反骨の映画監督 ロバート・アルドリッチに捧げる
           by Hiroyoshi IKEDA   10.Oct.1999        



Name  ALDRICH, Robert  ロバート・アルドリッチ  監督


英語の「The Internet Movie Database」上に詳しい作品データがあります  →  DATA LINK


Robert Aldrich 生年月日 9 August 1918, −5 December 1983,逝去

作品歴  「The Internet Movie Database」より

監督作品リスト  Filmography as Director
1. All the Marbles (1981)  カリフォルニア・ドールス
2. Frisco Kid, The (1979)  フリスコ・キッド (未公開)
   ..別題 No Knife (1979)
3. Choirboys, The (1977)  クワイヤボーイズ
     ..別題 トnglarna (1977)
4.Twilights Last Gleaming (1977) 合衆国最後の日
     ..別題 Nuclear Countdown (1977)
      ..別題 Ultimatum, Das (1977) (West Germany)
5. Hustle (1975)  ハッスル
6. Longest Yard, The (1974)  ロンゲスト・ヤード
    ..別題 Mean Machine, The (1974)
7. Emperor of the North (1973)  北国の帝王
    ..別題 Emperor of the North Pole (1973)
8. Ulzana's Raid (1972)  ワイルド・アパッチ
9. Grissom Gang, The (1971)  傷だらけの挽歌
10. Too Late the Hero (1970) 燃える戦場
    ..別題 Suicide Run (1970) (USA: TV title)
11. Killing of Sister George, The (1968) 甘い抱擁 (日本では劇場未公開)
12. Legend of Lylah Clare, The (1968)  女の香り
13. Dirty Dozen, The (1967)  特攻大作戦
14. Flight of the Phoenix, The (1965)  飛べ!フェニックス
15. Hush... Hush, Sweet Charlotte (1964)  ふるえて眠れ
  ..別題 Cross of Iron (1964)
  ..別題 What Ever Happened to Cousin Charlotte? (1964)
16. 4 for Texas (1963)  テキサスの4人
  ..別題 Four for Texas (1963)
17. What Ever Happened to Baby Jane? (1962) 何がジェーンに起こったか?
18. Last Days of Sodom and Gomorrah, The (1962)  ソドムとゴモラ
  ..別題 Sodom and Gomorrah (1962)
   ..別題 Sodoma e Gomorra (1962) (Italy)
19. Last Sunset, The (1961)  ガン・ファイター
20. "Adventures in Paradise" (1959) TV Series
21. Ten Seconds to Hell (1959) 地獄へ秒読み (日本では劇場未公開)
   ..別題 Phoenix, The (1959)
22. Angry Hills, The (1959)  怒りの丘
23. Garment Jungle, The (1957)  ガーメント・ジャングル (アルドリッチはクレジットされていません)
24. Attack (1956)  攻 撃
25. Autumn Leaves (1956)  枯 葉 (日本では劇場未公開)
26. Big Knife, The (1955)  悪徳 またはビッグ・ナイフ (日本では劇場未公開)
27. Kiss Me Deadly (1955) キッスで殺せ
28. World for Ransom (1954)
29. Vera Cruz (1954)  ヴェラクルス
30. Apache (1954)   アパッチ
31. Big Leaguer (1953)
32. "Doctor, The" (1952) TV Series ----

助監督作品リスト  Filmography as Assistant Director
1. Abbott and Costello Meet Captain Kidd (1952) (assistant director)
2. Limelight (1952) (assistant director)
3. M (1951) (assistant director)
4. New Mexico (1951) (assistant director)
5. Of Men and Music (1951) (assistant director)
6. Prowler, The (1951) (assistant director)
7. White Tower, The (1950) (assistant director)
8. Caught (1949) (assistant director)
9. Kiss for Corliss, A (1949) (assistant director)
    ..別題 Almost a Bride (1949)
10. Red Light (1949) (assistant director: second unit)
11. Red Pony, The (1949) (assistant director)
12. Force of Evil (1948) (assistant director)
13. Arch of Triumph (1948) (assistant director)
14. So This Is New York (1948) (assistant director)
15. Body and Soul (1947) (assistant director)
     ..別題 Affair of the Heart, An (1947)
16. Private Affairs of Bel Ami, The (1947) (assistant director)
17. Strange Love of Martha Ivers, The (1946) (assistant director) (uncredited)
18. Pardon My Past (1946) (assistant director)
19. Story of G.I. Joe, The (1945) (assistant director)
     ..別題 War Correspondent (1945)
20. Southerner, The (1945) (assistant director)
21. Adventures of a Rookie (1944) (second assistant director)
22. Lady Takes a Chance, A (1943) (second assistant director)
    ..別題 Cowboy and the Girl, The (1943)
23. Bombardier (1943) (second assistant director)
24. Behind the Rising Sun (1943) (second assistant director)
25. Gangway for Tomorrow (1943) (second assistant director)
26. Rookies in Burma (1943) (second assistant director)
27. Falcon Takes Over, The (1942) (second assistant director)
28. Joan of Paris (1942) (second assistant director)

プロデューサー作品リスト  Producer filmography (1970s) (1960s) (1950s)
1. Hustle (1975)  ハッスル
2. Grissom Gang, The (1971)  傷だらけの挽歌
3. Too Late the Hero (1970)  燃える戦場
    ..別題 Suicide Run (1970) (USA: TV title)
4. Whatever Happened to Aunt Alice? (1969) 
5. Killing of Sister George, The (1968)   甘い抱擁
6. Legend of Lylah Clare, The (1968)    女の香り
7. Flight of the Phoenix, The (1965)   飛べ!フェニックス
8. Hush... Hush, Sweet Charlotte (1964)  ふるえて眠れ
   ..別題 Cross of Iron (1964)
   ..別題 What Ever Happened to Cousin Charlotte? (1964)
9. 4 for Texas (1963)   テキサスの4人
   ..別題 Four for Texas (1963)
10. What Ever Happened to Baby Jane? (1962)  何がジェーンに起こったか?
11. Attack (1956)   攻撃
12. Big Knife, The (1955)   悪徳
13. Kiss Me Deadly (1955)   キッスで殺せ
14. World for Ransom (1954)  
15. First Time, The (1952) (associate)
16. Ten Tall Men (1951) (associate)

脚本作品リスト  Writer filmography (1970s) (1960s) (1950s)
1. Too Late the Hero (1970) (also story) 燃える戦場
    ..別題 Suicide Run (1970) (USA: TV title)
2. 4 for Texas (1963)  テキサスの4人
   ..別題 Four for Texas (1963)
3. Ten Seconds to Hell (1959)  地獄へ秒読み
   ..別題 Phoenix, The (1959)

その他スタッフ作品リスト  Miscellaneous crew filmography
1. Steel Trap, The (1952) (production supervisor)
2. When I Grow Up (1951) (production supervisor)


役者作品リスト  Actor filmography
1. Big Night, The (1951) (uncredited) .... Ringside Fight Fan


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カリフォルニア・ドールス


MGM/UA
1981
112分
カリフォルニア・ドールス CSのスターチャンネルでビデオもDVDも出ていないロバート・アルドリッチの最後の作品『・・・・All The Marbles』が放映されました。急遽、CSを契約し、予約でなんとか11月6日0:30からの放送を録画できました。日本公開時に見ていますが、アルドリッチの男性アクションばかりになじんできた私は完全にこの作品の真価を見誤っていました。最初に見たときは、なんだかしみじみとしたロードムーヴィだなあと思ってしまったのです。このたび再見して、アルドリッチ映画の心意気(スピリット)に、侠気(ガッツ)に、胸が熱くなりました。
 当初は、女子プロレスラーを主役にしたキワ物と思ってしまいましたが、それも見るほうの偏見でした。スポーツとして、アメリカン・フットボールが王道で(『ロンゲスト・ヤード』)、女子プロレスが邪道(『カリフォルニア・ドールス』)なんて、言えませんよね。また、公開当時、邦題が安直だと思ったものですが、再見時にはリングサイドの観客と一緒にドールス・コールをしている自分に気が付くと、悪くない題名だと思わされました。
ミミ萩原、フォーク、ジャンボ堀 黒髪のアイリス(ヴィッキー・フレデリック)と金髪のモリー(ローレン・ランドン)の女子プロレスラーをマネージしているハリー(ピーター・フォーク)は、日本人レスラーとの試合(ミミ萩原とジャンボ堀)の報酬が20ドル少ないことについて、興行師のエデイー(バート・ヤング)に抗議します。エディーはタオル代を差し引いたんだと主張し、文句があるなら次の面倒は見ないと脅します。そこで、頭を下げるハリーではありません。じゃあ、おさらばだと立ち去りますが、帰り際に外に駐車してあったエディーのメルセデスをバットでぶち壊します。理由はわからないながらもあきれる二人。日本人レスラーとの対戦から、ミミ萩原の回転エビ固め(ローリング・クラッチ・ホールド)という新しい技を盗みます。ラストのクライマックスで使われる技です。
 ポンコツの車キャデラックのステレオでイタリア・オペラの「女心の歌」や『道化師』のアリアを聞いているハリーの格言は「正式はとかく物入り」、つまり金が無い者の強がりです。もうちょっとましなものが食べたいというアイリスに、ハンバーガーだってうまいものもあるという始末。
トレドの虎 チャンピオン「トレドの虎」(ウーサライン・ブライアント・キングとトレイシー・リード)と彼女らのホームタウンで闘って、二人は勝ってしまいますが、打ち合わせでは勝つはずはなかったのです。しかし、勝負は勝負、ハリーはそんな打ち合わせは無視してしまいました。虎のコーチ、スタンリー(ジョン・ハンコック)は黒人チームしか面倒をみない一流、雪辱を期します。
 街から街へと移動しながらの巡業試合のなかには、リングもなく、カーニバルのテントで、泥のなかでその街のチャンピオンたちと戦うという惨めなショーもありました。泥だらけでブラジャーも外れてしまい、笑われる屈辱的な試合です。アイリスは怒りますが、ハリーは試合の内容を知らなかったと謝ります。一晩500ドルになるので、興行のステータスを上げるために、引き受けざるを得ないのです。
 旅先でレスリング誌に自分たちがNo.3にランクされていることを知って、三人は大喜び。ハリーは、No.1ランクのトレドの虎との試合を女興行師ソリー(クローデット・ネヴィンズ)に申し入れます。ソリーはノンタイトル戦ながら、シカゴで“トレドの虎”と闘う試合を用意します。最初はドールスの優勢でしたが、後半は相手の反則技に負けて、悔しい思いをします。しかし、この試合を見ていたソリーは次の興行をなんと、あのエディに一任します。
 エディはネバダ州のリノでビッグ・ママの試合の前座として虎との雪辱タイトル戦をエサにアイリスを誘惑します。アイリスは自分の判断でエデイと一夜を共にし、朝帰りのところをハリーに殴られます。アイリスはハリーを殴り返し、泣きます。
 リノに向う前日、ハリーはモリーに借りた800ドルを使ってカジノでサイコロ博打。ハリーがダイスを転がすと決まって出るのは2・4の6の目。儲けたハリーが切り上げて外へ出ると、用心棒が後を付けて来ていました。そんなことはお見通しのハリー、二人をバットで殴って反対に彼らの持っている金を奪います。
 リノのMGMホテルに宿泊することになる三人。巨大な電光掲示板にカリフォルニア・ドールスの名前が出ています。スロット・マシンをやると、大当たり!しかし、ハリーは「ツキには波がある。当てたらそこで止めるんだ」と助言。モリーはこの二日間、薬を止めていました。この試合に賭ける意気込みが感じられます。興行師のエディはアイリスに再び関係を迫りますが、アイリスはあれはビジネス、悪い思いはしなかったはずと誘いを断ります。怒ったエディはハリーにタイガース(虎)の勝ちに千ドルを賭けると持ちかけ、ハリーは受けますがあいにく900ドルしか持ち合わせが無い。エディはそれなら900でいいと二人の間の掛け金は900ドル、支払いは勝負の後で。試合を前にハリーはビッグ・ママのポスターをドールスのものに差し替え、オルガン奏者を買収、子供たちをにわかドールス応援団に仕立て、応援歌を教えます。「All The Marbles (字幕は「勝負を決するときだ」)」とハリー。
鳥の衣装のドールス いよいよ試合の時間です。最初に入場したのは虎の二人。続いてドールスの入場、アナウンサーがコールしますが、ドールスは現れません。子供たちのドールス・コールが引き金になって、観客もコールを繰り返します。観客をわざとじらして、やっと現れたドールスはギンギラの鳥の衣装。あっけに取られた観客は一気にドールスに魅了されてしまいます。
 さて、30分の試合時間。最初はドールスが優勢でした。子供たちは「偉大なドールス、君らは僕らの生きる夢」と歌います。
カリフォルニア・ドールス しかし、レフェリー(リチャード・ジェッケル)がエディに買収されていました。押さえ込んだドールスのカウントを「ワン、ツー」と数えながら、途中で止めて他の選手を注意に行ったりと、かなり露骨なインチキ。虎のコーチ、スタンリーもあきれてしまいます。ズルズルと試合が進んで残り時間が少なくなります。引き分けならチャンピオンの防衛成功、つまりドールスの負けです。リング外の乱闘あり、反則有りの荒れた試合になってきます。レフェリーにも蹴りが入って滅茶苦茶。観客は熱狂。
 残り時間、あと1分。双方死力を尽くして限界寸前、ドールスの二人はそろって回転エビ固めを決めます。完全な決めワザで、レフェリーもカウントせざるを得ません。とうとうドールスの勝利。観衆も熱狂するなか、カリフォルニア讃歌が歌われます。スタンリーは「前のチャンピオンらしくしろ」と虎に指示、虎の二人はドールスに握手を求め、「おめでとう congratulation」を言います。夢がかなったチームに対して、いつまでも観衆の拍手と歓声が、なりやみませんでした。
 製作はアルドリッチの息子のウィリアム・アルドリッチ。脚本はメル・フローマン。撮影のバイロックにしろ、音楽のデ・ヴォールにしろ、アルドリッチ常連のスタッフです。『ハッスル』や『フリスコ・キッド』がアルドリッチの遺作でなくて本当に良かったと思います。映画のパンフレットによると、アルドリッチは「自己への敬意を得るために戦い続ける人間たちの話だ。勝つか負けるかは問題ではない。ゲームにどれほどきびしく取り組んだかが大事なのだ」と話していたそうです。

   映画川柳 「《アイリスへハリーの頼み》 スーパーで 練り歯磨きを 買ってくれ」飛蜘
   (2008年11月)
         作品歴にもどる
 2008年12月18日の新聞に、81歳のピーター・フォークがアルツハイマー症という記事が出ていました。
フリスコ・キッド
(日本劇場未公開)

ワーナー
1979
122分

 気が入っていないが・・・・

 ジーン・ワイルダー主演のコメディー西部劇。製作準備段階でデイック・リチャーズが監督を降り、頓挫するところを、ワイルダーがアルドリッチを代役監督に推薦。アルドリチも引き受けたものの主人公の人物像が素朴で単純すぎて、凡作となってしまった。
 1850年、ポーランドのラビ学校の校長は劣等生アヴラム(ジーン・ワイルダー)に、サンフランシスコに渡り、四十九年組ユダヤ人信心会を設立するように使命を与え、ユダヤ教の聖書トーラーを託す。
 フィラデルフィアに到着したアヴラムは船を逃がして仕方なく幌馬車を雇い、北に向かう。途中さまざまな経験をしながら、アヴラムがユダヤ人たちの社会へ同化するまでを描く。『スター・ウォーズ』(1977)で人気の出たハリスン・フォードがアヴリルと珍道中を共にするワルで共演。

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クワイヤ・ボーイズ


1977
 アルドリッチ監督作品で未見だった『クワイヤボーイズ』を中古ビデオ市場で発見しました。同年製作の『フリスコ・キッド』もありました(こちらはTV放映で見たことがあります)。
 もと警察官ジョセフ・ウォンボーの原作をクリストファー・ノップが脚色。ノップはオリジナル脚本『北国の帝王』(アルドリッチの傑作)も書きました。製作はアルドリッチの息子ウィリアム・アルドリッチ(たしか『がんばれ、ベアーズ!』もありましたね)。クワイヤボーイズとはコーラス・ボーイ、「少年聖歌隊」のこと。

