今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

新型インフルエンザ──院長が孫に接種、ワクチン余剰、ダラダラと続いた「水際作戦」──「検証は必要」という部分こそが大事

大西 赤人



 直近の報道を見る限り、新型インフルエンザ患者は減少傾向にある。

「厚生労働省は6日、新型インフルエンザの入院患者数が6週連続で減少したと発表した。
 (略)同省によると、昨年12月30日から今年1月5日の入院患者数は216人(速報値)。12月23〜29日は540人で、1448人を記録した11月18日の週から6週連続で減少した」(6日付『時事ドットコム』)

「国立感染症研究所は7日、全国約5000医療機関を対象にしたインフルエンザの定点調査で、最新の1週間(12月21〜27日)に新たに受診した患者数が1医療機関当たり19・63人となり、4週連続で減少したと発表した。
 20人を下回ったのは10月中旬以来。(略)1週間の累計患者数は約100万人で前週から約7万人減。7月上旬以降の累計では約1753万人となった。」(7日付『読売新聞』)

 もちろん、一週間に約100万人もの患者となれば「依然として流行中であることに変わりはなく、手洗いや体調管理に努めてほしい」(同前『時事』)という厚労省の見解は当然だし、まだまだ真冬、今後、改めて拡大に転じる確率も決して無視しがたいようだ。しかし、世間の反応は文字通り“喉元過ぎれば熱さ忘れる”“熱しやすく冷めやすい”というところ。感染者が見つかるたび、臨時ニュースまで流していた当初の馬鹿騒ぎなど夢のようである。まあ、100万人の患者の発生を一々報じていたら、日本中のテレビも新聞も、他に何の仕事も出来なくなってしまうに違いない。

 昨秋あたりには、ワクチンについても国民全体に行き渡る量が――輸入分を含めて――確保可能か否かが危惧され、医療従事者、妊婦や幼児、基礎疾患がある人などが優先的に接種を受けるという方針の是非も論議を呼んだ。そんな中、次のような出来事も起きていた。

「兵庫県宝塚市の小児科診療所の院長が今年10月、医療従事者向けの新型インフルエンザワクチンを自分の孫に接種していたことが分かった。院長は厚生労働省の調査に虚偽の書類を提出するなど、隠ぺい工作もしていた」(2009年12月9日付『毎日新聞』)

「院長は10月22日と11月12日の2回、診療所に届いたワクチン8人分の一部を孫に接種。その結果、診療所で接種できた医療従事者は院長や看護師ら5人だけだったという」(同前『産経ニュース』)

「院長は読売新聞の取材に対し、『ぜんそくの持病を持つ孫の健康が心配で、不正を承知で接種した。医師のモラルに反する行為だった。国にはうその説明をした』などと認め、9日、厚労省に電話でこうした事実を伝えたという。
 初回の接種後、孫は有名私立小学校を受験していたが、院長は『受験よりもぜんそくがきつかったのが理由』と釈明している」(同前『読売新聞』)

 投与の真の理由は「持病」への配慮よりも「受験」への用心だった疑い濃厚だし、隠蔽工作までしていたとなれば、たしかに倫理に悖《もと》る不届きな行為とは思う。ただ、その一方、眼前の孫のために気持ちが揺らぐのも人情だろうと多少の同情を感じなくもない。実際のところ、それから僅かの間に状況は大きく変化する。

「ワクチン『不足』一転『余る』 1億5300万人分確保」(2009年12月27日付『産経ニュース』)と題された記事は、こんな調子だった。

「当初は『足りない』と大騒ぎした新型インフルエンザワクチンが、今度は逆に『余る』ことが確実な状況になっている。流行が下火になりつつあることで接種希望者が減ることや、来年2月には9900万人分(1回接種の場合)という大量の輸入ワクチンが供給される予定になっているためだ。医療現場ではすでに接種予約のキャンセルも出始めているといい、関係者からは『輸入する必要はなかったのでは』と、指摘する声も出始めている。
『ワクチン接種の予約電話はずいぶんと少なくなった。キャンセルも相次いでおり、あの騒動はなんだったんだろう…』。六号通り診療所(東京都渋谷区)の石原藤樹所長は、ワクチン不足が深刻だった11月中旬を振り返る。
 当時は予約や相談の電話が鳴りやまず、連日20人以上に接種を行っていた。しかし、現在はワクチンの1瓶(18回分)が1日で使い切れない状況。そのため1週間に1、2日、希望者を集め集団接種をしている。
 集団接種のため200人の募集をかけたところ、8人しか集まらなかったという話もあるといい、石原所長は『流行がピークを越えたとされる今、3600円を払ってまで打とうという人は少ない。輸入ワクチンの入荷は見合わせようかと考えている』と話す」

 今だったら、先の院長さんも、何ら人目を憚ることなく孫に三回でも四回でも打ってやることが出来ただろうけれど……(笑)。冗談はさておき、そもそも、当初は二回接種が必要とされていたのに、基本的には一回接種で十分との大きな方針転換があり、結果、「厚労省が今回の新型インフル用に用意した国産ワクチンは5400万人分。輸入の9900万人分を合わせると1億5300万人分にもなり、日本の人口を大きく上回る」(同前)こととなってしまった。輸入によるワクチン大量確保をシャカリキに推し進めた主《ぬし》は先代の舛添要一厚労相だったわけだが、「北海道大の喜田宏教授(微生物学)は『新型は季節性のAソ連型と共通する部分があり、1回接種で効果が得られることは予想できた。大量余剰の責任を誰が取るのか』と手厳しい。ワクチンの輸入に使われた税金は1126億円にもなる」(同前)という具合に批判を浴び、争奪戦に敗れて輸入を断念した韓国のほうがかえって得をしたという話まで出ている。

