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真空地帯

製作=新星映画 配給=北星
1952.12.15 
12巻 3,534m 白黒   129分
製作 嵯峨善兵 岩崎昶  真空地帯 
監督 山本薩夫
脚本 山形雄策
原作 野間宏
撮影 前田実
美術 川島泰造 平川透徹
音楽 団伊久麿
録音 空閑昌敏
照明 伊藤一男
出演 木村功 利根はる恵
神田隆 加藤嘉
下元勉 西村晃
金子信雄 花沢徳衛
岡田英次 三島雅夫


      真空地帯     略筋   池田博明記

 原作のかんどころを洩れなく取り入れ、監督・山本薩夫以下スタッフの、軍隊の内務班生活の経験も参考にしながら製作された記念碑的な作品である。

 昭和19年1月、まだ日本が空襲を受ける前の大阪。陸軍一等兵・木谷理一郎(木村功)は立澤准尉(三島雅夫)に連れられて、隊長(神田隆)に申告する。准尉によると、陸軍刑務所で二年三ケ月の刑を終えて、原隊復帰するから他の兵隊と区別せぬようにとの命令が下っているのだそうである。同室の班長・大住軍曹(西村晃)は前科者だということを黙っていてやると言う、彼によれば木谷と同期の四年兵はもうシナに送られて誰もいない。
 軍隊組織では早く入隊した者が先輩で、初年兵いびりが激しい。大学出の初年兵を小学校出の上等兵がいじめる。些細なことで連帯責任をおわせ、ビンタが張られる、土下座して謝らせる。四年兵の木谷は、最も古参に当たるので殴られる心配はないが、ときどき自分の刑務所生活を思い出しつつ疑問を感じていた。
 木谷には花枝(利根はる恵)という馴染みの娼妓がいて、その女のことをときどき思い出す。
 初年兵指導係・地野上等兵(佐野浅夫)やその仲間たち(花沢徳衛ら)は常々、會田が初年兵に甘いのが気に入らなかった。三年兵で事務室要員の會田(ソウダと読む。下元勉)はこっそり戦争に批判的な本も読んでいる。木谷に頼まれて「犯罪情報綴」を盗み見て、木谷が林中尉(加藤嘉)の財布を盗んだという容疑で懲役を受けたこと、罪を認めなかったことで反軍思想と糾弾されていたことを知る。木谷には情報綴に犯罪の記載は無かったと告げる。
 木谷が事件を起こした計理室では物資に絡む横領や不正が横行し、実権を握ろうとする中堀中尉と林中尉の確執があった。検察官(岡田英次)は木谷が花枝に書いた軍隊批判のホンネの手紙まで傍証にして自分を有罪にしたのだ。木谷は信じていた花枝に歌切られた気持ちであった。
 野戦行きがあるという噂が入り、部隊に緊張感が走る。戦局きびしき折り、南方の野戦に行けば生きて還れる保証は無かった。情報通の班長や會田は誰が野戦行きかを聞かれるが、二人にもまだ分からなかった。班長は初年兵の弓山の持ち物に『社会科学方法論』(岩波文庫)を発見、主義者ではないかと疑われるが、隊長や准尉はそれほどの本ではないと判断する。
 木谷を地野は「監獄帰り」と呼び始める。初年兵の安西(三島耕)はことのほか失敗が多く、彼のために連帯責任で殴られることも多かった。染上等兵(ソメ、高原駿雄)はある日、安西が仕事をサボってタバコを吸っているのを目撃、怒りに駆られて口にマグソを押し込んで折檻する。
 木谷は身の上に同情してくれていたと思い込んでいる経理部の上司だった他の班長・金子軍曹(金子信雄)に会いに行き、林中尉の消息や野戦行きの人選を聞くが、分からない。
 翌日、昼のラッパ。朝から安西は行方不明となり、部隊にはこの不祥事に対する責任追及を恐れる空気が伝染する。初年兵は人間セミの罰をやらされる。マグソを食わせた染も責任を問われる。
 結局、安西は女に会いに出たことが分かり、厩の脇の枯草の中に隠れていた。染は2日間の営倉、安西は外出止めの罰を受ける。