 冒頭、1969年のベトナム戦争当時の洞窟で危うくベトコンから難を逃れた二人の兵士の場面が出て来ます。
 そして、ほぼ十年後のカリフォルニア州ロサンゼルスの警官たちの挿話になり、ベトナム戦争との関係は終盤近くに明らかになります。
 警官のひとりが、戦争で閉所恐怖症になった男サム(ドン・ストラウド、写真右)だったのです。踏みこんだときのサド・マゾゲームの相手が警官仲間バクスター(ペリー・キング、写真右下)だったこともショックなら、彼がその直後に自殺してしまったこともショックで、酔いつぶれてしまい、公園で警察のワゴン車に入り込んで寝てしまった。警官仲間のロスコー(テイム・マッキンタイア、写真左下)が誤ってドアに鍵をかけてしまったことから錯乱、外から急に鍵を開けてくれた少年(同性愛者)をベトコンと誤認して射殺してしまいます。

 あと半年で退職し、恩給生活に入るはずの反抗分子ウェーレン(チャールズ・ダーニング,『合衆国最後の日』の大統領役。写真右上)は、部長リッグス(ロバート・ウェッバー)に事件の真相と関係者の名前を話すように責められます。
 『ロンゲスト・ヤード』(バート・レイノルズ主演,1975年)は囚人仲間の信頼や挫折、友情や意地悪、正義感や劣等感の衝突がテーマでしたが、組織が警察に変わっても同じです。ここで登場する警官たちのメンタリティは、囚人たちとあまり変わりません。

 特に強烈な存在は暴力的な警官ロスコーで、飛び降り自殺者に自殺を思いとどまらせようと、「お前なんか自殺してしまえ」と声をかけたり(女はそれをきっかけに飛び降りてしまいます)、エスニックどうしの痴話喧嘩の仲裁に入って、当事者をクズ扱いしたり、自慢のヒゲをむしったり(警官たちが徹底的に殴られます)、トイレでホモを(本当は臨時巡査)ぶちのめしたり。彼に対する仲間の悪ふざけも尋常でなく、公園でアヒルに尺八させたり、樹木に下半身裸のままつながれたりします。それでも、ロスコーは街の治安を守るのに貢献したと、表彰されたりします。

 この映画には、『ダーティ・ハリ−』のような恰好いい警官は出てきませんし、英雄的な犯人も出てきません。犯罪といっても、街娼、同性愛(現代は同性愛で逮捕はないと思いますが)、喧嘩などで、犯人に向って拳銃を撃つ場面もありません。発砲場面はロスコーが公園池のアヒルを撃つ場面と、サムが少年を誤射する場面だけです。後にも先にも、これほど“恰好悪い”、“非英雄的な”警官映画はないと思いました。『ワイルド・アパッチ』のように、見終わった後のカタルシスのない作品です。アルドリッチらしい、ユニークな作品でした。(2003年10月)


サルティーノ
(チャック・サツキ)

ハロルド
(ジェームズ・ウッズ)

カルビン
(ルー・ゴセット)

ディーン
(ランディ・クエイド)
リッグス
(ロバート・ウェッバー)クワイヤボーイズ

スペンサー
(ステファン・マック)

タナグチ(クライド・クサツ)

スクッズ(バート・ヤング)
 他のキャストはファニー(ジーニー・ベル)、キンバリー(ブレア・ブラウン)、オラ(マイケル・キャリー)、ニック軍曹(チャールズ・ヘイド)、ホッド(ジョー・カップ)、ホッドの妻ダイアン・ディクソン)、「玉なし」ハドリー(バーバラ・ローデス)、キャプテン(ジム・ディヴィス)、フォクシー・ジーナ(フィリス・ディヴィス)、ルーサー(ジャック・ド・レオン)、サブリナ(スーザン・バートン)、キャロリーナ(クレア・ブレンネン)ほか

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合衆国最後の日


1977

 風の音が響く黒バックにタイトルが始まる。この作品は架空で実在の人物とは関係ありませんと字幕。次に、落日を背景に立つ自由の女神。音楽はジェリー・ゴールドスミスで、ソウル歌手ビリー・プレストンが「マイ・カントリー」を歌う。アルドリッチ監督が『ハッスル』(1975)と『クワイヤ・ボーイズ』(1977)の間に撮った作品。撮影は題材からアメリカでは困難で、ミュンヘンで行われた。製作はマーヴ・アデルソン。

 1981年11月16日(日曜日)、ホワイトハウスではスティーブンス大統領(チャールズ・ダーニング)がヒゲを剃っていた。そこへ訪問者が来る。一方、ミサイル基地に向かう軍の車が脱獄犯人四人に乗っとられる。テロリストのザバートを命乞いに来た教授の要請を大統領は断る。
 四人はゲートを越え基地に侵入、やたらに軍曹を殺すホクシーをデル(バート・ランカスター)は「使えない男だ」と撃ち殺す。デルとガルヴァス(バート・ヤング)、パウエル(ポール・ウィンフィールド)の三人は発射センターへ侵入。サリン管を斜めにしないように取り外す。信管を抜き絶縁体をはさむ。デルは「サイロ3は我々が占拠した、ミサイル9基が発射可能、マッケンジー将軍(リチャード・ウィドマーク)を呼べ」と宣告。
 デルは空軍の将校だったので、マニュアル通りに行動する軍の動きを読んでいた。戦争の真実を明かすように進言したデルを将軍は無実の罪をきせて投獄したのだ。ベトナム戦争時の同輩、サイロ9の駐在員タウン大佐(リチャード・ジェッケル)との会話からはベトナムに関わることらしい。ガルヴァスらは捕えた駐在員のカネリス中尉(モーガン・ポール)を罠にかけ発射キイの金庫を開く番号を聞き出す。
 大統領は直接サイロ3に電話、デルの要求を聞く。犯人の安全な逃走確保と身代金、大統領自身の人質、安全保障会議9759号の公開だった。安全保障会議(国防長官をメルヴィン・ダグラス、国務長官をジョゼフ・コットン、CIA長官をリーフ・エリクソン、オルーク将軍をジェラルド・S・オルソーリン、法務長官をウィリアム・マーシャル、ほか)はこう着状態。
 将軍は監視カメラの死角からゴールド作戦と呼ぶ突撃作戦を準備。大統領は再度デルに交渉するが文書公開は絶対に譲れない条件だという。戦車などの動きが長く止まっていることに不審を持ったデル。実はゴールド作戦で制御室の扉の前まで原子爆弾が運び込まれていた。作戦の一瞬のミスで警報装置が鳴り始め、デルは発射ボタンを押す。大統領は将軍に作戦の停止を命令。捕えていた駐在員が縄を抜けて飛びかかって来た。ガルヴァスがカネリスに撃たれて死亡、デルはカネリスを射殺した。発射8秒前でミサイルを停止。大統領はモンタナ行きを決意、死出の旅になるかもしれないとの覚悟を持って出発、国防長官ガスリー(メルヴィン・ダグラス)には自分になにかあったら機密文書の公開を託した。機密文書はベトナム戦争が米国の犠牲者を増やすことが分かっていたのに、国家の威信を保つためには継続し、虐殺も厭わないという会議を記録した内容だった。略して「威信」文書と呼ばれている。
 大統領の行動に希望をもつデルに対し、パウエルはおめでたいなと批判する。国家の頭脳と闘っているんだ、大統領さえ使い捨てさと。ほんものの大統領がやってきて人質となる。デルとパウエルは大統領に密着してくるくる回りながら空軍機に向かって歩いた。将軍の配置した狙撃兵が三人、銃を構えていた。将軍の命令が狙撃兵に伝えられる。狙撃兵のリーダー、スパロウが撃てと合図、三人が倒れる。大統領にも当たってしまったのだ。目撃していた人々は顔を被う。大統領を励ましていたオルーク将軍は大統領を抱いて泣く。大統領は国防長官ザックを呼ぶ。「国民に伝える約束を果たしてくれるだろうな」が最期の言葉だった。
 ノーカット版は144分。

 日活発売の2枚組DVDには日本公開時のパンフレットの縮小版が付いている。DVD解説の新田隆男「ロバート・アルドリッチの描いた“最後のたそがれの輝き”」によれば、ウォルター・ウエイジャーの原作に付け加えられた部分は国家機密文書の公開要求、そして衝撃の最後の結末だという。脚色はロナルド・M・コーエンとエドワード・ヒューブッシュ。撮影はロバート・ハウザー。

 公開時に劇場(小田原中央劇場)で見ました。それ以来です。公開時はミサイル基地の規模の大きさが実感できず、話についていくのもやっとだったのですが、DVDで見返すと息もつかせぬ面白さでした。
 84分のTV放映版が特典ディスクに収録されています。カット場面は最初の方の大統領と教授や将軍の会話、サリン管の取り外しや絶縁体の設置、マッケンジー将軍が教会からポケベルで呼び戻される場面、デルとタウンの会話、最初に奪った軍の被害者の捜査の場面、デルの罪を仕組んだ過去、首脳会談など。(2009年9月5日)

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ハッスル


1975
 ロバート・アルドリッチ製作・監督作品。主演はバート・レイノルズとカトリーヌ・ドヌーヴ。 ヤンキー代表の男とフランス美人代表の女という、水と油のような珍奇な組み合わせです。2000年2月14日早朝に放映されましたが、録画ミスで冒頭4分間が取れませんでした。それからずっと探索していましたが、中古ビデオ屋さんにようやく出品されました。脚本はスティーヴ・シャガンです。

 冒頭の4分間はピクニックに出かけた小学生たちが海辺で若い女性の死体を発見するという場面でした。その直後には、主役二人(警部補フィルと高級娼婦ニコル)の日曜日の朝の寝室での会話となります。この開巻は、珍奇なカップルの陳腐な会話で、かなりダルい展開となっています。出張で行ったことのあるローマに憧れをいだいているフィル。
 海岸で発見された娘グロリアは父親マーティ(ベン・ジョンソン)の生きがいでした。朝鮮戦争から復員した後、人が変わってしまった夫に対して妻(アイリーン・ブレナン)は距離を置いていました。娘グロリア(シャロン・ケリー)は満たされないなにかを求めて、麻薬やセックス産業にのめりこんでいったことが次第に分ってきます。
 暴行されておらず睡眠薬の飲みすぎで死亡した女は、多くの精液にまみれていましたが、自殺として処理されます。しかし、父親は納得しません。ルイス刑事(ポール・ウィンフィールド)は娘の死に弁護士レオ(エディ・アルバート)が関係していると考えています。フィル警部補(レイノルズ)もマーティが復讐心から行動することを予想して、自分たちの捜査に任せるように進言します。しかし、娘を取り巻く状況を知ったマーティはグロリアの女友達からレオの姓名を聞き出し、復讐に出かけるのでした。
 警察の部長(アーネスト・ボーグナイン)もレオ弁護士も、フィルに同じことを聞きます。「娘の父親は有名人(anything)か?」と。「いや、まったくの無名(nothing)です」と答えると、それなら自殺と処理して問題はないと判断されます。警官を主人公にしていますが、権力者だけが守られ、弱い者には正義は無いのが今のアメリカだという主張が明確です。

 きらびやかな照明も無ければ、派手なカメラ・ワークもない、ただ登場人物に的確に照明を当てて、人間を写し取っていくだけの無骨な映画作りで、カタルシスのない映画です。警官の会話に『カサブランカ』が出て来ますし、TVで『白鯨』を見る場面もありますが、そういった映画のヒーローは現実には無いんだというペシミスティックな展開になっています。(2004年12月)

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 2015年5月にDVDが出ることになり、Amazonの評価に二人が寄稿。
「ヤンキー男優とフランス美人女優」奇妙なカップルで描くアルドリッチ監督の異色傑作 
投稿者 キャルU.K 投稿日 2015/2/15
 ロバート・アルドリッチ監督が「ロンゲスト・ヤード」(74)に続いて撮った作品(1975年製作)。 主演の刑事フィル役(バート・レイノルズ)の相手役で高級娼婦ニコルをカトリーヌ・ドヌーヴが演じている。 共演者はベン・ジョンソン、ポール・ウィンフィールド、エディ・アルバート、アイリーン・ブレナン、 アーネスト・ボーグナインと豪華な顔ぶれが見られる。 犯罪サスペンス、刑事ドラマ、ミステリー、ラブロマンス等を織り込ませ、フレンチ・ノワールの世界を感じさせるところもあるが、本格的なサスペンス・アクション風味を期待すると肩透かしを食らうだろう。 独特の雰囲気と不思議な浮遊感が癖になる異色のロマンティック・サスペンス・ドラマである。
 マリブの海岸で、家出中の娘グロリア(アメリカの有名ポルノ女優シャロン・ケリー)が死体で発見された。 高級娼婦のニコル(ドヌーヴ)と同棲している警部補フィル(バート・レイノルズ)のもとに、仕事の呼び出しがかかる。死体にはセックスの痕跡はあるが、外傷がない事から、睡眠薬の多量摂取による自殺と断定され、フィルは事務的にその旨を グロリアの父ホリンジャー(ベン・ジョンソン)とその妻ポーラ(アイリーン・ブレナン)に伝えるだけだった。その淡泊な態度と漠然とした報告に納得のいかないホリンジャーは独断の単独捜査を開始する...。
<以下、ネタバレ含む。>
  劇中のテレビで流れる「白鯨」では、大きな敵に立ち向かう姿、ホリンジャー(ベン・ジョンソン)の気骨な 精神をストレートに表現している。警察がろくな捜査もせず、自殺と片付けてしまう事に釈然とせず、諦めきれない彼は娘を失った(自殺か、他殺かは不明)怒りと悲しみから、憤然と立ち上がる。 このホリンジャーの人物描写はアルドリッチ映画でよく見られるキャクターで、尚且つ近親相姦的すら、匂わせる深い愛情の表現にはアルドリッチ流の倒錯性も秘められている。
  警察の部長(アーネスト・ボーグナイン)やレオ弁護士(エディ・アルバート)の二人が、共にフィル刑事に 「娘の父親は有名人か?」と尋ねる。全くの無名だと知ると自殺と処理して問題はないと判断されてしまう。 金持ちや有名人、権力者達だけが守られ、貧しく弱い者には正義は無い。それが今のアメリカだという事を主張しているシーンであり、社会的な風刺や皮肉が込められている。
 また本作は、派手な演出もカメラワークも使わず、意図的な暗い画面が続き、映画の様なヒーローは、現実には存在しないのだという現実味を帯びた冷徹で悲観主義的な雰囲気を醸し出している。 本作の独自性や価値観は、ラヴロマンスを物語の軸とした異色の刑事ドラマであるところ。ニコルとフィルが劇場で鑑賞した「男と女」では、二人の恋愛に対して考えていく構図を示唆しており、彼方此方に繊細微妙に揺れ動く二人の気持ちや葛藤を丁寧に、また愛情と包容力を内に含んだ、 独特の距離感を見事に描いている。特に仕事も恋愛も今一煮え切らない(問題を増やしたくない性格)中途半端で優柔不断なフィルの微妙な心の変化、それが徐々に変わっていく姿が見所なのである。
  ニコルに「愛しているからな。それだけだ」という、これ以上もこれ以下も無い愛の言葉を言うシーンや、 ホリンジャーの犯した殺害を偽証する(いい加減な捜査活動の埋め合わせ的)どんでん返しの行動など、 フィル刑事は知らず知らずのうちにホリンジャーと「白鯨」の影響を受けていたのである。 しかし、問題を避けて来た彼が、熱血刑事に転身した瞬間に偶発的な悲劇が訪れるのだ。 このシーンにも痛烈な皮肉が込められている。 本作がアルドリッチ作品の中で異質なところは、カタルシスが得られる映画ではなく、 骨太の映画ファンには物足りない作風と感じられてしまう点である。
  つまり、人間の執念や憎悪、狡猾さ等をダイナミックに描いた作品ではない。 だがしかし、態々カトリーヌ・ドヌーヴをフランスから招いたところに含みを持たせている。 愛し合う男と女が、自分達の間に蟠るジレンマと焦燥感、道徳観の違いに気がつき、理解し合い、 これからだという時に二人の仲は手遅れとなる運命が襲い掛かり、 解決の道は残されていなかった悲しい話である。 フィルの相棒ルイス刑事役ポール・ウィンフィールドの終始寂しげで複雑な表情とその困り顔が痛快だ。
 警察の部長役アーネスト・ボーグナインの毒舌トークと馬鹿笑いをあげる姿、 狡猾なレオ弁護士役エディ・アルバートの影が薄い悪党ぶりと惨めな末路、ポーラ役アイリーン・ブレナンの生活に疲れ果てやさぐれ気味のところ等、脇役のユニークさが、珍妙な味わい。
 また無名時代のロバート・イングランドがコンビニ強盗役で出演している。

