今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

熱帯化しつつある日本で、アボカドはどこまで育つのか?

大西 赤人       



 大臣の椅子とは、それほどまでに魅力的なものなのだろうか? 昔から「末は博士か大臣か」と出世の象徴とされていたわけだし、大学の数自体も増えている現代では、博士よりも大臣のほうが一段と稀少価値はあるに違いない。とはいえ、ふとした折に過去の大臣の名前を眼にすると、多くは“あー、そんな人も居たなあ”という程度、中には“誰、それ?”というような例も少なくない。それでも、組閣ともなれば、入閣当然の大物はさておき、名前を取り沙汰されるクラスの議員は吉報を待って落ち着かないらしいし、官僚を侍《はべ》らせて一省庁のトップに立つという経験は、政治家として大きな充実感なのでしょうねえ。

 さて、先頃の参議院選挙自民党大敗後、安倍(政権)批判を公然と繰り返してきた舛添要一参議院議員が、内閣改造において厚生労働大臣として初入閣。首相の就任要請に対しては「命がけでやります」と応じたそうで、記者会見でも「総理が個人的に憎くて批判していたのではない」「党立て直しのために批判すべきを批判してきた。今は一体となって党を立て直さなくては」(28日付『サンスポ・コム』)と一転した協力ムード。たしかに、政治の世界に身を投じた以上は、政権中枢に足を踏み入れること、大臣として力を手にすること――究極、総理大臣の椅子を目指すこと――は、当然にも見据える「べき」目標なのかもしれないけれど……。

 もっとも、このような“豹変”ぶりは、極めてプラグマティックな権力のありようを象徴するものとも見做《な》し得る。選挙で負ければ、自分たちが神輿《みこし》に乗せた総裁に向かってさえ、言わば公衆の面前で退陣要求を口にするような行動が可能であることこそが、むしろ自民党の恐るべき懐の深さ――強さなのであろう。それに較べて、共産党などは、どれほど客観的に選挙戦で尻すぼみになっていても、野球にたとえれば“試合には負けたけれども、昨日よりもヒット数は増えた”とか“10連敗しているけれども、その間にエラーは一回もしなかった”とかというような極めてポジティヴ(?)な総括をすることにより、指導部の根本的な問題点をなかなか公けに認めようとしない。

 ともあれ、世間では、今回の内閣改造によっても政権の立て直しは到底困難との見方が大勢を占め、従って、反安倍派の間にも、「美しい国」なるキャッチ・フレーズに代表される彼の推し進めかけた日本の方向転換にも歯止めがかかって一安心という気配が感じられる。しかし、冷静に考えれば、先の参議院選挙においても、着実にシステム化されてきた表面的・形式的な――詰まるところ同根でしかない――自民党と民主党による二大政党化が一層進み、その限られた選択肢の間で“民意”があっちに行ったりこっちに行ったりしているに過ぎない。勝利した民主党に対するスキャンダル攻勢も相次いでおり、次の機会には、自民党に向かっての揺り戻しが起きることも大いにあり得る。歯止めとなるべき少数意見はいよいよ軽視されざるを得ず、何かの拍子で大政翼賛的にガラガラと事が動く可能性はむしろ強まっているわけで、その意味では、日本の潜在的危機は少しも解消されていない。


 さて、今回は、そんな世の中とは全く無縁な他愛ない話を少し……。

 アボカドという果物がある。ついついアボ「ガ」ドと言ってしまいがちだが、正しくはアボ「カ」ド(avocado)。クスノキ科ワニナシ属の樹木で、和名・ワニナシの由来は、その果実の形がワニの頭に似ているからなのだろう。昔から「森のバター」と呼ばれるように脂肪分に富み、ビタミンEも多いという。果物とはいえ、甘みは皆無に等しい。昔から寿司(有名なカリフォルニア・ロール)の具などとして使われる話は聞いていたけれども、自分で食べることは滅多になかった。しかし、近年、ファミレスのサラダなどでもちょくちょく見かけるようになり、結構おいしくて注意するようになったら、近場のスーパーあたりでも普通に売られていることが判った。それからは、時おり買ってきて海老とサラダにしたりマグロとワサビ醤油で味わったりしているのだが、そこで何とも気になったのが、その種である。

