今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

相撲界に持ち上がった新たな醜聞で、“暴走して貧乏クジを引いてしまった時津風親方”

大西 赤人       



 このところ本欄で再三言及していた朝青龍問題など一気に色褪せるような醜聞が、相撲界に持ち上がった。今年6月26日、名門・時津風部屋に所属していた17歳の序ノ口力士・時太山《ときたいざん》が、名古屋場所を前に急死。当時は、「稽古後、体調不良のため、県内の病院に救急搬送された後、死亡していた」(6月27日付『スポニチアネックス』)、「【行政解剖の結果】外傷によるショックが原因で急性心不全を起こしたとみられるという」(同28日付『時事通信』)などと報じられていたのだが、実は、部屋からの脱走を繰り返した時太山に対して、時津風親方(元小結・双津竜《ふたつりゅう》)をも含め、兄弟子たちが稽古の名目ながら実質的なリンチを行ない、死に至らしめたという疑いが深まっているのである。このため、「【愛知】県警は暴行を指示したとされる師匠の時津風親方(57=元小結双津竜)を傷害容疑、暴行を与えた兄弟子たちを傷害致死容疑で立件する方針を固めている」(9月27日付『日刊スポーツ』)と伝えられている。

 この出来事に関しては、朝青龍の一件との関連で大相撲の危機と捉える論調が多い。
「今回の一件で、朝青龍問題で揺らぐ角界はさらに大きなダメージを受けそうだ」(同26日付『中国新聞』)
「立件に向けた動きは、朝青龍問題で揺れる相撲界に新たな衝撃となった」(同『東京新聞』)
「朝青龍問題に揺れる角界が再び激震に見舞われた」(同27日付『スポニチアネックス』)
「横綱・朝青龍のサッカー問題に続く前代未聞の不祥事。長年の相撲ファンからは『相撲の将来が暗くなった』との声も漏れた」(10月2日付『スポニチアネックス』)

 冗談じゃないですよ。僕は前回、モンゴルに帰国した朝青龍を「野放し」と報じたメディアに関して、「『野放し』ってあなた、朝青龍は凶悪犯ですか(たとえ凶悪犯であってさえ、品の良い形容とは言えないが)? 自由に行動したら、人でも殺すのですか?」と書いたのだが、時津風部屋の事件は――その実状がどのようなものであったか、また、どこまで意図的なものであったかは未だ不確実にせよ――まさに人命が喪われているのである。どう転んでも巡業をサボったというだけに過ぎない朝青龍の問題とは、並べること自体ナンセンスなくらい、全く次元のかけ離れた話でしょう。

 当初、緩慢な対応に終始していた日本相撲協会(北の湖理事長)も、文部科学省から真相を明らかにすべしなどと異例の指導を受けたことで急変、捜査の動きとは別個に、時津風親方に解雇(角界からの追放)処分を下す流れのようだ。けれども、関係者の関与の程度も不明であるのに、既に、部屋付きの枝川親方(元幕内・蒼樹山)の継承が内定しているというのだから、どこまで深刻に事態を受け止めているのかは、はなはだ疑わしい。いや、包み隠さず言えば、鈍かった反応が示す通り、さしずめ“こんな程度は相撲界なら当たり前、どの部屋でもやっている事なのに、たまたま今回は何かの拍子で死んでしまい、運が悪かった”というあたりが本音なのではないだろうか? そもそもメディアの論調にしても、もちろんひとまずは暴力を否定する――もちろん否定せざるを得ない――一方で、腰の定まらない物言いが眼に留まる。

「大相撲におけるけいこの厳しさは、昔からの伝統だ。親方や兄弟子が竹刀で殴るのはよくあることで、力士が血を流し、気絶寸前の状態になることも、相撲部屋では少なからず見られる。
 ただ、その過程で一人の尊い命が失われたとなれば話は全くの別問題だ」

「関係者によれば、入門当初から斉藤さんの素行にも問題があったとされるが“制裁”と“愛のむち”を混同してはならない」(同26日付『産経ウェブ』)

「大相撲のけいこの厳しさはよく知られ、昔からの伝統である。血を流したり、気絶寸前になったりすることも少なくないという。だが、命が失われるほどのダメージを与えたとなれば、別の疑問が浮かぶのは当然だろう」(同27日付『中国新聞』)

