今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

「ホメオパシー」にまつわる論議──医療における「科学的な論理に基づく思考」の難しさ

大西 赤人



 現代人として物事に一定の正しい判断を下すためには、当然ながら、合理的な考え方――科学的な論理に基づく思考が求められる。では、科学的な論理に基づく思考とは何かとなれば、いささかの粗雑を覚悟して述べると、それは確率の計算に基づく思考ということになるだろうか。正六面体のサイコロを振って一つの目――仮に3の目が出る確率は常に6分の1に決まっているわけだが、たまたま3の目が四回、あるいは五回続いた後には、“もうさすがに3は出ないだろう”という想いに駆られる。6ケタの宝クジで111111番や123456番と185492番や163287番との当選確率はいずれも全く変わらないにもかかわらず、どうしても前者のほうが当たりにくそうな気分になる。戦場での兵隊は、一度砲弾が落ちて出来た穴を頼って身を潜めたと聞くけれど、これも確率的には意味を成さない。

 いや、もちろん、“そんなのどれも当たり前でしょう、考えるまでもないですよ”と感じる極めて合理的・科学的な思考の持ち主も多くいらっしゃることだろう。しかし、人というものの性《さが》として、数字を超えた現象――非合理に惹かれる面があることも事実。たとえば確率を極めて端的に示すものはギャンブルだろうけれど、高い倍率に眼が眩《くら》んで勝つ見込みの乏しい賭けによって一攫千金を狙うなどは、数学的に見れば愚の骨頂。特に胴元(主催者)が必ずテラ銭をかすめ取る仕組みのギャンブルの場合、長期的に見れば、賭ける客の側にそもそも勝ち目のありようとてない。それでも、時たまの大穴を当てる快感は、収支決算のバランスシートなど吹き飛ばしてしまう。

 大の競馬好きだった故・寺山修司は、人から“トータルすると勝ってますか、負けてますか”と聞かれると、“あなたの人生、トータルすると勝ってますか、負けてますか(笑ってますか、泣いてますか)”という具合に切り返したらしいけれども、さもありなんと共感したくなる。数字通り、確率通りに総ての物事がある意味合理的に進むとしたら――必然的にそんなふうに進むのかもしれないけれど――それでは人生とはあまりにも味気ないものになってしまうので、少なからぬ人々は時として、むしろ理屈に合わない出来事、非合理な思考のほうにこそ惹かれるのであろう。まあ、確実な根拠とてない縁起や迷信、ゲンかつぎであろうと、ギャンブルのような個人の範囲ならば各自の裁量、近年流行りの自己責任で済むけれども、これが他者をも巻き込む社会的な行為になると話が違ってくる。

 25日の『朝日新聞』朝刊一面は、「ホメオパシー 効果否定 医療現場に自粛要請」という大見出しを掲げ、ホメオパシー療法による山口市の女児(係争中)らの死亡例を踏まえて「通常の医療とは異なる民間療法『ホメオパシー』について、日本学術会議(会長=金沢一郎東大名誉教授)は24日、『科学的な根拠は明確に否定され、荒唐無稽(こうとうむけい)』とし、医療従事者が治療で使わないよう求める会長談話を発表した」と報じた。これを受け、日本医師会と日本医学会も「25日、共同会見を開き、会員、学会員らに治療でこの療法を使わないよう、周知徹底していくことを表明」(25日付『アサヒ・コム』)。一方、金沢会長の談話に対して日本ホメオパシー医学協会は「ホメオパシーの治癒効果は世界中で広く認められている。きちんと調査することもなく、荒唐無稽と断定する極めて非科学的な態度にあきれている。世界的にも普及しており、日本学術会議の見解、認識は世界の情勢と著しく乖離(かいり)している」(同前)とのコメントを発表、一気に「ホメオパシー」論争が沸騰している。

