ポートランド日記                                     スズキメディア

9月22日(土)──53日目


 9時半から教会の英会話教室の二回目。英会話教室は、二階に上がったところでやるが、今日は、教会で結婚式があるというので、いつもは人がいない1階に何人もの人がいた。12時から結婚式で、花嫁は日本人。日本から親戚が来ているそうだ。
 2時間の英会話教室は、1時間たったところでコーヒーブレイクになるが、そのときに、「日本から来ている人たちは英語がわからないので、よければ結婚式に参加して通訳をしてあげてください」という話があった。でも、僕らでは通訳にならないし、次の予定もあるので、結婚式は見ていかないことにした。

 英会話は、先週先生をしてもらったトム・ブランドさんが、張り切ってイラン人の知り合いを連れてきてくれていた。聞くと、小児科のお医者さんだという。「うちの奥さんは小児科の看護婦です。今日ここに来ています」というと、「連れてきたら」と言われたので、探しに行く。Cはまだ英会話を始めていなかったので、ちょっと挨拶のつもりで呼んできたら、トムさんがそこに座りなさいと行って、4人で英会話が始まってしまった。
(Cは、他の人とやるつもりだったのに、話も難しく面白くなかったと怒っていた)
 トムさんは、アメリカの市民権をとるための解説書を持ってきていて、今日はこれを読もうという。前回の僕との会話から、良さそうなテキストを探してきてくれたのはありがたいことだ。
 アメリカの歴史から始まって、市民の責任など細かく書かれた85ページの小冊子だ。トムの奥さんサリーさんが、この本を配布している「Daughters of the American Revolution」に関係しているのだそうだ。

 イランの方(名前は聞き漏らしてしまった)は、この本で勉強して、つい最近アメリカの市民権を取ったそうだ。市民権を取るには、歴史とか権利・義務についての試験があるらしい。
 僕らは、12月末には日本に帰るし、関係ないやと思っていたら、「これで勉強して市民権を取ってはどうか」と真顔で勧めてくれる。「アメリカでは仕事もないし」と答えても、「そんなことはない。アメリカは可能性もあるしいい国だ」という。アメリカの人は、本当に自分の国が一番いいと自信があるようだ。これは、皮肉ではなくて、本当にそうみたいだ。

 Cが最初のアメリカの歴史について読む。コロンブスがアメリカを発見したという辺りで、四人でディスカッションになる。アメリカは1776年に独立した。それに当たるのは、イランは13**年(この年号はあとで、辞典で調べてみたが、イランの歴史ではそれに当たるものは見あたらなかった。よくわからない)。「日本はいつか?」と聞かれて、困ってしまった。
 「日本人は国がいつから始まったか知らない」と言っても、首を傾げるばかりで、理解してもらえない。日本語なら、神武紀元があるけど、それは神話だとか、いろいろ話すことはあるが、英語ではどうもうまく話せない。少し考えて、「アメリカ・インディアンの歴史がいつから始まったかは言うことができないでしょう。それと同じで、日本人は昔からずっと日本に住んでいるので、いつから歴史が始まったのかわからないんです」と言ったら、何とか理解してもらえた。
 イランの人は日本のことはほとんどわからないし、トムさんも、戦後日本に占領軍として駐留していたわりには、日本のことはあまり知らない。こういう内容のことを説明するのは骨が折れる。

 このあとも、アメリカでは今年を2001年というが、日本では何というかという話になる。平成13年だというが、やはり理解してもらえない。英和辞書を調べて、「今の天皇の治世(reign)が13年前に始まったので、今は平成13年だ」と言う。「その前はヒロヒトの治世で、昭和だった」というと、ようやくわかってもらえたようだ。「日露戦争の時は年号は何だ?」と聞かれて、「明治だ。そのときは、明治エンペラーの治世だ」と答えた。
(軍人さんは、戦争の歴史はしっかり勉強するから、日露戦争のことも知っているのだろう)
 トムさんと英語で話すのは大変だけど、今までのアメリカ人の知り合いのような日本について詳しい人とは違うので、いちいちいろいろ考えさせられて面白い。

 この英会話は、「テキストを読みながら、それについてディスカッションしましょう」ということになっているのだが、ほとんどの場合、話はどんどん脱線していく。今日は、イランの人がいたので、その人がトムさんにいろいろと質問して、話はどんどん脱線していった。
 年号の話から、西暦の始まりのキリストの誕生の話になったのだけれど、イランの人はキリスト誕生と東方の三博士の来訪とかだけでなく、旧約聖書のアダムとイブの話も、バベルの塔の話も(どちらかというと地元の話なのに)ほとんど知らないようだった。
 日本は西欧化されているから、聖書の話などは、キリスト教じゃなくたって子どもの頃に本で読んでいるが、イランではそういうことは全くないのだろう。
 日本にいると、世界に文化の違いがあることはわかっていても、実際に切実に感じることはないが、こうして話していると、こういうことなんだなと、わかる気がする。

