今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

元陸上自衛隊イラク派遣先遣隊長から参議院議員に“転身”した佐藤正久の本音こそ、明らかにされなければならない

大西 赤人       



 米国の対アフガニスタン(テロ抑止)攻撃を後方支援するという名目により、2001年に成立した時限立法――通称「テロ対策特措法」(正式名は112文字!)は、これまでに三回の延長を重ねながら約六年間、海上自衛隊によるインド洋での給油活動を正当なものと位置づけ、継続させてきた。しかし、ここに来て、対アフガン作戦と対イラク作戦とが交錯していた中で、補給した油が実際には――法律の対象外である――イラク戦争に用いられていたのではないかとの疑惑が浮上し、新たな「補給支援特別措置法」の審議を前に、大きな論議を呼んでいる。

 1992年に起きた湾岸戦争時、日本による総額130億ドル(1兆6000億円弱)にも及ぶ資金援助が国際的に評価されなかった(とされた)ことに端を発し、2003年に発生したイラク戦争時には米国から「ショー・ザ・フラッグ」などと圧力をかけられる中で、時限立法という一種便宜的な手法により、自衛隊の海外派遣は既成事実化されてきた。「テロ対策特別措置法」に基づくインド洋における給油は、そのほとんどが米国艦船に提供され、2001年12月から本年8月までで48万キロリットル(約220億円分)に達したという。もちろんこれは無償供与であり、批判的な側からは「無料ガソリンスタンド」と貶《おとし》められることにもなっている。

 で、その油が、法律に定められた対アフガン作戦ではなくイラク戦争に使われていたのではないかというわけだが、何せ、問題となった空母キティホークへの給油量は日本政府発表の20万ガロンから米国公文書に明記された四倍(!)の80万ガロンに訂正されるわ、作業に従事した補給艦「ときわ」の航海日誌は「今年7月に誤って破棄」(16日付『アサヒ・コム)されているわという始末で、誰が考えたって胡散臭い限り。「米補給艦を通じてほかの米艦船に給油するいわゆる『間接給油』は全体の給油量の5割強を占める」(18日付『朝日新聞』)という状況の中で、米国国防総省は転用を否定しながらも、「複数の船が複合的な作戦に従事した可能性」(19日付『東京新聞』)があり、「最終的には他の燃料と混じり合って使用されるため、燃料の使い道を完全に特定するのは『困難』との認識も示した」(同前『日経ネット』)との声明を発表したと報じられている。

 もちろん、事は法律に関わるからすべからく厳密たるべしとはいえ、粗雑を承知でたとえれば、“学費以外には使うな”と届いた仕送りを直接パチンコ代に流用したか、それとも、そのお陰で浮いたバイト代を費やしたかというような話。銭金と同じく油にも印はついていないのだから、はなから峻別は不可能に近い。ちなみに、18日付『朝日新聞』の「天声人語」はピンボケも甚だしかった。

「自衛隊の給油は、アフガニスタンでの『不朽の自由作戦』に限られている。それがイラクでの作戦にも使われたふしがある。イラクに巡航ミサイルを撃ち込んだ米艦にも給油していた。ほかにも、目的以外に転用された疑いが、つきまとって消えない」
「イラクでは多くの市民が空爆などの犠牲になった。中には、日本の『油』が間接的に死に追いやった人がいたかもしれない。そんな心配さえ、荒唐無稽(こうとうむけい)とは思えなくなってくる」

 荒唐無稽も何も、そんな心配をするのであれば、アフガンにおいては、「日本の『油』が直接的に死に追いやった人」が数多《あまた》居たことになる。その総てが極悪非道なテロリストであり、殺されて当然の人間だったとの保証などあるはずもない。

