現在、人として学ぶべきこと大西 赤人「生と死の弁証法」というこの一巻の(なかなかに難解な)表題を聞いて、僕は、自分がその執筆メンバーの一人となって何を書くことが出来るのか思案した。高邁な卓見を述べることは所詮無理である。付け焼刃的勉強をしても、すぐメッキが剥げるだろう。そこで、勝手にこう考えた。まずは、やはり、僕自身の話から始めるしかない。大した人生経験があるでもない僕が、人間の生と死、という大きな命題に対して物を言うとすれば、それは、僕自身の――生死に密接に関わる特異な体質――血友病に基いた私的な発言が、残らかなり一般性を発揮する場合にのみ可能なのではなかろうか。 僕は、とにもかくにもこれまで十年余り小説やらエッセイやら未熟な文章を書いて来たけれども、自分自身についてはあまり述べていない。それは、血友病という体質を隠したいからでは毛頭ない。血友病その物の説明は(ある時には啓蒙をも意図して)折にふれ積極的に書いて来た。しかし、自分の精神構造に関しては、変に病気を前面に押し出し、いわば“売り物”にするような立場になることを危惧し、避けて通った嫌いがある。 ここで血友病について、まず簡単に説明しておくことにする。 血友病は伝統的に伴性劣性遺伝病とされて来たが、近年は、突然変異発生と思われる患者もかなり多い。患者の血液には、凝固因子の一種類がごく少量しか生まれつき含まれておらず、一旦出血すると非常に止まりにくい。出血は、例えはナイフで切った傷のような外出血はもちろんだが、皮下、筋肉、関節、内臓などの内出血も顕著な症状である。 近頃では血友病も多少世の中で知名度(?)が高まり、正しい理解も進みつつあると思うけれど、以前はいわゆる“死病”視される病気の一つだった。今でも一部の旧弊な辞書などには依然として「患者は幼いうちに死亡することが多い」という類の記述が残っている。 近世ヨーロッパの各王朝に血友病が一時期広がった史実は有名である。ロシア革命で倒されたロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ二世の息子(一九一八年十三歳で処刑)も血友病だった。例の怪僧ラスプーチンは、この息子の治療にことよせて、ニコライ二世および皇后の寵を受けた、という。 血友病は全く生まれつきの体質であるから、僕は物心つくと自然に、自分が少なからず常人と違う事を認識していた。後天的に怪我、病気に遭った人間の場合は、以前の健康だった時期との対照が生じるが、僕にはそれはない。つまり血友病は、いわゆる「病気になった」という感覚ではないので、僕は自分が“異常”であると認識する反面、“病人”であるとの意識をあまり持っていなかったように思う。 最近では、強力な止血薬が開発されたおかげで、血友病患者でも健康人とそれほど大差ない日常生活を送ることが出来る。昔は考えられなかった外科手術を受けることも可能になった。それでも、外出する時など、不慮の事故に遭遇することへの惧れ――健康人なら応急処置で済む程度の傷が僕にとっては致命傷となりかねない――は常に頭の一隅に潜んでいる。つまり、現在でも僕にとって死は、健康人にとってのそれよりも、幾らか身近な具体性・現実性を伴っていると言えるかもしれない。 事実僕は、三歳の時に、医者から匙を投げられた経験がある。血友病患者は関節内出血を度々繰り返すうち、その関節に運動障害を起こしてしまう。特に膝を痛めて歩行に支障を来たすことが多い。三歳当時の僕も既に何度となく関節内出血に見舞われていたが、まだひどい障害には至っておらず、ある日も両親に連れられデパートへ出かけ、一人で廊下を駆け出して引っくりかえってしまった。 後頭部をしたたか打った僕は脳内出血を起こした。頭痛、嘔吐、ひきつけ。その頃、僕の一家は大宮に住んでいたが、かかりつけの近所の開業医は格別の処置を施すことも出来ず、言外に僕の死の予測を匂わせたそうだ。たしかに、一般的にも脳内出血は生命に関わる重症であり、しかもそれが、当時は有効な止血薬もなかった血友病の幼児に起きたのだから、死を予測されたことに不思議はなかった。 ところが悪運強し、と言うべきか、ほとんど奇跡的に僕は死を免れた。その結果、俗な表現だが「一度は死んだ身体」という意識が今に至るまで僕の中にある。しかし、その意識は、例えば『自分の人生は儲け物みたいなものだから精一杯思い切って生きよう』というような開き直りには結びつかず、逆に、生に対しての絶対的執着――死に対しての強烈な嫌悪を招いた。