今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

失敗した新型インフルエンザ“水際作戦”の陰で審議の進む、呆れ返る内容の海賊対処法案

大西 赤人       



 十日ばかりの間に、新型インフルエンザを巡る状況は激動した。海外からの帰国者にとどまらず、渡航歴のない人々の間にも相次いで感染が見つかり、その範囲も当初の神戸、大阪から東京にまで広がりつつある。確認された感染者数は302人(22日13時現在)とされているが、当然、実際にはそれ以上の人数に上ることだろう。そもそも、既に世界各地で多数の発生が報じられていたゴールデン・ウィーク時点において、海外旅行に何らの制限も設けられないまま数十万人が旅立っていたのだから、戻ってきた際の空港での“水際作戦”に完璧を期することなど最初から無理な話。実際、東京、川崎で確認された女子高校生二名の場合は、“すり抜け”というレベルではない粗雑な顛末《てんまつ》だった。

「うち1人は同校2年の女子生徒(16)で東京都八王子市在住。機内で発症し、成田空港に到着した時点で39度の発熱があったが、検疫ではインフルエンザA型もB型も陰性との診断を受けていた。(略)
 もう1人は同校2年の女子生徒(16)で川崎市在住。機内で発症し、成田空港到着時は38.5度の熱があったが、検疫ではインフルエンザA型もB型も陰性だったという」(21日付『毎日新聞』)

「2人とも機内で発熱したため、検疫でインフルエンザの簡易検査を受けたが、陰性だったことから、帰宅した。
 2人は成田空港からそれぞれ別のバスで移動し、電車を乗り継ぎ、タクシーなどで帰宅。生徒は帰宅途中、成田空港の検疫官の指示でマスクをしていたという。2人とも20日に高熱が出たため、地元の感染症指定医療機関や発熱外来を受診。簡易検査でインフルエンザA型が陽性だったため、ウイルスの遺伝子検査を受けていた」(同前『アサヒ・コム』)。

 ここで、単純に検査側を非難しようとは思わない。発熱センサーや(発症初期には何割かは陰性に出るという)簡易検査によるチェックには、自《おの》ずから当然の限界があったわけである。付け加えれば、“水際作戦”に力が注がれていた結果、神戸で最初に見つかった高校生についても、海外渡航歴がなかったことで検査が後回しになった――確認が遅れた――とも報じられている。

「生徒に渡航歴がなかったことから、医師【診察した開業医】が求めたのは新型インフルエンザの検査ではなく、ソ連型か香港型かの季節性インフルエンザとしての識別。医師は『忙しい時期だが、保健所をあけてほしい』と検査を依頼した。
 市には、感染の疑いがある患者を診療する『発熱外来』からの検体も提出されており、市の担当者は『発熱外来の検査を優先していた。医師にも遅くなっていいかと了解を取った』と釈明。生徒の検体を通常の調査として扱ったため、検査が後回しになったという」(16日付『共同通信』)

 人が頻繁に行き来することで拡がる感染症を“水際”検疫によって阻止するという元々不可能に等しいアドバルーンではなく、むしろ伝播は不可避であるとの現実を大前提に置き、その状況を国民に――啓蒙的に――周知・認識させながら市中感染(の拡大)に即応する態勢作りを進めるほうが実際的ではなかったろうか? 国内侵入を断固防止すべしとのキャンペーン的な姿勢が空回り的に先行し、その裏返しとして、多くが免疫を持たない新たな疾病《しっぺい》にかかったというだけに過ぎない感染者の存在や行動を相変わらずの誹謗・中傷の対象とさせてしまうことにもなった。今回の新型インフルエンザは感染力こそ強いものの弱毒性と言われ、起こり得る鳥インフルエンザに対する恰好のシミュレーションという分析も見聞きするけれど、これが極めて危険な種類のものだったとしたら、もはや防疫としては明らかな失敗という印象である。

 さて、マス・メディアは新型インフルエンザのニュースに席巻されている――某紙で見かけた「冷静に冷静にと日々煽り立て」という川柳は秀逸だった――のだが、その陰に隠れた形で、しかし、後、実は未だ参議院において審議中(衆議院では4月23日に与党賛成多数によって可決)の海賊対処法案なる法律は、何とも呆れ返る内容である。どうしてこれが世間的にもっと話題にならないのか、不思議で仕方ない。

 そもそもこの法案は、アジアとヨーロッパとを結ぶ重要な海上交通路であるアフリカ東部のソマリア沖やアデン湾で発生している海賊被害に対応するためのもの。「海賊」とは一種懐かしさ(?)さえ感じさせる言葉だが、昨年6月に海賊対策を可能とする国連安保理決議が行なわれ、これに基づき米国、ロシア、EU、中国、韓国などの艦艇が展開している同海域において、日本も“国益”を維持するとともに例によって“国際貢献”しようというわけだ。

 ソマリアの国情・政情は複雑なようだし、権益が絡んだ各国の思惑についても一筋縄では行かないのだけれど、その辺はさておき、とりあえず「海賊」の横行が事実であり、そこを通る一般商船に危険が及びかねないという条件は踏まえるとしよう。しかし、相手はどう転んでも所詮「海賊」である(決して軍隊ではない)。「海賊」であるとなれば、別にソマリア沖に限らず、インドネシアを始め、世界の各地で起きており、従来、これらの行為に対して日本は、海の警察機構たる海上保安庁が対応してきた。海上保安庁とは、他国における沿岸警備隊などの準軍事組織に相当するものの、国土交通省に所属しており、「戦争の際は軍隊の一部として参戦することが国際法では認められているが、日本はこれを否定している。(略)有事の際に防衛大臣の指揮下に組み込まれる可能性はあるが、自衛隊には編入されず常に警察任務と海難救助に徹する」(ウィキペディア)とされている。

