今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

柳田元法相のあまりにも率直な「失言」と、仙石官房長官の「暴力装置でもある自衛隊」発言

大西 赤人



 11月23日に発生した北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)による韓国・延坪島への砲撃事件に関して、これを、窮地に立たされつづけている菅政権にとっての「神風」「まさに幸運」(民主党中堅)「天佑」(民主党ベテラン)と見なす声が報じられ(24日付『産経ニュース』)、「不謹慎」との非難も上がっているようだ。たしかに、外国のそれも人命に関わる出来事を自らの失態から目を逸らさせる言わば奇貨として歓迎するなどは、あまりにも情けない話。ただ、幾ら“総理大臣になりたい”という欲求だけでビジョンに欠けた菅首相とはいえ、ロクに何もしないうちから次々に厄介ごとに見舞われて日々人相が悪くなっている有様を見ていると、多少は同情したい気分に駆られなくもない。

 ところで、北朝鮮砲撃にオバマ大統領は「激怒」、菅は「許し難い蛮行」と反応していたが、事件当日の朝、韓国軍に対して北朝鮮からは「領海に撃ったなら看過しない」(24日付『共同通信』)との通知文ファックスが届いたていたそうで、それでも韓国側は「予定通りの訓練実施を通告し」「【延坪】島南西の韓国側海域に向け射撃」(同前)したと伝えられている。しかし同時に、「北側の海上分界線によると、延坪島などは北朝鮮領海に含まれる」(24日付『中央日報日本語版』)というのだから、要するに相手をワケの判らない危険な国と見ているのであればなおさら――北朝鮮の言い分の正否はともかく――「領海に撃ったなら看過しない」との予告を受けながら射撃する以上、韓国側は挑発≠ニ受け止められて反撃されることを想定していなかったのだろうか? いなかったとすれば、まさに危機管理としては大いに杜撰《ずさん》とさえ感じられるのだが……。

 さて、話を戻して、時ならぬ上記砲撃事件によっていささか色褪せてしまったものの、それで忘れてしまうわけにも行かないので、激しい非難を浴びた民主党閣僚による「失言」の幾つかに触れておきたい。そもそも自民党政権から民主党政権への交代は、改築や増築を重ねながら積年の歪みでグラグラガタガタしていた高層ビルの設計者・施工者を一変させたようなもの。しかし、建物とは異なり、全部壊して土台からやり直すわけには行かないから、なかなかどうして簡単な話ではない。しかも、形式的には「一変」といっても、元は同一企業で同じ釜の飯を食っていてノレン分けしただけのような人間も実は多いので、劇的な変革はハナから期待しがたい面もある。野党となった自民党にしてみれば、自分たちが散々積み上げてきた問題点を今や堂々と指摘し、“なぜ民主党は改善しないのだ!”と非難攻撃できるのだから、こんな楽な話はない。大体、自民党に反対していた民主党が公約を守り得ないのであれば、即ち裏の裏は表ということだから、つまりはこれまでの自民党の方向性が未だに維持されていることになる。だったら、自民党は“民主党、考え直してまことに結構!”と称讃しておけばいいであろうに(笑)。

 さて、「失言」の一人・柳田稔元法相は、14日に地元・広島市で開かれた国政報告会の席上、次のように発言したとされる(22日付『毎日新聞』)。
「【法相任命を受け】何でオレなの。皆さんもそう思っているでしょうが、一番理解できなかったのは私です」
「私はこの20年近い間、実は法務関係は一回も触れたことがない」
「法相っていうのはいいですね。(国会答弁では)二つ覚えておきゃいいんですから。『個別の事案についてはお答えを差し控えます』。これはいい文句ですよ。これを使う。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。で、切り抜けてまいりました。まあ実際の話、しゃべれないもんで。あとは『法と証拠に基づいて適切にやっております』。まあ何回使ったことか」
「ただ、法相が法を犯してしゃべることはできない。当たり前なんですけどね。『法を守って私は答弁しています』と言ったら、『そんな答弁はけしからん。政治家だったらもっとしゃべれ』と言われる。はあ。そうは言ってもしゃべれないものはしゃべれない」

