「わけ知り顔」の物言い

大西 赤人    


 先日、詳細は略す偶然の経緯から、二十五年前の僕自身を記録した映像に久しぶりに触れる機会を得た。一九七二年三月にNHK総合テレビで放送されたドキュメンタリー――『閉ざされた校門』のダビング・テープが手に入ったからである。前年(一九七一年)の春、僕は埼玉県立浦和高校を受験し、試験成績では十分合格圏に入っていたものの、事実上、身体障害を理由に入学を拒否されてしまった。当時、この出来事は大きな反響を呼び、「障害者の教育権を実現する会」という団体も結成されるなど、障害者教育にまつわる運動として、社会的に広がって行った。

 前述のドキュメンタリーは、入学拒否から丸一年を迎える時期を区切りに作られた番組だったのだが、その頃は家庭用のビデオなどなかったし、放送当日に一度見ただけで、以来、二度と眼にすることはなかったのだ。今回、見直してみて色々と思うところがあったけれど、特に、(当時の)現役浦高生数人が“大西問題”について論じる場面は、最初に見た時も不愉快だったが、今回もまた改めて頭に来たし情けなくもあった。

 一人の生徒が、こんなふうに言う。
“大西君が身障者ということで問題になっているが、世の中にはもっと直接に経済的な理由で学校に行けない人、つまり定時制高校に通う人や、中卒で働く人も一杯居るのだから、そういう点から解決すべきだ。大西君が身障者と強調するのには、反感を感じる”

 しかし、彼の口調は、いかにも「わけ知り顔」の物言いであって、自らの訴える「定時制高校に行く人や、中卒で働く人」のために、一体どれほどの考慮や共感を抱いているのかについては、はなはだ疑問なのである。さすがに別の生徒から、“それでは、そういう人たちに対しては「大西君のような身障者も居るのだから」と我慢させることになって、結局、何も言えなくなる”というふうに反駁を受けてはいたが、このような「わけ知り顔」の物言いには、今に至るも、様々な場所で出くわすことが多い。

 たとえば先頃(十一月二日、三日)、神戸で「薬害エイズ国際会議」(主催・大阪HIV訴訟弁護団、共催・大阪HIV訴訟原告団)という催しがあった。海外から多くのゲストを招き、血液製剤によるHIV感染の「真相究明」や「今後の救済」などを論じようとする試みで、僕も出かけてみたのだが、ある発表後の質疑応答の際に、会場から「震災ボランティア」をしているという若い男性が発言を求め、次のような意見を述べた。
“薬害も重要とは思うけれど、ここ神戸には、震災による多くの被害者がまだ残っていることも忘れないでほしい”

 この人は、先の浦高生と較べれば、自身の言葉に添った行動の実現に努めているのではあろうし、その“善意”を無闇にあげつらおうとは思わない。しかしながら、やはりここでもまた、「わけ知り顔」の物言いという印象を受けたことは否みがたい。仮にその場が、「他の人間など知った事ではない、薬害被害者こそが唯一無二の救済されるべき存在」的な主張に占められていたならばともかく、大体、「あなた方も大変とは思います。でもね、よそには、もっと大変な人が居るんですよ」という意味にもなりかねない言い方は、相手に対していささか失礼である。

 もし逆に、薬害被害者ないし支援者が、震災被害を考える集会なりに出て、「地震で家が壊れた方も大変でしょうけれど、世の中には、薬害で死にかけている人も居るんです」とでも発言をしたら、顰蹙ものではないだろうか? もっとも、僕とは違って世間には、『なるほど、たしかにそうだ。我々は、自己中心主義に陥り、一面だけに囚われていた。眼を開かせてもらってありがとう』と内省かつ感謝するような度量の広い人々も多いのかもしれないが……。
(なお、余談になるけれども、僕が近年、限られた数にせよ、あれこれの集まりに出ていて、その集まりの性質、参加者のタイプ、年齢などに関わりなく、総じて抱かされる強い印象を一つ書いておきたい。それは、話し手――講演者、報告者、等々の話が一旦終り、大抵設けられている聴き手との「質疑応答」の際に感じるものである。多くの場合、話し手に対する「質問」の持ち主は、発言の機会を優先的に保証される。ところが、「質問」するはずの聴き手の相当数は、いざ発言を許されると、「感想と質問ですが」とか「意見と質問ですが」などと口火を切りながら、しばしば持論――しかも、往々にして異論または反論――を長々としゃべりつづけ、最後にアリバイのようにちょこっと「質問」を付け加える。

