「品」とは何か

大西 赤人    

 

「品がある」「品がない」は、日常、頻繁に見聞きする言葉である。しかも、この表現は、ほとんど白か黒かのごとく二分されるものであり、「割合品がある」とか「品が乏しい」とか「品が不十分」とかというような程度問題での使われ方はまずない。同時に、「どことなく品がある」とか「えもいわれぬ品がある」とかというような曖昧な言い方は存在するけれども、これらは前提として確実に「品がある」という肯定的評価の範囲において提示される。この「品」は、たとえば英語には翻訳しにくいと言われ、辞書によれば一般には、形容詞としての「上品(な)」にはclassyelegantgracefulなど、同じく「下品(な)」にはvulgarcoarseindecentなどが上がっているものの、これらはそれぞれ独立した言葉であるから、日本語における「品」自体の有無を指し示す表現と較べれば、決定的な違いが感じられる。

 そもそも「品」――「上品」「下品」とは、古代中国で作られた物品や人物を分類鑑定するための基準とされた「九品《くほん》」から発しているとされる。まず対象を上品《じょうぼん》品《ちゅうぼん》下品《げぼん》に分け、それぞれなお三つの等級に格付けする結果、上上品・上中品・上下品、中上品・中中品・中下品、下上品・下中品・下下品という九つのランクが出来上がる。この分類法は、三国時代・魏から隋初期に至るまで官吏を登用するにあたって用いられていた「九品中世法」に反映したし、また、仏教(特に浄土教)においても、人が極楽往生するありようとして、最高の上品生《じょうしょう》に始まり、上品生《ちゅうしょう》、上品生《しょう》……下品中生、下品下生へと至る九つの段階が想定されているそうだ。

 しかし、我々が日常的に「品」という言葉を使う時には、多くの場合、宗教的背景や明確な判断のよりどころなどはないとも思われ、しかしながら、しばしばこれを物事に評価を下す重要な手段として抵抗なく採用している。どんな美貌の持ち主についても、どれほどの金満家に関しても、“ただ、品がないんだよな”とでも付け加えられれば、反論不能ともいうべき致命的な否定となる。即ち、「品」の有無とは、ほとんど論理を超え、定量化も出来ない感性的な基準であるにもかかわらず、人間社会に通用している。時に世俗的な権威を突き崩し得るそのような物差しが全く無意味とは限るまい。しかし、それは一方では、「品」の基盤を人の“出自――生まれ”に抵抗なく求めようとするような前時代的な考え方に結び付く場合も多い。

 昨年、某宮家《みやけ》の娘さん(中学生)が学校で友人に撮られた“写メ”がインターネットに流れるという出来事があった。その際、今どきの若者が多いと考えられる「2ちゃんねる」などの掲示板において、“かわいい”という程度はともかく、“品がある”“下品な芸能人とは大違い”に始まり、“家柄のせい”“オーラが違う”“空気が違う”など無条件・無批判の讃辞が飛び交い、ついには――所詮は匿名による冗談半分にせよ――“××さまのためなら死ねる”“××さまが皇位継承したら喜んで神風特攻する”というような書き込みが続出した。このあたりを見るだけでも、「品」なる概念の持つ胡散臭さ、危うさが感じられる。

「品」には、「品格」、「品性」、「品位」というような派生的な語句も存在するけれども、当然ながら、いずれも抽象的な基準でしかあり得ず、むしろだからこそ、それらを用いる側の恣意によって説得力を仮装することも出来る。数年前にベストセラーとなった『国家の品格』や『女性の品格』――それに追随した多くの類書――なども記憶に新しいところだが、この「品格」が大きな話題となった例としては、先頃、初場所での優勝直後に文字通り異例の「引退」へと追い込まれてしまった元横綱・朝青龍に対する非難攻撃が挙げられる。

 朝青龍に関しては、長い間一人横綱を張っていたがゆえに甘やかされた面は否みがたいと思われ、早くからその「問題行動」があげつらわれてきた。本場所での不必要なほどのダメ押し、土俵上での型破りな仕草(左手で切る手刀や勝利後のガッツ・ポーズ)、若手有望株を相手にした際の一人ならず大きな怪我を負わせるほどの稽古、粗暴な言動、力士らしくない服装や髪型、繰り返す母国・モンゴルへの帰国、女性にまつわる醜聞……。それらが彼自身をして「何をやってもたたかれる。周りを気にしすぎずに、自然にやろうと思う」(二〇〇四年一月二十六日付『日刊スポーツ』)とボヤかしむるほどのバッシングを継続的に惹き起こした。そして、常に朝青龍批判の拠り所とされるものは、横綱とは国技・大相撲を象徴する「品格」の持ち主であるべきであり、朝青龍にはそれが欠けているという観点だった。

