今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

警察庁が星の売買をうかがわせるメールの記録を文科省に提供したことは、個人情報保護に違反しないのであろうか

大西 赤人



 双葉山の歴史的な連勝記録にこそ及ばなかったものの、横綱・白鵬の挑戦で幾らか上向きかけていた大相撲のイメージが、複数の現役力士、親方の間を飛び交っていた八百長メール発覚により、再び壊滅的に揺らいでいる。二月に予定されていた恒例の「大相撲トーナメント」(主催・フジテレビ)、「NHK福祉大相撲」に引きつづき、とうとう三月の本場所自体中止、年内の巡業も総て中止となってしまった。調査の進展次第では、五月以降の本場所開催も危ぶまれており、まさに大相撲開闢《かいびゃく》以来の危機である。公表されたメールには、単に一度の勝負の売買にとどまらず、相撲内容の演出、“○○には貸し、××には借り、△△には転売”“今場所は借用、来場所は返済”というような細かいやり取りまでが明々白々で、何とも救いようがない(これほどの内容が携帯メールを介して“今晩、飯食いに行きます?”というような世間話と少しも変わらない緊張感皆無の「文体」で交わされていたこと自体、この授受が彼らにとって実は極めて日常的な行為であったろうことを物語っている)。

 このように長年にわたって疑惑が囁かれつづけ、むしろ公然の秘密に等しくなっていた不祥事がいよいよ逃れがたい形で明るみに出た時、人々の間には大きく分けて二種類の受け止め方があると思う。一つは、改めて激しく“信じがたい、嘆かわしい”と悲憤慷慨してみせる反応、もう一つは、“今更それがどうしたの、前から判っていた事でしょう”とばかり、むしろ平静を装う反応。今般の大相撲八百長メール事件に関しても同様で、3日付『産経ニュース』などは典型的だった。

「これほどの物証が出た以上、もう観念するしかない。八百長の話は以前からあり、見ていて『おやっ』と思う取組もあったが、ファンはそれもひっくるめて楽しんでいた。相撲には興行という側面もあるから、それ(八百長)をいうのはやぼという気持ちだった」(漫画家・やくみつる)

「不祥事は数々あったが、今回は次元が違う。過去の『無気力相撲』問題と異なり、個人名まで明らかになってしまった。大相撲の存立に関わる問題で、憤りを超え、泣きたい思いだ。野球賭博に関わった力士の名前も再び挙がっている。ゲーム感覚で土俵に臨んでおり、伝承文化の担い手という意識はかけらも感じられない」(元NHKアナウンサー、東京相撲記者クラブ会友・杉山邦博)

 ともに「さかのぼって調査を進め、認めるべきは認めなければ、相撲は今後、スポーツとしてみてもらえなくなる。国技の看板も守れない」(やく)、「厳正かつスピーディーに対応しなければならない」(杉山)と日本相撲協会に厳しい姿勢を求めてはいるものの、両者の温度差は明らかだ。杉山に限らず、テレビ各局に登場するベテラン相撲記者たちは揃って“相撲道地に墜ちたり”とばかりに憤懣を露《あらわ》にしていたが、何十年も土俵を見てきた彼らが、八百長の存在を知らなかったというほうが不思議。とりわけ朝青龍問題に関しては再三やくに異議を唱えてきた僕としても、今回ばかりは彼のほうに近い想いがある。国技だ、神事だと祀《まつ》り上げていること自体不自然で、所詮はスポーツというよりもエンタテインメントとしての格闘技。今から10年以上前の本欄において僕は、元小結「板井」の板井圭介氏が日本外国特派員協会(外国人記者クラブ)で行ない世間を騒がせた八百長告白・告発に関連し、「大相撲って、八百長じゃいけないんですか?」と記した(コラム25回)。

