今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

朝青龍が引退してしまった

大西 赤人



 とうとう朝青龍が引退してしまった。これまで僕は何度となく彼を擁護して――というよりは、正確には、朝青龍を非難攻撃する多くの声に対して異議を唱えて――きた。例のサッカー問題が起きた頃には、残念ながら実現には至らなかったけれど、とある編集者から“大西さんの考えに同感で、これはイジめの構図に近いと思う。出来たらこの状況を採り上げて、本を作りたい”という申し出もあったほどだ。従って、初場所における久々25回目の優勝を眼にして溜飲を下げていたのだが、その直後、場所中の1月16日に起きていたとされる「暴行」事件が出現。さすがの僕でも、一般人に対して暴力を振るったという話が事実であれば、それはどうにもマズかろうと思った。

 思いはしたものの、何せ実態は不明。しかし、メディアは相変わらず朝青龍を一方的に悪玉に仕立てて面白おかしく報じ、「緊急アンケート」(回答1059名)を行ない、「ファン89%が朝青龍に『厳罰処分を』」(1月31日付『スポニチ・アネックス』)と“国民感情”を醸成した。2月4日付『日刊スポーツ』なども、いつ写したのか判らない(撮影日時の記載なし)威嚇的な朝青龍の“悪相”写真を掲げ、「男性激励にブチ切れ」と一面で報道。“被害者”の男性と示談が成立したと伝える反面、揃ってその内容――信憑性に疑問を呈し、なお警察が事情聴取に乗り出すとして事態を盛り上げ(?)つづけた。結局、4日に開かれた臨時横綱審議委員会で異例の引退勧告が出る運びとなり、これを踏まえた日本相撲協会理事会においても、「強硬に『処分』を主張する役員と、『徹底調査』を求める親方衆が対立した」(5日付『読売新聞』)挙句、ついに横綱自ら詰め腹……。これは、メディアを用いた――あるいは、メディアがほとんど主体となった――昔ながらのエンタテインメントとしての実質的“公開処刑”に等しい。

 当初、朝青龍の個人マネージャーが“殴られたのは自分”とデタラメを名乗ったりという不明瞭さはたしかながら、そもそも“被害者”の申し立て自体――それを朝青龍サイドが行なった何らかの懐柔策による結果と見る向きも大いにあったとはいえ――日を追って揺らいでいた。

「被害者と思われる男性が、警察官に伴われ現場を離れたが、振り向きざま、朝青龍に『絶対許さねぇからな!』と捨てぜりふを吐いたという。
 暴行された男性は鼻骨骨折、頭部打撲など全治1カ月の重傷を負った」(1月29日付『サンスポ・コム』)

 【上記の言葉は「被害者と思われる男性」に関する目撃談だが、同じ記事の中には、“被害者”の現場における明確な言葉として「(朝青龍が)謝罪してくれるなら被害届は出さない」と記されている】

「同署【麻布署】によると、飲食店関係者の男性は1月16日午前4時ごろ、東京都港区西麻布の路上で、同署員に『(朝青龍関に)顔を殴られた』などと訴えた。署員はその場で双方から話を聴いた上で、話し合って対応を決めるよう伝えた。男性側は後日、『鼻の骨が折れた』とする診断書の写しを持って署を訪れたが、被害届については提出していないという」(2月1日付『アサヒ・コム』)

「男性は朝青龍関から謝罪がないとして同25日、麻布署に被害相談に訪れた。男性は『被害届を出すかどうかはもう少し検討したい』と話していたが、同31日に朝青龍関側から麻布署に示談したとの連絡があったという。(同前『毎日新聞』)

「被害者側が『暴行されたと言ったのはウソ』などの文面にサインした書類が日本相撲協会に提出されることが1月31日、分かった」(同前『日刊スポーツ』)

「暴行したとされる知人男性は鼻を骨折し、全治1カ月だと週刊誌が報じ、事件そのものは両者間で示談が成立。相手男性も高砂親方(元大関朝潮)に対し『当人同士ではもう終わっている。どうか寛大な処分を』とする手紙を送った」(4日付『スポニチ・アネックス』)

「特に横審の鶴田卓彦委員長の怒りは尋常ではなく個人的にも調査を開始した。『(相手の)鼻に1ミリの傷があって、ビデオにも写真にも撮ってある。非常に近い人の話なので間違いない』と言い切るほどの熱の入れよう」(同前『サンスポ・コム』)

 こちらは実際に見たわけでもないものの、「鼻骨骨折、頭部打撲など全治1カ月の重傷」を負って、「鼻に1ミリの傷」って……。

 引退会見での朝青龍は「メディアで流れることと実際起こしたこととはかなり大きな差があったので、最後まで待っていたいと思っていた」(同前『日刊スポーツ』)と語り、暴行問題に関する調査委員会の一員だった玉ノ井親方(元大関栃東)も「『詳しくはあまり話せないけど、報道との行き違いは感じていた。何とかもう一度、土俵に上がって頑張ってもらいたかった』と言葉を選びながら説明した」(同前『サンスポ・コム』)という。しかし、横綱審議委員会、協会理事会は、いわゆる“警察沙汰”にもなっていない時点で「引退」――従わなければ、不名誉な「解雇」――を迫ったわけで、即ち、完全に“疑わしきは罰する”である。横綱審議委員会が用意した引退勧告は、こうだった。

