今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

薬害C型肝炎(その1)

大西 赤人       



 今回は、いわゆる「薬害C型肝炎」訴訟について触れるのだが、正直なところ気が重く、なかなか書き進められないうちに事態が揺れ動きつつある。一時は「政治判断」に到らないまま和解案決裂と伝えられながら、急転、福田総理による議員立法発言が飛び出し、原告の求める「被害者」全員の「一律救済」(?)が実現しそうな気配が窺われはじめた。2002年に調査・把握されていた418人の感染者リストを厚生労働省が放置していた不備の発覚、及び、舛添大臣の半ばスタンド・プレイ、リップ・サーヴィス交じりの対応を契機として、今やこの出来事は、メディアによって“第二の「薬害エイズ」”と位置づけられ、“あの時の教訓は生かされなかった”というような批判が国や企業に集中している。12月21日付『日刊スポーツ』などは、「薬害エイズ問題当時の厚生相で、国の法的責任を認めて土下座した民主党の菅直人代表代行」ととんでもないデタラメを報じていた(後述する通り、当時の国は「法的責任」を認めてはいないし、菅大臣は被害を拡大させたことについての「謝罪」こそ行なったが、土下座などしていない。原告団に対して土下座したのは、旧ミドリ十字の社長以下幹部である)。

 血友病という先天的体質を持つ僕として、血友病患者の中に多くの被害者が発生したHIV(ヒト免疫不全ウィルス)によるいわゆる「薬害エイズ」ともつながるこの「薬害C型肝炎」については、関係者の間に幾らか顔見知りも居るような状況でもあり、多くの他の問題同様、“国が悪い”“厚労省が悪い”“役人が悪い”“企業が悪い”と原告側を援護しておきたい気持ちもある。しかしながら、この出来事は、毎日見聞きする「被害者」全員の「一律救済」というスローガンに代表される単純な図式化には留まらない本質的な問題を孕《はら》んでいる。


 事の背景を物語るため、一旦話を移す。(神話時代を除いて)歴代天皇で最長の在位期間を記録した昭和天皇は、1989(昭和64)年1月7日に88歳で亡くなった。前年9月に吐血、その時点では既に膵臓ガンの末期であったと言われているが、公表された病名は十二指腸乳頭周囲腫瘍。その後は、激しい下血症状による意識不明に陥った中、事実上の延命措置が施され、日々、体温、血圧、脈拍、輸血××ccなどの簡略な数字を伝える“御容体”報道が継続。亡くなるまでに、輸血の総量はAB型血液数万ccに及んだと伝えられている。現在でも、“皇族に輸血は行なわれるのか?”というような質問が時おり見かけられるけれども、もちろん必要に応じて輸血は実行されるわけで、昭和天皇に関しては、“若い健康な自衛隊員の中から志願者が募られた”とのまことしやかな説が専らだが、その真偽を僕は知らない。

 ところで、従来、輸血に関しては事後の肝炎発生が重大なリスクであり、「黄色い血」と呼ばれたように深刻な社会問題となった時期もあった。そして、A型肝炎の多くは、一過性のものとして重大視されていなかった――現在でも、日赤はこれについては「治癒後6か月以内の方」「1か月以内に家族から発症者が出た方」の「献血をご遠慮いただいて」いるに過ぎない――けれども、慢性肝炎にも移行するB型肝炎については、既に1970年代から抗原検査が実施されていた。けれども、それ以外のいわゆる非A非B肝炎については、まだ抗体検査自体が不可能であったため、チェックのしようがなかった。たとえば、JA福島厚生連の2003年8月付厚生連情報「C型肝炎とは(その1)」(農協会館診療所所長 伊勢重男)は、その間の経緯を次のように平易にまとめている。

「肝炎は普通大きく分けて、A型肝炎、B型肝炎、そしてC型肝炎に分類されます。それぞれA型、B型(HBV)C型(HCV)と呼ばれる肝炎ヴィールスによって肝臓の炎症が引き起こされるわけです。(この他アルコールの摂り過ぎによって起こるアルコール性肝炎が有名です。)
 A型肝炎は、予後がよい。即ち治りがよいので、今はあまり問題にはなりません。今社会的に問題となっているのはB型、C型肝炎なのです。
 B型肝炎は、約20年前にその原因であるHBVが発見されて早くから対策が施されてきました。しかしA型でもないB型でもない別種の肝炎があるらしいと判明していたのですが、その原因が不明だったので、悩んだ医学者はこれを苦し紛れに『非A非B肝炎』と命名し研究が行われてきました。その後10年ほど前にやっとこの原因ヴィールスが発見され、C型肝炎と名付けられました」