 會田は二中隊に林が来た書類を見る。金子はなにかと邪魔になってきた木谷を野戦行きに加えるようにと准尉に依頼してくる。准尉は上司から補充兵の二人を外せと頼まれて一度は断っていたところだった。その相談を會田は物陰で聞く。
 染の営倉入りを祝おうと古参兵が数え歌を歌う。會田は木谷に林中尉の情報を伝える。「監獄帰り」は何もせん、女郎に手紙を書いているといった公然と言われる悪口が、とうとう木谷を怒らす。木谷は悪口を言った者に猛然と殴りかかっていった。全員を並べて監獄帰りにはなんの怖いものもないぞと鉄拳制裁をふるう木谷。彼の拳は會田の頬にも飛んだ。
 染は共産党宣言の冒頭の一句をつぶやいている男である。コーヒーを指し入れた會田はそんな言葉は言わぬほうがいいのではないかと言うと、染は兄貴から教わった言葉だという。兄貴は機械工でいまは監獄だという。染は刑務所ぐらいで罰をくらっても大したことはないと答える。會田は自分にはそんな覚悟が無かった、北谷と本気で関係を持とうとはしなかったと反省する。
 外で木谷に会った會田は証言を強制された花江が店を辞めて故郷の鳥取に帰ってしまったことや、金子の進言で野戦行きに入っていることも伝える。木谷は信頼していた金子がそんな画策をしていたとは信じられない。
 だが、翌日准尉から野戦への転属者が発表される。木谷の名前があった。特別に外出許可が出るのだが、木谷は別に呼ばれて師団の命令で外出させられないと伝えられる。
 木谷は金子に会って聞きただそうとするが、金子は居留守を使って会おうとしなかった。木谷は二中隊の林に会いに行く。二中隊の舎前で彼を発見、林は経理部の権力争いで自分も中堀や金子に失脚させられたほうだ、木谷を被告席に送って経理部の不正を明るみに出そうとしたが、軍の威信が失墜するのを防ぐために、師団主導で林を危険な輸送部隊に、木谷を監獄へ送ったのだと弁解する。木谷はいまさらそんな話がなにになると憤るが、いったん外へ出て准尉の部屋へ行き、自分が野戦行きになった経緯の書類を見せてくれと申し入れるが、もちろん准尉が見せるわけがない。追い出せと准尉。外へ出た木谷に會田は「(金子の件は)自分から聞いたと言ってくれてもいいですよ」と言うが、木谷は「もうええ」と答える。染が戻って来る。
 その晩は雨である。木谷は寝床を準備してくれた弓山に礼を言うが、これ以上はしなくてもいいとも付け加える。就寝ラッパが鳴る。木谷は抜け出す。木谷の動きに気付いた會田は見張りの兵隊の注意をそらし、木谷の脱出を助ける。木谷は准尉の手箱から花枝の写真を盗み、金子軍曹の部屋へ行くが、金子は准尉と外出していて居ない。木谷は林中尉の部屋に行き、林を「オレはずっとお前を殺そうと思っていた。オレは明日野戦へ行かされるんや。分かるかよ」と殴る。そのころ。木谷の不在に気付いた班は大騒ぎ。大住班長は會田を、木谷が逃げたのを知っていたんだろう、重営倉にブチこんだるぞと、繰り返し殴る。木谷は塀を越えて脱走しようとする。しかし、雨で滑る塀は木谷には高すぎた。とりおさえられてズブ濡れの木谷。
 翌日、野戦へ兵士を送る船上に放心したような木谷の姿があった。兵隊たちは紀元二千五百年の祝詞を唱えているが、木谷は花枝の写真を見て、歌を歌う。「帰るつもりで来てみたものの、夜毎に変わるアダ枕、色で固めた遊女でも、また格別のこともある、来てみりゃ未練で帰れない」と。
 最後に次のような字幕が出る。

   兵営ハ條文ト柵トニトリマカレタ
   一丁四方ノ空間ニシテ
   人間ハコノナカニアッテ
   人間ノ要素ヲ取リ去ラレ
   兵隊ニナル
               野間宏

