今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

セ・パ両リーグ「クライマックスシリーズ」なんぞにうつつを抜かしていられないような勢いで進行した金融不安──資本主義とは、壮大なネズミ講あるいはマルチ商法である

大西 赤人       



 今年のセ・パ両リーグ「クライマックスシリーズ」は、ともに第一ステージで公式戦三位チームが二位チームを破ったものの、第二ステージでは首位チームに完敗。順位通りにそのまま収まってはつまらないし、公式戦優勝チームが負けても拍子抜けだしというところで、ひとまずめでたしめでたしというところかもしれない。毎年のようにルールが変更される中で、今年から公式戦優勝チームに自動的に1勝のアドバンテージが付され、6試合で(アドバンテージを含めて)4勝したほうが日本シリーズ出場権を得るというスタイルになった。たしかに公式戦で最高の成績を上げたチームに何かしら特典がなくてはおかしい気はするが、実際に1勝のアドバンテージが設けられてみると、6戦で4勝が条件という短期決戦においては、これは遥かに数字以上の重みを持つようである。特にそれは、引き分けが出現したセ・リーグの第二ステージで顕著だった。

 巨人から見て○(アドバンテージ)、●、○で迎えた実質第三戦、大変引き締まった好ゲームが演じられたものの、延長12回5対5の引き分け。試合途中からテレビのアナウンサーは、しきりに“6戦が終って両チームの勝ち星が同じ場合は上位球団(巨人)のクライマックスシリーズ優勝となる。従って、今日引き分けて巨人2勝1敗1分となれば「王手」”と言いはじめた。要するに、引き分けても再試合は行なわれないから、6試合が終って3勝3敗1分では巨人の優勝、中日逆転の可能性は残り3戦全勝(中日4勝2敗1分)または2勝1分(中日3勝2敗2分)しかなくなるというのである。

 つまりは、実質3戦して1勝1敗1分という全くの五分、中日からすれば一度しか負けていなかったにもかかわらず、アドバンテージが強烈に効き、もう「王手」がかかってしまったわけで、これはあまりにも下位チームにとって酷な話だ。しかも、このように一回目の引き分けは上位チームにとって勝利に等しいけれども、仮に次の試合も引き分けて巨人2勝1敗2分となったとしたら、これは巨人にとって残り2戦を連敗すると2勝3敗2分に終るので勝利に等しいものではないし、逆に中日にとっても条件の変化をもたらさない(勝っていれば残り2試合を1勝1分でも勝ち抜けるが、引き分けでは依然2勝が絶対必要)。

 中日の主砲・ウッズは、「『こんなルールでやるのは初めてだよ』と苦笑」(10月24日付『中日スポーツ』)したそうだが、翌日の実質第4戦はアッサリ巨人が勝利して終幕。郷に入れば郷に従えとはいえ、このような大事な試合も僅か延長12回で引き分けとされ、しかも再試合はなく、加えてその引き分けに意味があったりなかったりという実に奇妙かつややこしいシステム。クライマックスシリーズ出場権獲得を目指して下位チームも終盤まで士気を維持し、公式戦が盛り上がることは否定しがたいけれど、コロコロ変わるルールが如実に示す通り、たった12球団しかないうちの半数がエキストラに日本一の座を争い得るという方式自体、以前から述べているように本質的に無理があり過ぎるので、遠からずファンも飽き、消滅するのではなかろうか。

 さて、野球なんぞにうつつを抜かしていられないような勢いで進行した出来事は、米国におけるサブプライムローンの焦げ付きに端を発した金融不安。飛ぶ鳥落とす勢いだった彼《か》の地の大手投資銀行、証券会社が相次いで経営危機・経営破綻に陥り、その影響は世界中の株式市場へと拡大して、当然ながら日本にも甚大な余波をもたらしている。ただし、ここで白状すると、最近しばしばお目にかかる自分の無知をさらけ出すことでかえって“おバカキャラ”と人気を得るタレントに倣《なら》うつもりなんぞは毛頭ないけれど、僕は株――株式市場というものがよく判らない。人間社会の一大要素たる経済を支える基盤であるから重要なのだろうと理屈では思うものの、(“バカじゃないの”と軽蔑されることを承知で記せば)特に株の投機的な側面に関しては、どうしても根本の胡散臭さを感じてしまう。株価が上がって市場が活気づくと言われても、それが本当に歓迎すべき出来事なのか疑わしい。

 昔、1919年から1941年までのアメリカの狂騒を描いたイザベル・レイトン編による『アスピリン・エイジ』(上・中・下、ハヤカワ文庫)という本の中に1929年の世界大恐慌が登場し、ニューヨークの摩天楼から飛び降り自殺する者が続出したと伝えられる激変の凄まじさ――一面の馬鹿馬鹿しさ――に驚き呆れた記憶がある。今回の金融不安は、9月頭に13000円程度だった日経平均が10月28日に一時7000円を割り込み、30日には再び9000円台へ戻るという乱高下を続けており、到底落ち着いたとは言いがたい状況だ。これは1929年の全《まった》き再現となっても何ら不思議ない深刻さなのに、そこまでの崩壊に至らずどうにか食い止められている理由は、経済というものが昔に較べれば世界規模で拡散しており、特に中国という巨大な存在によって今のところ損失が吸収されているからではなかろうか? また、一方では、世界的に見ればまだしも安定している日本の状況は急速な円高を呼び、その結果、預金では雀の涙ほどの利息しか得られない中で、「年金がわりにと、高齢者を中心に人気を集めた商品」(1日付『日刊ゲンダイ』)とされる分配型の外貨建て投資信託なども、3ヵ月間で純資産が20%から30%下落しているという。

