今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

北京五輪対キューバ戦で端的に出現した、星野仙一監督の暴力的・恫喝的な基本姿勢と過剰な精神主義

大西 赤人       



 色々と危惧される要素の多かった北京オリンピックだが、ここまでのところは深刻な混乱もなく、まずまず順調に進行している。日本チームに関しては、17日終了時点で金メダル8個。予選通過がやっとの種目でも“メダル圏内!”、何とかメダルに届きそうだと“狙え、金メダル!!”というようなメディアによる誇大広告(?)は相変わらずで、女子サッカー、ソフトボール、野球、シンクロなどの有力競技が残ってはいるものの、こと金メダルに限れば、前回アテネ五輪の16個を大きく下回ることは確実だ。内容的にも、これまでの8個のうち柔道・石井以外の7個までが――当然、連覇自体は大きな賞賛に値するとはいえ――アテネと同じ選手たち(北島2、内柴、谷本、上野、吉田、伊調馨)によるもの。厳しく言えば、四年の間の向上・底上げが全く乏しかったということになる。

 さて、結果が出てから文句をつけるのはイヤなので今のうちに書いておくけれど、例によって鬱陶しくて敵《かな》わないのが、例によって毎試合毎試合「絶対に負けられない」の大合唱の中で、予選リーグを3勝2敗(18日現在)と苦闘している「星野JAPAN」。

「金メダル? ええ、ええ。金メダルしかいらないということでいいんじゃないでしょうか」(1月26日付『日刊スポーツ』)
「この壇上にいる以上は、金メダルしかいらないと。それでいいんじゃないでしょうか」(同前『サンスポ・コム』)

 公式戦真最中にもかかわらず、各チームの主力選手を動員した――ヤクルト贔屓《びいき》僕などは、三位を争う貧乏所帯から稀有な全日本クラスの宮本、青木を引き抜かれて迷惑至極(笑)なのだが――「ドリームチーム」を称しながら、上記のような星野の事前の大言壮語にもかかわらず、格下とも思われる相手にも四苦八苦。もちろん、どんな選手を派遣するかは各国の自由なのだから、ほとんどマイナー選手しかやって来ないアメリカやカナダの思惑は勝手としても、「ドリームチーム」で圧勝するのならばともかく、「金」、「金」と眼の色を変えながらやっとこさ勝ちを拾っているような日本の有様はもの寂しい。大体、予選での2敗は想定内と位置づけていたはずなのだから、少なくとも2敗までは、もっと悠然としていたらいいではないか?

 しかし、どうにか予選は突破しそうだし、決勝トーナメントではキューバや韓国にも雪辱するかもしれない。従って、たとえば星野自らも選手に対して謝罪したと伝えられる韓国戦の継投失敗などを含めても、勝敗の帰趨《きすう》に関して結果論的に彼を批判しようとは思わない。問題は、これまでにも何度となく述べてきた星野の暴力的・恫喝的な基本姿勢と過剰な精神主義である。それは、この北京五輪においても、緒戦(13日)の対キューバ戦から端的に出現した。

 2点を追う9回、日本は先頭の阿部がヒットで出塁。しかし、続く里崎はハーフ・スイングを取られ、三振を喫してしまう。この判定はたしかに際どいものだったが、星野は通訳とともにベンチを飛び出し、ホーム・プレートの後方で、主審のロドリゲス(プエルトリコ)に向かって抗議を始める(テレビのアナウンサーは、「星野監督の『ノー、ノー』という声が聞こえてきます」と実況」)。けれども主審は相手にせず、右掌を前に突き出し、首を横に振って“ベンチに帰れ”という仕草を繰り返し、委細構わずマスクをかぶり直す。この直後、一旦踵《きびす》を返しかけた星野が再び三、四歩、主審に近づき、それを見た途端、ロドリゲスは躊躇なく退場をコールする。星野は右手をクルクルと動かし、“もう抗議ではなく、選手交代をしたいのだ”という旨を通訳とともに意思表示。ようやく代打・村田を告げ、“やってられんわ!”と言いたげなジェスチャーを見せながらベンチへ引き上げる。この間、1分半ほどの出来事だった。

 星野自身は、試合後、「ピンチヒッターと英語で言ったんだけど、あれはミステークだ」(14日付『デイリースポーツ』)と説明していたし、字面だけ、あるいはテレビ画面だけならば、主審の単なる早とちりと感じられなくもない。実際、メディアや一般の反応も、“勘違いで退場が宣告され、取り消された”“主審がビビり過ぎ”“審判のレベルが未熟だ”という類《たぐい》のものが少なくなかった。しかし、一部の新聞などがカメラに捉えていた「俺を誰だと思ってる、天下御免のホシノだぞ!」とでも言いたげに主審に歩み寄る星野の表情は、眼を吊り上げ、大きく口を開き、まさに現役時代、監督時代の強面《こわもて》そのまま。この時の星野の内心は、アテネ大会時の解説者としての物言い同様、“どこの国だか知らんが、素人に毛の生えたようなヘタクソ審判のくせに“というような具合だったろうと想像される。