「C型肝炎ヴィールス(HCV)が発見されていない時代の輸血後に起こる急性肝炎は、年間約20万人と云われていました。B型肝炎の原因は、HBVが含まれている血液を輸血することによって起こることが早くから分かっていましたから、HBVを含む血液は輸血しないという対策を取ればよいわけです。しかし、HCVが発見されたのはそのずっと後なので、それまではHCVが含まれている血液が輸血され続けていました。今となってみれば、輸血後の急性非A非B型肝炎は大部分がC型肝炎であったわけです」

 あるいは、2007年『生産と技術』(第59巻 第4号)「C型肝炎ウイルスの発見がどのように医学・医療を変えたか」(大阪大学医学部附属病院長 林紀夫)は、次のように述べている。

「日本では肝炎ウイルスによる肝炎が最も多い肝臓病です。肝炎を起こすウイルスとして現在5種類のウイルスが同定されていますが、肝硬変・肝癌まで病気が進行するのは、B型肝炎ウイルス(HBV)とC型肝炎ウイルス(HCV)による肝炎のみで、現在肝癌の80%はHCVによる肝癌です」

「A型(HAV)およびB型肝炎ウイルスが同定され、予防や診断法が確立された後もHAVやHBVの関与しない肝炎(非A非B型肝炎)が存在し、感染後80%程度の患者は慢性化し、その半数程度は肝硬変・肝癌へと進展する予後の悪い感染症であることから、その原因ウイルスを追求する努力が長い間なされていました。1989年、米国のカイロン社の研究グル−プは従来のウイルス分離法とは全く異なる分子生物学的手法を用いてこの原因ウイルスの遺伝子断片のクロ−ニングに成功し、同時にHCV感染の特異的マ−カ−としての抗HCV抗体測定法も開発しました。その結果、ウイルス本体の同定から、予防、診断、治療に至るまで華々しい成果が得られました」

 これらの明らかな歴史的経緯は、1989年までは、非A非B肝炎に関して、その存在こそ把握されていたけれども、多くを占めるC型肝炎ウイルス(HCV)は発見されておらず、輸血時の検査も不可能だったことを物語っている(以降、D型、E型、F型、G型、TT型肝炎も見つかっているが、総てのウイルスが同定されてはいない)。世界でも先駆的だった日赤による全献血血液に対するHCV抗体検査開始は、1989年からのことである。即ち、昭和天皇に対する大量の輸血は(むしろ、昭和天皇に対する大量の輸血「さえ」)、HCVに関しては物理的にチェックのしようがなかったことになる。

 実際には、当時、僅かな対応策として、肝機能の極めて優良な――つまり、非A非B慢性肝炎を発症していないと想像される人間の――血液が厳選されたというような話も聞く。しかし、今や定説となっている通り、C型肝炎は感染後20年程度の時間をかけて肝硬変、肝ガンへと進行するのだから、肝機能の(低い)値は、HCV陰性の絶対的保証には必ずしもつながらなかったはずである。もっとも、仮にこのような“厳選”が以前から総ての一般献血に適用されていたとしたら、輸血による日本人のHCV感染が今よりも減少していた可能性は考えられる。ただし、同時に、献血の不足・輸血の滞り――それによる治療上の悪影響――も間違いなく発生していたことだろう。いずれにしても、1989年までは、誰かしらの怠慢、過失という原因ではなく、C型肝炎は、正体不明の疾病《しっぺい》だったわけである。


 現在、焦点となっている血液製剤(フィブリノゲン及び第9因子製剤=クリスマシン)に関しても、基本的な構造は輸血と変わりない。原告側は、以下のように主張している。

「1964年、日本において初めて、フィブリノゲン製剤の製造・販売が、1972年には、第9因子製剤の製造・販売が開始されました。
 これらの血液製剤は止血剤として使用され、とりわけフィブリノゲン製剤は、出産時の出血のときに、止血目的で大量に使用されました。
 しかし、これらの血液製剤にはC型肝炎ウイルスが混入していました。
 その結果、多くの母親あるいは手術をうけた方々が、C型肝炎に感染しました」

