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   『ヨコハマ映画祭』受賞式パンフ掲載批評(作品名50音順)&その他

 (第2回から第10回まで祭には審査員で協力させていただきました。その後は,映画を見る本数が少なくなってしまい、ファンとして応援するだけになってしまいました。 人物論を書いているときは、授賞式で来られた役者さんや監督さんに、読んでもらえると思って、一生懸命に書きました。 それこそ最高の批評にしようと思ったものです。   池田博明.1998年)

  犬死にせしもの   永遠の1/2   喜劇・女売り出します   
  獣たちの熱い眠り   現代やくざ・人斬り与太   台風クラブ  
  ツィゴイネルワイゼン    麻雀放浪記    野獣刑事 

     犬死にせしもの(井筒和幸監督)   池田博明

     最優秀新人賞 今井美樹 ひときわ抜きんでた「役者」讃江

     (第8回「ヨコハマ映画祭」パンフレット)

 今井美樹、「火つけ」のおんなである。「火つけ」とは『犬死にせしもの』の花万組の小番頭・蟹江敬三(怪演!)の仇名である。
 瀬戸内の海賊たちは「火つけ」にさらわれた洋子・安田成美と交換するための人質として、笹岡の置屋から「火つけ」のおんなをさらう。なんと、少女(今井美樹)である。
 この少女、滅法勝ち気である。さるぐつわを外すと大声を出す。放尿すると思わせて尻をまくり、男たちが遠慮しているすきに船べりから夜の海へ飛び込む。腿の彫物を指摘されると「今はやりのワンポイントじゃ!」と言い返す。
 『犬死にせしもの』では役者がイキイキしている。俳優でもタレントでもアイドルでもない。「役者」なのである。あんまり役者がいいので話の構成が壊れてしまうほどだ。役者から話が作られていったのではないか。原作では阿波政・西村晃は映写技師ではない。花万組のスパイの傷痍軍人・清水宏も登場しない。鬼庄・佐藤浩一や重佐・真田広之同様に復員軍人だが、足を悪くしたため海賊になれなかったのだ。「火つけ」のおんなも原作では二十四,五歳、洋子の逃亡を助けるのも別の女である。
 悪人の情婦でヒロインを助け、自らは凶弾に倒れていくという役どころ、昔だったら大ベテラン女優がやる役回りだ。それを新人・今井美樹が演じる。若いから感情の起伏が激しい。鬼庄の示すいたわりを感じて泣いてしまう。「火つけ」の非道なやり口に憤る。彼女は観客と同じ立場で主役に感情移入していくのだ。洋子を逃がす船中で洋子に言う。「うちも好きや、あの大馬鹿ども」と。これはもう観客の心意気である。
 洋子を逃がした翌朝、彼女は突堤にたたずんでいる。運命を予感したかのような静けさである。そこへ「火つけ」が現れ、無言で銃を構え、撃つ。鬼庄たちが倒れかかる彼女を支え、船に載せる。望遠レンズに切り変わって、梵天船が動き出すところをとらえる。船がいったんかしいで、重佐がレバーを下げるとぐーっと走り出す。遠くで悲傷の音楽が響く。この一瞬、『犬死にせしもの』で最も美しいシーンである。スタッフが今井美樹に、その役にどんなに思い入れているかがわかる。
 井筒作品では公開後、トラブルのためジャンクされてしまったという『ガキ帝国・悪たれ戦争』以来の好きな作品である。
 「火つけ」のおんな、その名を千佳という。


今井美樹はシンガー・ソング・ライターとして、ニューミュージックの華となったので、その後、ほとんど映画には出なくなってしまった。テレビ・ドラマには稀に出演する。
 2001年12月25日、久しぶりに彼女が主演したクリスマス・ドラマ・スペシャル『温かなお皿』が放映された。原作・江國香織、脚色カリュアード、演出・源孝志。関西テレビ制作。(池田博明記)
 

      永遠の1/2(東宝:根岸吉太郎監督)    池田博明   

      主演男優賞 時任三郎  仮面は人生を豊かにする

      (第9回「ヨコハマ映画祭」パンフレット.1988年)