僕にとって、人間が「生きる」ことは、百パーセントの善、無条件の善と感じられるようになった。 どんな病気をしても、どんな怪我をしても、あるいは、どんな苦労に遭っても、どんな貧乏な生活を送っても、死ぬことに較べれば、生きて行くことが出来るだけで上等じゃないか。それが、僕の最初に到達した価値判断の基準であった。従って僕は、(これは全く脚色することなく)自分の血友病について思い悩む、クヨクヨする、ということがなかった。それは、先にも述べたけれども、血友病が先天的な体質であり、僕自身が真の健康の味を知らないための、言わば「知らぬが仏」風ノンシャランだったかもしれない。 ローマ五輪、東京五輪のマラソンで二連覇を遂げたエチオピアの“裸足の王者”アべべ・ビキラ。彼はメキシコ五輪で三連覇を逃した後、交通事故で重傷を負い、それまでの栄光のランナー人生から一転して、車椅子に頼る人間になった。遠いエチオピアのアベベの日常は、日本のマスコミに詳しく報道されはせず、パラリンピックに出場する、というようなニュースが伝わったぐらいで、彼は数年後に病死した。 アベベがどのように自らの有為転変を観じたか、僕には知る術もない。しかし、それはたとえようもなく辛い時間だったろう、と思う。そのアベベの辛さ(にどの程度なりか近い辛さ)は、僕には生じなかった。先天的なハンディキャップゆえの達観とも呼べそうだが、より大きなモチーフは、やはり生に対する憧憬であったと思う。 だから僕は自殺を厭い、自殺する人間への軽蔑の念を禁じえなかった。東京五輪でアベベに伍して三位となった円谷幸吉。アベベとは対照的に、身体ではなく、周囲の過度な期待に心を蝕まれて円谷は自殺した。彼の苦悩は察するに余りあったが、それでも僕は、円谷の自殺を受け容れることは出来なかった。『どうして逃げるんだ』と僕は思った。まさに死ぬのは簡単である。自分で幕を引かずとも、否が応でもいつか退場の時は来る。それまでは、仮にアベベのように泥にまみれても生きるべきではないか。円谷の死は、一見アベベより悲惨に映る。しかし、実は円谷の自殺は「ええかっこしい」ではないか。死ぬより苦しくとも生きるほうが本来じゃないか。 同時に僕は、例えば芥川龍之介や太宰治の作品を読んでいる最中なども、『この作家は自ら死を選んだ弱い人間だ』と些か傲慢な独断を心中で下したものだ。比較的近年になって青少年の自殺が社会問題視されはじめても、僕はほとんど気持ちを動かされなかった。極端な言い方をすれば、死にたい奴は勝手に死ぬさ、である。「箸がころんでも死ぬ」と新しい諺でも作りたくなるぐらいに些細な理由で死ぬ彼らを見ると、僕はいつもレミングの話を思い出していた。 レミングという動物は個体数が増え過ぎると、ある日突然、一斉に海へ向かって走り出し、ただただ一目散に海中へ飛び込むのだそうだ。集団自殺である。簡単にコロコロ死んで行く若者たちの姿にレミングの像が重なった。増え過ぎた人間の自己規制……。 そういう僕の中には、二つの顧著な性質が定着した。大ざっぱに表現するならば、それは、自惚れ(良く言えば楽天的自信家)と人の良さ(これも良く言えば隣人愛の持ち主?)である。 僕は、自分の病気に思い悩んだりクヨクヨしなかった、と既に書いたが、それは両親の方針の反映とも言いうる。僕の両親のほとんど唯一最大の教育方針は、病気あるいは身体の悪い事実を人に恥じず堂々としろ、ということだった。たしかに、病気などを出来る限り隠そうとする風潮は世間一般に強い。両親がそんな傾向にあれば、本人は引っ込み思案になり、陰鬱になり、いわゆる「暗くて陰気でひねくれた」体の悪い子供になりかねない。 僕の場合は丸で逆で、小学校、中学校において、大抵自分が中心に割り込まないと満足しないところがあった。だから、中学時代、転校した時には、あまり話もせず静かで大人しい(病弱な)新入りの登場を予想していたらしいクラスの生徒たちが、ギャーギャーとうるさく出しゃばる僕の出現に拍子抜けした、と後に伝え聞いたほどである。 自惚れ、とは言っても、具体的に何かの分野で人並み外れた能力を自負しているわけではない。それどころか、実際には色々と失敗し、自信の根拠のなさを暴露しているのだが、それにも関わらず、漠然たる自信過剰は薄れない。言葉を変えてみるならば、その感情は、自分――大西赤人という一個の人間は相当の存在価値を持っている、と確信したい気持ちとも言えそうだ。 そんな気持ちは人間なら誰にでもあるかもしれない。時間の流れの中に自分独自の足跡を残したい、というような。