今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

“泰山鳴動して鼠一匹”に終わった北朝鮮による「人工衛星/ミサイル」打ち上げ

大西 赤人       



 前回の本欄で僕は、4月上旬と予告された北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)による「人工衛星」あるいは「ミサイル」打ち上げに関して、臨戦体制さえ思わせるような日本での危機感を裏付ける「『ミサイル』のハッキリとした証《あかし》を出してもらいたい」と記した。実際に「飛翔体」――今年の流行語大賞候補に上がりそうな巧妙な(?)呼称――は4日に打ち上げられ、日本側における「誤探知」や「誤報」というようなドタバタ騒ぎを経ながら、結局のところ、ほぼ北朝鮮の予告した通り、一段目が日本海に、二段目(以降)が太平洋に落下し、浜田靖一防衛相の「破壊措置命令」によって大がかりに発動されたミサイル防衛(MD)システムは――言わば頭上を通過する「飛翔体」を見送る形で――稼動することはなく、ある意味幸いにも、ほとんど“泰山鳴動して鼠一匹”というような形に終った。

 「飛翔体」の正体は、未だ必ずしも明らかになっていないものの、打ち上げ前後には、次のような見解も流れてはいた。

「[ワシントン 31日 ロイター]北朝鮮が今週末にも打ち上げを計画しているのは、弾頭ではなく、人工衛星の可能性が高い。衛星写真の分析結果として、複数の米国防総省高官が31日、述べた。
 分析に使われた衛星写真は商業衛星から撮影されたもので、3月29日に米シンクタンクの科学国際安全保障研究所(ISIS)のウェブサイトに公開された。これには北朝鮮・舞水端里(ムスダンリ)の打ち上げ施設の発射台に設置された長距離弾道ミサイル『テポドン2号』らしきものが写っているが、先端部分が『円すい』型ではなく『球根』型をしている。(略)
 米空軍所属の国家航空宇宙情報センター(NASIC)高官は、この『球根』型のペイロードカバーは、標準的な軍事・商業衛星の打ち上げに使われるものと形が似ていると指摘。米国、ロシア、および欧州宇宙機関が同様のペイロードカバーを人工衛星の打ち上げに使っているという。
 高官のうち1人は、ペイロードカバーが『球根』型をしていることは、北朝鮮の人工衛星を打ち上げるとの主張が正しいことを裏付けると述べた。
 ISISのアナリスト、ポール・ブラナン氏は『北朝鮮は人工衛星を打ち上げようとしているのだろう。ただ問題となるのは、人工衛星打ち上げへのステップは、北朝鮮が別の能力をつけるためのステップと重なることだ』と述べた。(後略)」(1日付『アサヒ・コム』)

「軌道や先端部分の構造から3氏【ヘンリー・オベリング前米ミサイル防衛局長、宇宙の平和利用推進に取り組む『安全な世界基金』のビクトリア・サムソン氏、米民間研究機関『グローバル・セキュリティー』のチャールズ・ビック氏】とも、人工衛星打ち上げ目的だったとの認識では一致した」(6日付『読売新聞』)

 ただ、事後のテレビでは、“打ち上げ前に先端部分を付け替えたのではないか”というような観測もあった。少なくとも北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の広報担当者は、「ミサイルは『北米やハワイに対する脅威ではない』と判断し、ミサイル防衛による迎撃などの対応措置は取らなかった」(5日付『アサヒ・コム』)と述べていた。一方、浜田大臣は、太平洋に落下した部分を(海底から)回収する可能性に言及し(この動きを北朝鮮は非難しているが)、現実問題、“海の藻屑《もくず》”を探し当てて引き上げられるものなのかどうか?

 もちろん北朝鮮側は、あくまでもロケット『銀河2号』による試験通信衛星『光明星2号』の打ち上げであったと位置づけ、成功裡に衛星軌道に乗って革命歌を送信していると伝えた。けれども、その電波は捕捉されていないとされており、二段目(以降)は十分な推進力を得ることなく、人工衛星化は失敗したということなのかもしれない。とりあえず成功にせよ失敗にせよ、つまるところ冷静に考えれば、「飛翔体」の正体は人工衛星であった――人工衛星として打ち上げられた――という可能性が高いとも思われるのだが、日米政府は「ミサイル発射」と断定する立場を採っている。