 『俺っちのウエディング』(八三年)は傑作だった。それは、「ちょっと味のある」「捨てがたい」佳作といったものではない。まさに「傑作」だったのである。
 そして、今度の『永遠の1/2』はいわば『新・俺っちのウエデイング』であった。この二本が二卵性双生児であるといってもよい。
 つまりこうである。『俺っちのウエデイング』の魅力は「人生は演劇だ」「仮面こそ人生を豊かにするものだ」と軽々と言ってのけたところにある。糸井重里がそれ以前に『ペンギニストは眠らない』で展開していた、いわばペンギニズムである。
 「ホンモノの私」と「ニセモノの私」との間で見えなくなってしまう自分が、ずっと純文学のテーマであった。つまり自己発見や自己確立の軌跡が作品だったのである。夏目漱石の『それから』も、太宰治の『人間失格』も、梅崎春生の『幻化』も、埴谷雄高の『死霊』も、小島信夫の『抱擁家族』も、大江健三郎の『万延元年のフットボール』も、アイデンティティー喪失を基調にしてすぐれた作品となっているのである。
 そこでは「ウソ」はいけないことであり、「仮面をかぶる」ことは否定さるべき行動であった。ところが、『俺っちのウエデイング』ではなんと心地良さそうに、登場人物が「もう一人の別の自分」を演じていたことか。時任三郎は「ただ今帰ってまいりました」とマジメ社員を演じ、花嫁を刺されたけなげな夫を演じ、あげくの果てには一人で新婚夫婦まで(夫と妻の両方!)演じてみせてくれる。宮崎美子は夫の実家で「かいがいしい新妻」を見事に演じてみせ、うまくやったとペロリと舌を出してみせてくれる(これを『蒲田行進曲』の松坂慶子のぎょうぎょうしい妻ぶりと比較してほしい)。そして最後に犯人を引っかける「大芝居」を二人が「演ずる」シーンは最高の可笑しさであった。
 実は『永遠の1/2』も「もう一人の別の自分」を引き受ける話である。時任三郎は「田村宏」という「ホンモノの私」がありながら、「野口修治」という「ニセモノの私」を引き受けざるを得なくなる。それは自分が意図したことではないのだが、『俺っちのウエデイング』と同様に人違いが原因で、いつのまにかトラブルに「巻きこまれていく」のである。時任三郎の”一番言いたいことが言えないで、周囲に迷惑をふりまいてしまう”男の「巻きこまれて」「弱ったなあ」という表情がとてもいい。
 『永遠の1/2』を解く鍵は中嶋朋子(いずみ)が最後にホームで野口を「田村さん」と呼ぶところにある。彼女は「田村」を「野口」の代理にし、「野口」を「田村」の代理にしていたのである。といっても、彼女は両天秤をかけていたわけではない。「ホンモノの田村」に「ニセモノの野口」を見、「ホンモノの野口」に「ニセモノの田村」を見ていたのである。そしてホンモノもニセモノもどちらも好きだったたのである。
 「ホンモノのあなた」(と同時にホンモノの私)にこだわっている大竹しのぶ(良子)は、つらくなって、いったん田村から離れてしまう。しかし、ラストシーンで田村の後ろ姿を見送る良子のまなざしは優しい。それはホンモノとニセモノのせめぎあいから「解放」された精神がもたらすものだからである。



     喜劇・女売り出します(松竹:森崎東監督)  池田博明

           役者論  夏 純子  

      (大阪の新聞『週刊ファイト』.1974年1月14日号)