「これは逆説的な言い方にもなるけれど、相撲って、八百長じゃいけないんですかね? つまり、たとえばプロレスについては、いまどき、『還暦過ぎた馬場が勝つなんて八百長だ』(馬場サンは死にましたが)なんて目クジラ立てる人は居ないだろう。それは、ファンの側が プロレスを――スポーツというよりはむしろ――高度なショーと見なして、言わば割り切って楽しんでいるからだと思う。
 そもそも大相撲は『興行』と銘打たれることでも明らかなように、並外れて背が高かったり、太っていたり、力が強かったりという“異形の者”による見世物なわけである。『プロ』と名が付けばどんな競技にも見世物的側面は多かれ少なかれ介在するだろうけれど、(プロ)野球やサッカーのように選手は個人事業主、それぞれのチームも別個に独立した企業体という在り方に較べると、大相撲は所属部屋の別こそあれ、完全に運命共同体の閉鎖社会となっている。力士は親方との師弟関係に縛られ、部屋を移ることなどまずは考えられない(フリーエージェント力士なんて夢のまた夢!?)。限られた数しかない高額な『年寄株』を取得していなければ、引退即廃業、相撲界から去ることになる。
 そういう独自の見世物社会を成立させようとすれば、時に個々人の意思よりも全体の思惑――誰を勝たせて誰に負けさせるか、即ち、どの力士が勝ち進めば興行としてうまく成り立ち、関係者全員が潤うか、端的に言えば食って行けるか――のほうが優先するのは、ある意味、当然の事だろう。今更、国技大相撲に八百長の存在を認めることは不可能としても、ただただ頑なに相撲協会として『八百長はないと断言』するばかりでかえって『ホントかしらね?』と疑われるより、『ゴチャゴチャ考えずに勝負だけを楽しんで下さい』とでも応じたほうがいいんじゃないのかしらん?」

 相撲協会は全協会員990名に八百長に関するアンケートを実施したが、5日までに回収された979名全員が関与を否定したという。素人目には、一連のメールは揺るがしがたい証拠とも見えるけれど、「今回のようにメールに名前が出ても、本人が否認すれば、実際に取組で故意に負けたか立証するのは容易ではない」(6日付『産経新聞』)、「肝心の物証集めは一筋縄ではいかない。この日から疑惑の力士や親方に携帯電話の任意提出を求めたが、海外の携帯電話の場合は、通話記録やメールの入手、解析が国内の通信会社のようにはいかず、中には『妻が踏んで壊したという力士もいたそうだ』という」(「同日付『産経ニュース)というように、早くも“真相究明”の限界が言われはじめている。無論、短時間に――時には立ち会いの一瞬で――決する取り組みが真剣勝負だったか八百長だったかを客観的に確実に判断することは甚だしく困難であろう。バタッとコケたら八百長、有利な体勢から逆転されたら八百長というわけにも行くまい。

 裏返せば、七勝七敗で千秋楽を迎えた力士の多くが勝ち越すという“疑惑”にしても、そういう例は今後とも多々起こり得るわけで、しかもそれが実は真剣勝負の結果であってさえ、『あ、またやってるよ』と見られかねないことになる。即ち、一旦“疑惑”が生じてしまえば、八百長の証明が困難であることと全く等価に真剣勝負の証明も不可能に近い。つまりは、国技、神事を司《つかさど》ると称し、相撲興行の主催者でありながら“営利を目的としない公益法人”として「わが国固有の国技である相撲道を研究し、相撲の技術を練磨し、その指導普及を図るとともに、これに必要な施設を経営し、もって相撲道の維持発展と国民の心身の向上に寄与することを目的とする」(日本相撲協会寄附行為第3条)と美辞麗句を連ねている協会の位置づけそのものを根底から見直すべき時期であろうと思う。もっとも、当初は認可取り消しにまで言及した枝野幸男官房長官や蓮舫行政刷新担当相も、たちまち「いくつものハードルがあり、一足飛びに行く話ではない」「ハードルはかなり高い」(5日付『日刊スポーツ』)とトーンダウンしているようだが……。

 さて、この出来事に関しては、より注目すべき重要な点が他に存在すると思う。それは、一連の八百長メール発覚の発端である。早い時期の報道は、たとえば次のようなものだった。

「大相撲の現役十両力士数人が勝ち星を数十万円で売買する八百長を頻繁に行っていたとみられるメールの記録が、警視庁が野球賭博事件に関連して押収した力士らの携帯電話に残っていたことが捜査関係者への取材で分かった。日本相撲協会はこれまで、裁判などで八百長の存在を一貫して否定していた。野球賭博事件に続き、角界が再度深刻な打撃を受けることは避けられない情勢となった。
 警視庁は今後、警察庁を通じて日本相撲協会を所管する文部科学省に、メールの内容や力士名など捜査で得た情報を伝える方針で、協会側は厳正な調査や処分を迫られそうだ」(2日付『毎日新聞』)

