今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

健康の増進は国民の責務という「健康増進法」と、来季J2に昇格するロッソ熊本のユニホームから消える焼酎「白岳」のロゴ

大西 赤人       



 2002年8月2日に交付された「健康増進法」という法律がある。これは、2000年から2012年にかけて実施されている「21世紀における国民健康づくり運動(健康日本21)」に基づき、政府が「『健康日本21』を中核とする国民の健康づくり・疾病予防をさらに積極的に推進するため、医療制度改革の一環として」(「財団法人 健康・体力づくり事業財団ホームページより」)国会に提出、可決・成立したものだ(民主党国会レポートによれば、衆議院では民主=反対、自由、共産、社民=欠席。参議院では民主、共産、自由、社民=欠席)。当時、この法律の審議が大きな話題になったという記憶はないのだが、実際、当時は健康保険法改正(高齢者医療制度改革、医療保険制度改革)のほうが騒がれており、こちらについてはメディアの報道も乏しかったようだ。

 日本国憲法第二十五条にも「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(いわゆる“生存権”)と定められている通り、「健康」とは基本的に誰もが希求するものであろう。もっとも、では「健康」とはそもそも何なのかと立ち止まってみれば少々曖昧で、一般には、身体的・肉体的に悪いところ(病気や障害)のない――俗に言う“五体満足”というようなイメージが先行するけれども、辞書によれば「健康」とは、「体や心がすこやかで、悪いところのない・こと(さま)。医学では単に病気や虚弱でないというだけでなく、肉体的・精神的・社会的に調和のとれた良い状態にあることをいう」(『大辞林』)とのこと。そもそもこの言葉は、明治時代に「芸術」や「権利」や「情報」などと同じく、それまで日本語にはなかった多くの概念が輸入されて新たな訳語が作られた際、 “health”という英語を移し、それまでの「養生」に代わって案出されたのだそうな。

 たしかに「肉体的・精神的・社会的に調和のとれた」状態は原則として歓迎すべきものには違いなかろうけれど、そんな完璧な人間なんて、まずは皆無と言ってもいいだろうし、しかも、総ての個々人がそのような「健康」をひとしなみ追い求めるとは必ずしも限らない。普通の感覚から見れば「不健康」な生き方をあえて選び取る人だって少なからず存在するに決まっていて、ひとまず他者に迷惑をかけない――他者の権利を侵害しない――ことを前提に置くならば、それは個人の自由として許されるはずでもある。ところが、先の「健康増進法」は、第一条「急速な高齢化の進展及び疾病構造の変化に伴い、国民の健康の増進の重要性が著しく増大していること」を踏まえ、第二条「国民の責務」として、次のように記す。

「国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない。」

 「健康増進法」の本来の目的は、生活習慣病などの現代病を防止するための環境整備にあり、たとえば、多人数が利用する施設における「受動喫煙の防止」も、同法第二十五条によって定められた。

「学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう。)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない。」

 本法施行後、それまでの“嫌煙(受動喫煙を拒む)権”が言わば確固たる法的後ろ盾を持ち、公共施設の分煙ひいては全面禁煙、あるいは路上禁煙、歩行禁煙も急速に広まっている。僕自身、全く煙草は吸わず、受動喫煙も苦手なほうだし、このような人々にとって「健康増進法」による一面の恩恵は確実であったろうとは思う。しかしながら、「健康の増進」が、いつの間にか法律によって我々の一生涯にわたる「責務(自分の責任として果たさねばならない事柄)」と規定されていることについては、強い疑問を感じる。

 日本国民には勤労、納税、教育(を受けさせる)という三大「義務(法律が人に課す拘束)」があるけれども、さすがの「健康増進法」も、「健康」を我々の「義務」とは定めていない(そんな事をしたら、病気にかかった途端、誰も彼もが“法律違反”になってしまうだろうから)。本法には罰則も設けられているとはいえ、それらは、「不健康」な個々人を対象としてはおらず、公務員や職員の守秘義務違反や、給食業者や栄養表示食品販売業者の規定違反に対するものである。それにしても、「健康」も「不健康」も、あえて言えば各人が生きて行く上での自由な選択の積み重ねによって生じる結果のはずなのに、「健康」が国によって「責務」即ち人としてあるべき規範として位置づけられ、そのいかにも文句のつけようがない“錦の御旗”が振りかざされている状況は、実は大きく歪んだものではないだろうか。「健康増進法」をもって、ナチス・ドイツに代表される類《たぐい》の優生思想・選別思想とすぐに結び付けるなどは短絡に過ぎるかもしれない。だが、ここには、自己の意思にかかわらず抗《あらが》いがたく「健康」たり得ない人々に対して、日本国民として“不適格”の烙印をサッサと捺《お》したいという国の本音が見え透いているようにも感じられてしまう。