 僕が「ホメオパシー」という概念を最初に知ったのは、マーティン・ガードナーによる『奇妙な論理』(社会評論社)という大変面白い本を読んだ時だから、もう二十数年前のことになる。同書は、1952年に発表された有名な原書“In the Name of Science”の全25章中11章を翻訳したもので、現在は、増補(上下)版がハヤカワ文庫NFに収められている。ガードナーは、いわゆる擬似科学――より今風に言えば“トンデモ科学”あるいは“ニセ科学”――を批判的に論じており、地球空洞説のようなSFめいたものから、旧ソ連において一時は国家的お墨付きさえ受けたルイセンコ学説まで、様々な「科学」が採り上げられていた。そして、その中の一つが「ホメオパシー(同種療法)」だったのである。当然ながらガードナーは、これについて否定的に論じていたわけで、僕も基本的には同感だったけれども、ただ、「ホメオパシー」という概念自体には――それを「科学」として信頼するか否かとは全く別個に――惹きつけられる部分があり、記憶に強く残った。

 御存じの方も多いだろうが、「ホメオパシー(Homoeopathy)」とは、19世紀初頭にドイツ人の医師・ハーネマンが唱えた「『健康な人間に与えたら似た症状をひき起こすであろう物質をある症状を持つ患者に極く僅か与えることにより、体の抵抗力を引き出し症状を軽減する』という理論およびそれに基づく行為」(『ウィキペディア』)。彼は、「ある物質を健康な人に投与した時に起こる症状を治す薬として、その物質そのものが有効である」と考え、しかも、「その物質が限りなく薄く希釈される(ハーネマンの表現を借りれば『物質的でなくなる』)ほど治癒能力を得ることが出来る」(同前)とした。現代では、「ある病状を引き起こす成分を(そのままでは有毒であるので)水によって極めて高度に希釈したもの」(同前)を砂糖玉に染み込ませたレメディーを服用する。その原成分は、各種の薬草、鉱物、動物が多いけれど、病原菌や毒物、ひいてはX線、月光、ベルリンの壁の破片(!)というようなありとあらゆる物質が用いられ得るらしい。

 ここで行なわれる希釈の度合は半端ではなく、一般的なレメディーは100倍希釈を30回繰り返す(原液は1兆の5乗分の1に薄まる)から、計算上、原成分は一分子も残らない。しかし、「当初、ハーネマンはレメディーの原料を適宜薄めて、その物質が少量含まれている濃度で投与」したが毒性が上回るため、「液体を薄めるごとに激しく揺さぶり叩くことを繰り返すと、副作用を取りのぞき、治癒力をいっそう深く強くすることを発見した」(『日本ホメオパシー振興会』)とされる。希釈と振盪によって作られたレメディーは、事実上、単なる砂糖でしかないけれども、そこには原物質の「波動」や「オーラ」と表現されるような何らかのエネルギーが残存しており、それが人間の奥深い部分に働きかけ、自然治癒力を引き出すのだという――これもしばしばトンデモ科学の例として批判される「水の記憶」や「水からの伝言」にも似通った――説明が行なわれる(「ホメオパシー」を推進する人々でさえも、その効果のメカニズムは不明としており、また「治療」には、適切なレメディーを処方する訓練を受けた専門家「ホメオパス」の存在が重要になるようで、あくまでもレメディーは「食品」として位置づけられている)。弱い(少量の)物質を体内に入れることで抵抗力や免疫力を導き出すという考え方は、ワクチンやアレルギーの減感作療法に共通するようにも思われるけれど、それらの効果が明らかに証明されているのに対して、「ホメオパシー」の効果は――治療を受けた個々人が“効いた”とする以外には――科学的には確認されておらず、結果、医学専門誌による精密な調査によっても“プラセボ(偽薬)効果――たとえばただの小麦粉でも、薬として与えられて飲めば、痛みが消えたり熱が下がったりすることがある――に過ぎない”と断定されている。