 日本には以前から、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」なる非核三原則があり、この国是《こくぜ》を示した佐藤栄作は、1974年にノーベル平和賞を受けた。しかし、「持たず、作らず」はともかく、(米軍によっても)「持ち込ませず」が貫かれてきたかとなれば何とも疑わしく、むしろ以前から、米国関係者の証言をも踏まえ、日本に寄港する米軍艦船の核武装については、実は論ずるまでもない自明とする見方も強い。今回の給油疑惑にしても、政府を攻撃している民主党の側自体、根っから反対とはほど遠く、“やるからには、法律を明確に整備して行なうべし”との姿勢も窺われる――小沢一郎代表などは、アフガニスタン地上軍(ISAF=国際治安支援部隊)への自衛隊派遣を提案している――から、結局は“建て前は建て前。戦争なんだから、油の転用くらい、当たり前じゃないか”というなし崩し的な収束へと向かってしまいそうに思われる。

 ところで、イラクに対する人道復興支援活動・安全確保支援活動を行なうという名目で2003年に成立した時限立法「イラク特措法」(こちらの正式名は37文字)に基づき第一次復興業務支援隊長となった佐藤正久・一等陸佐は、“ヒゲの隊長”として大いにメディアを賑わせた。たしかに、口髭を蓄えた一見ダンディな風貌とソフトな物腰は印象的だったけれども、その佐藤が去る7月の参議院選挙に全国比例区に自民党公認候補として立候補すると聞いた時には、少々驚かされた。言うまでもなく、自衛隊出身者が国会議員になってはいけないということはないにせよ、言わば一方の極から正反対の極へと跳躍するような“転身”に大きな違和感を持ったのである。

 その佐藤、自民党に対する逆風選挙の中でも、同党全国比例区候補中第六位の得票を得て悠々当選。当選確実を知らされた選挙事務所で「これからが新たな戦いの始まり。愚直に戦っていきます」(7月30日付『山陽新聞ニュース』)との第一声を上げたそうだが、新人議員の初登院を報じるテレビ・ニュースでは国会正門で敬礼をする姿に唖然とさせられた。

「自民党比例区で当選した元陸上自衛隊イラク派遣先遣隊長の佐藤正久氏(46)は正門で約10秒間、敬礼をした。3年前のこの日にイラクから帰国。『灼熱と砂嵐のイラクから、今度は逆風の吹き荒れる新たな戦場に到着した思いだ』と顔を引き締めた」(8月7日付『アサヒ・コム』)

 おいおい……。そりゃあ、選挙「戦」とか「激戦」区とかというくらいだし、「××、この日のために懸命に戦ってまいりました!」なんて決まり文句もつき物だ。「負けたら切腹!」と宣言した奴だって、本当に腹を切るわけじゃないのだから、物のたとえ、言葉の綾という部分はあるだろう。しかしながら、あなたは元々が自衛官であり、しかも、あえてその職を辞して国会議員になった人間だ。それが、敬礼して「新たな戦場」とは何ですか? 大体、小泉さんによれば、あなたが派遣されたサマワは、たしか「非戦闘地域」ではありませんでしたか? ところが、佐藤議員、その後には、先の反問など些細な揚げ足取りとしか思われなくなるような堂々たる(?)意見開陳をTBSテレビでやらかした。放送を見てはいないのだが、現時点では正当防衛や緊急避難の枠を超えた憲法違反と見做《みな》されているいわゆる「駆けつけ警護(味方の他国部隊が外部から攻撃された場合、その場に駆け付けて応戦すること)」の必要性を訴えた佐藤発言の内容は、ネット上の多くのフォローも照らして、以下のようなもの。

「自衛隊とオランダ軍が近くの地域で活動していたら、何らかの対応(応戦など)をやらなかったら、自衛隊に対する(関係国からの)批判というものはものすごく出ると思います」
「【情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれるという状況を作り出すことで、憲法に違反しない形でオランダ軍を警護するつもりであり】巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れませんから。目の前で苦しんでいる仲間がいる。普通に考えて手をさしのべるべきだという時は(警護に)行ったと思いますよ」
「その代わり(その行為で)日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」(9月5日付『毎日新聞』)

