今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

野口英世にまつわるエピソードと、田母神《たもがみ》前航空幕僚長の「日本は侵略国家であったのか」と題された“論文”問題

大西 赤人       



 『Q.E.D.-証明終了-』や『C.M.B.森羅博物館の事件目録』(ともに講談社・刊)によって人気を博している漫画家・加藤元浩の作品は、子供っぽいが抜群に頭の良い中学生や高校生を主人公に据える設定やシンプルなタッチの絵柄こそいかにも少年漫画らしいオーソドックスなものだけれど、内容的には非常に知的で、森博嗣の書くミステリに似た雰囲気を持っている。先日、『Q.E.D.-証明終了-』単行本の最新刊(第31巻)を読んでいたら、科学者が研究の過程で陥りがちな罠――意識的・無意識的なデータの曲解や捏造《でつぞう》――に関連して、野口英世にまつわるエピソードが出てきた。恥ずかしながら当方、彼に関する知識は子供の頃に読んだいわゆる“伝記”本の範囲を超えていないので、今更に興味を惹かれて少しネットで調べてみた。

 すると、紙幣の顔となったほどの代表的偉人たるべきはずの野口英世が残した学問的成果は、今日《こんにち》の眼から見れば――あの有名な黄熱病に関する研究をも含めて――極めて限定的な評価にしか値しないらしい。たとえばインターネット上の百科事典「ウィキペディア」には、生前三回もノーベル医学賞候補となるなど時代の寵児であった野口について、その業績とともに次のような記述も並んでいる。

 1911(明治44)年「『梅毒スピロヘータの純粋培養に成功』と発表。一躍、世界の医学界に名前を知られることになった。但し梅毒スピロヘータの培地による純粋培養については追試に成功したものがおらず、又、当時の培地での完全な純粋培養は非常に困難であることが明らかになったため、純粋培養の成功は現代ではほぼ否定されている」
 1913(大正2)年「小児麻痺の病原体特定、狂犬病の病原体特定(但し、後年小児麻痺、狂犬病の病原体特定は否定されている)」
 1918(大正7)年「【黄熱病が大流行していた】エクアドルに到着後、9日後(日数については諸説あり)には、黄熱病と思われる病原体を特定することに成功(この病原体は、今日ではワイル病スピロヘータであったと考えられている)」
 1927(昭和2)年「トラコーマ病原体を発表する(ただし後年否定された)」

 野口が優秀であったことはたしかにせよ、相次ぐ画期的な病原体の発見ぶり――そして、それらの結果的誤り――には、むしろ功名を焦った眉唾ものの怪しささえ感じられなくはない。現地に渡り、たった9日で病原体を見つけるとは……!? 以前、僕は、各界で功成り名遂げた大家諸氏にその半生を聞くテレビ番組のインタビュアーをしばらく務めていたことがある。なかなか会えないような人たちと言葉を交わす機会は得がたい経験だったのだけれど、その中の一人だったノーベル賞受賞者が、“一報を受けた時には、どんな気持ちでしたか”というこちらのベタな質問に「“やったー”と思いましたね」と先方もベタな答を返してきた時の――平凡な言葉には収まりきらない――どうにもこうにも俗物っぽい表情なども忘れがたく想い起こされる。今年のフランス人学者に対するノーベル賞授与が最終的決着となったとされるHIV(エイズ・ウイルス)発見にまつわる先陣争いなどを考え合わせても、学問の世界を超えた生臭い欲望が潜在することは少しも想像に難くない。

 先の野口の場合、当時はウイルスという存在がまだ確定しておらず、各種疾病における未知の病原体として、光学顕微鏡で観察し得るスピロヘータ(グラム陰性真正細菌の一群)を想定せざるを得なかった彼には技術的限界があったということだし、あまり冷ややかな見方をし過ぎては気の毒だろうか。科学者が持つ信念の極北として語られる存在は、たとえば“それでも地球は回っている”と語ったとされるガリレオ・ガリレイであるけれども、彼の信じた異端としての地動説が正しく、主流であった天動説が実は間違っていたことは、言ってみれば結果論に過ぎない。現代でも、ひとときは一世を風靡したマイナスイオンとか、道徳教育にまで使われている水の結晶(善い言葉をかけた水を凍らせると綺麗な結晶が生じ、悪い言葉をかけた水では汚い結晶が出来る!)とかというような“トンデモ科学”あるいは“疑似科学”と呼ばれる種類の考え方は多々ある。同列に括《くく》ることは極めて乱暴かつ失礼だが、ガリレオの時代に「地球は回る」などと唱える者は、それこそ“トンデモ”な人間と見做《な》されるだけだったかもしれない。