ただ僕の場合はそれが、ハンディキャップゆえに強まり、一種逆コンプレックス的に自信過剰となって表出したのではないか、と思う。 この自惚れと共に、僕がしばしば両親から非難・注意を受けるのが、人の良さである。言うまでもなく、人の良さは即、人間の短所ではないだろう。僕の人の良さとは、他人に対する必要以上の猶予の態度である。一家の中で、ある人物――既知・未知を問わず――の悪行が話題になったとする。両親がその人物を非難し、僕も大筋ではその非難に同意している。ところがいつの問にか、僕はさながらその人物の弁護士のごとく「悪気じゃなかったんだろう」とか「やむを得なかったのでは?」とか「気持ちは判る」とか言い始めることがしばしばある。他人を変に信用してしまうのだ。 正当な批判が出来ないのは、逆の立場になった時、相手の正当な批判を受け入れることが出来ないからだ、とよく言われた。実際僕は他人の批判に対して、それを自分の糧にしよう、とする意志が乏しい(先の「自惚れ」と結びついての性格であろう)。だが、それはそれとして、僕の心中に根本的に――性善説信奉とまでは行かずとも――なるべく人間のいい所ばかり見ていたい、汚ない部分は見たくない、ひいては、人間とは綺麗な存在だ、と思っていたい部分があるのではないか。 結局のところ、思い悩むことはないにせよ、持病があるという現象は、やはり何やかやと心身両面にわたって苦痛を招くのだから、せめて対外的には人を信頼し、あまり悶着を起こさず、まあ、のどかな気分でやって行きたい、というわけだ。 人間のいい所ばかり見ていたい、汚ない部分は見たくない――この心情は、より具体的には人間の病苦、老い、その延長としての死に対する嫌悪または恐怖感にもつながる。ここで話は、前出の、生への僕の絶対的執着へ還る。この生への絶対的執着は、考えてみると(その動機は僕に等しくなくとも)、人類全体が近代に至って追求しつづけて来た物なのではないだろうか? 問題の対象が散漫にならぬように、一応話を日本にまず限ってみる。日本の近代化は明治以来の精々百年余りの出来事である。しかも現在日本が、地球上において良かれ悪しかれ代表的な国家の一つとなっていることは確かだ。つまり、日本のこの百年余りの歩みは、近代人類の歩みをさしずめ微速度撮影フィルムのごとく短時間に凝縮したようなものである。 今や、日本人の平均寿命は、男が約七十三歳、女が約七十八歳程度。埼玉銀行広報部企画発行の「グラフからの発言」(今静行・編)という小冊子には、次のように書かれている。前段は馬鹿らしいほど当り前の内容だが、その後がちょっと面白い。 “人生五十年”ということばを誰でも何回、何十回と耳にしたことがあるでしょう。ところが戦前の日本人が全部五十歳で死んだわけではないのです。 たとえば明治三十年代でも六十五歳以上の老人人口は、全人口の五・四%(現在は八・六%)もいました。つまり戦前は医療の遅れで乳幼児の死亡率が極端に高かったことと、結核による青少年の死亡率が高かったため、総平均すると平均寿命が低くならざるを得なかったのです。 要約すると戦前、中年まで生きた男女成人の平均死亡年齢は六十五歳前後と推測できます。戦前六十五歳前後であった大人の寿命が、現在は十年ないし十数年延びたと解釈すべきです。 「人生五十年」が社会通念だった頃でも、極端な若死にを免れた者ならば、六十五歳までは生きていた、ということになる。つまり、「人生五十年」が「人生七十年プラスX年」と変わったのは、平均寿命の変化であり、長生きする人間が増えたための影響よりも、若死にする人間が減ったための影響のほうが大きいのである。 乳幼児の死亡率低下も、結核の死亡率低下も、戦後になって急速に進んだ現象に違いないが、それらの物理的変化以上に、戦後の日本人には精神・意識その物の変貌が起こったのではないか、と思う。敢えて乱暴な言い方をするならば、それまで“死に方”しか教えられず・知らず、で過ごして来た日本人が、戦後になってようやく“生き方”を学び、知るようになったのではないだろうか。 第二次大戦に敗れるまでの日本は、その源を武家社会のいわゆる武士道精神に発し、明治以後は軍人精神と些か姿を変えながらも、本質的には主君あるいは国家のため如何にして一個の人間が死んで御役に立つか、が最大の眼目であった。「七生報国」という言葉など、この思想の典型である。七度生まれ変わっても国に尽す。これは逆に見れば、七度生まれ変わってさえ、その生涯を自分自身のために使うわけに行かぬ、ということだ。 