今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

永住外国人への地方参政権付与をめぐり、「ツリ」に引っかかった福島消費者・少子化相と、同じ土俵に上がってしまった石原都知事

大西 赤人



 石原慎太郎東京都知事による――まあ、御本人的には直言あるいは一家言と考えているのかもしれないけれども――放言というのか暴言というのかは、枚挙に暇がない。むしろ乱暴なほどに威勢のいい言葉が一面では人心を捉えることもたしかで、自ら旗を振った五輪招致が失敗して150億円(税金100億円、民間資金50億円)もの活動費がひとまず無駄になってさえ、取り立てて責任を問われることもない。たまにテレビで眼にする知事定例会見などの様子でも、傍若無人な石原のなすがままにさせている記者連中に情けなさを感じるのだが、あの物言いを聞かされるほうも、“またか……”と神経が鈍磨してしまっている嫌いもあるのだろう。とはいえ、先頃の“与党の幹部に帰化した子孫が多い”云々という発言もまた、政治家なり言語表現者なりを名乗る責任ある立場の人としては、ことさらに杜撰《ずさん》なものだった。報道に基づけば、その内容はこんな具合。

「民主党などで検討されている永住外国人への地方参政権付与をめぐり、東京都の石原慎太郎知事が十七日、都内の集会で『帰化された人、そのお子さんはいますか』と会場に呼び掛けたうえで、『与党を形成しているいくつかの政党の党首とか与党の大幹部は、調べてみると多いんですな』と発言をした。
 発言は、自民党を中心とした地方議員ら約五百人が参加して千代田区内で開かれた『全国地方議員緊急決起集会』の席上であった。『(帰化した人や子孫が)国会はずいぶん多い』といい、根拠を『インターネットの情報を見るとね。それぞれ検証しているんでしょうけれど』と人物は特定せずに説明し、与党にも言及した。
 石原知事は『それで決して差別はしませんよ』としながらも、続けて朝鮮半島の歴史に触れ、韓国政府が清国やロシアの属国になるのを恐れて『議会を通じて日本に帰属した』として一九一〇年の日韓併合を韓国側が選んだと話し、『彼らにとって屈辱かもしれないけども、そう悪い選択をしたわけではない』などと述べた。
 その上で、『ごく最近帰化された方々や子弟の人たちは、いろんな屈曲した心理があるでしょう。それはそれで否定はしません。その子弟たちが、ご先祖の心情感情を忖度(そんたく)してかどうか知らないが、とにかく、永住外国人は朝鮮系や中国系の人たちがほとんどでしょ、この人たちに参政権を与えるというのは、どういうことか』と批判した」(18日付『東京新聞』)

 この発言を当初に採り上げたメディアは限られていたようだが、『東京新聞』は20日付「筆洗」欄においても追い討ちをかける。在日韓国人として生まれ、十六歳の時に日本国籍を取得した元衆議院議員・新井将敬(1998死去。自殺といわれる)の初出馬時、同じ選挙区の現職だった石原の公設第一秘書らが新井の選挙ポスターに「元北朝鮮人」などと書いた黒いシールを大量に張るという悪質な選挙妨害を行なったことに触れた後、次のように続けていた。

「『それ(帰化)で決して差別はしませんよ』と集会で知事は語ったが、彼の取り巻きが過去にしでかしたことを思い起こせば、そんな発言を誰が信じよう▼与党幹部には帰化した子孫が多いという発言の根拠はインターネットだという。そりゃあ、石原さん、いくらなんでもちょっと無責任すぎるよと言いたくなる▼あからさまな差別的発言を大きく報道したメディアは本紙だけだった。『またいつもの放言だ』と取材側がまひしているならかなり深刻だ」

 日中、日韓、日朝、それぞれの歴史的関係とは別個の問題として、永住外国人に参政権を一律に与えるべきなのかどうかについては、僕自身、疑問を感じてもいる。しかしながら、“「与党を形成しているいくつかの政党の党首とか与党の大幹部」即ち鳩山政権には「ごく最近帰化された方々や子弟の人たち」が多いからこそ先祖に配慮して永住外国人への地方参政権付を求めるのだ”という因果関係を――様々に留保や逃げ道を設けつつも――暗示する石原の論理(?)展開は何とも姑息だし、しかもその拠《よ》って立つところが「インターネットの情報を見るとね。それぞれ検証しているんでしょうけれど」では、お話にならない。

 たしかに、以前に本欄でも記したことがある通り、インターネット上では、有名人に関する――“××は在日である、帰化人である、被差別部落出身者である”という類《たぐい》の――出自をあげつらう書き込みが横行し、とりわけ社民党の土井たか子元党首、福島瑞穂現党首、辻元清美衆議院議員らを実は帰化人であるがゆえの反日分子と見做し、それぞれの朝鮮名や帰化年月日までも明記しているまことしやかな言及が山のように見つかる(コラム340回)。

 けれども、そういう記述を一般人が自分のブログに気安くコピペするというのならば――それでも当然ホメられるものではなかろうけれど――さておき、東京都知事ともあろう人が文字通りの受け売りで誹謗中傷の拡大再生産に勤《いそ》しんでいるようでは困ったものだ。僕は、先の回で次のように書いた。