「けいこの厳しさは角界の伝統であり、親方や兄弟子が竹刀で弟子をたたくことは日常茶飯事。しかし金属バットで、となれば話は別問題だ」(同前『日刊スポーツ』)。

「『けいこだけは肉親には見せられない』という大相撲の親方が、昔は多かった。竹刀やホウキの柄で滅茶苦茶にたたかれ、体中ミミズ腫れになったわが子の姿を見せられたら親は取り乱す。しかし、親方や古参の兄弟子が『そこまで』という“愛のムチ”の限界を心得ていて、息絶え絶えだった若い力士もすぐに元気を取り戻した。
 部屋によってはいまも残るそんな厳しいけいこでファンを喜ばせる強い力士が育ち、悪童が礼儀正しい若者に変身し親が感謝する。それが相撲界の特質でもある」

「30分にもわたるぶつかりげいこの後に、兄弟子から暴行を加えられ急死した力士は、入門後もタバコを辞めず再三脱走を繰り返したという。親方としては相撲を通じてなんとか素行を改めさせたかったのだろう。しかし、チャンコの席でビール瓶で殴ったのは常軌を逸していた」(同前『サンケイスポーツ』「コラム甘口辛口」今村忠)

 要するに、これらに共通するものは、相撲の稽古における――「かわいがり」と呼ばれるしごきに象徴される――暴力性の全否定ではなく、あくまでもそれが“行き過ぎた”ことに対して眉を顰める素振りに過ぎない。実際、時太山の父親自身、記者会見で「本人がどうしてもやめたいって言うのを親のエゴで…。『もうちょっと頑張れ』と言ってしまった」「厳しいのは厳しいから、将来の役に立つのでは、精神面を鍛えてくれれば、と思った」(9月28日付『日刊スポーツ』)と涙ながらに述べていたけれども、ここには、“相撲部屋で――自分の手には余る(?)――子供を鍛え直してもらいたかった”というような親の心情が見え隠れしている。いささか酷な言い方になるけれども、今となってみればこそ後悔の念に駆られているものの、息子が生きている間の父親は、“二つ三つ、五つ六つ、八つ九つ、叩かれようと殴られようと我慢して、心を入れ替えた強い人間に変わって帰ってきてくれ”と願っていたのだろう。

 幾ら番付に載ったばかりの力士とはいえ、時太山はプロフェッショナルの一員となっていたのだから、学校と全く等価に考えることは出来ないが、これは、教師による生徒に対するいわゆる「体罰」の問題と共通している。たとえその本質は暴力であっても、本人のためになったと判断されれば、「体罰」ではなく「愛のムチ」ということになる。アンケートを集めると、親の少なからぬ部分が、「体罰」を容認――それどころか、むしろ要望――する。なるほど、暴力を振るわれても「愛のムチ」として受け止め得る人間、それによってかえって結果的に相手を信頼し得る人間、成長する人間も現われることはたしかだろう。しかし、そのおかげで不必要に壊されてしまう者も多々存在するはずであり、しかし、そんなネガティヴな側面は、よほどの大事に至らなければ表に出てこない。とりわけスポーツの分野においては、このような“体育会”的論理が大手を振っていて、星野仙一のように、時に“愛情をもって”選手を殴る行為の必要性・意義を堂々と公言する人物が、五輪野球日本代表チームを率いてもてはやされることにもなる。

「ある部屋では『うちの子が兄弟子が怖い、といっている。ホテルから通わせてもらいたい』と新弟子の親からネジ込まれる時代である。
 7月の名古屋場所前に起きたこの問題の影響で、親から入門を断られた部屋もあり、ますます新弟子は取りにくくなる。
 全体的に甘くなったけいこが、力士減ではさらに甘くなるだろう。
 厳しいけいこがあってこそ、いい方向に向けての“愛のムチ”も生きてくる。けいこのあり方や、新弟子の集め方が根底から問われる相撲界の一大事として、協会も心して対処すべき問題だ」(前出・「コラム甘口辛口」今村忠)

 “個人を甘やかすと、日本人の美徳かつ最大の武器である精神力が弱くなる。ひいてはスポーツでも好成績を上げることが出来ない”――この種の物言いは、その延長線上に“昔の日本人(男子)は徴兵によって鍛えられ、初めて真の男になった”というような考え方ともつながって行くであろう。今村の記すごとく、相撲協会が今回の出来事に真に「心して対処」するとすれば、それこそ「国技」を名乗る以上なおさら、日本人のあり方の根本にも関わってくるものと考えられる。しかし、そこまでの大手術は、協会は言うまでもなく、世間の大勢も望みはせず、“暴走して貧乏クジを引いてしまった時津風親方”が放逐《ほうちく》されることにより、一件落着と収斂《しゅうれん》するしかなさそうである。
(2007.10.3)