今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

生気を失なった安倍首相の表情から想い起こされたのは、同じようにストレスによる“病気”を患っている横綱・朝青龍だった

大西 赤人       



 安部晋三首相が辞めてしまった。臨時国会が始まり、代表質問が予定されていた当日における突然の辞意。“投げ出した”“放り出した”という言葉がメディアを飛び交っていたけれど、たしかにそれ以外の言葉は思い浮かばないような突発事である。まあ、個人的に言えば、彼の総理就任時点から――いや、もっと言えば就任以前から――何かにつけて「蟷螂の斧」のごとき安倍批判を続けていた僕としては、とりあえず望ましい成り行きには違いないのだが、ただただ政局が混乱し、しかも解散総選挙ではなく、ドロナワ式に後継自民党総裁――ほぼ自動的に新首相――が誕生するという流れを歓迎することは到底出来ない(直後は、後任として麻生太郎幹事長が圧倒的に有力視されていたものの、僅かのうちに一転。党内支持は、しばらく顔も見かけなかった福田康夫元官房長官へ雪崩《なだれ》現象というのだから、何が何だか?)。

 辞意を表明した記者会見の首相は、これまた“声に張りがない”という手垢に塗《まみ》れた表現がこれほど当てはまる例も珍しいくらい力ない口調だった。国民に対しての謝意は全くなく、民主党・小沢一郎代表に党首会談を申し込みながら断わられた(小沢側は否定)ことを決断に至る大きな契機と称した恨み節も不様《ぶざま》な限り。その後、与謝野馨官房長官は辞任理由として首相の健康問題(健康不安)を指摘し、安倍自身がそれに触れなかったのは「健康問題に逃げ込まないという美学だと理解している」(12日付『日刊スポーツ・コム』)とフォローしてみせたものの、その一方では「病気には気まぐれの病気もあったり」(同『毎日新聞』)と口走る有様……。

 ともあれ、安倍首相の体調が芳しくなかったことは間違いないようで、早速、慶応病院で検査を受けた結果、過度のストレスにより「機能性胃腸障害が悪化し、全身が衰弱している」(13日付『アサヒ・コム』)との診断が下り、そのまま入院、本人が希望していた自民党両院議員総会出席にもドクター・ストップがかかった。人の病気を悪く言うことは避けたいけれども、一国を率いるべき総理大臣が、主治医(日比紀文・慶応病院消化器内科診療部長)によれば――辞意表明に踏みきったがゆえの転帰もあろうとはいえ――「普通の読み書きや思考力はあるが、ずっと緊張状態を続けることは、少し難しいのではないかと今日は判断している」(同前)状況だったというのだから、批判を通り越して恐ろしい話である。安倍首相に関しては、就任当初から、その先行きを憂える人々の間で、“もともと頑健ではないらしいから、(歯止めをかけるためには)病気になってもらうしかない”というような不穏かつ冗談半分の囁きがあった。重ねて、相手が誰にせよ、その病気を願うことはよろしくないと思うものの、結果的には的を射た観測だったことにもなる。

 こうして「美しい国」なるスローガンを掲げた安倍内閣は一年もたずして瓦解《がかい》に到ったわけだが、ここで改めて押さえておかなければならない重要なポイントは、安倍路線は突然に出現した“鬼っ子”ではなかったという点だろう。その手法があまりにも強引・拙速・拙劣だったために反動を呼び起こしてしまったとはいえ、安倍首相は、明らかに前職・小泉純一郎の路線を着実に継承していたのである。たとえばプロ野球の世界では、不振に終った前任監督のチーム作り(基礎工事)が、次の監督の時代となってようやく花開き、その結果、翻って前任者の功績も再評価されるケースが時おり見受けられる。今回の場合はそれとは正反対で、安倍政治が大失敗というのであれば、当然、小泉政治についても否定的に見直されるべきではなかろうか。ところが、さすがに小泉本人は出馬を固辞したと伝えられているけれども、自民党内には――引いては世の中一般にも――小泉再登板を望む声が決して少なくないというのだから、何をかいわんやである。

 ところで、生気を失なった首相の表情を見ながら必然的に想い起こされた事柄は、同じようにストレスによる“病気”を患っている横綱・朝青龍。彼に対する激しいバッシングに僕が異を唱えた(colum346.htm)時点では「急性ストレス障害」と診断されていたが、その後、解離性障害と病名が変わり、すったもんだの挙句《あげく》、“軟禁”にも等しかった謹慎処分(行動規制)も緩められ、母国モンゴルへ戻っての静養治療中である。しかし、その帰国に際しては日本から多くの報道陣がつきまとい、ウランバートル到着後、朝青龍が師匠の高砂親方や付き添いの医師と別行動を取った途端、「野放し! モンゴルに消えた朝青龍」(8月30日付『スポニチアネックス』)と非難轟々。

「帰国早々、いきなり朝青龍が野放し状態となった」
「朝青龍は28日の緊急理事会で治療を目的に帰国を認められた。『解離性障害』と診断された精神状態のチェックのために本田医師が同行し、高砂親方も部屋付き親方らを派遣し、動向を24時間監視する態勢をつくる予定だった。たとえ現地【大西注:療養先の温泉保養施設「ドリームランド」】で合流することになっていても、病人が同行した医師と別行動では問題視されてもおかしくない」(同前)