 他のキャストは、沼田曜一=週番仕官、沼崎勲=彦左上等兵、野々村潔=内村一等兵、薄田研二=内村の父 。
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 三河教労機関誌より、 野間宏と山本薩夫の「真空地帯」
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  映画で内務班の古年兵が歌う春歌や数え歌などは原作に表現されている。
   
      第二章 七 より

百十ニ部隊の衛門で  はんかち片手に眼になみだ
・・・・・
あなた上から下り藤   あたしゃ下から百合の花
一汗かいたそのあとで
・・・・・
金ある単ちゃんたよりない  いきな上等兵にゃ金がない
女なかせる二つ星、よいよい
 
    染上等兵の営倉入りのお祝いで歌われる数え歌

一ッともせいーえ、人も亦嫌る軍隊えーいえ、志願もまたするよな馬鹿もある、志願処か再役するよな馬鹿もあるわーえ。
二ッともせいーえ、ふた親見捨てきたからにゃいーえ此身は国家に捧げ銃、及ばずながらもぇー務めますわーえ。
三ッともせいーえ、みなさん御承知の軍隊はいーえ、呑気で気楽でよい様だが、来てみてみなされぇーつらいものぞーえ。
四ッともせいーえ、夜も亦寝られぬ不寝番じゃいーえ、あくれば衛兵に交代す、勤務勤務で苦労するわーえ。
五ッともせいーえ、いつかは知らねど不時点呼じゃいーえ、真の夜中に起されて班長さんより番号かけられ解散じゃわーえ。
六ッともせいーえ、無理な事でも軍隊はいーえ、命令なんぞとかこつけて、絶対服従せにゃならぬわーえ。
七ッともせいーえ、七日七日の土曜日にはいーえ、被服検査や兵器検査内務検査、検査検査で苦労するわーえ。
八ッともせいーえ、焼けで営門出たからにゃいーえ、遊びつかれて七、八日帰りゃチョット二十日のえー重営倉じゃーえ。
九ッともせいーえ、此処の規則はよく出来たいーえ、寝るも起るも皆ラッパ、衛兵交代、会報、非常呼集、食事、皆ラッパじゃわーえ。
十ともせいーえ、十日十日の俸給日にはいーえ、一円と八十五銭貰います、女郎買処かアンパン代にも足りはせぬわーえ。
   
   映画には一部が使われている「満期操典」

文明開化の世の中で軍隊生活知らないか知らなきゃ私が説明する、花の三月検査受け親の願いがとどかぬか役場の親切薄いのか彼女の思いがとどかぬか、甲種合格一番で蚤の四月蚊の五月六月蝉の鳴き初め七、八月は暑い頃、九月十月秋半ば十一師走も早や過ぎて明くれば一月十日には、近所親戚よせ集め酒や魚で祝いして万才歓呼に送られて氏神様に参拝し武運長久祈りつつ市内電車に人となる、市内電車はよいけれど晴の衣服に星がない、思わず落す一しずくこらえこらえて馬場町、馬場町へと来てみれば左に見ゆるは放送局右に見ゆるはシ重隊で私しゃ一一二入隊す衛門くぐれば衛兵所、左に見ゆるは面会所一中隊や二中隊三中隊や四中隊あまた中隊ある中で銃剣術で名の高し私しゃ歩兵砲中隊に入隊す、寝台手箱定められ赤飯頭で祝して中隊長の訓示には中隊長はお父さん班長さんはお母さん古年兵は兄さんで皆々仲よく元気よく無事につとめを終える様涙あふるるお話も一夜明くれば鬼となる