アルドリッチらしからぬ不思議な鑑賞感 投稿者 hide-bon投稿日 2015/2/15
 76年に日本公開されたロバート・アルドリッチの「ハッスル」は、その作品群を追い続けてきた者にとっては、不思議な鑑賞感を覚える映画だ。 海岸沿いに上がった若い女性の死体を巡るサスペンスを縦軸に、事件を追う刑事と美しきフランス人娼婦とのラブ・ロマンスを横軸に展開する物語なのだが、これがいつものアルドリッチ特有の骨太感溢れる硬派アクションとはかなりお趣が違う。 バート・レイノルズ、エディ・アルバート、ベン・ジョンソン、アーネスト・ボーグナイン、ポール・ウインフィールドら惚れ惚れとするツラ構えの面々が揃っているのに、、、。
  もちろん、アルドリッチには「甘い抱擁」のようなメロドラマもあるのだが、それにしてもこのセンチメンタルなタッチは何なんだろう。 前二作が、「ロンゲスト・ヤード」と「北国の帝王」というおとここころをくすぐる胸すく傑作だっただけに、余計にその思いを強くする。 では、今作のどこが感傷的なのかと言えば、それはやはり刑事と娼婦とのラブロマンスの世界に尽きる。
  "世界で最も古い職業"で、その気になれば、一晩で何千ドルも報酬を得れる女性と、郊外の広大なログハウスで同棲し、コール・ポーターやシャルル・アズナブールをBGMに、カンヌやローマで楽しく羽根を伸ばそうなどと甘く語り合う。 傷つきやすく繊細で淋しがり屋のレイノルズと、プラスチック的なクール・ビューティーのカトリーヌ・ドヌーヴだけに、いかにも人工的で甘ったるい会話の数々も、それなりのムードがあるが、、、。
  しかしながら、職場の刑事部屋にトレビの泉のカレンダーを飾って、それをいつも眺めているなんて、ちょっと骨抜きが過ぎやしませんか。 アメリカ人男性は、フランス人女性にからきし弱いからなぁ、、、(笑)。
  レイノルズは,72年に主演した「シェイマス」で、孤独でしがない一匹狼の私立探偵を好演した。 そして、「ロンゲスト・ヤード」では、かって全米を感動させたプロフットボールの大スターであったものの今では金持ち女のヒモに成り下がった堕ちたヒーローを演じていた。
  今作のレイノルズは、良心は持ち合わせている勇敢な刑事だが、同時に警察機構の事なかれ主義と腐敗ぶりには半ば諦感している。 私生活では妻に不倫された挙げ句逃げられたダメ亭主だから、設定的には問題はない筈なのだが、、、。 殺人事件の陰に、アメリカの病根と経済界の黒幕の存在が見え隠れしているのも突き止めながらも、捜査に限界を感じどこか虚無感を漂わせながら、結局、自らの"夢の世界"へと逃げ込んでしまう。
  挫折しながらも、叩かれながらも、負け犬として敗地にまみれても、不屈の闘志で立ち上がるキャラクターが似合うレイノルズだけに、このロマンチストぶりは見ていて複雑な心境だ。 友情出演っぽいボーグナインに、さして出番も見せ場もないアルバート。 アルドリッチファンにとっては残念でならないが、レイノルズを含め冴えない男優陣の中で唯一気を吐いているのがベン・ジョンソン。
  保守的で頑迷ながら気骨ぶりを見せつけるこの名もなき父親と、その妻アイリーン・ブレナンにアルドリッチ・テイストを感じる。 そして、殺されるふたりの娘役にシャロン・ケリー。 と言っても、分からない方も見えると思うが、彼女は、当時のアメリカのポルノ映画界の知る人ぞ知る大スターだ。 フランス映画っぽい結末まで、フレンチ・ノワールとアメリカのハードボイルドの奇妙な融合を思わせる異色作。
 こんなアルドリッチも良いんじゃないと思うか思わないか、どちらにしても、アルドリッチファンには一見に値する作品である。
ロンゲスト・ヤード


1974
 アルドリッチ監督の傑作。興行的に大ヒットしました。

 ポール・クルー(バート・レイノルズ)はもとプロ・フットボールのクォーター・バック。女(アニトラ・フォード)のヒモに成り下がって生活していたものの、そんな生活から抜け出そうと女の車を奪って飛び出す。しかし、女は警察に通報、烈しいカー・チェイスの翌日に逮捕されたクルーは刑務所に入る。18ケ月の刑期をさっさと終らせて釈放を考えていたクルーだったが、所長(エディ・アルバート)はクルーの知恵を万年2位の看守チームの強化に役立てようとしていた。一方、チーム・リーダーの看守長(エド・ローター)はクルーの存在が面白くない。
 所長はクルーとの会話から囚人チームを作ってセミプロとして登録、そのチームと八百長試合をやって一勝させようと計画する。やがて、クルーがいかさまでプロを追われたことが判ってくる。いかさまの理由は父親の老後の生活を保証するためだったが、父親は死んでしまったのだ。正々堂々と看守を殴れるとあって次第に囚人チームには怪力のメンバーが集まります。
 所長は試合の途中で、クルーに21点差で負けろと指示、反抗すれば密告屋アンガー(チャールズ・タイナー)の便利屋(ジム・ハンプトン)殺人の共犯にして20年はくらいこませるぞと脅します。
 前半で互角に闘っていた囚人チームはクルーの気のないプレーでズルズル負けていき、21点以上差がつきます。それをきっかけにクルーは看守チームが囚人チームへ暴力を振るわないという条件で所長と取引をしたはずなのに、所長は看守長に逆の指示を出していました。看守長は堂々と戦って勝つつもりだったのに鼻白みますが、所長の指示には逆らえません。
 差がついたうえに看守たちの暴行で傷つくチームメイト、黒人グランヴィル(ハリー・シーザー)が退場するときの捨てゼリフ「お前を信用したのが間違いだった」がクルーを目覚めさせます。
 再びグランドに戻ったクルーは、一途な突撃をくり返し、次第にチームメイトの意気を高めていきます。とりわけ暴力的な看守ボグダンスキー(レイ・ニッツケ)の急所を狙ってボールをぶつけて倒し、終了寸前にタイムアウトの繰り返しで差をつめていき、劇的なタッチダウンを決めて1点差で勝利します。
 所長を殴って30年服役しているオヤジ(ジョー・カップ)と肩を組んで会場を去るクルーの後ろ姿がストップ・モーションになってエンド・タイトル。
 キャストは、もとプロのネイト(マイケル・コンラッド)、ポップ(ジョン・ステッドマン)、ラセムッセン(マイク・ヘンリー)、アイスマン(ジム・ニコルソン)、刑務所秘書(バーナデット・ピータース)、マワベ(パーヴィス・アトキンス)、ロトカ(トニー・カチオッティ)、アナウンサー(マイケル・フォックス)、ボス(ジョー・カップ)、巨人サムソン(ディック・キール)、ウォーデン(モート・マーシャル)、レヴィット(トニー・リーズ)、インディアン(ソニー・シックスキラー)、怪腕ショックナー(ボブ・テシエ)、スプーナー(アーニー・ホイールライト)、店員(ペッパー・マーティン)。
  (2009年5月14日)

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北国の帝王


1973
  アルドリッチ監督、リー・マーヴィン、アーネスト・ボーグナイン、キース・キャラダイン出演の傑作アクション映画。私はこの作品を大学生のころ、札幌から東京に映画を見に出かけたときに、試写会で見ました。いったいどうして試写会に入れたのか、忘れてしまいましたが、一緒に藤田真男氏もいましたから、秋本鉄次氏に誘われたのかもしれません。試写が終った後、映画の迫力に気おされて言葉が出なかった覚えがあります。北国の帝王USAポスタ−

 あらすじ。1933年の大不況のころ、失職者はホーボーと呼ばれ、列車を移動の手段としていた。無論タダ乗りである。ホーボーたちが乗るのを避けていたのはオレゴン州のウィラメット・バレーを通過する19号車。鬼車掌シャック(アーネスト・ボーグナイン)が無賃乗車を許さず、ハンマーで殴り落としていたからだった。この列車に乗ろうとするのがAナンバー・ワンと呼ばれ、「北国の帝王」とあだ名されるホーボー(リー・マーヴィン)。ある日、シガレットとあだ名される若造(キース・キャラダイン)がAナンバーワンと一緒になる。鬼車掌シャックとAナンバーワンのどちらが勝つか、鉄道員たちに噂が広まり、賭けが始まった。勝負は一進一退で進み、いよいよ最後の戦いに入る。車体の下に流される綱つき鉄棒て攻撃されたナンバーワンはブレーキを踏み、列車を急停車させる。シャックは頭をぶつけ、火夫コーリィ(ハリー・シーザー)は傷つく。機関士(マルコルム・アッテンベリー)は気を失い、最後部の車掌助手クラッカー(チャールズ・タイナー)は死んだ。動き始めた列車の荷台で二人の死力を尽くしての決闘が始まる。シャックを車から突き落としたナンバーワンは見物していたシガレットも突き落とした。川に落ちたシガレットにナバーワンの声が響く。「まだ青臭いぞ。線路に近寄るな。お前はホーボーの器じゃない。北国の帝王になんかなれない。向こう気だけで、心がない。どっちも無きゃダメだ。誰もそれを教えられない。忘れるんじゃないぞ」と。
 深作監督の『仁義なき戦い』で注目されたピラニア軍団のように、ペキンパ映画やアルドリッチ映画でおなじみの男たちが総出演。上記のほかにクレジットされるキャストは七面鳥を盗むナンバーワンを追いかけて村に入りこむ警官(サイモン・オークランド)、噂話に花を咲かせる操車場助手(ハル・ベイラー)・操車場員(マット・クラーク)・“灰色猫”(エリシャ・クック)・わけ知り者(ジョー・オイ・レダ)、シャックに意見する鉄道会社の監督(ロバート・ファウルク)。他には、行者(ジェイムズ・グッドウィン)、グリーステイル(シド・ヘイグ)、ブタ箱ルンペン(カール・ルーカス)、操車場事務員(エドワード・マクナリー)、浮浪者(ジョン・ステッドマン)、操車場作業員(ヴィック・テイバック)、制動手(ディヴ・ウィロック)。女性は二人だけ、途中で列車内で腋毛を剃っているところをシガレットに見られ微笑む女(リアム・ダン)と、途中の新興宗教団体の村で、牧師(レイ・ガス)に浄化の儀式で水に顔をつけられ、着衣が濡れて乳房が透けて見える若い女(ダイアン・ダイ)。

 ニューヨーク大学映画学科教授ディナ・ボーランが音声解説を担当して、演出・映像分析を詳細に語ります。
 “本作では大不況時代という設定は重視して描かれてはいません。ロング・ショットよりもクローズ・アップ中心で、背景も霧や夜などぼかされて映されており、人間対人間の対決に関心を向けるような映像になっています。
 『特攻大作戦』以降、ヒット作が無かったアルドリッチは無声映画の手法(アイリス・インで始まる。場面転換でのワイプの使用)や無声喜劇映画を思わせるコッケイな車掌の動きや表情、道具の使い方などコメディ要素を取り入れてヒットを狙いました。現実にはそれほど興行的には成功しませんでしたが、徐々に真価が認められます。同じような演出は『ロンゲスト・ヤード』に引き継がれ、大ヒットしました。
 登場人物はすべてあだ名で呼ばれ、本名はあきらかにされず、作品の象徴性を高めています。鬼車掌・真の悪と北国の帝王・ましな悪という、いわば「タイタンの戦い」を見守る鉄道員たちは「コロス」。ギリシャ劇のような構図が見てとれます。途中の停車駅の名セーラムは魔女狩りで有名な町と同じです。また、若造は1960年代の若者を連想させます。60〜70年代に流行した相棒(バディ)映画(『明日に向って撃て!』『スケアクロウ』『スティング』など)に対する批評、そして強情だが未熟な若者に対する批評という意味があったのでしょう。ただ、強い男は強さを演じ続ける必要があり、それが最後には自滅を招くということも、この映画には表現されています。”

 ボーランの分析は納得のいくものと思いました。アルドリッチ映画の神話的構造はキャラクターの性格づけや、物語の基本腺の単純さから来るところがありますが、『キッスで殺せ!』にも見てとれます。

    映画川柳 「タイタンの 戦い見る 無宿もの」飛蜘

(2009年3月8日)

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ワイルド・アパッチ


1972
 『アパッチ』から18年後,アルドリッチとランカスターのコンビは,この傑作『ワイルド・アパッチ』(原題は,ウルザナの逆襲)を作った。

 『アパッチ』は,降伏を拒み,たったひとりで闘う「最後のアパッチ」,誇りに燃えた男マサイ,「追われる男」の話である。『ワイルド・アパッチ』は,居留地を脱走したインディアン,ウルザナたちを,騎兵隊や案内者マッキントッシュが「追う」話である。
 「追われる」男マサイと,「追う」男マッキントッシュを,バート・ランカスターが演じていた。「追われる」男から「追う」男への転換,これは単に視点の移動にすぎないのだろうか。
 そうではあるまい。問題はインディアンのことが白人に理解できるのかということである。
 『大列車強盗』が作られた時点で,もはや現実のフロンティアは消滅が宣言されていた。インディアンは長い闘いの末に,生活の基盤である土地を奪われて,居留地に追いやられていた。
 インディアンの悲史はアメリカの正史であるべきである。同じ人間としてインディアンを理解しよう,理解できるという立場に立って作られたものが,『アパッチ』であった。
 だが,そんなに簡単にインディアンのことが理解できるのだろうか。『ソルジャー・ブルー』のように「インディアン,いい。白人悪い」と、モラルを逆転しただけで,人間の歴史の深い理解になるのだろうか。
 『ワイルド・アパッチ』の認識はもっと深く,そして暗い。
 開拓民に対するあまりの残酷な仕打ちに,若い少尉(ブルース・デービソン)は唖然とする。しかし,追手をサポートする誇り高きアパッチ,ケニティが答える。「私たちには残酷でないことが,あなたたちには残酷にみえる」と。
 文化の構造が,ちがうのである。そして,けっしてインディアンの文化は,白人の文化によってじゅうりんされていいというものではない。インディアンの文化も「人間の」文化である。しかし,それは「わかりがたい」ことをまず肝に銘じておかねばならない。そうでなければ真の交流は不可能であろう。
 『ワイルド・アパッチ』は静かにそう語っていた。
 アルドリッチ渾身の傑作である。   (1974年記)


   ワイルド・アパッチ (1972年,米。103分,1991年)  藤田真男

  『アパッチ』(1954年)を撮った時、アルドリッチもランカスターも、ハリウッド西部劇の限界を感じたはずだ。だから『ワイルド・アパッチ』を撮った。演出も撮影も音楽も旧ハリウッド調だ。にもかかわらず、この映画にはニューシネマの影が垣間見える。ニューシネマの極北ともいうべき『さすらいのカウボーイ』(ピーター・フォンダ監督・主演)を書いたスコットランド人アラン・シャープが『ワイルド・アパッチ』の脚本も書いている。
 ギャビン・ライアルの『深夜プラス1』を思わせるハードボイルド映画『ラスト・ラン』も『さすらいのカウボーイ』も『ワイルド・アパッチ』も、シャープの書いた主人公はみな、無意味とも思える旅の果てに犬死にする。
 逃亡した残虐なアパッチを追跡する騎兵隊。その先頭に立つスカウトのランカスターは、アパッチに対して何の憎しみも抱かない。といって同情の念も持っていない。そのことが、若い隊長には全く理解できない。ランカスターもあえて説明しない。隊長を演じるのが『いちご白書』『愛と死のエルサレム』のブルース・デービソン。ちょうど『北国の帝王』のリー・マービンとキース・キャラダインの対立(ホーボー対ヒッピー)と同じ図式である。だが、アルドリッチは単にニューシネマへのアンチテーゼを示そうとしたのではない。『さすらいのカウボーイ』がニューシネマの極北なら『ワイルド・アパッチ』は旧ハリウッド西部劇の極北であり、両者は合わせ鏡なのだ。もはや新旧の区別は意味がない。
 シャープは自作の小説についてこう書いた。
 「“個人”ー彼の真の本性と、世界やその他の事象に対する彼の関係とを、本物にしよう(リアライズ)と試みているようなーへの讃歌であり、この自己実現(セルフ・リアライゼーション)は、旅のようなものである」
 若い隊長も、ついにこの旅の意味とランカスターの心を少し理解する。傷ついたランカスターは、最期の一服を吸おうとして隊長に訊く。「タバコはまだ巻けないだろうな」「すみません」「いいさ、今に覚えるさ」−ここでグッと来ない人間は「お前には人間の心が分かっていないんだ」と、リー・マービンにどなられても仕方がない。
 隊長とわずかに生き残った隊員たちが去ったあと、ランカスターは最期の力をふりしぼってタバコを巻こうとする。そうすることで彼の自己実現のための旅は終わる。へんなたとえだが、市川雷蔵の『斬る』『剣鬼』に感動できる人なら『ワイルド・アパッチ』にも深い深い感動を覚えるはずだ。税込み3500円、安い!

