今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

“非常時”“戦時”などの物言いによる「国難」の怪しい強調――4月のツイッターまとめ(下)

大西 赤人



【承前】
11日
これでも変わらないのだろうなあとは思いつつも都知事選ばかり気にしていたのだが、大阪地方選では、民主退潮もあって橋下知事率いる維新の会が圧倒的勝利。しかしこれ、あの小泉旋風と全く同じに見える。

“今こそ日本は一つに”的なかけ声と共に「復興」や「再生」やが叫ばれ、被災地の人達の“生まれ育った土地が一番”という類の動きが盛んに報道されている。でも、あえて言えば、あの瓦礫の無防備な場所に、今、同じ津波が来たらどうするのか? 確率的に二度は続くまいという想定だけなのだろうか?

文部科学省が福島県に「校庭など、幼稚園や学校の屋外で子供が活動する際の放射線量の基準」を示すそうで、「年間被曝許容量を20ミリ・シーベルト(2万マイクロ・シーベルト)」とし、「基準を超えた場合、校庭を使用禁止にし、授業を屋内だけに限るなどの措置をとる案も出ている」(読売)そうな。

「原子力安全委員会の助言を得た上」というが、20ミリシーベルトといえば、原発労働者の年間の許容被曝量だった値。先日、作業員の許容量を100から250に引き上げていたが、つまりその100さえ、20×5年間ならばという累積値だったのか? 幾らでも緩和するのだから、基準など全く無意味。

出ない、飛ばない、影響ないと言ってきて、しまいには基準の方を緩めて安全圏を維持する。五百歩ばかり譲り、大人は政治(家)を選んだ自己責任としても、子供の方が確実に放射能の影響は大きい。それを、二十倍緩くした基準値を超えたら「校庭を使用禁止にし、授業を屋内だけに限る」って何ですか?

“総理になりたかった”だけでビジョンもないまま就任以来、次から次に災難に見舞われてきた菅サンなんだが、どうせこのままなら今後もいよいよ叩かれて椅 子を追われるだけなのだし、しがらみを捨て原発に大英断を下す方が、まだしも歴史に美名を残す可能性があるのではなかろうか。その気はないか?

12日
10日に東京・高円寺で行なわれた反原発デモは15000人を数えたそうだが、日本のマス・メディアはほとんどスルー。事前にいささか懸念された通り、別にデモ慣れしていない多数一般人の時ならぬ出現は地元商店街に迷惑もかけたようだが、ひたすらおとなしい昨今のこの国においては極めて稀な光景。

“そんな事やってる場合じゃない”“今までの恩恵を無視している”などの批判もあるが、“地震がなければそんな事すら思わなかった連中”という冷笑はおかしい。毒キノコと見分ければ食べないが、口にして噛むうちに変と感じても吐き出す。美味いと思っていたなら呑み込んで死ねと求めるような話だ。

http://d.hatena.ne.jp/ayua/20110411/1302526954 この「福島には原発が必要だった」という一種悲痛な反語的表出の含意を読み取らないコメントの多さ……。

3月=「【枝野長官】最悪の事態を想定しても、チェルノブイリと同じ状態にはならない」(14日・産経) 4月=「【保安院】最悪の『レベル7』とする検討に入った」「【原子力安全委員会】すでに最大1時間あたり1万テラ(テラは1兆)ベクレル規模の放射性物質が出ていた可能性」(12日・日経)

経団連・米倉弘昌会長「東電自体が被災者だ。従業員が津波に流され、機器も津波に流されているところがある。そういったなかで一生懸命努力をしている」「【東電は】甘かったということは絶対にない。要するにあれは国の安全基準というのがあって、それに基づき設計されているはずだ。」(続く)

「恐らく、それよりも何十倍の安全ファクターを入れてやっている。東電は全然、甘くはない」(ウォールストリート・ジャーナル日本版) まあ、別にコメントしようとも思わないのだが、少なくとも極めて幸せな考え方でむしろ羨ましい。【ただし、「従業員が……」の部分を否定する気は毛頭ない】