      森崎東インタビュー  映画はもうほとんど世界である (1984年)より

 森崎 卒業も就職もできないもんですから、大学なんてのは隠して職安に行ったりしたんですけども、バレたりして、結局政治がらみでね、民主主義診療所連合会、民診連てのがあったんですけど セッツルメントみたいな そこの事務長やってたですよ。そのへんの下駄屋さんも二コヨンも朝鮮人も、みんなに百円ずつ出さして、一つの診療所を建てるとこから始めて、朝鮮の人たちがいちばん力になって、できあがったっていう……。
 診療所の事務長といったって、男は一人しかいないわけてすからね。薬を包むのから、力ルテの整理をするのから、堕胎手術をした女の人を担いで二階に運びあげるのから、みんなやったですよ。最後には自分で注射までしてね(笑)。静脈注射なんて、今から考えるとぞっとするんですけどね(笑)。先生がいないもんだから代わりに往診にいって、丸太町の橋の下に夫婦の屑やさんが住んでてね、痛くてしょうがないってんで、やっちゃいけないんですよ、医師法違反ですから、それをやったですねえ。入んなかったですよ(笑)。だから、皮下注射を打ったんですよ。何とかパンビタンみたいなやつを打ちゃ、すぐ治っちゃうんですよ。そんなことまでやったですねえ(笑)。
 そんなふうに一年間、診療所活動をやったでしょ。で。そのあげく卒業できて、今度は試験が受けられるんだけども、映画会社は試験をしなかったんじゃないですかな。国へ帰ろうかとも思ったんですが、ぼくの友達が、国へ帰っちゃおしまいだぞ、とりあえず京都でもいろ、というようなことで残って……。
 山根 そのころですね。雑誌<時代映画>の編集は。
 森崎 そうです。もう映画に行こうと決めてましたから。滝沢一さんにお願いして。
 山根 何で滝沢さんにお知り合いになったんですか。
 森崎 <学生新聞>に北川鉄夫さんだとか。滝沢一さんとかに映画評を書いてもらってた。映画評はひじょぅに優遇してましたからね。みんな、映画が好きでしたから。
 山根 <学生新聞>の頃に好きだった映画って何ですか。やっぱりソビエト映画とか……。
 森埼 そうですよ。だってもう、只中ですから。『真空地帯』とか『どっこぃ生きてる』とか。ほんとうにある感動を受けたのは『真空地帯』だけなんですけどね
 山根 <時代映画>の編集をしてたのは、どれぐらいの期間ですか。
 森崎 一年、ですね。一年目にまた試験を受けて、それで松竹に受かたんです。

  井上ひさし  「たったひとりでベスト100選出に挑戦する」より

 (32)「真空地帯」
  木村功という俳優はあまり性に会わないが、これだけは別だ。
  それから三島雅夫のインチキ将校がいい。
  もうひとつ、この映画の夜のシーンはすべてみごと。映画はやはり夜と雨だと思う。
  要領の悪い初年兵三島耕、経理部下士官の金子信雄、みな絶品。

(文春文庫『日本映画ベスト150』1989年より)

  白井佳夫 戦争映画ベスト10
  (1)真空地帯  (2)兵隊やくざ  (3)叛乱  (4)春婦傳
  (5)陸軍残虐物語   (6)私は貝になりたい  (7)独立愚連隊
  (8)独立愚連隊西へ  (9)独立機関銃隊未だ射撃中
  (10)陸軍中野学校

(角川文庫『名画パラダイス365日』1991年より)