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傷だらけの挽歌


1971
 原題は『The Grissom Gang』。ハドリー・チェイスの処女作『ミス・ブランディッシの蘭』(1938年)をアルドリッチが製作・監督して映画化した。原作は『No Orchids for Miss Brandish』で、「ミス・ブランディッシには蘭はない」とすべきだが、題名としては長すぎるのでこの訳にしたという(翻訳者の井上一夫による)。映画は原作をかなり変更している。
ミス・ブランディッシの蘭
訳書の創元推理文庫の初版は1959年。1972年版のカバーは映画より。
蘭の肉体 『蘭』の続篇はチェイスの7作目で1942年刊行。訳書の創元推理文庫の1972年版のカバー装画は杉浦康平による。


 富豪ブランディッシの令嬢バーバラ(キム・ダービー。原作では娘の名前が表記されることは無い)が、パーティからの車での帰途、 フランキー(マイケル・ベースレオン)一味に男友達を射殺され誘拐された。途中で立ち寄ったガソリン・スタンドで、一味はグリソム家のエディ(トニー・ムサンテ)と出くわしてしまう。 娘を家に送るところだとウソをついて別れたものの、ラジオから事件が放送されて、エディは成り行きに気がつく。フランキーは仲間の黒人ジョニー(ドッツ・ジョンソン)の家に忍び込んだものの、 朝になってグリソム一家がやってくる。
 フランキーとサムは抵抗して撃たれ、逃走しようとしたジョー(マット・クラーク)も、スリム(スコット・ウィルソン)のナイフを背中に浴びて殺される。

 グリソム一家を仕切るのは“ママ”グラディス(アイリーン・ディリー)。その夫サム(アルヴィン・ハマー)、スリム、エディ、ドク(ドン・キーファー)、 デブのワッピー(ジョーイ・フェイ)。“ママ”は身代金を受け取ったら娘は殺すと主張するが、娘に一目惚れしたスリムは娘を守り、手を出す奴は「ママでも友達でも殺す」と言う。 百万ドルの身代金を払ったブランディッシ(ウェズリー・アディー)は手がかりをつかめないので焦っていた。

 “ママ”は性的不能のスリムを直す好機と考えて娘を監禁しておくことにする。「ナメクジのような」スリムが嫌いだと避けていたバーバラだったが、スリムにすがるしか生きる道は無いのだった。 スリムは女に異常に入れあげ、金で手に入れたクラブの地下室に女と二人のためのスィート・ルームと台所を作った。もっとも、バーバラは「料理はしないわ」と断る。

 容疑者をフランキーとみていた警部(ハル・ベイラー)は、娘は既に殺されていると予想するが、捜査官フェナー(ロバート・ランシング)は、フランキーの女でクラブ歌手のアニー(コニー・スティーブンス)に接近する。アニーは行方不明のフランキーに代わってエディの女になっていた。ニューヨークのエージェントを装ってフェナーはアニーからフランキーがジョニーの家から電話してきたのを最後に行方が途絶えたことを聞き出す。 部屋に拳銃を置き忘れたエディが戻って来て、フェナーと鉢合わせ。フェナーに殴られて、一瞬失神したエディだったが、情報をもらしたアニーを罵り、 成り行きが理解できずに怒るアニーを撃ち殺す。これまでも誘拐の情報を知る者を冷酷に撃ち殺してきたエディだった。(原作ではエディは警察に逮捕される)。

 次第に捜査の輪が絞られてくる。フェナーが捜査に乗り込んだジョニーの家では、スリムらの襲撃で銃撃戦があり、ジョニーは死亡、フェナーも傷を負った。スリムの留守に、エディは娘に言い寄るが、ちょうど帰宅したスリムの怒りを買い、刺殺されてしまう。
 グリソム家のクラブの周囲を警察が包囲する。“ママ”は降伏しようとする夫を撃ち、警官隊と激しい銃撃戦の末、死亡。ドクもワッピーも撃たれて死亡する。

 スリムとバーバラは外出していて、銃撃戦に合わずに、車で逃走した。ある農家の納屋に潜む。夜になって、スリムにバーバラは「死んではだめ」と話すのだった。しかし、農夫の通報により警察に包囲される。父親は娘が汚れたことを知って、拒絶する。(原作では父親は潜伏現場には行かず、カンサスで待っていることになっている)
 早朝、スリムは一斉射撃で倒れる。茫然としたバーバラは倒れたスリムの手を取る。父親は「汚らわしい。その手を離せ」と命じる。娘は「怒らないで。生きるためよ。逆らえば殺されていた」と言うが、父は「そのほうがよかった」と答え、「後はフェラー君に任せる」と離れていく。新聞記者たちが押し寄せる。フェラーは娘を車に乗せ、現場を去る。茫然とした娘が後ろをふり返ってストップ・モーション。
 主題歌はルーディ・ヴァリーの「あげられるのは愛だけ I Can't Give You Anything But Love, Baby」。

 ギャングのママ、アイリーン・ディリーがギャング団をたばねる暴力的な母親を演じて迫力。異常性格者を演ずるスコット・ウィルソン、 目的のためには手段を選ばず、人を殺すトニー・ムサンテなどの代表作。

 ミステリ作家の北村薫が試写会で見た『傷だらけの挽歌』のラストは別だったと言う。
 “救出された時には、彼女はぼろくずのようになっている。父親はそんなになっても生きているのか、と冷たい言葉を浴びせ、娘に背を向ける。ラストシーン、川に身を投げた娘を見て、探偵は何ともいえない表情をし、その場を去ろうとする。驚いて、助けないのか、という声がかかる。彼は、一言いうー《アイ・キャント・スイム》。傷だらけの挽歌
 実に苦く、また見事な台詞である。まさしく《出来ない》のである。
 ところが、−今も鮮やかに覚えているー《泳げないんだ》という字幕が出た途端、胸を衝かれた我々の、二列ばかり後ろで吹き出した観客がいたのである。その人は本当におかしかったのだ。本当に《泳げない》と思ったのだ。
 これは誤りである。・・・(略)・・・泳げる探偵が、その局面だからいったのでなければ、この台詞は無意味だ。考えてそこに行き着くのではなく、瞬時にそう感じなければいけない。
 残酷なことだが、時として作品は人を拒む。・・・(略)・・・
 ・・・(略)・・・衛星放送では・・・(略)・・・何と肝心なラストがカットされていた。・・・(略)・・・局が切ったのではない。別バージョンなのだ。”

 1971年日本公開の際のパンフレットを入手した。はっきりは書いていないが、このときのラストシーンは北村薫が見たラストシーンの娘が自殺するものになっていたようだ。映画プロデューサー・田中文雄氏が「井上一夫氏の訳ではラストで、ミス・ブランディッシは自殺などはせず、生き続けることになっている。映画のラストシーンが初版の内容に従ったのかどうかはわからない」と書いているからだ(2010年11月追記)。

 翻訳者の井上氏が解説でこう書いている。“スリムが性的不能者で幼いときから、さび鋏で動物を切りさいなむ残虐性があったことや、 ライリー[註:映画版ではフランキー]がマゾヒズムで、ナイフで刺された瞬間オーガズムに達する話、さらにジョン・ブランディッシが当局に贈賄したり、不能なスリムがミス・ブランディッシに暴行を果たすというような、どぎつい描写があって、最後にミス・ブランディッシはホテルの窓から飛び降りて死ぬことになっているらしい。あまりひどすぎて問題になったらしく、初版本は絶版になって、イギリス本国でも寄稿本になって手に入らないので、やむをえずエヴォンの普及版に従った”と。普及版の原作には上記の描写や、ミス・ブランディッシが自殺を試みる描写は無い。ただし、映画ではスリムのナイフに対する偏愛や残虐性が描かれている。
 チェイスの続編『蘭の肉体』では、「ブランディッシの娘は・・・父親が駆けつける前に窓から飛び降りたんですが、重傷でしばらくたってから死んだんです。死ぬ前に彼女は女の子を生んでたんです。子供の父親は誘拐犯人のグリッソンです。・・・生まれた子のキャロルというのが・・・十になるころから、陰気で癇癪もちの乱暴な子になり、友達と遊ばなくなった」。精神分裂病の一種と診断された娘が続編の主人公である。

 ジョージ・オーウェルは「ラフルズとミス・ブランディッシュ 探偵小説と現代文化」(1944年)で、粗筋を紹介しているが、この内容は初版のものであった。 そして、オーウェルはチェイスの読者の戦後の道徳的価値観が後退した、タブーのない精神世界を指摘していた。
 “『蘭』は権力闘争に狙いを定めている。・・・それが権力への道ならば「何をしてもいい」。あらゆる柵がとりはらわれ、あらゆる動機が大手をふってまかりとおる。チェイスは・・・力は正義なりという説を、みごとにとりこんだ大衆作家なのである。こういう大衆作家はアメリカにはたくさんいても、英国ではまだきわめて少ない。この「現実主義」の隆盛ぶりこそ、われわれの時代の精神史の大きな特徴なのだ。その原因は複雑である。サディズム、マゾヒズム、成功礼賛、権力崇拝、 ナショナリズム、全体主義−これら相互のあいだの関連という問題はほとんど誰もとりあげていないし、こんなことを口にすれば、それだけでも顰蹙を買う結果になる。・・・比較的新しいのは、(一)勝ち負けにかかわらず正しいものは正しい、(二)弱者をいたわれ、という従来当然とされていた考え方が、大衆文学の世界からさえ消えつつあるという現象なのだ。 ・・・今では純文学作品を読んで英雄と悪漢を区別しようなどと思う人はいないだろう。だが大衆小説となれば、依然として善と悪、合法と非合法が明確に区別されているはずだと考えて読む。一般大衆はだいたいにおいて、知識人たちがとうに捨ててしまった絶対の善と絶対の悪の世界に生きているのだ。だが、『蘭』やこれによく似たアメリカの書籍雑誌の人気を見れば、「現実主義」なる思想がどれほど急速に強まりつつあるかは歴然としている。
 『蘭』を読んで、「これはまさにファシズムだ」と言った人は、いく人もいた。まさに正確な批評である。・・・いかにも全体主義の時代にふさわしい白日夢なのである。空想的なギャングの世界で、チェイスはいわば現代の政治の世界の精髄を描きだしたのだ。そこでは爆撃による市民の大量殺戮、人質の利用、 白状させるための拷問、秘密牢、裁判抜きの死刑、ゴム棒による殴打、糞溜めに沈めて殺すような行為、記録統計資料の体系的な改ざん、裏切り、買収、売国行為、 こういうことが正常であり道徳的善悪とかかわりがないとされる。いやそれどころか、大掛かりにかつ大胆にやれば称賛さえされるのだ。ふつうの人は政治に直接関心を持ってはいないから、政治のことを読むとすれば、現在の世界の抗争にしても、それを個人をめぐる単純な物語に置き換えたものでないと興味が持てない。・・・庶民は自分に理解できる形の権力を崇拝する。 ”(『オーウェル評論集』岩波文庫より)
 『名探偵ホームズ』のホームズより、『蘭』のフェナーを崇拝する読者は、リンカーンよりスターリンを崇拝するのである。オーウェルは現代の精神世界をあぶり出す鏡として、『蘭』を使っていた。
 
 映画版『蘭』=『傷だらけの挽歌』は、1960年代後半のアメリカン・ニューシネマが実存主義に足場を置き、個人の欲望が社会と相容れない不条理な現実を描き、 組織と人間の問題を浮かび上がらせたのに呼応した作品である。ほんの些細な成り行きで、虫けらのように殺されてしまう組織のなかで、異常性格者の恋愛を通して実存的な人間性と、名誉にこだわる富豪の非人間性が描写される。救済の無い物語であった。

[参考書]
 ハドリー・チェイス(井上一夫訳)『ミス・ブランディッシの蘭』(創元推理文庫,1959年)
 ハドリー・チェイス(井上一夫訳)『蘭の肉体』(創元推理文庫,1972年)
 ジョージ・オーウェル(小野寺健訳)『オーウェル評論集』(岩波文庫,1982年)
 北村薫・小森収『ベスト・ミステリ論18』(宝島社新書,2000年.品切) 
(2008年4月)

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燃える戦場


1970
 やや退屈。
 

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甘い抱擁


1968
 アルドリッチ監督作品3作『甘い抱擁』『燃える戦場』『傷だらけの挽歌』がビクターからDVDで発売されました(2001年8月22日)。素晴らしい!この調子で他の陽の当たらない名画『飛べ!フェニックス』『北国の帝王』『クワイヤ・ボーイズ』『フリスコ・キッド』『カリフォルニア・ドールス』なども発売していって欲しいものです。

 『甘い抱擁 The Killing of Sister George』は日本未公開です。
 ベリル・リード扮する中年の女優“ジョージ”はBBCの連続テレビ・ドラマ『看護婦ジョージ』シリーズの主役です。番組では訪問看護婦として多くの人生に関わり、彼女の含蓄ある言葉は国民の人気を集めています。しかし、ジョージ本人は自分本位で、酒飲みで下品な女優。
 若い女性アリス(スザンナ・ヨーク)と同居していますが、最近はその支配力も薄れつつあります。酔っ払って、乗りこんだタクシーの客(二人の修道尼)に「とんでもないこと」をしたらしく(映像では出て来ませんが、抱きついてキスをするような行為と思われます)、その筋からの抗議がきっかけでジョージは番組内では風邪で休養した後で、遂には事故死してしまうことで、降板されてしまいます。アリスもジョージの支配にうんざりしていて、ジョージの上司クロフト女史(コーラル・ブラウン)に気にいられたのをきっかけに、ジョージのもとを去ってしまいます。結局、ジョージは仕事も愛人もなくし、ひとりぼっちになってしまいます。
 主人公の言動や行動は、共感できるようなものではありません。しかし、たとえ身から出た錆とはいえ、薄皮をはがれるように自分のものを無くしていくジョージが次第に哀れになってきます。
 女性どうしの同性愛は、部屋の様子やセリフや行動の端々に出て来ますが、ラスト直前まで,ベッドシーンが出て来ることはありません。しかし、ラスト近く、ドラマの核心部で、アリスの部屋でのクロフト女史とアリスのラブシーンが描かれます。公開準備までされていながら、日本公開が見送られたのは同性愛を明確に描いているというスキャンダラスな内容のためでしょう。
 原作はフランク・マーカスの舞台劇で、映画は女優のささいな表情の変化をとらえ、スザンナ・ヨークの裸体を大胆に映し出して、愛情を求める人間たちの人生の実相としての同性愛を描いています。
 ちなみに、『傷だらけの挽歌』は大傑作。『燃える戦場』はドラマ不足でした。
(2001年8月)

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女の香り


1968

 (未見)

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特攻大作戦


1967
]
 傑作。ロンドンで撮影された。原題はDirty Dozen。舞台はロンドン、1944年。
 


 ジョン・カサヴェテス チャ−ルス・ブロンソン ドナルド・サザーランド ジム・ブラウン トリニ・ロペス  テリー・サヴァラス クリント・ウォーカー ラルフ・ミーカー 
 アーネスト・ボーグナイン ロバート・ウェッバー リチャード・ジェッケル ロバート・ライアン リー・マーヴィン