たとえば太平洋戦争を批判すると“お前は国に命を捧げた人々を貶めるのか”と反問される。そうではなく、戦争がなければ、その人々も命を落とさなかったはずということだ。今回も、現場に加え、会見で吊し上げられる社員さえ被害者と見なし得る。大きなシステムと個々人とは峻別されなければいけない。

高円寺デモに関して、趣旨には賛同する側からも、その手法に疑問・批判が出てきている。たしかに指揮系統は不明確で統率も欠けていたろうが、自然発生的な形でしか集い得ない――運動体や組織を強く嫌う――意識が日本に作られてきたことも事実。この機運をしぼませずに誰(どこ)が受け継ぐかが重大。

「経済産業省原子力安全・保安院は十二日、1〜3号機から大気中に大量の放射性物質が放出されたとして、原発事故の深刻さを示す国際評価尺度(INES)でレベル5としていた暫定評価を、最も深刻なレベル7に引き上げると発表」(東京) ついに。保安院など無意味なんだが、6を飛び越すとは……。

枝野長官「『事故の形態も内容も質的に大きく異なる経緯をたどっている』と事故の性質の違いを強調しました。さらに、現在まで事故による直接的な健康被害はなかったとしたうえで(以下略)」(テレビ朝日) 今なおこんな空疎な言葉。「異なる経緯」とは、実際は「もっと厄介」ということではないか。

松本純一東電原子力・立地本部長代理「放出は現在も完全に止まっておらず」(朝日) “完全に”という副詞は8、9割方止まっていて精々1、2割出ているかのようだが、そのあとに続くのは「放出量がチェルノブイリに迫ったり超えたりする懸念もある」 現時点の推定放出量は未だ7〜12%なのに。

13日
工藤和彦・九州大特任教授(原子炉工学)「2段階上がったからといって今後の危険性が増したということではなく、あくまで現状を評価したものだ」「予断は許さないが、必要以上に不安を感じることはない」(産経)その「必要」こそ明確に教えてほしいのだが。http://bit.ly/ibNXuE

あえて今どき紙媒体の雑誌として『季刊 メタポゾン』創刊号を一月末に発行し、ようやくネット書店や一般書店にも広まってきたかなという時期に東日本大震災が起きました。直接どれほどの影響があったかはさておき、出端を挫かれた感は否めません。第二号の編集進行も、色々な面で大きく揺らぎました。

福島在住だった編集の鈴木君は、予定していた転居を目前に被災し、長らく足止めを食ってしまいました(現在は移転完了)。本来、第二号は四月下旬の発行を予定していましたけれども、福島原発に関する緊急インタビューを行なったこともあり、どうやらゴールデン・ウィーク明けにズレ込みそうです。

ネット動画にせよ見られるだけマシなんだが、直ちに健康に影響があろうとなかろうと、現実として日本だけでも何万人も家から引き離し、仕事を奪い、遺体の処理さえ放棄させ、土地や海を汚し、十年二十年の負債を国民に負わせた東電の記者会見で、副社長あたりがあんなに慇懃無礼にしていられるのか?

吊し上げろという気などないが、馬鹿丁寧な敬語のヌルい質問に武藤副社長の答といえば、「大きな事故が起きたことは重く受け止める必要がある。こうした事態を踏まえて、どうしたら安全確保ができるかが議論されるべきだし、今回の事故について検証する中で教訓になると思う」(産経)とまるで他人事。

「大きな津波が来たことに加え、地震で外部電源が停止した。それに加えて、大きな津波で非常用発電機がすべて動かなくなった。さらに、電源は外部、非常用、バッテリーとあるが、そうしたものが冠水して使えなくなった。電源がなくなり、海水の冷却できなくなり起きた事故」 総ては自然のせいらしい。

「福島レベル7 『最悪』評価はおかしい チェルノブイリとは全く違う」(産経『主張』) 「一時的にレベル7の適合要件を満たしていたからといって、それだけで結論を下すのはいかがなものか」「放射能の量も汚染面積も比べものにならない」 “レベル・チェルノブイリ”ではなくとも、レベル7は7。

