今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

後期高齢者医療制度とスポーツ選手の引退

大西 赤人       



 後期高齢者医療制度(長寿医療制度)の実施、道路特定財源に関わるガソリン暫定税率の衆議院再議決――民意を逆撫でする強硬姿勢の連続により、福田内閣の支持率が20%を切ったという。普通ならば、総辞職でも何の不思議もないくらいの危機的状況であるのに、いわゆる“ねじれ国会”とはいえ衆議院において与党は絶対多数を掌握している以上、むしろ解散などしたら逆に“ねじれ”が解消しかねない(衆議院でも劣勢に陥りかねない)ので、やりかけの汚れ仕事はやれる限り福田政権のうちに仕上げてしまおうとでもいうように見える。当の福田サン自身も、真偽のほどはさておき、父親がなし得なかった晴れ舞台(7月に予定されている北海道洞爺湖サミット)への出席までは意地でも続投する決意との専らの評判……。

 個人的に言えば、道路特定財源制度については、現状のようにほとんど全否定にも等しい集中攻撃を浴びるべきものなのかどうか必ずしも判然としないところもあるのだが、現役世代の負担を減らすなどという甘言(?)をもって国民の分断を促進する後期高齢者医療制度に関しては、怒りを通り越して呆れてしまう。あまりにイメージの悪い名称を“長寿医療制度”とドロナワに変更したものの、厚生労働省のサイトにある「“長寿医療制度”が始まりました」というページには、次のような白々しい美辞麗句が並んでいる。

「長寿医療制度は、75歳以上の方々に『生活を支える医療』を提供するとともに、長年、社会に貢献してこられた方々の医療費をみんなで支える『長寿を国民皆が喜ぶことができる仕組み』です」
「高齢者の方々の保険料は、原則として年金からお支払いいただきます。『銀行で支払う手間をおかけしない』、『行政の余分なコストを省く』ためです」
「長寿を迎えられた方々が、できるだけ自立した生活を送ることができるよう、治療の側面からだけではなく、生活面も念頭に置いた医療、すなわち『生活を支える医療』を提供します」

 今から約三年前、僕は、これもまた悪法の一つと呼ぶべき「障害者自立支援法」に関連して――
「病気になったり歳を取ったりしても生き延びたいのならば、ありったけの自分の金を吐き出しなさい。それが出来ないのなら、他人の懐をアテにして無駄飯を食うのはやめてサッサと死んでしまいなさい”と言いきってしまったらいいではないかと思う」
 ――と記した(colum288.htm)。要するに“どうせ後は死ぬだけの年寄りは、社会に無駄な・余計な金を費やさせるべからず”としか受け止めがたい後期高齢者医療制度とは、そんな戯言《ざれごと》の文字通りの具現化とも言えるだろう。さすがにその適用に当たっては、悲鳴にも似た反対の声が噴出しているけれども、実のところ、このシステムの根拠となった医療制度改革の一環としての「健康保険法等の一部を改正する法律」――従来の「老人保健法」から「高齢者の医療の確保に関する法律」への変更――は、小泉内閣時代の2006年6月、例によって強行採決をもって国会を通過していたのだ。小泉元総理はまだ66歳なので、75歳からの「後期高齢者」には幾分の猶予があるけれども、福田総理は今年7月で72歳。しかし、いずれにせよこの方たちは、自分が「後期高齢者」に加わる時、保険料の支払いに汲々とする身になっている未来像など、どう転んでも起こり得ないものとして想像の外なのであろう。

 当たり前に生きている人々にとって、「後期高齢者」などとカテゴライズされることは憤懣の種でしかないけれども、ここでガラリと話を移せば、スポーツ選手の引退という問題は、なかなかに難しい。アッサリ辞めれば“もったいない・欲がなさ過ぎる”と言われるが、多くの場合は、現役生活にしがみついた挙句《あげく》、“引き際を誤った・晩節を汚した”と謗《そし》られることになる。野球界を見渡すと、昨年7勝、今季も投げる度に何かしら最年長記録を更新する立場にある45歳の工藤(横浜)が、4月1日に一度先発しただけで戦線を離脱。少し若い組では、日本でも勝てなくなっていた桑田(元・巨人)がメジャー挑戦二年目で断念・引退、走るだけで故障が再発するほど肉体が限界に達して昨年一年を無為に過ごした清原(オリックス)も未だ一軍復帰は遠い状態だ。