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飛べ!フェニックス


1965
 アルドリッチ監督作品。とうとうDVDになりました。テレビで90分の短縮版を見ただけでしたから、 オリジナル版をきちんと見るのは初めてでした。短縮版で日本語吹替えが付いたところだけはDVDでも吹替え付きで見られます。
 撮影はジョゼフ・バイロック、音楽はフランク・デヴォルといったアルドリッチ一家。原作はエルストン・トレヴァー、脚色はアルドリッチ作品を多く手がけた、 『モンテ・ウォルシュ』のルーカス・ヘラー。


 出演する男達はクレジットによれば、機長フランク・タウンズ(ジェイムズ・スチュワート)、副操縦士ルー・モラン(リチャード・アッテンボロー)、 大尉ハリス(ピーター・フィンチ)、航空機デザイン技師ハインリッヒ・ドーフマン(ハーディ・クリューガー)、大尉について砂漠脱出を試みるトラッカー・コップ(アーネスト・ボーグナイン)、 冗談ばかり言っているクロウ(イアン・バネン)、大尉の命令に従おうとしない軍曹ワトソン(ロナルド・フレイザー)、医師ルノー(クリスチャン・マルカン)、 年を取って動くのがつらいスタンディッシュ(ダン・デュリヤ)、屈強なベラミー(ジョージ・ケネディ)、猿をペットにしていて大尉についていくカルロス(アレックス・モントーヤ)、 不時着で足に重傷を負うガブリエル(ガブリエル・ティンティ)、ファリータ(バリー・チェイス)。アルドリッチの息子ウィリアムも出演しているが、不時着の際に死亡する端役ビル。 2004年に、『フライト・オブ・フェニックス』(『飛べ!フェニックス』の原題)としてリメイクされた。

飛べ!フェニックス 石油会社の輸送機がサハラ砂漠を横断中に砂嵐に遭遇し、砂漠のまんなかに不時着。脱出計画をたてたものの、おぼつかない状況に全員が苛立ち始めたとき、 若き技師ドーフマンが双発双胴の飛行機を単発に改造して飛ばすことを提案します。途中でオアシスを探索する計画や、アラブの攻撃部隊と交渉する計画をするが不調に終わり、 少しずつ仲間を失っていきます。残された水も次第に少なくなっていって・・・。(2005年9月)

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ふるえて眠れ


1964
 傑作。とんでもない映画です。
 『何がジェーンに起こったか?』に続いて、作者のヘンリー・ファレルの短編「Hush Now...Sweet Charlotte」に基づく作品。
 撮影中のタイトルは「何が従妹のシャルロッテに起こったか What Ever Happened to Cousin Charlotte?」だった。「すでに映画のために歌が作られていて、好きだったわ。それが子守唄だったの。“お休み、かわいいシャルロッテ Hush, hush, sweet Charlotte”という。この方が題名にふさわしいんじゃないと私が示唆したのよ」とベティ・ディビス。
 ジョーン・クロフォードが主役でないのを不満に病気を理由に降板してしまい、アルドリッチは代わりにキャサリン・ヘップバーンやバーバラ・スタインウィック、ロレッタ・ヤングなどに交渉したが不調に終わった。ついにベティ・ディビスが直接、親友のオリヴィア・デ・ハヴィランドを薦めた。交渉は難航したが、とうとうオリヴィアは承知、「常々ベティと共演できたら面白いだろうと思っていました。クロフォードが身を引いたんで『ふるえて眠れ』で共演する機会が回ってきたんです。私はベティが仕事一途で熱心だったからジェーンで成功したことを知っていました。代役が必要でベティがわたしを求めたんです。問題はわたしは彼女ほど仕事熱心ではないことでした。わたしには必須ではなかったんです。台本に興奮もしなかったし、役柄も好きではありませんでした。私のはまり役とは真反対だし、共感できない悪党で、人々が私に期待する役柄でもないんです。実際のところやりたい役ではありませんでしたが、ベティがそれを望んだので、私はやったんです。後悔してはいません。彼女との共演は特別だったし。でも私の再起をかけた作品として誇れる映画とはいえませんけれど。クロフォードの名誉を傷つけなかったとは言えるでしょうが」とオリヴィアは回想している。
 彼女はその体験について前向きに話していた。「『ふるえて眠れ』はわなに満ちていました。それは歩くときに足にからむデリケートなタイト・ロープでした。それがとても面白いことだって分かったのよ。アルドリッチは特別なスタイルを与えていたわ、一種の暗いながらもきらめくスタイルに私は魅了されたわ。常に危険であると同時に悪魔の意図の一面は、チャーミングなのよ。悪魔が来ればあなたには分かる。でも、あなたにはミリアム(デ・ハヴィランドの役柄)が来るのは見えないので、彼女はほんとうに危険なのよ」
 映画の主演者だったジョセフ・コットンはこの交替で幸福だったと自伝に書いている。「(クロフォードが去った後)『ふるえて眠れ』に関する物語や企画やありとあらゆることが、うまくはまった。ボブ・アルドリッチは嘆願の鎧を着て、手錠と万年筆を筆箱に入れ、スイスに飛んだ。そしてオリヴィアを連れてきた。オリヴィアと僕は恋人役を演じた。彼女は素敵な代役だった。彼女とベティは一緒にうまく共演した。僕はそれまで共演したことはなかった」

   ルイジアナ州にある広大なホリス家が道路工事のためとりこわされることになった。 しかし女主人のシャーロット(ベティ・デイヴィス)は頑強に反対し邸を守りぬこうとした。ホリス家には、そうしなければならない不吉な歴史があったのだ……。 37年前のこと、シャーロットはメイヒューという妻のある男を愛していた。ある夜メイヒューは何者かに殺され、シャーロットが嫉妬にかられて彼を惨殺し、 それ以来、彼女は精神に異常をきたしたのだと世間では噂していた。そして邸をとりこわせばメイヒューの死体が出てくるだろうとも言われていた。 しかし彼女の主治医ベイリス(ジョセフ・コットン)に言わせると、彼女はまだメイヒューが生きていると信じているというのだ。 そんなある日、シャーロットの従妹で、かつてのベイリスの愛人ミリアム(オリヴィア・デ・ハヴィランド)が37年ぶりにヨーロッパから帰り、 ホリス家に身をよせた。その頃ホリス家に保険会社の元社員という男が訪ねてきて、メイヒュー殺しの犯人捜査にのりだした。 そして意外にも真犯人は、メイヒューの未亡人だった。当時、それを知ったミリアムは彼女をゆすりそのお金でヨーロッパに行ったのだという。
 ベイリスとミリアムの仲は昔どおりとなったが、シャーロットは2人を殺した。 そして未亡人は自殺した。楡の暗い木陰だけがシャーロットをあわれんで泣いていた。

 クロフォードは去ったが、忘れられはしなかった。ハル・エリクソンにによれば「撮影の初日に、ディヴィスとハヴィランドはコカ・コーラで乾杯して『ディン・ドン、魔女は死んだ』という常套句を引用したが、意地悪く観察すれば、ジョーン・クロフォードの夫はペプシ・コーラ会社の重役だという事実がある」。
  別のキャストのメリー・アスターは、ワーナー時代のベティ・ディヴィスの友人で共演者だが、こう書いている。
  "わたしのエージェントが呼んだのよ。「ベティ・デイヴィスと映画で共演する場面がある。それはある意味、地獄だ。再びあなたを正しく引き上げてくれるが」。わたしは台本を読んだ。冒頭のショットは傷ついた頭が階段を転げ落ちるのが書かれていたし、他のページにはたっぷりの血や血糊、ヒステリー、割れた鏡や誰にとってもおぞましい人々が いっぱい。ニ、三頁を飛ばすと、小柄な老婦人が死ぬのを待ってヴェランダに座っている。若いときに彼女を殺人者にし、すべてのトラブルの始まりとなったキック、蹴りがあった。そして物語では彼女は死ぬ。良かろう。わたしは実際死ぬのだ。ベティといっしょに。感傷的にぴったりに思えた。ロケは南部の奥、私たちはバトン・ルージュに行ったが、そこはやたらに暑かった。私たちは一軒の朽ち果てた古い邸で働いた [the Houmas House Plantation in Burnside, Louisiana]。 船着場に降りていくコケむした樹のある通りで。ホテルから車で1時間かかるので、私たちは自然に夜明けに起きなければならなかった。撮影初日、いつものことだが、私は不安でふるえていた。・・・私には南部なまりのたくさんのセリフがあったし、監督のボブとは働いたことが無かった。ベティは登場場面がなかったのでその日はオフだった。けれども、彼女はロケ地まで長いドライブをして来てくれる感受性と親切心を持ちあわせていて、脇役にも親しみを向けていた。「はーい、アスター!」と彼女は言った。「偉く見えるわよ」と。私には彼女がいつものハリウッド流のお世辞を言ったのではないことが分かった。彼女はす早く私の衣装を見、なまりを聞き、リハーサルを見て、アルドリッチに言った。「彼女をゆったりさせて、ロバート、なにかを学べるはずよ」。

 Hush...Hush, Sweet Charlotte ended up earning several OscarR nominations, including a Best Supporting Actress for Agnes Moorehead, as well as Best Art Direction-Set Decoration, Black-and-White; Best Cinematography, Black-and-White; Best Costume Design, Black-and-White; Best Film Editing; Best Music, Original Song; and Best Original Music Score.
 Producer: Robert Aldrich, Walter Blake Director: Robert Aldrich Screenplay: Henry Farrell, Lukas Heller Cinematography: Joseph F. Biroc Film Editing: Michael Luciano Art Direction: William Glasgow Music: Frank De Vol Cast: Bette Davis (Charlotte Hollis), Olivia de Havilland (Miriam Deering), Joseph Cotten (Dr. Drew Bayliss), Agnes Moorehead (Velma Cruther), Cecil Kellaway (Harry Willis), Victor Buono (Samuel Eugene). BW-133m. Letterboxed. by Lorraine LoBianco     作品歴にもどる

 同じ1964年にオリヴィア・デ・ハヴィランドは『不意打ち Lady in a Cage』(ウォルター・グロウマン監督)に出演している。「檻の中の女」ではオリヴア演ずるヒルヤード夫人がエレベーターに閉じ込められてしまっている間に、惨劇が起こる。

 Amazonのレビューで秀逸な一篇を再録する。
 女の暗い情念を、執念を込めて描いたサスペンス・スリラー  投稿者 キャルU.K
. 投稿日 2013/8/18
  ハリウッドの体制と闘い、一貫して闘う人間の姿を描き続けて来た不屈の映画監督ロバート・アルドリッチが、 「何がジェーンに起ったか?」(62)に続き、ほぼ同じ製作スタッフを集結し、ベティ・デイヴィスを主演に描いた傑作スリラー(1964年作)。
  撮影は、アルドリッチと付き合いが長く様々なジャンルの撮影監督として活躍、貢献しているジョゼフ・バイロックである。 「タワーリング・インフェルノ」(74)でアカデミー撮影賞を受賞、アルドリッチ最後の作品「カリフォルニア・ドールズ」(81)でも 撮影を担当している。本作では、鉈包丁の垂直振り上げ場面や階段を俯瞰する数々の情景、死体や幽霊の奇怪なショット、 リアルな惨殺場面等、白黒映画の陰影が活かされた不気味なカメラワークが効果覿面。 37年前に起こった忌まわしい惨劇に隠された恐るべき真相が明らかになる過程を息詰まるサスペンス・タッチで描いた作品。

  ルイジアナ州の成金富豪の大邸宅に住む一人娘の女主人シャーロット役にベティ・デイヴィス(60年代からの醜悪老女怪優が際立つ)、 女中で世話役のヴェルマ役にアグネス・ムーアヘッド(テレビドラマ「奥さまは魔女」のサマンサの母エンドラ役で有名)、 パリから帰って来た従姉妹ミリアム役にオリビア・デ・ハヴィランド(「風と共に去りぬ」のメラニー役で有名)、 ミリアムの元愛人でシャーロットの主治医ベイリス役にジョセフ・コットン(オーソン・ウェルズ作品常連の名優)の演技合戦が見所である。
  二大女優に挟まれて美味しい脇役振りをバサバサな髪で奔放に演じたムーアヘッドは本作でゴールデングローブ賞の助演女優賞を受賞している。
  更に脇役陣達は、シャーロットの不倫相手で何者かに惨殺されたジョン・メイヒュー役にブルース・ダーン、 その妻ジュエル役にメアリー・アスター(ベティ・デイヴィスと共演した「偉大な嘘」でアカデミー助演女優賞受賞)、 過去の事件の真相を探る保険会社の元社員ウィルズ役にセシル・ケラウェイ(名脇役俳優)、 道路工事の現場監督役ジョージ・ケネディ(70年代パニック映画で活躍した名優)、そしてシャーロットの父親役に扮し冒頭場面で、 強烈な存在感を発揮しているヴィクター・ブオノは、前作「何がジェーンに起ったか?」からの連続出演である。

  二大名女優の冷酷な対決物第二弾作として企画された本作だったが、デイヴィスがジョーン・クロフォードを拒絶し相手役を変更させてしまったのである。が、これには経緯がある。
 前作でデイヴィスは見事な怪演振りを披露、その年のアカデミー賞にノミネートされたが、 面白くないのがノミネートから外れた共演者のクロフォードであった。クロフォードは、日頃から自分を見下していたデイヴィスに 並々ならぬ対抗心を燃やしており、行動を開始。
 何と、デイヴィスのライバル達である他の候補者に「もし、授賞式に欠席される場合は、 私を代理人にご指名下さい。貴方に代わって喜んでオスカーを受け取ります。」という手紙を認めたのである。 その年の受賞者は「奇跡の人」のアン・バンクロフトであり、彼女はニューヨークで舞台に立っていた為、授賞式には来られなかった。 クロフォードの目論見は見事に成功、控え室に居た彼女は、受賞を逸して落胆しているディヴィスに優しく声を掛けながらも、 アン・バンク ロフトのオスカーを受け取る為に舞台に上がったのである。 会場は丸で彼女がアカデミー賞を受賞した様な雰囲気に包まれたという。これに怒ったのがデイヴィスだった、という事だ。
  映画と同じ愛憎劇が二人の間で展開されたという訳である。(が、映画の中での二人の対決が見たかった。火花を散らす演技合戦を。)

  代役として出演したオリヴィア・デ・ハヴィランドは、控え目で優しい眼差しを見せた序盤は兎も角、徐々に本性を現していく抑制の効いた 冷酷な悪女を熱演、死体を運ぶ場面では、車から降りようとしないデイヴィスに一喝し、嫌がると更に平手打ちを食らわすという、 鬼気迫る形相が怖い。

  冒頭の惨殺場面で唐突に描かれる直截的な鉈包丁による手首切断、壁に飛散る血や切株描写の展開に 観る側は驚愕させられる。64年製作当時としては過激なスプラッター色を駆使したアルドリッチのショッカー演出に脱帽である。 (前作には無かった特殊メイク効果であり、確実にパワーアップした暴力的な演出手法だ。)
  シャーロットを突発的に襲う幻覚か妄想か観る側にも判断が着かぬ不可解な現象の数々を、ゴシック感覚溢れるオカルト・タッチで、 視覚的に見せていく演出効果の妙技が圧巻。
 開いた扉の先に見える床に突き刺さった鉈包丁、転がる手首。家の周囲を徘徊する不気味な人影。 始末したばかりの水死体が階段に現れる(これには、一瞬ギョッとさせられる場面)等。
  勿論、種明かしはある。劇中、重要な役割を果たす「お眠りシャーロット」の唄やフランク・デ・ヴォールの音楽も効果的。
  そして、繊細で脆い性格と狂気に満ちた凶暴な性格の両極端を演じるデイヴィスが、最後に初めて見せるラスト場面の表情が深い余韻を残す。
テキサスの4人

1963
 未見だったアルドリッチ監督作品。アルドリッチは製作・脚本も兼ねています。おおがかりな娯楽作品で、脚本はテディ・シャーマンとアルドリッチ。

 駅馬車が強盗一味に襲撃されている。馬車には銀行の10万ドルが積まれていた。馬車で防戦するのはザック(フランク・シナトラ)と客として乗っていたジョー(ディーン・マーティン)だった。 スピード感あふれる疾走場面の末に逃げ切ったと思われたが、曲がり角で横転。金は駆け引きの末にジョーが独り占めしてしまう。
シナトラとアニタ・エクバーグ  2万5千ドルをジョーは孤児院に寄付していました。残りは町の銀行に預けたものの、銀行家のバーンズ(ビクター・ブオノ)はザックとともに強盗一味をも雇っていました。強盗のリーダーはマットソン(チャールズ・ブロンソン)。ジョーは金をもとでにマックス(ウルスラ・アンドレス)の船を改装し、酒場を開店します。 テキサスの4人
 良きライヴァルとしてザックとジョーは対峙していきます。ザックの恋人イリヤ役にアニタ・エクバーグ。船での争いの場面には、町の顔役フランク・シナトラ とディーン・マーティンの子分たちなど大人数の出演者たち。これほど多くの人々を演出するのはさぞかし大変だったろうと推察されます。
 アルドリッチ監督作品としては女性たちのお色気がサービスされる珍しいもの。主役4名を見るための映画。(2006年12月)

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何がジェーンに起こったか?