サウジアラビアの王族による投資会社が約1兆6300億円の資金を拠出し、ドバイにある世界最高「ブルジュ・ハリファ」(約828メートル)の倍近い高さとなる275階建て超高層ビルを計画中とのこと(共同)。最上階までエレベーターで約12分。地震はない(?)のだろうが、まさにバベルの塔。

http://bit.ly/hVK367 京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏による11日の話。危機を語る一人だが、テレビで「“直ちに”影響はない」と安全を唱える「専門家」連中より百倍明快。なお「助教」とは「助教授」ではなく、昔の「助手」。“出世”する(求める)立場にないと聞く。

原発の状況は“ある意味”単純 停止した炉の燃料棒は冷却が必須・冷却材(水)は本来循環すべき(汚染水が外に出るから)・循環系は機能していないので外部から注水、放水で冷却中・循環系の修理が出来ない(被曝するから)・冷やした水は循環しないため漏れて溜まる・でも注水は絶対に止められない。

東電・清水社長記者会見中。相変わらず“地震については制御棒が入ってキチンと止められたのに津波で……”という言い方だが、冷温停止に到って初めて「止まった」ことになるのだ。しかし、記者の“お気持ち”“御発言”“お話”“お考え”“御見解”“御方針”という丁寧語連発は非常に違和感がある。

午前の枝野長官会見 「原子炉の格納容器が爆発した場合について『万が一起こったとしても、現在の避難指示区域でよい』」(産経) ビックリしたが、『朝日』会見全文を見ると「格納容器が水素爆発を起こすことになって」「水素爆発が万が一起こった場合」とある。より深刻な危険は「水蒸気」爆発。

14日
今でも「原発反対」を唱えると“日本を潰す気か”とか“電気使うな”とか“左翼”とか言われるが(というか、世界で最初に原発を作ったのはソ連だし、現に中国や北朝鮮の方がよっぽど推進派なんだが)、あえてここで健康や環境面は外し、ひたすら経済――金勘定の問題として計算してみようと思う。⇒

何事にも比較考量が必要で、原発のメリットは圧倒的に安上がり、資源に乏しい日本には最適とされる。ただ、仮に本当に“想定外”だったとしても、地震や津波は現実に起きた。そして、そのような百年に一度、千年に一度の事態に完璧に備える――即ち100%の安全追求は数学的・経済的に不可能だ。⇒

システムを整えても人為ミスは除き得ないし、そもそもそんな対策に巨額を要したら、せっかく安価な原発のメリットが薄れてしまう。一方、万一か億一かの事故が起きれば、直接の復旧費や補償費の他、国内外での風評被害を含め長期に及ぶ経済的デメリットが計りしれない規模となることは間違いない。⇒

さて、そこで比較考量を行なうと、原発による経済的メリットは様々に定量化され、その実在を認めて×(かける)1で一定の値が出る。反面、デメリットの方は事実上∞(無限大)であると思われるが、その確率を弾くと、∞×ゼロ(100%の安全)が可能ならば答=デメリットもゼロでメデタシとなる。⇒

ところが危険性が僅かにでも残るとしたら、∞×億分の1、兆分の1、京分の1、垓分の1(以下略)であろうとゼロでない限り答は∞になってしまう。とどのつまり、原発は経済的にさえも破綻せざるを得ないと思うのだが、素人考えであろうか。まあ、数学も経済も得意な方ではないので御容赦(苦笑)。

車両保険契約者のうち地震等を補償する特約加入者は1%未満で「被害を受けた自動車の大半に、損害保険金が支払われない見通し」「【損保会社は】この特約を積極的に販売してこなかった」「【震災時に】多額の保険金を支払う必要が生じ、経営に影響が及ぶ恐れがあるからだ」(読売)何の為の保険……。

レベル7は過剰とも言われるが、基準は「放射性物質の重大な外部放出(ヨウ素131等価で数万テラベクレル以上の放射性物質の外部放出)」3月23日時点で既に約10万テラベクレル。チェルノブイリとの違いを認めてさえ確実に7は7。60km制限で120km出し、300kmじゃないぞ、的な話。

http://bit.ly/gPISUz レベル7認定を踏まえ12日の小出裕章氏。政治を動かすために何をすべきかと聞かれ“申しわけありません、私には判りません”今や“途方に暮れてしまう”“立ち止まってしまう”。 http://bit.ly/hVK367 に較べても声に元気がない。

http://bit.ly/i58dCH 13日の小出裕章氏。これは普通に大阪のMBSラジオ(毎日放送)で話しているのだから、テレビにも登場させられなくはないだろうに。というよりも、どこかの特派記者ないしはフリーランスとして枝野長官、保安院、東電の会見に出てくれないものだろうか。