 トムさんは、退役軍人だが、戦争には反対なようだ。軍人といっても、事務畑の人のようで、戦争中はフィリピンにいて、戦後大牟田に来て、そこの捕虜収容所にいたオランダ人などを母国へ返すのを担当したと話していた。
「みんな宗教のために戦争すると言うが、本当は、領土がほしかったり、水がほしかったり、石油がほしかったりするのの、隠れみのに宗教を使っているだけだ」と話していた。
 これから、この英会話の授業でトムさんと話すのは、とても有意義な体験になるような気がする。英会話の上達よりも、そちらのほうが面白そうだ。

 教会の英会話を終えて、二人でサターデーマーケットへ。途中で、ギリシア料理店によって昼食。Cはチキンのピタ、僕はムサカ(羊または牛のひき肉とナスのスライスを交互に重ねチーズ・ソースをかけて焼いたギリシア・トルコなどの料理)、どちらもサラダ付き。店の2階に「かに道楽」みたいに大きなたこのディスプレイがある店で、いつもたくさん客が入っているので、一度行ってみようと思っていたのだが、やはりおいしかった。

 サタデーマーケットは2回目。露店といっても、店はほとんど変わらないが、前回見逃してしまった面白い店がいくつかある。Cは3ドルの小さな飾り物を5つと、小さなガラス瓶の中に液体を入れて鈴の付いた首にかける飾り物(5ドル)を買った。
 サタデーマーケットに出展している人は、カメラマンとか、陶器を作っている人とか、アーティストっぽい人が多い。たくちゃん(小野琢正君)なんかも、ここに来て店を出して、シルクスクリーンやスケッチを並べたら、面白いだろうと思う。
 ピエロの人とか、ギターを引いている人とか、大道芸人もけっこう来ている。一番面白かったのは、チョッキを着て、帽子を手に持って、じっと彫像のようにたたずんでいる人だった。しばらく眺めていたけれど、全く動かない。同じようなパフォーマンスをパイオニアプレイスの前でも見たけれど、そっちは通行人が不思議そうに見るたびに少し動いて驚かせていた。あのほうが簡単だと思うが、この人は本当にぴくりとも動かない。いったいどんな仕組みになっているのだろう。

 サタデーマーケットからは、MAX(電車)でパイオニアコートハウススクエアまで帰る。鉄道だが、音が静かで乗り心地もいい。ポートランドに来て乗るのは初めてだ。
 まだ時間があるので、パウエルズブックスに行く。今回ポートランドに来て2回目だ。
 ここは、外国の本も扱っていて、日本語のところには、ポートランドに滞在した日本人が売って行った(パウエルズは古本の買い取りもしている。今日もカウンターに列が出来ていた)本がたくさん並んでいる。僕も買ってきた「アメリカで困らない本<生活編>」が5、6冊並んでいるのはお笑いだ。こちらに来ている日本人が、必要がなくなったら売り払うのだろう。
 Cは内田康夫のミステリーなど、僕は、もう出てきたアーシュラ・K・ル=グィンの新作などを買う。
 今日のポートランドは、日射しがきつくて暑い、日向を歩いていると汗がにじんでくる。9月も終わりだけれど、まだ夏という感じだ。

 夕食は買ってあった牛ひき肉でハンバーグを作った。炒めたタマネギとひき肉をこねただけのものだが、アメリカで作ると、肉の質がいいからおいしい。日本では牛100%の挽肉は高いし、どの部位をつかっているかわからないが、どうもおいしくない。こっちは本場だから、おそらくいいところの肉もひき肉にしているのだろう。焼き上げたときの香りが全然ちがう。8枚作ったので、来週はバンズを買ってきて、ハンバーガーにして食べよう。

 テレビを見ていたら、ミスアメリカの選考会をやっていた。ミスオレゴンが最後の5人まで残った。地元意識で応援していたら、彼女が見事ミスアメリカを獲得した、グレシャムとというポートランドのすぐ近くに住んでいる21歳で、PSU(ポートランド・ステイトユニバーシティ)に通っている。すごく親近感がわく。オレゴン州から、ミスアメリカが出るのは初めてのことだそうで、このあとの各局のニュースでも大きく取り上げていた。


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