 これらを見る限り、ガードナーならずとも「ホメオパシー」はいささか眉唾ものと感じられるのだが、反面、薄まれば薄まるほど効果が高まるという非合理性は、かえって神秘的(?)にさえ映る。もちろんこれは直接には「ホメオパシー」とは異なる切り口だったろうけれど、現在のようなエイズ治療薬が登場していなかった1990年頃には、日本の有名企業が開発に関わった『ケムロン』なる薬剤(低用量経口インターフェロンα)がケニアにおいて劇的な効果を上げたと大きく報じられたことがあった。それまで注射によってエイズへの効果が見られなかったインターフェロンを――しかも一万分の一以下の量で――経口投与したら症状が消えたというのだから、藁をも縋《すが》る時代だったとはいえ、相当に怪しげな話。世界保健機関(WHO)や米国立衛生研究所(NIH)が臨床試験を認可したものの、数年後には有効性は否定され、新薬承認には至らないまま消え去ってしまった。

 インドのように「ホメオパシー」が主要な医療として存在する国もあるものの、米国では健康食品と同等の扱いでしかなく、従来は公的な健康保険の対象となっていたドイツやスイスでも、近年、保障の対象から外れたという。また、歴史的に「ホメオパシー」に重きが置かれていた英国においても、今年2月、英国下院科学技術委員会が“十分な試験に基づき「ホメオパシー」は無効という多くの根拠があり、国民医療サービス(NHS)によって提供するに値しない”との報告を出している(ただし、患者の選択を尊重するため、サービス適用の最終的判断は、地元のNHSと医師の裁量に委ねられた)。一方、西洋医学中心主義への懸念、薬害や副作用への不安、自然志向などが相俟《あいま》ってか、むしろ日本では、半世紀以上前の『奇妙な論理』で既に疑義を示された「ホメオパシー」への評価(期待)が今更に高まっている嫌いさえある。実際、今年1月28日の参議院予算委員会では、長妻昭厚生労働大臣が以下のように述べていた。

「統合医療は、もう言うまでもなく、西洋医学だけではなくて、伝統医学、漢方、鍼灸、温泉療法、音楽療法、芸術療法、心身療法、自然療法、ハーブ療法、ホメオパチーなどいろいろな広がりがあるものでございまして、厚生労働省といたしましても、この二十二年度の予算でかなりこれまで以上に、研究分野の統合医療の研究について十億円以上の予算を計上しまして、その効果も含めた研究というのに取り組んでいきたいというふうに考えております」(参議院会議録情報 原文ママ)

 ここで用いられている「統合医療」とは、「通常医療」と「代替医療」(または「補完医療」「相補医療」)とを併せたものだが、「代替医療」の範疇《はんちゅう》は必ずしも確定しておらず、欧米から見れば「東洋医学」も「代替医療」の一つに過ぎないことにもなる。そもそも医学とは、科学の代表的な分野でありながらも、個体差を持つ生身の人間が対象となる以上、完全な定量化は不可能に等しく、冒頭に述べたように「数字通り、確率通りに総ての物事がある意味合理的に進む」とは限らない。即ち、確立した薬剤が無効の場合もあれば、プラセボが効果を発揮することもあり得る。当然、スタンダードとして依拠すべき西洋医学――「通常医療」も決して完全なものではないわけで、だからこそ「代替医療」の存在意義も生じる。従って、短絡的にそれらを否定することが正しいとは思わないけれども、同時にしばしば「疑似科学」「ニセ科学」としての「治療」が紛れ込む隙も出来てくるのだろう。

 今般、「ホメオパシー」が論議を呼んだ山口市で亡くなった女児の事例は、報道によれば次のようなものだった。

「昨年10月、山口市内で生後2か月の女児がビタミンK欠乏症となり死亡した。女児の母親(33)は、出産を担当した同市内の助産師(43)が標準予防法のビタミンK2シロップを女児に与えなかったことが死亡原因だとして、助産師を相手取った損害賠償請求訴訟を山口地裁に起こした」
「第1回口頭弁論は8月4日に行われるが、この訴訟が注目されるのは、助産師がビタミンK欠乏症予防として代替療法『ホメオパシー』の錠剤を女児に与え、ビタミンK2を与えなかったとされる点だ」