 テレビの討論番組の類では、言いたい放題デタラメな事をしゃべっておいて、他の人間がたまり兼ねて訂正すべく言葉を挟もうとすると、「今は私が発言しているんだから、黙って聞きなさい。あなたは、私の話が終ってからしゃべんなさいよ」という具合に“平等”だか“民主主義”だかを主張し、最後まで言い終えてしまう連中が居る。しかし、「発言機会の均等」や「対立意見の尊重」は、あくまでも各々の発言自体が真っ当な物との前提に基づいて成立すべきで、「何を言っても構わない」ということにはならない。

 先に記した「質問」であることによって発言機会が優先・保証される風潮、それに発言者自身も乗っかる風潮に、僕は、「黙って聞きなさい」という高圧的な姿勢にも通底する“民主主義”の歪みを感じてしまうのである。)

 話変わって、『学校II』(監督=山田洋次、脚本=山田洋次、朝間義隆)であるが、この映画は、三年前(一九九三年)に公開された前作『学校』に続き、その題名の通り、学校の在り方・教育の在り方というものをストレートに描こうとする作品である。ただし、前作が夜間中学を舞台としていたのと同様、今回は高等養護学校という一般には馴染みが薄いに違いない“場”が採り上げられ、特殊の事例から普遍の法則を導き出そうとする帰納的な手法は踏襲されている。

 北海道滝川市に近い小さな町に建つ竜別高等養護学校。この全寮制の学校では、主に知的な障害、それも比較的軽度な障害を持った子供たちが毎日を過ごしている。物語は、その一クラスの卒業間近な冬の一日から始まる。クラス九名の一員である高志(吉岡秀隆)が、弟のように面倒を見ている同級の佑矢(神戸浩)を連れて、無断で外出してしまった。大好きなアイドルのコンサートのために、旭川へ向かったのだ。担任の青山(西田敏行)は、若い教師の小林(永瀬正敏)とともに、高志たちの後を辿って旭川へ急ぐ。そして映画は、もう一人の担任・北川(いしだあゆみ)を含めた三人の教師と九人の生徒の三年間の出来事を回想しながら進んで行く。

 高等養護学校での生徒は、国語、数学などの教科、及び、農業、木工、園芸などの職業専科を学ぶ。個々の差異は幅広く、ほぼ日常の社会生活に順応し得る子供も居れば、数の概念さえ確実には認識し得ない子供も居る。高志は相当程度の理解力を持っているが、中学生自分にイジメに遭ったため、誰とも言葉を交わさなくなっている。一方、障害の重い佑矢は、入学当初は、教室に十分とジッとしていることさえ出来ず、奇声を発し、物を放り投げ、教師に噛みつき、時ところ構わず脱糞するという子供だった。新任早々に佑矢の付きっきりの世話を任された小林は、何とか相手の行動を規制・矯正しようとして悪戦苦闘する。

 ところが、先輩格の青山や北川は、小林とは反対に、そんな佑矢を基本的には叱ろうとも抑えつけようともしない。彼のやりたいままにやらせ、彼が満足するまで待っている。それは、傷害児教育における「完全受容」という考え方らしい。でも、その「完全受容」を続けることによって、佑矢の在り方が変わる――進展するようにも見えない。ところが、ある日の授業中、いつもの調子で好き勝手に暴れていた佑矢に向かって、それまで一言も口をきいたことのなかった高志がたまりかねた表情で「うるさいぞ! 静かにしろ!」と突然怒鳴りつける。この出来事以来、佑矢は高志を「お兄ちゃん」と慕うようになり、その言葉には素直に従うようになる。

 ところで、僕自身、日頃は松葉杖で歩いているし、手帳も持っているレッキとした(?)障害者の一人なのだが、正直なところ、障害者(児)をテーマとした――特に映画やテレビのような映像による――作品というのは、フィクション、ノンフィクションの別なく苦手である。その手の作品の大部分は、障害者(児)を“かわいそう”な存在、同情すべき無力な“弱者”として扱うか、そうでなければ、「この人たちもこんなに頑張っています、健常者(児)に劣らずここまで出来るんです」という具合の感動物語に仕立て上げる。

 けれども、そういう作り方は、現代社会を満たす効率主義、能率主義、経済中心主義、生産第一主義などを言わば揺るぎない大前提としており、その枠組みの中で障害者(児)がどれだけ自己を確立・発揮することが出来るか、というテーマの立て方になってくる。本作『学校II』には、途中、青山が「この子たちも、競争社会に出て行かなきゃいけないんだ」というように呟く場面があるけれども、ここで描かれる高等養護学校にしても、卒業後、障害が比較的軽度な生徒は単純作業をこなす労働力として社会の一員と化して行き、それさえも困難な生徒は、作業所などへ移り、しかしそこでもまた、たとえば割箸の袋入れのようなあくまでも経済中心主義の最底辺の労働力を担当させられる。青山は、障害の軽い高志を職業実習のためにクリーニング工場へ連れて行った時には、工場長に向かって、いかに高志が優秀であるか――即ち「人並み」に近いかを力説したりもする(実際には、高志は職場に溶け込むことが出来ないのだが)。

