今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

世論の高い支持を受けた「事業仕分け」だが、その拠《よ》って立つ理念とは、小泉改革と変わらぬ「費用対効果」でしかない

大西 赤人



 以前から関わっている『憲法寄席』の「2009年秋席」公演が11月23日に催されたため、10、11月は準備や稽古にてんてこまいの日々だった。当日は、二本の新作劇――杉浦久幸・作『たかしくんの海賊退治』、大西作・『独りではない』――を上演(どちらも12月中に行なわれる外部イベントでの再演が決定)した他、社民党(副幹事長)の前衆議院議員・保坂展人氏、ジャーナリスト・山口正紀氏を招き、僕の司会によりトークセッションも行なった。特に保坂さんと大西とは同年齢であり、共に中学卒業に際して、彼は「内申書裁判」、こちらは「浦高事件」という社会的にも大きな問題となる出来事を経験。後には、僕の著書『影踏み』(光文社文庫)の解説を執筆していただくという経緯もあって、保坂さんも“以前どこかで会っているはずなのに”と言うくらいの間柄ながら、実際には、その日が全くの初対面だった。秋席全体の「政権交代 なにが変わる? なにを変える?」というテーマ通り、当然にも話題は、鳩山政権への評価やその問題点、そして、連立している社民党の位置づけ、働きに及んだ。

 真夏に季節外れの大雪崩《なだれ》とでも表したくなるような8月末の総選挙における民主党圧勝によって鳩山政権が誕生して以来、二ヵ月半ほどが経過。途中、七党一会派相乗りの細川内閣や自・社・さきがけ連立の村山内閣も存在したにせよ、何十年にもわたって続いてきた自民党中心の政治にひとまず幕が下りたことは間違いない。けれども、変革を望んだ国民の審判と言えば聞こえはいいものの、「民主党」というブランドさえ付けば言わば“誰でも”通るような選挙だったから、過去に見られた「小泉旋風」の裏返しのような危なっかしさも窺われる。以前に僕も「二大政党制を装ってはいるものの、元を辿れば自民党と民主党の相当部分は、同床異夢ならぬ“異床同夢”とでも呼びたくなる存在」(コラム376回)と記していたわけで、表面的には劇的な政権交代が実現したとはいっても、保坂さんもそのあたりについては、“頭が変わって体が全然変わっていないというよりも、頭の「皮」が変わったという感じ”という言い方だった。

 衆議院での圧倒的多数を制する民主党だが、とりあえずは社民党、国民新党との連立政権を組み、少数の声をも採り入れようという姿勢を見せはした。しかし、とりわけ社民党との政治姿勢の差は小さくなく、保守派メディアは、当初から両者の意思疎通は不十分という印象を何かにつけて報じ、来年の参院選で民主党が単独安定多数を得さえしたなら、言わば“お荷物”である社民党との連立を解消するであろうという観測を振り撒いている。

 この点に関して保坂さんは、大きなポイントは普天間飛行場移転を筆頭とする沖縄問題で、“これは、社民党を外せばうまく行くというような見方は間違い。もしも沖縄全体の状況を切り捨ててアメリカの要望通りに辺野古移設を進めれば、沖縄県民対日本政府という対立構造が出来上がってしまう。社民党としては、鳩山政権がそういう選択をしないように意見を言いつづける”と話していた。その後にも、「自民党県連は27日の議員総会で米軍普天間飛行場の移設先について、鳩山政権が年内に政府方針を決めなければ、名護市辺野古沿岸部への移設を容認する姿勢を転換、県外移設を要求することを決めた」(11月28日付『沖縄タイムス』)という報道の一方、「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の国外・県外移設を主張する社民党が、移設問題の行方に神経をとがらせている。沖縄県選出の党所属議員や支持者に『県内移設で決着した場合、連立政権を離脱すべきだ』との強硬論が台頭しているからだ。執行部が連立維持にこだわれば、党分裂の恐れも出てきた」(同30日付『毎日新聞』)というような報道も出ており、なお紆余曲折は不可避とも思われる。

 いずれにせよ、これまでの様々な政治的しがらみを抱えながら出発したばかりの新政権の良し悪しを断ずることは時期尚早ではあろうけれども、燻《くすぶ》りつづける鳩山、小沢御両人にまつわる疑惑は実に胡散臭く、それだけでも命取りとなっておかしくない内容。メディアの多くが今のところは民意を体して意識的に追及を手控えている気配も感じられ、今後、風向きが変われば――流れを見切れば――一気に攻勢を強め、政権を揺さぶる可能性もありそうだ。とりわけ、首相の資金管理団体に母親から年間1億8千万円、五年間で9億円もの“お小遣い”と一部で揶揄される金銭が提供されていたとの収支報告書虚偽記載問題は、幾ら資産家の育ちにしても何とも度外れた話である。