従って同時に日本では、伝統的に死を美化・理想化する風潮が脈々と流れている。何らかの不祥事が起きると、一定の立場の人間が切腹することで面目を保ち、その不祥事の徹底解明を避けて表面的な決着をつける――この江戸時代に普遍的と言ってもよい解決策は、“死人にロなし”効果はかりでなく、潔く死んだ者に比して、後々までクドクド追及する人間は心が狭い、というような雰囲気を醸成する効果もある。 「詰め腹」という言葉は今でも使われるが、「詰め腹」を切らせた側の横暴さを責めるのではなく、「詰め腹」を切らされた側への同情が、逆に物事の解明に「あの人が泣いて腹を切ったんだ、これ以上ゴタついては、かえってあの人の衷心を無にするから」という形でブレーキをかけたりする。 アメリカという国が全面的にいい国だとは思わないが、例のウォーターゲート事件やロッキード事件の推移を見ていると、日本とアメリカの人間の違いを痛感させられる。もちろんアメリカでも数々の陰謀や秘密工作が行なわれているだろうが、一度それが明るみに出たとなると、トコトンまで引っ繰り返してしまう。関係者も洗いざらいしゃべってしまう。日本ではそうは行かない。 この間の日商岩井島田常務の死については他殺説が囁かれたけれども、一般に、日本の疑獄事件には自殺する重要関係者が多い。アメリカでは、(それこそ映画並みに闇から闇へ葬られる者はいるとしても)自ら死を選ぶ重要関係者はあまりいないようだ。そこに自殺を罪悪とする宗教的背景を勘定に加えても、やはり、アメリカの最終的に自分の人間性を重視して総てを打ち明ける性向に較べて、全部腹にしまい込んだまま死のうとする日本人のあり方は実に異様だ。結局、日本人の倫理感覚としては、全部白状してサッパリするよりは、(一昔前のコマーシャルそのままに)「男は黙って」死ぬほうがより良い道なのである。まさに、死の美化と言って構わないと思う。 物事を突き詰めることをせず、ある地点からは“臭い物に蓋”のナアナア気分でお茶を濁してしまう。これは、狭い島国の閉鎖社会の中で、総ての秩序を崩壊させぬための生活の知恵となったのかもしれないが、日本人の最大弱点の一つであろう。特にそれが「死んでお詫び」という形によって問題の結着とされる時こそ醜態の極みだ。 日本の伝統的な死の美化・理想化は、言うまでもなく、明治以来連綿と続いた対外戦争下においては一層拍車がかかり、実質的には「一銭五厘の消耗品」という俗言に示されるような支配者の市民に対する見方を如実に現した。 人間の死はどのような形をとっても痛ましい物には違いないが、僕は何にもまして戦死が哀しい。僕は野球が大好きだけれども、戦前の名選手たちの多くが第二次大戦中に戦死したことを様々な機会に見聞きしている。毎年の高校野球シーズンにも「今の若者は幸福だ。昔の若者は……」に類する言葉は恒例のごとく顔を出し、そういう押しつけがましさに僕は反発を感じたりするが、それでも例えば一九三六(昭和十一)年の第二十二回中等学校野球大会で優勝した岐阜商業ナインのうち、バッテリーをはじめとする五人もの人間が戦死したと聞くと、どうにもこうにもやり切れない気持ちになってしまう。病死とも事故死とも違い、戦死は、戦争さえ起こさなければ絶対ありえない死の形式なのだから。 戦争の最(さ)中(なか)には、必然的に、人間の生命価値が暴落する。人間の死ぬことが極めて当り前になる。もちろん、兵隊が全員死ねば負け戦になってしまぅけれども、全員無傷の勝ち戦はまずありえない。戦争のそんな本質に、先に述べた日本風土病的死の美化・理想化が加わって、ついには「生きて虜囚の辱しめを受けず」や特攻隊の思想を産み出して行く。そこに見出されるのは何よりも、生に対する侮辱である。戦争で死んだ一人一人の存在は悲劇に違いないけれども、それから三十年以上の時間が経つ現在、人々の死の総体を一種の政治目的に供するごとき動きを見ると、昔、心中芝居が評判になったのと同様な死の粉飾を感じる。 アメリカ・ヨーロッパをはじめとする諸国の市民が、(革命という方法を主に)自分の手で人間としての生きる権利を獲得した歴史を持つのに較べ、日本にはそれがなかったため、市民が権利の正当な把握・行使能力を身につけていない、という見方はしばしばある。たしかに、戦後ようやく民主主義の名の下に日本の市民も人間としての権利を得はしたものの、十分正当にそれらが効果を発揮したかどうか。(ただし僕は、このところ盛んないわゆる“押しつけ憲法”批判をするつもりはない。