 そもそもミサイルだろうが人工衛星だろうが、先端部分(搭載物)を除けば同じロケットによって推進されるのである。ありふれた乗用車だって、もしも爆弾を積み込んだら凄まじい自爆テロの手段となる。ある物が文明の利器なのか、それとも武器(兵器)なのかの区別は一元的には決まらないと言えなくもない。昔、各国の海軍は、戦時に当たり、商船を空母に改造した。たとえば日本の場合ならば、豪華客船として建造中だった『出雲丸』が『飛鷹《ひよう》』に、同じく『橿原《かしわら》丸』が『隼鷹《じゅんよう》』に変更され、太平洋航路に就航中だった客船『八幡丸』は『雲鷹《うんよう》』に、同じく『新田丸』は『沖鷹《ちゅうよう》』に改装されている。乱暴に言ってしまうと、出刃包丁だって魚を捌《さば》く目的なら家庭用品で通るけれど、人に向かって突きつければ銃刀法違反の“凶器”と化す。

 つまり裏返せば、出刃包丁を手にしていても、その人間を信用することが出来たなら平然と眺めていられるし、疑わしければ剣呑《けんのん》な相手として警戒せざるを得ない。その意味では、何を考えているのかハッキリしない北朝鮮の言い分を鵜呑みにしがたい理屈は判る。けれども、だからと言って、政府が率先して実体の乏しい話を煽り立ててしまっては、風評被害のようなものだ。一定の到達地点(着弾点)が設けられ、そこを目指して発射されたならば、仮に弾頭が空《から》――空砲であってさえ、ミサイルということにもなろう。その到達地点が日本の領土・領海に定められていたとしたら、それは前回も記したごとく完全に戦争状態であり、事前に発射を予告するなどはナンセンス極まりない。初代防衛相を務めた久間章生衆議院議員(自民党)は、11日付『朝日新聞』で次のように述べている。

「日本にミサイルを撃ち込むような、緊迫した情勢だったかどうか。それが、あたかも日本に向けて発射されるような雰囲気になってしまった。どんなに考えても今、北朝鮮が日本めがけて撃つはずはありませんから」

 続けて久間は、「騒ぎにしたのは、おたくら(マスコミ)でしょう。自衛隊は粛々と配備して、国民を守る、ということです」、「官房長官はちゃんと説明していたのにね。日本に向かって発射されるとは考えられないと会見で言っている。でも、そのことは大きくは取り上げられなかった」などと責任をメディアに転嫁している。たしかに無批判にラウドスピーカー化したメディアにも責任はあるにせよ、政府や自衛隊が北朝鮮を恰好《かっこう》の仮想敵国に擬《なぞら》え、そういう状況を誘導した――期待した?――ことは否めないだろう。今回の騒動は、事実に恣意《しい》的な推測、臆測、拡大解釈が加わり、二重三重に膨れ上がった印象が強い。

*北朝鮮がロケットを打ち上げる。
*北朝鮮はロケット=飛翔体を人工衛星と称しているが、実はミサイルの可能性がある。
*飛翔体は日本上空(秋田から岩手)を通過すると予告されている。
*飛翔体が飛来・通過するにあたり、ミサイルの弾頭であればもちろん、人工衛星の(予定された)落下物であろうとも、飛翔体ないし飛翔体の一部が日本の領土・領海に落ちてくるようであれば、前もって迎撃して破壊する。
*飛翔体は、人工衛星として予告されたコース通りに大気圏外を飛来・通過し、また、その正体の如何《いかん》にかかわらず、少なくとも日本の領土・領海への落下物はなかったため、迎撃の必要も発生しなかった。

 かいつまめば、これだけの流れなのだが、兵器としてのミサイルと人工衛星の“カス”とが一緒くたにされ、まかり間違えば日本のどこかが攻撃されかねないかのような雰囲気が醸《かも》し出された。そして、そのミサイル攻撃から日本国民を守るという大義名分の下《もと》、秋田や岩手ではPAC3部隊が一般道を走って移動し、「商店や住宅街が立ち並ぶ一角では、大型の特殊車両が走行する物々しい光景」(3月30日付『さきがけオンザウェブ』)が展開されたという。一方、射程距離20km程度と言われるPAC3は、市ヶ谷の防衛省内、朝霞駐屯地、習志野演習場にも配備された。これらは首都圏を守るためと言えば聞こえはいいけれど、秋田や岩手の上空を飛ぶはずの飛翔体が万が一にも東京へ向かって(逸《そ》れて?)くることを想定するのならば、では、名古屋や大阪や福岡はどうなってもいいというのであろうか? しかも、定まった軌道を飛んでいるミサイルならばともかく、コースを外れた飛翔体の迎撃は極めて難しいというのだから、これは一種のデモンストレーションとしか思われない。煽情的な報道の合間には、控えめながら、こんな記事もあった。