 もっとも、そんな本来ならば大きな失点にもかかわらず鳩山内閣の支持率は横這いないし微減に留まっており、マイナスを埋め合わせた原動力は、先日来、民主党マニフェストの目玉「行政刷新会議」ワーキンググループによって華々しく実施されたいわゆる「事業仕分け」に対する高い評価だった。どこの世論調査を見ても、70%から90%の国民は、これを「支持する」「役立つ」「妥当である」などと答えていたようだ。現実には、「事業仕分け」における決定には何の拘束力も伴なわない――「意思決定しているわけではない。権力行使ではなくスペシャリストの考え方を述べている」平野博文官房長官(同13日付『日経ネット』)――以上、ガス抜きめいた一種のパフォーマンスという面は否定しがたい。とはいえ、“予算の無駄使いをなくす”“密室の中で行なわれていた種類のやり取りを衆人環視の下で行なう”という切り口は、たしかに新鮮かつ魅力的なものではあった。実際、お役所仕事として正当な検証なく惰性的に組まれ、「廃止」や「見直し」にふさわしい予算も少なくなかったとは思う。しかしながら、その「仕分け」の拠《よ》って立つ理念については、甚《はなは》だ疑わしいものがある。

 スーパーコンピューター事業費がどう、五輪選手強化補助金がこう、GXロケット開発費がどう、漢方薬保険適用がこうと個々の要不要をあげつらうことは避けよう。ただ、この「事業仕分け」とは、総括役の民主党・枝野幸男衆議院議員が「政治で決める部分に踏み込むつもりはない」(同23日付『毎日新聞』)、「予算全体が良いとか悪いとかの話は政治的に決定することだ」(同前『U.S.FrontLineコム』)などと再三繰り返していた通り、要するにそれぞれの事業が基づく政策の基本的な是非を論ずることはしないのである。従って、象徴的な例を挙げれば、在日米軍駐留経費の日本側負担(いわゆる「思いやり予算」)についても、基地労働者の給与水準の「見直し」を求めこそすれ、「思いやり予算」を今後も続けるべきかという根本には触れない。自衛隊に関しても、「護衛艦や戦闘機の装備品の調達費については、『仕分けをするべき内容ではない』」(同27日付『FNNニュース』)として結論を出さず、一方、制服は海外から安く調達するなどして被服購入費を縮減しろと――自衛隊に対して否定的な僕が聞いてさえアホらしく感じるような――要求を提示する。

 結局、ここに理念が存在するとすれば、それは極めて表層的・一律的な「費用対効果」でしかない。「事業仕分け」という概念は、1997年に設立された非営利系の政策シンクタンク『構想日本』(代表・加藤秀樹)によるものであり、そのサイトには「構想日本が2002年から行っている行政の『事業仕分け』。2008年7月現在で26の自治体(28回)で実施しました」、「国や自治体の行政サービスについて、予算事業一つひとつについて、そもそもその事業が必要かどうかを議論」、「必要だとすると、その事業をどこがやるか(官か民か、国か地方か)を議論」、「最も事業仕分けが必要なところは『国』です。国の『事業仕分け』の最大の意義は、国の仕事の『そもそもの必要性』を問うことです(=『市場化テスト』や『三位一体改革』といった実施主体の議論の前提)」などと記されている。即ち、『構想日本』の考え方とは、小泉元首相の頃に認知されたものであり、そのメンバーには――現在の仕分け人の中にも――いわゆる「新自由主義」路線を唱えてきた人々が見受けられる。

 “「民間」の競争原理、「民間」の論理を「公・官」に採り入れるべし。特にコストを改善すべし”という考え方は根強く、また、多くの人々から支持されるところである(余談ながら、大阪府の橋下徹知事なども、府のあれこれの状況に関して“「民間」の組織ではあり得ない”的な発言が多いけれど、そもそもそんな事を言えば、「民間」だったなら、言わば一介の弁護士がある日突然に大企業のトップの椅子に坐ることだって“あり得ない”話だろう)。「民間」とは自《おの》ずから採算が第一義で、必然的に利潤を産み出さなければ成立せず、従って、コスト削減に奔走せざるを得ない。言うまでもなく、それによる前進はあるに違いないにせよ、同時に利潤追求・効率重視ゆえの弊害を惹き起こすことにもなる。「公・官」は利潤を上げることを目的としないからこそ、直接かつ早期の見返りを期待し得ない事業をも手がけることが出来る。大体、「費用対効果」を金科玉条に据えるならば、弱者への支援だのセーフティー・ネットだのは非採算この上ないし、まして年金制度などはほとんど無意味となってしまうことだろう。かような次第で、「事業仕分け」に関しては、素直にうなずけない気分なのである。
(2009.12.2)