「平成22年1月16日未明に発生した横綱朝青龍関の一連の不祥事は、畏敬(いけい)さるべき横綱の品格を著しく損なうものである。示談の成立は当事者間の和解にすぎない。横綱に対する国民の期待に背いた責任を免れるものではない。
 よって横綱審議委員会規則の内規5、ロ、の『横綱としての体面を汚す場合』により横綱引退を勧告する」(同前『時事ドット・コム』)

 言うまでもなく、朝青龍を責める人々は、これまでの度重なるトラブルゆえのやむを得ない対応と見るだろう。しかし、要するにそこで持ち出される主要な根拠は、内舘牧子の「日本に、角界に、そして相撲という仕事に、敬意が欠けていた」(5日付『サンスポ・コム』)をはじめ、例によって“横綱の「品位」「品格」に欠けている”“日本を・相撲をなめている”という曖昧なもの。鶴田横綱審議会委員長の次のコメントは典型的だ。

「大相撲における横綱の地位は日本固有の伝統文化であり、国民に広く敬愛されている栄光である。土俵上での心技体で最高位であることはもとより、土俵外にあっても国民の尊敬と期待に背くようなことがあってはならない。今回の横綱朝青龍の一連の不祥事は一部週刊誌とは異なる点があるものの、国民の許せないという声も無視できない。朝青龍はこれまでも大相撲の発展に大きな貢献をし、多くの相撲愛好家に感動を与えてきた。この栄誉を不滅のものとするためにも退場しなくてはならない。これは万国共通の男の美学である」(4日付『日経ネット』)

 短い文脈において展開されている論理は、ほとんど三段論法めいた飛躍ぶりである。ましてや、最後の「万国共通の男の美学」なる大時代的――むしろ時代錯誤――なフレーズ。こんな理由により、優勝25回、前人未踏の7場所連覇を記録した力士を土俵から追放するとは?  もちろん、全く同じ次元で語ることは出来ないにせよ、試合中に自軍の選手を殴っていたようなどこかのプロ野球の監督は、「国民の尊敬と期待」に相応《ふさわ》しいのであろうか。

 横綱という地位は、そこに達する絶対の数値基準が定まっているわけではなく、相撲協会が昇進を横綱審議委員会に諮問し、そこで推挙されるに過ぎない。だからこそ、協会使者から昇進を伝えられた力士たちは、“謹んでお受けします”というような決まり文句を口にする。百歩譲って、朝青龍が先のごとき糾問を当然に受けるべき存在であるしたら、協会や審議委員会の“任命責任”はどうなるのか。また、横綱に 値しない朝青龍が今場所を含めて繰り返し優勝していたのだから、他の力士の不甲斐なさはどうなるのか。それに、内舘ややくみつるは、横綱の品格やあるべき姿をあげつらってきたが、極めて閉鎖的な親方株という制度の下、理事選挙において他の一門の候補に投票したら“犯人探し”が始まって退職するのしないのという騒ぎになる――自民党の派閥以上に旧態依然とした――相撲協会の状況を批判するほうが先だろうにと思う。

 仮に、「日本固有の伝統文化」である「横綱という地位」が、実力(強さ)と品格とが秤《はかり》にかけられて判断され、後者の不足がついに前者を蝕《むしば》んで地位を覆すものならば、これも何度も言ってきた事ながら、品格の不備を見切り発車で昇進させた朝青龍の裏返しとして、実力は劣る(弱い)けれども品格に満ち溢れる横綱も作り出さなければならないはずだ。モンゴルのメディアは、これまでの最多優勝回数記録(大鵬・32回)を朝青龍によって破られることを日本(人)が恐れ、相撲協会が圧力をかけたというふうに日本を批判しているらしい。それはあまりに僻目《ひがめ》ないしは身贔屓が過ぎると思うものの、相手が小国だからこその強引な結末という印象は強い。

 今回の経緯では、同じモンゴル出身力士として悪役・朝青龍とのライバル関係を煽り立てられてきた白鵬が、記者会見の席上、「横綱、今の率直なお気持ちをお願いします」と水を向けられても1分以上言葉にならず、「まあ、先ほど知りましたし……」とだけ言って再び20秒以上沈黙、「事実ですけど、信じたくないという……ありますね」と洩らし、その後は何度も溜め息をつき、涙を拭《ぬぐ》いながら言葉少なに語っていた光景が、皮相な位置づけからは窺い知れない二人の関係を感じさせて印象的だった。
(2010.2.5)