政府側に寄り添っていない立場の人の中にも、危険論を無条件に拡めないことを“パニックや風評被害の抑制”として一定程度評価する見方もある。たしかに煽り気味の危険論もなくはないだろうが、少なくとも小出氏のように理論的かつ客観的な分析を聞けば、多くの人はむしろ冷静に対処するのではないか。

東大病院放射線治療チームのtwitterへの信頼は失ったが、発信内容を知るためにフォロー継続中。最近ブログも始まり、ここ二回は「がんの放射線治療」に比して現状の安全を力説。「全身照射で白血病が完治した患者さんの多くが、社会復帰」して「妊娠・出産が可能になった症例も」あると。⇒

だからどうしたという気もするが、併せて、放射線量の増加や食品による内部被曝は「“非常に”『ゆっくり放射線があたる場合』に相当」するから大丈夫(?)という文脈。でも同時に「ゆっくり放射線があたる時の【DNAの】修復の程度についてはっきりした証拠はありません」というのだから不可解。

16日
「全国ヘモフィリアフォーラム2011」出席のため大阪に来ています。震災発生後、主催者の間では予定通り開催すべきかどうか迷いもありましたが、実施することになったものです。西に来ると東日本の鬱陶しさは嘘のようです。

福島の状況は、相変わらず進展が見られない。既に地域丸ごと住めなくなるかならないかまで論じられつつある現在、それはもう、一企業で扱い得る状況を遥かに超えているように見える。どうして国は、主導権を握り、全機能を集めた対応を図らないのか? あくまでも東電の失敗として逃げておきたいのか?

17日
http://bit.ly/fM32sK 原子力安全委員会や原子力委員会の歴代委員長や委員16人が名を連ねて4月1日に行なわれた「緊急提言」のニュース。「懺悔」かどうかはさておき、どうしてもっと大きく報じられなかったのか? 動画もあり。 http://bit.ly/gWDzCk
18日
言わば“原子力ムラ”重鎮による1日発表の提言は、『朝日新聞』では7日“科学”欄に「原発の専門家らが『総力結集』を提言 〜国民に陳謝も〜」と題して僅か30行(330字)の記事になっていた。正式には「福島原発事故についての緊急建言」http://bit.ly/eUuY6sに全文が。

福島県内の原乳調査。「対象を近隣市町村から原乳を集めるクーラー・ステーション(CS)や、乳製品を作る乳業工場とし」「県内10の乳業メーカーなどが、他の市町村産と混ぜた後の原乳で測定」「【3週連続で暫定基準値以下、政府は】出荷停止を、新たに(略)25市町村で解除した」(産経)⇒

国の事故直後の独自検査で1町のみが上回り、「『消費者が摂取する乳製品と近い状態で安全性を調べるため』【厚労省食品安全部安全監視課】」「県としては『他の原乳が安全であることを示すには、全市町村の生産者を対象にするべきだと判断した』(幹部)」というが、混ぜてしまえば薄まりもしよう。

17日のロボット計測による1号機建屋の放射線量は毎時約10〜49mSvで、保安院は「【東電の事故収束工程表は】最も妥当な考え方」で「『数字は決定的に作業を妨げる(ほど高い)ものではない。内部での作業時間は短くなり、いかに避けながらできるか工夫してやる』」と強調した。(日経)⇒

だが、16日に1号機の別の二重扉付近(通常では放射線はまず検出されない場所)に立ち入った作業員が測った放射線量は、扉ごしで毎時270mSv。しかも、原子炉建屋の中へ入るには、その小部屋の奥に「厚さ約20センチの鋼鉄製の扉がもう一つある」(朝日)という。建屋内の値はどれほどか?⇒