 煙草に関しては、どう転んでも“身体に悪い”という評価が定着しつつあるとはいえ、健康との否定的因果関係を未だに認めない見解も強固に存在する。ましてやこれが酒となれば、「百薬の長」なる昔ながらの表現を筆頭に、“(適量ならば)むしろ身体に良い”との見方は多いだろう。しかし、適度な飲酒も容易に守り得る業《わざ》ではなく、現に日本でも飲酒運転が大きな社会的問題となっており、米国では一時的とはいえ禁酒法が施行(1920年〜1933年)された時期があったし、現在でも「厳格な禁酒国であり、いかなる場所においても、また、外国人にも例外なく飲酒が禁止され」るイランや、「大きなイベント(選挙、大規模デモ、重要なサッカーの試合など)が予定されている時には禁酒令(LEY SECA)が発令され」るコロンビア(「外務省 海外安全ホームページ」)のような国も存在する。煙草と違って酒は嫌いではないものの量は飲まない僕などは、個人的に言えば仮にこの国が禁酒になってさえ耐えられると思うけれど、あれやこれやの行動が規制されること――法律で縛られること――によって強権的に人間生活が維持されるあり方が望ましいものとは考えにくい。

 「健康増進法」とは直接関係ないけれど、こんなニュースを見かけた。JFL(日本フットボールリーグ)に加盟しており、既に今シーズン3位以内を決定、来季からのJ2昇格が確実となっているに関して、「ユニホームの胸にある、メーンスポンサー高橋酒造(熊本県人吉市)の焼酎ブランドのロゴが、J2に上がった場合は消える公算が大きくなった」(5日付『朝日新聞』)というのである。同社は2005年以来、ロッソ熊本を支援、年間約3億円の運営費の一割近くを支えており、焼酎「白岳」のロゴがユニホームの胸に登場したのは2006年からという。しかし、Jリーグ側は、「アルコール飲料など年齢制限が伴う商品のロゴをユニホームに出すことは自粛する」(同前)旨が理事会で合意されていると提示。

「今季のロッソの成績から来季の本加盟に向けた事前協議が本格化する中、Jリーグ事務局は『絶対ダメという状態ではないが(チームの)レプリカユニホームは子どもたちが着ることもある。お酒のメーカーはふさわしくないのでは、という指導をしてきている』と説明」(10月20日付『くまにち(熊本日日新聞)コム』)
「Jリーグが5日、熊本からのヒアリング調査で『お酒の名前が、テレビ放映などで子供たちの目に触れるのは好ましくない』という見解を示した」
「ヒアリングに同席した熊本県の金沢副知事が『熊本の風土からすれば、焼酎がコマーシャルに出るのは違和感がない。地場産業でもあるし、認めてほしい』と要望。鬼武チェアマンは『理事会の申し合わせ事項は簡単には変えられない』と難色を示した」(同前『朝日』)

 『朝日』紙面に併載の署名記事(原田亜紀夫記者)は、この経緯に対して控えめに異議を唱えている。

「(前略)酒の銘柄はスポンサーとして不適切というが、その基準はあいまいで、すっきりしない。
 Jリーグはユニホームの胸スポンサーに『自粛カテゴリー』を設けている。口頭での承認事項だが、たばこ、遊技場、美容形成などが該当する。
 酒類はどうか。97年に解禁されたといい、当時のヴ川崎がサントリーのビール『MALT'S』(モルツ)を胸につけた時期があった。ビールはOKで、焼酎はNGというのは、釈然としない。
 日本のサッカーの発展は『酒』と無縁だとはいいがたい。日本代表公式スポンサーのキリンは、78年に『ジャパンカップ(現キリンカップ)』に協賛して以来の深い関係だ。Jリーグの鬼武チェアマンは『サントリーとキリンには清涼飲料水もあり、それをメーンに考えている』と説明するが、どうも歯切れが悪い。(後略)」

 煙草広告の規制は世界的な趨勢であり、F1の車体につき物だった煙草のロゴも消えた。酒にしても、大々的な広告までして売る必要はないと思う。また、Jリーグが“お金を出していただくのであっても、煙草や酒からはお断わり”と筋を通すこと自体は一つの見識だろう。しかし、「サントリーとキリンには清涼飲料水もあり、それをメーンに考えている」とは何とも情けない腰砕けだ。

 先頃は、「米娯楽・メディア大手ウォルト・ディズニーは25日、青少年がたばこを吸うきっかけになっていると批判が出ている映画の喫煙シーンについて、今後同社の作品からなくすと発表した。傘下のミラマックス、タッチストーンの作品でも喫煙シーンを控えるよう促すという」(7月26日付『スポニチ・アネックス』)と報じられていた(そのうち、“猥褻《わいせつ》”シーンのように、喫煙シーンにもモザイクが入ったりするようになるのであろうか?)。日本でも、人気漫画作品に登場する未成年者喫煙の描写が批判を浴びたりしている。「健康」であることが法的に要求され、その一方、「不健康」につながる要素が表層的に覆い隠されて行くという流れは、差別語の規制・自粛にも似て、素直に賛同しがたいものを感じる。
(2007.11.14)