「大相撲の野球賭博事件に絡み、警視庁が押収した竹縄親方(元幕内春日錦)と現役十両の千代白鵬関の携帯電話に『後《あと》20で利権を譲ります』などと、数十万円で勝ち星の売買が日常的に行われていたことをうかがわせるメールの記録が残っていたことが2日、捜査関係者らへの取材で分かった。メールには2人を含む幕内4人、親方2人ら計13人の名前があった。
 『立ち合いは強く当たって流れでお願いします』などの記述もあり、警視庁は八百長の可能性があると判断、警察庁を通じて日本相撲協会を所管する文部科学省に記録を伝えた。高木義明文科相は協会に調査を指示。協会の今の公益法人としての認定取り消しを含め対応を検討することを明らかにした」(3日付『読売新聞』)

 警視庁が家宅捜索で力士の携帯電話を押収した理由(目的)は、昨年の野球賭博事件の捜査。当然ながら、野球賭博は刑法上の犯罪である。しかしながら、多くの人々が指摘しているように、八百長自体は――金銭の授受が絡んでいてさえ――道義的にはさておき、法律上の犯罪行為ではない。要するに、携帯電話の――それも消去されていたものを復元した――八百長にまつわるメール内容は、野球賭博とは実は別件であり、より正確には、犯罪でない以上、別件とさえ言いがたい。そして、その相当詳細な内容が、例によって「捜査関係者」からメディアにリークされた。

「これまでの捜査では、暴力団関係者の関与は浮かんでおらず、八百長の取組自体は外部の賭けの対象にはなっていなかった模様で、刑事事件として立件される可能性は低いとみられる」(2日付『毎日新聞』)

「八百長自体は犯罪に当たらず、刑事事件として立件される可能性は低いとみられる」(同日付『アサヒ・コム』)

 たしかに、今回取り沙汰されている力士の中に野球賭博との関連が疑われた者が含まれることは事実だし、今や、これらの八百長が、自らの取り組みをも対象とした相撲賭博の一環だったのではないかとの疑念まで浮上しつつある。とはいえ、その容疑に基づいて携帯電話が調べられたわけではない。

 この異例の情報提供については当局も気になった(?)ようで、チラチラと説明・弁明を行なっている。

「警察庁の安藤隆春長官は3日の定例記者会見で、大相撲の八百長疑惑に関して、捜査情報の一部を文部科学省に提供したことについて、『日本相撲協会の事業に関する公益性が高い事項と判断した』と述べた。
 情報提供は、国の行政機関が一体となって業務遂行することを義務付けた国家行政組織法2条などに基づいて行われた。同庁は、暴力団関連企業を公共事業から排除するため国土交通省に情報提供したり、国際テロ関連の情報を外務省などと交換したりしている」(3日付『読売新聞』)

「中野寛成国家公安委員長は4日の記者会見で、大相撲の八百長疑惑について『国民の信頼と期待を裏切るもの』と遺憾の意を示した。
 警察庁が、星の売買をうかがわせるメールの記録を文科省に提供したことについては『(日本相撲協会が)公益法人という視点から、ないがしろにできないということでお伝えした』と述べた」(4日付『日刊スポーツ』)

 「公益」という曖昧ながら便利な言葉を使い、それなり名分は立つかにも聞こえるが、(あえて言えば)たかが相撲の八百長と国際テロとを同次元に論じ得るものなのか? 何らかの犯罪容疑を理由に個人の携帯電話を押収する。その容疑に関わるデータは発見されず、ただし、一種の「私信」であるはずのメールの中から、道義的には芳しくない――しかし、犯罪を構成するには至らない――内容が見つかる。それらのメールの送信者名、受信者名を含めて警察が公表あるいは通知する。これはいいのか? 個人情報保護に違反しないのであろうか? ちなみに、記事中にある「国家行政組織法2条」とは、以下の通りである。

「(組織の構成)
第二条 国家行政組織は、内閣の統轄の下に、内閣府の組織とともに、任務及びこれを達成するため必要となる明確な範囲の所掌事務を有する行政機関の全体によつて、系統的に構成されなければならない。
2 国の行政機関は、内閣の統轄の下に、その政策について、自ら評価し、企画及び立案を行い、並びに国の行政機関相互の調整を図るとともに、その相互の連絡を図り、すべて、一体として、行政機能を発揮するようにしなければならない。内閣府との政策についての調整及び連絡についても、同様とする」
(2011.2.7)