 つまり、青山は、現実の社会がいかに子供たちを圧迫するかを知りしながらも、また同時に、少しでもその競争社会に適応する――その競争を勝ち抜くには至らずとも、せめて生き延びる――形に子供たちを仕上げることをも目指さざるを得ない。この一種の二律背反は、障害児教育の現場においては、もちろん痛切に意識されているものと想像される。そして、学校という場が所詮は一過性であり、弱い子供たちを強大な社会に送り出さざるを得ない以上、現場で働く人々が現実と遊離した理想を掲げることはむしろ危うさにつながるかもしれない。しかし、『学校II』は劇映画であり、そこに象徴的な意味を籠めることも可能なはずなのに、その「競争社会」の側を幾分なりとも壊そうとする・変革しようとする気概に乏しい。従って、凡庸な“お涙頂戴”の物語ではないにせよ、子供たちを取り巻く現状を結果として黙認するにも等しい結果となっている。

 それは、旭川でのコンサートの後、高志と佑矢が訪ねる先輩の木村(大沢一起)の描き方にも共通している。木村は、高志よりもなお社会性を身につけているように見える。彼は、大きなホテルのレストランの下働きとして働いている。学校を卒えて大きな街に出て自活している木村は、高志にとってはさしずめ憧れの人である。でも、その木村は、厳しい労働条件の中で酷使されながら、それにひたすら沿って日々を送っているに過ぎない。そこに木村の「怒り」が生じない、木村は自分の置かれている状況に「怒り」を感じないものだから、なおさら見ていて歯痒くなってくる。彼が、高志たちを追って来た青山と小林を見送り、ホテルの前に心細げに立ち尽くしているシーンは印象的である。

 なお、ここで一点留意しなければならない。障害者の中にも身体障害者、視覚障害者、聴覚障害者、内部障害者、精神障害者、知的障害者という具合に、どれが正しい呼び方か判らないし、そもそもどこまで分類が必要なのかも疑問だが、とにかく様々な事例がある。そして、非常に難しいのは、知的障害について論じようとする時で、たとえば、僕自身が先の段落において、「社会生活に順応し得る」とか「相当程度の理解力」とか「在り方が変わる――進展する」とか「社会性を身につけている」というふうに記す時、その僕は、健常人としての知性を大前提として、そこに幾らかでも近づくことを「善」と捉えていることになる。

 それでは、その知性の大前提は、先の競争社会の大前提とは異なるのであろうか? 競争社会の象徴として学歴偏重や偏差値社会があるからには、知性の追求は、結局、競争社会に自分の位置を設けるための手段の一つと見做されなくもない。そうなれば、知性の獲得を肯定することは、やはり大前提の黙認となってしまう。でも、ひとまず僕は、それは違うと言っておこう。作中、高志は、“佑矢が羨ましい。佑矢は自分が馬鹿だと知らないだろうけれど、ぼくは、自分が馬鹿だと判るんだ”と言って涙を流す。人間が自分を知るために、人間の意味を探るために精神活動を深めることは、競争社会に寄り添う事とは全く別個に存在するものと思うのである。

 さて、映画の終盤、高志と佑矢は無事学校へ戻り、卒業式がやってくる。当日、教室で青山たちは、涙ながらに生徒に挨拶をする。この学校で過ごしつづけるほうが、大半の生徒たちにとって、より平穏な日々であろうことは明白だが、それは適うはずもない。ここで小林は、「この国に差別や偏見のない日が来るまで」頑張ろうと感極まった風情で口にするのだが、この言葉はクライマックスとしてひとまず感動的ではあるけれども、先の変革の気概という意味合いから言えば、弱い。あまりにも定型に収まっているために、既に発せられた時点で“あり得ない”ことが判りきっているような敗北感を伴ってしまっている。

 もっとも、それとは別にこのシークェンスでは、見ていて僕さえもジワッとくるシーンがあった。涙を見せまいと生徒に背を向けて立っている青山に、生徒の一人・資子が静かに席を立って近づき、その背中にいたわるように手を当てるのである。資子は、見た目では軽いダウン症のようだが、プログラムの「撮影ノート」から推察するところ、物語のモデルとなった雨竜高等養護学校の卒業生の一人らしい。彼女にどれほどの“演技指導”が行なわれたのか見当もつかないし、青山に近づく動きが演出(指示)されたものだったのかどうかも判らない。しかし、少なくとも僕の眼には、彼女の動きは自発的な――いわゆるアドリブという意味ではなく、あくまでも自らの想いの自然な発露としての――行動のように見え、俳優たちの感情を込めた演技の最中、彼女の全く計算を伴わない優しさが際立ち、この場面を一段引き締めたように感じられたのである。
(97年1月刊・『社会評論』105号)


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