 生まれおちてからこのかた,世間の波にもまれて,それなりにすれ,垢じみてきている。それが成長というものだろう。それでも,いつも「純粋さの核」にふれることを願っていて,東へ西へと流れつづけるのだ。それは,壊れやすいほどのやさしさという形をとることもあれば,やりたいことはやる,つたなさとみえることもある。森崎東監督の映画『女売り出します』で初めて出会ったスリの少女,浮子(うわこ)こと夏純子は,その両面を持っていて,すっかり意気に感じてしまったのだ。スリから御座敷ストリッパーまで,文字通り身体をはって生きている。つかまっても,命乞いするようなケチな了見はもちあわせちゃいない。裸にまでなって,しらばっくれる。いきがかりで知った少女が,暴力売春宿へ売られてきたんだとあっちゃ,矢も楯もない,救出作戦を開始する。泣きたい時にはわっと泣く。そうだ!うつむいて,唇噛んで,いじいじするのは,夏純子に似合わないんだ。相手の眼をまっすぐに見返してくるその大きな瞳。あの瞳で見送られた時,僕はどんな背中をみせたらいいのだろう。『キャバレー』のライザ・ミネリのクルリと背を向けて歩み去りながらバイバイしてみせる,さり げないけれどもはりつめた「さよなら」もよかったが,じっと見つめる夏純子の「さよなら」もいいのだ。
 実は夏純子,以前から,日活の『女子学園』シリーズの中学生番長で,『不良少女魔子』の魔子で,その他五社はもちろん,若松プロの『犯された白衣』にも出演して,知る人ぞ知るの活躍をしていたのだ。ちっとも映画を見ていなかった僕が知らなかっただけのことだ。知らないことは強い。僕は誰も知らない秘宝を探しあてた時のように喜んでしまったのだから。「第二の浅丘ルリ子」という売り出しだったそうだけれど,浅丘ルリ子より,ずっと庶民的だし,体当り演技が素晴しい,身近なわれらのヒロインなのだ。
 夏純子ばかりか,それからというもの,ストリッパーや娼婦で,いきいきする女優さんが,とても好きになってしまった。緑魔子や,野川由美子,春川ますみ,太地喜和子,横山リエ,市原悦子。「女生きてます」といったようなこの大攻勢に僕はたじたじとなり,恥ずかしくなってしまうのだ。幻のやさしさ。やさしさが恐いのである。そして,恐いものに出会いたいのである。



    獣たちの熱い眠り       池田博明

      助演男優賞 石橋蓮司 今度はまた勝新監督で、蓮司さん!

        (『第3回ヨコハマ映画祭』パンフレット.1982年)
 
 『獣たちの熱い眠り』の蓮司さん。主人公・三浦友和をゆする度に,腕は折られる,肢は刺される,車にははねられる,次第にひどい不具になっていく。それでも終始一貫,不敵に微笑みながら,金額を変えずに脅迫してくる。この奇妙な「使者」は,一度食いついたら離れないは虫類を思わせる執幼さで,忘れられない悪役の典型となった。ふと,ナサニエル・ウエストの『クール・ミリオン』(角川文庫・絶版)を思った。
 十年前のことである。傑作『あらかじめ失われた恋人たちよ』(71年,ATG)の蓮司さん。大きなズダ袋を下げて旅をしている,もと棒高飛びのオリンピック候補だった男。ろうあ者の恋人たち(加納典明・桃井かおり)と一緒になりながらも,ひとりでしゃべりまくっている男。土地の人々の前で演説する,海に向って演説する。いったい,海に向って叫びたてて,何になるのか。しかし,男の姿は感動的だった。自分の表現と出会えないで言葉を求め,不安に駆り立てられてしゃべり続けないではいられない男は,私自身であった。機動隊の目つぶしで盲目になってしまった二人と共に,サングラスをした男がバスを降りようとする。つまずいて男のサングラスが落ちたところへ,「ニセ盲,ニセ唖」と字幕が出る。笑った。おかしかった。笑いながら涙が出た。男がニセモノ性を引き受けようとした志に痛いほど共感できた。そして,即興演出で現れてくる「石橋蓮司」その人の生の断面が鮮烈だった。
 それから,蓮司さんは数々の映画に出演した。いつも期待を裏切らない異形ぶりだった。殊に注目したいのは勝プロ作品に於ける活躍である。視聴率不振の為,ワン・クールで打ち切られた途方もない傑作『警視K』(日本テレビ,80年10月〜12月)の第一話“そのしあわせ待った”(勝新太郎監督)の強盗に襲われる選挙事務所の秘書ー被害者とみせかけて,実は共犯者だったという,蓮司さん風にひねられたキャラクターをはじめ,『座頭市物語』(74年10月〜75年4月)『新・座頭市』(76年10月〜77年4月,共にフジテレビ)等の悪役ー“木曾路のつむじ風”(黒田義之監督,74年12月)の麻薬に絡む悪徳親分・左平次,“心中あいや節”(勝新監督,75年3月)のはなれごぜをねらう殺し屋・加平次,“いのち駒”(南野梅雄監督,77年2月)の悪らつなかけ将棋士・源三郎,“旅人の詩”(勝新監督,77年4月)の追っ手・元蔵等々。なくてはならない役者なのである。蟹江敬三,草野大悟といった人達と共に,蓮司さん,また,勝新の映画で活躍して欲しいものである。