早くに拡大された作業員の緊急時の被曝線量限度250mSvでも1時間弱。「明確な定義はないが上限を超えると数年は作業ができなくなるとみられ、原子炉建屋内での1人当たりの作業時間は大幅に制限される見込み」(朝日)だが「明確な定義はない」は微妙。これも緩和され早期復帰させられかねない。

19日
「政府が作業員の年間被ばく量の上限を、現在の250ミリシーベルトよりさらに上げることを検討」「作業員の数の確保が難しくなっていることや、原子炉建屋内の放射線量が高く、今回引き上げた250ミリシーベルトの上限では原子炉の安定化に向けたロードマップの実現に追いつかない」(日テレ)早速。

「厚生労働省が同原発の事故発生後に急きょ限度を250ミリシーベルトに引き上げたことについて、作業員を派遣する企業の多くが『現場が納得しない』などと反発。現在も従来基準の100ミリシーベルトを適用していることが、共同通信の取材で分かった」(10日・日刊S)。当然だが、人は不足する。

20日
24万フォロワーを持つ東大病院放射線治療チームのブログ(14日)末尾。「福島第一原発の事故でも、全身にシーベルト単位の被ばくをすることなど、もちろんあり得ません。その一方で、私たちのチームは全身照射(12シーベルト)といった、桁違いの放射線の医学利用を日常的に行っているのです」⇒

「そして、こういった量の放射線を照射した場合でも、発がんのリスクは、『白血病の完治』という“利益”と比べて非常に低いと言えるのです」 骨髄移植を伴う白血病治療の全身照射に“利益”があることが、「福島原発の事故で懸念されている放射線被ばくの問題」(11日)を何かしら軽減するのか?

『季刊 メタポゾン』第二号、編集作業追い込みです。四月発行を予定していましたが震災の影響を様々受け、五月連休明けになります。特集は、寿郎社・土肥寿郎氏の縁で協力していただけることになった佐々木譲さん。巻頭エッセイ『「絶対安全」の虚構』、絵本『サーカスが燃えた』(画・佐々木美保)⇒

(承前)twitter抄録と撮り下ろし写真を併せた『北のつぶやき JOH's eye & tweet』。3.11を境の大変動を綴ります。元福島原発圧力容器設計者・田中三彦さんにお話を聞いた『生きる境を見直すとき』は緊急企画。事故の検証 に加え、新たなライフスタイルを探っています。

「文部科学省は19日、福島県内の小中学校や幼稚園などの暫定的な利用基準を公表した。校舎や校庭を利用できるか判断する目安として、年間被曝量が20ミリシーベルトを超えないようにし、校庭の放射線量が毎時3.8マイクロシーベルト以上では屋外活動を制限することとした」(朝日)⇒

「この基準を超えたのは、福島市や郡山市、伊達市の13の小中学校、幼稚園、保育園(児童生徒ら3560人)」「校庭や砂場での屋外活動は1日あたり1時間程度にとどめる。手洗いやうがい、帰宅時に靴の土を落とす、などを勧める」「内部被曝の影響は(略)考慮する必要はないと結論付けた」⇒

年間被曝量20mSvとは、ついこの間まで原発作業員にようやく許容されていた数字であり、一般人の基準値は1mSvだった。一ヵ月半前、どこかの校庭でそれほどの放射性物質が検出されていたら、大騒ぎになっていたことだろう。「手洗いやうがい、帰宅時に靴の土を落とす」ふざけているのか。

表紙、巻頭エッセイのイラストは常盤雅幸さん。対照的な絵柄が見ものです。また、常盤さんが『小説すばる』に連載している四コマ漫画『真ッ赤な東京』より、一九九九年から二〇〇七年にかけて原発を描いた「活断層」など五点を『原発プレイバック』として再録します。常盤さんの口惜しさが窺われます。

大西巨人への連載聞き書き『映画よもやま話』第二回は、一九三八(昭和十三)年の名作、原作=森鴎外、監督=熊谷久虎による『阿部一族』です。同じく語り下ろし短歌自註『秋冬の実』第二回は、太平洋戦争開戦が迫る一九四一(昭和十六)年の作品を柱に巨人の青少年期におけるエピソードが語られます。