       松原新一  『真空地帯』が描き出したもの

 平田次三郎のいう「社会的リアリズムと実存的リアリズムとの綜合」なる命題とだれよりもまともに格闘した作家は野間宏であった。大岡昇平が『武蔵野夫人』において試みた方法は、「心理に社会的条件がすべて現れて来るようにしなかればならぬ。」(「『武蔵野夫人』ノート」・『作家の日記』所収・昭33・新潮社刊)であった。野間宏の『暗い絵』以下の初期作品の場合も、いわば個的実存の傷口や歪みをえぐりだしていくことをとおして、その背後に重圧としてよこたわる社会そのものの歪みをうかびあがらせてゆくという方法的処理のうえにはじめて成立している。社会的現実の構造をまさに構造そのものとしてリアリスティックに小説の世界に描き出すという課題は、あくまで課題としてひそかに野間宏の内部にかかえられていたにとどまる。だからこそ野間宏は、「戦争小説について」(昭24・3「新日本文学」)において、既に『顔の中の赤い月』や『崩壊感覚』等の戦争体験をモティーフとする作品の作者として自己確立しながら、にもかかわらず、「戦争を主題にした小説を僕はまだ書いていない。」と語らねばならなかったのである。自分の追ってきたのは、「戦争のほんとうの内容」ではなくて、むしろ「戦争の影のようなもの」であった、と。これは、その作品にてらしてみると、いかにも正確な自己認識だった、というべきだろう。では、なぜ野間宏は「戦争のほんとうの内容」を正面ににみすえて、これを追うことができなかったのか。その理由を野間宏は、「僕は戦争を一つの実体として、客体として把握する態度をもっていなかった。僕は主体ということを言いながら、その主体は、非常にあいまいな、いわば気分的なものをふくんだ、その前にはっきりと客体を置くことを知らない主体にすぎなかった。」というところに求めたうえで、戦争小説の実現を真に可能とする根拠をめぐって、次のように書いている。

  
 戦争をほんとうに戦争としてとらえるためには、戦争(これは帝国主義にとってはさけることのできないものである。)をなくする立場、戦争批判をはっきりとなしうる立場にたたなければならない。そしてそれは戦争のために、親、子、夫を失い、家をやき、はっきりと戦争の正体をみぬき、そのような過去を自分の前に据えて、打ち破り、新しい世界をつくり出そうとしている人民の立場である。この場所までこない限り、戦争は書けないのである。
  

真空地帯
 野間宏は『真空地帯』(昭27・河出書房刊)において、はじめて自身のヴィジョンとして抱懐していた、いつか必ず書かねばならぬ作品として予感していた戦争小説に到達した、といっていいかと思う。軍隊の内務班を舞台として軍隊のメカニズムの反人間的な性格を、いくつもの具体的な濃密をきわめたディテールによってあばきだしていったこの長篇小説は、本格的な社会小説の出現にほかならなかった。
 作品は、主人公の木谷一等兵(上等兵から降等している)の刑期を終えて陸軍刑務所から中隊に帰ってくるところから始まっている。彼は上官の落とした財布を拾い、中身をぬきとったことが発覚し、軍法会議にひきだされ二年三ケ月の懲役刑を課せられていたのである。そういう小さな窃盗事件のために、なぜ木谷は苛酷ともいえる重罰を課せられねばならなかったのか。作品はそれを謎として提示し、結局、経理室の利権(経理室では、物品のぬきとりや贈収賄などの不正が横行していた)をめぐる中堀中尉と林中尉の勢力争いに、木谷の窃盗事件が利用され、いくつもの仕組まれた陰謀によって、軍法会議にひきだされたあげく、木谷は反軍思想の持主という烙印を押しつけられたうえ、いわれのない軍機漏洩罪まで加重されて刑務所におくりこまれねばならなかったという、陰湿な軍隊組織のカラクリを少しずつ明るみにだしてゆく。
 京大出身のインテリで元中学校教師であった會田一等兵は、「兵営ハ苦楽ヲ共ニシ死生ヲ同ウスル軍人ノ家庭ニシテ兵営生活ノ要ハ起居ノ間軍人精神ヲ涵養シ軍紀ニ慣熟セシメ強固ナル団結ヲ完成スルニ在リ」という軍隊内務書の規定を「兵営ハ条文ト柵ニトリマカレタ一丁四方ノ空間ニシテ、協力ナ圧力ニヨリツクラレタ抽象的社会デアル。人間ハコノナカニアッテ人間ノ要素ヲ取リ去ラレテ兵隊ニナル」といふふうにひそかにいいかえている。「たしかに兵営には空気がないのだ。それは強力な力によってとりさられている。いやそれは真空管というよりも、むしろ真空菅をこさえあげるところだ。真空地帯だ。ひとはそのなかで、ある一定の自然と社会とをうばいとられて、ついには兵隊になる。」という會田一等兵の抱懐する兵隊論は、おそらく作者である野間宏その人のものであったにちがいない。ここに描出された数多くの兵隊たちは、そのだれもがそういう軍隊とという強制社会の重圧のなかで人間的自然を奪いとられている。万事に要領が悪く、ことあるごとに古年兵から「バッチ」をくらっている安西二等兵は、そのノートに次のような苦しみにみちたことばを書きつけずにはいられない。
  