たとえ押しつけでも正しい物は正しいし、いくら自主的な物でも誤まっていれば話にならない。受け入れる側の意識を高める必要があるだけのことだ)。 論がかなり拡がってしまったが、一旦要約すると、この三十年余りの短い年月の問に、日本の社会体制の変化、人間の生命価値の回復、生きる権利の獲得、その行使の未熟さ、等々がミックスされ、しかも、前述の死亡率低下、平均寿命の延長が急速に進行したわけである。そしてそれは大きく見れば(死に対する御都合主義的美化・理想化精神が今になお継続しながらも)、死を基準にした世の中から生を基準にした世の中への大転換ではなかったか、と思う。 ところが、その生を基準とした世の中、生こそ絶対善という考え方も現在に至って大きな壁にぶつかってしまった。もう一度、先の小冊子「グラフからの発言」の文章を引いてみる。 それではどうして世界一といわれるほどの長寿国ニッポンになったのかという点ですが、外国の長寿国をみてもわかるように、平均寿命は一般に国民所得の大きさと相関関係があり、所得の高い先進国ほど平均寿命が高いのです。 医療施設が完備し、栄養価の高い食生活もできるようなことになると、長生きも可能になるということです。当然のことでしょう。 もっとも、平均寿命の高さを手放しで喜んでばかりいられないのです。働く能力のない子供や老人が増え続けると、労働に精出している若者や中年層に社会的、経済的負担を増大させることになります。 さらに労働力人口の高齢化による能率の低下、老人支配による経済的、政治的、文化的停滞といった三つの問題が表面化してきます。 この部分は、まとめ方に短終的な色合いを感じさせるが、だからこそかえって、事態の核心に迫る一面も備えている。 人間の生死に最も直接に関わる分野は、何と言っても医学であろう。現代医学の進歩は次々に病魔を克服し、以前なら呆気なく息絶えていたに違いない人間を生き永らえさせる。医学は、文字通りの“デッド・ライン”をグングンと向こうに押しやりつづけた。なるほど、それは素晴らしい進歩と言うことが出来る。人間の生きることを無条件に肯定している限りならば……。 医学の今日的な大きな問題点として、人間の生死の判定を上げることが出来ると思う。昔はそんな物は簡単だった。呼吸が止まる、心臓が止まる、即ち死。現在では、そうは行かない。心臓移植の開始以来、“脳死”という基準も使われるが、必ずしも万人を納得させはしない。現代医学は、生死の境を混乱させるほどに、人間の生命を操作しはじめている、とも言いうるだろう。 僕はどの宗教をも信仰していないし、いわゆる神の存在を信ずることもないのだが、最近の、人間が自らの手で自分たちの生命を様々にいじくり回している様子を見ていると、少しばかり妙な気分になって、人間を超越した物の存在を空想する時もある。 今の所、地球上で最も勢力を張っている生物が人類であることは確かだ。その証拠に、人類は他のあらゆる生物を、自らの勝手な価値観によって生かしも殺しもする。徹底的に殺戮するかと思えば、気が向くと保護をする。人類の蔓延によって、生物界のバランスが少なからず狂わされて来た。人類は、他の生物とは桁違いの高度な“文明”を作り上げることによって、繁栄し増殖した。他の生物にとって、生死はまさに天命に過ぎない。生きるだけ生き、老い、傷つき、あるいは病を得て斃れる。人類は、“文明”の発達、中でも医学の進歩に伴って、この天命のテーゼを次第に覆しつつある。自然の赴くままに任せれば死が不可避のはずの数多くの人間が、“文明”の力で行きつづけるようになった。 (これには、“文明”の力で生命が左右されること、そのことも天命の埒内とする見方も可能だろう。しかし、形而下の思考に徹するならば、人類は自然の成行きから逸脱しつつある、と見るほうがやはり妥当ではないか)。 人類は諸々の生物をその用途に応じて選択・淘汰する。その行為は、人類が“文明”によって他の生物の上に――一応――君臨しているからこそ成立する。他の生物たちは選択・淘汰に対して別に反乱を起こしはしない。しかし、この選択・淘汰の思想が、同じ人類の問、人間同士に適用されても必ずしも不思議はない。優生思想である。 このあたりから問題は一段と緻妙・厄介・難解な代物となって来る。僕がこの文章の初めに自分自身に関して記したのは、僕の立場を確定しておいて、この問題を扱いたかったからである。僕は決して健常着ではない。僕より重症の人が多くいるであろうとはいえ、僕は間違いなく障害者の一員である。