「紅い花」がTVドラマになった?!  藤田真男  
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                  読者サロン. 月刊漫画「ガロ」(青林堂) 1975年2月号

 昭和49年度芸術祭参加TVドラマ,「夢の島少女」(作・演出=佐々木昭一郎)をみた。これがどうも,つげ義春の「紅い花」を下敷きにしたか,或いはインスパイアされたとしか思えないような作品だった。といっても,漫画を脚色してそのままTV化したというような単なるリメイクでは,もちろんなく,TVにおける最も尖端的な表現に成功していると思われる,すばらしいTVドラマである。ぼく個人としては「紅い花」よりも好きだといってもいいし,じっさい見終わった時には涙さえ出た。
 さて,どう似ているかいえば −−−
 まず,ラスト・シーンを見ながら,これは「紅い花」かな?と感じた。少年が少女を背負って埋立地をおぼつかない足どりで歩きつづけている。カメラは二人の周りを旋回しながら上昇し,そして不安定なヘリ・ショットへ続き,どんどん遠ざかっていく。「紅い花」のラスト,地平線の傾いた小さなコマにそくりなのだ。構図だけでなく,二人を捉えるカメラ・アイ(作者および我々)との関係(無関係)まで同じである。すなわち,オカッパの少女を背負って花畑の向こうを歩いて行くシンデンのマサジのやさしさは<内に向って開かれている>が故に,我々にとっては関知不可能なものであるということ。「夢の島少女」と「紅い花」は,その表現を支える<まなざし>において同質の作品なのだ。
 「夢の島少女」の出演者はわずか5人。すべて素人である。そのうち,役名のあるのは少年と少女だけ。他の三人は少年の友人,少女を傷つける男,少女の故郷の婆ちゃんという設定で名はない。少女の役名は小夜子。姓はない。婆ちゃんを演じる老婆の名(本名)は菊地とよ。そォすると,菊池小夜子=キクチ・サヨコではないか?!そして小夜子もオカッパなのだ。偶然にしては出来すぎた話だ。婆ちゃんは秋田県八森の人である。「紅い花」の舞台はどこか知らないが,ひょっとして八森あたりがキクチ姓の本場(?)なのではなかろうか,などと気を回してみたりするのだが・・・・ハテ?
 「夢の島少女」には,他にも,つげ作品と共通すると思われる本質的な要素が多くみられたようだが,それはひとまず置く。また,このTVドラマの圧倒的なすばらしさは,とてもここでは語り尽くせるものではないので,それもしない。ここに,もうひとつの謎がある。よその雑誌を持ち出したりして悪いけれど,「宝島」12月号の投書欄にこんなことが書かれている。
 「去る10月15日の夜NHK・TVで『夢の島少女』をみて以来,NHK職員としての鈴木志郎康に,あるいは16ミリカメラマンとしての鈴木志郎康に尊敬の念を抱いています」
 残念ながら,ぼくは「夢の島少女」のクレジット・タイトルをよく覚えてはいないので,スタッフの中に鈴木志郎康(鈴木康之)の名があったかどうか定かでない。だが,つげ義春→鈴木志郎康→佐々木昭一郎とつながるとすれば,「夢の島少女」を「紅い花」TV版だと考えやすい。
 以上,すべてぼくのこじつけにすぎないかもしれない。ぼくの考えが当たっていてくれる方が嬉しいけれど。鈴木志郎康か佐々木昭一郎に直接たしかめてみれば,謎はすぐ解けるのだが・・・。
 そこで,お願いです。「ガロ」で,つげ義春・鈴木志郎康・佐々木昭一郎を招いて,テーマは何でもいいから,ひとつ座談会でもやってくれませんか。漫画・詩・TVと三人三様の表現の軌跡を浮き彫りに出きる面白い企画だと思うのですが。無理かなァ・・・。でも,是非やってもらいたいなァ。

 実際には佐々木さんは,つげさんの「紅い花」を意識してはいなかった。鈴木志郎康さんは共同脚本者としてクレジットされていたが,脚本に関係したのは最初の段階だけだったそうである。カメラマンは葛城哲郎さん。
 しかし,数年後に劇画シリーズの一本として佐々木昭一郎演出で「紅い花」がTV化され,「ガロ」誌上でつげ・鈴木・佐々木,三人の座談会が開かれた。この藤田君の投書が,後年の「紅い花」TV版を実現させたと,私は信じている(池田追記)


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