    現代やくざ・人斬り与太(東映:深作欣二監督)

    「焼跡の野良犬,奮戦す」 池田博明

    (文化情報誌「観覧車」〔5号〕「忘れられた名画」1974年3月号)

 72年夏,威勢のいいヒーローに出会った。「人斬り与太」である。『喜劇・女は男のふるさとヨ』(松竹:森崎東監督)を見てからだ。映画に魅せられたのは。そこへ,決定的な強烈な衝撃が来たのである。
 「人斬り与太」とは何だったのか。
 整然としたやつらが嫌いだった。隈雑なやつらが好きだった。モノのわかった口ぶりが嫌いだった。ひとつことに打ち込んでいるやつ,気狂いどもが好きだった。打算が嫌いで,権威あるものの如く語るやつが嫌い。組織に身をあずけ,心まで売り渡すやつらが嫌いだった。道化ているほどじょう舌なやつらが好きで,偽善者が親しかった。言いたいことを言うんだ。やりたいことをやるんだ。たとえ独りでも,だ。石橋叩いて渡るのはまっぴら。試行錯誤,途中でおっちんじまっても,まあ仕方がない。あの世のことまで心配していたら,きりがない。言いたいことも,やりたいことも,はっきりしなかったら,ウソをつけばいい。悲槍ぶることはない。弱者ぶることもない。くり言を聞いてくれる女でも,ひとりいれば充分だ。だが,そんな男にゃ,なりたくない。知ったふりも,馬鹿ぶるのもイヤだ。とにかく,どくだらない私事の悩みなんてのとは,オサラバしたかったのだ。
 そうである。『人斬り与太』のヒーロー・沖田勇(菅原文太)は,そんな心情に,まったくピッタリ来たのだ。戦争への憤りをぶちこまれて,敗戦の日に誕生。焼跡のエネルギーを呼吸して育ったやつは見境いなしの暴れん坊。なにかしたいというより,「面白くねぇ」という皮膚感覚で行動する。動物的なカンだ。文明人がるなよ,たかが人間のくせしてな。そういうところだ。口で言うより,手の方が早い。肉体はひとつしかないのに,そいつが,やつの表現手段だ。肉体で話す男なのだ。その意気やよし。惚れたね。かっこいいね。やってやろうじゃないか!



    台風クラブ(相米慎二監督)   池田博明

     監督賞 相米慎二 『台風クラブ』論 「現在=存在」の映画

    (第7回「ヨコハマ映画祭」パンフレット.1986年)

 実は、『台風クラブ』をまだ一度しか見ていない。相米作品は2度目の方がずっと面白い。
『ションベン・ライダー』がそうだった。封切り館に見に行ったはいいが、帰るみちみち、すっかり考えこんでしまったのだ。考える間もなく、次々に思わぬシーンが展開していくので、話についていくのがやっとなのである。翌日また見に出かけて、今度はほんとうに感動したのである。だから、『台風クラブ』についても2度目を見るのが楽しみだ。なんだか理解できない、それでいて印象深いところがたくさんあるのである。
たとえば、理恵が起きると、母親が不在というシーンがある。理恵が「母親探し」をするのと一緒に、どうしていないのだろうと不思議に思っていると、理恵は突然、母親の床の毛布の下へもぐり込んでうごめく。鮮烈な印象だったのだが、いったい、あれは、何だったのだろう。そもそも母親の床だったのだろうか。
 またたとえば、健が美智子を追いつめていくシーンがある。健が美智子に触れないだけに、いっそう暴力的である。ドアをくりかえし蹴るシーンは、すさまじい。職員室の机の下に逃げ込んだ美智子を見つけて、下着を破った途端、背中の火傷の跡を見て、それ以上、手を出せなくなってしまう。自分のした暴力に対する罪の意識が健をおしとどめたと解釈すれば、つじつまが合いそうだが、どうもそんなものではないらしい。そもそも健は何を追いつめていたのだろうか。
 恭一が、ひとつひとつ机を積んでいく。そして、みんなが生きるためにも「厳粛な死」を死んでみせる。恭一にとって、台風の中での乱舞は生の証しではなかったのだ。恭一は何を見つけたのだろうか。
 「台風、来ないかなあ」。非日常へのあこがれ。しかし、台風が来て、学校へ閉じこめられた生徒たちは、変わっただろうか。泰子や由美やみどりにとっては、逸脱した日常の続きのようだ。理恵も一日の冒険で変わったように思えない。「父親」にも「母親」にも会えない世界(梅宮先生は大きくなったガキのようだ)の中で、少年少女たちはぶつかり合い、きしみ合っている。過去・現在・未来とつづく時間の流れの中で、ひとが経験によって変わるというドラマを相米さんは作らないようだ。
 現在形しかない。その中で原初的な生の衝動が画面に現れてくる。おそれ、怒り、期待、不安、苛立ち、欲望。それら抽象的な感情が交錯する。『翔んだカップル』もそうだった。最初の方のクラス写真の中では、圭と勇介だけが笑っていたのに、ラスト・シーンの中では二人だけが笑っていなかった。円環は閉じられた。終わりと始めはつながって、少年少女たちは成長せずに、ただ「存在」する。『台風クラブ』もまた、そんな映画である。
 ラスト・シーンの理恵と明はまるで核戦争の終わった後の風景の中の新人類のようだった。