 「野放し」ってあなた、朝青龍は凶悪犯ですか(たとえ凶悪犯であってさえ、品の良い形容とは言えないが)? 自由に行動したら、人でも殺すのですか? その後、幾分快方へ向かってきたのか、「モンゴルの一般紙『ウッデリー・ソニン』が12日付の新聞で朝青龍が英語と経済の家庭教師をつけて『ドリームランド』で毎日勉強をしていると報じたことが12日、分かった」(13日付『デイリースポーツ・オンライン』)と伝えられても、ネット上の反応は、“なぜ畑違いの勉強をするのか”という具合で、むしろ仮病・詐《さ》病疑惑を深めかねない気配である。

 一人横綱を長らく続けてきた中で朝青龍が甘やかされた部分は否みがたいし、高砂親方の指導が不十分であったことも事実だろう。しかし、今回の直接の問題は、たとえば暴力事件でもなければ八百長でもなく、所詮は遊びのサッカー試合――それも、モンゴル政府も日本外務省も関わっていたチャリティー・イベント――に参加を要請されて応じたというだけに過ぎない。それにもかかわらず、過去の経緯《いきさつ》まで曖昧に一緒くたにしたような二場所出場停止という厳重処分である(最近の例では、取材カメラマンを殴った力士が出場停止三日間、禁止されている乗用車を運転して人身事故を起こした力士でさえ出場停止一場所)。

 常識的に考えれば、二場所――実質的に約半年――の空白、稽古を伴なわない静養を挟むことになる朝青龍の完全復活は困難とも思われるのだが、それはさておき、横綱審議委員会委員の一員・内舘【メディアによっては内館】牧子(脚本家)による事ここに至っての発言には驚いた。

「横綱審議委員会(横審)の内館牧子委員(59)が11日、モンゴルで療養中の横綱・朝青龍(26)=高砂=に引退を迫った。『引退声明を出した方がいい。自分で花道をつくる。早めに引退会見してお辞めになった方がいいのでは。それに匹敵することをしたのですから』と両国国技館で話した」(12日付『スポーツ報知』)

「大相撲の横綱審議委員会(横審)の内館牧子委員(脚本家)は13日、2場所連続出場停止処分を受けた横綱・朝青龍に関し『潔く引退声明を出した方がいい』との考えを示した」
「13日は横審本場所総見があり、内館委員は観戦後、朝青龍問題に触れ、『他の企業ならとっくに辞めさせられている』と話し、朝青龍の一族が経営するASAグループも例に挙げて『こういう社員がいたらトップは辞めさせるでしょう』と述べた」(13日付『毎日新聞』)

「横審としては引退勧告はしませんが、早く引退声明を出して花道をつくれ。地位も晩節も業界(相撲界)も汚している。治療と、犯したことは別。自分で引き起こした病。引きこもりなどしなかったらもめなかった」
「引退声明は潔く出されてもいいのではないか」
「温泉で治療を開始した? それが前向きの動きだという気持ちは、わたしの中にありません」
「首を切らずに、自分でやめろと言っている。こんな優しいことないでしょ」
「公益法人の仕事を放棄。責任をとってやめなさい」
「謝罪会見もせず籠城(ろうじょう)。親方にも言わず治療地を転々としている」
「自分で引退を決断することが男として最後の値千金の花道」(14日付『中日スポーツ)

 横綱審議委員会なんて、たかが日本相撲協会理事長の諮問機関、横綱推薦に影響力を有するとはいえ答申に決定権はなく、要するに協会が箔《はく》をつけるために集めた相撲好きの有名人の集まりではないか。8月31日に行なわれた横綱審議委員会の臨時会合では、前委員長の石橋義夫委員(共立女子学園理事長)が「横綱に推挙したことを、横審はみんなが反省している」(1日付『スポニチアネックス』)と述べたそうだが、内館にしても――過去、朝青龍に対し何かにつけて苦言を呈していたことは認めるにせよ――朝青龍を推した一人のはずである。高飛車な言葉を連ねるよりも、せめて自分の見る目がなかったことを愧《は》じて小さくなっていたほうが良さそうなものだ。

 横綱審議委員会の横綱推薦基準第一項「品格、力量が抜群であること」はしばしば問題とされるけれども、「品格」という基準はどうにも曖昧だ。どう転んでも相撲は格闘技である以上、勝つことは第一義。たとえば朝青龍が八百長を実行していたから排除するとでもいうのであればともかく、その「品格」を云々することにより、21回の優勝を遂げた力士に事実上の詰め腹を切らせたりしたら、本末転倒も極まれりだ。だったら、現役最多勝利706勝、優勝5回、戦後最高齢大関となって人気もなお高いものの、来場所は何と11回目のカド番を迎える魁皇でもを横綱にしてやったらいいではないか(なお、僕は、魁皇という力士個人を嫌っているわけでは全くない)?
(2007.9.15)