 これまでの歴史の中では、ガリレオと同様に自説を恃《たの》み、世の不当な評価に憤慨しながら、しかし結局のところ単なる誤謬《ごびゅう》の主として消えて行った人物たちのほうが、きっと遥かに数多かったことだろう。実際、つい数十年前の旧ソ連時代、スターリンの支持により国家的なお墨付きを受け、日本をも含めて他国へも影響を与えたルイセンコ学説・主義(メンデルを否定し、獲得形質は遺伝するとする考え方)などは、今では学問的には全く歯牙にもかけられなくなってしまっている。一方、アメリカに端を発して、ダーウィンの進化論を批判して人間は何らかの「知的存在」によってデザインされたとする「インテリジェントデザイン(ID)論」は、今日《こんにち》でも少なからぬ支持を集めていたりもする(colum300.htm)。

 自然科学の分野ならば、仮に1+1が3だったり4だったり、あるいは2.0001であったりというような学説をまことしやかに立ててみたところで、再現実験や追試によって誤りであることが発覚する可能性が高いけれども、人文科学とりわけ歴史のような学問は、後世に至っても絶対の確証は必ずしも出てこない――むしろ時間の経過によって事実関係は一層曖昧にさえなりかねない――まま、幾ら論じても藪の中というような部分がある。というわけで、前振りじみた話の挙句、先日来物議を醸《かも》している田母神《たもがみ》俊雄・前航空自衛隊航空幕僚長による「日本は侵略国家であったのか」と題された“論文”問題なのだが……。当初、新聞などで報じられる概要だけで判断を下すことはいかがなものかと思っていたら、懸賞論文を主催したアパグループのサイトに全文がアップされていることを知った。それでも、退屈な長文を読まされたりしたら辛いなと躊躇したのだけれど、現物はA4で9ページほどという話が伝わってきた。9ページ? 分量で価値が左右されるとは限らないにしても、田母神が受賞した最優秀賞の賞金は300万円だったよねえ? 半信半疑のままPDFファイルをダウンロードしてみたところ、本当に31字×27行詰めの書式で8枚半足らずだった。ちなみに、正味の字数に直すと約7000字弱である。下司《げす》な計算をすれば、400字詰め原稿用紙1枚あたり16万円以上……。

 内容については、「感想文」のレベルと世間で言われている通りで、内容の是非云々よりも、「論文」を名乗ること自体おこがましいくらい。僕も以前に某大学で臨時講師を務めた経験があるけれど、これが学生のレポートだとしても決して賞賛に値するほどの出来ではない。文献からの引用と言えば聞こえはいいが、あり合わせの本からチョコチョコと要点をつまみ(しかも、地の文の中に注記などもなく書籍名を埋め込むという粗雑さ)、独自の裏付けとてないまま断定を重ねている。ただ、事柄は先にも上げたように再現実験や追試の不可能な歴史の解釈であるから、“私はこう思っている”と言われてしまえば、どうしようもない面もある。航空幕僚長解任直後、田母神は記者会見で「書かれたものを読んで意見をまとめた。現職なので歴史そのものを深く分析する時間はとれない」(3日付『アサヒ・コム』)と述べたそうで、これが正直なところだろう。となれば、応募した側よりも、この「論文」を高く評価した審査側の“眼力”のほうが一層気になる。アパグループの元谷外志雄社長を含めて選考委員は総勢五名で、審査委員長は僕とも因縁のある渡部昇一(上智大学名誉教授)。田母神「論文」を筆頭に優秀賞、佳作を併せた受賞作品13作はまとめて出版が決まっており、「すべて英訳され、広く世界に向けて発信していく予定」(同社サイト)というのだが、全くの他人事ながら渡部センセイ、教育者としてのキャリア、ステータスに響かないのだろうかと思う。

 ところで、今回の出来事は、先頃の中山成彬・前国土交通大臣による諸々の発言を巡る顛末(colum369.htm)と同じく、文字通り「確信犯」的な行動が出現した際、それを責める側から「辞任」や「解任」、「懲戒免職」などの表層的な要求が出されるという図式には、非常に歪んだ印象がある。あえて下らなく粗雑にたとえれば、巨人戦を中継するアナウンサーが自分は実は阪神ファンなのだとブログに書いたらクビにされるというようなものではなかろうか? 自衛隊の上級者が政府見解と異なる見解を述べることは文民統制に反するというものの、上辺を繕い本音を隠されるほうがなおさら無気味かつ危険であるように思う。問題は人の内心における歴史観の問題だから、その歴史観に基づいて現実に具体的な――即ち政府方針に沿わない――行動を採ったのならばさておき、信条の異同を理由に任を解くことが相応《ふさわ》しい対処なのだろうか。かえってそれでは、当事者に言論を封殺されたという殉教者的なヒロイズムを呼び招いてしまう。そのような対処が妥当とされるならば、反戦自衛官などは論外だし、思想・信教の自由を唱えて「日の丸」や「君が代」に反対する教師らに向けられる圧力もすべからく許容されるべしということになりかねない(事実、そのような論調はネットなどにも登場している)。