21日
24万人のフォロワーを持つ東大病院放射線医療チームが、再びブログで、放射性ヨウ素は甲状腺ガンやバセドウ病を直す薬剤でもあり、その場合は桁違いに多量ながら無害だと述べている。その通りとしても、ガン等の治療を引き合いに、放射線放出を大した影響はないと強調する「医療者」の物言いは異様。

正確な情報を伝えての不安の沈静化は必要にせよ、医療者ならば、むしろガン等の治療に使うほどの物質が放出されている事態への大きな“惧れ”や“怒り”が先にあって当然と思うのだが、このチームにはそれが極めて薄いと見えてしまう。原発以外のたとえば汚染や混入でも、これほど寛容なのだろうか。

23日
北大路公子さんの連作掌編「均された世界」の第二回『穏やかな人々』、クワンユーン・ルークジャンさんの短編小説『猪パーティー』。大西一穂の短編『静子と私』、いずれも前号同様、ちょっと変わった味わいの物語が並びます。イラスト陣は、にご蔵さん、佐々木淑子さん、木村晴美さん。

のぞゑのぶひささんの連載漫画「尾崎翠の世界」第二回『花束』(解題・近藤裕子さん)。出河雅彦さんの連載医療ルポ「『薬害』HIV感染を問い直す」第二回『血液政策の失敗』。谷口源太郎さんの新連載コラム「スポーツ・ウォッチング」も始まります。そして、大西赤人の中編『壊れる』。お楽しみに。

24日
昨夜の『NHKスペシャル 東日本大震災「被災地は訴える〜復興への青写真〜」』をボンヤリ見ていると、復興構想会議の五百旗頭真・議長が、阪神淡路大震災に比較しても今回の震災は凄まじかったという話の流れで、“被災地に掘っ立て小屋を建てるというような復興ではなく”云々と発言していた。⇒

正確な文脈は聞き取り損ねたので、「掘っ立て小屋」がどれを指していたのかは必ずしも明確でないのだが、いずれにしても、この話題に関連して「掘っ立て小屋」という感性に欠けた言葉を口にする人物が復興構想会議の議長とは……。テレビ参加の釜石市長、南相馬市長、南三陸町長がよく我慢したものだ。

福島県内の学校等の校舎・校庭等利用につき、文科省が子供の年間被曝基準量を20mSvとした判断に対し、日弁連が異議を呈する会長声明を出した。http://bit.ly/g8KZI6 主義主張を別に、日教組、全教、全日教連等の教職員組合のサイトを見ても、この判断への言及がない。鈍い。

25日
退避区域から警戒区域となった福島第1原発半径20キロ圏内では、家畜の殺処分が始まった。20キロ圏内と言われてもにわかにイメージが浮かばないけれど、西方半円としても、東京駅が中心なら西は三鷹、南は川崎、北は草加。大阪駅が中心なら西は芦屋、南は堺、北は箕面までが含まれるような広範囲。

26日
1964年5月27日、池田隼人内閣時代の原子力委員会(委員長・佐藤栄作)【当時は総理府の付属機関、現在は内閣府の審議会】が出した「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめやすについて」は、原子炉施設の安全性に関して、原子炉立地審査指針の「基本的目標」を明確に示している。⇒

「a 敷地周辺の事象、原子炉の特性安全防護施設等を考慮し、技術的見地からみて、最悪の場合には起るかもしれないと考えられる重大な事故(以下『重大事故』という。)の発生を仮定しても、周辺の公衆に放射線障害を与えないこと。」⇒

「b 更に、重大事故を超えるよう技術的見地からは起るとは考えられない事故(以下「仮想事故」という。)(例えば、重大事故を想定する際には効果を期待した安全防護施設のうちのいくつかが動作しないと仮想し、それに相当する放射性物質の放散を仮想するもの)の発生を仮想しても、⇒

周辺の公衆に著しい放射線災害を与えないこと。」「c なお、仮想事故の場合には、集団線量に対する影響が十分に小さいこと。」このような指針が現実には軽視されがちとは承知だが、「技術的見地からは起るとは考えられない事故」でも「周辺の公衆に著しい放射線災害を与えないこと」と明言している。