    ツィゴイネルワイゼン(荒戸プロ:鈴木清順監督)  池田博明

          作品賞     「思考実験映画」

     (第2回ヨコハマ映画祭パンフレット.1981年)

 80年夏,六夜に渡って行われた横浜にっかつ“清順ぱらだいす”で,旧作の上映に先立って毎週『ツィゴイネルワイゼン』の予告篇が上映された。力強く俗っぽいサラサーテの曲が流れ,撮影風景につづいて映画の場面が点描される。大谷直子や藤田敏八と清順さんが何か話している。開かれた分厚い台本と湯呑み茶碗が印象的だった。ふと,これまでの作品は,すべて『ツィゴイネルワイゼン』の前奏曲であったかの如き思いがした。
 清順さんの映画に寓意というものはない。その表現に隠された意味などない。映像と映像のあいだに何かが存在するのではない。映像はキャメラがとらえたものしか表現してはいないのだ。何か意味を表現しえたと思った瞬間に,その映画は停止し「死んで」しまう。映画は常に解答を裏切る表現である。そして『ツィゴイネルワイゼン』は,不断の論理の転倒によって成立した傑作である。観念は飛躍し,意識は運動する。隠された意味はない。すべては表現されている。見つめる観客のスペキュレーションが,唯一の真実である。
 『ツィゴイネルワイゼン』は映像で語られた『死霊』(埴谷雄高)である。しかし,不可解な対話,摩可不思議な暗合が,生ま身の役者の肉体をえて銀幕上に展開されることで,映画は小説以上に現実と非現実の弁証を表現する。いたるところに非日常への入口がぽっかりと開いている。聖と俗,非在と実在,死者と生者の間の動的緊張が,『ツィゴイネルワイゼン』の律動である。
 清順さんは,人間なんてどんな事件があったって普通の人間は変わらないんだよ,幽霊になるしか変わりようがない,と言っていた。内田百間のちょっと怖い話を見事に映像化した『ツィゴイネルワイゼン』で,清順さんは自身の「もし変わり得た人がいたとしたら,その人はきっと幽霊だな」という言葉を証明してみせたのである。現実の呪縛から意識を解放したのである。



    麻雀放浪記(和田誠監督)   池田博明

      主演男優賞  鹿賀丈史  悪漢礼讃  

     (第6回「ヨコハマ映画祭パンフレット」.1985年)