1962
 傑作。ベティ・デイビスの鬼気迫る演技がみもの。町山智浩『トラウマ映画館』(集英社,2010)の紹介を引用する。
 “シャーリー・テンプルをモデルにしたサイレント映画時代の人気子役ジェーン(ベティ・ディヴィス)が成人すると、演技力の無さから映画界から見捨てられ、代わりに彼女の妹ブランチ(ジョーン・クロフォード)が才能を認められて大スターになる。嫉妬したジェーンは妹を自動車で轢き殺そうとする。ブランチは命を取り留めたが下半身不随となり、芸能界を引退するはめに。それから数十年後、老いた二人は暗い屋敷でひっそり暮らしているが、ジェーンの狂気は進行し、歩けないブランチを二階に閉じ込めて餓死させようとする・・・・。”

 “当時忘れられかけていたベテラン女優が老醜をさらし、しかも現実にライバルだった二人が殺し合う虚実皮膜だった。これでカムバックしたジョーン・クロフォードはすぐにサイコ・ホラー『血だらけの惨劇』(1963)に主演。こちらもヒット。そして、クロフォード主演のサイコ・ホラー第三弾として企画されたのが『不意打ち』だった。しかし、クロフォードは「屋敷に閉じ込められる役はもう沢山」と断った。”

 “『愛と憎しみの伝説 Mommie Dearest』(1981)にアメリカは震撼した。ハリウッド・スター、ジョーン・クロフォードによる児童虐待の実態がこれでもかこれでもかと描かれていたからだ。”


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ソドムとゴモラ


1962

 ソドムとゴモラは、共にパレスチナのシデムの谷にあったと云われる都市の名で、アブラハム時代にはソドム王の都であったが、淫乱の罪に満ちた町となったため、天罰として火とイオウの雨で滅ぼされたという。
 この映画は、こうした聖書の物語に材を取って、イタリアのチタヌス、アメリカのアルドリッチ・プロ合作で製作した壮大なスペクタクルである。
 エホバの神を信仰するヘブライ人が、このソドムとゴモラの付近に移住してきたことから物語は始まり、外敵の襲撃、ソドムの過酷な政治の下での苦難を経て、再びその力の脱出までを描いている。特に砂漠の蛮族ヘラム族の襲撃を、石油の炎とダムの洪水で撃退するシーン、及び最後のソドム崩壊の場面で見せるスペクタクルで稀にみる迫力とスケッチに満ちている。(未見)

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ガンファイター


1961
 撮影監督がアルドリッチのいつものスタッフのバイロックでなく、 『ヴェラクルス』『アパッチ』を撮ったアーネスト・ラズロ。音楽もデ・ヴォールでなく、アーネスト・ゴールド。 脚本は赤狩りでハリウッドを追われていたダルトン・トランボで、かなり変な話である。原題は「Last Sunset (最後の日没)」。決闘は朝、行われるので奇妙な題名である。原作が『クレイジー・ホースの日没』だったのを引きずったのであろう。 DVDの解説(セルジオ石熊)によると、“カーク・ダグラスによれば、ユニヴァーサルは『引き金で語れ』『銃こそ俺の命』『俺のミドルネームは死』など、 いかにもB級西部劇的な題名を次々と提案してきたが、必死で対抗し、なんとか納得できる形で『最後の日没』に収まったのだという。 おかげで映画が公開されたのは完成から1年たってからだった”。

 赤狩りの影響でヨーロッパに“亡命”していたアルドリッチがユニヴァーサルに呼び戻されて、『ヴェラクルス』の二番煎じを作れと要請されて撮り上げた作品。『スパルタカス』(1960)の後でカーク・ダグラスが自分のプロダクションで制作した大作西部劇である。

 保安官ストリブリング(ロック・ハドソン)がメキシコまで追いかけて行ったお尋ね者のオマリー(カーク・ダグラス)と一緒に、酔いどれの牧場主ブリッケンリッジ(ジョセフ・コットン)の牛を連れてテキサスまで移動する羽目になる。オマリーはブリッケンリッジの肉感的な妻ベル(ドロシー・マローン)と訳ありで、1000頭もの牛を無事運び終えたらあんたの女房をもらうなどと奇妙な約束をしている。娘のメリッサ(キャロル・リンリー)は16歳、男っぽい(ワルっぽい)オマリーに魅かれ始めている。これは相当、ねじれた話になりそうだという予感がしますが・・・。
 オマリーは射程距離の短いディリンジャーを持ち、口笛を吹く癖がある。しかし、この銃のことも口笛も途中で無くなり、話にまったくからんでこないまま終わる。あれれ?オマリーの持つ銃は最後までディリンジャーだが。
 途中の町の酒場で南北戦争の南軍の将軍に祝杯をあげたブリッケンリッジは言いがかりをつけられる、お前は逃げたと。負傷していたんだ。証拠の尻を見せろ、ズボンを下せ。ベルトを外したところへ、オマリーら二人がやって来て止める。帰ろうとした三人を後ろから撃ったカウボーイを二人は倒す。ブリッケンリッジを埋葬する。早々とジョゼフ・コットンが消えてしまった。
 オマリーが撃ったジミーはストリブリングの妹の夫だった。オマリーは、ジミーは食って寝るだけのろくでなしで、お前の妹は誰とでも寝る女だったと侮辱して二人は殴り合いになる。ベルがウィンチェスター銃で止める。妹はジミーの死後、首を吊ったという。
 ならず者三人(ジャック・イーラムら)が旦那に雇われたと言って来る。彼らは女を狙っている。黄色のドレスを着た少女を忘れられないオマリーはベルに思いを打ち明ける。夜中に起こった牛の大群の間のセント・エルモの灯が美しい。翌朝、古い教会跡で、ベルはストリブリングに思いを打ち明けられる。
 先住民がしかけてくる。オマリーが一人を撃つ。ストリブリングが牛の5分の1を渡すことで和解。5分の1はオマリーの取り分だった。
 嵐が来る。途中で流砂に呑まれるストリブリング。いったんは見捨てようとするが、戻ってロープを投げるオマリー。機会到来とばかりにならず者たちは女を奪おうとする。馬車を奪われそうになって、ベルは男を撃ち殺す。馬は暴走、ストリブリングが乗り移って止める。オマリーは拉致されかかるメリッサを助ける。雨の中、馬車のなかで抱き合うベルら二人を見つめるオマリー。
 目的地を目前にして国境で野営した晩、黄色い母のドレスを着たメリッサ。靴が無いので裸足だった。カーク・ダグラスが踊りながら愛の歌“黄色いドレスの可愛い娘”(ディミトリ・ティオムキン作曲)を歌う。メリッサは国境を超えずにメキシコに残るとオマリーに告白。オマリーは躊躇するがメリッサの真剣さに打たれる。
 川を超えて牛たちが国境を超える。二人の決着は落日どきにつけようと決まる。ベルはオマリーを忘れてくれと頼むが、ストリブリングは憎んでもいないが許すわけにもいかないと態度を保留。ベルはオマリーに娘とは年が離れすぎていると言うが、オマリーは愛していると言う。ベルは「あなたの娘なの」と衝撃の告白、オマリーは「嘘だ」とベルを殴る。そのあとで、オマリーはメリッサを見つめる。永遠にあなたを愛するわというメリッサに、オマリーは俺に注いだ愛を他の人に注げと忠告する。落日だ。
 翌朝、それぞれが決闘の場所に歩く。ベルが駆け付けるが・・・銃声。オマリーの銃は空だった。こと切れたオマリーの傍に駆け付けたメリッサにフランク(ネヴィル・ブランド)がオマリーに頼まれたという紙袋を渡す。中には約束のプリムローズが入っていた。昔、黄色のドレスを着たベルが付けていたコサージュがプリムローズだったのだ。嫉妬に狂ったオマリーがむしりとったといういわくつきの花であった。

 カーク・ダグラスの黒づくめの衣裳といい、決闘場面の決着といい、まさに『ヴェラクルス』の二番煎じでした。彼はアルドリッチに“次々に注文をつけた。アルドリッチは『ガン・ファイター』について、「最高に不愉快な経験だった。最悪に始まり、最悪に終わった」と語っている。彼によれば、ダグラスは画面によく映ろうと注文ばかりつけ、一方でロック・ハドソンは演出に忠実な上にまじめな努力家だったという”。砂嵐やほこりで顔をスカーフで半分隠したり、猛然たる砂ほこりでほとんど人が見えないシーンが結構多いが、これはアルドリッチの抵抗かもしれません。それにカーク・ダグラスの激しい乗馬シーンや犬を絞めつけたりするシーンはすべてスタントマンが演じています。カットを変えて撮影していますが見え見え。当然といえば当然でしょうが。
 赤狩りの最中に非米活動委員会の主任調査官はロバート・ストリリング。ロック・ハドソンの演ずるかたくなに逮捕状を守るストリリングと一字違い。ずいぶん長い名前だが映画ではいちいち、ちゃんと名前が呼ばれる。そのたびに心ある人々はイヤな思いを甦らせただろう。メキシコへ逃げたオマリーは、実際に赤狩りでメキシコに隠れたトランボらの象徴。
 このたび発売されたDVDには日本公開時の縮小版パンフレットが付いています。
(2009年9月4日記)

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(TVシリーズ,楽園での冒険)  (未見)
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地獄へ秒読み


1959
 日本未公開で、未見でしたが、WOWOWの2009年12月のアルドリッチ特集で放映されました。セブンアーツ・インターナショナル製作、ユナイテッド・アーティスト配給。
 ジェフ・チャンドラー、ジャック・パランス、マルティーヌ・キャロル主演「地獄へ秒読み」。ミー・グッドウィン、リチャード・ワティス(少佐役)。原作「Phoenix」はローレンス・P・バックマン、脚色ロバート・アルドリッチとテディ・シャーマン、撮影アーネスト・ラズロ、音楽ムーア・マチソン、ケネス・V・ジョーンズ、リチャード・ファレル、製作マイケル・カレラス、監督ロバート・アルドリッチ。字幕・森本務。
 戦闘機が大量の爆弾を落す。ナレーションが大戦中大量の爆弾が各都市に落とされ、不発弾処理が必要だったと解説、ベルリンの連合国側地区に復員して来た主人公六人が紹介される。若く純粋なハンス・グロブキ(ジェイムズ・グッドウィン)、笑いが好きなティリップ(ディヴ・ウィロック)、妻子があるウォルフガング・スルキ(ウェスリー・アデイ)、生命を慈しむフランツ・レフラー(ロバート・コーンスウェイト)、生き延びることを目標にしていて他人を欺くことも厭わない大男ワーツ(ジェフ・チャンドラー)、もう一人の長身の男で正義感の強い情熱と優しさを求めるコートナー(ジャック・パランス)。彼らはみなナチスににらまれて爆弾処理に回された男たちだった。
 ヘイヴン少佐(リチャード・ワティス)が通常の2倍の賃金を確約してくれたので、みんなは大喜びするが、エリック・コートナーは浮かない顔だ。爆弾処理でふッ飛ぶ危険があるという。半年前には10人いたのがいまや6人だ。ワーツが誰が生き延びるか賭けをしようと提案、給料の半分を賭けに回して生き残った者で分けようと言う。スルキは人の命を賭けるなんてと消極的だが、結局結束のためにみんなが賭けに参加する。処理の順番はアルファベットの逆順。そして期間は三ケ月だ。
 爆弾処理班にバウアー夫人(ヴァージニア・ベイカー)が派遣されてくる。班長選出でみんなはコートナーを推すが、カール・ワーツは民主主義で行こうと立候補。挙手でワーツにはワーツ自身とコートナーの2票、他はコートナーで、班長が決まる。コートナーは助手をワーツに指名する。
 コートナーが下宿先の部屋に行くと、女の声がする。この家の大家マーゴ・フラウンホーファー夫人(マルテイーヌ・キャロル)だ。彼女は先に来たワーツと話していた。良い部屋をワーツが取ったという。ワーツの部屋はマーゴの部屋に続いているが、通り道でもある。コートナーは自分の部屋に文句は言わない。ワーツはマーゴ夫人となにか取り決めをしたらしい。聞いてみると、臨時配給物を分けるという話だった。闇市で売るのだ。
 仕事が始まり、6週間で36発を処理した。あるとき、グロブキが信管を外した後で爆発した爆弾があった。巻き添えをくったグロブキは死んだ。
 コートナーは少佐に英国製1000ポンド爆弾の信管に関する情報を依頼する。賭けの契約を考え直そうとコートナーは提案するが、みなは続行するという。
 英国製2000ポンド爆弾の信管を外す作業。ロープで引っ張るが途中で引っ掛かり、最終処理は手で外す羽目になる。しかし、爆発はしなかった。ほっとするコートナー。
 部屋で休んでいると隣りに帰宅したカールとマーゴの声がする。カールが言い寄っている。マーゴが断っている。コートナーはマーゴの部屋に入り、カールを帰す。
 マーゴと言い争う形になったコートナー。マーゴはフランス人、夫はアフリカ戦線に送られ、帰って来ない。戦時中は仏人は敵だった。私を分って欲しい、気遣って欲しいのだ、欲するものから目をそむけるなと彼女は言うが、コートナーは「欲しいものなんか無い」と答える。
 第3爆弾処理班に電話が入る。バウアー夫人が電話を取る。ティリッグが爆弾の下敷きになったのだ。急いで現場に駆けつけるコートナーとワーツ。処理中に建物の壁が崩れたのだ。二人が現場に入るとティリッグは爆弾の下敷きになっていた。信管をなんとか外して医師(チャールズ・ノルテ)を呼ぶ。医師が気付を注射している間にコートナーは滑車作業員を呼びに出た。ワーツもついてきた。「なんでお前がついてくるんだ」「暗いところが怖いのさ」。滑車作業員が入ろうとしたとき、建物が崩壊して再びティリッグと医師は生き埋めになってしまう。
 マーゴの部屋に来るコートナー。「一人じゃ耐えられない」と。酔ったカールも帰って来た。彼はワインを置いていく。
 マーゴを連れて瓦礫の跡に来るコートナー。俺にとってここは秘密の場所だと話すコートナー。マーゴは「大切なのは未来よ」と言う。コートナーは「未来に期待しすぎるな、未来は不確かだ」。しかし、「俺は君を愛している」。マーゴ「私は不確かな未来を受け入れるわ」。コートナー「誇り高く死にたい。人生の望みは君が必要だってことだ」。その場所には「1939 建築設計 エリック・コートナー」と石碑があった。
 少佐に英国製1000ポンド爆弾の情報を確認するコートナー。少佐がコートナーを「ドクター」と呼ぶので、ワーツは驚く。こんな危険な仕事は辞めるべきだなと皮肉まじりに言う。しかし、コートナーは辞めようとはしなかった。
 誰かが、爆弾を処理している。無事、信管を抜いたと思った途端に爆発した。
 レフラーの部屋にエリックがやって来る。「自前の動物園か」と冗談を言うエリック。二人はスルキの処理していたのがやはり英国製1000ポンド爆弾だったと話す。ワーツに賭けを止めようと提案しようと相談する。掛け金はスルキの妻子に送るという提案なら彼も受け入れるだろうというのだ。ルース・スルキ役はナンシー・リーだがどこに出演しているの分らなかった。
 三人で話し合うがワーツは乗って来ない。なにを望む?「俺の死か?」。ワーツ「俺の生き残りだ」と。釣りに叔父と行ったときの話を彼はする。「伝染病が流行して一人分しかクスリがないとしたら、誰を救うと聞かれて、叔父さんをと答えたら、ほおを殴られた。叔父は自分のことを第一に考えろというのだ。戦争中、空襲で防空壕に避難したとき、一人分しか空いていなかった。叔父の間で俺はドアを閉めたよ、叔父は死んだが、俺を誇りに思っただろう」。コートナーは「初めて(お前は)死ねと思った。自分勝手な哲学なんかクソくらえだ」と怒る。
 処理班に連絡が入る。レフラーの番だ。水路の爆弾処理は難しい。コートナーは一緒に行くというが、レフラーは断る。別の処理が入り、コ−トナーは自分の処理が終ったら手伝うと約束する。しかし・・・・水路に落ちた爆弾を処理しようと潜ったレフラーは酸欠で死んでしまった。
 レフラーが遺した小犬のペペを抱いて、コートナーは「この仕事は辞められない。これはカールとの戦いだった」とマーゴに話す。
 事務所にワーツの運転手から電話が入る。例の1000ポンド爆弾だ。バウアー夫人からは「処理を急いではダメ」と忠告を受ける。急いで現場にかけつけるコートナー。
 崩れたビル。子供が発見したという爆弾だった。コートナーは信管が二重になっていて主信管だけでなく副信管を外す必要があると見なす。ワーツの担当だがロープが途中で引っ掛かり、手で外そうとしたワーツは助けを呼んだ。壁の傍で退避していたコートナーは駆けつける。ゆるんだ撃針を指で押さえているワーツに鉛筆を貸し、この処理は一人では無理だったんだ。小形レンチを持って来いとワーツに指示を出し、代わりに撃針をおさえているコートナー。小形レンチを取りに戻ったワーツは離れたところから、ロープを引っ張り始めた。驚いてロープを止めるコートナー。コートナーはワーツのとことに歩み寄り、彼を殴りつける。ワーツは「俺の担当の爆弾だったな」とつぶやき、爆弾の傍に戻る。後を振り返らず現場を去るコートナーの背中で、爆発が起こる。
 ナレーターが「6人を忘れてはならない」、コートナーは生き延びた、彼らは危険な廃屋を、平和な土地に変えたと解説する。 