苦しいか、おい、苦しいか。苦しいといえ。
心などもうなくなってしまった。自分をどうすることもできない。犬のようにたたきまわされても、なんともないし、ひとりでに手があがるだけ。
自分がこんなになるとは思えなかった。胃袋が口のところまででてきている。
靴は重いし服はだぶだぶ。ざらざらざら。おかあさん・・・また、今日も蝉、せみです

 「自分の肩の星が三つから二つに減ってしまったということは、木谷に、腕の骨をぬきとられたような感じをあたえた・・・・・・。」としるされていたように、階級の差別がほとんど絶対的な力を持つ軍隊にあって、士官、准尉、下士官、古年兵、初年兵、学徒兵などの相互の人間関係のありようは、そこに利害や利己心、狡智、憎悪などがからまりあうことによって、いっそう陰湿残忍ともいえる葛藤をつくり出している。安西二等兵が「心などもうなくなってしまった。」とうめき声をあげずにはいられなかったように、徹底した上下の関係だけが、軍隊内部の日常生活を支配しているところに、人間的自然の発揚する余地はほとんどない。暴力は日常茶飯事ぼごとくくりかえされる。
 野間宏は「『真空地帯』を完成して」(昭27・6「近代文学」)において、「・・・・私が『真空地帯』でかきたかったことは、知識人と革命家の責任ということであった。私は木谷によって戦時中の日本の国民を考えたいのである。」と書いた。資本主義社会の暗黒を、その社会構造のリアリスティックな把握とともに文学の場に表現するということは、本格的な社会小説の創造をめざす作家にとって必須の課題にほかならなかった。天皇制絶対主義下の資本主義社会体制下の軍隊の内務班を対象としてみすえることによって、野間宏はその課題の具体的な実現をこころみたのであった。しかしそういう困難な課題と取り組んで、それをリアリスティックな一個の文学的達成にまでたかめることは、容易な作業ではない。少なくとも作家が、社会科学的に妥当な認識を持っているというだけでは十分な条件とはなりえないはずのものであるろう。作家の民衆把握の現実性が問われ、ためされるのは、おそらくここにおいてである。
 『真空地帯』の特筆さるべき美点は、木谷一等兵をはじめとして、数多くの副人物として登場してくる兵隊が、個々の性格や生き方に即して、いわば民衆像としてのなまなましい迫力をもって描き出されていることであろう。野間宏は『文学入門』(昭29・春秋社刊)の中で、『真空地帯』を書くにあたって「大衆と共感し、共応し合う世界」をつくりだそうと希ったとも告白しているが、『真空地帯』をその根底において支えているのは、野間宏におけるそういう大衆にたいする深甚な愛情であり、共感の深さであった、といっても過言ではない。それは一つには木谷の犯罪事件に興味を持ち、木谷の身上にかんする軍の秘密書類たる犯罪情報を幾度も読み読みし、木谷とともに軍法会議のデッチ上げのからくりの真相を解明しようとする知識人會田一等兵の目に具体化されている。むろん、ただのちっぽけな窃盗犯にすぎぬ木谷一等兵に異様なまでに関心を持ち、木谷のなかに真空地帯を打ちこわす可能性をみようとする會田の観念性を指摘することはたやすい。二年間の刑務所生活の体験を経て、もはやなにものも怖れない人間となっている木谷を思想犯と誤解し、軍隊という「人工的な抽象的な社会を破壊するにはどういう方法があるかと考えて行ったとき、彼の頭にはっきり浮かび上がってくるのはやはり木谷一等兵のことであった。」という會田一等兵のなかに、非行動的な知識人にありがちの大衆へのコンプレックスがなかったとはいいきれぬかもしれない。會田はしかし、犯罪情報を盗み読むためにこっそりはいりこんだ陣営具倉庫のなかで、隣の隊長室から聞えてくる、准尉と金子軍曹との木谷を野戦行きの人選に入れるという謀りごとの会話を立ち聞きしたとき、それをもし木谷に伝えたならば動員の機密をもらしたという理由で罰せられるだろうとおそれながらも、あえて勇気を出して、金子軍曹の画策した木谷の野線行きが決定していることを、木谷に教えるのである。それだけではない。野戦行きを肯んじない木谷が、准尉にむかって直接、「准尉殿、どうしてこの自分が、こんど野戦行きのなかにはいるようになっやりしましたんでしょうか。」「わけはいえんでしょう・・・・いえんでしょう・・・・・ほしたら、こっちから言うてもよろしますぜ・・・・」とつかかっていったとき、會田は「木谷はん、金子班長の話、自分からきいたと准尉さんにいうてくれはっても、いいですよ。」と、あえて自分を危険な位置におくことを辞さなかった。やはりそこには、會田なりに身を賭した木谷への愛情のあらわれがあった。知識人と民衆とのあいだに望ましい架橋を実現したいとする野間宏の理想が、そこに熱っぽく吐露されているのである。
   