「余談ながら、全試合に登場した今や『日本一』の監督と自他共に認めるのであろう星野仙一の“日本は野球先進国です”とそっくり返ったような折々高みに立っての解説ぶり――特に審判や運営への文句――には少々辟易《へきえき》」(colum249.htm

 まあ、場が日本、相手が日本人ならば、星野流の威圧も功を奏したかもしれないけれど、舞台はオリンピックである。多分、ロドリゲスにしてみれば、“ビビる”どころか、“何のつもりだ、この男は?”と呆れたのではないだろうか。日本側は、退場処分は誤解の産物であり撤回されたと受け止めたようだが、これもどうやら誤り。

「野球日本代表の星野仙一監督(61)が13日のキューバ戦で球審に行った抗議を巡り、国際野球連盟(IBAF)の技術委員会が日本チームに罰金2000ドル(約22万円)を科すことを決めたことが分かった。(略)
 試合後、技術委員会が開かれ、球審らへの聴取を行った結果、委員会は退場が取り消されていなかったとの結論に達した。退場に対する罰金と退場宣告後もダッグアウトに居続けたことに対する罰金を科すことを決めた。
 IBAFの麻生紘二技術委員(日本野球連盟規則審判委員長)は『退場させた監督からなぜ選手交代を受け付けたのか。それはおかしい、と反論したが、通らなかった』と話した」(15日付『毎日新聞』)。

 審判の対応も完璧ではなかったし、なお日本側は再検討を求めているそうなので、今後に処分変更の可能性は残るとしても、いずれにせよ、国を代表するチームの指揮官としては、世界中に恥をさらしたと言ってもいいだろう。「長島JAPAN」も相当に困りものだったとはいえ、まだ幾らか愛嬌があったけれど、かような人物に率いられた「星野JAPAN」は、日本スポーツのいわゆる体育会系的な問題点をいよいよ如実に示している。驚くべき事に、キューバ戦で不調だったエース格のダルビッシュは、トレードマークの長髪を突然切り落として丸刈りになった。兄貴分からの半ば強要によって「道連れにされ」(16日付『時事通信』)たという最年少の田中が加わり、翌日には阿部、川崎も追随。星野はこれを「かわいいやないか。うれしいやないか」(同『スポニチ・アネックス』)、「『涌井、西岡の(長髪)は似合わない」とニヤリ』」(17日付『日刊スポーツ』)などと歓迎。近年、高校野球でさえ画一化された坊主頭の図式からようやく脱却しているというのに、プロ野球のスター選手が、敗戦、不振の責任を取って次々に坊主になるとは……(念のためながら、ダルビッシュをはじめ、スポーツマンらしく丸刈りが“似合う”ことは、全く別次元の話である)。

 昨年の五輪アジア予選において、対韓国戦で一塁にヘッドスライディングを行なった川崎に対して、イチローは“カッコ悪い。夢を壊すな”“日本のオールスターだよ。アマチュアじゃない”などと痛烈に批判したという。もちろん、イチローが総てにおいて正しいとは思わないが、精神力や気合によって勝負を決しようとする――より正確には客観的劣勢をも挽回しようとする――日本的なあり方に対する異議申し立てだったのだろう。今大会開幕前にもイチローは、「ムネ(川崎)と青木の2人がヘッドスライディングをやったら、僕はもう二度と口をきかない」(10日付『スポーツ報知』)と冗談交じりに言ったらしいが、この丸刈りについてはどう感じただろうか。

 オリンピックの合間の15日夜、NHK総合で女子サッカーの日本対中国戦を見ていたら、急にNHKスペシャル『果てなき消耗戦 証言記録 レイテ決戦』が始まった(サッカーはNHK教育へ移行)。制作者には失礼ながら、大半の視聴者はチャンネルを即座に切り替えるだろうなと思いながら、僕は――時おりサッカーの点数だけを確認しながらも――そのままそのドキュメントを見つづけた。日本人、アメリカ人、フィリピン人、それぞれが個人の想いを超えて戦い、あるいはそれに巻き込まれ、結果として犠牲を強いられたという観点が強調された番組で、新奇な発見は少なかったものの、当時の日本軍――大本営の拙劣な情報集約や作戦命令がまさに犯罪的なレベルにあったことは、改めて痛感させられた。状況判断の誤まりが露呈しても冷静な検証を行なわず、欠落は人間の精神力をもって補い得る、むしろ凌駕さえし得るとし、その発揮を個々人に求め、それが叶わなければ個々人の立場で責任を負わせる……。そんな悪《あ》しき日本的伝統は、見事に「星野JAPAN」にも受け継がれているではないかと――いささかの牽強付会を意識しつつも――感じずにはいられなかったのである。
(2008.8.19)