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 作成者・池田博明


    ひとつのカノンと「円環」

     池田  博明     1985年

  佐々木昭一郎を語る  ピッコロ・フューメ 佐々木作品上映会パンフより 

 勤務校の器楽部のレパートリーに、パッヘルベルの「カノン」が加えられた。2、3年前のことである。練習のとき、演奏会のとき、その旋律が流れてくると、いつも佐々木さんの『夢の島少女』の映像を思い出す。
 「これ、あたしが見つけたの」と言って、ピアノの鍵盤をひとつひとつ押さえていった少女、中尾幸世さんの音にこめた想いを感じる。これからも毎年演奏していってほしいものだ。
 もっとも、「カノン」の演奏を器楽部に頼んだことはないし、これからも頼もうとは思わない。永遠に、そっと続けていってほしいのだ。

 ところで、「カノン」という形式の音楽では、同じ主題が少しずつ、ずれて繰り返される。ちょうど川の流れのように、絶えず繰り返されて、豊かなリズムを作りだすのである。最近、まるでその「カノン」のような経験をした。
 「にじの会」という佐々木さんの作品の上映会を中心にして集まった人々の会が、東京にある。先日、初めて会に出席して、会の人々の佐々木作品との出会いを聞いているうちに、いつか時間が十年前にもどったような気がした。
 『四季・ユートピアノ』との出会いをj語る人、『アンダルシアの虹』との出会いを語る人、その言葉は『夢の島少女』に出会った僕たちのそれと、まったく同じであった。その人なりの言葉で語っていた。
 作品は異なり、見る人の世代は異なっているのに、どうして感動を語る言葉や語りくちは同じなのだろう。
 無意識の深みから、時間を超えて浮かびあがってくる佐々木作品の記憶。その秘密を解く鍵が、そこにはあるのかもしれない。

 『コメット・イケヤ』の全盲の少女は「世界はどこで切ってもつながる円環(まる)なのだ」と言っていた。ユングは「円環は個人の全一性、“自己”を表す像だ」と書いている。傷つき、分裂した自我を統一する理想型が円環(まる)なのだ。
 わたしたちは円環を求めるのである。
 
 『四季・ユートピアノ』『川』の調律師・栄子はA音の音叉を持っている。A音は世界中どこでも「赤ん坊の声」だと佐々木さんは言う。その音はすべての出発点なのかもしれない。というよりも円環なのかもしれない。
 アメリカで客死したジョン・レノンはこう言っていた。「ピアノでひとつの音を出すと、そこにすべてのハーモニックスがあるということは、誰でも知っていますよ」と。
 “ハーモニックス”、美しい言葉である。
 ヴォネガットの小説『タイタンの妖女』には“ハーモニウム”という水星の歌を食べる、まるでかつてのヒッピーたちのピース・サインのような生物が登場する。

 調和と円環。
 
 言葉ではなく音を、
 物語ではなく瞬間を、
 虚構(ドラマ)ではなく真実(ドキュメント)を、
 全体ではなく断片を、
 生活ではなく生命を、
 絶望ではなく希望を、
 科学ではなく芸術を、
 特殊ではなく普遍を、
 社会ではなく個人を、
 単純ではなく複雑を、
 暗黒ではなく陽光を!

   (1985年2月11日)


           『夢の島少女』は超傑作だった    池田博明


 多摩シネマ・フォーラム(2001年11月25日)「RESPECT佐々木昭一郎」(企画/黒川由美子)で,『夢の島少女』と『四季・ユートピアノ』の二本が上映された。
 縦4mもある大画面で『夢の島少女』を見るのは初めての体験だったが、そのフィルムの質感と色彩感覚は抜群だった。
 私が『夢の島少女』を見るのは七度目くらいだろう。
 今回は大画面で見て、台本の31以降、サヨコがケンのもとを去ってからが、『夢の島少女』の真骨頂だと思った。この後半で『夢の島少女』は《途方も無い》傑作となったのだ。この後半の展開はデモーニッシュとも言えるものである。天才の技である。佐々木さん自身は「『夢の島少女』は、ビッグバンのようなもの」だったと表現している。『川』シリーズはビッグバンのかけらが育ったもののひとつである。
 後半の音響効果も素晴らしい。佐々木さんによると、岩崎進さんの仕事だそうである。
 『夢の島少女』の後半の展開は、私たちの予想を次々に裏切るものである。最初に見た私たちがここから後を正確に思い出せなかったのも無理はない(『日曜日にはTVを消せ!』第1号参照)。わけがわからないのだ。言葉で物語をとらえようとすること自体が無理なのだ。
 高まる音楽、解体するイメージ、切れ切れのメッセージ。それらが渾然一体となって最後のクライマックスの数場面になだれこむ。
 少年と少女がふと空を見上げる。夢の島を歩く二人が最初は小さく捉えられる。次第に接近し、また遠ざかっていくカメラ。そして突然終わる。