 なるほど、当時から“そこまで多くのワクチンを輸入する必要があるのか”との声は聞こえていたし、ワクチン自体、“かからない”ようにするものではなく、“重症化を防ぐ”という性質。従って、舛添大臣らしい行き過ぎた反応だったという面はなくもないにせよ、一回接種でも効果があるとの明確な認識は追って固まってきたのだから、行政の対応としては、不足するくらいなら過剰のほうがマシ。“事業仕分け風”に言えば無駄使いとする批判は容易だけれども、「確かに余るだろうが、再流行や来年の流行にも使える可能性はあり、直ちに無駄になるとはいえない。大きく構えておくのが危機管理の基本。検証は必要だが、当時の判断は間違っていなかった」(同前『産経ニュース』)という厚労省血液対策課の見解はそれなり妥当と感じる。

 ところで、ワクチン余剰は、日本に限った現象ではなく、たとえばフランスでも大変な物議を醸《かも》しているらしい。

「国民議会(下院)の与野党議員は6日、大量のワクチン発注で製薬企業が果たした役割などを追究する特別調査委員会設置を求める決議案を上程した。
 仏政府は国民全員がワクチンを2回ずつ打つと想定して、昨年11月、世界のアンプル総量の1割に相当する9500万回分を総額約10億ユーロ(約1300億円)でグラクソ・スミスクライン社やノバルティス社などに発注した。政府は2月末までに3000万人が接種すると見込んでいたが、これまでに接種した人は国民の1割足らずの約500万人にとどまる。ワクチンの副作用に関する報道が影響して、接種を敬遠する人が続出したためとみられる。
(略)週刊紙カナール・アンシェネは6日、『新型インフルエンザ対策に関するバシュロ保健相の諮問委員会のメンバーに製薬会社の研究所職員が多数含まれていた』と報じた。仏政府が製薬業界への利権誘導を図って『水増し発注』したとの疑念も浮上している」(1月7日付『読売新聞』)

 現時点で事の真偽は判らないが、「水増し発注」となると、単なる余る余らないを超えて別次元の問題である。少なくとも、将来、より深刻な鳥インフルエンザなどが本格的に発生することを想定し、そのために経験的教訓を得るとすれば、先の厚労省血液対策課が半ば言いわけのように述べている「検証は必要」という部分こそが大事なはずだ。昨年5月、6月――新型インフルエンザ感染者が次々に見つかりはじめた頃、僕は本欄で次のように書いた。

「島国という特性を持つ日本は、今回もお得意の『水際対策』なり『水際作戦』なりを標榜しつづけているわけだが、政府にとってのパフォーマンスとしての意味合いはともかく、実効面では根本的に限界がある。検疫といっても病原体(ウィルス)の感染を即座に確認可能なわけではなく、所詮は問診票や発熱センサーによる一次的チェック。一定の潜伏期間が存在する以上、特に母数が増えれば、その網の目を通過する感染者は確実に出てくると考えるほうが自然だ」(コラム379回

「そもそも、既に世界各地で多数の発生が報じられていたゴールデン・ウィーク時点において、海外旅行に何らの制限も設けられないまま数十万人が旅立っていたのだから、戻ってきた際の空港での“水際作戦”に完璧を期することなど最初から無理な話」(コラム380回

 素人でもハナから想像のつくようなそんな結果が、わざわざニュースになっていた。
「昨年4月の発生から5月までに国内の空港検疫をすり抜けた新型インフルエンザ感染者は、最大で入国を防げた感染者の約14倍に上っていたことが、東京大学などの推計でわかった。
(略)この結果は、7日付の欧州の感染症対策専門誌『ユーロサーベイランス』(電子版)に掲載される。すり抜けの多くは、発熱などの症状がない潜伏期間の感染者だったとみられる。
(略)研究チームは、ウイルスの潜伏期間、検疫で捕捉できた感染者数、簡易検査の検出率などのデータをもとに、検疫をすり抜けた感染者数を推計する手法を開発。潜伏期間を2〜7日、患者の何%を簡易検査で捕捉できるかを示す「検出率」を、実態に合わせて70%として計算したところ、8人が見つかった5月末までの間に、約14倍に上る計113人の入国を許したとの結果が出た。
 チームの井元清哉・同大准教授と山口類《るい》・同大講師は、『潜伏期間が長い感染症の患者を、検疫ですべて捕捉するのは難しい。すり抜けた患者数の推計を早期に行い、その結果をもとに、国内の医療体制を整えたり、学級閉鎖の時期を検討したりする総合的な対策が大切だ』と話している」(1月7日付『読売新聞』)

 今更とも思える一つの「検証」だが、数字としての眼に見える結果も必要には違いない。ダラダラと続いた「水際作戦」に動員されたため、早期に国内での対策(拡大防止)に割《さ》かれるべき医療人員が十分に稼動し得ないという状況も存在した。当然ながら、総てを行政の責任として非難することに意味はない。国民一人一人が、判りやすいパフォーマンスの実体を見抜き、事態の本質を冷静に判断し得るか――少なくとも、判断しようと努めるか――という話であろう。
(2010.1.9)