「ビタミンK欠乏症は、新生児の4000人に1人の割合で発症する。生後1か月頃に頭蓋内出血を起こして死亡する症例が多いが、ビタミンK2を生後1か月までに3回与える予防法は確立している。厚生省(当時)も1989年、投与を促す指針を策定し、10万人当たりの発症率は平均18人(78〜80年)から2人(90年)まで低下した。
 しかし、投与は義務ではないため漏れもある。この助産師もビタミンK2を投与したと母子手帳に記していた。日本助産師会の岡本喜代子専務理事は『ビタミンK2投与は当然行うべき基本的な処置。助産師はホメオパシーなどの伝統医学や食事療法などを妊婦のケアに取り入れる人が多いが、極端に偏った考えの助産師がいたことを重く受け止めている』と話す」(7月31日付『読売新聞』山口総局 橋谷信吾 科学部 片山圭子)

「新生児はビタミンK2が欠乏すると頭蓋(ずがい)内出血を起こす危険があり、生後1カ月までの間に3回、ビタミンK2シロップを与えるのが一般的だ。これに対し、ホメオパシーを取り入れている助産師の一部は、自然治癒力を高めるとして、シロップの代わりに、レメディーと呼ぶ特殊な砂糖玉を飲ませている」

「助産師は全国に約2万8千人。医療の介入を嫌う『自然なお産ブーム』もあり、年々増えている。主に助産師が立ち会うお産は、年間約4万5千件に上る。
 テレビ番組で取り上げられたこともある有名助産師で、昨年5月から日本助産師会理事を務める神谷整子氏も、K2シロップの代わりとして、乳児にレメディーを使ってきた。
 取材に応じた神谷理事は『山口の問題で、K2のレメディーを使うのは、自重せざるを得ない』と語る。この問題を助産師会が把握した昨年秋ごろまでは、レメディーを使っていた。K2シロップを与えないことの危険性は妊産婦に説明していたというが、大半がレメディーを選んだという。
 一方で、便秘に悩む人や静脈瘤(りゅう)の妊産婦には、今もレメディーを使っているという」(5日付『アサヒ・コム』福井悠介、岡崎明子)

 記事中の「K2シロップを与えないことの危険性は妊産婦に説明していた」という説明が事実であるならば――つまり、いわゆるインフォームド・コンセントが実行されていたとすればなおさら――、彼女たちの「大半がレメディーを選んだ」ことは実に興味深い。妊産婦は病人ではないにせよ、防衛的な弱い立場であると考えられる。僕の妻なども、妊娠当時には、気軽に渡したセキ止め用の飴の成分にまで神経を尖らせていたものだ。ビタミンK2シロップの予防力が確立しており、しかも、注射でさえない経口であっても、これを避けたいと考える――それは客観的・科学的には愚かな過誤かもしれないが、当人にとっては熟慮の末の判断・選択である可能性も高い。しかし、その判断・選択が意味を成すのは、あくまでもレメディーがK2シロップと同等程度の効力を有している、またはK2シロップに何らかの危険性が認められているという前提に立つ場合である。そして、そのどちらもが不確かであってさえ、ビタミンK欠乏症が新生児の4000人に1人発症するのならば、全員がシロップの代わりに(全く無意味な?)レメディーを与えられたとしても、3999人には何も起きず、表面上は“レメディーが効いた”と見えることになるだろう。