「薬害肝炎訴訟は、このような危険な血液製剤を製造・販売した製薬企業(現三菱ウェルファーマ株式会社・日本製薬株式会社など)の責任を追及し、さらには、血液製剤の製造を承認した国の責任を追及する訴訟です」(薬害肝炎訴訟全国弁護団ホームページ【以下、弁護団HPと略記】より)

 血液を原料として作られるこれらの血液製剤に関しても、当然ながら、1989年までHCVのチェックは不可能であった。しかし、原告側は、これらの血液製剤にはそもそも効果がなかった、従って、投与される必要がなかったにもかかわらず使用されたとする。実際、フィブリノゲンの製剤としての「適応」は「低フィブリノゲン血症」に対してだけ(1998年には、さらに「先天性血液凝固因子欠乏症」に限定)だったのだが、臨床現場においては、産科を中心に止血剤として広く用いられていた。以前、知人の医師に聞いたところでは、“産科での一般的な出血に対して、フィブリノゲンが止血効果を発揮したとは考えにくい”との訝《いぶか》しそうな見解が返ってきた。現実には、ここには別の大きな要因が介在したようだ。過去には、産婦の出血(死亡)に際して、フィブリノゲンを投与しなかった医師が、民事訴訟で敗れた判例が存在したのである。

 「財団法人 医療研修推進財団」による「多くの医療過誤訴訟判決のなかから、医療上の措置または不措置が『診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準』に照らして、何故、過失であるとされたのかを多くの事例をあげて解説した」サイト「訴訟事例に学ぶ治療上の責任」の「輸血」の項目(解説=鹿内清三【医薬品機構】)によれば、フィブリノゲン投与(及び輸血)を産科医の「当を得た注意義務」とした1975年2月13日付東京地裁判決が紹介されており、フィブリノゲン(原文では「繊維素」と表記)について「要請されると共に、本件事故当時薬剤の入手も可能な状態にあった」と解説されている(なお、このような判例が言わば悪しき教訓と化し、以降、産科医に防衛的な対応を強いて、フィブリノゲンの――決して不可欠ではないケースでもアリバイ的な――過剰使用につながったとの想定は可能だろう)。

 また、原告側がフィブリノゲン製剤の危険性・無用性を訴える大きな根拠の一つには、米国FDA(食品医薬品局)が1977年12月に出した「肝炎感染の危険性と代替治療の存在などを理由として、フィブリノゲン製剤の承認取消」(HPより)という決定がある。この事実は、最近の報道などではしばしば“1977年時点で既にFDAは、フィブリノゲン製剤の「肝炎」感染の危険性を把握していた”と位置づけられているが、ここでFDAが意味した「肝炎」とは、(先に述べたごとく未確定の存在であった)C型肝炎ではなく、あくまでもB型肝炎のことだった。

「当時米国で販売されていたフィブリノゲン製剤は、B型肝炎ウイルスについて不活化(BPL【大西注:β-プロピオラクトン】)処理がなされていなかったため、米国内で肝炎発生事例が多数報告されていたが、日本国内で販売されていた製剤では不活化処理がなされており、後の検証実験から、BPL処理がHCV(C型肝炎ウイルス)を不活化していたということが報告された」(ウィキペディア)との見方も存在するが、原告側は、このBPL処理について、“BPL処理が行なわれたとは信じがたい”“されていたとしても、十分ではなかった(濃度が薄かった)”“BPLの不活化効力は確定していなかった”“治験もせずに処理を実施していたなら薬事法違反だった”などと批判している(その後、1985年に日本におけるフィブリノゲン不活化処理方法がHBsグロブリン付加に変更され、その結果HBVのみが不活化、HCVへの効力がなくなったため、逆に非A非B肝炎発生報告例が増加することとなった)。


 かくのごとく、この問題は、単純に国や製薬会社を断罪して簡単に解決するものではない。病気に苦しむ人々に対する公的な援護の充実は基本的に望ましいことであり、たとえば他国の軍隊に何百億円も費やして油を供給するくらいならば、その金を自国民のために惜しまず使えという思いは僕にもある。しかしながら、損害賠償請求訴訟によって医療行為に関する国の加害責任が確定し、その補償という形で多額の公金が使われるとなれば、結果的に被害者あるいは病者が救われるからよろしいというだけでは済まない話になってくる。本訴訟においては、これまで全国五ヵ所の地方裁判所で下された判決も様々異なっており、仙台地裁(国無罪、一人のみについて企業有罪)以外の四地裁は、投与(感染)時期によって製剤の有用性と副作用との軽重を量《はか》る言わば“線引き”を行なう形で、認定時期の長短に異同があるとはいえ、一部の原告におけるHCV感染とフィブリノゲン製剤の因果関係を認め、それ以外は国、製薬会社に責任はないとした。しかし、今後、控訴に伴なう必然的な時間の空費によって原告の病状進行も懸念される中で、大阪高裁が被告・国と原告とに対する和解案の提示に至ったことは今更述べるまでもあるまい――ちなみに、法律上の「和解」とは「民事上の紛争で、紛争当事者が互いに譲歩しあってその争いをやめること」(『大辞林』)と定義されている。