「改めて言うまでもなく、一人の人物が(帰化を含む)在日韓国人・朝鮮人であろうと被差別部落出身者であろうと何らの不都合もなく、引いては、上に述べたような風聞が真実であろうと虚偽であろうと、本来は何の意味も持たないはずだ。けれども、残念ながら現実の世の中には、それらの人々に対する明らかに誤った社会的な偏見・差別が存在し、だからこそこのような揣摩《しま》臆測が一定の攻撃性を伴って陰湿に語られる。そして、無責任に言い立てる側は、“もしも噂が事実と異なるならば、ただ堂々と否定すればいいだけのことじゃないか”という具合に平然と居直る」

「その上、いざその当事者が、風聞が誤っていることを弁じようとすると、今度は“おまえは人から朝鮮人や部落出身者と思われることがイヤなのか。それは、おまえ自身が偏見・差別を抱いている人間である証拠だ。だから必死になって否定しようとするのだ。もしおまえがそういう偏見・差別を抱いていなければ、別に誤解されても構わないはずじゃないか”と逆ねじさえ食わされかねない」

 つまりは、石原発言のごとき根拠の曖昧な――ネットの世界におけるいわゆる「ツリ」にも似た――しかし挑発的な仕掛けは、無視すれば“反論しないのだから事実と認めている”と位置づけられかねないし、反面、完全に否定することも極めて困難なので、むしろ否定しようとする反応それ自体が、かえって“あそこまでムキになるということは、やっぱり怪しいのでは?”というように、火に油を注ぐ結果にもつながりかねない。今回の場合、あえて挑発を買って出る形となったのは社民党・福島党首。

「社民党党首の福島消費者相は19日、国会内で記者会見し、石原慎太郎・東京都知事が与党党首には帰化した人が多いと発言したことについて、『私のことを言っているのだと考えた。私も私の両親も帰化した者ではない。しかし、帰化した人は日本人であり、帰化した者ではない日本人と同等の権利・義務がある。石原氏のように、そのことを問題とすること自体、人種差別ではないか』と批判した」(19日付『読売新聞』)

「福島氏は会見で『「与党を形成している政党の党首」といえば、おのずと特定され、私のことをおっしゃっているのだと考えた』とした上で、『(帰化を)問題とすること自体、人種差別だ』とも述べ、発言を撤回しない場合は法的措置も辞さない考えを示した」(同前『産経新聞』)

 福島の心情はよく判るものの、一般論として批判するレベルを超えて自らに話を引きつけてしまっては、これはまさに「ツリ」に引っかかった状態。建前上は“差別はしない”“否定はしない”と留保しながらの発言だった石原が、簡単に頭を下げるはずもない。

「東京都の石原慎太郎知事は23日の定例記者会見で、『与党党首には親などが帰化した人が多い』との自身の発言に対し、社民党の福島瑞穂党首が不快感を表明し、撤回を求めていることについて、『差別の意識は全くない。彼女を特定したわけじゃない』として撤回しない考えを示した。
 『帰化した人ではないと言うなら自分で戸籍を明かしたらいい』とも述べた」(23日付『読売新聞』)

「石原慎太郎知事は23日の定例会見で、自らの発言に法的措置も辞さないとする社民党の福島瑞穂党首に『不快な感じに言われるなら、そうでないということを自分の手で戸籍を証した方がいい』と牽制(けんせい)した」(同前『産経新聞』)

 これに対し、福島はなおも食い下がっている。

「福島瑞穂消費者・少子化担当相(社民党党首)は27日午前の記者会見で、石原慎太郎東京都知事が帰化に関する発言の撤回を拒否していることについて、『与党の党首は3人しかおらず、亀井静香国民新党代表は(外国人の)地方参政権に反対の立場だ。論理的に理解できない』と述べ、発言の取り消しを改めて求めた」(27日付『時事通信』)

 ここで福島の言う「論理的に理解できない」もやはり当然の憤懣ではあるけれど、何せ相手は「差別の意識は全くない。彼女を特定したわけじゃない」としており、なるほど発言の表面だけをなぞればその通りということにもなるからノレンに腕押し。ネットの世界では、石原を批判する声とともに、案の定、福島に対する“もし本当に帰化と無関係であれば気にならないはずだ”とか“まず、福島先生の戸籍謄本一式公開せよ!”とか“差別的発言をしてるのは自分のくせに、なぜか「法的措置も辞さない」らしいです(笑)”とかの揶揄も少なくない。

 福島の対応が十分なものだったか――あるいは効果的なものだったか――はさておき、問題は、実は単純だ。石原は、福島の批判に“帰化人と思われたくないのであれば、自分から戸籍を明かして証明すればいい”と反論した。これは明確に失敗である。自らの「差別の意識は全くない。彼女を特定したわけじゃない」なる言い分を整合させ、貫徹させるのであれば、石原は“福島が不快に感じることこそ間違っている”こと、従って“福島も、帰化しているかしていないかを明らかにする必要など一切ない”ことをこそ、重ねて強調すべきであったろう。ここで、「自分で戸籍を明かしたらいい」と言ったことにより、石原は、結局のところ「ツリ」に引っかかった福島と同じ土俵に上がってしまったのである。

 ある人に関して、多くの人間がその人だと推測し得る形で、“(現実問題として世間的に明らかにネガティヴなイメージを伴なう)××だ”と言う。言われた人が“私は××ではない”と反駁すると、“あなたのことを言ってはいない。でも、言われるのがイヤだったら、××ではないと証明すればいいでしょう”と返す。そして、“あの人は、自分が××だと言われるのをイヤがっているから、××を差別しているのだ”という世論を喚起する。このような陰険な手法を用いて憚らない人物が知事の椅子に坐りつづける東京都は――ひいて日本は――全くもって不幸である。
(2010.4.28)