ここで述べられた「仮想事故」は、「重大事故を超えるような技術的見地からは起るとは考えられない」もの、「重大事故を想定する際には効果を期待した安全防護施設のうちのいくつかが動作しない」ものと定義されており、この基準に基づけば、今回「想定外」という種類の釈明・弁明は全く成立し得ない。

27日
「イタリアのベルルスコーニ首相は26日、伊仏首脳会談後のローマでの記者会見で、『原子力は今でも最も安全なエネルギーだ』と強調した上で、事故を起こした福島第一原発について『原発建設を認めるべきではない場所に、原発が建てられた』と発言した。⇒

(略)国内の計画の安全性を際立たせるため、福島の事故が特殊であると強調したかったものとみられる」(読売) 1987年の国民投票後に原子力発電を全廃したイタリアにおいて、ベルルスコーニは、原発計画再開を目指している人物。さすがに“あなたから言われたくない”という気もする(苦笑)。

原子力安全委員会の試算では、福島原発から「放出される放射性物質が今月上旬に比べて100分の1程度に減っている」(読売)とのこと。5日は1時間当たり1兆ベクレルだったが、25日は同じく100億ベクレルほどに。100億……。こうして感覚が慣らされて――正しくは麻痺して――いくのか。

枝野長官自身の選択か台本だったのか、事態発生直後“直ちに〜影響はない”という極めて巧妙・姑息な形容が用いられた瞬間、総ての流れが決まってしまったと改めて思う。今日も東電女性職員の基準を超えた被曝が報じられたが、「健康状態に影響はない」(読売)で終り。長い将来への危機感は断たれる。

衆院文科委員会。宮本岳志議員(共産)の質問=福島の学校等の校庭利用に関し、基準値の毎時3.8mSvを超える中学校が可とされているのはなぜか。高木大臣の答弁=幼稚園、小学校は(子供の背が低いので)地上50cmの値、中学校は(子供の背が高いので)地上1mの値で判断した。 呆れ返る。

衆院文科委員会。久住静代・原子力委員会委員の発言と高木大臣の答弁とが、次々に食い違っている。要するに政府は、過度な安全の強調と批判をも受ける原子力委の見解さえ一層緩和している。既に適用されたICRPの基準値(年間20mSv)は、許容値ではなく絶対の上限値。まして感受性の高い子供。

28日
国の防災基本計画では、原子力災害発生時、原子力安全委員会の「緊急事態応急対策調査委員」ら専門家が現地に向かうと定められているが、地震直後に現地へ向かい得たのは事務局職員1人だけ。結果的に政府の現地対策本部に専門家2人が派遣されたのは4月17日(!)と班目委員長が国会で説明。⇒

「専門家」諸氏がすぐ着いて事態が好転したかは怪しいが、「大変遅くなってしまった」「本当に失敗だったと反省しております」(読売)、「事故拡大を防げなかったのは、私の非力に尽きる」(毎日)とした班目委員長、当初の「【政府への】助言内容はその時点、その時点では正しかった」(毎日)とも。

2007年に起きた中越沖地震の際、柏崎刈羽原発7号機から約3億ベクレル(東京電力速報値。通常運転時は年間で100万ベクレル程度)の放射性ヨウ素が放出された。これは、1991年に美浜原発3号機で蒸気発生器細管破断によって環境に放出された約3.4億ベクレルを上回るものと騒がれた。⇒

福島原発からは、既に12日時点において大気中だけで37万(保安院)〜63万(原子力安全委員会)テラベクレルの放射性物質が放出。仮に60万テラベクレル=60京ベクレル=3億ベクレルの20億倍。いや、「20億倍」って、わけ判らん。減少した25日時点でも毎時100億ベクレルずつ……。

「テラ」はパソコン関連で聞く。ザッとフロッピー五百枚のデータがCD(700メガ)一枚。CD七枚がDVD一枚。DVD二百枚が1テラバイトのハードディスク。柏崎がフロッピー一枚なら、福島はCD約四千万枚、DVD約五百七十万枚、ハードディスク約三万台。って、なお判りにくいか(苦笑)。
(2011.5.24)


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