column '95

オウム擁護は、左翼文化人的理屈か

 十三日付『東京新聞』の「本音のコラム」欄で、山崎哲氏(劇作家)は、警察のリーク情報を流し続けたジャーナリズムのオウム事件報道を批判し、それらを「無批判」に受け取った「私たち」をも自己批判していた。僕は、山崎氏に大いに共感したが、同紙続報によれば、読者からは、「“ひとごと”の立場」「オウムを美化する」など、賛同よりも反発が多く寄せられたという。でも僕は、特に、「山崎さんのコラムを読むと気分が悪くなる」「東京新聞の方針なのか」というような反論には、意見の発表(掲載)をも許容しない狭い意志を感じて、居心地が悪かった。

 さて、先日、二人の知人と飲んでいたら、例によって話は、オウム真理教に絡む数々の事件と疑惑に及んだ。二人とも、巷間伝えられるオウム集団の犯行をまず全面的に受容・確信していて、A氏は冗談混じりながら「麻原は“はりつけ”でも足りない、“市中引き回し”だ」と言うし、B氏も、「一般信者に罪はない、なんておかしい。その連中の提供した“お布施”が犯罪に使われたのだから」という具合に強硬だった。

 一方、僕のほうは、本欄でも反復したように、山崎氏同様、オウムの所業(犯罪行為)とは別個の問題として、捜査の手法、報道の姿勢などに批判的・懐疑的である。そして、オウム真理教自体を弁護する意図はなくとも、オウム追及の状況に少しでも反論を唱えるだけで、今やそれは、異端となる。自然に僕は、二人と対立する恰好になった。

 二人はそれぞれ、大西さんの疑問は分かるけれど、この事件は特別なのだ、そういう左翼文化人的(?)な理屈はオウム側に利用される、などと主張する。そしてB氏は、全財産を奪われた人、理由もなく殺された人に対して、大西さんは何と言うのかと詰め寄る。たしかにそれは、感情に訴えかける問いではあるけれど、なお僕は、感情と理性とは峻別すべきだと思うし、“事件の性格が切迫しているから、悪質だから、緊急避難的対応もやむを得ない”という見解には反対である。むしろ、そういう大事であればこそ、裁判も始まらないうちから被告の死刑を確定したような世間の空気に異議を唱えたくなるのだ。

 こんな事を書いていると、『トーチュウ』の読者も「気分が悪く」なってしまうだろうか?
(1995.6)


何から何まで、オウム真理教の仕業でいいのか

 あれもこれも、何から何まで、総てオウム真理教の仕業らしいから、そのうちに「実はオウムは既に地震兵器を開発し、あの阪神淡路大震災を引き起こしていた」と“衝撃的な事実”が出てくるのじゃないだろうか……そんないささか不謹慎な想像を知人と交わした翌日に全日空機ハイジャック事件が発生。当初、犯人は「オウムの信者」と名乗ったとされ、テレビの臨時番組にもオウム関連の人々が顔を並べ、某弁護士氏などは、「この時期、ハイジャックをやるのは、オウム以外には考えられない」とほぼ断言していた。

 その後、オウムとは無関係な個人的犯行と変わってきたが、最初に犯人をオウムに結び付けた機長の一報を含めて、公表された交信記録も曖昧なようだし、今回の経緯には、まだまだ不可解な要素が数多く残っている。

 ところで、二十四日の全国・地方紙計54紙の朝刊には、ハイジャック犯人が勤務していた東洋信託銀行の武内伸允社長名による「お詫び」が掲載されていた。この18字×16行の文章は、「弊社職員による航空機乗っ取り事件に関し、ご乗客の皆様・ご家族、乗務員の方々およびご当局をはじめとした関係の皆様方」に対しての謝罪から始まる(「ご当局」とは、こなれない丁寧語だが……)。

 さて、僕は、それに続く一連に、強い違和感を抱いた。「公共的な使命を持つ金融機関に所属する者として皆様のご信頼を得るべき弊社職員が、たとえ病気休職中とはいえこのような事件を引き起こしましたことは、誠に申し訳なく、衷心よりお詫び申し上げます。」 フム。この文章、なぜ「弊社職員が、このような事件を引き起こしましたことは」と明快ではなく、「たとえ病気休職中とはいえ」なる一言が挟み込まれているのか? 犯人の“病気”は、自律神経失調症、気管支ぜんそく、肝障害などと伝えられている。この社長サンの「お詫び」の本音は、“病気で常軌を逸した社員のやった事にまで、会社に責任はないのだが”というところなのだろうか? それならそれで、奥歯に物の挟まったような形式的な「お詫び」など、出さなければ良さそうなものである。
(1995.6)


二個のサイコロだけで遊べる自己流野球ゲーム

 子供の頃、僕は、自己流の野球ゲームに熱中していた。元々は、オモチャ屋で買った平凡な既製品で、二人で攻守のサイコロやコマを出し合い、その組み合わせによってヒットやアウトを決めるという単純な仕組みだった。僕はそれを一人で遊べるように、しかも、確率と偶然とが適宜に交錯するべく少しずつルールを変え、最終的には、二個のサイコロを振るだけでエラーからバントから盗塁に至るまで、総てが決定されるように工夫した。

 もちろん、所詮はサイコロ任せだから選手に“個性”は生まれず、長丁場のプロ野球をこなすにはリアリティーに乏しい。そこで僕は、東京六大学リーグ戦を行なうようになった。スポーツ新聞で実戦のテーブル・スコアを調べ、選手名鑑を手に入れ、時には大学野球部に直接問い合わせて、選手のプロフィールを確かめたりするほどに凝りまくった。

 専用のノートを作り、スコアを付け、全選手の打率や防御率を計算し、ベスト・ナインを独自に選び、新人戦まで盛り込んだ。そのうち、東京六大学だけでは飽きたらなくなり、ゲームの舞台は、東都六大学のリーグ戦や全国大学選手権にまで広がった。

 こうして本当に没頭していた野球ゲームだが、自分と同年齢の江川卓たちが大学へ進む頃、想像世界の選手と実在の選手とのギャップが深刻(?)になり、リーグ戦はパッタリと止めてしまった。それでも、二個のサイコロだけで遊べるこのゲームの面白さは捨て切れず、時々、オールスター戦や日本シリーズをやってみたりもした。

 現代のコンピューター・ゲームなどに較べたら、全くもって幼稚極まりない遊びである。ところが、逆に、想像をふくらます余地はとても大きかった。実況放送も試合結果のニュースも豊富とは言いがたい大学野球だし、中には、精々、名前と出身高校ぐらいしか分からない選手も出て来る。しかし、僕の勝手なイメージの中では、彼は勝負強い選手だったりポカの多い選手だったりするわけだ。優勝がかかった試合ともなれば、サイコロの振り方も至って念入りになる。そこには、総てが完璧にプログラムされたコンピューター・ゲームとは、大きく異なる“味”があった。
(1995.7)

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