最近の言葉を使うならば、“弱者”の一人である。その、自分が“弱者”の一人である事実を一種の免罪符としながら、この問題を論じようと思う。 この問題、とは、全面的に“弱者”を生かす、“弱者”の生命を救うことをもって是としている現在の人類の歩みが、本当に無条件に正しい道なのかどうか、という点である。 今日一般に言われる障害者と健常者、あるいは“弱者”と“強者”(即ち健常者)というように人間を二分する方式は、その一見の明確さに反して、極めて曖昧な性格を内包している。つまり、漠然たる表現として「五体満足」などと使われはしても、完全無欠に健康な人間が実在する可能性はまずありえない。非常に細かいようでも、近眼、虫歯だって人間本来の姿から言えば障害と見なしうる。肥満も頭痛も扁平足もやはりある種の不備だろうが、そのぐらいでは、とても障害者として世間から認められはしまい。結局、世間にはボンヤリながら、例えば松葉杖をついたり、車椅子に乗ったり、うまくしゃべれなかったりする人間が障害者、という具合の二分の基準があるに違いない。 しかし、この二分方式は実は全く無意味だ。完全無欠の健康人――絶対的な健常者、“強者”が存在しなければ、あとは相対的な比較に過ぎない。しかも、障害には先天性の物だけではなく、後天性の疾病・事故などによる物も多いし、“強者”の一大要素たる“老い”に関しては、誰一人として避けることが出来ない。つまり、ある意味では、人間総てが軽重を問わず既に“弱者”であり、かつ将来“弱者”の仲間入りをすることも確実なのだ。従って、広く“弱者”に対する軽視、蔑視、差別は言わば「同士討ち」であり、断固一掃しなければならない。 その原則を踏まえた上で話を進めると、人間はやはり(それこそ完全無欠な)健康体に近いことこそ理想だ、と思う。僕にしても、血友病であることを喜びはしないし、もっと小さな部分では、近眼も、眼鏡なんて面倒な物と縁がなければそれに越したことはないのに、と感じる。いつまでも年を取らずにいたい、という気持ちも、先の、死に対する嫌悪感に直結して持っている。 ところが現実問題としては、“弱者”を軽視、差別する状況と同時に、“弱者”をひどく過保護的に扱っている状況も存在しているように僕は思う。政治的、社会的には“弱者”は確かに軽視、差別されている。けれども、生物学的には、現在、“弱者”は未だかつてなかったほどの最大限の尊重を受けている、と言えなくもない気がするのである。 僕は以前から、自分自身に関して大きな疑問を持っている。先に僕は優生思想にまで一旦話を進めたが、血友病は、日本に現存する優生保護法で中絶を公認されている遺伝病の一つである。血友病に限らず遺伝病は、後天性障害と異なり、綿々と子孫に波及する危険を持っている。事実、最近急速に研究の進みつつある遺伝子操作は、劣悪遺伝子を除去することによって遺伝病を治療(撲滅)する、という金看板を掲げている。すると、僕のような遺伝的欠陥を持った「個体」は、人類全体にとっては不要かつ危険な存在、ということになってしまうが……? この優生思想に立脚した遺伝子操作は大いに問題を革んでいる。劣悪遺伝子の範囲をどこまでに限定するか、また、それを誰が決めるのか。稲や金魚の品種改良とは訳(わけ)が違う。人間を超越した物がいるのでもない限り、同じ人間同士でそんな不遜な行為をするだけの権利を全責任を負って行使しうる者がいるはずはない、と僕は考える。だから僕は、遺伝子操作を筆頭とするいわゆる「生命科学」に対してごく懐疑的であり、その進歩発展を期待する気持ちにはならない。世間一般にもこの「生命科学」への危機感は少なからず存在しているようだが、その主な理由は、「生命科学」が“弱者切り捨て”のお先棒をかつぐ役割を果たしかねないことへの危惧であろう。“弱者”保護、“弱者”尊重の一つの現われだ。 そのように考えているにも関わらず、僕の疑問は依然くすぶりつづける。自分自身をも含めた“弱者”は無条件に生きつづけるべきなのだろうか。人類も本来生物の一種族である以上、弱肉強食・優勝劣敗の理論通り“弱者”は生存競争から脱落し、生き残った個体によって人類が進化するべきだ、と考えてみても、それなりに一理なくはないのである。自然界の中で野たれ死にする生物とは違い、人類は“文明”を獲得したからこそ“弱者”をも取り込んで進んで行くことが出来る、という見方が当然反論として出るし、僕も基本的にはそれに同意する。 