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無宿人別帳

製作=松竹(京都撮影所) 
1963.01.27 
9巻 3,225m 白黒 シネマスコープ


製作 白井昌夫 無宿人別張 DVD表 
監督 井上和男
脚本 小国英雄 (森崎東)
原作 松本清張
撮影 堂脇博
音楽 池田正義
出演 佐田啓二  岡田茉莉子  渥美清
田村高広  三上真一郎  津川雅彦
伴淳三郎  辰巳八郎  岩本美代
長門裕之  三国連太郎  宮口精二
二本柳寛  西村晃  左幸子
中村翫右衛門

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Variety Japanより キャスト
田村高廣 =佐渡奉行・横内主膳、二本柳寛=黒塚喜助、岡田茉莉子=黒塚の内儀くみ
長門裕之=占部小十郎、左幸子=占部の女おりん
天王寺虎之助=八蔵、三國連太郎=新平、
中村翫右衛門=差配・清兵衛、岩本美代=その娘おみよ、
佐田啓二=弥十こと宗像弥十郎、津川雅彦=仙太、宮口精二=卯助、
富田仲次郎=定五郎、渥美清=市兵衛、三上真一郎=吉助、辰巳八郎=権次郎
伴淳三郎=長次郎、川辺久造=彦兵衛
小堀明男=加賀谷庄右衛門、安住譲=加賀谷庄吉、須賀不二夫=北村惣兵衛、
永田光男=大久保左内、西村晃=柏木平六、山路義人=広沢文之丞、
河原崎次郎=片岡求馬、高野真二=荒川隼人

  ◇解説
 オール読物連載松本清張原作の同名小説の映画化で、「しのび逢い」の小国英雄が脚色、「熱愛者」の井上和男が監督した異色時代劇。撮影もコンビの堂脇博。

  ◇物語 (Variety Japanを修正)
 享和二年、江戸の無宿人六十二名が同心占部小十郎(長門裕之)の護送で佐渡へ送られた。
 道中、川越無宿長次郎(伴淳三郎)のように佐渡を前にして死ぬ者も出たが、佐渡での労役はそれにもまして辛いもので、金山の水替仕事はまさにこの世の地獄だった。
 やがて、彼等と前後して新佐渡奉行横内主膳(田村高広)が着任した。主膳は奉行所の腐敗をつき、改革を断行しようとする新進気鋭の士だった。しかし、主膳と同伴してきた新支配頭黒塚喜助(二本柳寛)は、私情に溺れ蛇のような執念をもった男だった。喜助の妻くみ(岡田茉莉子)と、御家人宗像弥十郎(佐田啓二)の仲にあらぬ疑いを持ち、弥十郎に罪をきせて佐渡送りにしたのも喜助。
 それにあきたらず、神田無宿弥十とよばれている弥十郎を殺すため、小十郎に命じて落盤事故をおこさせ、他の無宿人吉助、市兵衛、卯助、権次郎ら共々坑内に埋めようとまでした。そうした喜助の秘密を握った小十郎もまた、こぎたなくて、抜け目のない小役人だった。
 主膳が、佐渡一山の山師加賀屋庄右衛門の繁栄に疑問を持ったとみると、すぐさま加賀屋に内通した上、独り身の主膳に妹と称しておのが妾おりん(左幸子)をさしだし、からめ手から篭絡しようとした。
 一方、政治の改革をめざす主膳は、庄右衛門の鉱山を奉行所直轄とし、落盤事故で働く坑を失った無宿人をそこで働かせようとする。が、庄右衛門の策動で彼の鉱山の穿子たちは、一足早くストライキに入ってしまった。一歩ずつ、先んじられて憤懣やるかたない主膳であるが、佐渡に根を張り佐渡の主人といわれる加賀屋には太刀打ちできなかった。
 落盤で危険な抗での労働を再開する奉行所の非道に抗議する差配役の清兵衛(中村翫右エ門)だったが、もとより奉行所は罪人上がりの差配役の言うことなど聞く耳を持っていなかった。
 その頃、喜助は加賀屋は無宿人の下世話役・新平(三國連太郎)を買収、島からの脱出を無宿人たちにそそのかせていた。暴動は奉行の失態になる。奉行の失脚を狙った計画だった。「加賀屋がついている」と称して無宿人たちを海辺におびき寄せ、鉄砲隊に待ちうけさせて弥十郎を殺すコンタンだった。そんな企みを知ったのが無宿人の差配役清兵衛だった。無宿人あがりだけに無宿人への愛情は深く、島脱けがワナであることを説き、一同奉行所へ向った。清兵衛の娘みよと彼女に愛情を持つ駿河無宿仙太だけを逃して。ウラをかかれた喜助たちは奉行所へ戻り鉄砲隊で攻撃をかけてきた。応戦する無宿人たちと激闘数時間、その間喜助は来合せたくみを斬り、弥十と刃を合して共に死んだ。奉行所が燃え落ち、無宿人が死に絶えた頃、みよと仙太は本土をめざして小舟を漕いでいた。

 夜や抗のなかなど暗い場面が多く、無宿の男たちが争う華やかさの一切ない異色作。
 森崎さんがインパクトを受けたという映画『真空地帯』の影響があるのではないかと思わせられる作品、ぜひ『真空地帯』も見てみなくてはなりません、
 池田正義の和の打楽器中心の音楽が武満徹の音楽のようです。
 荒くれ男たちの中に若い娘みよひとりというのは、あり得ない設定ではないでしょうか。
 (池田博明記、2008年12月4日)

       野原藍編『にっぽんの喜劇えいが 森崎東篇』(映画書房,1984年)より

  脚本部から監督デビュー

 山根貞男 森埼さんはどこへ配転になったんです?
 森埼 東 ぼくは脚本部に。だから、森崎みたいに監督と組んだときに脚本ばっかり手伝ってると、ああなるぞという一説が流れたってんですから。ぼくは野村さんだってそうだったし、『無宿人別帳』(一九六三)の井上和男さんのときも、ずーっとホンからタッチしてたんですね。で、配転されたあと、山田洋次さんのホンも書くようになったんですよ。
山根 なるほど、『なつかしい風来坊』(一九六六)『愛の讃歌』(一九六七)『吹けば飛ぶよな男だが』(一九六八)などですね。脚本部には何年ぐらいいらしたんですか。
 森崎 何年ぐらいでしょうかねえ。ぼくはクロ二クルがまったく弱い。一、二年か…。
山根 それが一九六九年に『喜劇・女は度胸』で監督としてデビューすることになる。