「東京・市ヶ谷にある防衛省の運動場に、地上配備型迎撃ミサイル(PAC3)の発射機2台が、満開のサクラの向こうにそびえ立った。東北地方の陸上 自衛隊駐屯地などでも発射機が射出口を上空に向けた姿やイージス艦の船影が連日テレビで流れた。『ちょっとやり過ぎだった。ここまで部隊の運用状況をさらしていいものか」。統合幕僚監部幹部はぼやいた。(略)
 各自治体が緊急情報の速報システムを構築、点検し始めた。防衛省の『誤探知』事件も長い目で見れば、国民に素早く伝えることの難しさを同省自身が身をもって体験でき、教訓となっただろう。
 しかし98年に北朝鮮がテポドン1号を発射し東北地方の上空を越えて三陸沖に落ちたことで、国民の不安感は急激に高まり、MD(ミサイル防衛)システムは国会審議をあまりすることもなく、導入が決まった。今回の状況も当時と似ている。国民は『国際社会の意向を無視した北朝鮮』のイメージを極度に膨らまし、憎み、ミサイルを恐れ、何を求めるのか。
 開発途上のMDシステムにさらに予算をつけて万全を期することか。さらには『力には力を』の声が強まってくるのか。
 『いまだからこそ、冷静に』の声は、ほかならぬ防衛省内にも根強い。【滝野隆浩】」(5日付『毎日新聞』)

 要するに今回の経緯は、どこまで本気で飛翔体を撃ち落とすつもりだったのかも怪しく、その主眼は、将来に向けた有事体制作りのシミュレーションを既成事実として国民の意識に刷り込むことにあったのではないか。実際、事後の浜田大臣にしても、記者会見で“市ヶ谷の発射台は下ろされたが、警戒を解いたのか”と訊かれ、次のような煮えきらない答弁をしている。

「一応、PAC3等々については、当然、これは今の飛翔体、我々が警戒していたものについては、我々の頭上を越したわけでありますので、いったんは当然、降ろして、今後の色々な状況に鑑みれば、今回は頭を降ろして、一応、態勢をそこで形としてはそういった、あまりとパッと立てておくというのは非常に住民の皆さん方も不安なことだと思いますので、我々とすれば、一旦はそれを降ろしたというところでございます」(5日付『読売新聞』)

 先に引いた久間議員の発言は、当然ながら根本的にはあくまでも政府側、自衛隊側に寄り添った趣旨であるとはいえ、単純な感情的北朝鮮非難とは異なる分析が少なくなく、面白い。

「【誤探知など】自衛隊までが過剰反応したのは、緊張状態になりすぎていたから。(略)神経質になっている時は、そういうことになりがちなんで、柳の枝が揺れているのを見て幽霊と思うような、人間がそういう精神状態に置かれたときは注意しないといけない」
「日本と北朝鮮は休戦状態というか、講和条約も国交も結んでおらず、『戦後』を迎えていない。特に向こうにとってみれば、昔のままです」

 そうなのだ。第二次大戦後、日本と北朝鮮は、未だ講和を経ていない。厳密には、現在も戦争状態が継続しているとさえ言い得る。たしかに彼《か》の国の実体は不可解かつ不透明だから、このたびの顛末《てんまつ》についても、“これは平和目的の人工衛星ですよ”“ああ、そうなんですか。じゃあ、どうぞ御自由に”とは日本として看過し得ないところはあるだろうし、形式的には人工衛星であったとしてさえ、その本質がミサイルに結び付くとの疑惑は消えまい。ただしそれは、上に記した出刃包丁の乱暴なたとえ話のごとく、お互いがお互いを信頼しがたい構造ゆえに惹き起こされている状況なのだ。日本は、今回の飛翔体が人工衛星であろうとも、それは、弾道ミサイル開発につながる活動を北朝鮮に対して禁じた国連決議に違反するものだとして、むしろ米国や韓国を引っ張る形で国連安保理に制裁を強く求めた。一方、北朝鮮は、宇宙の平和的利用は主権国家の持つ合法的権利との正論を主張し、中国やロシアなどの国々は、これを多かれ少なかれ認めて制裁に否定的だった。

