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吹けば飛ぶよな男だが

製作=松竹(大船撮影所) 
1968.06.15 
7巻 2,438m カラー ワイド
製作................ 脇田茂
監督................ 山田洋次
脚本................ 森崎東 山田洋次
撮影................ 高羽哲夫
音楽................ 山本直純
美術................ 重田重盛
録音................ 小尾幸魚
照明................ 戸井田康国
出演................ なべおさみ 緑魔子 犬塚弘 石橋エータロー 安田伸 石井均 芦屋小雁 小沢昭一 ミヤコ蝶々 有島一郎 佐藤蛾次郎

 なべおさみ主演の傑作。山田洋次の世界というよりも、完全に森崎節である。


     吹けば飛ぶよな男だが  短評     池田博明

  「山田洋次・全映画」という企画が始まって、とうとう山田洋次・森崎東脚本の傑作もDVD化されました。
 ビデオはあったのですが、ビスタサイズに切った作品でした。DVDはシネスコサイズなので貴重です。山田作品では怪作『喜劇・一発大必勝』もDVD化のラインナップに入っています。信じられませんが、楽しみです。この勢いで森崎作品や前田陽一作品も再評価されるといいのですが。

吹けば飛ぶよな男だが 『吹けば飛ぶよな男だが』は、奇妙な作品です。主演者の顔ぶれからしても、とてもお客さんが入るとは思えません。当時、なべおさみはハナ肇の付け人でしたから、ハナ肇の『馬鹿』シリーズを撮っていた山田監督はよく知っていました。ヤクザに憧れる少年の悲劇を描きたいと、原題は「チンピラ・ブルース」だったそうですが、カタカナ題名にはプロデューサーのOKが出なかったといいます。
 冒頭、小沢昭一が弁士として登場し、物語を要所要所で解説していきますが、この弁士の口上は森崎さんが書いたもので、「森崎君には漢詩の教養があるから、うまい」と《自作を語る》で、山田監督はふり返っていました。興行成績はパッとしなかったのですが、作品評価は高く、なかでも「週刊アサヒ芸能」で映画コラム「おれは野次馬」を書いていた結城昌冶は2回にわたって評価し、これほど素晴らしい映画が当らないことが問題だと指摘、山田洋次は大きく力づけられたといいます。キネマ旬報のベストテンで第10位に入りました。
 映画は神戸駅前で少女を物色中のチンピラたち(なべ、佐藤蛾次郎、芦屋小雁など)で始まる。駅前で、天草出身の花子(緑魔子)を誘い、翌日野外ロケでのブルーフィルム撮影隊に売ります。強姦場面を拒否する花子を見て、三郎(さぶ)は兄貴分(小雁)を殴り、花子と逃げます。天草は森崎さんの故郷ですし、『男はつらいよ望郷篇』の榊原ルミの役名もたしか花子。
 花子をポン引きのおとりに使ったり、トルコ風呂に売ったりしますが、花子の純情に次第に惚れていく三郎。気のいい中年の高校教師(有島一郎)がなにかと花子の面倒を見てくれます。
 殴った兄貴分にとうとう見つかり、「指をつめてわびを入れればいいんじゃい」と指をつめようとして大騒ぎ。つめた小指を食ってしまう三郎。この辺り山田監督は自作を評して「若いね」とひと言。表現が直接的で生々しいところが気になるのでしょう。バラックの隣室に住む本物のヤクザ(犬塚弘)に諭されて、片はついたものの、虚勢を張る性格は変わらない。意気込んでヤクザにからみ、組内の若衆を刺してしまう。三郎が拘置所に入っている間に、妊娠5ケ月だった花子は流産して死んでしまいます。山田監督によれば、車の中で死んでしまうヒロインは、『ヘッドライト』のフランソワーズ・アルヌールが下敷きだそうです。花子の故郷に骨を届けた後に三郎は、神戸港から外国行きの漁船に乗りこみ、日本を離れるのでした。
 トルコ風呂の経営者役のミヤコ蝶々が生んだ子供が三郎ではないかという思いも残りますが、山田洋次監督は映画の中で言っているように、蝶々さんの息子は死んだというのが正しいと解釈していました。最後の場面の蝶々さんの涙は「そんな風に誤解してあいつは生きとったんか。不憫なやっちゃな」という涙だといいます。DVDの特典「自作を語る」は、山田組の助監督だった鈴木敏夫氏がインタビュアーですが、遠慮がちで当り障りのない問いに終始していて、つまらないものでした。 
 森崎脚本としては物語が単線的で、山田洋次監督の描写は割合淡々としています。
 森崎脚本・山田監督の作品では、滅茶苦茶の度合いからすると、『喜劇・一発大必勝』や森崎脚本・渡辺祐介監督『いい湯だな全員集合』の方が上ですね。 (2005年8月11日記 池田博明)