 12月13日に出された第一次和解案は、国の法的責任を認めたうちでは認定時期が最も狭い東京地裁判決に基づき、一定期間内に投与された原告に和解金を支給し、期間外に投与された原告についても、原告弁護団が作る「基金」に8億円を支払い、配分も委ね、全員の救済を図るとの内容だった。しかし、原告側は製剤の種類、投与時期の“線引き”を行なわない「全員救済」を強く要求して対立。20日には、国が「基金」への支払い額を30億円に増額、「今後提訴する患者も含め、『期間外』に製剤を投与された原告を間接的に救済する」(同日付『アサヒ・コム』)としたが、原告側はこれも患者の“線引き”として再び拒否、一旦は和解決裂と伝えられたのである。

 状況は未だ流動的とはいえ、福田総理が与党の合意を踏まえて議員立法を公言した以上、原告側の求めている「一律救済」の方向性が定まりつつあるかに見える。けれども、ここで留意すべきは、「一律救済」というキーワードが一人歩きしている中で、その内容が極めて曖昧である――原告側が何をもって「一律救済」と見なしているかが必ずしも明確でない――ことだ。弁護団HPには、以下のように明記されている。

「C型肝炎の感染者は日本全体で200万人以上存在するといわれています。
 なぜでしょうか。
 その多くは、輸血を介して感染が広まったのです。つまり、輸血用血液の確保の方法や血液製剤の製造管理など、血液事業に誤りがあったのです」

「国や製薬企業が安全確保を怠らなければ、今日のような200万人という未曾有宇の人々がC型肝炎に感染することはなかったのです」

 これを読む限り、原告側は、当該血液製剤に留まらず、輸血をもC型肝炎感染の元凶と捉え、つまりは、C型肝炎感染者200万人のうちの多数を“救済されるべき被害者”と位置づけているかに見える。一方、同HPの「原告になるための要件」では、次のように述べられている。

「昭和39年(1964年)から平成6年(1994年)頃までに製造・販売された血液製剤(フィブリノゲン製剤・および第9因子製剤)は、C型肝炎に感染する危険性が極めて高かったと考えられています。
 昭和39年(1964年)から平成6年(1994年)頃までの間に、出血を伴った出産あるいは手術を経験された方は、止血剤として血液製剤(フィブリノゲン製剤あるいは第9因子製剤)を使用された可能性があり、これによりC型肝炎に感染した可能性があります」

 その上で「何らかの手段で、血液製剤が投与されたことが証明できなければ、原告になることはできません」と留保しながらも、続けて「しかし、自分に血液製剤が使われたかどうかは、知らない方がほとんどです。まずは、お気軽に弁護団にご相談ください。血液製剤が使われたかどうかについて、調査方法をアドバイスします」と間口を広げ、具体的な感染者数については、こう想定している。

「被告製薬企業の三菱ウェルファーマ株式会社は、2001年5月18日付の報告書(フィブリノゲン製剤使用後の肝炎発生数等に関するウェルファイド(株)からの報告について)において、1980年以降にフィブリノゲン製剤の投与を受けてC型肝炎ウイルスに感染した患者は少なくとも1万人以上いると推定しています。フィブリノゲン製剤は1964年に製造・販売を開始したことを考慮すれば、この製剤によるC型肝炎感染者は少なくとも、2倍以上に達するものと考えられます」

 また、「幸いインターフェロン治療で治った方でも、治療費などの支出は生じており、また病気による苦痛を被ったことにかわりはありませんので、原告になれます」とも書かれている。

 要するに弁護団HPでは、フィブリノゲン製剤だけでも“救済されるべき被害者”は1万人から2万人に上るし、その延長線上には、国や製薬企業が安全確保を怠ったがゆえにC型肝炎に感染した人々約200万人が存在するとされているのである。(この項、続く)
(2007.12.27)