今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

薬害C型肝炎(その2)

大西 赤人       



(承前)
 ところが、今後、未提訴者の増加(補償額の増大)を懸念する国側に対して、原告側は(報道による限り)“今後、提訴できる人間は限られている”という反論を繰り返した。

「血液製剤による肝炎感染者は1万人以上と推定されるが、時期を特定しての感染者数は不明だ。このため、国側は『時期を限定しなければ、救済対象がどこまでも広がる』と懸念を示している」(6日付『毎日新聞』)

「薬害C型肝炎集団訴訟の大阪訴訟控訴審で、国が患者の救済範囲を限定した和解案とするよう大阪高裁に求めている理由の詳細が、関係者の話でわかった。国の法的責任の時期を最も短く認定した3月の東京地裁判決をもとに、それ以前の患者の大半は『輸血による感染』とし、それ以後も『線引きしなければ救済対象者が際限なく広がる』と主張しているという。原告側は、救済範囲の限定に批判を強めている」(11日付『アサヒ・コム関西』)

「薬害肝炎訴訟の和解交渉で、国が、原告団が求める『一律救済』を受け入れた場合、約1万2000人が対象となり賠償額は約1800億円にのぼると試算していることが17日、分かった」

「関係者によると、1万2000人という数字は、汚染製剤の出荷量や感染率などから割り出した感染者の推定人数。全員が救済を求めて訴えを起こす可能性を想定して試算をしたとみられる。
 また、国側は、汚染血液製剤と並行して、輸血を行ったことで肝炎に感染した患者まで和解対象とした場合も試算。対象者は3万8000人、賠償額は5700億円と計算しているという」(18日付『産経新聞』)

「【福田首相は】11月1日には、舛添氏に『国民の目線で人命を大事にするという原点を踏まえ』対処を検討するよう指示した。ところが、厚労省から『一律救済』に踏み切れば『数兆円』かかるとの報告を受け落胆する」(19日付『産経新聞』)

「弁護団は、製薬会社が02年7月に国に報告した418人分の感染者リストを分析したところ、感染時期が特定できる390人の7割に当たる274人が、東京地裁判決の救済範囲内と分かった。原告171人もほぼ7割が範囲内だった。これまでに投与との因果関係を証明できる感染者はこれら以外に特定できていない。
 また、東京地裁判決の想定時期ではない85年以前は投与記録が残っていないケースが多く、88年以降は危険性が周知され投与が激減したと推定される。こうしたことから弁護団は『被害が証明でき、国が補償すべき感染者は最大1000人程度』とみる」(6日付『毎日新聞』)

「80年以降だけで推定1万人以上が感染した。しかし、この全員が救済対象になれるわけではない。医療機関のカルテ保存期間は5年のため、今から投与事実を証明できる人はごく一部だからだ」
「投与証明がなく提訴できない患者の救済までは原告側も求めておらず、弁護団は『5年余で約200人の被害者しか発掘できなかった。原告になれるのは500人程度で、最大でも1000人』とみる」(14日付同前)

「弁護団は19日、国側と最終協議。国が示した『1人あたり平均2000万円』の和解金額を1500万円に減額した上で、病状に応じて一律全員に支払うとする案を伝えた」
「国が『今後の提訴者の人数は計り知れず、費用が膨大になる』と懸念を示していることについて、弁護団は『カルテなどが残ってないケースがほとんどで、最大でも800人程度にとどまる』との見方を示した」(20日付『西日本新聞』)

 このやり取り、とりわけ原告側の提示は非常に奇妙なものに見える。“線引き”のない全員の「一律救済」という表現は、誰が聞いても、被害に遭った総ての人間に対する同等の対応――それが直接的な金銭補償であろうと、間接的な治療費補助であろうと――を意味するものと感じられる。血液製剤による感染者総数が1万人前後と想定され、その数字には原告側も同意している以上、国側がその全員を対象として検討すること自体は当たり前――それどころか、むしろ、責務に近い作業――ではなかろうか。ところが、原告側は、実際に提訴可能な者は多くても1000人程度に過ぎないの“だから”該当者総てに和解金を支払えと求めるかのようである。