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怒りの丘


1959
 (未見)

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ガーメント・ジャングル


1957
 日本未公開。WOWOWの2009年12月のアルドリッチ特集で放映されました。12月18日。コロムビア映画。製作・脚色・脚本ハリー・クライナー、原作レスター・ヴェリー、監督ロバート・アルドリッチ&ヴィンセント・シャーマン(アルドリッチの名前はクレジットに出ていない)。衣装ジーン・ルイス、音楽リース・スティーヴンス、撮影ジョセフ・バイロック。字幕・島田由美子。88分。

 もともとアルドリッチで撮影が開始されたが、映画の内容に恐れをなした映画会社が、撮影終了直前にカゼで一日撮影を休んだアルドリッチを降ろしてシャーマンと交代させた。シャーマンは8日間でいくつかの場面を撮り直し、独自の場面を付け加え、映画の批判的調子がトーンダウンしたという。まるで日本の仁侠映画のような展開をする。

 ニューヨークのガーメント地区は衣料業界のほとんどが集まっていた。その裏側には暗黒街が広がっていた。
 ロクストン社の社長ウォルター・ミッチェル(リー・J・コッブ)は共同経営者のフレッド・ケナー(ロバート・エルンスタイン)と組合のことで言い争っていた。その後、乗ったエレベーターが落下してケナーは死んでしまう。ケナーを相棒として信頼していたウォルターは心を痛める。帰国した息子のアラン(Kerwin Mathews カーウィン・マシューズ)は、父親の手伝いを申し出るが、父親はこの業界は多忙すぎると懸念を表明する。バイヤーで父の恋人のリー・ハケット夫人(Valerie French ヴァェレリー・フレンチ)が尋ねて来る。彼女からケナー夫人が殺人だといいたてていると聞いてウォルターは驚く。アランも心配になるが多忙な父親はまともに相手をしない。「大事なときはいつもカヤの外だ」とアランは不満。
 翌日、父は息子に「一番上の者は最初に出社し、最後に帰るもんだ」と仕事の哲学を説く。職場長トニー(ハロルド・J・ストーン)がアランを案内する。モデルたちが平気で服を脱いでいる楽屋を通って縫製の作業場を見学。女子の労働者が新作の衣類の縫製に手間がかかる、賃金を上げてくれと抗議するが、トニーは取り合わない。
 ILG(国際婦人服労働組合)のオルグ、トゥーリオ・レナタ(Robert Loggia ロバート・ロジア)が組合潰しやケナーの死を非難する。
 ウォルターは社内の潰し屋ラベジ(Richard Boone  リチャード・ブーン)に聞くが、ラベジはケナー事件の関与を否定する。しかし、ラベジの傍にはエレベーター事故のときエレベーターを操作していたポール(Wesley Addy ウェスリー・アディ)がいた。
 父親からまともな答えを聞けないアランはトゥーリオのいるところを尋ねる。酒場でトゥーリオの妻テレサ(Gia Scala ジア・スカラ)に会う。妻は夫の身を案じているが、トウーリオは理想のためならと意に介さない。
 トゥーリオは組合の秘密集会に出るがそこにポールら潰し屋が乱入し、活動家を徹底的にいたぶる。だれか内通者がいるのだ。
 翌日、アランは殴られたトゥーリオを父親に会わせ、潰し屋を使った妨害工作を止めさせようとする。ウォルターは会社を守るだけで、人は傷つけないと主張するが、トゥーリオはラベジを必要なら人の頭も割るそうだと信用していない。「必ず組合を作る」と主張して帰る。アランが組合よりの発言をするので、ラベジは「この坊ちゃんはデカい口を聞く」と脅す。トゥーリオは会社前でピケを張り、材料を搬送するトラックを入れない予定だ。
 夜になって、ピケを張っているオルグたちの所に、アランが来る。そしてテレサと赤ん坊もタクシーでやって来る。トゥーリオは危険だと説得して、テレサを送ってくれとアランに依頼する。アランはテレサを送るが、途中でテレサは車を降り、バーに入る。壁に著名なボクサーの写真が貼ってあるバーだ。ビールを頼む。二人は色々と話し合う。父親との関係で悩むアランに、テレサは「親子より善悪が大切」と答える。
 一方、ピケを張っているトゥーリオたちの許にトラックが来る。荷台から降りて来たのはポールたち。突然、組合のオルグたち、アルフレディ、ラッツオ、ミラーが豹変してトゥーリオを壁に押し付け、手足を押さえて、動きを封じる。ポールが腹を刺す。コバーン(ジョセフ・ワイズマン)は、つまづいて倒れ、遅れて襲撃に加わらなかった。そして恐ろしさに身をすくませる。襲撃者たちは、トゥーリオをその場に放置して去る。コバーンも隠れながら逃走。やや離れた後で裏切りの襲撃者たちはトゥーリオがやられたと騒ぐ。
 新聞に「ピケラインでオルグ殺害」の記事が出る。公式見解はトラック運転手にトゥーリオが刃物を持って向ったため正当防衛だったと言う。目撃者はいない。
 工場の作業員が突然、作業を止めて外に出る。トゥーリオの葬儀だ。葬儀はニューヨーク史上に残る大規模なものとなった。
 テレサは思い出が多すぎると家を引き払い、義母(Celia Lovsky セリア・ロヴスキー)のアパートに移る決心をし、アランもそれに付き添う。アパートの4階のトゥーリオの母の部屋に付いた時、コバーンがやって来て、真相を告白する。テレサはトゥーリオを助けなかったコバーンを責める。
 新聞は「レナタ殺害に組合員が関与」を大きく報道する。大陪審は不起訴の決定をする。コバーンが証言を取消したためだ。家族を脅されたのである。
 アランはラベジが裏にいる、父親も同罪だと父親を責める。リーがとりなす。アランは作業所にレナタ殺害に関与した三人が働いているのを知り、激怒、三人を追い出す。三人はラベジのもとに行き抗議する。三人は組合に追い出されたのだが、面倒を見る約束をラベジはしていたのだ。ラベジは社長を責める。「力がすべてだ。(社長は)金もうけに没頭していた。組合よりももっと厄介なことがある。あんたの息子だ」と。
 事情を理解したウォルターは「(ラベジのやりかたは)知っておくべきだったが、目を背けていた」と反省。アランの方針を肯定する。ラベジは「三人を戻して息子を追い出せ」と主張、社長「(おまえとは)手を切る。まだ私の会社だ」、ラベジ「遊びたいなら、俺のやりかたでやるぞ」。
 アランに父親はラベジと手を切ったことを告げ、ラベジに売上金をかなり渡していたことを証明する帳簿を地方検事に渡す、自分も共犯になるがと話す。「やり直そう。組合も認めよう。これまでは仕事に自分を隠していた。これから変わるぞ。私にもチャンスをくれ」と父。リーを食事に誘い、プロポーズする。30分後に会おう。リー「まだ仕事なの」、父「たかが仕事だ only business」、リー「たかが?」。仕事一筋だったウォルターの変化を喜ぶ。アランはテレサを誘う。別室でテレサに電話をしていると銃声が響く。父が狙撃され、既に事切れていた。
 新聞記事には「会社社長殺さる、犯人につながる証拠を息子が持つ」と出る。
 ウォルターの葬儀の後、テレサ、リーと話したアランは帳簿がどこにあるのか、分らないと告白、リーが「私が持っている」と言い、アランに届けさせると言う。アランはテレサを家へ送る。
 アパートの前でテレサは子供のいない乳母車をみて、子供マリアがさらわれたと思う。4階に駆け上がると、子供は義母の腕に抱かれていた。リーにはこれ以上関わるな、顔に傷がつく、見張っているぞと脅迫電話が入っていた。
 アパートはポールたちに見張られていて、動きが取れない。一夜明けて牛乳屋が牛乳の配達、テレサの部屋にも牛乳屋が来る。「牛乳は頼んでいないわ」。扉を開けてみると紙にくるまれた帳簿が置いてあった。
 アランは外へ出てポールたちに捕われる。その間にテレサは帳簿を検事に届ける。テレサは窓から屋上へ出て屋根づたいに追っ手をまいた。
 ラベジのもとに連れていかれたアラン。ラベジは社長の椅子に坐り、50%を自分の取り分としてよこせと要求する。証拠の帳簿のありかを吐かせようと、アランを殴る。
 危機一髪のところで、テレサと一緒に警官隊がやって来る。ラベジ一味は逮捕される。
 その後、ラベジ一味は起訴され、殺人罪で告発される。
 アランは衣料会社の建て直しに取り組む。テレサやリーと一緒に。他の出演者(クレジットされる)は、オックス(Adam Williams)、デイヴ・ブロンソン(Willis Bouchey)。
 ほとんど撮影は終了していたらしく、アルドリッチ色が強い。完成作品はハッピー・エンドになっているが、もとの作品ではリーやテレサが被害に会い、アランも傷つく展開だったのかもしれない。リー・J・コッブともアルドリッチは対立していたというから、ウォルターの急激な改心もシャーマンのものだったのだろう。

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攻撃


1956
 アルドリッチ製作・監督の名作で、TVでニ度見たことがあります。20世紀フォックス・ホーム・エンタテインメントのMGMスタジオ・クラシックスのDVDで、2009年7月に発売されました。白黒映画。
 この作品が公開されたのはハリウッドに赤狩りが吹き荒れていた1956年で、反軍隊的作品として上映禁止となった。

 原作は実話をもとにした、ノーマン・ブルックスの舞台劇、脚本ジェームズ・ポー。撮影はジョゼフ・バイロック、音楽はフランク・デ・ヴォール。
  1944年のヨーロッパ戦線、アーヘンのトーチカを攻撃する分隊を援護せず見殺しにするクーニー大尉(エディ・アルバート)と無線で援軍を呼びかけるジョー・コスタ中尉(ジャック・パランス)。タイトル前の冒頭でストーリーの骨格が明らかになる。後はもう目が離せない。
 歩兵隊の中隊長クーニーの父親は判事で実力者、父親を喜ばせるために隊長に任命されたのだ。ハリー・ウッドラフ中尉(ウィリアム・スミザース)はクライド大佐(リー・マーヴィン)に話してクーニーを前線から外そうとするが、ジョーはクーニーと大佐は同郷のひとつ穴の仲間、無理だと判断する。大佐とポーカーをしながら突撃で優秀な同僚を失ったことを批判するコスタ。怒るクーニー。仲裁する大佐。ジョーやクーニーが席を外したところで、クーニーを変える提案をするハリーに大佐は中尉をはめこむ場所がない、そして今後、戦闘は起こらないと断言する。戦争も終わりに近い時期だ。
 ハリーはジョーに大佐との会話を伝えるがジョーは悲観的。ジョーの見方を裏付けるように前線が突破されて出動命令が出る。
 クーニー大尉はラネル占拠のため、村はずれの掘っ立て小屋を占拠し拠点にするという計画。もし敵兵がいたら援護するというが、口先だけの可能性がある。ジョーはクーニーに部下をお前のせいで失ったら、お前を生きては返さないと告げる。
 実際にジョーたちが突撃してみると町はドイ兵が隠れていて、機銃掃射で次々に撃たれてしまう。小屋にたどりついたのは、ジョーと古参のトリヴァー軍曹(バディ・イブセン)、若いリックス、冗談が絶えないバーンスタイン上等兵(ロバート・ストラウス)、スノーデン上等兵(リチャード・ジェッケル)のたった五人だった。無線で援軍を頼むが、クーニーは敵中に軍を投入することを認めない。
 地下室に隠れていたドイツ軍大尉を外に出すとドイツ兵の機銃掃射を浴びた。戦車も出動してきた。
 ジョーは撤退を決意する。ハリーに砲兵隊の援軍を依頼する。砲兵隊が砲撃するなか、次々に飛び出す兵士たち。しかし、リックスは胸を撃たれた。ジョーは最後に飛び出し、途中までリックスをおぶって運ぶが、リックスは死ぬ。
 中隊では、大佐は大尉に中隊が来るまで、1、2時間前線を死守しろと命ずる。ハリーは大尉の態度を非難するが、大尉は自分は軍隊になんか来たくなかった、父親が怖いんだ、殴られて男になれと言われたが無理だ、俺は臆病なんだと嘆く。
 死んだと思われていたジョーが戻って来た。ジョーは大尉に復讐しようとするが、ハリーは彼を止める、やつは普通の状態じゃないんだと。争う二人のもとへ、敵が攻めてきて、戦車がトリヴァーのたてこもった家を攻撃していると伝令が伝えられる。ジョーは戻って来ると言い置いて、仲間を救出に行く。ジョーは対戦車砲で戦車を一台撃退するが、二台めを撃とうとしたとき、引き金を引いても弾が出ず、戦車に腕を轢かれる。
 建物にたてこもったトリヴァーやスノーデン、足を負傷したバーンスタイン、無線兵のジャクソンらは絶対絶命。ハリー中尉やクーニー大尉も飛び込んでくる。大尉は降伏しようと出ていこうとする。そこへ入り口から入って来たのは腕をなくしたジョーだった。ジョーは最後の力をふりしぼって大尉を撃とうするが果たせず息絶える。SS(親衛隊)は負傷兵を殺すという忠告にもかかわらず、外へ出ようとする大尉を撃ったのは中尉だった。トリヴァー軍曹に犯人は俺だと証言してくれと頼むハリーに、トリヴァーは黙って大尉の体に弾を撃ち込む。他の面々も撃ち、トリヴァーはこれじゃ誰が犯人かわからない、大尉はドイツ兵に撃たれたんだと言い張る。
 援軍が到着して、地下室に大佐がやって来る。大佐は事態をのみこみ、ハリーを新しい隊長に任命し、大尉に昇格を約束、その代わりに真相を大将へのハリーの直訴をけん制する。ハリーは迷う。大佐は大尉に名誉の戦死で勲章をやろうと提案。しかし、ハリーは納得しない。大佐はハリーに賢くなれと忠告する。
 ジョーとクーニーの死体を前にハリーはジョーに教えられたと、大将へ通信するのだった。
 108分。(2009年9月3日)

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枯 葉

1956


 WOWOWにて反骨の映画監督アルドリッチ特集で日本初公開。2009年12月14日(月)。字幕・渡邉孝子。106分。
 「枯葉」は有名なシャンソンで、この映画ではタイトルバックでナット・キング・コールが歌っている。配給はコロンビア映画。