 ましてや、より具体的に――とりわけ「通常医療」による回復を容易に望みがたい――疾患を抱えた病者にとっては、判断・選択は一層悩ましいものとなりかねない。

「5月16日、東京都東大和市内の病院の集中治療室。女性は、悪性リンパ腫が悪化して人工呼吸器を付け、声も出せない状態だった。親交のあった荒瀬牧彦牧師=めぐみ教会(東大和市)=が見舞うと、手話で3回、『ごめんなさい』と訴えた。ホメオパシーに頼り、前日に救急搬送されたばかり。入院から11日後に死亡した。
 荒瀬牧師は『最後の最後になり、自分の誤りに気づいたのかもしれない』と話す。
 両親によると、女性がホメオパシーを始めたのは3年前。離婚直後で精神的に不安定な時に友人に紹介された。昨春から体調を崩し、全身の痛み、強い肌荒れを訴え始めた。荒瀬牧師は何度も病院受診を勧めた。だが女性は『今までのホメオパシーの努力が無駄になる』と拒み続けたという。
 5月には外出も困難に。激しい胸の痛みに母親(69)が救急車を呼ぼうとすると、『西洋医学はダメ』と最後まで拒んだ。気を失いかけたすきに、母親が救急車を要請。搬送先で、初めて悪性リンパ腫と診断された。
 さいたま市では昨年5月、生後6カ月の男児が体重5千グラム前後の低体重のまま死亡した。両親は助産師の勧めでホメオパシーに傾倒。市によると、病院での男児のアトピー性皮膚炎の治療や予防接種も拒否していたという。
 市児童相談所は、病院の受診拒否などを虐待と判断。保健師の指導で男児が4月に入院した際、両親が連れ戻さないよう病院に要請していた。男児は5月2日に死亡した。
 ホメオパシーでは、病気の症状が重くなっても、自然治癒力が増した証拠の「好転反応」ととらえる。これが患者を病院から遠ざけているとの指摘がある」(11日付『アサヒ・コム』 長野剛、岡崎明子)

 「ホメオパシー利用者 複数死亡例」との見出しを掲げたこの記事に対して、日本ホメオパシー医学協会は、ホームページで「最も安全な代替療法の1つであるホメオパシーを著しく誤解させるもの」「ホメオパシー叩きを目的とした情報操作」と非難。「ホメオパシーを推進している団体として、当協会としても、ホメオパシー利用者が、ホメオパシーを愛好するあまり、現代医療を頑なに拒否するということがないよう、当協会や普及団体を通して発信していくと同時に、協会会員に今一度指導の徹底を図っていきたいと考えます」としつつ、「本来、どのような医療を選択するかは、個人の尊厳(憲法13条)で保障されている自己決定権として、個人の自由意志に基づいて行われるべきものであり、個人の信条に立ち入ることができない部分があるということは、理解されなければならない点であると考えます。もし、それを超えて、立ち入ることが許される人がいるとしたら、それは唯一、親ではないかと思います」と述べている。

「自己決定」即ち「自己責任」、どのような結果を招こうとも本人の判断・選択となれば関与の余地はない。しかも、「ホメオパシー」に問題があるとしても、レメディー自体が人体に悪影響を及ぼすわけではなく、レメディーを用いることによって「通常医療」を受けないことによる言わば間接的な害悪を判定しなければならない。科学の根幹とは、追試による一般性の確立だが、その理屈さえ、“いや、他の人は知らないが、私には効きました”とする個別例まで否定することは困難であろう。“私はサイコロを振ったら10回連続して1が出ました”という人があれば、その「事実」を否定することは不可能だ。続けて仮に“だからあなたも10回続けて1が出ますよ”と言われたら、普通の感覚なら首を傾げるけれど、でも、だから可能性がゼロというわけではない。信奉する人々の肯定的な想いを説得しようとしても、かえって“無理解ゆえの迫害”と受け取られてしまいかねない。
 同じ時期、こんな記事を見かけた。

「イタリア中部ピサの国立臨床生理学研究所の研究チームは13日までに、肝臓移植を受けた患者のうち、宗教を信じている人の死亡率は無宗教の人の3分の1との調査結果を発表した。ANSA通信などが伝えた。
 チームは何らかの目的意識を持った生き方などが治療成績改善に貢献したと推測している。
 チームはピサの病院などで肝移植を受けた患者179人について調査。手術後4年の死亡率は無宗教の人が20・5%だったのに対し、宗教の信仰者は6・6%と低かった。国民の大多数がカトリックのイタリアで調査されたことから多くがカトリック信者とみられる。
 チームは信者の目的意識のほか、宗教を通じた支援組織の存在、たばこや酒、過剰な肉類の摂取を控える宗教的生活も治療に役立ったとみている」(14日付『共同通信』)

 限られた事例に関するこの調査が、それこそどれほど「科学的」に有意なのかは判らないけれども、「鰯の頭も信心から」とか「病は気から」とかというような諺《ことわざ》も思い浮かんでくる。「ホメオパシー」にまつわる論議を見ていると、特に医療における「合理的な考え方――科学的な論理に基づく思考」というものの難しさを痛感させられる。
(2010.8.26)