「舛添氏は会見の冒頭、立ち上がって『再び薬害を発生させたことを反省し、被害者に心からおわびしたい』と頭を下げたうえで、修正案について『事実上、全員救済するもの』との認識を示した。一方で『大阪高裁の骨子案と矛盾する内容にはできない』と強調した」
(20日付『アサヒ・コム』)

「国の修正案は、補償対象を原告約200人、未提訴者約800人の計約1000人と想定。高裁の和解骨子案で示された東京地裁判決基準に基づき、責任を認める対象となる患者に約22億円の補償金を直接支払うほか、それ以外の患者には原告側がつくる財団に30億円を支払い分配してもらう」(同日付『日刊スポーツ』)

「全国弁護団の鈴木利広代表は『要はお金の問題だという矮小(わいしょう)化した理解しかしていない。かえって原告の感情を逆なでする案だ』と一蹴(いっしゅう)した。全国原告団の山口美智子代表は『舛添大臣は私たちと握っていた手を離してしまった』と話した」(同日付『アサヒ・コム』)

「全国弁護団の鈴木利広代表は『全員一律救済の理念を理解しておられないようだ。札束でほおをたたくような案で、「要は金だろう」と矮小(わいしょう)化している』と痛烈に批判した」(同日付『毎日新聞』)

 もちろん、原告側の主張が、「責任を認めたうえでの支払い」(17日付『アサヒ・コム』)であり、「カネではなく理念の問題」(21日付『朝日新聞』)であることは判る。けれども、それぞれ内容の異なる五つの地裁判決が下されている状況において、「和解」という協議のテーブルが設けられていることを思えば、このような国の提案は大きな譲歩であり、現に原告側が金銭的補償を(も)求めている以上、一概に「札束でほおをたたく」とまで非難されるべきものとは思われない。実現の可能性をひとまずおいて、もしも原告側の主張する「一律救済」が“血液製剤によるHCV感染者全員(1万人前後が前提)への和解金支給”または“輸血(あるいは予防注射など)まで含めたHCV感染者全員(200万人〜300万人が前提)への――完治をも期待し得るインターフェロン治療実施等における――医療費補助”であるならば明快なのだが、提訴可能な500人〜1000人への「責任を認めたうえでの支払い」が「一律救済」の絶対条件たり得るのか? それは、あえて言えば、投与事実を証明し得ない提訴不可能な被害者や(彼ら自身が指摘している)血液事業の誤りによる圧倒的多数の被害者との間にまさに線を引くことにはならないのか。


 もう一点付け加えれば、弁護団HPには以下の一文がある。
「血友病あるいは先天性フィブリノゲン欠乏症などの疾患にかかっておられる方につきましては、原告となることを控えていただいております」

 血友病や先天性フィブリノゲン欠乏症の患者は、血液製剤投与の証明は比較的確実・容易だ。また、HCVが不活化されていなかった時代の血液製剤を使用していた血友病者は、9割以上がC型肝炎に感染しており、近年、その悪化は深刻な問題となっている。「原告となることを控えていただいて」とは何とも奇妙な文言であるけれども、これらの人々は枠外に置かれているのである。それは、現在の訴訟が「不必要な血液製剤による感染被害」(弁護団HP)を受けたとの論理に基づいており、「これらの病気【血友病など】にとって、フィブリノゲン製剤や第9因子製剤は有効な薬といえます」が、「このような場面【出産時、手術時の出血防止】では、フィブリノゲン製剤、第9因子製剤には有効性はありませんでした」としているからなのだ。しかしながら、先に述べたごとく、フィブリノゲン投与を医師にとって「当を得た注意義務」とした判例も存在する以上、仮に原告個々のケースでの「有用性」の有無を法廷で争わなければならないとしたら、全員が勝利を得られるかどうかは危ういのではないかとも思われる。