「ダニエル・スナイダー米スタンフォード大アジア太平洋研究所副所長は人工衛星かどうかの見解の違いは『本質ではない』と指摘。『(小型の)核弾頭化を目指す北朝鮮のミサイル計画は、核兵器計画のない日本の人工衛星打ち上げとは違う』と述べ、搭載物が何であれ、将来の核弾頭化に向けた発射実験との見方を示した。【ワシントン及川正也】」(8日付『毎日新聞』)

 これまで日本は、純国産ロケットとしてH‐U型により7回(うち成功5回)、H‐UA型により15回(成功14回)の人工衛星打ち上げを試みており、言うまでもなくそれらの総てが平和目的である。しかし、自らが相手を非難している理屈に基づけば、技術としてはミサイルと変わりないのだから、今のところは「核兵器計画のない日本」で通るとしても、現に憲法九条改定論議が折々頭を擡《もた》げ、あの田母神俊雄・元航空幕僚長が北朝鮮対策として核武装や弾道ミサイル配備を主張し、世間にも“先制攻撃で叩くべし”と唱える声さえなくはない以上、平和目的が絶対不変とは言いがたい。久間は、この点に関して、こう述べている。

「日本が敵基地を攻撃する意思や能力を持ったと受け止めた時、北朝鮮はともかく、韓国や中国からどんな反応が出てくるか。それを視野に入れながら議論するのでなく、ただ、やられっぱなしじゃだめだ、先手を打てと。そういう議論が先行しがちです」
「高揚せずに、過剰にならずに対応するのが大事です。今は何かあると、ワッと性急に議論が進んでいく。それは怖いなあと思いますよ」

 しかし、事後の国会では、野党までも含め、今般の誤探知や誤報などの出来《しゅったい》を踏まえたミサイル迎撃体制強化の必要性が論じられている。その根拠として、国民一般の“ミサイルは恐い。北朝鮮は恐い”というような曖昧な危機意識が形作られ援用されるとしたら、まさに久間の言う“柳の枝に戦《おのの》く”姿になってしまう。そのような意識を持つとするならば、明らかに核で武装しているとも思われる米軍機や米軍艦が日本国内の基地などに出入りしていることのほうが、直接にも間接にも、遥かに具体的な危機の対象とされるべきではないだろうか。

「【衛星】運搬ロケットの技術が軍事転用が可能なのは事実だが、先端に衛星を搭載するのか弾頭を搭載するのか、その違いは大きい。
 要は、米国やロシアなど弾頭ミサイル保有国のように軍事転用の意思を持つのかどうかにかかっている。
 その方向に追いやるのか、逆に対話を通じて信頼を築き上げていくのか。そのためには、日本は対朝鮮敵視政策をやめ、平壌宣言による関係正常化へと踏み出すべきだ。また米国は、ブッシュ政権になって棚上げされたままのミサイル交渉を再開させるべきだろう。(姜イルク記者)」(3月25日付『朝鮮新報』)

 この見方は穏当であると思う。今回の飛翔体が、少なくとも弾頭を搭載して日本の国土に狙い定めたものでなかったことはどう転んでも間違いのないところなのだから、今後とも、目と鼻の先の隣国である北朝鮮にロケットをミサイルにさせない――追いやらない――方向性の構築こそが必要なのではないか。

「今回の発射に対する日本社会の反応をどう見るか。東京に駐在する外国人特派員2人に聞いた。
■韓国紙・東亜日報の徐永娥(ソ・ヨンア)・東京支局長(43)
 発射予告の後、日本社会は全体的に神経をとがらせすぎていたように見えた。まるで戦争が迫っているかのように伝えたメディアもあった。
 北朝鮮の意図は国際社会の注目を集めることだから、残念ながら日本について言えば、成功してしまっている。韓国に比べて日本は全体的に軍事的脅威に対する免疫がないのではないかとも思う。(略)
■ニューヨーク・タイムズのマーティン・ファクラー東京支局長(42)
 ワシントンやソウルの冷静さに比べて、日本は騒ぎすぎた。北朝鮮は、米国がオバマ政権になりあまり注目されなくなったから、パフォーマンスをやっているだけ。
 拉致問題もあり敏感になるのは分かるし、政治家は総選挙前で国を守っているところを見せたかったのだろうが、北朝鮮に攻撃の意図がないことは分かっていたはず。バランスに欠け、パフォーマンスに負けたと言える。(略)」(6日付『アサヒ・コム』)

 限られた声とはいえ、むしろ国際的には日本の喧《かまびす》しい対応がかくのごとくエキセントリックなものとして受け止められかねないという実状にも、我々は留意する必要があるだろう。
(2009.4.13)