 このような状況には、週刊誌も「強欲資本主義が自爆した!」(『週刊文春』11月6日号)と過激な見出しを躍らせたけれども、先頃の『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系列、10月24日深夜)「激論!世界金融危機とニッポン」では、政府の経済方針に批判的な経済アナリストや野党議員にとどまらず、従来体制寄りだった人物や与党議員までもが、アメリカの主導により、日本も追随してきた新自由主義経済、資本主義経済のあり方に否定的な見解を並べていた。いや、並べざるを得なかったと記すほうがふさわしいだろう。

「(日本の)基本的な経済のメカニズムは、証券市場、マーケットを中心とした資本主義・自由主義ですよ。資本主義・自由主義というのは、やはりどうしても暴走とか失敗というのはあるんです。だから、それをどういうふうに管理して行くのか」大村秀章(自民党・衆議院議員)

 車が暴走すれば人をハネてしまうのであり、ハネてからハンドルの切りようやブレーキの踏みようを考えても、もう遅い。必ず暴走する道具とは一体何なのか?

「ものすごい低金利政策をやって約180兆円の直接間接の不良債権の処理が行なわれたんですが、実はその期間、金利が低いことによって、家計から失われた金利収入がちょうどその金額」大塚耕平(民主党・参議院議員)

「もっと言うと、お年寄りから富を収奪することによって不良債権の処理が行なわれてたんですよ、ものすごくハッキリ言うと」堀紘一(経営コンサルタント)

 大塚の説明に対して、経営者を重んじ、派遣労働者に批判的な発言などでも知られる堀をして、「富を収奪」なる『しんぶん赤旗』か何かと見紛《みまが》う(?)ような断言をさせたことに少々ビックリ。

 フランスのサルコジ大統領は「秩序ある資本主義」を提唱しているそうだが、元金融担当大臣の伊藤達也(自民党・衆議院議員)も“金融システム回復のために不良債権処理はやらざるを得なかった。構造改革(規制緩和)は必要。市場が失敗する場合がある――その事に対して慎重に対応する、そのための体系、秩序を作る”と述べ、これに司会・田原総一朗は“戦後の日本(経済)は社会主義、護送船団方式だった。新自由主義が失敗したら、これからは社民(社会民主主義)に戻るのか”と挑発的に――しかし曖昧に――繰り返したが、明快な答は野党側も含めて誰からも出てこなかった。

 10月17日付『朝日新聞』の「経済危機の行方 世界は」は、「資本主義は本質的に不安定」と題して、岩井克人(東大経済学部教授)の談話を掲載していた。ここで岩井は、次のように語っている。

「かくも大きな金融恐慌が自分が生きている間に起きたことには驚いた。だが、起きること自体には驚いていない。私は資本主義というものが本質的にこういう不安定さを持っていると常に考えてきたので、理論的には予測されたことだったからだ」
「資本主義はなぜ不安定なのか。それは基本的に投機によって成立しているからだ」
「資本主義全体が投機であり、本質的に不安定だと私が考えるのは、実は資本主義を支える貨幣それ自体が純粋な投機と考えるからだ」
「結局、貨幣の信用は『みんなが貨幣であると思っているから貨幣だ』という自己循環論法で支えられているに過ぎない」
「【貨幣は経済を効率化したが、貨幣それ自身に本質的な価値はなく】貨幣が支える資本主義において、新古典派経済学者が説くような効率と安定の共存はあり得ない」
「【サブプライムローンなどの金融商品は】あたかも、人々が最も信用する貨幣のように見えてしまった。多くの人が信頼するから信頼が生まれるという自己循環論法が、ここにも作用している」
「資本主義は本質的に不安定なものである。ゆえに、新古典派経済学者の言うような、目標とすべき理想状態はなく、セカンドベストを目指すしかない」

 このような論理展開を追う限り、資本主義の維持発展とは砂上の楼閣――詐術《さじゅつ》的な幻想としか思われないのだが、岩井の言葉は終盤に至って無理やりに舵を切る。

「見通しは暗いように見えるが、歴史を顧みれば、経済はバブルの発生と崩壊を繰り返しながらも、確実に効率性は増している。より良いセカンドベストを求めるプラグマティズムというか、永遠の実践主義で行かざるを得ない。

 アダムとイブのたとえでいうと、資本主義の中で、人々は自由という禁断の果実の甘さを知ってしまった。その甘さの中には、もちろん“原罪”的な不安定さが含まれている。でも、自由は手放すべきでないし、もう手放せないだろう」

 要するに資本主義とは、壮大なネズミ講あるいはマルチ商法に見える。マルチ商法だって、無限に“子”を増やせるならば――仮にの話、文字通りネズミをはじめ、地球上のあらゆるゴキブリやカビやウイルスまでもが経済活動を行なってくれているならば――“親”たる人類は左ウチワで生きて行けることだろう。しかし、残念ながら現実の経済は人間によってのみ形作られているから、誰かしら仲間うちの「富を収奪」しつづけなければ資本主義は成り立たない。その“勝ち組”の正当化を「自由」という口当たりの良い言葉によって果たしているだけの話であろう。
(2008.11.2)