 これに対して野党は国会軽視と噛み付き、ついには事実上の更迭《こうてつ》に等しい辞任となったわけだが、支持者相手のリップ・サーヴィスが過ぎた感はあるにせよ、言ってみれば手土産を“つまらない物ですが”と差し出すような日本的へりくだり。しかも、文脈を読み取ると、発言の主眼は“立場上、法相は迂闊な答弁は出来ない”という部分にある。第一、法務大臣という職務は、死刑執行命令を発するという重責を担っているにもかかわらず、「政治家のキャリアとしては他の閣僚ポストより格下と見られている軽量ポスト」(『ウィキペディア』)であり、決まった事しか言えない=余計な事を言わずに済む立場だからこそ、ポスト配分の都合で、法務未経験者や新人大臣が任命されることも多い。そこで思い出されるのは、本欄でも採り上げた2004年の第二次小泉改造内閣における南野《のおの》知恵子法相(当時)のことだ。(http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/onishi/colum256.htm)

 この南野さんも法務の「ほ」の字もない経歴のまま、必ずしも望んではいなかったらしい法相の椅子を与えられ、初登場となった衆院予算委員会では「初心者ですから」に始まり、「報告は受けていない」「適宜必要な報告は聞いている」「聞いているとか聞いていないとかも言えない」「この案件は詳細を聞いていない」とボロボロの答弁に終始。「国会答弁では内容が二転三転したり、答えに窮して『何分専門家ではないもので』などと述べることもあり、野党議員のみならず与党議員すら呆れさせた」(『ウィキペディア』)とも評された。しかし、もちろん小泉内閣の下ではそれでも更迭や辞任に追い込まれることもなく職務は務まり、南野大臣、2005年9月の離任間際には、一人に対して死刑執行命令も下している。ちなみに、政界引退後の本年11月には「多年にわたり国会議員として議案審議の重責を果たすとともに、法務大臣等として国政の枢機に参画した」功労により、旭日大綬章を受章している。

 今回の柳田大臣の「失言」に関しては、次の言及が極めて的確であったように思う。
「柳田法相はあまりにも率直に本音を漏らし、即刻、非難を浴びた」(19日付『ウォールストリートジャーナル日本版』Yoree Koh記者 原文“Mr. Yanagida was quickly reprimanded for accidentally telling the truth in a particularly blunt way.”

 柳田の辞任後、法相の職を兼務することになった仙石由人官房長官もまた、既に問責決議を食らうに至っている。これまでにも悪評ふんぷんだった仙石に決定的な一撃を加えることとなった18日参院予算委員会における「失言」は、こんな具合。

「この発言は、世耕弘成氏(自民)の質問に対する答弁で飛び出した。世耕氏は、防衛省が政治的な発言をする団体に防衛省や自衛隊がかかわる行事への参加を控えてもらうよう指示する通達を出したことを問題視し、国家公務員と自衛隊員の違いを質問。仙谷氏が『暴力装置でもある自衛隊は特段の政治的な中立性が確保されなければならない』と語った。
 世耕氏は仙谷氏に対し、発言の撤回と謝罪を要求。仙谷氏は『用語として不適当だった。自衛隊のみなさんには謝罪致します』と述べた」(18日付『アサヒ・コム』)

 仙石は、「暴力装置でもある自衛隊」と言った後、野次を受けて「ある種の軍事組織でもありますから」と言い換え、追ってなお「実力組織でありますから」と訂正している。まあ、本人が“言い間違い”と謝罪してしまった以上、傍《はた》からどうこう言う話ではないかもしれないが、「暴力装置」のどこが悪いのだろう? たしかにレーニンが使った左翼的用語ではあろうけれど、元を辿れば仙石の言う通りマックス・ウェーバーによる学術的な言葉であり、当然ながら、軍隊や警察が自動的・自発的に暴力を行使するという意味ではない。レーニンとウェーバーとでは解釈が異なるとしても、いずれにせよ、それらの暴力装置を機能させる主体――国家の意志・責任が重要になるわけである。