 これに対しては、シビリアン・コントロールを逸脱した制服組の“暴走”とする批判の声が沸き、弁護士らにより、その真意を問う公開質問状も出されたが、佐藤は回答していないようである。ただし、「どう見ても軍隊なのに『自衛隊』。明らかな戦場なのに『非戦闘地域』。リアルな世界で“虚構”を演じる身は決して楽ではない。イラク先遣隊長として、そんな立場にあった『ヒゲの隊長』こと、自民党参院議員の佐藤正久さん(46)が就任早々、勇ましい発言で物議をかもしている」と始まる先の『毎日新聞』の記事においては、佐藤は、自分の発言の趣旨は異なると反論している。

「【報道では】集団的自衛権の話になっていますが、私は『駆け付け警護』を含め、一般論として武器使用の話をしただけなんです」
「裁かれるというのは司法判断のこと。我々がもし武器を使ったら、最終的には日本の司法が(その合法、違法性を)判断します」
「佐藤さんはそれを『裁き』と呼んだに過ぎず、違法行為もいとわないという考えではない、と語る。『イラクに限らず、カンボジアでもどこでも、武器を使えばそれが正当防衛だったかどうかを裁かれることになる。それを多くの国民はわかってくれていないんです』」

 昔、“軍歌”としては珍しく厭戦《えんせん》的であり、大戦中は歌唱を禁止されたとも言われる『戦友』(詞・真下飛泉)は、次のように始まる。

(一番)ここは御国の何百里 離れて遠き満州の
  赤い夕陽に照らされて 友は野末《のずえ》の石の下
(二番)思えば悲し昨日まで 真っ先駆けて突進し
  敵をさんざん懲《こ》らしたる 勇士はここに眠れるか
(三番)ああ戦いの最中に 隣に居ったこの友の
 にわかにはたと倒れしを 我は思わず駆け寄りて
(四番)軍律厳しき中なれど これが見捨てておかりょうか
 しっかりせよと抱き起こし 仮包帯も弾の中
(五番)おりから起こる吶喊《とっかん》に 友はようよう顔上げて
 御国のためだかまわずに 遅れてくれなと目に涙
(六番)あとに心は残れども 残しちゃならぬこの体
 それじゃ行くよと別れたが 永《なが》の別れとなったのか(以下略)

 要するに「軍律」を遵守《じゅんしゅ》するならば、仲間が撃たれても介抱などしてはならない――ひたすら攻撃を続けなければならない――はずなのだが、戦う身であっても、または、実際に戦う身だからこそ、人として「我は思わず駈け寄りて」「これが見捨てておかりょうか」ということになるのである(それでも、相手は、“自分に構わず行ってくれ”と悲壮に死んでしまうわけだが……)。

 そこが形式的に「非戦闘地域」だったのかどうかはさておき、現実問題として「戦場」にあり、(たとえ他国の軍だろうとも)味方が攻撃されていれば、法律がどうなっていようとも、急場を安穏と拱手《きょうしゅ》傍観しているわけには行かないだろう。実際、“佐藤発言のどこが問題なのだ?”と擁護する声も少なくないし、海外派兵に反対する立場の僕でさえも、彼の述べたごとき心情を想像することは容易である。しかし、だからと言って、かような急場を前もってシミュレートし、そこでの確信犯的な対応を決めていたとなれば、法律の枠内で行動すべき“武人”として明らかに逸脱している。佐藤発言を批判する側からは、彼の議員辞職を求める動きも出ているけれど、そういう短絡的解決(?)ではなく、自衛隊の一代表たる使命感とともに国政に“参戦”したのであろう佐藤正久「現・参議院議員」の本音――及び、その背景に存在する本音――こそ、もっと明らかにされて行かなければならないと思う。
(2007.10.25)