しかし、はっきり眼につきはじめている問題をオミットすることは正しくない。先に、平均寿命の延長が一概に喜ばしい物でなく、三つの表面化した問題がある、との見解を引用したが、もう一つ文章を引用する。今年(一九八〇年)八月二十二日朝日新聞夕刊掲載、「死」について書かれた谷川俊太郎氏の小論の一節である。この小論は極めて簡潔にまとまった逸品で、ちょうど「生と死の弁証法」の原稿に四苦八苦の真最中だった僕は、自分の言いたい事柄が谷川氏によってアッサリと書きつけられている有様に参ってしまった。それはちょうど、オンボロ車で坂道をのたりのたり上っていると、すぐ真横を真赤なポルシェか何かが風のように通り過ぎた、というような感覚だった。それでも、オンポロ車として引き返すわけにも行かず、辛い所である。 いまわれわれの生きている社会はたとえば、身動きもできず、口もきけず、考える能力も、ものを食べる能力もない九十歳の老人をも人工的に生かしつづけておくことのできる社会であり、それが少くとも建前としては善とされている社会である。個人の生命を尊重するあまりに、死の意味を見失っているのだとも言えようか。 二つの指摘はどちらも老人を直接の対象としている(谷川氏は一応その老人を、「人工的に生かしつづけられる」者と特定する)。これら二つとも、老人の存在を否定しようという短絡的指摘のはずはなく、老人によって“弱者”を象徴し、“弱者”への無条件の尊重・保護――生きつづけることこそ絶対善――方式に対して控え目な疑義を表明している、と解釈すべきであろう。 近年論議を呼ぶ安楽死の問題も、この方式が引き起こしている。安楽死の思想その物は新しくなくとも、その対象が大きく変わった。谷川氏が書いたような「身動きもできず、口もきけず、考える能力も、ものを食べる能力もない」人間でも、様々な生命維持装置――まさに“文明”の権化――のカによって心臓の鼓動を続けているのだが、果たしてそれが人間として本当に生きていることなのか、との疑問を招き、生命維持装置を止める安楽死こそ人間の尊厳を守る術である、との意見も出て来る。それというのも、生命を持続させることを至上の使命とした医学が、その人間の“病後”を斟酌するよりも、ともかく心臓を働かせることにのみ全力を傾ける結果である。 平均寿命の大幅な延長の主要因である乳幼児死亡率低下についても、その生命の多くが死を免れるようになった反面、病気の後遺症、あるいは様々な先天異常により重い障害を背負ったまま生きて行くケースも決して少なくない。重い障害と共に生きるよりは死んだほうがましである、などと言うつもりはこれっぽっちも僕にはない。ただ、現在の人間は一心に生を追い求めるあまり、本来的な生の価値をかえって見失いかけているのではないか、と一抹の不安を感じるのだ。 江戸時代の日本でキリシタン摘発のため使われた「踏絵」は有名である。キリストやマリアの像が描かれた「踏絵」を信者は踏むことが出来ず、その素姓を顕してしまう。以前僕は、この話を聞いて実に不可解に思った。当時日本で布教を行なっていた宣教師たちは、信者に向かってなぜ「あんな板切れを踏んでも構わないのです。それだけの事で神の御心は変わりはしません」とでも訓さなかったのだろうか、と。つまり、宣教師たちは、信者が「踏絵」を踏むよりも、火灸りになるほうを間接的に要求したに等しいのである。これは、僕の宗教嫌いの一因となった。 しかし、後に、この僕の疑問・憤慨は幾らか変化した。「踏絵」を踏ませてしまったら、宗教が基盤から崩壊してしまう、火灸りになっても「踏絵」を踏まぬ意志の形成こそ宗教の本質なのだろう、と考えるようになったのである。(その変化は僕の宗教嫌いを少しも減じはしないけれども)。 “弱者”の問題は、人類全体にとって一種の「踏絵」になっている、と僕は思う。 ペスト、天然痘、肺結核、――それら“死病”を医学の進歩によって制圧して来た人類だが、どんな形でも生きていれば良い、極端な場合は心臓が動いてさえいれば良い、という方式では今後の人類を導くには不十分であろう。 医学自体は、人間を出来うる限り理想の健康体に近づける――即ち死から遠ざける――という趣旨で発展して来た以上、これからも、例えば安楽死などはあくまで否定しながら、同じ方向へ進んで行くだろう。その一方で、人間を死から遠ざける医学は、生きつづける“弱者”を多数生み出している。 “弱者”の問題は既に医学では手に余る。そこには人類の生死に対する新たな思想が必要なのである。