 元来、横綱とは、江戸時代、それまで大関が最高位であった相撲の世界において、行司の総元締め・吉田司家が権力を確保するため強い大関に「横綱免許」を与えたことに始まり、当初は名誉称号的なものだったとされる。これにまつわるトラブルも多々あったようで、一九五〇年に至り、弱い横綱の粗製濫造で世間から批判を受けた日本相撲協会は、理事長の諮問機関である横綱審議委員会――通称「横審」を設け、その決議による推薦(形式的には「諮問」に対する「答申」ながら、事実上の最終決定)に基づき横綱昇進を決めることとした。横綱審議委員とは、大相撲経験者ではないばかりか、プロ・スポーツ経験者でさえなく、文化人、マスコミ人、財界人など相撲に造詣の深いいわゆる“有識者”だが、要するに言ってしまえば単なる相撲好きの口うるさいオッチャン、オバチャンたちに過ぎない。そして、「横審」の横綱推薦基準とは以下の三条である。

一、品格、力量が抜群であること
二、大関で二場所連続優
勝した力士を推薦することを原則とする
三、二場所連続優勝に準ずる好成績を上げた力士を推薦することができる

 彼らは理事長の「諮問」を受けてから審議にかかるわけだが、「三」に関しては拡大解釈の余地が生じるため、現在は「二」が厳格に適用されることとなっており、これは、客観的に――むしろ誰だろうと――判断し得る。さて、問題は「一」の「品格、力量」で、これらには基準が定められていない。とはいえ、後者の「力量」に関しては、おのずから「二」の「大関で二場所連続優勝」という条件が設定されている。従って、横綱審議委員が振るうことの出来る権能は、「品格」に関する判断でしかあり得ない。そこで、昨年九月、24回目の優勝を遂げた朝青龍に対して“マグレ”とまで言い募った脚本家・内舘牧子を筆頭とする委員の多くは、この無形の尺度をもって彼への断罪を続けた。言うまでもなく、朝青龍という一人の力士に対する好き嫌いは個々にあって当然だ。しかし、要するに横審委員及び彼らに先導された世論は、朝青龍に対する感情的反発を「品格」という美名によって裏付けていたに過ぎない。

 大相撲は「国技」と呼ばれ、「神事」とも表される。ことさらに皇族を迎え、日本の歴史と伝統との体現を強調する。しかしながら、同時に現代の大相撲は「格闘技」の一分野であり、あくまでもエンタテインメントとしての「興行」の一つなのだ。仮に真に「国技」であり、それ以上に「神事」であるとするならば、多くの外国人力士を受け容れ、彼らによって番付上位を席巻されている現状に相撲協会が漫然と手をこまねいていること自体、根本的な矛盾となってしまう。なるほど、そんな中でも横綱とは心・技・体が揃った力士の頂点たるべしという一定の名分は成り立つにせよ、歴代の横綱を眺め回したところで、人のあるべき姿として見習うべき美点の持ち主がどれほど居たかとなれば実に疑わしい。何ら侮蔑の意味を籠めずとも、大抵の力士は中学校を卒えただけで角界に入り、極めて封建的な縦社会の中でシゴかれながら食って寝て太って力をつけることを最大の目的に、青春の数年間を稽古に費やしながら出世するのである。人としてのありようをその過程で深めよと求めることのほうが、ないものねだりとさえ思われる。

 もちろん、中には深い人間性や高い知性を窺わせる力士が皆無ではあるまい。けれども、仮にひとまずそれを先の「品格」に該当する条件とした場合、簡単な話、並外れて頭が良く、聞く者を感服させるほどの箴言《しんげん》を口にし、礼儀を重んじ土俵態度は爽やか、加えて品行方正・人格高潔……ただし、惜しむらくは本場所になると勝ったり負けたりというような力士が綱を張れるだろうか? 横綱どころか、三役にも、もしかしたら幕内にさえ上がれずじまいかもしれない。結局のところ、大相撲における横綱とは、何よりも勝負に勝つことが第一義なのである。それは、人間社会において、いわゆる“勝てば官軍”という考え方を排すべき局面が存在するということとは全く違う。即ち、「品格、力量が抜群」の「品格」と「力量」とは並列されているとはいえ決して等価たり得ず、後者が絶対の必要条件であり、前者はあくまでも付随的な要素に留まる。