 普通、作品は物語であり、私たちは作者の物語を理解しようとする。私たちはまず、あらすじがわかることが理解することだと思い込んでしまっている。
 作者は物語を語る。「語る」とはつまり、「騙る(かたる)」ことである。見るひと、聴くひとを「騙る」=「だまそうとする」ことである。
  しかし、佐々木さんの作品はそういった物語ではない。断片の物語である。
  断片をつないだトータルな世界は、見る人の心のなかに出きる。作品は、見た人ひとりひとりの心にできていく、共感の物語になる。『夢の島少女』では、主人公のナレーションがないだけ、少女と少年を私たちは第三者として見る。主人公のナラティヴがないので、かえって私たちは自分自身で物語を探るのである、自分の心のなかに。

 『夢の島少女』は、暗く、痛々しい、パセティックな世界を持っている。それは私たちの心のなかにあるものである。
 佐々木作品、あるいは『夢の島少女』を見ても、感動しないひともいるし、理解しないひともいる。なぜだろう。最初のうちは、それが理解できなかった。
 しかし、今は理解できる。見るひとの方に夢の島を理解する世界があるかないかが問題だったのだ。
 佐々木さんはこのあたりのことを「一億人のうちの十分の一くらいのひと」、つまり一千万人くらいの人は理解してくれると思うと言っている。
 見る人の方に深い心の傷があるかないか、孤独や世界から切り離されたという感覚があるかないか、都会と田舎の断絶、他者とのコミュニケーションの断絶、焦り、いらだち。

 ところで、ジョナス・メカスの映画日記に印象的な言葉がたくさんある。私はメカスの映画を見ないまま、メカスの映画を佐々木さんの作品と同じだと思い込んでいた。実際にメカスの『リトアニアへの旅の追憶』がビデオになり、発売元のイメージ・フォーラムに注文して入手し、さっそく見てみた。
 そうしたら、メカスの世界は佐々木作品とは「違った」。あまりにも違っていた。それはメカスのプライヴェート・フィルムだった。メカスの映画の登場人物はメカス自身も含めて「なま」の生活者だった。佐々木さんは「なま」のその人を撮っても、それでは芸術にはならないとよく言っている。佐々木作品はプライヴェート・フィルムではないのである。もっともっとパブリックなもの、シンパセティックなものである。
 個人の共感の原点、共和音のようなものといってもいいかもしれない。

 たとえば、『四季・ユートピアノ』は「音」の物語である。榮子は音を聞く人、音を観察するひとであり、音は人生を語るものである。そして、“川”シリーズにつながる。イタリアの音、スペインの音、チェコの音。川の流れ。


   
            『夢の島少女』はベスト・ワンである          

                      池田博明     2004年3月
横浜放送ライブラリー主催 佐々木昭一郎の世界     佐々木昭一郎製作パンフレットに寄稿
佐々木昭一郎『創るということ (新装増補版)』(宝島社、2006年)に収録されました

  1974年10月15日。私には『夢の島少女』を受け入れる準備が出来ていた。  

 まず、私は孤独だった。病み上がりで不健康だった。急性肝炎のため一年間大学を休学し、故郷・山形で静養した後で、札幌へ単身戻り復学したものの、身体はじゅうぶんに良くならず、体力を要する大学院への進学もあきらめ、進路先の見えない状態だった。

 現在と異なり、リアル・タイムの情報など無い時代だったため、毎日下宿先に帰ってくると自分宛ての手紙を探した。言葉に飢えていたので、友人に毎日長い手紙を書いていた。

 お金も無かった。映画を封切りで見ることはほとんどなく、三番館と言われる名画座で話題作の話題がすっかり色褪せるころ、閑散とした映画館で銀幕を見つめていた。 

 その日の夜、新聞のTV評に芸術祭参加作品として紹介されていたため、『夢の島少女』を見始めた私は、冒頭からもう目が放せなくなった。少年が少女を背負って運ぶ場面の手持ちカメラの不安定さが、私の精神を揺り動かした。

 少年の貧しさと孤独は他人事ではなかった。少女の故郷の田舎での疎外感と上京した都会での不安は自分の鏡だった。

 『夢の島少女』の映像は残酷だった。それは鋭いトゲとなり、私の心に突き刺さってきた。少年の希求心が、少女の心の叫びが、祖母の慈しみが、男の狡猾さが、パッヘルベルの旋律のくり返しが。

 後半からイメージの連鎖が怒涛のように現われては消え、消えては現われて、フィナーレになだれ込んで行く際のカタルシスは、それ以前に一度も経験したことが無かった。作品をしたり顔して見たり、批評することなど私には不可能だった。

 映画の中を生きることができるのは若者だけである。老人にはもう映画の中を生きることは出来ない。私はあのとき、『夢の島少女』と一体だった。『夢の島少女』を理解できない人たちはあまりに老成していたのに違いない。