“弱者”は生死により密接な関係を持った人間であり、その去就が人類全体の生死の問題を尖鋭に体現する。ところが実際には、“弱者”を依然として保護し、生き永らえさせるだけの方針以上の動きはない。 なぜなら、“弱者”の問題は「踏絵」だからである。政治的、社会的な“弱者”への差別、蔑視、隔離、抹殺、等々の誤まった対応は根強い。だから、たとえほんの少しでも“弱者”の存在を疑問視する見方は、正当な理由があったとしても、たちまち“弱者”差別、抹殺を後押しする結果になりかねない。そこで、「踏絵」を踏むことが出来ない。 人間は、改めて生と死の意味合いを再検討すべき時期にある。自然のままに時を過ごすのではなく、総てに人工的な、生死の操作をも技術面では可能にしつつある状況の下、昔はただ死を恐れていただけの人間が、物理的にはかなり死を制御しはじめたのだから、当然、生と死への応接も変貌すべきであろう。 それに必要不可欠な物は、本来的な生の価値を再確認することだが、僕の思うに、日本ではこの作業は非常に難しそうだ。既に書いたように、日本の歴史を見ると、日本人は長い間、“死に方”ばかりを教え込まれ、“生き方”に目覚めてから僅か三十年余り。しかもその“生き方”とは、生きる権利を獲得するに至るまでの紆余曲折に乏しい、降って湧いたような出現の仕方である。生の価値を再確認する、どころか、日本では、第一、生の価値を確認した経験さえあったのかどうか。谷川俊太郎氏の文章には、次のような一節もあった。 われわれ日本人の感性の底には、死は自然であるという観念がいまだに生きていると思う。死と切り離すことのできぬ老いを、枯れるというような言葉で理想化するところにも、死を散る花のたとえで語るところにも、人間を自然と対立するものとしてではなく、最終的には自然と同化するものとして感じているわれわれの態度は表れている。けれど現実には、われわれの社会の内部でも、死はそのような形をとれなくなってきている。 伝統的に日本人は「いかに生くべきか」よりも「いかに死すべきか」を重視する民族であった。従容として死につくこと尊んだ。醜く(あるいは執念深く)生きるよりも、清潔に(あるいは自然に任せて)死ぬほうを好んだ。そういう感性の日本人には、生と死との境の判定、安楽死の是非、生命操作の是非、“弱者”ヘの対応、等々のある意味でドロドロした問題に立ち向かうだけの精神基盤がないのではないか、という気もする。 だが、日本人の感性などにお構いなく、現実の動きとして人類は(日本人をも含めて)「自然と同化する」どころか、「自然と対立する」地点を越え、「自然を侵蝕・演出する」形で死を扱いはじめている。必要最小限の論理と倫理に裏付けられぬまま技術だけが進歩する恐ろしさを考えると、日本でもなるべく早く、これら生死に関する諸々の問題を(政治的、社会的に悪用されることなく自由に、かつ徹底して)論議しなければならぬはずであるが……。 最後に、僕の現時点における“人間の生と死”に対する意見を述べておく。 「生きて行くことが出来るだけで上等じゃないか」という単純な生への執着は薄れつつある。自然に任せれば死んでしまう者を無理矢理医学のカで生かしつづけることには、多少疑念を抱いている。しかし、安楽死を全面肯定する気はない。安楽死の肯定は医学の否定につながる、と思うからだ。ところが、医学の歩みを支持するならば、遺伝子操作をも医学の究極として肯定すべきなような気にもなるが、そこはまだ譲れない。 先天異常や遺伝病が遭伝子操作によって駆逐される、とすれば、それだけに限るとまことに喜ばしい。しかし、今や僕は、人類を信じることが出来ない。先天異常・遺伝病駆逐ぐらいのメリッ卜では補いのつかぬほど大きな悪弊が、遺伝子操作のためにひき起こされるのではないか、との惧れを抱いてしまう。それは、人類その物――分不相応に自然を侵蝕・演出しつづける生物の一種類たる人類――に対しての危惧でもある。 これまで人類は死を遠ざけることにのみ腐心して来た。しかも日本ではその風土的特殊状況により、死を基準とした社会から生を基準とした社会への、大きく、しかし表面的で、精神の裏付けがないままの変動が比較的短い時間で起こり、多種多様の歪みはあえて看過されつづけている。今、日本人に必要なのは、改めて“死に方”を学ぶこと、それも国家のために死ぬのではなく、一個の人間として十二分に生を活用した上で死ぬ、その方法論ではないか、と僕は考えている。 (『岩波叢書「文化の現在」6 「生と死の弁証法」』岩波書店1980年12月) 評論/表紙 |