 田母神「論文」の場合、形式こそ更迭から定年退官という弥縫策《びほうさく》ではあったものの、ひとまず浜田防衛大臣は文民統制を堅持すべく迅速な対応を採ったとも見えたし、従来は代表的“タカ派”と目されてきた石破茂も、自らのブログで田母神に対して総じて真っ当な批判を綴っている。さわりを引くと――

「『民族派』の特徴は彼らの立場とは異なるものをほとんど読まず、読んだとしても己の意に沿わないものを『勉強不足』『愛国心の欠如』『自虐史観』と単純に断罪し、彼らだけの自己陶酔の世界に浸るところにあるように思われます。
 在野の思想家が何を言おうとご自由ですが、この『民族派』の主張は歯切れがよくて威勢がいいものだから、閉塞感のある時代においてはブームになる危険性を持ち、それに迎合する政治家が現れるのが恐いところです」
「『日本は侵略国家ではない!』それは違うでしょう。西欧列強も侵略国家ではありましたが、だからといって日本は違う、との論拠にはなりません。『遅れて来た侵略国家』というべきでしょう」
「『何にも知らない文官が』との思いが益々鬱積し、これに迎合する政治家が現れるでしょう。それこそ『いつか来た道』に他なりません。
 制服組はもっと世間の風にあたり、国民やマスコミと正面から向き合うべきなのだ、それが実現してこそ、自衛隊は真に国民から信頼され、尊敬される存在になるものと信じているのです」(石破茂オフィシャルブログ 11月5日付「田母神・前空幕長の論文から思うこと」より)

 大の石破嫌いである僕でさえ(失礼)いささか「へえ、まともだねえ」と感心したくらいで、世間的には彼の株は大いに上がったようだ。つまり、どうせ航空幕僚長などというポストは国民一般からはかけ離れた存在であるから何を言われようと痛くも痒くもなく、参考人招致されてもひたすら過激な自説を述べておけばよろしい。露骨に人心を煽り立てるよりも、確実に国家に対する意識を高めるためには、さしずめドスを利かせる刑事と優しく諭す刑事がタッグを組む取り調べのごとく役割分担が設けられているのであろうかとさえ感じられる。暴走気味に観測気球が上がると、それを少しでも諌《いさ》め諭す者は、相対的な立ち位置としては冷静かつ理性的な存在に映る。これまでは“黒に近いかな”と感じられていた灰色であっても、墨のような黒と較べれば白っぽく見えるようになる。近年の日本人は、このようにして刻々と感覚を鈍磨させられている。

 今回の問題を採り上げた13日付『朝日新聞』の「私の視点」では、志方俊之(帝京大教授、元陸将)が冒頭から「この論文は不適切である」と端的に断じてはいるものの、それは「たとえ本心の発露であっても、語るには時というものがある」「今、空幕長の立場で論文にあるような歴史観を述べることは、日本の国益にならない」という趣旨であり、田母神の見方そのものを少しも否定していない。そして、次のような文章が続く。

「歴史観は職務に関するものである。幹部自衛官は日々、隊員の士気を維持し高めることに苦労している。私もそうだった。厳しい訓練を課し、いざというときは国のために命を捨てろと求める。歴史観は極めて重要だ。日本は過去にひどいことをやった罪深い国だ――では、若い隊員たちが誇りを持って命を捨てられるだろうか。戦闘機もミサイルも必要だが、隊員の士気を高めることが一番だ。国を愛し誇りに思う気持ちは、いわゆる『自虐史観』では育てられない」

「今回の問題の根本には憲法がある。現行憲法では自衛隊の存在が明確ではない。そんな状態が長く続き、屈曲した気分を作っている。憲法を変えて自衛隊の存在を明記することだ」

 田母神「論文」との対比――それに幾分のブレーキをかけるという役どころ――があるからこそ、このような見解が『朝日新聞』の紙面をも飾ることになる。ところで志方は、「空幕長を辞めたあとに投稿していたら問題はないが、世の中は相手にしないだろう。現役のトップの今だから、注目を集める。その意味で、彼は切腹する覚悟だったのかもしれない」と大時代に述べているけれども、それにしては田母神は、浜田防衛相からの退職金(約6000万円)自主返納要求を「生活が苦しいので、ぜひ使わせてもらう」(11日付『毎日新聞』)として拒んでおり、比喩にもせよ「切腹」などとはかけ離れているようである。
(2008.11.23)