 放映からだいぶ経って佐々木さんがNHKの施設で上映して下さったフィルムの『夢の島少女』を見た時には、もうこれが『夢の島少女』を見ることのできる最期だと覚悟した。しかし、その後、『夢の島少女』はNHK・BS2「佐々木昭一郎の世界」で再放映され、さらにNHKアーカイヴスでも放映された。

 高校生だった自分の子供たちにも見せることが出来た。子供たちは「深く印象に残る、忘れられない映像」と言う。

 私は『夢の島少女』ほど印象に残る作品とその後、出会っていない。佐々木さんのその後の傑作群も『夢の島少女』の後日譚として見てしまうのだ。

  (いけだ ひろよし:大学時代、『キネマ旬報』に映画評を投稿していた。佐々木昭一郎『夢の島少女』に感動して藤田真男氏と一緒にミニコミ誌『日曜日にはTVを消せ!』を刊行する。神奈川県の高校教員として理科(生物)を教える。自作のホームページを持つ)



        nowhere man      藤田 真男


 ミニコミ詩誌『象形文字』第14号より  1975年
    ある日、ある時
    ある日曜日の朝、
    ひとびとは
    深い眠りの中にいます。
    ひとびとは
    思い出そうとしています。
    ひとびとは
    遺失物の行方を
    探しています。
     −−−失くしてしまった
         いちばん大切なものをーーーー
    ある、日曜日の朝、
    ひとびとは
    深い眠りに
    落ちこんでいます。 (佐々木昭一郎「夢の島少女」より)

 黄泉の街は死に絶えた。もとより生きながら死んでいる街であり人々ではあった。私には黄泉から帰るべき場所があるはずだった。あるはずのない場所へ。それが何処にあるのか思い出せないのだった。
 街を出るとき、崩壊した放送局の倉庫から一本のビデオテープを盗み出した。他の夥しい数のテープはすべて灰と化していたが、私の探していたその一本だけが燃えずに残っていた。テープのタイトルは、「夢の島少女」放送昭和49年10月15日22時15分〜23時10分総合テレビ。
 伝説の新聞王が遺した「ザナドゥー」を思わせるほど巨大で迷路のような放送センターの地下には、以前から想像していた通り迷宮のようにいりくんだ下水道が毛細血管のように走っていて、私はその中へ迷い込んでしまった。生温かい汚水のゆるやかな流れに身をまかせる内に、意識は遠のき感覚は失われてゆくようだった。不快感もなく、どれくらい時が流れたのかも判らなくなった。ふと、潮の匂を感じた。それから後のことは覚えていない。

 私はつねにどこかの場所に所属している。どこへでもいいから私を置き去りにしてみたまえ。渇いた、生き物などまったくいない、死に絶えた、そこで暮したいと思う人などまったくいないような不毛の土地に---私はそこで育ち始め、瑞々しくふくらむだろう。スポンジのように。私がつねに新しい故郷を求めるのは、あそこ。あの土地以外のどの場所の人間にもなりきれないからだろうか?     (ジョナス・メカス)

 かつてのゴミの山は跡形もなく、きれいに埋め立てられた夢の島15号地。その地下には意味ももたない無数の遺失物が静かに堆積していた。盗み出されたビデオ・テープも、当然ここに埋められたはずだ。地上には電話機が一台。コードは地中へ消えていた。私は、いるはずのない誰かからの電話を待ち続けていた。季節外れのハエが一匹、上空を舞っていた。その複眼に映る無数の私。私は死んでいた。腐敗のはじまった死体の両眼が最初に失われた。同時にその眼がみてきた物の形や意味も記憶から消えた。そのようにして次々と五感の記憶が失われていった。かわりに夢をみた。夢をみるのは日曜日の朝と決まっていた。電話のベルが鳴ると、眠りから覚める寸前の意識が応答する。
  「もしもし、永遠ですか」
  「ハイ」
 少女の澄んだ声が返ってきた。ビデオ・テープに映っていた、瞳の花が海のような少女だった。地中に眠っているピアノの奏でるカノンの音も伝わってきた。始まりもなければ終わりもない。単純で美しい旋律のくり返し。
  「これ、私がみつけたの」
  「ピアノ?」
  「いいえ、永遠を」
 少女の弾くカノンは、音階を下降する度にあらゆる意味と背景をかなぐり捨ててゆき、ひとつひとつの音は、宇宙の涯から涯まで響いていった。宇宙に終りがないように、カノンに終りはないのだった。
 風化した私の身体は、ちょうどビデオ・テープの磁性体と同じ程の微粒子となって地中深くしみ込んでいった。ひとつひとつの微粒子は、夢の記憶をもっていた。すべての遺失物たちがみた夢の記憶が再生し、溶け合って、「無数の私」と同化した。もはや私は私でなくなった。私は小夜子になり、ケンになり、エクレール16mmカメラになり、オカッパの人形になり、ピアノになり、ばらの蕾になり、フィルムになり、そして私は夢の島になった。



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