 主演はジョーン・クロフォード。父親の介護などで婚期を遅らせてしまった有能な美人タイピスト、ミリセント・ウェザビーで、自分に接近してくる男性に警戒感を持っている。隣りに住む大家のリズ(ルース・ドネリー)が気の許せる話し相手。
 ある日、中年作家から貰ったコンサート(ピアノはショパンの「別れの曲」)の帰り道、たまたま立ち寄った食堂で強引とも思えるアプローチをしてきたバート・ハンソン(クリフ・ロバートソン)に心を動かされる。彼女の持っていたバッグのイニシャル「MW」は反対にしてもMWだ。バートは連日会いに来るが、ミリーは「もう来ないで」と断る。「寂しさからの付き合いは長続きしない。年上の女でなく、同世代の女性と付き合いなさい」と。「枯葉」のメロディーが切ない。
 一ヶ月がたった。仕事に夢中のミリーだったが、バートを忘れられない。買い物から帰宅すると家から「枯葉」の音楽が聞えてくる。バートが来ていた。デパートに勤めて主任になった、お祝いしたい、君は特別なひとだ。バートはミリーに、君を愛しているんだ、僕に人生を賭けてくれないか(take a chance)と求愛する。私は年上よと断っていたミリーもとうとう折れて、彼の求愛を受け入れる。翌日、二人はメキシコで結婚式をあげた。情熱的な一夜があけ、翌朝、ミリーはバートが「シカゴ出身だ」と言う言葉が気になる。さらに兵役の経験も。以前に彼から聞いていたことと違うのだ。
 その日にバートを尋ねて来た若い女バージニア(ヴェラ・マイルズ)は、バートの妻で最近、離婚したばかりだと話す。バートに父親に財産分与の権利を譲渡するという書類にサインを求めに来たのだ。バートは万引きの過去があり、虚言癖があると言う。
 映画の観客はやはりバートは結婚詐欺師まがいの男だったのかと思うが・・・。
 ホテルに宿泊しているというバートの父親(ローン・グリーン)にミリーは会いに行く。父親もやはりバートのことをよく言わない。いったいいつから彼がウソをつくようになったのかと、ミリーは尋ねるが、それには直接答えず、「My son is no good(息子はダメなやつだ)」。だが、君なら息子を助けてくれるかもしれない」と言う。失意のミリーが去ると、隠れていたバージニアが現れて、父親に抱きつく。「あの二人の問題はわたしたちには無関係」とバージニア。バートの妻と父親の間には肉体関係があったのだ。展開は二転三転する!
 バートは買い物をしてご機嫌で帰宅。しかし、ミリーはきびしくバートのウソを追求する。デパートの主任もウソだった、ただの販売係だ、ミリーへのプレゼントも買えるはずがない、店からくすねてきたものだ、と。ミリーはバートに父親に会うように説得するが、バートは父親には会いたくないと言う。過去の結婚についても、バージニアにプレゼントを買って家の階段を上がっていったところまでは覚えているが、その後どうしたのかが分らないと、バートは言う。バージニアと父親の関係を知らないミリーは、そんなバートの言葉を虚言だと思う。映画の観客には、バートが自分の妻が父と不倫を犯していたのを目撃してしまい、錯乱したことを推測できるのだが・・・。ミリーの怒りをなだめようと、バートは君が望むなら父親に会いにいくよと約束する。
 翌日、ホテルに先に着いたミリーは、プールから出て来る父親がバージニアといちゃいちゃしているの目撃する。しまった、バートと父親を会わせてはいけなかったんだと、聡明な彼女はすべてを理解する。既にフロントをバートは通ってしまった。父親がいるという406号室に、エレベーターではなく、階段を駆け上がってたどりつくミリー。部屋の前で立ちすくむバートを、ミリーは抱えるようにして下りる。「見てしまったのね、(二人を)」。バートはミリーに「僕を家に連れて帰ってくれ」と弱弱しい。ミリーには声も無い。
 精神錯乱したバートは家に閉じこもりっきり。「外の空気を吸いに行こう」とミリーが誘ったところへ、バージニアが父親とやって来るのが見える。ミリーはバートを家に残し、家の外の二人を非難します。父親には大罪を犯している、バージニアにはアバズレと。父親はあいつは情緒不安定(motionaly upset)だ、治療が必要なんだ、書類にサインしないのなら法律に訴える、と。
 激しいののしり合いで、家に戻ったミリー。バートが家の窓から三人を目撃していた。バートは、あろうことか、ミリーもグルだったんだと誤解してしまう。財産は母親のものだ、あいつらには渡さない、おまえにも絶対に、この裏切り女めと、ミリーを殴り、タイプライターを投げつけ、大事なミリーの掌をつぶしてしまいます。しかし、その瞬間、バートは我にかえって、ミリーに謝罪し始めます。しかし、バートの壊れた精神はもとに戻りません。
 ミリーはサングラスで顔にできたアザとバートが恐れる目を隠し、掌を治療する。家に閉じこもったバートはまるで傷ついた子供のようです。妻と父の不倫現場を思い出して泣くこともしばしば。掌を治療してくれる医師に精神科医を紹介されたミリーは一大決心をして精神科医に相談。医師はバートを幼稚症と統合失調症で、入院治療を薦める。しかし、彼の神経症が治ったあかつきには、ミリーは不要になるかもしれない。それでも、医師はこのままでは二人とも破滅する、治療に賭けてバートの回復で愛を失うか、ふたつにひとつだと答えます。悩んだミリーは、入院に賭けます。
 治療のために病院職員に無理やり連れられていくバートは、ミリーに恨みの捨てゼリフ。半年後、電気ショックや薬物治療を受けたバートの退院の知らせがミリーに来ます。意を決して病院のバートのもとを訪れるミリー。
 一挙に謝罪の言葉を述べ、別れを告げる彼女に、バートは自分が傷つけた手の具合はどうかと尋ねるのでした。バートの愛は失われていなかったのです。

 ジョーン・クロフォードが熱演。この後、『女の香り』『甘い抱擁』『ふるえて眠れ』『何がジェーンに起こったか』と中年女性の愛憎映画に女優みんなが喜んで出演したことが、よく理解できます。それほどこの映画のクロフォードは見事です。しかし、日本未公開も無理がないですね。TVの『ボナンザ』の父親役で大人気だったローン・グリーンと天下の美女ヴェラ・マイルズが許されない不倫関係なんですから。

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ビッグ・ナイフ,
あるいは 悪徳

1955
 以下はAmazon.co.jpの解説でよく出来ている.2010年6月26日DVDが発売される。
The big knife+++++++++++++
 ロバート・オルドリッチ監督初期を代表する傑作。
 巨大な映画産業のシステムを暴く、シニカルなハリウッド裏幕サスペンス!
 チャーリー・キャスル(ジャック・パランス)は、ここ7年間ハリウッドのスター俳優だが、かつて芸術的野心を抱いていたにもかかわらず通俗的な映画にしか出られないことに不満を持ち、撮影所との次の7年契約を打ち切ろうとしている。彼はここ2年の間に3度、妻マリオン(アイダ・ルピノ)と別居している。マリオンはチャーリーが長期契約に応じないよう強く望んでいるが、作家でチャーリーの友人でもあるハンク(ウェズリー・アディ)に求婚されている。ハンクは近々ニューヨークに戻る予定だ。チャーリーは家族と自分の理想のため、契約を断わる決意を固めたが、自己中心的で横暴で卑劣な撮影所社長のスタンリー・ホフ(ロッド・スタイガー)に押し切られ、契約書に署名するはめに……。
 『ビッグ・ナイフ』(1955)は後年カルト映画となった『キッスで殺せ』(1955)に続き、ロバート・オルドリッチ(1918-83)が自ら製作・監督を兼ねた、1950年代のオルドリッチ初期を代表する反体制・社会派フィルム・ノワールである。腐敗したハリウッドの暗部の内部告発を主題としたハリウッド映画という点が当時としてはきわめて異色だが、1955年ヴェネツィア映画祭で銀獅子賞を受賞し、とりわけフランスで評価が高く、オルドリッチの代表作として知られる。しかし、よくも悪くも通俗娯楽映画のイメージから逸脱した左翼演劇的スタイルのため、日本では公開が見送られ、1990年代にWOWOWで『悪徳』の邦題で上映されたのを除き、半世紀にわたって事実上観る機会が奪われてきた。 原作のクリフォード・オデッツ(1906-63)は1931年にリー・ストラスバーグとともに左翼演劇集団「グループ・シアター」を結成した、20世紀前半のアメリカ左翼演劇を代表する作家で、代表作に1幕劇『レフティを待ちながら』(1935))がある。1952年、赤狩りの際、仲間の共産主義者を密告したことでも知られる。映画脚本ではフィルム・ノワールの傑作『成功の甘き香り』(1957)が有名。 戯曲『ビッグ・ナイフ』はオデッツの朋友、左翼演劇出身の異色ハリウッド・スター、ジョン・ガーフィールド(1913-52)主演で初演(演出:リー・ストラスバーグ)された。
 ジャン・ルノワールも1957年に舞台翻案・製作(演出:ジャン・セルジュ、主演ダニエル・ジェラン)している。
 映画『ビッグ・ナイフ』は16日間で撮影された低予算映画ながら個性派スターの顔合わせが見どころで、フィルム・ノワールのアイコンというべき2人の女優、アイダ・ルピノとシェリー・ウィンターズも共演している。
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 原作が舞台劇なため、限られた場面での対話で物語が進む。チャーリーは自分が起こしたひき逃げ事故をスタッフの計らいもあって親友バディに罪を着せたのだ。そのことをバラすと製作者ホフやディキシー(シェリー・ウィンタース)に恐喝される。
 紀伊国屋書店のDVDの解説は字幕翻訳も担当した細川晋だろう。

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キッスで殺せ


1955
 ロバート・アルドリッチ監督作品で『Cult Movies』にも取り上げられている他、山田宏一さんが「犯罪暗黒映画」ベストを選出したときに ベスト・ワンに推した白黒作品。フランスのカイエ・ド・シネマ同人に高く評価されていたのでしょう。アルドリッチは彼らに「偉大なボブ Le Gros Bob」とあだ名されていたといいます。Kiss me deadly
 USAからビデオを購入して一度見ていたのですが、私の英語力では人間関係をきちんと理解することができませんでした。このたびBS2で字幕付きで放映されたので、ようやく話がわかりました。

 女(クロリス・リーチマン)が暗闇を裸足で逃走してくる。女が飛び出したので急停車した車の運転手がマイク・ハマー(ラルフ・ミーカー)だった。女は素性を明かさない。 “病院から裸の上にコート一枚で脱走した”という女を捜す警察の非常線も越えた。女はガソリン・スタンドで誰かに手紙を出す。その直後、マイクと女は別の誰かに囚われ、 黒靴の男を黒幕とする組織の拷問によって女は死ぬ。マイクは女と一緒の車に乗せられ、谷底へ突き落とされる。
 原作はミッキー・スピレーンの小説。
 奇跡的に怪我から回復したマイクはパット(ウェスリー・アッディ)などFBIの監視を受けながらも、事態を探り始める。秘書のヴェルタ(マクセン・クーパー)にも協力を依頼し、 もつれた糸を解きほぐしていく。アメリカのハードボイルド探偵らしく、名前を聞いて、それを手がかりに人に会ううちに事件の全貌が見えてくるという仕組み。しかし、 今回はなかなか中心まで行き着かない。聞き込みを依頼した車の修理屋で気のいいニック(ニック・デニス)まで殺されてしまう。ハマーの事務所ではかかってきた電話に自動応答し、 要件を録音するテープが回っている。ハマーはそのテープに録音し始めた伝言を聞いてから、電話に出るという用心ぶり。 殺された女クリスティーヌには同居の友人リリー(ギャビー・ロジャーズ)がいた。引っ越してしまったリリーの住所を運送人から聞いたハマーは彼女のアパートを訪ねる。 リリーは警戒を怠らず、ベッド上で銃を構えてハマーに応対する。科学者レイモンドが遺した大切な物の在処をクリスティーヌは知っていたらしい。富豪エヴェーロ(ポール・スチュワート)も 加わってみんながそれを探している。
 女が出した手紙の宛先はハマーだった。その手紙には謎の言葉、「忘れないで Remember me」が遺してあった。クリスティーナ・ロセッティの詩集の詩の一節だ。その詩を読み返したとき、忘れないでという詩句の次にある言葉、 私の胸の中にある云々が謎を解く手がかりになった。剖険の医師に聞いたところ、胃の中から鍵が出てきたという。その鍵はHACのレイモンドのロッカーの鍵だった。
 ロッカーの中には皮製の箱が入っていた。それを少し開いてみたハマーは目もくらむような熱戦に手首をやられた。恐ろしい物質が入っているらしい。
 FBIから「マンハッタン計画、原子爆弾、三位一体」といった重要用語と、本物のリリーは既に殺されたことを聞かされたハマーは、怪しい画商ミストの所で 睡眠薬の処方者・医師ソバリン(アルバート・デッカー)を探りだし、誘拐され人質となった秘書ヴェルタを助け出すべく、医師の海辺の別荘に行く。黒靴の男は医師ソバリンだった。彼は偽のリリーをハマーに接近させ、ロッカーの秘密を暴いていたのだ。
Kiss me Deadly  管理人を殺して箱を盗んだリリーは 「箱の中身を教えて」と医師に迫るが、医師は「パンドラの函だ」とか「ロトの妻だな」「メドゥーサの首だ」とか曖昧な返事をする。 値打ち物らしいとふんだリリーは「分けられない物なんだ」という医師を撃ち殺して、箱をせしめる。しかし、死ぬ前に「俺を地獄の番犬だと思って聞け。 絶対に開けるな」と言った医師の言葉に反して、箱を開いた女は原子爆弾のエネルギーで燃えあがり、別荘は爆発するのだった。 間一髪、女に撃たれたハマーは別荘からヴェルタと浜辺へ逃げ出し、難を逃れたが、背後では原爆が炸裂する・・・

 マイク・ハマーの名前について、リリーの「私はガブリエル。あなたはミカエルね」という台詞があります。ガブリエルもミカエルも共に大天使の名前です。 『キリスト教辞典』(岩波書店)によれば、大天使ミカエルはあらゆる悪に勝利する戦闘天使、大天使ガブリエルは「神の人」の意味で、神の言葉を告げる預言者。 この映画には、名前だけではなく、あちらこちらにキリスト教の暗喩が仕掛けられているように思われます。
 「キッスで殺せ Kiss me, deadly」という表題は最後の場面で、リリーがハマーに言う言葉、「キスして。愛情の無いうわべだけのキス、 偽りのキス。あなた、得意でしょ」という意味の裏返しの表現だと思われます。(2002年9月)

【追記】2009年12月17日WOWOWで『キッスで殺せ[完全版]』放映。ハマーがヴェルダやエヴェロの情婦たちからかけられるきわどいセリフが多く、映画全体の異様さが特徴的です。ユナイト配給MGM映画。「フィルム・ノワール傑作選」としてDVDも出ています。完全版は紀伊国屋書店発売のDVDと同じ。ラストがアメリカの16ミリやビデオ版では、ハマーとヴェルダが邸の外へ出る場面が無く、爆発で終っていた。完全版では彼らが海まで逃げた後で爆発が起こる。

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(身代金の世界))  (未見)

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ヴェラクルス


1954
 傑作。増渕健の名著『西部劇』(三一新書,1972)の第8章『ヴェラクルス』と“ゲームの規則”を抜粋引用。
 
     “間断なき交代”の面白さ

 野球の面白さとはなんだろうと考えてみる。それは“間断なき交代”の醍醐味につきるものではなかろうか?
 攻撃と首尾が規則的に入れ替わるのが、スポーツにかぎらず“ゲームの規則”である。
 が、野球ほど、公平で非情な交代を強いられるものはない。
 三つのアウトによって、攻守がところを変え、両チーム十八人の選手には、公平にバッター・ボックスへ立つ権利が与えられる。・・・・(中略)・・・・
 『ヴェラクルス』の面白さと野球のそれが全く同室であることを言いたかったからだ。

      第一の交代

 南北戦争直後のメキシコが、この作品の舞台である。
 南軍の敗残将校ベンジャミン・トレーン(ゲーリー・クーパー)が、リオ・グランデを渡って流れてくる。
 馬が倒れてしまったので、代わりを手に入れようとすると、みるからに一癖ありげな大男が、あらわれる。ジョー・エリン(バート・ランカスター)である。
 彼は、ヤセ馬を、金貨百ドルでトレーンに売りつけた。

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アパッチ


1954
アパッチの観点から見た複雑な西部劇


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(ビッグ・リーガー)  (未見)
(TVシリーズ,医師)  (未見)




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