 ドサ健は悪漢である。ピカロである。『麻雀放浪記』はピカレスク・ロマンである。何と魅力的な悪漢であろう。敗戦,焼跡。半年のうちに世相は変わった。醜の御楯といで立つ我は。若者たちは花と散ったが,同じ彼らが生き残って闇屋となる。バクチ打ちとなる,暴力団となる。思えば,『仁義なき戦い』(73年)は陰画であった。『麻雀放浪記』は陽画である。
 ドサ健の哲学は,自分の牙は自分で磨けという,きわめて健康的なものだ。生きよ,堕ちよという堕落論が健康的なのは,堕ちる自分を信じているからである。自分から出発せよ。もはや頼るものはない。出発すべき自分があることが強みである。焼跡のバラック。タバコの火で鹿賀丈史のドサ健が浮かび上がったとき,身体が震えた。虎に「チンピラ」よばわりされて,「よく聞こえなかったぜ。外でゆっくりきいてやろう」と言ったときの声のドス,脳天に響いた。全身これ,不良である。一匹狼という形容がふさわしい。くだくだしく悩んだりしない。夢のヒーローである。映画館を出ると、ドサ健みたいな歩き方をしてしまう。
『現代やくざ・人斬り与太』(72年)の文太以来,そんな同化できるヒーローがいただろうか。ドサ健になりきってセリフを言ってみたりする。ドサ健名セリフが多い。最高は「俺あ手前っちには死んだって甘ったれやしねえが,あいつにだけはちがうんだ。あいつと,死んだお袋と,この二人には,迷惑かけたってかまわねえんだ」だろう。一家言を持つ者が善人とも言える,なぜなら彼等は他人に教えることが出来るからだと書いたのは小島信夫である。そうなのだ。実はドサ健は善人なのである。
 『野獣死すべし』(80年)で鹿賀丈史に惚れた。これほど身体から「不良」感覚を発散する役者がいるだろうか。テレビ『天皇の料理番』のコック見習い役は,ちぐはぐな所が魅力だった。油断すれば,仕事をさぼる,悪事をはたらくように見える所がいいのである。
 『悪霊島』(81年)も『疑惑』(82年)も鹿賀丈史ゆえに見に出かけた。『悪霊島』など,金田一役の鹿賀丈史ばかりを見ていた。『疑惑』は桃井かおりの元情夫というチョイ役であった。いかにも軽薄すぎたが,愛すべきところのあるワルの役だった。見る人はちゃんと見ているものだ。『麻雀放浪記』のドサ健は見事に鹿賀丈史を生かしたのである。悪漢、万歳。 



      野獣刑事(東映:工藤栄一監督)   池田博明
   
      主演女優賞 いしだあゆみ 『野獣刑事』の恵子によせて
  
      (『第4回ヨコハマ映画祭』パンフレット.1983年)

 『野獣刑事』の素晴しいパンフレットに脚本を担当した神波史男がこう記している。「いしだあゆみさんが,完成試写を見て,とても優しい映画で涙がとまらなかったとおっしゃっています」と。『野獣刑事』に最高の賛辞を書くつもりだった私は言葉を失った。いしだあゆみさんが涙が止まらなかったと言ったという以上の賛辞は書けないからである。
 「人生」とか「生きがい」という言葉で生活を考える習慣は,けっこう新しいものだろう。それ以前は,自分の生活をとらえなおすとき,ひとびとは,いったいどんな言葉を使っていたのだろうか。『野獣刑事』を見て浮かんできたのは,そんな疑問だった。「暮らす」という言葉だろうか。ヒロイン,恵子(いしだあゆみ)は,不幸を乗りこえたり,不幸に立ち向ったり,幸福を目ざしたりする女性ではない。まともに暮らせれば,という女性である。生まれて,生きて,死ぬという単純なことがら。「それだけじゃ物足りない」というのは,今や不遜な言い方かもしれない。たとえば,石牟礼道子さんの『苦海浄土』には,その単純な生さえまっとうすることを奪われてしまったひとびとの姿があるからだ。そういう意味では,今も昔も庶民には生きにくい時代である。
 恵子は阪上(泉谷しげる)の振り回すバットから必死に逃げる。逃れて「殺されるかと思った」とつぶやく。かと思えば,通り魔の前におとりとして身をさらす。生命の危険の代償として結婚を条件に引きうけたように見えるが,それは表面上のことである。恵子は生死を計算したりするようなひとではない。橋の上から,大滝(緒方拳)の照らす懐中電灯を見てホッとする。その一瞬の安らぎが恵子を支えているのである。夜明けから日暮れまで,日々の暮らしをまっとうしようとする姿が,私たちを感動させる。単純な生さえ奪われてしまう構図が私たちを挑発する。コミさんこと田中小実昌の小説が,いまラジカルであるように,恵子の生きかたが心にしみた。
 先日,引率した修学旅行のバスの中で『ブルーライト・ヨコハマ』『喧嘩のあとでくちづけを』『砂漠のような東京で』をメドレーで歌った。68年から71年にかけて,これらは私には“斬新な”うただった。いまも新しいうたである。


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