえで、
         何が難儀払いの助けの神だ。・・・・

 歌舞伎の「荒事」をふまえて書かれたであろうこの劇の主人公のせりふには、方言と歌舞伎のせりふの両者がとり入れられている。こういう実験的な試みの道を開いたのは、昭和二十九年十一月に武智鉄二が『夕鶴』を能の様式で演出して成功したことにもよると思われるが、それ以上に木下順二が土俗的なもの・伝統的なものから活力を汲みあげようとした努力の結果であったろう。伝統と土俗の問題は、巨視的にはナショナリズムの問題に接している。だが同時に現代社会のメカニズムと政治力学にも強い関心をもっていた木下は、両者の揺れ幅を活用して、ゾルゲ事件に取材した『オットーと呼ばれる日本人』(昭37・筑摩書房刊)、東京裁判に取材した『審判』を含む『神と人のあいだ』(昭47・講談社刊)、小説『無限軌道』(昭41・講談社刊)を書くにいたる。