 そもそも、大きなインパクトとなった418名の感染者リスト(厚労省資料 http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/11/dl/h1130-2a.pdf)を見ると、ザッと数えても半数以上が(「不明」を外すと、さらに高率に)血液製剤とともに輸血を受けている。血液製剤以外の原因によるHCV感染者が200万人あるいは300万人存在することを考え合わせれば――何ら被害者を貶《おとし》める意味などなく、ただ現実問題として――この人たちの中にも輸血(のみが原因の)感染例が含まれていることは大いに想像される。なおあえて言うならば、C型肝炎が感染から発症まで長年月を要することを思えば、感染時期・感染原因の特定は、実は必ずしも容易なことではない。

 いわゆる「薬害エイズ」においても、非加熱製剤における「有用性」とHIV感染の「危険性」との比較考量、その時間的変遷は論点となったが、とにもかくにも被投与者は限られており――それでも、「第四ルート」と呼ばれた非血友病者の感染例もあったのだが――因果関係の確認も明快だった。当時は治療法もなく、社会的にも今より激しい差別にさらされていた被害者を「救済」する観点から、和解が成立した。今回の場合、理屈から言えば、とりわけ過去の(病原体も不明だった非A非B時代の)C型肝炎感染に関して、血液製剤と輸血とを区分する根拠は極めて乏しいのではないだろうか。しかし、原告側は輸血感染を「救済」に含める考えはないとしているし、福田総理の言葉を受けて進められている議員立法では、輸血感染は基本的に除外される方向である。

「肝炎訴訟の原告団は、『国側が想定しているような膨大な数の提訴者が出ることはありえないし、輸血が原因の肝炎患者が和解対象となることも考えていない』と反論している」(18日付『産経新聞』)

「法案では、補償の対象を、血液製剤『フィブリノゲン』や『第9因子製剤』の投与による感染に限定し、輸血による感染は対象外とした。政府に専門家らによる第三者機関を設置する案も浮上したが、原告・弁護団側の反対もあり、裁判所で認定することとした。
 補償額(弁護士費用除く)は、大阪高裁の和解骨子案を踏襲し、〈1〉死亡または肝がん・肝硬変の場合は4000万円〈2〉慢性肝炎は2000万円〈3〉症状はないが、ウイルスに感染している時は1200万円――とする。平均で1人2000万円程度となる見通しだ」(26日付『読売新聞』)

 これでは、和解の焦点となった「一律救済」とは、輸血感染例にまで金銭的補償が拡がることを危惧した国と、大義とは別に本音では輸血感染例を補償対象に含めるつもりのない原告との駆け引きだったということになってしまわないのか?


 僕として、病に苦しむ人々を援助することに一切の異存はなく、その予算が国家財政において優先されることもあって然《しか》るべきと思う。ただ、それが訴訟を経て、「和解」とはいえ、印象としては明白な国(や企業や医療者や)の失態という形で、医療費補助にとどまらない賠償的性格の金銭が一律に介在し、病原体の実体とて判らなかった時期についてまでも遡《さかのぼ》ってひとくくりに「被害」と「責任」の関係を定着させるとしたら、広く医療全般に与える悪影響が大変気がかりである。このような問題は、“現に苦しんでいる人間(被害者)が居るじゃないか”という感情的な部分が先行し、少しでもそれらの人々への不利益につながりかねない言説を封殺ないし自粛する嫌いがある。政争の具にもされているし、メディアの大勢も、いわゆる「薬害エイズ」当時と変わらず、正義漢めかして手放しに“原告を救え”、“国は歩み寄れ”というばかりで、事態の背景に及ぶ冷静な分析は極めて乏しい。