         野間宏における「愛の成熟」

 武井昭夫は、『真空地帯』を批判して(「戦後文学とアヴァンギャルソ」)、「四九年から五〇年へとの労働者階級の指導権を人民闘争のなかに解消しつつ、一方しれゆえにルンペン・プロレタリアート的アナーキーなエネルギーの暴発にひきずられつつ、俗流大衆路線と大衆追随主義に流れていった政治戦線の左右両翼の偏向が、拭い去りようもなく刻みこまれているのである。」と論難した。実は『真空地帯』という作品は、その刊行の後、肯定、否定のいくつかの両端しにはさまれ、一部で論争を呼ぶことともなったわけだが、武井昭夫の『真空地帯』論は否定論の中の代表的なものといってよい。しかし、『真空地帯』を「大衆追随主義」の所産とみなすのは、やはり一面的な批評であって、この作品ほど民衆のなまなましい体臭のようなものをみごとにとらえた作品は、決して多くの例をみないと思われる。作者のなかにはよほど血肉化された具体的な民衆認識がそなわっていねければ、それは実現されえなかったはずであって、それを大衆追随主義と断定するのは苛酷にすぎる評価であろう。むしろ注目すべきは、富士正晴が「『真空地帯』について」(昭27・6「現在」)という批評を書き、そこで「野間宏の愛の成熟に愕然とし尊敬を払った・・・・・。」と延べていることである。富士正晴の指摘によれば作者の「愛の成熟」がもっともよくあらわれているのは、「・・・だらしのない学徒初年兵安西への會田の眼であり、人間的に将来性のあるらしい立派な学徒兵弓山への會田の眼ではない。わたしは會田の眼を通じて下らない安西に向って流れている愛の広大さにびっくりしたのである。」ということになる。そこに富士正晴は、野間宏における「デモニッシュなもの」のもたらした作家としての一種の芸術的勝利を読みとろうとしている。私は、そういう野間宏における「愛の成熟」のもっとも鮮烈な証しを、むしろ、木谷と娼妓花枝とのかかわりかたの無惨さと哀切さを描き出しているところに求めたい。社会の底辺を生き延びてきた彼ら二人に軍隊によって強いられる苛酷な不幸が、作品の基底にすえられていればこそ、軍隊内務班上層部の組織的、権力的な腐敗を憎悪し、その非人間性を剔抉してゆこうとする野間宏のライト・モティーフは、はじめて十全に生かされた、といえるからである。「班内で他の兵隊におされないようにするには兵隊たちは機敏でパリッとして、女の一人ももっていなければだめである。外出のある度に女のところに出かけて行って、女を泣かせてくるということがなければならないのだ。そして平日には兵隊たちは班内でその女に手紙を書いて返事がくるのをまつ。勿論木谷が最初望んだのもそのような女だった。しかし彼と花枝の関係はただそのようなものにとどまりはしなかった。(中略)彼はあの山海楼で花枝に出会ってからはもはや遊びにあがる家も女もかえなかった。それ故に彼は刑務所にはいった当座、四、五日の間いつも心のなかで花枝をよびつづけたのだ。彼は独居房のなかで次第に身体と心のすべてがおとろえてくると花枝の名をよんでそばにきてくれるように求めないではいられなかった。」と書かれているように、木谷と花枝のあいだには性と愛情との人間的なふれあいの世界があった。そうであればこそ、既に客を取った花枝は、待っている木谷のところにはいってきて、身体をかたくとざしたまま、泣きだしてしまい、「ね、こんだから、もうこんなことにならへんように、いつでも一番にきてね・・・。