 そして、今年はもう一人、2006、7年の二シーズンを棒に振った野茂の大リーグ・ロイヤルズにおける復活に大いに注目したのだが、慣れない中継ぎ登板を強いられる中、僅か3試合・4回1/3で被本塁打3、失点9と手ひどく打ち込まれ、戦力外通告を経て自由契約となってしまった。米国では、最初に所属した球団・ドジャースに――引退を前提に花道を整える意味で――獲得を求めるファンの声も出ているようだが、今のところ実現の見通しはない様子。一方、日本では、不振に喘ぐ横浜が獲得に動くのではないかという観測も出ているものの、こちらも先行き不明である。

 そもそも全盛時でさえ先発すると立ち上がりが不安定だった野茂にとって、救援役は何とも酷であったろう。解雇前にせめて一度は先発の機会を与えてもらいかったと思うのだが、コントロールを重視してかトレード・マークのトルネード投法を捨て、結果、ストレートは精々130km台前半という報道を見聞きする限り、率直に言って痛々しく、“潮時”との印象を否みがたい。野茂自身は、なお執念を燃やし、“メジャーでプレーできなくてもマイナーがあるし、メキシコ、韓国、台湾でもいい”として、日本以外での現役続行を望んでいるようだ。そこには彼が日本球界を離れた際のしがらみが係わっているわけだが、反面、二年前に一度はオリックスへの復帰交渉が実現寸前まで近づいたという経緯もあるので、様々な条件次第では、里帰りも起こり得るかもしれない。しかし、日本人大リーガーのパイオニアたる存在だからこそ、今更日本球界に戻ることだけは絶対やめてほしい。彼が自ら望み、マイナーやメキシコや韓国で悪戦苦闘を続ける分にはまだしも、この国へ戻ってあっけなく打ち込まれるようなことがあったら、それは一代の傑物にとって、決定的に晩節を汚すこと以外のなにものでもなくなってしまうだろうから……。

 そんな野茂と対照的な復活劇を演じたスター選手といえば、女子テニス世界ランキング最高位4位まで達しながら、1996年、26歳で引退していたクルム伊達公子。以来、丸12年近いブランクを経た今年、「若い選手の刺激になりたい。私の成績を追い抜く選手が出てほしい」(4月8日付『毎日jp』)としてプロ復帰を宣言。緒戦となった「カンガルーカップ国際女子オープン」では、下部ツアーながらも、予選を勝ち上がって本選出場権を得るハード・スケジュールの中、日本ランキング3位の中村藍を破るなど、早々にシングルス準優勝、ダブルス優勝という好結果を出した。世間では、若手があまりに不甲斐ないという意見も多いし、失なうもののない伊達のほうが立場的・精神的には有利だったことはたしかだろう。でも、考えてみれば、日本1位(世界36位)の杉山愛にしても間もなく33歳なのだから、伊達が一定の活躍をすることは、決しておかしな話ではあるまい。

 伊達のベスト・パフォーマンスとしては、1996年4月28日の「女子国別対抗戦・フェドカップ」対ドイツ戦において、当時の第一人者だったシュテフィ・グラフを7-6、3-6、12-10という死闘の末に破った試合が常に挙げられる。先年、このゲームはケーブル・テレビで再放送されていて、言うまでもなく結末が判っているにもかかわらず、ついつい見直してしまうくらいの大熱戦だった。そして、同じ年の7月4日、5日に行われたウィンブルドン準決勝での対グラフ戦。3-6、6-2のセット・カウント1対1となり、流れは伊達に傾いていると見えたが、惜しくも日没順延、翌日は持ち直したグラフが6-3でアッサリと制した。伊達の引退宣言は、それから僅か三ヵ月も経たない時点のことだったのだから(最後のランキングは世界8位)、素人目には少々もったいないと感じられたものだ。これから彼女がどれほどの力を発揮し得るのか、より強い相手とどこまで戦い得るのかは未知数ながら、“昔取ったラケット(?)”の先行き、これは大いに楽しみである。
(2008.5.6)