 熟したアボカドの実にナイフでグルリと切れ目を入れてひねると綺麗にパッカリと割れ、その中央に直径4センチ程度の丸い大きな種がデンと収まっている。当初は躊躇なく捨てていたものの、あまりの立派さに、『これ、植えたら芽が出ないものだろうか?』と考えるようになった。早速、ネットで検索すると、やはり同様の思案に向かう人が多いらしく、幾つもの書き込みが見つかった。アボカドは熱帯、亜熱帯で育つ植物であり、寒さに弱い(日本が90数%を輸入しているメキシコは、世界生産量でも7割を占めるとのこと)。我が国の気候では実がなるまでに育てることは難しいようだが、国内でも僅かに栽培(販売)実績はあり、少なくとも観葉植物としてならば、一般家庭でも十分に生育可能らしい。

 色々な書き込みを調べると、そのまま種を土に埋めても良いが、水栽培の球根のように水につけておき、根が出てから鉢などに植え替えるという方法が一般的なようだった。中には、苗ごとに名前をつけ(!)、成長日記をアップしている熱心な人も何人も居た。ただ、水が汚れて腐ったり、鉢に植えてからも寒さなどで枯れてしまったりというケースも少なくなく、結構な値段で「育て方マニュアル」を販売しているサイトも見つかった。まあ、当方は、ゴミにしてしまうのも何だかかわいそうという程度の動機だったので、とりあえず最初から鉢植えにすることにして、6月頃、前後して二つの鉢に三個ずつ、計六個の種を植えてみた。

 しばらくは何の気配もなし。思い出したように水だけかけてやっているうちに、一ヵ月余り経ってからだったろうか、ふと見ると、最初の鉢のほうの土から、10センチばかりのヒョロヒョロッと細長い枝のような芽が三つ並んで突き出している。『あれま、チャンと出てきたじゃないの』と少々嬉しくなった。それからしばらくして、もう一方の鉢からも同じように三本。アボカドは大変に勢いのある木で、発芽してからは日ごとに伸びるという愛好者諸氏の記述通りスクスクと育ち、現在では六本とも競うように高さ30〜40センチに達し、元気に何枚もの大きな葉を茂らせている。本場では樹高25メートルにも及び、東京でも10数メートルまで成長することもあるというアボカド、むしろ摘芯などの対処が必要になるそうだが、今のところ、まだそこまでの心配はない(ちなみに、名前もつけておりません)。

 思った以上に工夫も苦労も必要なかったけれども、一つには、この夏の酷暑も連中にとってはかえって有利な条件だったのかもしれない。酷暑といえば、大阪に住む知人がくれた残暑見舞いメールには、赤道直下キリバス共和国に住むアマチュア無線の友達に大阪の気温を告げたらビックリしていた(キリバスの気温は20数度から32、3度までとのこと)とか、アフリカのガーナから大阪へ来た観光客が暑さに驚いて長居は出来ないと引き上げたとかという話が記されていた。僕も以前、フランスへ旅行した時、中近東系と思われるタクシーの運転手と話していて日本の気温を訊かれ、8月のことだったので“今頃なら33度、34度にはなる”と応えたら、“そんなに暑いのに、どうしてあんたたちは肌が黒くないのだ”と不思議がられたことがある(ただし、その運転手は、“もうすぐ日本は中国に戻るんだろう?”と日本と香港とを間違えているような御仁《ごじん》だったけれども……)。

 かように熱帯化しつつあるこの日本で、アボカドたちはどこまで育つのであろうか?
(2007.8.31)