そうでないと、あたし、つらくて。」と哀願するように訴えずにはいられなかったのである。木谷もまた、「ああ。・・・自分を可愛がってくれたものは、彼が生れてから今日までの間にただこの花枝だけだという思い出」を持たずにはいられなかったわけでもあった。そういう二人のふれあいも、木谷の犯罪事件をめぐって、捜査にやってきた憲兵の出現によって、むざんにも破壊されてしまう・木谷と花枝が、それぞれにお互いの不幸な育ちかたを打ち明けて語り合う場面は、『真空地帯』のなかのもっとも人間的なうつくしさにみちあふれている箇所のひとつといっていいが、そういう木谷と花枝との関係をとりだしてきたことのなかに、野間宏の民衆理念ないし民衆に対する深く濃い愛情の視線がもっともリアリティックに生かされているであろう。憲兵の威嚇におびえきって、木谷に不利な証言をあえてするほかなかった花枝について、木谷は「あれは、ほんまに憎たらしい女ですぜ。ほんとに、こっちではいちずにおもいこんでいて、心のうちにあることみんなかくさず、しゃべってしもて、その気になってたのに、それがみんなうその皮やったんや・・・・ただしぼりとる一心で向こうはいてやがったんや・・・・・。」というふうに、憎しみと怒りのことばを吐き出すけれども、野戦行きと決められた木谷の心のなかから、花枝との思い出は決して消え去りはしなかった。「しかしまたやがてまもなく船のゆれる音とともに花枝は木谷の欲情のみちた体のなかにかえってきては、くるしおしいようにその火をかきまわす。」 社会の底辺に生きてきたもののの受苦の深さと、にもかかわらず決して損なわれることのなく持続されている人間的なやさしさとは、そのように木谷の心をささえる娼妓花枝の姿においてこそきわだっている。
 野間宏が、戦争を描き出すためには、それに対置しうる主体の確立を媒介としなくてはならぬといったように、その主体の条件は、ひそかに反戦の思想を抱懐するインテリの會田一等兵のイメージのみでは足りぬことだけは、あきらかだ。『暗い絵』に描出された民衆像は、食堂の鼻親父であれ、主人公その人の父親であれ、いずれもそのエゴイズムの醜という一点にむしろアクセントがおかれていた。むろん、そのエゴイズムの醜は、民衆としての彼らが好んで身に帯びたものではなく、その背後にひろがる社会的重圧とのかかわりにおいて「とらえられてはいた。だが、醜のどん底にあるものが、醜のどの底にありながら、そこにあるがままになお失わぬ人間的やさしさをひそめて生きている相をみなければ、その民衆像には一点の瑕瑾を生ずる。野間宏は、いつか、どこかで、底辺に生きる日本の民衆の、エゴイスティックであるとともに無限にやさしくもあるという、矛盾を背負った生存の諸相におそらく出会ったのではないかと思われる。そう思わせるだけの「デモニッシュなもの」が、『真空地帯』にうちこめられてある。戦争あるいは軍隊に対置さるべき主体を、野間宏は社会の最低辺にあって生きるそういう受苦的存在としての民衆とそういう民衆とともに立っている人間との連帯の場に見出した、といっていいかもしれぬ。この主題の発見をぬきにしては、ついにのちの『青年の環』の完成もありえなかったのではないか。

『戦後日本文学史・年表』(講談社,1978年) pp.163-169より