 ところが、今回の事態に際しては、海上保安庁に属する巡視船の派遣は諸々の理由から困難とされ、しかし、現地の危機には急ぎ対処しなければならないという判断から、3月末の時点で、海上自衛隊の二隻の護衛艦が「日本近海の不審船対処を想定した自衛隊法82条(海上警備行動)を根拠」(11日付『毎日新聞』)に出動した。言わば見切り発車(発艦?)である。しかも、仮にこの枠を認めるとしても護衛対象は日本関係の船舶に限定されるはずなのだが、現場での護衛艦は外国船から要請を受けて一度ならずこれらを救助した。そりゃあ、まあ、そうだろう、目の前で襲われている船があるのに“私たち、あなた方を助けちゃいけない決まりですので”と拱手傍観していたら、“てめえたちゃ人間じゃねえ!”ということになってしまう。

「『脱法的』との指摘が出ているが、浜田靖一防衛相は『SOSを発信している船を見過ごすことはあり得ない』と苦しい反論をしている。想定外の事態への詰めが甘いまま派遣した結果である」(4月23日付『信濃毎日新聞』社説)。

 “海賊警備は海上保安庁の本来業務”と位置づけながら、巡視船では役目をこなしきれないから護衛艦を派遣する。海賊は高度な武器を装備しており、たとえばロケットランチャーによる攻撃を受けたら巡視船では防備(鋼板)が薄くてやられてしまう(そんな事を言えば、自衛艦が行ったところで、もっと強烈な攻撃をされてしまったらどうするのか?)。でも、海上保安庁として大型巡視艇を追加保有する予定はない……。誰が見たって、まず自衛隊を送り出したいという話である。そして、後から、“外国船も守れます。武器の使用も緩和します”という法律を作る。これをドロナワと呼ばずして何をドロナワと呼ぶのか?

 4月21日には、衆議院「海賊対処・テロ防止特別委員会」で参考人招致があり、日本船主協会会長(川崎汽船社長)前川弘幸氏、日本船長協会会長・森本靖之氏、全日本海員組合組合長・藤澤洋二氏、早稲田大学法学学術院教授・水島朝穂氏の四名が意見を述べた。国会における参考人質疑にセレモニー的な色彩が強いことは否めないが、水島氏は法案における多くの不備を指摘し、慎重審議を求めた。水島氏のサイトにある「今週の『直言』」(4月27日付)には、以下のような一節が見られた。

「全日本海員組合の藤澤さんが、平和憲法に特別の思いをもつ海員組合ではあるが、今回ばかりは自衛艦派遣に賛成するという態度を表明した。6年前、全日本海員組合機関紙『船員しんぶん』の依頼で『平和憲法の実現で海の平和を』という論稿を書いた関係もあり、私としては複雑な思いでこれを聞いた。組合長さんは慎重に言葉を選び、たくさん条件を付けながら賛成していた。気持ちはよく理解できた。それだけに、『海の労使がこぞって自衛艦派遣に賛成した。だから…』という民主党議員のまとめ方は、やや結論を急ぎすぎていると思った」

 ああだこうだと理屈を並べることは迂遠であり、“実際にその場に居る船員は命が危ないんだぞ”という焦眉の急としての危機のほうが遥かに切迫する。しかし、従来は何かにつけて「自己責任」を持ち出してきた政府が、幾ら国家のライフラインに関わる海上輸送に関わるとはいえ、船主、その雇用する船員(先の藤澤氏の発言によれば、日本商船隊の日本人船員は約2600人、外国人船員は44ヵ国約49000人、その7割はフィリピン人)に関しては、何とも素早く手厚い庇護に踏みきっているものだ。本来ならば、そういう危険を避ける――ソマリアの状況改善に尽力する、あるいは、より直截《ちょくせつ》には危険な海域を通らない航路を模索する――方向での選択肢もあっておかしくないはずだろうに。

 加えて、以下の続報にも一層驚かされた。

「政府は10日、アフリカ東部ソマリア沖の海賊対策として、自衛隊法の海上警備行動に基づき、15日に海上自衛隊のP3C哨戒機2機の派遣命令を出す方針を固めた。安全保障会議と閣議での決定を経て、浜田靖一防衛相が派遣命令を出す段取りだ。(略)
 ソマリア沖では、海上警備行動により海自護衛艦2隻が活動している。P3Cは、海自護衛艦が日本関連船を警護するソマリア沖・アデン湾の上空から海賊船の警戒に当たり、日本関連船、各国軍の艦船に情報を提供する。P3C派遣に伴い、空港警備に当たる陸上自衛隊員ら計約150人がジブチ空港に駐留。航空自衛隊も人員や必要な物資を同空港に輸送する。
 衆院を通過し、参院での審議を控えている海賊対処法案が成立した場合、政府は派遣根拠を海上警備行動から海賊対処法に切り替える方針だ」(10日付『共同通信』)

 何ですか、これ? 「海上警備行動」というくくりで、でも、飛行機も出せる(P3Cの海外派遣は初めて)、陸上自衛隊も出せる、法律が通ったら、他国を守り武器を使い得る「海賊対処」に移行する。要するに何でも出来るに等しい。これまで9条護憲派の人々をはじめ、“戦後、日本は平和憲法の下で戦争に関与せずに過ごすことが出来た”というような見方は少なくない。しかし、今回の経緯は、そんな見方がもはや空虚な綺麗事に化しつつあるとさえ感じさせるものだ。
(2009.5.22)