 この問題の本質は、従順に日本に同化しようとしない異端・朝青龍に対して一部日本人の抱く苦々しさが屈折した現われのマス・メディアによる拡大再生産と思われる。過去、高見山に始まり、小錦、曙、武蔵丸ら人気外国人力士の多くは日本人女性を妻とし、日本国籍を取得した。相撲界は、日本国籍を持たない者を親方などの指導者として認めないから、引退後も相撲に関わりたいと考える外国人力士は、帰化せざるを得ないのである。近年におけるもう一人の雄・白鵬も、やはり日本人女性と結婚し、将来の日本帰化を表明している。一方、朝青龍は、既に離婚したとはいえモンゴル人女性を妻とし、日本帰化についても明言を避けてきた(そこには、朝青龍に向けられる母国の圧倒的な期待と、彼自身の将来はモンゴルに帰って活動したいという想いとが綯 《な》)い交ぜになっていたと言われる)。

 もちろん、朝青龍を批判する人々は“外国人だから差別しているわけではない。彼が人として社会のルールに反する行動をとっているからだ”と述べるであろう。しかし、彼の最大の過誤とされるモンゴル帰国中の“仮病疑惑・サッカー事件”(二〇〇七年)を振り返っても、モンゴル国が主催するチャリティー・サッカー大会に日本外務省を通じて参加を要請され――中田英寿や日本大使館員とともに――出場したという公表された経緯を見れば、最盛期にあった力士に二場所出場停止――実質的には半年近い本場所の空白――に加え大幅減俸、外出禁止という厳罰を課すに値するほどの所業だったのであろうか? これがモンゴルという小国ではなく仮に米国相手であっても、ここまで強腰な対応が採られたであろうか?

 また、引退に直結した「暴行」事件に関しても(疑わしい部分が多々あったことは間違いないにせよ)、いわゆる“警察沙汰”にさえなっていない出来事を「畏敬さるべき横綱の品格を著しく損なうもの」(横審による引退勧告)、「今回の横綱朝青龍の一連の不祥事は一部週刊誌とは異なる点があるものの、国民の許せないという声も無視できない。朝青龍はこれまでも大相撲の発展に大きな貢献をし、多くの相撲愛好家に感動を与えてきた。この栄誉を不滅のものとするためにも退場しなくてはならない。これは万国共通の男の美学である」(二月四日付『日経ネット』鶴田卓彦・横審委員長)、「日本に、角界に、そして相撲という仕事に、敬意が欠けていた」(二月五日付『サンスポ・コム』内舘牧子)などと極めつけたのである。

 このような日本固有の歴史伝統、精神風土を至上的に捉えて無形の「品格」を想定し、それによって異端を裁こうとする手法は、その後、バンクーバー冬季五輪に出場した国母和宏(スノーボード)の服装・発言問題においても噴出した。日本を出発する際、公式スーツを着崩し(ネクタイを緩め、シャツの裾を出し、腰パンなど)、ドレッド・ヘアに鼻ピアス、サングラスという彼のスタイルが報じられると、全日本スキー連盟に抗議が殺到。入村式出席自粛を課されたが、次いで、記者会見における「チッ、うるせーな」「反省してま〜す」などの発言が火に油を注ぎ、やはり国を代表する人間としての「品格」「品位」を守るべしとの観点から、参加を辞退し、即刻帰国させるべしという非難が湧き上がった。

 どうにか競技出場(決勝七位)には至ったものの、その間、彼が在学している東海大学では監督が謝罪のため現地入りする一方、応援会を中止、川端文部科学相も衆院予算委員会で「極めて遺憾なこと」「国を代表して参加するという自覚が著しく欠けていた」(二月十五日付『時事通信』)、「スポーツは健全な精神を養うためのものという意味で、あってはいけないことだ」(二月十六日付『FNNニュース』)などと批判、国母の父親は記者会見にあたって「本人に代わって謝りたい」「次の五輪は無理でしょう」などと謝罪(二月十九日付『産経ニュース』)するという異様な騒ぎとなった。これを受けて日本陸連理事会は倫理に関するガイドラインを策定し、「常に品位を保持し、公共の場における態度、言動、服装に注意を払うこと」という――ガイドラインと称しつつも、やはり「品位」なる不明確な――文言を盛り込んでいる(三月十六日付『デイリースポーツ』)。

 国母のスタイルが真に「異端」としての自由を象徴し得ているのか――所詮はステレオタイプの一種ではないか――という疑問はあるし、その発言も人として大いに未熟ではあろう。しかし、あるべき“日本人”の姿を精神主義的に仮構し、それに基づく「品格」「品位」という定量し得ない尺度によって個人を国家と対置させながら批判するという風調は、朝青龍に対するそれと同様、単にスポーツの世界の出来事として看過しがたいいかがわしく反動的なものであると言えよう。
(『社会評論』 2010年 161号)


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