   白井佳夫  森崎東党のテーゼをめぐって

 森崎東監督は、周知のように日本の大手映画会社松竹から、映画作家としての活動をスタートさせた人である。そして松竹とは、明治時代に歌舞伎の興行からスタートし、大正時代に映画制作に進出した歴史を持つ会社である。映画の全盛期にこの会社のビッグ・プロヂューサーである城戸四郎が確立した、映画会社としての松竹が作る作品の特質とは「小市民的な映画」というものであった。
 いわゆる松竹大船調の小市民映画、即ちホーム・ドラマである。城戸四郎が松竹映画のテーゼとしたのは、次のようなことであった。「松竹の映画は、社会のことを描いても、政治のことを描いても、経済のことを描いても、よい。ただしそれは、典型的な日本の小市民たちが、茶の間でしゃべるような、日常的な表現の範囲内において、である」と。
 森崎東監督は、この松竹という映画会社の中で、いわば異端の人間であった、という風にいっていいであろう。長崎児島原市に生まれて、第五高等学校から京都大学法学部に入り、日本共産党に入党、やがて六全協による党の方向大転換を迎えた、という世代である。在学中に党に「裏切られ」た上に、松竹の京都撮影所に助監督として入社した彼は、さらに会社による京都撮影所閉鎖をめぐって、会社および労組からも「裏切られ」たに等しいような事態を、体験することとなる。
 松竹大船撮影所の脚本部に配転された彼はここで『なつかしい風来坊』「愛の讃歌』『吹けぼ飛ぶよな男だが』『喜劇・一発大必勝』『男はつらいよ』などの山田洋次監督作品の、脚本共作者となる。まだ、山田洋次監督の庶民喜劇路線が世にいれられず、その作品に、反俗的なうっ屈感がわだかまり、それが映画に、ある骨太な居直りの精神のようなものを、秘める作用をしていた時代である。
 この時代の山田洋次監督作品の「反俗的なうっ屈感」と「ある骨太な居直りの精神」のようなものを、森崎東が大きく支えていたのであろうことは、森崎東がいた時代の山田作品と、彼が訣別した後の山田作品とをくらべてみれば、よくわかることである。やがて森崎東は『喜劇・女は度胸』で、松竹大船撮影所の監督として、デビューする。時に四十二歳、けっししてもう若くはない年齢。てある。
 『喜劇・女は度胸』にはじまる、映画監督としての森崎東作品の特質は、一見松竹大船調の「小市民的な喜劇 映画のような、平明なドラマ仕立てをふみながら、実は日本の下層庶民の、図太い生活力のバイタリティを、 ユニークな映像表現の底に、エネルギッシュに泌めているところにあった。
この松竹の大型新人監督の、その後の『高校さすらい派』『喜劇・女は男のふるさとヨ』『喜劇・女生きてます』『喜劇・女売り出します』といった作品系譜に、私が魅せられたのは、これらの映画が、平明で実に面白い人間喜劇でありながら、その底にいかにも森崎東らしい底意を、骨太に感じさせるところにあった。
 その底意とは、ごく簡単にいってしまうならば、「松竹大船調の伝統的な小市民映画路線を踏みながら、実はむしろそれを大きなテコとして、正統な庶民喜劇として、とでもいうべきものであった。自己の主張を映画の中に押し出していく精神の正当さ」とでもいうべきものであった。
 政治に「裏切られ」、資本の論理に「裏切られ」、労働運動の論理に「裏切られ」た彼の、孤立した戦いを支える、最後の、そして正当な「拠りどころ」が、「異端な精神の正当で大衆的な表現」として、そこにはあるように、私には思われたのである。そのように孤立した自己の、他ならぬ「映画による映像表現という形での自己の確認と主張」が、きわめて大衆的で、なおかつナイーヴで、そして骨太な映画作りを、ユニークに支えているように、私には思われたのである。
 だが、京大出のインテリゲンチャとしての彼の、もろもろの「裏切り」に対する無念の思いは、一方で『喜劇・男は愛嬌』『女生きてます・盛り場渡り鳥』『野良犬』『黒木太郎の愛と冒険』といった作品系譜では、むしろ観念的で図式的で、抽象的な表現と作品構造をとって、露出する。それもかなり生硬な形でのメッセージとして、露出するのである。
この問題に関して、「そんなことでは困る!」という私と、「いや、それでいいのだと思う!」という彼とは、実は何度も議論を重ねてきている歴史(?)を持っている。それについて、より詳しく知りたい、というかたは、私の対談集『監督の椅子』(話の特集社刊)の中におさめられている、<森崎東監督との大衆映画についての論争>という彼と私との論争を、ご一読いただきたい。
 最近見ることのできた森崎東監督の新作『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』もまた、この彼と私との論争に再ど火をつけて盛大に燃え上がらせそうな作品である。私は今、手ぐすねひいて、そのチャンスを待っているところである。

  (野原藍編『にっぽんの喜劇えいが 森崎東篇』映画書房,1984年)