 しかし、特に自民党は強く反発。「我々の平和憲法を否定するものですよ。謝って済むと思ってるんですか」(参院予算委員会・丸川珠代参議院議員)、「血管が切れそうになりましたよ。私も“暴力装置”出身の議員、“暴力装置”議員ということになります」(FNNニュース・佐藤正久参議院議員)などと感情的な言葉を連ねていた。この「暴力装置」については、元防衛大臣でもあった自民党のあの石破茂でさえ、民間のシンポジウムにおいて、次のように発言している。

「破綻国家においてどうしてテロは起こるのかというと、警察と軍隊という暴力装置を独占していないのであんなことが起こるのだということなんだろうと私は思っています。国家の定義というのは、警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義のはずなので、ところが、それがなくなってしまうと、武力を統制する主体がなくなってしまってああいうことが起こるのだと」(2009年3月30日付『アサヒ・コム』)

 これについて石破自身は、自らのブログで、次のように釈明している。

「原典はマックス・ウエーバーの『職業としての政治』なのですが、外国語による著作を引用するときは、原文にあたらないと、訳語のニュアンスで誤解を招きかねないので、これからもっと私も注意しなくてはなりません(ウエーバーの著作には他にも『装置』という訳語が多く出てきます)。
 私の発言はあくまで政治学上の定義を引用したうえで、『何故北朝鮮で、あのようなテロ行為が起こるのか』を論じたものであり、国会において、自衛隊を、名指ししたものではありません」(19日付『石破茂オフィシャルブログ』)。

 けれども石破は、著書『軍事を知らずして平和を語るな』(KKベストセラーズ刊、清谷信一との共著)でも、次のように記しているという。
「国家という存在は、国の独立や社会の秩序を守るために、暴力装置を合法的に独占・所有しています。それが国家のひとつの定義だろうと。暴力装置というのは、すなわち軍隊と警察です。日本では自衛隊と警察、それに海上保安庁も含まれます」

 警察と軍隊が「暴力装置」であることを前提として、日本においては、それでは自衛隊は軍隊なのかという論点が次に生じるはずなのだが、石破はそれを飛び越えて、自衛隊及び海上保安庁も躊躇なく「暴力装置」に含めているのである。

 「装置」という言葉から、これも思い出されるのは、2007年の安倍内閣における柳澤伯夫厚労相(当時)の「産む機械」発言だ。この時、柳澤は「15〜50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」というように発言し、多くの批判を浴びて辞任を迫られたものの、最後まで拒みきった。僕は、彼の「装置」という言葉の選択の背後に柳澤の左翼的経歴を想像したのだが(http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/onishi/colum334.htm)、どうやらこれは的を射ていたらしく、『ウィキペディア』の柳澤の項目には「東京大学法学部ではマルクスらの社会主義に心酔した。しかし、大学4年の時、池田勇人内閣が掲げた所得倍増計画に関する講義を受ける。社会主義にしかできないと思っていた貧困の克服が、経済政策でも可能だと気付き感銘を受けた」との記述がある。

 仙石官房長官については、佐藤ゆかり参議院議員(自民)が、「極左的な学生運動に参加」した経歴を持ち自衛隊を「暴力装置」と呼んだ仙石が、これまでにも総理大臣の不在の際などに職務代行者として自衛隊の最高指揮監督者となっていたことはシビリアン・コントロールの面から「大変な問題」「由々しき事態」と追求していた。しかし、まさにシビリアン・コントロールの面から見れば、自衛隊を「暴力装置」と認識しているくらいの人物のほうが、むしろ国家の最高指揮監督者としてはよほどふさわしいのではないだろうか?

 ともあれ、現実路線と言えば聞こえはいいが、旧社会党を内側からガタガタに破壊した挙句、その後は社民党からも離れて旧民主党に走り、現在の民主党でも我が物顔で振舞ってきた仙石の言動をして“昔の左翼時代のDNA”(みんなの党・渡辺喜美代表)などと揶揄されることは、おそらく真の左翼人にとっては何とも迷惑至極な話であろうと思う。
(2010.11.27)