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 作成者・池田博明


    成功の甘き香り

     田辺聖子     1999年 文化出版局『セピア色の映画館』
      (集英社文庫、2002年)

  映画を観る喜び   バート・ランカスター
 私としては、いちばん好きなバート・ランカスターは、1957年製作、ヘクト・ヒル・ランカスター・プロの作品、 「成功の甘き香り」(Sweet Smell of Success)である。成功の甘き香り
 これはもう、ほとんど今ではおぼえていられる方も少ないのではあるまいか。原作はアーネスト・リーマンの中篇小説だというが、 映画もまた中篇的で、大作とはいえない。しかし、独立プロの作品らしく、凝ったつくりである。
 バート・ランカスターは権勢を誇るコラムニストだ。日本にはこれに当る職業はまだないが、オフィスを構え、スタッフを使い、 多くの新聞と契約して、定期的に特定のコラムに執筆する。 政治・経済・外交・芸能・社交界ニュース、それぞれの問題専門のコラムニストがいるそうだが、 ファンも多く、影響力は大きいよしである。その一人の人気コラムニストのランカスターにくっついて仕事の おこぼれにありつくプレス・エージェントに、トニー・カーティス。スターや芸能人の新聞関係の紹介宣伝をする 仕事だが、このトニー・カーティスは街のダニみたいで、ずいぶん汚いこともする。(もちろん、普通の プレス・エージェントは、まっとうな職業だ。もっとも、まだ日本には定着していない商売だが)
 トニー・カーティスもアメリカ男らしく屈託のない明るい美貌、渋いランカスターといい対照である。 若い頃のトニーは額に巻毛を一ふさ垂らし、これが可愛いと、<トニー垂らし>なんて呼ばれたものだ。
 さてジャーナリズムに君臨する大コラムニスト、ランカスター、人を人とも思わぬ傲慢なこの男にも一点、弱味がある。中年で独身のこの男は、年の離れた若い妹スーザンを異常に愛しており、妹が愛しているバンドのギター弾きスティーヴとの仲を裂こうとしている。そしてトニーに命じてバンドの中傷記事を他のコラムニストに書かせるばかりか、(トニーはその代償に自分の愛人を提供する)麻薬をスティーヴのポケットにそっと入れるようトニーに示唆する。さすがにトニーも拒むが、コラムニストは意味ありげに言う。
 <私は妹を連れてしばらく旅に出る。あの男を忘れさせるためにね。その間、私のコラムは誰が書くんだい?>影響力のあるコラムをトニーに任す、というのだ。成功の甘い香りの前にトニーは崩れる。
 知らぬ間に外套のポケットに麻薬を入れられたスティーヴ(これはマーティン・ミルナー)の前に立ちふさがる乱暴者の警官。<ちょっと来い>警官の手配もワル二人の企みだ。
  スーザンはスーザン・ハリスンという新人、このとき十八歳。どこか神経を病んだような、おどおどした、兄には本能的な畏怖感を抱き、さからえないというような小娘を好演していた。スーザンは恋人のためには別れたほうがいいとあきらめている。-兄の権力が恋人の将来をそこなっては、と恐れるからだった。
 しかし兄とトニーの悪だくみを知って兄のもとを去り、恋人のあとを追う。ラスト、人けのない朝のブロードウェイをひとり決然と歩いてゆくスーザン。マンションのテラスに立って黙然とそれを見下ろすランカスター。
 -この、人もなげに傲慢なコラムニストが、妹に対してだけは猫なで声で庇護者ぶる。その仮面のうらに何があるのだろう? スーザンの恋人スティーヴは直感で兄の妖しい愛を洞察している。
 <スーザンを赤ん坊扱いするのはよせ! スージーに勇気を出さしてやりたい。あなたにおびえて口もきけないじゃないか>
 スージーはたしかに兄に対して満足に口もきけない。しかし最後には<兄さんを憎く思うのが当然でしょうけど、やっぱり憎めない。ただお気の毒な人と思うの> そういって去る。
 バート・ランカスターは、勇ましいマッチョから出発し、ここではトニーともども、マスコミの裏世界にうごめくワルを演じている。性格演技が出来る、そしてワルが演れる男に成長している。悪意をもつことに堪える、というのは大変なエネルギーである。ふつう、あまり演技力のない役者さんがワルを演じても貫目がないのは、そのエネルギーを表現できないからであろう。ランカスターの悪役は底知れぬエネルギーを感じさせた。こういうのを見るのが映画の喜びだ。妹への歪んだ愛も、役の造型に陰影を与えた。好きな俳優さんが期待通り大成してくれたという感じである。

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