 議員立法に盛り込まれる「責任」もまた曖昧だ。原告側は和解協議の過程で「責任」のハードルを下げてきたが、議員立法案にむけて、再び要求内容を強めている。

「原告側は同日、これまで求めていた『被告が法的責任を認めた上での謝罪』から、『感染被害を防止できなかった責任を認めて謝罪』へと条件を緩和した修正案を公表」(18日付『読売新聞』)

「国側が難色を示していた『法的責任』については、和解成立実現のため譲歩し、『責任』との表現に改めた」(同日付『日経ネット』)

「大阪高裁との面談後、記者会見した大阪訴訟の塩野隆史弁護士は『高裁は和解に前向きな姿勢を持っている』と評価。『全投与期間の責任が認められれば、それが法的な責任でなくてもいい』と述べ、早期解決に向け柔軟に対応する姿勢を強調した」(21日付『日刊スポーツ・コム』)

「会議後に記者会見した鈴木利広弁護団代表は『加害責任を認めない形での補償では薬害根絶につながらず、(法案を)受け入れるわけにはいかない』と明言」(25日付『東京新聞』)

「薬害C型肝炎訴訟の被害者らの一律救済法案(議員立法)で最大の焦点となっている国の責任の扱いについて、政府・与党は24日、薬害被害の拡大を防げなかった部分について責任を認める『国の結果責任』を法案に明記する方針を固めた」
「約1000人とされる薬害C型肝炎の被害者の一律救済の法的根拠となるが、全国に約350万人いるとされるB・C型肝炎感染者に無制限に補償対象が拡大しないよう、対象をとどめる狙いもある」(25日付『読売新聞』)

「自民、公明両党の幹事長や政調会長らは25日の会談で法案に『国の責任』を明記することを確認。薬害を引き起こした『発生責任』の明記について、政府・与党は『裁判で争っている部分まで国の責任を認めることになる』(政府筋)として、受け入れない方針だ。妥協案として、『国の責任』を明記するにとどめ、責任対象を明確にしない案も浮上している」(26日付同前)

「法的責任」、「加害責任」、「全投与期間の責任」、「発生責任」、「結果責任」、ただの「責任」……。言葉遊びのようだが、当事者にとっては一大事なのではあろう。2006年6月(日付失念)、『朝日』の「ひと」欄に登場した大阪訴訟弁護団事務局長・山西美明弁護士は、先に手がけた「薬害エイズ」を振り返り、次のように語っていた。

「【HIV薬害訴訟は】96年3月、患者の早期全面救済を実現するため和解した。最善の結末だったが、危険な血液製剤の流通を放置した国の責任を司法に認めさせる判決を残せなかったことが心残りだった」

 また数年後、「薬害肝炎訴訟は……最善の結末だったが……心残りだった」と言わずに済めば結構だが……。

 議員立法の今後は、まだ不確定である。本当に望まれる目標は、国民病とも呼ばれるC型肝炎感染者総てが回復のために適切な医療を負担なく受けられるようにすることであり、救済、謝罪、責任、薬害根絶など、感情に訴えるキーワードで人心を揺り動かしても、真の問題解決にはつながらない。

 ところで、今現在、地震の発生は明らかな事実であり、多くの被害がもたらされている。そして、地震予知の研究が進められていることもたしかである。さて、将来、いつの日かは、地震予知が可能となる時代が訪れるかもしれない。そして、担当者・担当部署が作業を怠けたり、過って警報を出し損ねたり遅れたりして地震の被害者が出れば、当然、厳しく責任を追及されるだろう。しかし、その時点で、“×年前の1995年に発生した阪神淡路大震災”あるいは“△年前の2004年に起きた新潟県中越地震”に際して国が地震警報を出さなかった(出し得なかった)ことは、国民の安全を守るべき国の災害対策における重大な怠慢であった”と損害賠償を求めたら、さて、どうなるであろうか? 不謹慎かもしれないが、そんな空想にさえ駆られてしまうのである。
(2007.12.27)